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九王記  作者: 荒木小吾
断章 反逆者たち
50/68

49話 西にて

 巻竜の背に乗って空を駆けて行くと、ふとした時に心の隙間に迷い込んでしまうことがある。

 戦場跡地で見つけた、まだ少年の面影を残す青年を、私の目的として担いだ。いささかの後悔の念があるのだ。

 彼は、ウォーディガーン代王は、静かに歴史の表舞台から消えるべきではなかったのか。

 そうすれば、彼は好きに本を読み、静かに第二の生を受けられたのではないか。人並みの幸せを感じ、人並みの不幸に涙することができたのではないのか。

(ウォーディガーンに、王になってくれと頼んだのは私だ。だから、そんな後悔を口に出すことは生涯許されない)

 それでも、心の奥底には、そういう思いが間違いなくあるのだった。


「くたばれ化け物!」

 ここは戦場。

 向かってくる槍の穂先を躱す。ひたすらに。

 良い戦士だった。槍の穂先が数度、体に掠りそうになった。こちらも槍を合わせて、三度、穂先を逸らさざるを得なくなった。

 もう五十年鍛錬すればかなりの腕になるだろう。

 代王の命により、反乱軍とは本格的な戦闘を避けている。しかし、何もしないという訳にもいかず、偵察や牽制、それと訓練もかねて、小部隊を散発的にフスクの町近辺へ出没させていた。

 魔人の存在を明らかにする戦でもあるので、私は鎧兜を脱ぎ、全身にある眼を隠すことなく戦っている。それは即ち、蔑視の視線を浴びるということになる。

「くそ…! お前たちのような化け物に、私たちの故郷を…!」

 汗だくになりながら、目の前の戦士が膝をついた。

 私がいつものように前線付近の斥候部隊を率いていると、反乱軍側の斥候部隊と遭遇、突発的に戦闘になった。

 数は同数だったが、反乱軍側の戦士たちに高度な魔術を扱えるものはおらず、こちらの魔人部隊が優勢になった。

 そこで目の前の戦士が殿となり、反乱軍の斥候部隊は離脱した。

「若き戦士、ここまででよいでしょう。殿の任は果たしたのでは?」

「貴様にねぎらわれたくはない。さっさと殺せ」

 兜を脱ぐと、豊かな髪が零れた。女だ。

「ほほう。反乱軍は保守的な貴族出身者が多いと聞いていましたが、あなたような戦士もいるとは、知りませんでした」

 保守的な考え方の持ち主は、個人の能力以外のところで役割を決めたがる。人と定められた形をしていなければ、ヒトではないというようなことである。

「黙れ。我が主を他の貴族と一緒にするな。エース・ブレイナード様だぞ」

 さあ殺せ、とばかりに鎧の首元を開けた。発達した血管が、逞しい首に浮き上がっている。

「フリティゲルン様…」

 死にたがりを目の当たりにして、率いている魔人達が動揺していた。無理もない。いくら強靭な肉体と魔力を持っているとしても、この間まで、ひっそりと生きていくだけで精いっぱいだった者がほとんどなのだ。

