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九王記  作者: 荒木小吾
断章 反逆者たち
49/68

48話 結婚(策略)

「メアリー殿、本当に大丈夫なんだろうな」

 てかてかした正装に身を包み、その動きにくさに閉口した。

 東大陸。レムス王国、王都。

 滞在期間は残り三日となっていた。

「正装が簡素に過ぎますね。手直しをした方が良いでしょう」

 俺、ロムルス・ウォーディガーンは、ロムルス家の本家、レムス家の当主レムス・ジェームズの娘、レムス・メアリーのありがたいご指摘によって、西大陸から持ってきた一張羅の手直しを行った。

 レムス王に面会を叶える策として、俺とメアリーの婚約の許しを得るという方法が発案されたのは、王都滞在期間が残り五日となった時だった。

(展開が早い…!)

 即座に王宮へ使者が出る。するとすぐに事情を説明せよという返答が帰ってきたのである。

「おいおい、いったいどうなってるんだよ」

 王都で俺を助けてくれたが、あまり仲が上手くいっていないテフロム・アゼリオ。彼は、レムス王国の北辺で、遊牧民の侵攻を食い止める防衛戦を指揮する将軍である。

 アゼリオ将軍が困惑したように呟いたのが印象に残っている。

 そのからくりをメアリーは教えてくれなかったが、恐らくはこうだ。

(レムス公爵家はレムス国の実験を握っている。レムス王は王宮を中心にした国の組織の任命権を持っている。王にしてみれば、レムス公爵がこれ以上大きく成るのは避けたい。だから、魔獣の品供給源である西大陸との結びつきが親密になるのは警戒する。一言で言えば、押して駄目なら引いてみろ、ということか)

 警戒感を煽っているが、王に会うことができずに右往左往するより遥かに良い。王に会いさえすれば、また別の展開になる。

 代王の位を継承する。

 魔獣との戦いで父である先代の代王が死亡した。九人いた兄たちも軒並み死んでいった。

 そうしてなぜか、俺が代王国の象徴になっている。ただ静かに世間に埋もれて、本を読んでいたいのが本音である。

 俺の決断で金が動き、物が生まれ、人が死ぬ。何かの悪夢ではないかと思う。

 しかし、一度玉座に座った以上、俺にできるのは全力を尽くすことだけなのだ。

(そうでなくては、俺の居場所はない)

