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九王記  作者: 荒木小吾
断章 反逆者たち
43/68

42話 航海

 西大陸、代王国ロムルスより、海上幾海里。

 風がないのに船が動いている。

 船を動かしている船頭に聞くと、海にも流れがあって、そこに乗れば楽に航海ができるのだそうだ。

 晴れた日の航海は気持ちがいいが、生憎と私は湿気の多い船室に籠り、厄介ごとに頭を抱えている。

「反乱、反乱かあ…」

 海の底に沈んだような気分になった。

 今さっき、ギルダスから反乱の情報を受け取った。

「ああそうだ。不肖の弟子よ。お前がいなくなった途端に代王国は内部分裂の危機だ」

 荷物を保存している一番下の船室で、馬鹿でかい魔術式の陣を前にしている。

 大の大人二人が広々と寝転がれる大きさの魔術の陣には、繊細な制御文字が描かれて術式を構成している。端から端まで見ると、目が回りそうだ。

 そんな魔道具が、船底の大きな部分を占めている。

 これだけあって、定められた二点の間で、お互いの音をなんとか聞き取ることができる程度の魔術がようやく発動できる。

 十分すごい事なのだが、現物として目の前に出されると、もっと上の機能を求めたくなってしまう。

 それに、コイツを動かすには相当の魔力がいる。こちら、今の私にはさほどの負担もなく動かすことができていたが、向こうでは魔術師達が青い顔をしている。

「どうする? ウォーディガーン代王」

 皮肉の響きがあるギルダスの言を聞き流し、頭を回転させる。

(私がいないことはいつまでも隠し通せることではない。にしても、露見が早すぎる。それに、一度に三つの家が反旗を翻すとは…。下手を打つと帰る国がなくなってしまう)

 背中に、じわりと焦りがにじみ出てくる。

「とりあえず、こちらから軍の侵攻を仕掛けるのは控えて、補給路に圧力をかけつつ、小部隊での攪乱をさせてみよう。これを機に、まだ不穏な動きをする領主が出てくるかもしれない。その動きをつかむまでは、一旦状況を膠着させよう。あとは、私の出港の機会をどうやって掴まれたかだ」

「ふむ」

 紙が擦れる音がした。メモを取っているのだろう。

 この魔術では、一度に複数人が話すことができない。もしそうなれば、陣が爆発するのだそうだ。

(なんてものを寄越したんだよ。師匠)

 海の藻屑になるのは御免こうむるが、海を越えて意思の疎通ができるというのは、危険を補って余りある魅力だった。

「各領地への手出しは禁止する。内情を探るのも含めて、一切合切手出しは無用だ」

「良いのか?」

「それをやれば本当に内乱になる。内乱になれば―。これは言うまでもないか」

 百年、営々と築きあげてきた代王国の田畑、町、物産、全て西大陸の他の種族にはない物だ。他の種族はそれを虎視眈々と狙っている。

 それを防ぐのが辺境の領主の務めであり、彼らを支えるのが代王の務めである。

 それを怠っていた、という忸怩たる思いが湧いてきているが、それは今は押し込めておかなくてはならない。

(ともかく、反乱を抑え込んでおくことだ。それと、外敵の侵入を防がなければならない。反乱を起こした者達もそれは分かっているだろう。だから、あくまでも国内で一部の不穏分子が表面に出てきただけ、という形にしなければ)

「とすると、お前が帰って来るまで時間稼ぎか」

 ギルダスの声で、思索を止めた。

「それが次善の方法だな」

「まだ何かあるか?」

 ふと思いついたことを言ってみる。

「うまい事、魔人や魔術師たちの実力を分かってもらいたい」

 相互理解が進めば何とかなるんじゃないだろうか。聞くところによると、各領主たちの不安の奥底には、新平の補充が滞っていることがあるようなので、魔人と魔術師の戦力を伝えるのが効果的ではないだろうか。

