46話 窮地
東王国。レムス王国。その首都、王都。
大陸の半分を走り、倒れた私を介抱してくれたのは将軍と呼ばれる男だ。彼は、テフロム・アゼリオと名乗り、目的のために協力を持ち掛けてきた。
研ぎあげられた刃のような印象の男だった。年のころは同じくらいだが、戦場で過ごした歳月が長いという彼は、若さをどこかへ置いてきたような顔をする。
(ギルダスの報告だと、反乱も小康状態を保っているようだし、アゼリオとも出会うことができた。滞在期間は残り十日だが、何とかなるだろうか)
見通しは立たないが、見込みは立った。早速、アゼリオに連れられて王都の中心地へ向かう。三人いるという王宮へのとっかかりへ会いに行くのである。
「最初に会う男が最も重要だ。王の側近をしている」
道すがら、色々と話を聞いておく。
「いきなり側近に会うことができるなんてすごいな」
将軍と呼ばれているだけの事はある。この国の元首である王の側近に伝手があるとは。側近というからには、私の例で言うとヘンギストやベーダに繋がりを持っているのと同じことだろう。感嘆を漏らしたのだが、アゼリオの反応は薄い。
ここは手柄を誇るところではないのか。
「代王、何か勘違いをしているようだから教えておこう。この国では、王の側近にはそれほど力がない」
声を落としてその先を続ける。
「もっと言えば王にすらほとんど実権は無い」
貴族の館が立ち並ぶ通りを歩きながら、ひそひそと話す。アゼリオは正面を向いたまま、小声で私に教えてくれる。私も事前と真似をする。
「それなら、レムス公爵がこの国を支配しているようなものなのか?」
時折、貴族らしき華美な服装をした一行が通りかかる。従者を何人も連れていたが、その全員が着飾った格好をしていた。
「税金の徴収や軍の維持みたいな実務は、ほとんどレムス公爵が握っているんだが、そこにもう一つ別の要素が絡みついている」
「それが王か?」
「そうだ。王は任命権を手放さない。儀式を執り行い、人をこの国の官僚機構に取り込む権力を握っているんだ」
「二人が協力してこの国を治めている。という口ぶりではないな」
「全くもってその通りだ。本当にあの連中ときたら―」
愚痴のようになってしまったアゼリオの話を要約すると、こういうことになった。
(王は任命権を握って、レムス公爵が支配権を握っている。一見レムス公爵が国の頂点にいるように見えるが、王の息がかかった人間があちこちにいて阿あり好き放題はできない。あれ? そうするとレムス公爵の紹介状を出すのは逆効果なのでは?)
恐ろしい可能性に気が付いてしまった。
(公爵が王との確執について知らない訳はない。あの爺)
「わざと黙ってやがったな!」
「お、おい代王。急にどうした」
「あっ、すまん。ちょっとばかし腹が立って」
親切心で一筆したためてくれたと思っていたというのに、危うく立場を不味くするところだった。
「へえ。怒ることもあるんだな」
「そりゃああるさ。側近の我儘に付き合わされたり、無茶な予算を請求されたりしたら腹が立つものだ」
しかし何故、レムス公爵、レムス・ジェームズはそんな回りくどい真似をしたんだろうか。
そうこうするうちに目的の人物の館へ到着した。大きな館ではあるのだが、レムス公爵邸を見た後だとそれほどでもない。大陸を牛耳っている家と、王の取り巻きの家とではかなり差があった。
将軍の部下らしき人間が館の近くで待機していた。きびきびした動きで近づいてくると軍人らしい口調で報告した。
「将軍。面会のつなぎ及び手続を済ませてあります」
「ご苦労。そのまま待機していろ」
「了解」
館の門番に声をかけて、王の側近への面会に備える。
懐の中から魔獣の牙を数本取り出した。透明で鋭く、陽光を浴びて輝いている。
「貢物か?」
「ああ。謁見までに必要な分も一応用意してある。何しろこの国はそういう所だ」
館の内部には私たちのほかにも面会を望む者達が集まっていた。広間に通されて、雑多に待たされる。
「おい見ろ、北の奴だ」
「隣にいるのは見覚えが無い奴だ」
「西の奴じゃないのか。みすぼらしい身なりをしている」