 そんな彼らが初めて見る、大儀のために命を懸ける人なのだ。

 衝撃を受けるな、と言う方が未熟だろう。

「これが、戦士というものです。よく見ておいてください。そしてこれが、戦士に対する礼儀というものです」

 一閃。

 魔人の肉体で、速度を出す。無数の眼で、正確に穿つ。

 精緻な一撃が打ち砕いたのは、

「―情けをかけるか」

 戦士の兜だった。

 背後の魔人達がほっと、息をついた。

「未熟な戦士よ。情けではなく、機会を与えたのです」

 戦士は、唇を噛んで俯いている。

「またどこかで会うでしょう。その時までに、機会の活かし方を考えておくといい」

 帰還。そう号令をかける。

 魔人の斥候部隊は帰路についた。


「あの技、まさしく神域の一撃だった…」

 取り残された女戦士は、唇をかむ。

 竜騎士の一撃は、彼女に更なる技の高みを見せたのだ。

「次こそは、奴の眉間に我が槍を突き立ててやる…」

 そう呟いた彼女だが、しばしの間留まって、槍の一撃で粉みじんになった兜を見つめていた。


「帰ったのか」

「はい、只今帰還しました。報告は後程」

 フスクの町近郊、代王軍駐屯地。

 ここにヘンギストとオイスクが来ている。

 老貴族アルフォンソ、聖光教の教祖ベーダは代王都の留守を預かっている。

 代王の命令で、持久戦の構えをとった。その時に急ごしらえで築いたのがこの陣地である。簡素な造りで、いつでも破棄できるようになっている。

 代王軍は、魔人種、人種、それと傭兵として集まった少しの他種族。総勢、1000名程の小規模な軍勢だ。

「オイスク、後三つばかり陣地を作る目途をたてておけ。また奴らは攻勢に出てくる兆候がある」

「分かりました、総帥」

 ヘンギストは軍の総帥となっている。オイスクは副総帥である。

 この二人が代王軍をまとめるようになってから、ずいぶんと軍は様変わりしている。その視点には驚かされてばかりだった。

 オイスクが物資の手配に出かけると、ヘンギスト総帥に話しかけられた。

「よお、爺さん」

 ヘンギストはかなり荒っぽい性格の青年らしく、気さく、というかざっくばらんな口調で話しかけてくることが多い。

「今日連れて行った連中はどうだい?」

「戦場の緊張感に飲まれてはいましたが、きちんと目を開いて自分の足で歩いていました。初陣にしては上々でしょう」

 頂点に立っていても、きちんと下を見ようとしている。そこが、この総帥の良い所だ。

「そうかそうか、そりゃあ良かった。そろそろ一巡する頃かな?」

 この戦場が膠着気味なのをいいことに、新兵の調練を兼ねた斥候部隊を編成していた。

「ええ。およそ気質はつかめてきました。何人か、戦士には向かない者もいますので、彼らには他の仕事を探させます」

「それは結構。決まったら教えてくれ。オイスクが部隊の編成をやり直すからよ」

(自分ではやらないのか…)

 この総帥の悪い所は、すぐに仕事をさぼろうとするところだ。

「オイスク殿には、後程疲労に効く食べ物でも差し入れいたしましょう」

 ヘンギスト総帥は、ちょっと驚いたような表情をして、爆笑しながら去っていった。

「竜騎士殿に皮肉を受けるとは、俺もずいぶんと大物になったらしい!」

 変わった男である。

 そんな日常が続いて、三月程経ったときの事。砦内部の見回りをしていた時だ。

「やあ、諸君! これはいったいどういった状況かね!? 我こそはレムス王国の第二王子なるぞ! 開門いたすがよい!」

 東から、騒がしい男がやってきた。

 ものものしい護衛に傅かれ、身分の高さを隠すことなく、東大陸レムス王国から、レムス王の第二王子が現れた。

 もっとも、この場にその人本人を見たことのある者はいない。本人がそう言っているだけの事だ。しかし、背後に軍勢を従えている。見た所練度も十分だ。

「みすぼらしい砦、数少ない兵、敗戦の後かね!?」

 砦の前、流暢な東大陸語で大声で喚き散らす。もちろん、砦の扉は開いていない。

「誰だてめえは?」

「敵か?」

「敵襲!?」

 砦にいた戦士たちが騒ぎ出す。

 それを見た第二王子(仮)の護衛達も剣呑な気配を見せる。軍の先頭に立って騒いでいた自称第二王子が、配下に軍の中へ引き戻された。

 一触即発かに思われた。

 こんな時に限り、オイスクがいない。彼ならヘンギストの居場所を常に把握しているのに、よりにもよって、今は新たな砦を築く陣頭指揮で留守だった。

(私が出るか? しかし、連中の身なりを見るに、東大陸の者達だろう。彼らが異形の魔人を見て、冷静な判断ができるかどうかは疑わしい。何しろ、味方の砦だと思っていたところに、突然得体のしれない外見の者達が武装をして現れるのだ。命の危機を感じるのが自然だ)

「ヘンギスト元帥! ここで彼らを止めるのはあなたしかいません!」

 大声を出しながら、砦の内部を駆け回る。

 一国の猶予もない。幸い、見張りに立っている者達は、一目で異形とは分からない。

「元帥!」

 砦の門前の騒ぎが大きくなってきた。

 仕方ない、ひとまずは態勢を整えなければならない。

「警戒態勢を取るように伝えてください。それと元帥に、至急正門へ来るようにと」

 すれ違いざまに指示を出していく。

「相手は恐らく東からの人間です。人種以外の姿に慣れていない。なるべく人種で対応するように」

「了解。第三小隊集まれ! 伝令任務だ!」

「第一小隊! 人種と魔人種に分かれて分隊を構成する!」

 この砦の総指揮権はヘンギストにある。私は、あくまで一人の将に過ぎない。緊急事態に対応するためには、組織的な動きをしなければならないというのに、あの男ときたら、こんな時にどこに行っているのやら。

 加えて気がかりなのは、今の時期に東からの人間がここに来たということだ。

(もし、門前の者達が言っていることが本当ならば、陛下は…?)

