39話 スティリコ
早朝。代王都。
毎日開かれている朝市の人込みに紛れて歩く。すれ違う人の視線を集めてしまうが、別に隠密行動をしているわけではないので、特に対策はしなかった。
「あれからもう一年か」
復興はものすごい速度で進んでいく。
魔獣と人の死骸だらけだった街並みも、今ではごちゃごちゃした建物が密集している。雑多な印象を受けるのは、建物が密集しているだけでなく、その様式が統一されていないせいだ。
巨人種の家は、入り口だけで人種の家がすっぽりと入る。
鬼人種の家屋には、武器がずらりと並んで物々しい雰囲気だ。
樹人種もいる。連中の家はまるで森のようだ。
獣人種も海を渡ってやってきている。家と呼ぶには野性味の溢れすぎているが。
妖精種は、小さな空き地を見つけては、せっせと花を植えていた。それが奴らの家になるのだそうだ。
石人種の家は、工房と同じ意味を持つ。
流石に竜種はいなかった。
ボルテと、カダンという商人を筆頭に物流を整えた結果、人も物も濁流の如く入り込んでいる。そして、傭兵、小作人、行商人、人と物が動くところには必ず、成り上がろうとする者達がやって来る。魔力災害と呼ばれるようになった、魔力の暴走と魔獣の大群の進撃から一年、代王都は物と人がごった返す都市になった。
ボルテが西大陸中に張り巡らしている物流の道に載って、俺と同じような異形の人も集まってきている。
双頭の者。四つ腕の者。変身する者。毒を持つ者。四つ足の者。
彼らを含め、俺たちはまとめて魔人種と呼ばれるようになった。人と魔獣の中間だと思われてしまう名前だ、とか言う連中もいるが、俺は結構気に入っている。
魔人の魔は、魔力の魔だ。魔力に関わる事なら、俺たちに聞けという思いがあるのだ。
「早いものだ」
雑多な外見の人々が通りを歩く姿の中では、煌めく水晶の肉体もそれほど目立つことは無い。
通信用の魔道具を耳に当てた。こいつの良い所は、魔術を使う時のように魔力の気配をまき散らさないことだ。
「スティリコだ。そろそろ到着する。手早く終わらせるから、引き取りの連中を早く寄越せよ」
砂嵐の音のような雑音が入って、フリティゲルンの返事が聞こえた。
「分かりました。ですが、初めから喧嘩腰は止めてくださいよ」
「へいへい」
魔道具を仕舞うと、今回の仕事場についた。
痩せた商人と、三つ目で肌の黄色い魔人が言い争っている。
「だから! ここに! 報酬の金額は書いてあるでしょう!」
「いいや! 手前がはじめに言った金額と違う!」
「だからそれは、貴重な個体の分の追加報酬だって!」
「貴重な個体をちゃんと取ってきただろうが!」
「特徴が違う!」
「死んだら変化するんだって!」
「そんなの誤魔化してるようにしか聞こえないよ!」
「信用しろよ!」
言い争っている二人の周りには見物人たちの人だかりができている。
とりあえず様子を見ようと、最前列に体を滑り込ませた。俺に気が付いた連中が一瞬驚きの表情を浮かべるが、察したようだ。見て見ぬふりをしてくれる。
活気があれば、揉め事も起きる。この町の住人は、すっかり荒事に慣れてしまっていた。
「契約書にサインをしただろう!」
「契約は守っている!」
言い争っている二人は俺に気づく気配はない。
二人の間には、植物系の小型魔獣が山盛りになった背負い籠がある。見慣れない魔獣だった。
別に珍しい事ではない。新種の魔獣など、現れては消えていくものだ。ただし、どんな性質を持っているのかが分からないことが多いので、野生の魔獣に関わる取引はしばしばトラブルを起こす。
今回もそういう事だろう。
魔人の肌の色が、真っ赤になった。感情が反映されているのかもしれない。
そろそろ怪我人が出そうな頃合いだろう。俺の出番だ。
「ずいぶんと分かりやすく怒るものだ」
「なんだ! 誰だ!」
「部外者は―」
分かりやすく激高する魔人と、俺の正体に気が付いて口をつぐむ商人。
「たまたま通りがかって見れば、代王の膝元で喧嘩か?」
「知るか、そんなこと。俺はこいつと話をしてんだ。引っ込んでろ!」
「いやあ、まあ、へへえ」
様子の変わった商人に、魔人が怪訝な顔をした。肌が黄色くなる。
「俺はスティリコという。竜騎士の連れだ。お前みたいな力の余ってるやつのお目付け役をやってる」
魔人の肌が青くなった。
