45話 将軍
夜。月が出ている。しかし、雲もあった。
寝床に、艶消しの加工をした刃を持つ影が一つ。刃は月光を鈍く跳ね返すが、寝床に横たわる代王を起こすほどではない。
足音一つ立てず、刃を振り被った。低い気勢が地を這った。影の刃が宙を舞って床に転がった。
寝床に、もう一つ影がある。
「この御仁は西大陸からやってきた高貴なお方であるが、何か御用か?」
暗闇に、また艶消しの鈍い光が舞う。そのすべてが床に転がった。
「暗殺者か。誰の差し金だ?」
鈍い光。暗闇に火花が散った。問いかけを発した影の持つ剣が、月光を眩く跳ね返す。暗殺者がじりじりと背後へ下がり、止まった。
「俺の仲間が、この部屋を囲んである。今すぐ雇い主を吐いて五体満足で帰るか、ここで痛めつけられてから吐くか、選べ」
揺らぎの無い足運びで、男が前に出る。暗殺者が下がる。翻って扉に取り付くかと思ったが、つられて前に出た男の隙をついて窓を破った。
「あ!? こら、待て!」
すでに遅かった。窓から出た影は、夜の闇に紛れて跡形もない。男の出した大声で、男の仲間が集まってくる。
「将軍」
「どうしました?」
将軍と呼ばれた若い男は気まずそうに頭をかいた。
「逃げられた」
「将軍から逃げおおせるとは、相当な手練れだったのでしょう」
「もう少し人数がいれば、建物の周りも取り囲むことができたのですがね…」
「言ってもしょうがない事をわざわざ言うな」
「あの感じだと、金で雇われているだけじゃないな。子飼いを使ったんだろう」
王国の貴族は汚れ仕事を請け負う連中とつながりがあるのだ。
暗殺者が投げた光を拾い上げ、月光に当てる。艶消しの黒い塗料をふんだんに使った投擲具のようなものだ。市販の釘に近いが、重心を調整してあって投げやすいように工夫されている。毒も塗ってあるかもしれない。
「また面倒なことに首を突っ込んで…。遊牧民どもとの戦いもこれからどんどん激しくなるっていうのに…。将軍ときたら…」
ぼやいた仲間を将軍が叩いた。
「ぼろぼろの奴を放っておけるかよ。時間がない訳じゃないんだから、いいじゃないか」
「すいません。北の戦線の仲間の事を考えると、将軍には一刻も早く戻ってもらいたいと思ってしまって」
寝床の代王がいびきをかいた。
「おっと。今日はここまでにしとこうか。明日、この代王陛下が目を覚ましたら、色々話をするとしよう」
将軍は仲間を寝床から追い出すと、自分は床に寝転がった。外套に包まって、夜の冷えを防ぐ。
倒れた男を保護してから、懐にあった手紙の差出人の居所に運び、一日が経とうとしている。
館の女主人が何の説明もなく手当てをしてくれたことが驚きだったが、もっと驚いたのは目の前で寝ているこいつが西の重鎮である代王だということだった。
少年から青年になったばかりという感じだ。俺より少し年上だろうか。いや、同じ年かもしれない。疲れから来るやつれが顔にこびり付いていて、それで少し老けて見えるのだろう。
将軍。テフロム・アゼリオが剣を抱いてまどろんでいると、朝日が窓から差し込んできた。
突然、代王ががばっと起き上がる。
「連れがいたはずだが…?」
俺はそれを聞いてちょっと笑みを漏らした。代王がこちらをこっちを向いた。まっすくな目が俺を捉える。何となく、俺はこいつを好きになりそうだった。
「どうした? 何かおかしかったか?」
「いや、初めに部下の心配をするのが気に入った」
「おい」
アゼリオは目を開けた。
「全員生きている。命に危険はないと思うが、様子は後で見に行ってくれ」
代王が頷いて、俺に目を向ける。
「俺はテフロム・アゼリオという。しがない傭兵のようなものだ。用事があって王都へ来たところにお前と鉢合わせた。覚えているか?」
「いいや…」
意識も朦朧としていたようだったし、仕方ないのかもしれない。
代王の顔に朝日が差し込んでいる。眩しがりもせず、代王はしばらく考え込むと口を開いた。
「何日ぐらい眠っていた?」
「丸一日くらいだ」
「そうか。ならここは王都の誰の屋敷だ?」
「レムス公爵邸だ。メアリーという女主人が差配している」
「そうなのか…」
それきり、黙りこくった。聞いてみたいことがいくつか湧いてきたような気がするが、何となくやめておいた。