「魔獣の国から来た奴がこの国に何の用だ?」
「血の匂いがここまで漂ってきそうだ。気持ち悪い」
「しっ! 聞こえたら襲ってくるかもしれないぞ。気を付けろ」
ひそひそと囁く声がする。
「代王」
「心配するな。予想はしていた」
十年前。先代代王の父と共に、兄弟姉妹が王国へ訪れた時も同じようなことを言われていた。峻烈な父が、穏やかな笑みを浮かべつつ青筋を立てていたのをよく覚えている。
平和が長続きしていくと、こういう、血の匂いを嫌悪する連中が現れる。仕方のないことはあるのだが、それでもどこかやるせない。
「心配してくれる者が隣にいるだけ恵まれている」
「そうか」
「将軍、お前も中々つらいな」
「俺は、故郷を守ることができればそれでいいんだ」
ぽつりとつぶやいた将軍の言葉が染み入るようだった。
細々と言葉が流れている。私と将軍に関して、ある事無い事を好き放題に言っている。
「大変お待たせいたしました。アゼリオ将軍。ウォーディガーン代王陛下。我が主の準備が整いましたので、どうかお入りくださいませ」
王の側近の従者が呼びに来た。待たされている他の人間が舌打ちをする。
「こちらで主がお待ちしております」
従者はそう言って応接間の扉を開ける。中ではでっぷりと太った男が立って私たちを迎えていた。
(男? 女か?)
贅肉のついた体は、輪郭が崩れてぶよぶよしている。薄く化粧をしているので、性別がさらに分かりにくくなっているのだ。
「ん~。将軍。代王陛下。ようこそおいでくださいました。ご来訪に合わせておもてなしの用意も出来ず、申し訳ありません」
ぶくぶくに膨れた体に似合わず、優雅な一礼をする。
「ん~。まあ、お座りください。ゆっくりとご用件をお伺いいたします」
顎についた贅肉が喋るたびにぷるぷるしている。席に着くと、早速将軍が要件を切り出した。
「陛下に御目通りを願いたいので、お知恵をお貸し願えませんでしょうか」
「んん~? それはワタクシの力では及ばないことでございます」
「何をおっしゃいますか。陛下のお覚えもめでたいと、西大陸でももっぱらの評判です」
「ん、ん、ん~。代王陛下。それは買いかぶりというものでございますね」
そんなやり取りをしばらく続けていると、側近がこう切り出してきた。
「ん~。陛下に御目通りを願う一件ですが、ワタクシの言葉に耳を傾けていただくには何かしらの気持ちが足りないかもしれませんねえ」
にまっと笑う側近の歯が白く眩く輝いている。贅肉のついた顔に白い歯がむき出しになる。一瞬、魔獣と相対している気分になった。
「代王陛下。例のお話を」
アゼリオに促されて私は懐から魔獣由来の品をいくつか取り出した。
「んん~? これは?」
「手に取って確かめてください。西で珍重されている品々です」
側近が水晶のような魔獣の角を手に取ると、透き通った角の中で淡い光が弾けた。
「んんん! これは、魔獣の角! ではこちらの石も?」
角と一緒に出した何の変哲の無いように見える石を、側近が手に取った。指に触れた瞬間、石は粘土のようにねじれ、様々な形に姿を変える。
「ん~。なるほど」
にまにまと笑いながら、側近は豪奢な机に広げられた品々をねっとりと眺める。本当にこいつは人間なのだろうか。爛々と輝く眼は魔獣のそれによく似ていた。
「ん~、お気持ち。よく分かりました。こちらの品々は陛下のお手元に届くことでしょう」
そういって側近はひったくるように魔獣の品々を集め、従者の持ってきた袋に入れた。
「側近殿。こちらはささやかなお礼の気持ちです」
私は、机の上に小ぶりな袋を置く。
「ん~。代王陛下はお若いながらも良い心がけをお持ちのようだ。人に感謝を示すことはとても大切なことですからな」
中身を見ることなく、側近は小さな袋を懐に入れた。大きな輪郭の側近が袋を持つと、いかにもその袋は小さく見える。
そこから、魔獣の品をどのように手に入れるのかという側近の追及を躱し、しばらく挨拶をしてから館を出た。
「どっと疲れが来るな…」
将軍が肩を大きく回す。私は目の奥がしびれたようになっていて、指でこめかみを揉んだ。