「具体的には?」

 具体的に、だと。

「何もない」

「ぷっ、くく」

 変な音がしたなと思ったが、それはギルダスの笑い声だった。

「おい、笑うなよ。こっちは船の上だぞ、細かい状況など分からないんだ。そっちに任せるしかないだろうが」

「くくくくっ。連中が戦力になってくれるなら、移民は必要ない、と分からせるんだな。ぷふふふ」

 くっくっと押し殺したような笑いがしばらく続いた。

「確かにそれができれば苦労はしないな。まあ、私とフリティゲルン殿に任せておくといい」

 ちょっと意外な言葉を聞いて、咄嗟に次の言葉が出てこなかった。

「ギルダス。よく協力してくれるな。本当は、魔術の研究だけをしていたいんじゃないのか?」

 気付けば、そんな質問をしていた。

「何を言っている」

 戸惑った私の声とは対照的に、ギルダスの声は充実した響きがある。

「お前の整えてくれた環境は、完ぺきとは程遠い。だがな、これだけ自由に魔術の研究ができるのは初めてなんだよ。ウォーディガーン代王。母と父を失ってから、ようやく自分の居場所を得たような思いがする」

 いつになく、ギルダスは率直だった。

「そうなのか」

 約束は守れている。きっと、そう言いたいのだ。

 魔獣に囲まれていたギルダスの館と、その廊下でぶつけ合った魔力。そして約束。

「魔術は、学問だ。私は学者だ。そして、そのどちらも世に出してこそのものだ。魔獣の分析などをして、町の人の喜ぶ姿を見るのは、案外喜ばしい事なんだ」

 あれから、一年あったのだ。ギルダスは十七歳になっている。その中で、ずいぶんと大人になっているようだ。

「館に籠ってやる研究もいいが、魔獣のはらわたを掻っ捌くようなのも悪くないということさ」

 ちょっと照れたように笑うギルダスの顔が見えた気がした。

「そうか、じゃあ、任せた」

「ああ。任された」

 そこで魔術式の魔力が切られた。私も、魔術陣に流していた魔力を止めた。

 船室を出る。

「終わった? 陛下」

「ふああぁ」

 ゆったりと立つアラリック。欠伸をするオドアケル。盗み聞きを避けるために、人払いのために扉の脇に立っていた二人と合流する。

「ああ。終わった。二人ともありがとうな」

 航海中、他に目立った出来事は無かった。ギルダスと連絡はしているが、報告を聞くに、反乱軍に特に大きな動きは無いようだった。

 船中の生活は案外快適だった。

 食事は、穀物を粉にして丸めたものを煮汁と一緒に食べる。干し肉や、魚が並ぶ時もある。

 フリティゲルンが護衛につけてくれた十九人はのびのびとしていた。鍛錬をしたり、瞑想をしたり、字の練習をしたり、普段はバラバラで船のそこかしこに散らばっている。

 そんな彼ら彼女らが一日に一度集まる時がある。

「今日の訓練を始めるぞー。集まれー」

 背丈に等しい棍棒を担いで、オドアケルが船内を一回りすると、続々と十九人が甲板に集まってくる。

「今日も陛下と一緒の訓練だ。一人で陛下に付いて、他の十八人の攻撃を受けきる。いいな」

 アラリックがそう言うと、訓練が始まる。

 私の傍には、まずオドアケルが付いた。

 一度に三名が、続けざまの攻撃をかけてくる。

「動くなよ、へいか」

 海上の日差しが、鉄のようなオドアケルの肌に照り返している。

 オドアケルは三人の内一人を叩きのめしたが、残り二人が私の脇に立った。

「おい! オドアケル! 不用意に前に出るなといっているだろう!」

「ちっ」

 黒鉄の肌の護衛が、不愉快そうに舌打ちをした。