 厳しい予想がいくつか思い浮かぶ。

(この先、荒れてきそうですね)

 しかし彼は帰ってくる。他の誰が信じなくとも、私は信じて待つ。そうしなければならない。

「代王陛下。どうかご無事で」

 期待を背負うことなく成長してきた第十王子を見つけだし、王の重荷を背負わせたのは、この私なのだから。

 砦中を探し回って、ヘンギストを見つけた。見張り櫓の上で昼寝をしていたようだ。

「元帥。ふらふらと出歩くのはお止めになってください」

「おっと、フリティゲルン殿だったのか。小言が聞こえたから、オイスクの奴かと思った」

 見張りの兵に降りてもらい、空いた所に立つ。ヘンギストと並んで櫓から見下ろすと、門前の連中が一望できる。

「連中、中々帰らねえな」

「元帥が対応なさった方がよろしいと思いますが」

 ヘンギストが嫌そうな顔をした。これほどに嫌そうな顔の手本となるような顔はあるまい。

「元帥…」

 呆れた声の私。

 子どものようにむくれて見せるヘンギスト。こんこんと説き伏せたが、頑なに彼は櫓から動こうとしなかった。

「だってさあ、どう考えても面倒ごとじゃん? あれ」

 その意見には全く同感である。

「元帥、しかし、彼らに対応するのは責任者でなければなりません。それなり以上の身分であることは明白ですので、重大なお話になるでしょう。その際にきちんと判断ができる者が対応しなくてはなりません」

「それはさっき聞いた」

「はい。先ほど述べた通りです」

 しかしヘンギストは動かない。にやりと笑ってこう言った。

「ここは現地の指揮官として、フリティゲルン殿に対応してもらおうかな」

「しかし、私はこの通りの外見です。無用に怯えさせるだけなのでは?」

 にやけが大きくなった。

「フリティゲルン殿は、魔人の代表ともいえるお方だ。そのお方が自ら魔人の地位を落とすようなことを言ってどうする?」

 私は、思わず言葉に詰まった。

「なあに、驚いて帰ってくれればよし。そうでなければ用件だけ聞いて、上と相談しますとだけ言えば収まるさ」

 本当にそうだろうか。私の不安をくみ取ったのか、ヘンギストは言葉を続ける。

「まともな交渉ってのは長くかかるもんだ。一度の話し合いで何もかも決まる、なんてことはないのさ」

 彼の父親は、代王都の裏社会を支配していたらしい。と以前に誰かが言っていたことを思いだす。市勢に降りた第十王子を利用しようと近づき、見る間に軍の指揮官に収まったらしい。

 いつもの砕けた態度から、時たま、このような深い思考が見える時がある。

「なあに、だらだら時間を潰して、俺らの顔役が戻ってくるのをまとうや」

「分かりました。では、私が指揮官としてこの砦を代表して対応に当たります」

「任せた。俺は上から見てる」

 ひらひらと手を振る元帥に見送られて、私は砦の外に出た。


「ようやく門を開けたか。第二王子様を砦の外にお待たせするとは、兵の教育がなっておらんな」

 周囲のざわめきは、門から出てきた人影が一つであることと、門がまた閉まったことで静まった。

「私は、この砦の指揮官、フリティゲルンと申します。この砦に如何なる御用件かを窺いにまいりました」

 指揮官らしき皺の多い男が、ごく丁寧な口調で問うてきた。

「恐れ多くも東大陸レムス王国の第二王子様がご来光を授けに参ったのだ。即刻門を開け、迎え入れるがよい」

 周りを固める近衛兵の一人が答える。これで話が付いた。早く長旅の疲れを落としたい。代王都からここまで、まともに休みを入れていないのだ。兵も私も疲れている。

「申し訳ありませんが、ここは闘いのための砦ですので、高貴な方をもてなす場ではありません。代王都までお戻りください」

 耳を疑うような言葉を指揮官が言った。

「―言葉に気を付けよ。某とやら。ここにおられる方の一言で、お前の首など飛んでしまうのだぞ」

「私はこの国の元帥に、指揮官として任じられました。第二王子であろうとも、それは揺るがしようがありますまい」

 皺男は頑として門を開けないつもりらしい。

「ならば、その元帥とやらを呼べ。そやつに話をする」

「元帥は何処かへ行きました。此処にはいません」

「それでよく指揮官が務まるな、貴様!」

「元帥の居所を常に把握しろとは、無茶を言われる方ですね」

 やり取りは、押し問答のようになってしばらく続いた。

(眠くなってきたな。私の顔を知らぬとは、やはりこの田舎はろくなものでない。姉上がここに来なくて本当に良かった)