 逃げた先あるのは、死か、さもなくば、仲間や家臣や友達を裏切ったという後悔だけだろう。逃げ場のないところに居るのだ。

 俺は、死ぬまで代王国の奴隷だ。

「そうはいってもなあ」

 思わず、言葉が零れた。

「ぎゃははははは!! なんだその恰好! ぶああああはははは!!」

 これはオドアケルの反応である。

 あまりに長く笑いすぎていたので、魔術で窓から投げ落とした。その後、しばらく笑い声が聞こえていた。怪我一つすることは無かったのだろう。

「すみません。陛下。オドアケルはびっくりすると笑い出してしまうんです。…フフッ」

「おい、ちょっと、アラリック?」

「なんでしょうか。陛下」

「今笑ったよね?」

「いいえ。ンムフ」

「笑ってるじゃない」

「そのようなことは」

 気取ったポーズをとってみる。

「プブフォ」

「ほら!」

 今絶対噴き出しただろ。

「そんな、まさか」

 しかし、口を開くころには元の顔に戻っている。

 むしろすました顔になっている。

「もういい。脱ぐ!」

 似合っていないのは分かっている。ただ、出合頭に爆笑されたり、気を使われたりするのはまた違う話だ。

「陛下ー。なんか面白い格好してるんだってー?」

「冷やかしに来たぜ―」

 続々と護衛達が遊びに来る。

「もう嫌だ! 脱ぐ! 脱ぐー!」

 大騒ぎになった。

 ごちゃごちゃした服の襟をつかんで、破ろうとする俺と、それを止めようとするレムス公爵家の使用人たちと、様々な反応をしつつそのやり取りを冷やかす護衛達。

「脱ぐー!」

 俺の叫び声が聞こえたのか、アゼリオとメアリーが部屋にやってきた。

「何をなさっているの?」

 氷よりも冷たい視線で、狂騒は収まった。護衛達はすごすごと訓練に戻り、使用人たちは俺を取り押さえていた手を放し、俺は半脱ぎになった正装のまま立ち尽くす。

「何をなさっているの?」

 アゼリオが、メアリーの言ったことをそのまま口にした。声色を変えて、若干似せてくるのが腹立たしい。

 しかし、そんなアゼリオもつんつるてんの格好をしている。

 他の奴の格好を馬鹿にする機会はここしかない。呆れを隠さないメアリーをよそに、俺は一瞬で決意した。

「なんだその恰好。似合わねえ!」

「なんだと?」

 途端にアゼリオが怒った。こめかみに青筋が立っている。

(そんなに怒るようなことか?)

 すこし、いや、かなり驚いた。

 俺の知っているアゼリオはもっと辛抱強い人柄だったはず、これしきの冷やかしでここまで怒りを見せるとは。

 思っていたよりも、関係は悪化しているようだ。

「代王陛下、恐れながらあなたのお召し物の方がいささか趣味を疑いますが」

「あぁん?」

(完全に頭に来た)

 睨みあい、そのまま額同士をぶつけ合った。

 ごつんと大きな音がして、視界の端に火花と赤い血が飛ぶ。

「辺境の田舎者が精いっぱいおめかししたものを批判するのは気が咎めるのですが、それでも正直に申し上げます。代王殿、そのままではお恥をおかきになられるでしょう」

「辺境の田舎者はそちらの方であろう、将軍。どうしたというのだその恰好は。まるで家畜のお下がりではないか」

「言ったなこら」

「言ったがそれがどうした?」

「おやめなさい。愚か者ども」

 メアリーが扇で二人の頬を叩いた。嘆息と共に説教を受けて、俺は身支度を整え、アゼリオは一つサイズの大きな服に着替えてきた。

「さあ、王宮へ向かいますよ。陛下が事情を窺いたいと仰ってきました」

 車に乗り込み、王宮へ向かう。

 この車は、南大陸産の馬という生き物が引いている。大きさは、騎獣と同じくらいだろうか。馬が引く車なので、騎獣車ではなく、馬車と呼ぶようだ。

 馬は、魔術を用いることなく、気性も激しくないため、東大陸では車を引くのによく使われている。

 街中を行き交う生き物も、南大陸からやって来たであろう、癖のない外見のものが多い。

 メアリーを道中質問攻めにして、南大陸との交易について色々聞きだした。

 そのうちに王宮の門が見えてくる。

「レムス公爵家のご到着である。開門!」

 馬車の外から大きな声が聞こえ、門をくぐって王宮の内部へ向かう。王宮内に来るまで乗り入れられるのは、数少ない上級貴族の特権なのだという。

 垂れ幕で窓がふさがれているため、外の様子は伺えない。

 流石に、南大陸の話をしてもらうのはやりづらくなった。馬車の中が、重苦しい沈黙で満ちた。

 アゼリオは腕組みをして動かない。メアリーは何を考えているか分からない。俺は、必死でマナーについて思い出していた。

(ああ、あの頃は毎日のようにやっていたのに、必死に思い出さないと頭の中から消えてしまう。マナーに沿った動きができるようになる魔術とかないかなあ)

「この横着者! しかし、興味深いな」

 幻聴でギルダスの声が聞こえた。

 大分緊張しているらしい。

(落ち着け、落ち着くんだ。今まで読んだ本の内容を思い出せ。此処は馬車の中ではなく、代王都の自室なんだ)

 沈黙のまま、馬車が止まった。

「ここからは歩いて移動します。降りなさい」

 メアリーの言葉で車を降り、そこからは案内係の指示で王宮内を歩く。

(造りは代王都の王宮とさほど変わりないようだ)