多分、この代王は切羽詰まったところに居るんだろう。表情が険しい。
そっと部屋を出て、代王が目覚めた事を屋敷の者に伝えた。食事の用意をするといって屋敷の者はするりと歩いていく。身のこなしが柔らかで、魔獣のようだ。
「なあ、アゼリオ殿」
「おい、よせよ。同い年くらいだろう。呼び捨てでいい」
笑いかけると、代王もぎこちなく笑った。
「なあ、あんた。代王なんだって?」
「まだ正式に即位はしていないがな」
「なるほど。それで東に来たわけだな?」
勘に、ぴん、ときた。見えない歯車がかみ合う感触とでも言うのだろうか。出来事がきれいにはまっていき、大きなことを成し遂げる予感がする。
こういう時は、すぐさま動くに限る。遊牧民たちとの戦いで、嫌と言うほど学んだことだ。炎。悲鳴。村が燃えている。魔獣の咆哮が轟く。血。涙。握りこぶし。初めて人を殺したのは十歳の時だ。あの時は嫌な感じを生かすことができなかった。
今、ここだという時を全身で感じている。
代王の表情が少し動いた。俺は、床に片膝をついた。王国式に貴人に対する礼をする。
「さっきまでの砕けた態度はどうした? アゼリオ」
一呼吸置く。俺は、勘のままに言葉を紡いでいく。
「代王陛下。お願いの儀がございます」
代王は俺の口調に姿勢を正す。
「言ってみろ」
「代王陛下の御意におきましては、この王国にて即位の勅許を得られることと存じます」
「間違いない」
ひゅるりと長く息を吸った。
「つきましては、私めにそのお手伝いをさせてはいただけないでしょうか。いささかこの王都に長く滞在しておりますれば、何か役に立つこともあるかと存じます」
「いいだろう」
「え、早くないですか」
おっと、思わず声が漏れた。いやでもしょうがないだろう。
(仲間を大事にして、軽い口調に目くじらを立てず、即断即決もできる代王か。これは我ながら良い勘してるかもしれないぞ)
わくわくしてくる。
「しかし条件がある」
「何なりと」
ここでとんでもない事を言い出すようなら、俺の勘が外れるということだ。
(その時は其の時さ)
「その似合わないかしこまった口調は止めてくれないか。思わず笑ってしまいそうになる」
「は、っはは。そんなに似合ってなかったか?」
「ああ。一人の友人として、協力してくれ。アゼリオ」
「了解しました。陛下」
わざと畏まって言うと、こらえきれない様子で代王が噴き出した。
そんなにおかしいか。
朝食を二人分運んできてもらったところで、これからどうするか、軽く話し合った。代王はメアリーという女主人に挨拶をしたいと言ったが、どうやら忙しい身のようで、館にはいないとのことだった。
「そしたら、とりあえず俺の知り合いから当たってみよう」
朝食の肉を口に詰め込んで立ち上がる。
「んがかにごえじゃお」
「は?」
水でパンを流し込んだ代王は着の身着のままで歩き出す。
「一度、部下の様子を見ておきたい」
「まあ、いいけど。急いでるんだろ?」
「急いでいるが、先ずは部下だ」
「ふうん」
館の者が、代王の連れを寝かせている部屋に案内してくれた。廊下で、思わず色々見行ってしまう。故郷にあったどんな屋敷よりも大きいし、調度も磨き込まれて高そうだ。
贅沢な家具を買う金があるなら、戦費に回してくれてもいいようなものなのに。
「代王陛下。こちらです」
「ありがとう」
通された部屋は幾分館の奥まったところにある広間だ。代王は、寝かされている者の様子を、看病していた二人から聞いている。
「魔力の流れがおかしい所はありません。ただ、ずいぶん衰弱しています」
「命に別状はなさそうだな」
「はい。しかし、回復がいつになるのか…。魔力量の復元がさっぱり進みません。こんな例は始めて見ます」
少し嬉しそうに話しているのが聞こえた。変な奴らだ。魔力がどうのと言っているが、魔力とは何だろう。魔の力ということだろうか。
看病をしていた代王の連れは、普通の人間だ。寝ている連中は、姿かたちが大分変だ。尻尾があったり、耳が獣の様だったり、鱗があったり、羽が生えていたりする。
遊牧民の住む辺境には喋る魔獣がいるが、それに近いものか。
(人型の魔獣? 西にはそんな連中がいるのか?)