「竜騎士…。それに、スティリコ…? なんでそんな有名どころがこんな所に…」
呻くような声を挙げて、魔人はそれきり大人しくなった。
しばらくして、フリティゲルンの部下の連中がやって来る。
「スティリコ殿。ご苦労様です」
「おう。早かったな。その籠の中の魔獣を調べてくれ。貴重な個体を取った取らないの揉め事だ」
「はい」
魔術を使える奴と魔獣に詳しい奴が前に出てきて、いくつか魔術を試す。商人に確認を取り、魔獣を一匹捌いて見せた。
「ここの内臓の色が見えるか?」
「はい」
「お前の言う希少な個体は、この臓器の色がこうなっている。この変質した内臓の成分が薬用になるので間違いないな」
「確かに、そうです」
三つ目の魔人にもいくつか確認をした。
「希少な個体は内臓に突然変異を起こしたものが多い。今度揉めそうになったら、一匹捌いて見せてみろ」
「分かった」
てきぱきと仕事を片付けるフリティゲルンの部下に、俺は役目をさっさと譲る。
両人が納得するまで、俺はすっかり暇になって、空ばかり眺めていた。
「スティリコ殿、終わりました。特に怪我人も出ていないようですので、このまま我々は撤収します」
「そうか。お疲れさん。フリティゲルンによろしく言っといてくれ」
「はい? ご一緒に戻られないのですか?」
俺は肌が黄色くなっている魔人を指さした。
「あいつとちょっと話をしたくてな」
「分かりました。そのように報告しておきます」
「頼む」
そうして、隊列を組むこともなく、ばらばらに人込みの中へ消えていった。まだまだ片付ける仕事が残っているのだ。
「おい。そこの三つ目」
「は、はい」
「ちょっと話をしようか」
いくつか気になっていたことがある。
商人に魔獣を引き渡し、そそくさと帰り支度をしていた三つ目の魔人と、肩を並べて歩く。魔人はどうにも小汚い格好をしていて、それが気になった。
「お前、夜ずっと狩りに出てただろ」
「…そうだけど」
魔人は、三つ目をきょろきょろさせて、肌を黄色くした。
「金に困ってるのか」
「…関係ないだろ」
肌が青くなった。
「分かりやすい奴だな」
「うるさいな。だったら何だってんだよ」
「ちょっと家の様子を見せてみろ」
「馬鹿言え。なんでお前なんかに」
肌が赤くなった。本当に分かりやすいな。
「別に取って食いやしない。ただ様子を見るのが仕事なだけだ」
「…」
「嫌だと言っても勝手についていくだけだがな」
警戒心を解く様子はなかったが、別に俺を追い払おうともせず、途中で買い物をした後で大人しく魔人の家に到着した。
(逆らう気はないのか)
根が真面目な奴なんだろう。こういう奴ほど、身の丈に合わない苦労を背負いこんで潰れていくもんだ。
仕事でもなければ一々関わることは無いが、今はこれが仕事のようなものだった。
「ただいま」
「邪魔するぞ」
貧民街に、かろうじて屋根が乗っているだけの家があった。壁などは穴だらけで、雨風を凌げるとは思えない。一応一言かけて入ったが、家の中から丸見えだっただろう。
「お帰り、兄貴。お客さんか?」
「ああ。スティリコという有名な人だ。スティリコ、こいつは俺の妹分だ」
家の中には、ひょろひょろの魔人のガキが一人。ろくな寝床もなければ、まともな食い物もあるようには見えなかった。
「スティリコという。よろしく」
「うん」
ガキは満足に喋ることもできないようだった。ふらふらとして、顔色が悪い。四つ目で、肌は青を通り越して透けるような水色の肌をしている。頬がこけて、いかにも栄養が足りていなさそうだった。
「まってろ、今日は仕事が上手く行ったんだ。美味いもん食わしてやっからな」
「ん」
兄の魔人が、手際よく肉と野菜の煮込みを作った。上澄みのスープだけをぼろい器によそい、匙ですくって飲ませている。案外手際がいい、ずっと妹分の看病をしてきたのだろう。
「ん。兄貴、もう十分だ」
三口も啜らないうちに、妹分の魔人がそんなことを言う。
「そうか。まだあるから、腹減ったら言えよ?」
「ん」
それだけ言うと、妹分の魔人は倒れるように藁の寝床に横になった。
「眠るというよりも、倒れ込むのに近いな」
「あんた何しに来たんだよ」
魔人の兄貴分は、煮込んだ野菜と肉をもう一つの器によそって食べ始めた。
「言っただろう。様子を見に来たんだ」
「そうかよ」