 調度品や内装はかなり凝った造りになっている。美術品が並んでいるが、どうも豪華すぎて美醜が良く分からない。

 高そうだなという感想しか出てこなかった。

「陛下がお待ちです」

 そう言って扉を開ける。

 目の前に、男がいた。その周りに、側近たちがいる。

 歓談中のようだ。立食の宴の最中らしい。場にいる人間が飲み物の入った器を手に、何事か談笑している。

「お目にかかれて光栄です」

 三人は三様に頭を垂れた。

「面を上げよ。知らぬ中ではない」

 王が目の前に立っている。

「失礼します」

「メアリーか、息災であったか?」

 男は、先ずメアリーに目を向けた。

「御目通りが叶い、光栄です。陛下」

「うむ。近頃は舞踏会に顔を出さないな。本当に顔を見るのは久しぶりだ」

 普通の挨拶である。

 ただ、その挨拶を交わす二人の表情が、異様である。

 凍りついたように動かないメアリーの表情と、くたびれ切った古外套の顔をした王が話している。両者ともに、俺の思い描いていた東大陸の貴族とは何かが違った。

 魔獣同士が静かに睨みあっている。唐突にそんな光景が脳裏によぎる。

「代王の子、ウォーディガーン。よく来たな」

「ははっ」

「堅苦しい。遠縁とは言え、同じ王族のものだ。家族の家と思い、ゆるりとするがいい」

「かたじけないお言葉」

 乾いた風が吹いたのかと思った。王の声は疲れ切ったもので、聞いたこちらが思わず心配になってしまう。

「将軍―」

「陛下―」

 アゼリオと王が話し込んでいる。まずは挨拶から始まった。いきなり援軍の要請をすることは無いらしい。

「西の果てよりよくぞ参った。ウォーディガーン」

「父より代王を継承するべく、罷り越しました」

 一方の俺はといえば、口を開いてすぐに要件を切り出した。

「ま、それについては言いたいことのある者達がいるのでな、おいおいとしよう」

「はい」

 軽く流されたが、逆らわない。

 嫌でもその話題には触れなければならないのだ。まだ機会はある。

 軽い挨拶をしたら、王の取り巻きとの顔合わせが始まった。無味乾燥な連中ばかりだった。なかなかの人数と顔を合わせたはずなのだが、誰も彼も、欠片も記憶に残らなかった。

 唯々、レムス王の疲れた表情を見ていた。

(王家の紋章の入った物を身に着けていなければ、ただのくたびれた中年にしか見えないな)

 レムス王は、面倒そうなそぶりで淡々と挨拶の儀式を行い終えた。

「さて、あー、本題に入ろう。何だったかな?」

「陛下。レムス公爵家の娘、メアリーと、ロムルス家の倅、ウォーディガーンの婚約についてでございます」

「そうそう。そうであった」

 疲れた表情のレムス王。

「それで、いつの間にお前たちはそれほど親密になったのかな?」

 その態度は、完全にちょっかいを出しに来た親戚の叔父である。飄々とした態度の王とは対照的に、周りを固めている側近たちの態度は険しい。

「陛下。なんとしてでも両家の婚姻は避けなければ」

「ますますあのジェームズめが増長します」

「このままでは伝統ある我らがレムス王家が危うい」

 魔術で強化した聴覚には、そのようなささやきが届く。

 この場には、王、王の傍に控える連中、その外で関心の無いふりをしつつ様子を窺う者達がいる。王の周りに控えている連中は王の話にかぶせてくるような真似はしない。

 こちらの話声が届くぎりぎりにいる奴らが、レムス王がレムス公爵家に鉄槌を下す様を見たがっているのだ。

「なれそめを根ほり葉ほり聞くのは不躾かと」

 レムス王に対して、メアリー節が炸裂した。氷も凍る声音に、場の空気が止まった。

「うむ。そうだな。それは済まない」

 レムス王が口だけの謝罪を口にする。凄くだるそうだ。それでまた、会場はざわめきだした。

「何だあの女。陛下に向かってあのような」

「年増のくせに」

「行き遅れ」

「冷血女」

 なんだか、女性の声が多い。それも、若い女の声だ。会場に意識を巡らすと、数は多くないが何人かの若い貴族の娘が確認できた。飾り立てた格好は、王宮に飾られた美術品と見まごうほどである。