それは本題ではない。説明を求めるのは後だ。
「陛下。時間がないんだろう? 何か治療の手立ては有るのか?」
「いいや。私の知識では今のところ手の打ちようがない。後で相談してみる」
「誰とだ。医者か?」
「魔術師、私の師匠さ」
「…」
ちょっと話について行けない。これも後回しだ。
出来ることとできないことを区別して考える。遊牧民たちとの戦いの中で覚えた、大事なことの一つだ。
「とにかく、代王陛下の目的を達するには王にあわないと始まらん。そのためには何が必要か分かるか?」
「必要なもの? 手続きのための賄賂とかか」
「それもいるが、何より大事なのは仲介役だ」
「仲介役」
「代王に誰か知り合いがいれば話が早いんだが」
王宮で権勢を持っている有力者の名前を何人か出してみた。知らないようだ。
「すまない。こっちに来るのは十年ぶりなんだ。何も知らないと言ってもいいのかもしれない」
「そうなのか」
代王は東大陸の王家の出身だと聞いていたから、何か伝手があるものだと思っていたのだが、あまりあてにしない方がよさそうだ。
(勘が外れたかな? まあ、それでもないよりましか)
実質的にこの国を支配している、レムス公爵家に近づけただけでも収穫と言える。
(何とか、北の防備に関して話を付けないと。こうしている今も、少ない戦備で略奪を跳ね返しているだろうからな)
焦りは禁物だ。ここで代王に見切りをつけても、他に王宮内に有力な伝手があるわけではないのだから。
「なあ」
「なんだ」
「なんの目的で王宮に近づこうとしているんだ?」
突然、代王はそんなことを聞いてきた。なんと説明すればいいのか、少し考えて、必要最低限の事だけを話すことにした。
「故郷に金と軍を寄越してほしいんだよ」
「敵がいるのか」
「そうだ」
かいつまんで、遊牧民との戦いの事を話した。
「それは、なんと言うか。すまないな」
「なぜお前が謝る。関係ないだろう」
「一応、一族だからな。責任が無いとも言えない」
頭を下げた後、何か考え込んでいる。
「その話はもういい。ひとまず俺が顔を繋いである奴の所に行こう。俺だけじゃ話にならなかったが、西の代王が面会を求めていると言えば何か変わるかもしれない」
「そうだな、しかし、少し待ってくれ。こいつらの様子をもう少し詳しく見たい」
「ああ。そうだな。だが、今日中に顔合わせはした方がいい」
「この国の貴族は大層気が長くていらっしゃるからな」
代王がにやりと笑った。
「そういうことだ」
俺を笑みを返す。
「私はこれから護衛達の様子を調べるが、どうする。見ていくか」
さらりとそういうこいつに、声が震える。
「魔術を使うのか?」
「多少な」
「俺が見ていても無事でいられるのか?」
代王は手早く身支度を整えると、荷物の中から何か不気味なものを取り出していった。
「どうした。何をそんなに怯えている?」
心底不思議そうにそんなことを聞かれる。なんなんだ。こいつは俺をからかっているのか。魔術師というのは、一日中館に籠って、怪しげな魔術で人を呪うような人間なんじゃないのか。
頭の片隅に、遊牧民の魔術師、奴らは呪術師と呼んでいた連中がやって来た時の記憶が湧いてくる。俺の部下が、皮膚がぼろぼろと崩れ落ちたり、突然発狂して味方に切りかかってきたり、気持ちの悪い肉の塊を口から吐き出して絶命したりした。
「おい、顔色が悪いぞ」
こいつは、あの連中と同類なのか。親からもらった大事な体を滅茶苦茶にするような方法を知っているのか。
「何でもない。俺にも見せてくれ」
怯えを振り切ってそう答えた。手が汗で濡れている。
「気が付いたところがあれば教えてくれ」
俺は無言で頷いた。
たとえ、代王が不気味な術を使うとしても、利用価値があることは変わらない。それに、こいつは自分の部下を心配できる奴だ。
得体のしれない食い物を食うようなものだ。外っ面を眺めて気味悪がっているだけでは、文句ばかり言う老人と変わらない。
