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九王記  作者: 荒木小吾
一章 西の大陸で
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4話

 また、夢を見た。

 月と巨大な魔獣が囁いてくる。

 言葉こそ分からないが、こちらに何か伝えようとしてきているのが分かった。

 しかし囁き声が掠れ、もっと近くに行って聞いてみようと、歩き出したところで目が覚めた。

「またあの夢だ」

 しかも今度は登場人物が増えていた。

「オド、朝飯だ。もうアラさんは食べている」

 カダンさんの声だ。起こしに来てくれたらしい。

 飯と聞いて夢のことはきれいに忘れてしまった。

 一階に降りて、昨日と同じく店の隅で食堂の飯を食う。この飯については腹も膨れるし、味も悪くないのだが、思うところがある。

「この飯、毎回パンと薄いスープに魚の干物だよな」

 違うのは魚の種類くらいのもので、味がほとんど一緒なのだ。今はまだ食べていられるが、ここへの滞留が長くなると考えると、違う飯があるのかは確認しておきたいところだ。

「なんか文句あんのか、小僧」

 カダンさんに睨まれようとも俺は屈しない。飯は生きていくための原動力なのだ。

「まあまあ、カダンさん」

 アラがカダンさんをとりなしてくれた。

「オド、この町もよそ者が流れてきて食料が足りなくなってきているそうだ」

「それでこの質素な飯か」

 恨むべきは鬼人どもだな。

 鬼人は、九王の一角、玉杖の眷属を名乗っている。血族意識が非常に強く、先祖を作った玉杖を崇め奉っていて、惣領と呼ばれる頭の元で強く団結している。肌の色が様々で赤、青、緑と色鮮やからしい。人族に次いでこの大陸では数が多い。

 そして闘争心が強く、強者を重んじる文化なので、戦士は皆精強とのことだ。

 その鬼人が二百人。こちらは二人。相手は鍛錬を積んだ戦士で、こちらは商人見習いと狩人だ。

 これで勝てるという奴がいるならぜひ俺と代わってほしい。

 飯を食い終わって、カダンさんが何かを持ってきた。

「アラリックさん、修理が終わりました」

「ありがとうございます」

 アラは渡された板の様なものを腕と足に付けていく。

「それ、なんだ?」

「脛当てと腕甲だ」

 なるほど、防具か。

「それとこちらです」

 今度は長い布をカダンさんがアラに渡す。アラはそれを腹に巻き付ける。

「それは?」

「鉄糸の腹巻」

 最初に戦った時の硬い手ごたえの正体はこれか。

「てっし、ってのは?」

「剣でも切れない糸だと思っておけば良い、どうせ小僧にゃ難しくてわかんねえさ」

 カダンさんの嫌味にも慣れてきた。それにしても世の中には俺の知らない物が色々あるもんだ。

「しかしいいなあ、アラばかりかっこいい防具を持ってて」

「何言ってんだ、手前にはその肌があるじゃねえか」

「それはそうなんだがなあ」

 うらやましいものはうらやましいのだ。だが、カダンさんはそんな俺の心中などお見通しだった。

「いいか、小僧。手前の肌はそんじょそこらの武器じゃ歯が立たねえ、それに動きを見る限り重さは普通の肌と変わらない。そんなもん手に入れようと思って手に入るもんじゃねえ」

 昨日会ったばかりなのによくそこまで分かるもんだ。

「手前は生まれた時から鎧を持ってるんだ、それを使いこなせない馬鹿に他の防具を使えるわけねえだろうが!」

 どん、とテーブルを叩くカダンさんの剣幕に俺はすぐに白旗を上げた。

「はい、すいませんでした」

 この肌を使いこなせ、そう言われたのは初めてのことだ。

 親父もお袋も、周りの奴はみんな俺の肌について優しかった。気にするなと、そういわれ続けていつからか、俺は普通の人間だと思いたがっていた。肌は黒いが、それだけなのだと。