「ああ…。だが感触は悪くなかった。去年、西からの使者が魔獣の品を持ってこなかったから、東では魔獣の品が不足気味なんだろう。あの食いつきようを見るに、王宮内でもかなり貴重になっているな」
懐の賄賂の残弾を確認する。懐は軽くなったが、おおよそ予想通りである。これなら、後二人にも十分な働きかけができるだろう。
「次は王宮の門を守護する一族だ」
「門番ということか?」
「実際に会うのは門番だが、その一族が王宮の警備を取り仕切っている」
先ほどの側近の館からさほど歩かず、その門番の屋敷に到着した。腐っても軍人のようで、衛兵が門の前に直立している。
ここでも将軍の部下が合流し、館に入る手はずを整えてくれていた。
「ありがとう。助かる」
「…いえ。任務ですから」
お礼を言ったのだが、言葉少なに逃げられてしまう。
「嫌われているのか?」
「おまえ、王族なんだろ? 田舎者にとっちゃあどういう風に話しかけていいのか分からないんだよ」
「王族とはいっても、その末席のみそっかすだがな」
「そういう冗談は、笑い飛ばせない。やめた方がいい」
そうなのか。
思っていたよりもアゼリオの部下との距離が遠くて、しょんぼりしながら門番の館の広間で待った。ここにも何名か客がいて、嫌な目つきでこちらを見てくる。
なにがしかの付け届けを渡したのだろう。待ち時間も少なく、次の部屋に通された。
「アゼリオ。代王陛下をお連れするとはどういう了見だ?」
みっちりと武器の飾られた部屋に門番がいた。さっさと座って話を始めようとしたところに、門番はいきなりアゼリオをなじりだす。
いかにも尊大な態度だが、どこかに野卑なものも感じられた。
アゼリオをなじりながら、目線をちらちらと私に送る。
「代王。これから会う男は一族の中でも下っ端でな。上昇志向の強い奴だ。そこをうまくついて交渉していくぞ」
(そういえば、アゼリオがそんなことを言っていたっけか)
アゼリオの言を思い出し、尊大な門番にはいくらかの言質を取らせることに決めた。
「今日伺ったのは、他でもないあなたに陛下への取次をお願いしたいと思ったのです」
「ほほう?」
腕組みをする門番。アゼリオをなじって圧力を加え、話を変える形でこちらからお願いをする形に持っていかせた、と思っているらしい。
思っていることが顔にも態度にも出る男だ。魔力災害で代王都が崩壊し、魔獣への対応を話しあった一年前の会議があったが、あの時に顔を合わせた連中のほうがよっぽど手強い。
「王宮の警固を取り仕切る一族のあなただ。陛下の動向も掴んでいるでしょう。そこで私に、陛下とお話しできる時間や場所を教えてもらえませんか」
「これは代王陛下のお言葉とは思えませんな。陛下のおわすところを教えるなど、万が一のことを考えれば余人に漏らすことなどできますまいて」
ここでまず探りを入れる。
「まあそう言わず。こちらもただでとは言いませんから」
卓にいくつか魔獣の品を並べて反応を見る。一応注意は向けたが、それほどの関心は持っていないようだ。
「そんなもの、女子供や商人ならともかく、武人には縁遠いものです」
「そうですか」
魔獣の品はそのままにして、話を変えた。
「そういえば、レムス公爵領を通って王都へ来たのですが、この辺りは実に平和ですね。危険な魔獣などおらず、盗賊もいない」
「それはもちろん。我が一族が名誉をかけて任務を果たしていますからな」
「しかし、聞いたところによれば北に戦線を抱えているとか?」
「アゼリオ、貴様、殿下のお心を煩わせるようなことをわざわざ言ったのか」
アゼリオは素知らぬふりをした。
「大きな戰があると、しばしば北からの物資が滞りがちになり、軍への不満が高まるとか」
「平和ボケした、戦いの何たるかを知らない連中のいうことです。取るに足りません」
「陛下が心を痛めておられるとしたら?」
「ふむ」
「今はこちらにいるアゼリオ将軍が食止められていますが、そうはいかなくなるかもしれません」
「まさか。そうなったとしても、栄光ある王国軍が控えています。何も心配することはありませぬ」