何はともあれ、食ってみなければ始まらないのだ。俺は嫌悪感を腹の底に固く閉じ込めた。代王を知るには、よく観察することだ。それが、おぞましい魔術の秘儀だとしても、俺は目を逸らしてはいけない。
「私も全員を一度見てみる。その間にあれの準備をしておいてくれないか」
「かしこまりました」
「我らの所見をまとめてあります。よろしければご覧ください」
「助かる。ありがとう」
身動きの取れる代王の部下が、二人でどこかへ行ってしまった。
「何を準備するって?」
いけない。魔術から目を背けようとしてしまった。だが口から出た言葉は戻らない。
「秘密さ」
「まあ、無理には聞かないが」
代王が寝かされている連中の様子を確かめていく。目を背けそうになるのを堪えた。
部下が、死んでいく。いいや、ここにいるのは俺の部下じゃない。自分に言い聞かせる。
「心臓は動いている。脈に問題はない。魂に異常もない。魔力だけが弱っている」
渡された紙をめくりながら、代王は怪しげな模様の書かれた魔獣の皮を体の上に置いていく。何度か見ているが、この連中、代王の護衛達はちょっと驚くような体をしている。
(魔術の実験台にされて操られているとかじゃないよな?)
「…何してるんだ?」
「これか? 師匠の母親が考えた、体の調子を図る魔術だ」
「…魔術ってのは、お前が使ってるんだろう? 皮を張り付けるだけでいいのかよ」
「皮に刻んだ文字があるだろう。それが魔力を制御して、魔術を発動させる。魔術って言うのは、魔力を制御する術の事を言うから、魔術を誰が使っているのか、という質問ならその皮に文字を入れた奴、という答えになるのかもしれないな」
「よくわからんな」
「皮を貼って力を入れれば体の調子が分かるって事さ」
「医者いらずだな」
そこで代王の顔がちょっと曇った。
「―まあ、そういうふうに思っている者も多いかもしれないな」
深くは聞かない方がよさそうだ。
「それで、何か分かったのか?」
「いいや。さっき渡されたメモにある通りの事を確認しただけだ」
「他に何かするのか? 手伝えることはあるか?」
何もなければいいと思いつつ、一応聞いてみた。
「嫌そうだな」
「魔術ってのはどこか肌に合わなくてな」
そんな生易しい感情ではないが、取り合えずその程度の感想にとどめておいた。何より大事なのは、代王と協力して王と会うことだ。
「そういう人もいるか」
控えめに嫌悪感を伝えたからか、代王はあまり反応を見せなかった。東大陸で魔術師がどんな印象を持たれているのかを伝えた方がいいのだろうか。代王は、気軽に魔術を使いすぎているような気がする。突然街中で魔術を使われては大騒ぎになってしまうだろう。
「なあ代王―」
「そうだアゼリオ―」
「おっと、先に言えよ代王」
「すまん。魔術を使わずに気絶した人間を起こす方法はないかと思ったんだ」
「それなら、いくつかある。試してみるか」
「頼む」
護衛の一人の身体を借りた。真っ黒な鋼のような肌をしている。生半可な刃なら弾いてしまいそうだ。そのくせ、体重が重いというわけでもない。肌だけが何か特別な素材でできているような印象だった。
そいつを抱えて、気付け薬を使ったり、水をぶっかけてみたり、活を入れたりしたが、起きる気配はなかった。
「お手上げだ。何か他の方法を考えた方がいいだろうな」
こうまでしてピクリとも動かないのは、何か病でも患っているのではないか。
傷もなく突然倒れたという話だから、その可能性が高いような気がする。
「お、準備が整ったらしい」
代王の護衛で元気な二人が戻ってきた。そういえばこの二人は何事もなさそうだ。
それをそのまま聞いてみた。
「私たちも館に運ばれてから目を覚ましたので、途中で一度倒れました。それでも、陛下より早く目覚めて、他の護衛達の治療を試みていたのです」
代王がさりげなく部屋を出ていく。横目でそれを見ながら、話を続けた。
「それはなんでだろうな」
治療師だと名乗った二人は揃って首を振った。
「分かりません。大きな課題です。しかし、必ず解決方法が見つかるでしょう」