「思わず体が前に出てしまったという感じだな。オドアケル」

「うるせえなあ」

「オド、次は足を固定するぞ」

「分かった分かった。やってくれ」

 上陸用の小舟化から、櫓を一つ持ってきて、オドアケルの足に渡し、縄で括り付けられた。

「もう一度行くぞ、オド」

「へいかは動くなよ」

 今度も三人が一度に襲い掛かる。今度は、オドアケルは飛び出していかずに三人を叩き伏せた。そのすぐ後、私の後ろから三人が襲い掛かる。

 なすすべもなく、私は三人に囲まれた。

「あーもう!」

 憤慨したオドアケルの足を繋いでいた櫓がへし折れた。

 船員から怒声が飛ぶ。

「船の備品を壊すんじゃねえ!」

「うおっと、すんません」

 それでオドアケルは冷静さを取り戻した。破片を片付けている。

「今のはずるいだろ。アラ」

「ずるい相手に、オドは負けてしまうのか?」

「―こいつ戦えんだろ?」

「こいつ、じゃなくて陛下だ」

「そうは言ってもよお」

「もういい。次だ。他の皆がどう動くかを見て、考えろ」

「分かったよ」

 そうして、次々に防衛役を交代しつつ、五周ほどしたところで訓練は終了した。

 結局、オドアケルは上手く守りの動きを身に着けられなかった。

「うまくいかねえなあ」

 他の面子は皆動きがよく、攻撃役を私に近づけることなく、しばらく凌ぎ切ることができていた。

 そういう中で目立って動きが悪いのはオドアケルだけで、そのせいかずいぶんしょげていた。

 甲板の端っこで得物の破骨棍を磨いている真っ黒な巨漢を見ながら、アラリックにこっそり耳打ちしてみる。

「オドアケルの戦い方なら、護衛以外の役割を任せた方がいいんじゃないのか?」

 アラリックが獣の耳を蠢かしながら言う。

「あいつは、もっと色んな戦い方を覚えて欲しい、です」

「それでフリティゲルンは私の護衛を任せたのか」

 アラリックが俯く。首周りの黒い毛に、すっぽりと顎が埋もれた。

「もっと強くならないと。皆認めてくれないので」

「皆? 護衛の皆なら、アラリックのいうことを聞いていたように思えるが」

「私じゃなくて、オドの方です」

 ぽつんと甲板に座るオドアケルに声をかける者はいない。

 破骨棍を磨き終えたオドアケルは、予備の木材を使ってさっき壊した櫓を削り出している。

「訓練の時も、暴れるばかりで、あまり連携が上手くない。です」

 魔獣の眼と呼ばれている、アラリックの瞳が細くなる。風が強くなってきた。唐突に船倉に潜っていってしまう。

 船長が甲板にやってきた。

「陛下。嵐が来そうなので、一旦島に避難します。ついでに補給も済ませます」

 ボルテの部下の人種だ。きびきびとやることべきをやる姿は、船員にも信頼されているし、やたらと礼儀正しいばかりでないのは助かった。

「分かった。何か手伝うことはあるか?」

「魔獣への警戒をお願いいたします」

「よしきた」

 船の上には、無駄な人員はいない。そう言って、船に乗り込んだはじめにそれぞれ仕事を割り振られた。

 護衛の面々は櫓の漕ぎ手。私は魔獣への対処。

 私が魔獣に影響力を持っていることは、情報通の間ではよく知られているようだ。

(結構派手に力を使って魔獣を追い払ったからなあ)

 別に隠すつもりもないのだが、時々感じる化け物を見るような視線には傷つくこともある。

「よいしょ」

 船の舳先に立つ。中型船とはいえ、海面からは結構な高さはあった。

 空は青い。雲が増えているような気がしたが、嵐が来るとは思えない。

(船長の意見なら間違いはないと思うが)