栄光ある王国軍と言うか。アゼリオに聞く所ではほとんど戦いの経験を持たず、無能の人間がのさばる集団でしかない。
過去の栄光だけがある軍だそうだ。
実際に見たわけではないが、王宮の門番がこの程度の男というだけで見えてくるものはある。
「実際に王国が危機に陥らずとも、陛下が王国の危機だと感じられるかもしれません。そうなれば軍を率いる将軍が必要になるでしょう」
「なるほど。私への見返りに、陛下に推挙していただけるというのですね!?」
門番は喜色を溢れさせた。無邪気な奴だ。
「私の知己として優れた武人であると申し上げておきましょう」
「なるほど。これは良いお話を聞きました。陛下の御動向は追ってレムス公爵邸へお届けします」
喜色満面で、出世したらどんなことをしたいかを語りだす。
本当に遊牧民の侵攻が起きるのか。北の戦線の様子はどうなのか。軍事的なことは頭の片隅にも入っていないらしい。
それに、自分の出世をちらつかせられると、陛下の安全を守る、という仕事の目的がどこかへ飛んで行ってしまっている。
(これならさっきの側近の方がよほど有能だろう)
「いやあ。将軍ともなれば従者の装備も整えなければいけませんからね。大層金がかかるでしょう。ですが、それをしなければ侮りを受ける。頭の痛い話です全く。あっはっはっは!」
出世が確約されたとばかりに大笑いする門番を受け流し、館を辞去した。
「あー。あと一人か。疲れたな」
はじめに会った時の鋭い印象は変わらないが、アゼリオはなんだか萎れてきている。
「ああ。疲れる。この国の人間と話すと気疲れする」
私の足取りも重い。無意味な話を上機嫌で聞かなければならない時間程、人生で無駄な時間もあるまい。
「さて、次は陛下のお気に入りの、茶会を取り仕切る支配人といったところか」
「茶会か…」
「代王。そうやって嫌そうな顔をするな。俺だってあんなところには行きたくないし、それを仕切ってる奴にも会いたくないが―」
「そうだよな。すまん。さっさと済ませよう」
次は茶会の主人と会う。東王国では喫茶の文化が広まっていて、人の集まる時は茶会か宴会が常であった。
西大陸でも茶葉は生産されているが、頭をすっきりさせるために飲むことが多い。東王国のような茶会は開かれたことが無いので、茶会という憂鬱な場所を抜きにしても、茶が好きな自分としては少し気になっていた。
「茶会の主人はここにいる」
到着したのは商人の館のようだった。大きな店が近くに多い。館が接待所の役割を果たしているのかもしれない。
「ここの主人がお待ちです」
例によってアゼリオの部下が面会の約束を取り付けてくれている。
「ここの主人は商人なのか?」
「はい。王宮に茶葉や雑貨を卸している御用商人の一人です」
使用人に案内されて、茶会の主人と対面する。
「時間通りですね。素晴らしい」
金縁の眼鏡をかけた繊細そうな細面だ。身に着けている服飾は、金がかかっていそうだがそれが下品になっていない。
「突然の来訪を受けていただき感謝します」
「早速要件をお話しいただきたい。時間は有限ですので、十三分で終わらせましょう」
そっけない口ぶりで口火を切った後、茶会の主人は砂時計をひっくり返して卓に置いた。淡々と要件を伝えるだけの対談が続いた。
茶の一杯も出なかった。王宮御用達の茶葉がどんなものなのか気になっていたので、少しがっかりだ。きりきりと話は進む。
無駄話は一切なく、きっちり指定された時間通りに会談は終わった。
「では、ごきげんよう」
型どおりの別れをして終了だった。
「なあ、あれでよかったのか?」
手ごたえも何もあったものではない。ただ会って話をしただけだ。
館を出るとアゼリオと顔を見合わせた。
「どうだろうな。一番読みにくい相手ではあったが」
「まあともかく、これで顔つなぎは一通り終わったんだよな?」
「そうだな。俺が王都へきて作った人脈は使い尽くした。代王の伝手があればそこも当たっておきたいんだが」
「代王家はレムス公爵の分家だ。加えて西大陸へ派遣されて孤立している。東王国に知り合いなどはいないさ」