妹分の状態は良くない。貧乏暮らしが長いのか、ただ栄養が足りていないだけではなく、何か病気をしているだろう。
兄貴分の魔人は食事を取り終えようとしている。
今は働いて食い物を調達しようとしているが、時期に薬を盗もうとするかもしれない。それを防ぐには、やはり妹分の病気を治さなければなるまい。
魔人の病気となれば、思いつくのは一人だった。
が、俺はあいつが嫌いだった。
いつも綺麗ごとばかり言う。そして、いつも綺麗ごとを成し遂げていくのだ。羨ましさと妬ましさで、心が乱れる。
だから、心底気が進まない。
「あんたも食えよ。一人分には多い」
「食えない妹分のために、二人分の食料を買っているのか?」
「…無駄になることは分かってるんだがな。いつも、家に帰ってくれば元気になってるんじゃないかと思ってしまう。それで、ついな」
「ま、気持ちは分かる」
気が進まないが、こういう奴を放っておく気はなかった。
仕方がない。これも仕事の内だ。
通信用の魔道具に魔力を流して、術式を起動しようとした。
その時。
「話は聞かせていただきました。スティリコさん。ここは私にお任せいただきましょう」
金髪金目の美青年がやってきた。
「ちっ」
「な、なんだあんた」
奴の後ろからぞろぞろと信者共がやって来る。大体が女だが、ちらほらと男の姿も見える。
「初めまして。しがない治療師のベーダと申します」
「お、おう」
なんだこれはと目配せされても困る。俺もこいつとは関わり合いになりたくないんだ。だからこっちを見るな、兄貴分。
「こちらにお困りの方がいると聞き、伺いました」
和やかな微笑みを浮かべて、ベーダが問いかける。その姿に、取り巻き連中の何人かが倒れた。いったい何をしに来たんだ。
「なんで治療師のあんたが来たのかは知らないが、金がない。帰ってくれ」
にべもない魔人の対応に、取り巻きの何人かが息巻いた。それを周りの奴が押さえつける。
「構いません。困っている方を助けることが私の生きがいなのです」
綺麗に居座ろうとするベーダの姿に、黄色い悲鳴を挙げて後ろで何人か倒れた。本当に、何しに来たんだ。
「う、胡散臭い」
思わず、魔人の心の声が漏れた。ベーダが一瞬きょとんとして、俺を見る。こっち見んな。
「おや、スティリコさん。まだ私のことを教えていませんでしたか」
「―いまその話をしようとしていたところだ」
「なるほど。確かに魔道具を握っていますね」
「まずはフリティゲルンに話を通してからと思ったんだがな」
「そうでしたか。ですが、たまたま近くで治療を行っていてよかった。なるべく急いで治療をした方がいい状態です」
人懐っこい雰囲気が、急に変わった。熟練の治療師の眼になる。そしてまた、背後で取り巻きが黄色い声を挙げていた。あいつら、もう帰ってくれないだろうか。本当に何をしに来たのか分からない。
「失礼します」
ずかずかとベーダが家に上がり込む。
「お、おいおい。ちょっと待てよ! スティリコ、それにベーダとか言ったか!? どういうことなんだ!?」
「ベーダちょっと待て、お前も、今説明するからちょっと落ち着け」
「あまり時間はありませんからね」
釘を一本刺されたが、ベーダは大人しく引き下がった。
「まあ、悪い連中じゃないんだ」
色々と手短に説明しなくてはならない。
「まず、あいつらは聖光教の一員だ。知ってるか? 聖光教、前は精霊教って名乗ってたんだが、組織が大きくなってきて、派手な名前に変えたんだ」
「聞いたことはある。精霊を祀ってる連中だ。最近増えてきたらしいな」
「ああ。その連中で間違いない」
「そいつらがなんで家に?」
「聖光教の教主が変わり者でな、毎日貧民街をうろついて、無償で病人や怪我人を治療してる」
「は? え!?」
「勘が良いな。思ってる通りのことだ」
「はあ!?」
そこから、何度となく同じようなやり取りが繰り返された。
「じゃあ、あそこにいるのが…」
「そうだ」
「本当か?」
「ああ」
「本当に?」
「間違いない」
「嘘だろ?」
「―嘘じゃない。お前の妹分は治療師に魔術の治療をしてもらえる」
「はー」
ぽかんとしてはいるが、一応は状況を飲み込めたようなので、そろそろベーダの出番だ。
「では、妹さんの治療を行っても?」
「―まだ信じたわけじゃないが、やってみてくれ。だが、もし騙して何か企んでるなら、お前がどこの誰だろうが、必ず見つけ出して殺してやる」