「もうよい。代王の手の物だからと、一応の例を尽くしたつもりだったが、それも終わりだ。向こうの町へ向かう」

「殿下。よろしいのですか? あの町を占領している連中は、どれも身分卑しい者ばかりと聞きます。殿下の御身に危険が及ぶかもしれませぬ」

「そのためのお前たちであろう。それに、連中は代王の位を望んでいると聞く、私を敵に回して代王の位を得られると思うほど愚かではあるまい」

(そうだ。このことを伝えれば、代王軍の姿勢も緩むかもしれないな)

「あの皺男に今の言葉を伝えろ」

「はっ」

 私の言葉が、指揮官に伝えられた。

「第二王子ともあろうお方が、反乱軍の庇護を求められるとは驚きですが、それがお望みならばお止めはしません」

 指揮官は止めなかった。状況の判断も出来ないようだ。みすぼらしい砦だと思ったが、やはり戦略上意味のない砦だったようだ。指揮官にもまともな者がいない。

(私を反乱軍へ行かせるということがどのような意味を持つのか分かっていないとは。代王はろくな家臣を持っていなかったのだな)

「しかし、第二王子様ともあろうお方が、何故この地に参られたのでしょうか」

 指揮官に動揺は見られない。呑気に世間話でも始めそうな様子である。呑気なのか、ただの馬鹿なのか。

 主である代王の不利益になる行動を止めもしないなど、私の臣下であれば考えられない。

 代王は、よほど臣下に恵まれていなかったと見える。気の毒に。

「決まっておろう。無能な代王に代わり、この地を治めに参られたのだ。代王軍か、しからば反乱軍か、どちらにせよ、殿下の手足となって働く者が、この先を生き残ることができよう」

「ふむ。なるほど」

 門前の指揮官は、静かに槍を構えた。

 静かに、湖面の細波のように、気迫が伝わっていく。

「な、何の真似だ?」

 気迫に打たれ、交渉役の近衛兵は声を震わせた。私のところにまで、動揺が届く。

「うろたえるな。見苦しい。それでも私の軍か!」

 一喝する。

 そして、私は地面に転がっていた。

「―何が起きた?」

 私の馬が、血を噴き出して倒れている。

(わざわざ南大陸から取り寄せて厳選した、私の馬が!)

 馬の胴体は、頸の付け根から尻まで、一直線の穴が開いている。大人の腕が易々と入るような大穴だった。

「な、何のつもりだ!?」

「殿下。代わりの馬を!」

 兵の動揺が、私にも届き始めた。

(あんな所から、私を攻撃してきた!? これが魔術という奴なのか!? 指揮官を魔術師が務めるなど、聞いたこともない!?)

 あの距離で、馬の胴体を貫く威力を出せるのだ。その気になれば、私を殺すこともできた。そう考えると、急に恐ろしくなってきた。

「う、馬を引け! これより、フスクの町に向かう!」

 どっと押し流すように私と軍が走り出す。

 軍に囲まれていても、背後からいきなり刺し穿たれるような気がしてきて、何度も振り返った。皺男は追ってこない。門の内側に入っていった。

 砦から離れ、フスクの町へ近づくにつれて、徐々に冷静になっていく。

「町が見えた…」

 これでもう、大丈夫。私と軍勢に安堵が戻る。軍を整えようとした矢先、突風が吹いた。

 今までに聞いたことのない音が聞こえる。

(それに、これは、鳴き声? しかし、いったい何の?)

