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九王記  作者: 荒木小吾
一章 西の大陸で
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3話

 いい匂いで目が覚めた。

 竈にかけられていた鍋に雑炊があったので、テントの隅に転がっていた椀と匙を引っ張り出す。毛皮の天井からぶら下がっている干し肉を一つとその雑炊で朝食をとる。

 テントの中には俺しかいない。二人とも何処だろうか。

 朝飯を食い終わり、テントの外に出ると今日も快晴だった。空気が冷たい。

「起きたのか」

「うわっ!」

 いきなり入り口の脇から声をかけられる。声の主はアラリックだった。

「アラリックか、驚いたぞ」

「む、すまない。驚かせるつもりは無かったんだが」

 驚かせるつもりが無くても、気配が薄いとこちらが気づけない。

「朝食は取ったか?」

「ああ、食った」

 アラリックが何かを聞きたそうにこちらを見ている。

「どうした?」

「い、いや。何でもない」

 そう言うと、さっきからやっていた荷造りに戻ってしまった。

「オドも出発の準備をしておけ」

 出発とは何のことだ。

「何処に行くんだ?」

「道々話す。いいから準備をしろ」

 なんだか今日は機嫌が悪い。とりあえず大人しく従っておこう。

 テントに戻ると旅の装備一式を抱え、アラリックの隣に座る。外套、非常食の干し肉、火種、水筒、それと剣とナイフと弓矢。

「その剣、ずいぶんぼろぼろだな」

 剣の手入れをアラリックが覗き込んでくる。この冷えるのに水浴びでもしたのか、黒い毛が僅かに濡れていた。

「まあ、安物を奪ってから、何度も使い続けてるからな」

 名前も知らない男から奪った剣はあちこち欠けて傷だらけだ。

「新しく装備も整えたほうがいいな」

「何の話だ」

「時間が無い、後で話す」

 さっきからアラリックが素っ気ない。俺、何かまずい事でもしただろうか。

 荷造りも済んで出発かと思ったが、アラリックは荷物を置いてどこかに行ってしまった。

 取り残される俺。

「どうしろって言うんだ」

 しかしアラリックはオズを連れてすぐに戻ってきた。

「お待たせ、義兄さん」

「どうした、オズ」

 それには答えず、オズは小さな袋を渡してきた。中を見ると金貨が一枚と、銀貨、銅貨が沢山入っている。

「これは?」

「向こうに着いたら、何かと入用だからな。オズさんに用意してもらった」

 俺は呼び捨てのくせに、アラリックはオズをさん付けで呼んでいる。面白くない。

「うん、じゃあ行ってらっしゃい」

 にこやかに手を振るオズ、アラリックに引きずられる俺。

「いったいどうなっているんだ?」

 不機嫌なアラリックは、村の入り口を抜け、昨日のけもの道を通り、見たことのない山の中を突き進む。時には岩山を四足で駆け上がり、大樹の上を這い進み、平坦な道と同じ速さで道なき道を踏破していく。

 一方俺は、頑強な獣の手足など持っていないので、石につまずき、藪に足を取られ、時々山の中でおいて行かれた。岩山から転げ落ち、木の枝から逆さにぶら下がり、何度も死にかけた。というか、普通だったら死んでいたと思う。