「…そうだな」
こいつらには何か妙な気配を感じた。礼儀正しく。言葉遣いも適切で、恐らく腕のいい治療師だろう。ただどうも、浮ついている雰囲気がある。
(まるで酔っぱらいみたいだ)
謀反人というほど禍々しい殺気は放っていない。何か、俺には見えていない何かを見ているような態度をしている。気のせいだろうか。
治療師という、治療の魔術を専門に扱う魔術師を見るのは初めてだからかもしれない。人の身体について研究を繰り返すと、こんな気配を漂わせるものなのかもしれなかった。
(代王がどこかへ行こうとしていたから、泳がせるために話しかけてみたが、なんとも西の連中は変わったのが多いな)
代王はまだ戻らない。
「治療師以外にも専門的な魔術を使う魔術師を別の職業に分類するのか?」
「いえ。治療師だけです」
「それはまたどういうわけで?」
「…医者と薬師の反発が大きかったので」
治療に使う魔術の事を聞きながら時間をつぶしていると、いつの間にか代王が戻ってきている。
「治療方法が分かったぞ」
「いきなりどうした」
代王は、いきなり護衛の一人の衣服を引っぺがした。
「いきなりどうした!」
一応下着は残しているが、黒鉄の肌をした護衛は凄く寒そうな格好で床に転がっている。よく鍛え込んだいい筋肉をしている。ちょっと見ただけでも腕が立ちそうだ。
「これをこうして…」
代王何やら文字を書いているようだが、見たことのない記号だった。さっき魔獣の皮に書かれていたものと似ている。
それを治療師二人が横から覗き込んでいる。熱心にメモを取っていて、口を出せそうな雰囲気ではなくなった。魔術に関しては口を出さない方がよさそうだ。少し話してみて分かったのは、代王国では魔術がかなり発展していて、東大陸のものとは異なる発展をしているということだ。
なので、魔術の話になるとかなり暇だ。
黒い肌の護衛にあれこれ試しをした後で、代王と治療師は三人で十七人の異形の戦士に謎の文字を書き込んでいった。
「これで良し」
「おお、終わったか?」
大あくびを三度した時、よく分からない作業は終わったようだ。
「ほったらかしにしてしまって済まなかった」
「いいさ。それより、これでもう大丈夫なのか?」
「ああ。魔力の循環を促す術式を書き込んだ。本来は体力を回復させるときに用いる魔術なんだが―」
突然語りだした代王の言を遮る。聞いても分からない話を延々と続けそうだったのだ。
「魔術の細かい話はいい。王宮へのつなぎを頼めそうな人間を見繕っておいたから、そいつらに会いに行こう。まだ日は高いから、今日中に三人に会ってしまいたい」
代王が作業をしている間、仲間が王宮に出入りできる人物の調査報告を持ってきてくれていた。書類を目に通すのは苦手だ。長く繋がった文字を見るだけで眠くなってしまう。
「それなんだが、この屋敷の主人に頼めないのか?」
手についたべたべたした染料を宙に浮いた水の玉で洗い落としている。宙に浮いた水の玉を極力見ないようにしながら俺は答えた。
「レムス公爵家は、この王国を支える唯一無二の家だが、それだけ敵も多い。特に、王宮の内部にいる連中は、大陸を一手に握っている公爵家を面白く思っていない」
「そうなのか。それでは余計な角を立てることになるな。いや、余計なことを言って済まん」
軽々しく頭を下げた代王の姿が俺を動揺させた。
「謝るなよ。俺だって王宮の事情に精通しているわけじゃない。お前よりちょっと王都に長くいるってだけの事だ。むしろ、どんどん思ったことを言って欲しい」
こっちが王族だと思って恭しく接すれば、代王はそれを軽く乗り越えて親し気にする。
気のいい青年だと思って軽口をたたくと、時折見せる背負った覚悟がこちらを圧倒した。
(正直、代王国が羨ましいな)
こんな男がいるのだ。と思わせるような男なのだ、こいつは。
好きに慣れそうな気もした。相容れない様なものも感じる。得体がしれない、というのが俺の代王に対する印象になりつつあった。