「そんなもんか」
将軍が配下に指図を出しながら、レムス公爵邸へと戻っていく。
後は、どこからか使者が来て詳しい話をすることになるだろう。
と思っていたのだが。音沙汰の無いまま五日経った。帰路の日程を考えると、あと五日で目的を果たさなければならない。
レムス公爵邸の中庭を借りてアゼリオと剣の鍛錬を行っていた。私の剣はアゼリオの剣に一度も掠っていない。
「誰からも何も来ない!」
おかしい。話した手ごたえがあった王の側近や門番でさえ何も言ってこない。
私の剣が宙を舞って、気づけばアゼリオの剣先が私の喉の前にある。
「代王、少し落ち着いてくれ。その不気味なものを仕舞えないか?」
言われて気が付いた。全身から黒い煙が出ている。深呼吸をして落ち着き、魔力の流れを安定させる。精神状態に応じて反応してしまうのは未熟の証だ。
きちんと構えをとって、じりじりと間合いを図る。
少しずつにじり寄り、間合いの内に入った。アゼリオの剣から、身の毛のよだつ気配が噴き出す。顎の先に汗が溜まっていく。
「すまん。しかし、こうも音沙汰もないとな…」
体は動かないまま、会話を続ける。アゼリオの気配は全く変わらない。
「それは分かる。分かるが落ち着いてくれ。まだ五日あるんだろう?」
大きく息をついた。剣の気配が体を縛る。一歩も動くことができない。平静を装って何でもない口ぶりで話す。
「そうだな。まだ時間はあるんだ。なんとかもう一度会うことができるように働きかけ続けていこう」
五日の間、手をこまねいていたわけではない。賄賂を贈って王への取次を頼もうと思っても、そもそも私たちの事を覚えていないという始末。
それならばもう一度会わせてくれと要求してみても、忙しいの一点張りで取り付く島もない。
つまり、アゼリオ将軍が顔を繋いでくれたものの、なぜか一度きりしか会うことができないまま、ほったらかしにされているのだ。
「あの連中め、思わせぶりなことを言っておきながら、その後連絡の一つも寄越さない! 王に会わせないなら贈った物を返せ!」
叫んだ勢いでアゼリオに打ち込む。瞬き一つする間に、私の剣は手を離れていた。
「東王国の貴族には慣れていたんだろう。さっき書いた手紙を届けさせているから、もうしばらくの辛抱だ」
鍛錬で体を動かしていると、焦りを押し込めておける。レムス公爵邸の本も読んだ。東大陸の文化や学問についての書籍が山のようにあって、それで時間を潰す。
「手紙を受け取ってもらえたのか。反応はどうだった?」
「それが、直接渡すことはできず、本人が読んだかどうかは…」
「そうか。いや、ご苦労だったな」
手紙の返事は来ず、一日経った。
朝起きると、アゼリオと連れだって側近の館へ行くことにした。しかし、門前で止められてしまう。
「おい、代王とアゼリオが来たと伝えれくれないか」
「申し訳ありません。主人は只今不在です」
「いい加減なことを言うな。外出していないのは俺の部下が確認しているんだ。いいから伝えてくれ」
「主の動向を見張るような方を通すわけにはいきません」
そこでいつものように、そっと金貨を握らせようとした。
門番はさっと身を引き、私の手から金貨が零れた。
「動くな! これ以上門前で騒ぎ立てると、衛兵に引き渡すぞ!」
「ちっ」
なにか、腹が立ってしょうがなかった。賄賂を渡して他人にいうことを聞かせてきたこと。目の前に餌をぶら下げて他人の反応を窺ったこと。賄賂を拒否されて、門番に警棒を突き付けられていること。
(冷静になれ。俺は西大陸の代表としてここにいる。軽率な行動はできない)
「ふん。さっさと帰れ、野蛮人共」
「―」
立往生をくらう私たちを尻目に、東大陸の貴族らしき人間が側近の館へ入っていく。そいつの言葉と、蹴飛ばした小石がアゼリオに当たった。
「おい。アゼリオは北の守りの要だぞ」
「それがどうした。暴れることしか能の無い蛮人を雇ってやっているのはこちらだ。野蛮人を番獣として使ってやっているのだ。番獣は主人のいうことを聞くのが当然だろうが」
不愉快そうにそう吐き捨てると、その貴族は館の中へ入っていった。