強い眼光だった。良い目つきだ。鍛えれば、いい戦士になる。ふと頭に関係ない思考が浮かんできた。
「分かっています。私は、目の前にいる命を救うことに魂をかけています」
応じたベーダも、認めたくはないが、覚悟を決めた者の眼だった。
流石にベーダの取り巻きは声も出さない。空気を読んだか。
ちらりと見て、後悔した。どう見ても、教主様のカッコイイ啖呵にしびれているだけだった。早く帰れ、お前たち。
「こんにちは、お嬢さん。私は、君のお兄さんから頼まれて、君を元気にしに来たんだよ」
「ん」
薄く目を開けた妹分の魔人が、ベーダを見て、兄貴分を見た。
兄貴分の魔人が、頷く。
「ん」
小さく頷いた妹分は、また目を閉じた。
「じゃあ、あとは任せた」
これで俺の仕事は終わりだ。後はベーダが何とかするだろう。
魔人の治療など、見たくなかった。
「スティリコ」
立ち去ろうとしたが、呼び止められた。
「いつもこのタイミングでいなくなりますが、今日はいてください」
「俺にできることはもうない」
「たとえ、そうだとしても」
「いるだけ無駄だ。それより、同じような奴がまだどこかにいる」
「いいから、ちゃんと見ていてください。あなたのおかげで助かる命から、目を逸らさないでください」
無視して、家を出ようとしたが、ベーダの取り巻きに道をふさがれた。
「どけ」
背後から、青い手が俺の肩を掴んだ。
「スティリコ。いや、スティリコさん。俺の妹分をお願いできないか?」
下手な敬語だったが、肩の手は振り払えなかった。
「ちっ」
魔人の妹分の透けるように青白い肌に向き合った。ベーダが少し微笑む。俺は、故郷のことを思い起こさずにはいられなかった。
こんなふうに弱っていた故郷の子どもに、俺は何もできなかった。
「大分衰弱しています。食事は?」
「肉と野菜の煮汁程度だ。それも、ほんの少し。ほとんど食事はとれていない」
百年以上前、東の海から人種がやって来ると、俺たちのような珍しい外見の人種は捕まって売買された。
ベーダの手のひらに、複雑な術式が浮かび上がる。それを腹部にかざした。
「何かいますね」
「消化器官に何かいるとするなら、植物系の魔獣の種子を食ったか」
当然、無抵抗ではなかった。激しく抵抗した。しかし、数に押され、一つ二つと集落は消えていった。
兄貴分の肌が真っ青になっている。
「心当たりは?」
「あ、ある。この町に来るまで、ほとんど食うや食わずだったから、毒が無ければ何でも食べてた。でも、俺だって同じものは食べてた!」
「魔力と体力に差がある。仕方がない」
嘘だ、とつぶやいて、兄貴分がへたり込んだ。
(みすみす妹分に寄生魔獣を食わせていたんだ。悔しいだろうな)
俺のいた集落の連中は肉体が魔力を蓄える鉱石でできているために、高値で取引されていた。東大陸へ運んで、魔道具の原動力になったそうだ。
「大丈夫です。お兄さん。私が助けます」
ベーダが懐から小瓶を取り出す。そして、少女の身体に魔力を送り込んでいく。
青白い肌が、張りを取り戻していく。
家族同然の集落の連中が捕まって、生きたまま体を砕かれていった。
「体を温めてください。汗が出るほど」
聖光教の取り巻きが炎の結界を張る。
俺たち戦士が取れ戻しても、弱り切った仲間は、手当の甲斐なく死んでいった。
「スティリコ。魔力の供給をお願いします。要領は、見せたとおりです。私は、投薬と魔獣の摘出を行います」
「おう」
貯えている只の魔力を、少女に補給していく。目に見えて、肌の色が良くなっていく。
俺の仲間も、こんなふうに治療できれば良かったのに。
「いきます。魔獣が飛び出してくるでしょうから、気を付けてください」
ベーダが、小瓶の中身を少女に飲ませた。
「汗をかいて、渇いていた喉に液体を流し込まれれば、自然と体は受け容れようとします。特に、水分の足りなくなった魔獣なら、遮二無二に飛びつくでしょう。魔力を多く含んだ薬草ですから」
少女の腹部が、盛り上がった。徐々に上に向かって動いてくる。
「ごめんね。少し苦しいよ」
ベーダの魔力が、一瞬で風の魔術を形作る。筒状の魔術式を、魔人の少女の口に押し込んだ。
「んんんー!」
くぐもった声を挙げて、少女が苦しんだが、その時には既に腹部の膨らみは口から外に吸い出されていた。風の魔術が吸い上げたのだ。