(婿探しか。にしても、メアリーは女性人気があまりないのか)

 レムス王国の公爵家と王家は、王国の支配をめぐって対立関係にあるというし、それも当然の事なのだろう。

(しかしそうなると、この面会で目的を達成できるかは怪しい所なのか? いいや、弱気になってどうする。ここで何とかしなければ、手ぶらで帰ることになる)

 内心、こうも思う。

(メアリーは近頃社交界には顔を出していなかった。この空気では無理もない。それでも、今回こうしてここに立っている)

 ひそひそと影口を言われている。言葉は届かなくとも、言わんとする気持ちは伝わるものだ。メアリーは、この悪意の中に戻ってきた。

 自分の意思で。

 彼女は俺の半歩前に立っている。

 背中が屹立していた。会場にいる誰よりも、己の存在を証明している。

(ああ。この人は貴族なのだ)

 遠い同族のためにひと肌脱ぎ、己の身を削っている。その姿を笑う者もいる。

(見ろ、この姿を。この背中を。メアリーという人間を)

 彼女の前には、王宮の全てが立ち塞がっている。きっと彼女は、己が倒れる時までその高貴たるべき姿を崩すことはない。

 と、その時。飲み物を入れた器が飛んできた。

 咄嗟に動こうとした俺とアゼリオを、誰かの身体が止めた。

「あら、ごめんなさいおば様」

 メアリーのドレスを汚した。

 それは可憐な少女である。年は十五、もしくは十六。貴族の社会では最も褒めたたえられるべき年齢の、美しい花弁に例えられる人。

「あなたと私は従妹同士です。叔母と姪ではありませんよ」

「あら、わたしまた間違えてしまったわ」

 くすくすと笑う少女の声に、周りからも御追従の笑い声が起きる。

「叔母様。着替えはお持ちかしら? もしお持ちでないのなら―」

「心配無用。持って生きています」

「そう、なら着替えてきてもいいのよ。お二人のお相手は私がしておきますから」

 ものすごい目でねめつけられた。ぞっとした。間違いなく、ここでメアリーが退場すれば、俺とアゼリオはひどい目にあう。

 弁舌を振るって間に入ろうと思った。その瞬間に、メアリーがこう言った。

「ここで着替えましょう」

 この一言以上で、レムス王の娘である小娘と、レムス公爵の娘である氷の女との器の差ははっきりと定まった。

「はあ!? ちょっと何言ってるのよ!? 殿方の眼があるのよ?」

 金切り声を挙げた小娘をよそに、百戦錬磨の女傑は指を音高く鳴らした。

「新しいドレスを用意なさい」

「はっ。こちらに」

 何処からともなく、執事が現れた。あれ、おかしいな、見覚えがある。

「あの男とも女ともつかない年齢不詳の美形は―」

 俺以外にも見覚えのあるらしい人々が、口々に言う。

「あの執事、レムス公爵の…」

「なぜここに?」

「まあ、いい男? いや女性?」

 社交の場で主役を張るのにふさわしい者が唐突に表れた。空気が変わっていく。

「さて王女殿下。私におっしゃりたいことが?」

 レムス公爵の使用人たちがメアリーのドレスを脱がせ、新たなドレスを着せていく。使用人たちの姿や小物でメアリーの身体が上手く隠されている。

「いいえ。なにも」

 メアリーは全く動じなかった。自分の衣装を着替えさせている使用人たちすら、目に入っていないかのようである。

 微動だにせず、レムス王の娘、王女を見つめた。

 小娘は震えあがった。

(ざまあみろ、と思いたいところだが)

 メアリーの放つ冷気に飲まれてしまって、それどころではなかった。怖気と言えばいいのだろうか、異様な気配がその場を支配した。

 魔獣のものとは全くの別だ。人の放つ気配で、ここまで異様なものは感じたことが無い。

(似たものといえば―)

 昔、父親である代王に感じたモノに近いだろうか。ある種の人間から感じる、得体のしれない迫力から生まれる空気だ。

「さて、陛下。ご息女のおかげで中断してしまいましたが、今回の謁見では、是なるウォーディガーンの代王継承と私と彼の婚約、北の戦線への増援をお認め頂きたい」

 ドレスの裾が翻る。

(おいおい、かっこよすぎだろう)