「それはいい言えて妙ですな。北の番獣と、西の番獣だ。わはは!」
貴族の共がそう言ったのを聞いて、頭の中で何か弾けそうになった。
「代王! よせ!」
はっとした。目の前には、黒い靄のような手に首を掴まれて、宙吊りになっている貴族とその共、側近の館の門番がいる。
全員、泡を吹いて青い顔をしている。
慌てて魔力を制御して、揃って館の中へ放り込んだ。まだ朝が早い。目撃者のいないことを確認して、レムス公爵邸へ逃げ帰った。
中庭である。周囲に人影がいないことを確認できるので、よくここを相談場所にしていた。
「代王。とんでもない事をやらかしたな…」
眉間に深い皺を刻んで、アゼリオが呟いた。
「これで貴族に取り入る手段は使えなくなったぞ」
「すまない。感情の制御ができなくなってしまった」
「…」
「…」
沈黙。
「魔力なんて気味の悪い物、ない方がいいのにな」
ぼそりとそんな言葉が聞こえる。
「おいアゼリオ。確かに私は未熟だが、魔力は使いようによっては大きな進歩を―」
「よせ」
強い眼光と語調に私は押し黙る。
「そういうお題目はよくわかる。だがそれとは別に、どうにも気味が悪い。心の中がかき回されるような、不気味なものを感じる」
侮蔑が籠った言葉に、また頭に血が上りそうになる。それを必死にこらえた。短期間で二度も同じ失敗はできない。
それでも、口が勝手に動いた。
「お前が言っていた北の民との戦いだが、やりすぎな面があると思う」
「なに?」
「襲ってきた遊牧民から財産を守るのは分かるが、集落を襲って皆殺しにしたこともあるそうだな」
「俺の戦いに口を出すのか。戦場でろくに戦ったことのないお前が」
「見せしめのために必要だという主張もあるだろう。それは戦略として正しいのかもしれない」
「黙れ」
アゼリオが剣の柄に手をかけた。
「断る」
私も剣の柄を握った。黒い霧のような魔力が漂う。
「一つの集落を皆殺しにするならまだしも、それを十も二十も繰り返すのは間違っている」
「あいつらだって同じことをする。子どもも戦士でない者も老人も容赦なく」
「遊牧民は全ての人間が戦士と聞く。その感覚を持ち出しているんじゃないか?」
「だから許せと言うのか。親を、子を殺され、恋人を目の前で攫われて。攫われた女を奴らは無理矢理結婚させる。子を産む道具として扱う。その子は遊牧民の戦士として俺たちの村を襲いに来る」
「守りを固めて攻撃を跳ね返せ。虐殺を繰り返しても先に待つのは滅びだけだ」
殺気。体が反応した。
アゼリオの剣を私の剣が止めた。肉体強化の魔術を使って、ようやくアゼリオと互角に打ち合えた。
「正論を語るな! 命を張った博打場に挙がることのできるのは! 血を流した者だけだ!」
「それは戦士の考えだ! お前は指揮官だろうが! 将来への道を忘れてどうする!」
木の葉が一枚、中庭の樹から離れて落ちた。
甲高い鳴き声のような音が木霊する。私とアゼリオの剣が高速で撃ち合った音だ。
風圧だけで木の葉が引き裂かれる。
「―」
「―」
音もなく、殺気がぶつかる。
譲らない。覚悟がぶつかる。
「そこまでになさい。人の館で殺し合いなど愚鈍の極み」
人の体温、情というものをまるで感じさせない冷え切った声で私たちの意識は互いから離れた。
大きく後ろに跳び退いて、間合いが離れた。
「この館の主として命じます。アゼリオ将軍。ロムルス・ウォーディガーン。剣を収め、私の指示に従いなさい」
アゼリオが素早くその通りにする。おまけに片膝までついた。
私は剣だけ収めた。
「いいでしょう。私の自室へ来なさい」
私はアゼリオを見ない。アゼリオはその場を動く気配を見せない。
「利害関係は一致しているままでしょう。二人とも、上に立つ者としての器を見せなさい」
一欠けらの人間らしさの無い声で言われると、なぜか頭が冷静になった。
「アゼリオ将軍。先ほどの無礼、お許し願いたい」
「ウォーディガーン代王陛下。深くお詫びいたします」
通り一遍の詫びを入れると、さっさと歩きだしていた館の主人、レムス・メアリーの後を追った。