 馬が怯えている。

「上を見ろ!」

「りゅ、竜だ…」

 初めて見た。

 大空を、竜が飛んでいる。

 伝説上でしか、その姿を伝える者は無く、見たという者のほとんどは狂人か酔っぱらい。そんな存在の上に立つのは、先ほどの皺男だ。

「第二王子とやら、本物か偽物かは差し置いて、我が主、代王陛下の敵となるならば、いつでもその御印をもらい受けますので、そのおつもりで」

 さほど大きな声でもなかったのに、突風の中、やけに耳によく届いた。竜の姿に驚き、放心し、馬が暴れ、人が喚く。皺男の皺、一つ一つが開き、眼として私を刺し貫いた。

 悠々と去っていく竜騎士を、私はただ見ていることしかできなかった。


 反乱軍の拠点になっているフスクの町。

 アムル川の合流地点に存在しており、代王国の北と西を代王都に結び付けている交通の要衝である。そこに、三領主は集結していた。

「おいババア、東大陸の第二王子を追い返したそうだな」

「餓鬼。お黙り。今我々に必要なのは、旗印ではなく戦力です」

「モノは使いようだろうがよ」

「不和を招くようなものは必要ありません」

 老齢の女と、壮年の男が言い争っているのは、屋根すらない道端である。機密も何もあったものではない、と若い男はため息をついた。

 いつもの喧嘩だ、と道行く反乱軍の兵士が通り過ぎていく。

「どちらの言い分にも一理あるのは分かりました。では、東の第二王子に対する対応は、この戦いが終わってからでいいのですね?」

「それしかねえ。ババアが余計なことをしなけりゃ、もう少し手の打ちようがあった。全く、年を取ると短気になるというのは本当らしいな」

「聞こえてんだよ。クソガキが」

 老齢の領主、エース・ブレイナード。

 壮年の領主、トレース・ナサを鋭い眼光で見据えた。

 若年の領主、ツヴァイ・ファルコムが白けた視線を送る。

「この後、あの第二王子はどうするんでしょうかね?」

 軍を裏から支えるファルコムは、抱えた書類の束に目を落として言った。

 ブレイナードが、剣の柄を肩に背負う。

「軍を率いてくるならば迎え撃つ。そうでないなら、代王国軍との決着がついてから考えるさ」

 ナサがファルコムの書類を覗き込んだ。

「そこの数字の桁が間違ってる。騎獣の餌は、十分足りてるからな」

 ナサは意外にも書類仕事に詳しい。まあ、領主なのに書類が読めない者はいないが、いかにも武人といった面持ちの彼がそうだというのは中々面白い。

「――まあ、それでいいんじゃないのか? 見張りの報告だと、竜騎士にさんざん脅かされていたらしいから、代王国軍の連中に混ざることは無いだろ」

 それで結論が付いたと言わんばかりに、二人の領主が散開する。

 一人残ったファルコムだけが、取り残されたように不安な気持ちを露にしていた。

「もうちょっとしっかり話し合っておくべきなんじゃないのか? 仮にも、軍を率いた将軍を追い返したんだぞ? 二人とも楽観しすぎなんじゃないのか?」

 あーもう、と頭をかきむしるが、やがてファルコムは諦めたようにため息をついた。すっかり頭がぼさぼさだ。

 闘いの事で自分が心配性になりすぎるのは、これまでに嫌と言うほど分かっているのだ。

「戦闘の事は二人に任せるって決めたんだ。僕はただ、補給の心配をしていればいい。そうだろ? 兄さん…」


 魔獣の皮で作った重い書類を抱え込み、ファルコムがとぼとぼと歩いていた頃。

「おのれぇ…。野蛮な連中め…」

 西大陸の第二王子は歯噛みした唇を血で濡らしていた。

「国を乱すことがそれほど望みなのか…? どちらも私に味方しないとは、いたずらに戦争を長引かせるだけの愚考ではないか!」

 これでは、早晩、この国の形が崩れてしまう。とは口に出さなかった。

 しかし、状況を分析すればおのずと明らかになる。この大陸で人種同士の争いが起ることに旨味を覚えるのは、代王国として住処を奪われた西大陸の他種族たちだ。

(あの竜に乗っていた指揮官を人種とするのには抵抗があるが…。代王国軍の一員として扱われているようだったし、今は棚上げとしておこう…)

 正直、思い出すだけで寒気がするのだ。二度と戦場では会いたくない。

(竜騎士などというばかげたものが現実に存在しているとは…)

「殿下。これからどうなさるおつもりですか?」

 側近の声で気が付いた。今私が考えなければならない事は他にある。

「無論、戦うのよ」

 どちらかが味方として戦うのならばよし、そうでないならば共に魔獣の餌としてくれよう。

(おっと、野蛮な物言いは姉上がお嫌う。気を付けなければ)

 胸の内で戦意が高まってくるのを感じる。

「おお、孤立していながらも戦意を失っておられない」

「流石は音に聞こえた武勇のお方よ」

 何はともかく、本隊と合流しなければ。

「急ぎ本体と合流する! 進発準備!」

「ははっ!!」

 勇ましい号令と共に、私の部隊が行軍を開始する。一糸乱れぬその姿には、先ほどまでの混乱はない。

 竜の背から覗く無数の眼。ともすれば、嘘のような光景だった。しかしもう油断は無い。東王国最強の外征軍として編成され、この私が指揮を執るのだ。

「反乱軍も、代王国軍も、まとめて踏みつぶしてくれようぞ!」

「応!」

 気勢を上げて、第二王子は本体と合流する。

 東王国外征軍。

 総勢五万の大軍が進撃を開始した。

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