 アラリックもいち早く櫓床に行ったのだろう。いつの間にか、甲板の上は私と船長だけになっている。

「陛下。島の近くに魔獣はいますか?」

「…島の位置が分からない」

 船長がちょっと驚いた顔をした。

「失礼しました。間もなく島影が見えてくると思います」

「それまで気を配っておこう」

「お願いします」

 と、言ったはいいが。

「ゲルルルルゥ」

「ギョギィ!」

 島影が見えて、魔獣を発見するや否や、魔獣達は一声鳴き声を挙げ、遠ざかって行く。

「陛下のお姿を見て逃げ出すとは、噂通りのお力ですね」

 船長は首を振って感心しているが、私は特に何もしていない。

「魔力でも漏れてるのかな?」

「なにか?」

「別に、何でもない」

 船長が手で合図を出すと、船尾から赤い旗が出された。味方の証らしい。

「ここからはゆっくりと進みます。島の者でないと、この辺りの浅瀬を躱せないんです」

「魔獣もいなさそうだな」

 私の仕事は終わりだろう。

「ええ。水深が浅くなると、大型の魔獣はいなくなります。ですが、島の者に顔合わせをしていただけませんか?」

「別にそれはいいのだが。顔合わせといっても何をするんだ?」

 船室に籠って本でも読もうと思ったのを見抜かれたのか、新たな仕事が降って湧いた。

 げんなりした気分を読み取られたのかどうか、船長が真っ黒に日焼けした顔で苦笑する。

「特に難しい事はありません。島の長の挨拶を受けて、こちらからも挨拶をするのです」

「まあ、なんとかなるのかな?」

 島の方から小舟がやってきている。乗っている人間と、船長が何事かを話し合うと、小舟は中型船の前を走りだす。よく分からない言葉だった。島の言葉か。

 小舟について行くと、中々島には辿り着かず、雨雲が空を覆うあたりになり、ようやく開けた砂浜に碇を降ろした。

 船を降りると、砂浜に白いひげの男が立っている。傍に、二人。若い男と女が控えている。

「島の長です。長、こちらは私の船の客人です」

「初めまして」

 明瞭な東大陸語が聞こえてきて、驚いた。

「どうも。ウォーディガーンと言います」

 握手を交わす。がっしりした掌だったが、握る力はあまり強くない。髭も真っ白だ。姿勢が良いので若いのだと思ったが、かなり歳を重ねているような感じだ。

「良い名前だ。西の王子と同じ名前ですね」

 また、驚いた。小さな島の長だが、かなりの情報通でもある。

「結構気に入った名前なんです」

 そう言うと、長の顔に笑顔があふれる。

「船長さん。補給はいつもの物資でいいですか?」

「はい。お願いします。それと、天候が回復するまで滞在しても構いませんか?」

「もちろん。村の離れを掃除しておきましょう」

 長に畏まっていた二人が駆けて行く。

 船長が宝石を二粒、長に渡す。長はそれを腰に付けた袋に入れて、村まで案内してくれた。

「船長。この村には敵がいるのか?」

「…どうしてそんなことを?」

「いや、島に近づく水路も、村に着くまでの道も、曲がりくねっていて不便そうだなと」

 見えない所からこちらを窺っている連中もいるが、それは口に出さないでおいた。

「もしかして、私たちが乗っているから警戒されているか?」

 私の護衛の面々は、揃って仮面に外套姿で、怪しさという点では果てしない。

「そんなことはありませんよ。海賊対策です」

「ほう。海賊」

「この辺は交易船が多く通りますが、潮流が複雑なので姿を晦ましやすいんですよ」

「どこにでも盗賊はいるのか」

 後ろで誰かが身じろぎをした。オドアケルかな。

 森の中を少し歩くと、村に着く。

「あの大きな家の傍に、いくつか家があります。あそこは私の家の近くで、客人を泊める空き家です。あそこを使って下さい」

「ありがとうございます」

 そうして、十人ごとに一つの家を使わせてもらい、村に泊まることになる。半数は船に残っているので、二つの家を借りた。

 船長の話では、長くても三日あれば、この嵐は止むらしい。

(三日か。荷物は船に置いてあるし、特にすることもない。代王国は今頃どうなっているだろう)

 内乱一歩手前まで行ってしまった。兄たちも父も、あきれているだろう。

 魔獣に勝って、人種に負ける。

(いやいや、まだ負けてはいない。きっとアルフォンソ達が上手くやるだろう。方法としては間違っていない。できるだけ引き延ばして、相手が倦んだところを思い切り叩く。反乱は一度で片を付けないと、あとあとずるずる引き延ばされてしまう)

 そう、何かの本に書いてあった気がする。

 代王になってしまってから、できることはやってきた。戦力も十分整えた。

 色々と想定はしてきた。考えるだけ考えた。それで出した結論だが、本当にそれでいいのか、という心の声はいつも聞こえている。

 借りた家の屋根に雨粒が叩きつける音を聞きながら、ずっと考え事をした。

「陛下。それじゃあ船を頼みます」

「任された」

 嵐の山場が過ぎた頃、船の上で一夜を明かした船長と、船の番を交代した。

 昨日と同じように、雨粒の音を聞きながら、天井に釣られた寝床の上で横になる。網のような寝床は、船乗りの間では一般的なもので、ハンモックというそうだ。

 ゆらりとする寝床は、慣れれば心地良い。

「ふああぁ―」

 大あくび。

 することもなしに、風の音に包まれていると、海の上に立っていた。嵐の海の真ん中だ。

「あ、あれ?」

 落ちる。

 と思ったが、私は海の上に立っている。

 視界の端。遠くに、島の影が見えた。

(あれは、私がいるはずの島だ)