 もう少し、考える時間がいる。俺は何なのか。なんの種族なのか。そもそも人なのか。

 何か言いそうになったアラをカダンさんが止めた。

 ぐるぐると頭の中で言葉が回って気持ち悪い。考え事は本当に苦手だ。

「オド、段取りを決めるぞ」

 アラの声で、意識が切り替わった。

「ああ、そうだな。時間が無い」

 村の食料が尽きるまで余裕はない。

「しかし、相手は鬼人が二百だ。俺にはどうすればいいか分からん」

 勝機の見えない戦いに突っ込んでも、残るのは死体と、飢えたシャンダル村の連中だけだ。

 無理にカダンさんの話を受けなくともいいとさえ思うのだが。

「心配するな、私が策を考えた」

 アラは得意げに鼻をぴくりと動かした。

「策でどうにかなるのか?」

 不安な俺の声にもアラは動じない。

「なるさ。ただしカダンさんの協力が欲しい」

「良いでしょう、協力します」

 やけにあっさりとカダンさんはアラに協力すると言い放った。

「何をしてほしいのか、聞かなくともいいのですか?」

「ボルテの見込んだあなたがこの先伸びるのか、落ちるのか、見極めるための投資ですから」

 アラとカダンさんの視線が交差する。

 戦いさながらの緊張感は二人の姿を向き合う戦士と錯覚させそうだ。

 ああ、今日の空は青いなあ。

 それにしてもあの樹人の商人がカダンさんに認められていたとはなあ。

「では、アラリックさん。策とやらを伺いましょうか」

「はい、私の策はこうです」

 と、アラが策を語ってから十日後。

 とうとう鬼人軍二百人が夜陰に紛れてフスクの町に攻め寄せた。

 迎え撃つ軍隊もいない、交通の便が良い土地にあるフスクの町はひとたまりもない。

 町人も、流れてきた各地の避難民たちも手向かうものは切り捨てられ、そうでない者たちは一か所に集められて厳重な見張りの監視下にある。

 鬼人達は町を瞬く間に占領しようとしている。

「という状況です、兄貴」

 ここはフスクの町を見下ろす山の上。そして俺はおしゃべりな弟分の報告を受けたところだ。

「おうよ」

 俺は合図の火矢を夜空に放つ。

「よし、ずらかるぞ」

「はいっ」

 そしてアラから指示された場所に向かう。ちらつく雪が肌にあたるのを感じながら、破骨棍を担いで駆けた。

「兄貴、あれを!」

 ついてきている弟分が指さした方向の空は赤く夜空を染めている。山の上からようやく見えるのだから、フスクの町を襲っている鬼人達は気が付かないだろう。

「アラ達のほうはうまくいったらしいな」

「鬼人ども、驚くでしょうね」

「そうだろうな」

 アラは村人の中で元気な連中を率いて鬼人軍の野営地を襲いに行った。さっきの火矢は鬼人軍本隊が町に来たことの合図だ。

 残っていた鬼人を片付けたところで食料を奪い、火をかける手はずになっている。

 ここまでなら、ただフスクの町を利用したというだけでしかない。

 そんな外道に堕ちるかどうかは、ここからの策が上手くいくかどうかにかかっている。

「急ぐぞ」

「はいっ!」

 だんだん強くなっていく雪と静かな月光の中、俺はアラに指示された場所にたどり着いた。

 弟分は肩で息をしている、俺も少し息が上がってきた。

「ここだな」

 カダンさんに渡された地図を見る。間違いない。街道の脇が並木になっている。

「おい、アラに知らせに行け」

「ええっ!もう走れませんよ!」

 泣き言を抜かすそいつを張り飛ばそうと思ったが、やめた。

「頼む、皆の未来がかかってるんだ」

 代わりに弟分の眼を見据えて頼む。弟分は目を見開いた後、不敵に笑ってみせた。

「しょうがないですね。そんなこと言われたら断れませんや」