魔術が解除される。
「お兄さん。妹さんはもう大丈夫です。栄養のあるものを食べさせてください」
「ほ、本当か!?」
「うん。兄貴、もう平気みたい。なんか、すごいすっきりした」
弱々しい声だったが、何か、芯のようなものを感じた。魔力の流れも安定していた。
「分かった! さっきのスープ、すぐに温めるからな!」
はしゃぐ魔人の姿が、目に染みた。百年前、俺がとうとう見られなかったものだ。
「ありがとう。その、悪いこと言ったな。すまねえ」
「いいえ。良いんです。お互いに、妹さんを心配しただけですから」
「腹をすかせた妹分を養うなら、一度フリティゲルンに会っておけ」
「あの、竜騎士の?」
「話は通しておくから、一度王宮へ行ってみろ。何かしら仕事がある」
「いいのか? 俺なんかが王宮にいっても?」
「ああ。今の代王さまは変わり者でな。誰だろうが王宮に出入りできる」
「そうか。ありがとな。行ってみる」
「おう。がんばれよ」
頭を下げて、必ず礼をすると言い続ける魔人から、逃げるように代王都の人込みの中に紛れた。
「スティリコさん。ありがとう」
雑踏の中でなぜか、妹分の声がはっきりと聞こえた。
人込みの中を、ベーダがついてくる。
「フリティゲルンから聞いてますよ。スティリコの気持ちは」
「うるせえ」
いつの間にか呼び捨てにされている。それがどこか嫌ではない自分がいた。頬を伝う涙の感触が嫌だった。
「どうでした? あの兄妹を見て」
「手助けが無ければ、あっという間に盗賊だろうな」
「そんな人たちを助けるのが仕事でしょう?」
「そうだが、お前に言われることではない」
妙に馴れ馴れしい。やはりこの男は嫌いだ。それに、涙を人に見られたくなかった。
「ボルテさんの伝手で集まってくる魔人達は、皆似たり寄ったりの環境で生きています」
何をいまさら、と思ったが、口には出さずに歩いた。
「私とあなたが連絡を密にすれば、多くの命を救えます」
横目で見ると、内心の読めない笑みを浮かべている。顔立ちが整っているのが、余計に不思議な印象を人に与える。
「もっと直接言います」
何を言いだす。
「私は、あなたが欲しいんですよ。スティリコ」
「気味が悪い」
思わず本音が出た。涙は止まっている。
「あなたのように、魔人に信用される人材が欲しいんです」
「探せば他にいる」
「いいえ。いません。あなたは、あの三戦士の一人ですから」
本気の眼をしている。俺も、腹をくくるべきか。一度泣いたからだろうか、すんなりと腹を割る覚悟はできた。
「人種の敵だったということだぞ」
路地裏で、二人で向かい合った。
夕暮れの雑踏から離れると、代王都は復興途中の印象が強くなる。そこら中に魔獣の痕跡があった。
「戦いが終われば、敵も味方もありません」
相変わらず綺麗ごとを吐く口だ。しかし、それだけではない物を感じていた。
「それだけではないだろう。腹の底まで、全部吐き出してみろ」
金の瞳が、すっと細くなる。
しばしの沈黙があった。夕日が俺の頭に当たり、屈折してベーダに当たっている。
「ある考えがあります」
ベーダも腹を決めたようだ。一騎打ちのような気配が、路地裏に漂う。小型の魔獣が逃げ去っていく気配がした。
「ほう」
「―」
「―」
夕日がすっかり落ちた。
「そうだな。壮大な夢、と言えばいいのだろうか」
「初めてこのことを話しました」
「ほう」
確かに、代王に聞かれればただでは済まない。
「あなたに、私の夢を託します。このことを誰かに言えば、私はこの夢を諦めなくてはなりませんから」
「重い物を渡してくれたな」
「いつでも構いません。いつか、あなたの考えを聞かせてください」
ベーダが笑った。不思議と、嫌な感じはもうしなかった。背を向ける。聖光教の教会へ戻るのだろう。
「教会に、空き部屋はあるか?」
「え?」
呼び止めていた。その瞬間、どこかで声が聞こえてきた気がした。
「我が子よ。祝福しよう。新たなる道を」
空耳かもしれない。
「あなたの夢に、俺も力を尽くしたい」
「―っ! はい!」
「これから俺は、聖光教の一員だ」
その夜は、一晩ベーダと酒を飲み交わした。
初めて酔いつぶれた。
これから、初めて尽くしの人生が始まるのだろう。
悪くはなかった。