「とすれば、これは夢か」

 確かに、嵐の海にいるのにも関わらず、寒さを感じていない。

「そう。夢だ。我が子よ」

 奇妙な感覚を味わった。全身の毛が逆立つのが半分。母に抱きしめられた安心感が半分。それらが混じり合って、自分の内側で暴れている。

 そして、いつの間にか隣にいる存在。

 振り返る力が湧かない。それにこの異質な魔力。 

 崩れかけの砦で感じたモノだ。

(復活しかけているのか? シンゲツの力を取り戻しに来たか?)

「察しが良いな。我が子。しかしどちらも違う。ただ、顔を見に来ただけ。さあ、こちらを向いて、よく顔を見せておくれ」

 見えない綱に引き回されて、私の身体が半回転する。

 真正面に、居る。

(どんな姿なのか―)

 シンゲツの記憶を手に入れるまで、原初の九王の名前すら知らなかった。当然、姿形なども知りえない。

 消え去った伝説の存在が、今、目の前に。

「目をつむりなさい!」

 鼓膜を貫通し、頭に突き込むような声。

 咄嗟に、その通りにした。私のちっぽけな好奇心など吹き飛ぶ強制力があった。

 固く閉じた瞼の向こうに、恐ろしい存在がある。まともに見ていたら、魂が汚染されたかもしれない。

 固く閉じた瞼の向こうで、何か大きな生き物、あとに聞こえてきた声の主が、先に語り掛けてきた存在を飲み込んだ。

「アアアァァァ―」

 片方の魔力が感じられなくなる。

「もう結構です」

 恐る恐る目を開けた。

「んん?」

 目の前に何か大きな生物がいる。しかし、姿は見えない。

 海霧が漂い、姿を隠している。

「どちら様でしょうか?」

 問いかけは、霧の中に消えていく。

 霧が濃くなっていく。

「日輪の眷属の王。月を喰らった者よ」

 微かに、声が届く。

「正確には代王です」

「細かい事はよろしい」 

 更に霧が濃くなっていく。足元にまで、立ち込める。

「はい」

 声を出したが、私の意識は掠れていく。

「ここは我が縄張り。内なる海。あまり我が眷属を驚かせぬように」

「分かり、ました」

 瞼が重い。夢から覚めようとしている。

「現実で会う時、改めて名乗ろう」

「あ、あの―」

「さらば。月は既に汝の頭上に―」

 真っ白な霧が、視界を占める。霧の中、巨大な存在を感じたが、一瞬青い鱗が見えたように感じたのちに、また宙に浮いていた。

「はっ」

 寝床から落ちた。しかも頭からだ。

 鈍い音。目が回る。

「痛い!」

 したたかに頭を打ち付ける。魔術による防御すらできなかった。

(寝起きは防御が甘くなるな。気を付けよう)

 額をさすりながら、先ほどの夢を思い出そうとする。

「あれ? どんな夢だったっけ?」

 いくら頭の中を探しても、夢の記憶はさっぱり出てこない。

「うーむ」

 航海を再開してからも思い出そうとはしたが、次第に思い起こすことを諦めた。

 海の上。

 魔獣の妨害もなく、風もいい。

 代王国を旅立ち、一月。

「陸地が見えたぞ! レムスの港だ!」

 東大陸の海岸を目に捕らえた。

 港から、軍船が漕ぎだしてきている。

「皆、整列してくれ」

 護衛の面々と治療師を呼び集める。

「何が始まるんだ?」

「オド。説明は受けているぞ」

 船を動かすボルテの部下たちを覗いて、代王国ロムルスからの一行が甲板に集合する。

 私以外は、仮面と外套を身に着けた。

「これから、入国審査だ」

 接舷しようとする軍船に目を向けていると、背後で、オドアケルに説明するアラリックの声が聞こえる。

 その通り、これから、入国審査だ。

 私の懐に、最低限必要なものは入っている。

 ただし、今の私たちは、独断で国交を断絶した反逆者扱いになっているかもしれない。

 東大陸の魔力が、肌に絡みついてきた。

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