 やれやれと、弟分が走り去る。良い奴だ。

 できるなら盗賊なんて真似はさせたくなかった。そうするしかない状況に追い込まれたのが、不運だったということなのだろうか。

 命を奪わなかったとはいえ、金品を奪ったことはその後の生活を苦しくさせたはずだ。

「いや、今は集中なしきゃならん」

 自分の頬を叩いて気合を入れる。

 傍の木陰に入り、薄っすら積もった雪を払って座り込む。ここで寒さを凌ぎながら朝を待つのだ。

 俺はカダンさんに貰った新品の外套に包まり、闇の中にじっと目を凝らす。

 雪が強くなる。視界が白い。

 そこに一点、明かりが見えた。こちらに近づいてくる。

 誰かに気づかれたなら動きを封じろとアラに言われている。それが例え無関係の者であってもだ。

 正直気乗りはしない。だが、そうしなければならないとさんざん言われたので、必要なことだとは分かっている。

 明かりが近づいてくる。数がはっきり見えた、五つある。どれも尋常ではない速さでこちらに向かってきている。

 破骨棍の柄を握りしめた。呼吸を止める。

 明かり達は通り過ぎて行った。

「ふう」

 思わず息をつく。見つからなかったようだ。

 暗くてよく見えなかったが、奴ら、何かに乗っているようだった。多分今のは、野営地に残っていた鬼人軍の生き残りが本体に敵襲を伝えに行ったということだな。

 全てアラの手のひらの上か。

 後は合流したアラと、鬼人軍本隊に奇襲をかけて大将を打ち取れば、俺たちの役割は終わる。そこで問題は、鬼人の大将がフスクの町にこもらないかどうからしい。

 アラによると、攻めやすく守りにくいフスクの町に籠るよりも、出撃して襲撃者を撃破する方が安全性は高いらしい、色々説明されたが、俺は半分も理解できなかった。

 とにかく鬼人軍はこの道を通るということなので、俺はいつ来るかもわからない鬼人を震えながら待つ羽目になっている。

「待たせたな」

 そろそろ夜明けというところで音もなくアラが目の前に出てきた。

「ひょっ!」

 緊張している時にこんな現れ方をされたらそりゃあ変な声も出る。

「オド、どうした?」

「いや、何でもない」

 雪の中ならアラの接近にも気づくと思ったのだが、全くわからなかった。どうやって足音を消しているのだろう。

「食っておけ」

 パンと干し肉を投げて寄越された。

「おう」

 アラも自分の分を取り出して食べ始める。しばらく互いに無言で飯を食った。

 もしかするとこれが人生最後の飯になるかもしれない。

 少ない量だったが、食べ終えるのまでがひどく長く感じられた。

 雪が小降りになってきた。

「来た」

 アラが短く声を上げる。

「手はず通りにやるぞ」

「おう」

 俺は破骨棍を手に、街道の中央へ。アラは木陰に身を潜める。

 防寒具に身を包み、フードから角を覗かせた鬼人が二人やって来る。恐らく斥候だ。

「お前、どけ」

 片言の言葉は、牙のせいかくぐもって聴き取りづらい。

 俺は言葉の代わりに拳をそいつの腹に突き立てた。

 腹を押さえ、くの字に折れたそいつを見てもうひとりが逃げ出そうとしたが、破骨棍で脚を薙ぐ。骨の砕ける感触が伝わってきた。もう歩けないだろう。

「さて、とりあえず二人」

 あと、百九十八人。

 先手を取る。向こうがこちらを見つける前に走り出し、積もった雪を蹴散らして突撃する。

 狭い街道を、二列になって行軍していた鬼人達。

 その先頭に突っ込んだ。

 一振りで三人、四人と打ち倒す。剣を抜いた奴は剣ごと腕をへし折り、組みつこうとしてきた奴の額を殴る、そうして何十人か倒すころには俺はすっかり囲まれていた。

 前後左右から一斉に襲い掛かられる。まずは前と右、破骨棍で二人纏めて弾き飛ばす、手ごたえは十分にあった。