 会場でメアリーの姿から目を逸らせるものはいなかった。

 しかし、この国の王は一筋縄ではいかなかった。

「まず、我が国の内政に関しては、レムス公爵が力を持っている。援軍については、彼奴に図ればよい」

 相も変わらず疲れた顔で、疲れた声だ。違和感がある。地吹雪の中を軽装で歩いている人を見たような、空気を読まずに行動する人に感じる気配だ。

 ため息をつきそうな顔で、メアリーの要求、アゼリオの要求を躱した。

「王の許可を受けずに、レムス公爵が軍を動かすことはありません」

「ならば、レムス公爵と図り、軍の配備計画を立案せよ。計画もなく、許可を与えることはできない」

 そこで、私の隣で控えさせられているアゼリオがぼやいた。

「いくら計画を持っていっても、何かと理由を付けては却下したくせに」

 そういうことらしい。

 アゼリオの奥歯の音がした。

「次に、そなたとウォーディガーンの婚約は認めない。王に対する反逆とみなす」

「それほどの事ではありますまい。ただの婚約です。それを縛る法などありませぬ」

「法は、この国では貴族の合意によって作られ、私が認可を与えて効力を得る。聡いそなたであれば、言わんとすることは分かるな?」

 レムス王とレムス公爵の娘が視線をぶつけ合った。

 どちらも引かない。

 吹雪の中で、裸で立っているような男が、疲れ切った表情のさえない男が、氷の女に対して一歩も引かなかった。

 いつの間にか、メアリーに支配されていた会場に、レムス王への期待の視線が満ち始めている。

 思わず何か言おうとしたが、傍に立つ人影に止められた。

「陛下。此処はメアリー様の舞台でございます」

 魔力で強化した聴覚ですら聞き取りにくい声だが、その声は確かにレムス公爵家の執事であった。気が付けば、私とアゼリオを抑え込んでいた連中が去り、周囲にはレムス公爵家の人間がいる。

「最後に―」

 レムス王が平然と言い放つ。

「ウォーディガーンの西大陸レムス王国領、通称代王国領の相続は認めない」

 三つの要求全てを撥ね退けられた。特に、二つ目と三つ目の要求に関しては、まともな理由付けすらされていない。

(これでは、ただ釘を刺されに来ただけではないか)

「陛下―」

 メアリーが何か言おうとしたのを、レムス王が遮った。

「話は聞いた。返答もした。次は、私の要件を話そう。これは、そなたの要求を退けた理由でもある。一度口を閉じよ」

 レムス王の言葉を待つ。

 ふう。

 と、ため息を吐いて、王は俺を見た。その目にはどこまでも疲労の色しか見えず、今まで俺が相対した者達とはまるで違っていた。

「ウォーディガーン、お前の働きについては知っている。一応、よくぞ我が同胞を魔獣より守った、そう言っておこう」

 俺は次の言葉を待った。

「しかし、その後の対応は我の意に沿うものではなかった」

 俺は、まだ何も言わない。急に、嫌な予感がしてきたからだ。

 まるで、うっかり毒のある魔獣を踏んでいたような、じわりとくる警戒感。

「一つ、港を魔獣の被害から守ろうとしなかったこと」

(そんな余裕はなかった)

「一つ、港の復興を後回しにして、我の元への連絡を一年の間怠ったこと」

(見抜かれている。俺が東王国への臣従に消極的なことを)

 言葉を飲んで、頭を巡らす。この流れは、何か罰を受ける流れだ。何か、手はないか。立場を確保するような手は無いか。

「この二つを鑑みるに、ウォーディガーン、そなたには統治の能力が欠けているように思う。よって、しばらく東大陸にとどまり、学びに励むがよい」

「陛下。それでは西の要はいかがいたしましょう」

 この発言は俺ではない。王の取り巻きの一人だ。

「そうさなあ―」

 動くのもおっくうだと言わんばかりに、レムス王は会場を見渡した。

「陛下! ぜひ私にお任せを!」

 はつらつとした声を挙げ、王の背後から誰かが飛び出した。

「第二王子様」

(待て、待て、このままだとあいつが俺の代わりに西へ戻るというのか?)