 そして左と背後からの斬撃、そのまま受けた。衝撃が重い。内臓まで響いてくるが、肌に阻まれて血は出ない。刃を弾かれたのに驚いている二人も薙ぎ払った。

 そこで、外套のふちが緑の鬼人が何か大声を出し始める。他の鬼人はそいつのほうを見て、そいつが口を閉じると二手に分かれ始めた。

 あいつが大将で間違いない。

 俺の足止めと、野営地に戻る部隊を分けたのだろう。

 大将を中心に一塊になった鬼人がこちらに向かってくる。

 狙いは見えた。あとは力の限りそこを目指すだけだ。大将を睨み、鬼人の中に突っ込む。殴られ、蹴られ、足を掴まれて転びそうになりながら前に進む。

 大量の戦士の壁の向こうに、緑の縁取りが見えている。

 遮るものを殴り飛ばし、腕も脚もへし折る。破骨棍で五人同時に薙ぎ払うと、こちらに向かってくる鬼人達がひるんだ。

 その隙を衝き、走った。ようやく届いた大将に破骨棍を叩きつける。

 躱された。

「くそっ!」

 二度、三度と破骨棍をふるうが、掠りもしない。他の鬼人より動きが速い。

 そして破骨棍を振りぬいたところに剣の柄が来た。顎を撃たれた。視界が白くなる。それでも破骨棍を引き戻し、勘で振り回すが、足がいうことを聞かず、雪の上に倒れこんだ。

「お前、名はなんという」

 くそっ、もう勝った気でいやがる。立ち上がろうとしたところを下っ端の鬼人どもに抑え込まれた。

「名は?」

 俺は黙って唾を吐いた。押さえつけている奴らが怒声を上げる。

「よせ」

 大将が何か鬼人語で言うと静かになった。

「何の目的で我らを襲った?」

「腹が減ってたんでな」

 大将はその答えに目を細める。

「では、我らの野営地を襲ったのもお前たちか?」

「さあな」

 それを聞いた大将はフードを取った。緑の肌と額の二本の角が露になる。そうして俺と目を合わせた。

「言えば、お前は苦しまずに死ねるぞ?」

 俺は大将の緑の眼を睨み据えた。

「威勢のいいことだ、名無しの黒き肌の戦士よ」

 そう言うと大将は俺を押さえつけた奴らに何か指示を出した。どこからか運ばれてきた縄を見れば俺を捕らえるつもりだと分かる。

 そして鬼人達は隊列を組み直し始める。

 もう戦いが終わったつもりらしい。

 ずっと握りしめていた破骨棍を鬼人の一人が取り上げ、その重さでよろめく。それに気を取られた、一番近くにいた鬼人の指を、俺は噛み千切る。

 叫び声を上げるその鬼人に注意が向く、もう一人、今度は腕の肉を食いちぎった。押さえつける力が弱まり、抜け出せた。

 俺は口の中の肉片を吐き出し、破骨棍を奪い返す。

 鬼人の大将が笑っている。余裕なことだ。

「不屈だな、名無し」

「うるせぇ」

 少しぐらつくが何とか立てた。さっきの顎への一撃がかなり効いている。あれには気を付けないと。

「今度は少し、眠ってもらおう」

 剣も抜かずに大将が踏み込む。俺も踏み込んだ。片手に破骨棍を持ったまま、空いている手で拳を放つ。

 躱される。がら空きの腹に掌底が撃ち込まれ、息が止まる。

 腹を押さえてうずくまった俺の顎に、膝蹴りが来た。躱すことも出来ずまともに喰らった。そのまま吹き飛ばされ、雪の上を転がる。

「く、そ」

「驚いた、まだ意識があるのか」

 さくさくと、雪を踏む音が聞こえ、視界に大将の顔が見えた。

「その皮膚も、巨大な棍をふるう怪力と体力も大したものだが、それだけだな。動きが素人同然だ」

「うる、せえ」

「そろそろ眠ってもらおう」

 大将が鞘ごと剣を引き抜き振り被る。が、振り下ろされることは無かった。

 鮮血が雪に落ち、赤く染める。

 大将の背後から忍び寄り、喉を切り裂いたナイフは俺の者で、持っているのはアラだ。

「遅すぎる」

 今のは本当にやられたと思った。

「すまないな、中々機会を見つけられなかったんだ」

 まあいい。それにやることはまだある。

 アラがナイフで大将の首を胴体と切り離す。

 首を持ってアラが鬼人達に近づいていく。俺は背後から破骨棍を振り回しながら、お前ら鬼人を全員倒すのなんて訳ないぞと虚勢を張った。

「お前らの大将は討ち取った!」

 アラは続けて何か言い出したが、何を言っているのか分からない。しかし、目の前の鬼人達には通じているようで、アラを注視している。

 アラは鬼人語を話せるようだ。どこで覚えたんだろう。

 しばらくアラが鬼人達に語り掛けた後、二人の鬼人が前に出てきた。

「オド、私の隣に並んでくれ」

 アラに言われた通り、並んで立つ。

「武器は持つな」

「おい、それは」

「言う通りにしてくれ」

 敵を目の前に武器を手放すのは中々度胸がいる。

「分かった」

 しかし、アラの視線には耐えられなかった。背後に破骨棍を放り投げる。

 二人の鬼人が近づいてきた。二人そろって外套のフードを取る。二人とも緑の肌をしているが、角は一本ずつしかなく、背丈もずいぶん小さい。何よりほとんど同じ顔をしている。双子だろうか。

 アラと鬼人の双子が鬼人語でやり取りを始めてしまい、俺はすっかり蚊帳の外になった。暇だ。

 よく見るとこの双子、どことなく大将に似ている。息子かもしれない。そうだとすれば、いったいどんな気持ちで親の敵と向き合っているのだろうか。

 双子の後ろには不安げな鬼人の戦士たちがけが人の手当てをし始めている。中には俺を睨みつけてくる奴もいた。当然だ。

 だが、謝る気はない。勝てば自分の望みを押し通せる、そういう場でお互いに命のやり取りをしたのだ。

 盗賊を始めた時もこんなことを考えたような気がする。あの時から俺は負けなしだったが、今回、あの大将に初めて負けそうになった。

 負けていれば今頃全て失っていただろう。そう考えると今更ながら、体の震えが止まらない。

「終わったぞ」

 アラが大将の首を双子に渡し、双子は血で汚れるのも構わず、大事そうにそれを抱えると自分たちの軍の中に戻っていった。

 隊列を組み、怪我人に肩を貸しながら鬼人の軍は街道を進む。

「あいつら、よく引き下がったな」

 てっきりもうひと暴れする羽目になると思っていた。

「彼らは強者に敬意を払う種族なんだ。あの大将は二百人の中で最強だった。それに勝った私たちと戦っても犠牲が増えるだけ、と判断しただけだ」

「ふうん」

「それに、あの大将は一族の長だったらしい。次の族長を決めるためにも、故郷に帰りたいそうだ」

「そうか」

 どれほどの規模の一族でもそれ以上に大事なことは無い。俺の村でもそろそろ村長を決めなくてはならないだろう。

「帰るか、皆待ってる」

 朝日が昇り、また一日が始まる。

「ああ、そうだな」

 朝日の中で、そう言うアラの表情は何処か硬い。どうせまた余計な気を回しているのだろう。無駄なことだ。

 シャンダル村の村人は鬼人軍を襲い、食料を奪ってからフスクの町にほど近い山中に移っている。

 拠点の移動は慣れたもので、子供も老人も険しい山道などものともしない。

「あっ、兄貴!姉貴!」

「帰ってきた!」

「おうおう、ご苦労さん」

 様々な出迎えの声をかけてくる顔は皆明るい。

 俺だけでなく、アラも村人総出でもみくちゃにされた。目を白黒させたアラが可笑しくて、大声で笑ってしまい、不機嫌になったアラの顔を見て赤ん坊が泣きだす。それに慌てたアラの様子が可笑しくて、皆で笑い、しまいにはアラまで笑い出した。