 なんだそれは、俺が魔獣から守ったあの国を、こいつが治めるのか。

(俺が多くの人から預かった願いを、こいつが?)

「その大役、きっと果たしてご覧に入れましょう。レムスの地に魔獣の品々と栄光をもたらして見せます」

 躰の大きな男ではある。だが、どこにでもいそうな男だ。その姿を見ても、何も感じる所がない。印象が無い。

「武勇に優れた殿下ならば、必ず西の要となりましょうな。陛下、如何でしょう?」

 側近が言う。

「うむ。任せよう。後日、正式な就任式を執り行う故、その後、西へと赴くがよい」

 王が言う。

「お言葉ですが父上、この度は代王の不在を防ぐため、速やかに西へと赴きたいと考えております」

 王子が言う。

 とんとん拍子に話が進む。

 だが、ここまで来ると俺は案外冷静だった。隣にいるアゼリオやメアリーが驚くほど冷静だったからだろうか。自分の心の状態を推し量るのは難しいが、とにかく、無様に喚き散らしたりはしなかった。

(この話の流れは、初めから決まっていたな)

 深く、早く、思考を重ねていく。俺が代王として西大陸へ戻り、仲間たちの希望を叶えるためにどうするべきか、そのために、今できることは何か。

 考えるのだ。

(会場で、この決定にざわめいているのは、レムス王から離れている連中だ。側近や取り巻きたちは、突然の発表に驚く気配もない。ならば、第二王子を西へ送るのは事前に決まっていた。中々レムス王へ謁見が叶わなかったのは、その根回しの時間もあったかもしれない)

 果たして、ここから巻き返せるのか。思わず何か言いそうになって、ふと思い出し、隣に立つ執事を見る。

 彼、もしくは彼女は、微かに首を振った。

(この場は、交渉事に不慣れな人間の出る幕ではない。そういう意味か?)

 実際、ロムルス家を要らないと言われてしまうと、俺にできることは何もない。

(直接統治するとなれば、家臣を大量に派遣することになるのだが、それを指摘してみるか?)

「陛下。その後のウォーディガーンの処遇は如何いたしましょうか? 王宮で身柄を預かるのでしょうか?」

「ん? そうさな…?」

 メアリーが口を挟む。レムス王は、しばし悩んでいた。側近たちと話し合っている。

(この反応。決めていたのは第二王子の渡航までだな。俺の処遇については、この場で考えている。ロムルス家の人間については考える気も起きなかったという訳か。軽く見られていたわけだ。ロムルス家は、レムス王へ魔獣の品々を貢ぐ猟師に過ぎないというわけだ)

 実際その通りではある。それが余計に空しい。

「お決まりではないのなら、北の戦線に送っては如何でしょう?」

 アゼリオが舌打ちをした。

「俺の故郷は流刑地扱いかよ」

 幸い、聞こえなかったようだ。

 うんうん唸っていたレムス王たちは、メアリーのその一言で顔を明るくした。

 反対に、俺の気持ちは暗くなる。

(今の発言で分かったことは二つ。一つ目、メアリーに交渉の手札は無い。二つ目、交渉の余地がない以上、俺が西大陸に戻ることはできないということだ)

 もちろん、単身で戻ることはできる。しかしそれでは、代王として国をまとめることはできない。

 只のウォーディガーンとして戻って、何ができる。

(俺は運よく玉座に座ることができた只の引きこもりに過ぎないんだ)

 くそ。

 声が漏れそうになった。出てこようとする呟きを、口の内側を噛んで止めた。

 血の味がした。

(俺よりも権力のある人間には従わなければならない)

 くそ。

 奥歯を噛み締める。

(待っている皆がいる)

 この悔しさ。絶対に忘れない。


 そうして、晴れやかな顔をした第二王子は西大陸へ行った。

 俺は、アゼリオと共に戦の大地へ送られた。

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