 聞くと、冬を越してもまだ余る食料が手に入ったらしく、宴をするという。オズはあちこちに顔を出し、準備て忙しそうだ。

 それを見て思った。村長にはオズがなればいい。

 慌ただしく準備を進め、夕刻には即席の宴の準備が整い、オズが乾杯の音頭を取る。

「それでは、乾杯!」

 本当に久々の宴は俺も、アラも、オズも、弟分達も、子供も、老人も楽しく騒いだ。

「オズ、ちょっといいか?」

 母親、つまり俺の義理の母と話していたオズを連れ出す。宴の喧騒に背を向け、ゆっくりと二人で歩く。

「何だい義兄さん?」

 そう聞いてくるが、オズは俺の言いたいことを分かっている気がした。

「俺、村を出るよ」

 やっぱり、とでも言うように頷くオズ。

「アラリックさんと一緒に行くんだね?」

「ああ、もう会うことは無いだろうな」

 カダンさんに計画を話した時、アラはフスクの町の食料のことまで考えていた。今頃はカダンさんの商会の船が、代王都から食料を運び込んで売りさばいていることだろう。

 そしてアラはシャンダル村とフスクの町を結び付けたいと言っていた。そうすればフスクの町はシャンダル村の猟師を使って町を魔獣から守り、シャンダル村はフスクの町の水利を使って交易ができる。仲立ちはカダンさんがやってくれる。

 カダンさんには足を向けて寝られない。

 そして、そうした場合に問題となるのは俺たちだ。

 鬼人軍を完全に敵に回した俺たちが、この先ここに留まれば、また鬼人軍が攻めてこないとも限らない。そんなことが起こらなくとも、その思いが強くなれば、鬼人と戦って自身のついたシャンダル村と、なすすべもなく制圧されたフスクの町では意見が割れ、せっかくの結びつきがなくなってしまう。

 何より、この外見を受け入れられる人族は多くない。早々に追い出されるか、針の筵の様な生活が待っているだけだ。

「目立つ奴は消えたほうが平和になる」

 オズは何も言わないが、その頬を光るものが落ちて行った。

 今は弟の涙で十分だ。だが。

「いつか、一緒に暮らせると良いな」

「うん、兄さん」

 やっと兄弟に成れた。そんな気がした。

「村長として、村の皆を頼む」

「うん、任せておいて」

「あと、義母さんを大事にしろよ」

「うん」

「身体には気をつけてな」

「うん、兄さんもね」

 目が合った、もうオズは泣いていなかった。

「義母さんのところに戻りな」

 促すと、オズは素直に従った。一人になって、夜空を見上げる。冬の星は光がよく澄んでいる。

 幼いころ、親父に星座を教えてもらったことがあった。それぞれに物語があって、何度もせがんでいる内に眠ってしまい、親父に背負われて家まで帰ったものだ。

「オズ」

「ひぇっくしゅ!」

 悲鳴を上げそうになったが、くしゃみで誤魔化す。俺だって成長しているのだ。

「隣、いいか?」

「ああ、いいぞ」

 アラが隣に座る。

「宴は楽しんでいるか?」

「うむ、宴というのは楽しいものだな」

 アラの尻尾は左右に揺れて、宴の方向から微かに聞こえてくる狩人の歌に合わせて調子を取っている。

「なら良かった」

「うむ」

 アラには謝らなくてはならないことがある。

「すまないな、この冬の間、面倒を見る約束だったのに」

「構わないさ、元々私の発案だ」

 そういうアラの声は穏やかだ。

「それに、オドが付いてきてくれるんだろう?」

「まあな」

 ぴくぴくと動いている獣の耳はどこか嬉しそうだ。

「なら、もう一人じゃない」

「だな」

 流れ星が二つ、流れた。

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