 頑丈な体で良かった。本当に。

「おい、いい加減どこに向かってるのか、教えてくれても良いだろ」

 心底くたびれ果て、アラリックがここで野営をすると言った途端に俺は倒れる。そのまま毛むくじゃらの足に話しかけた。

 てきぱきと薪を集め、火を起こし、干し肉を炙るアラリック。怪我をしていたのが噓のようで、疲れも見せない。

「私が、一時期、樹人の商人と暮らしていた町だ」

「なんでまた、そんなところに?」

 俺はのそのそと起き上がり、アラリックに促されて寝床の用意をした。

「その町ならば私の存在はある程度知られている、こんな外見でも行動しやすい。多少だが協力者も居る」

 アラリックは干し肉を刺した枝を回し、まんべんなく火が当たるようにしている。

「なるほどね。そんで、その町で俺たちは何をするんだ?」

 渡された肉の端を嚙み千切る。じわりと染みだす脂が口に馴染む。

「獲物と食料の在処の情報集めだ」

 肉を丹念に噛み、唾と混ぜ合わせて飲み込む。一口ごとにそうやってよく噛めば、少ない量でもそこそこ空腹を凌ぐことができる。

「なんだっけか、その町の名前は」

「フスクの町だ。遥か西の霊峰、天山より流れる北アムル河沿いの町で、代王都と北の町や村を繋ぐ役割を果たしている」

「そのフスクの町には食料は無いのかよ」

 アラリックが口の中の肉片を飲み込む。

「住民も五百人ばかりの小さな町だから、余っている食料があってもごく少ない量だろうな」

「そうなのか」

 早く村の皆を安心させてやりたいのだが、道は険しいようだ。

「そう落ち込むな。フスクの町は、規模は小さいが、船の行きかう賑やかな町だ。きっと余った食料を抱えているところの情報も手に入る」

「そうだな」

 今はアラリックに任せるしかない。しかし、食料が尽きかけた小さな村に、これほど力を尽くしてくれるのはどうしてだろう。

「なあ、アラリック」

 耳がぴくりとこちらを向いた。

「む。まだアラとは呼ばないのか?」

 尻尾が軽く跳ねる。

別に呼び方などどうでもいいだろう。

「なんで俺たちに力を貸してくれるんだ?」

 しばらく、薪の弾ける音だけがしていた。

「それは、どうしても聞きたいのか?」

 普通なら、飢え死にするかもしれない連中にはついていかないと思うんだが。

「どうしても聞きたい」

「本当に?」

「本当だ」

 俺は、きっぱりと言い切った。気圧されたらしいアラリックは、もじもじと何度も座りなおしたり、爪で毛づくろいをしたりしてから、やっと微かな声を出した。

「オドが、いたから」

 俺がいたから、というのはどういう事だ。

「寝る」

「え。おい。どういうことだよ」

 アラリックは寝床に潜り込んでしまった。

 それにしても、俺がいたから村の危機に力を貸すというのはどういうことなのか。

「俺も寝るか」

 大型の魔獣が居る気配も痕跡もないし、見張りは要らないだろう。

 寝床からはみ出しているアラリックの尻尾をよけて寝床に倒れこむ。寝床の感触を感じる間もなく、あっという間に眠ってしまった。

 翌日も、その次の日も、道なき道を突き進んだ。

 そうすると俺も、アラリックほどではないが易々と岩山を登ったり、木々の間をすり抜けられるようになる。

 途中で何度か大型の魔獣に遭遇するかと思ったが、アラリックの道選びがよかったのか、一度も遭遇することなく、村を出てから五日目を迎えた。

「そろそろ、フスクの町が見える」

 五日目の昼頃、そう聞いた俺は仮面の下で大きく息をついた。

「やっと着いたのか」

 この五日間、少ない食料で野宿を重ねる辛い道のりだった。もうそろそろ記憶の中の母親に泣きつこうとしたところだ。

「普通に街道を行ったら、倍はかかる」

「街道、有るのかよ」

 だったらそっちを行けばいいと思うのだが。

「交易の中継をする町だからな、行き来が不便では成り立たないが、私たちの見た目で街道を行けば目立ちすぎる」

 それはそれはご配慮の行き届いたことで。

「なんだ、何か言いたいのか?」

「いや、全く」

 こいつ、考えたことを読み取れるのかよ。

「念を押すが、仮面は絶対に取るなよ、町中が大騒ぎになる」

「わかってらい」

 昨日、アラリックに木の板を渡された。爪で倒木から削り出した武骨なそれを、俺とアラリックは顔に付け、縄で縛りつけている。その上から外套を着れば外見が人族と違うことはまず分からない。

 怪しさは抜群だが。

 なんでも、以前にフスクの町にいた時はこうやって顔を隠して行動していたそうだ。

 作る手際は良かったので、かなり作り慣れているのだろう。

「ほら、見えたぞ」

 いつの間にか眼下には町が広がっている。大河を挟むように北と南に分かれた町。雪に覆われているが、船は活発に行き交い、積荷や人を下ろし、積み込み、船着き場は賑やかだ。

 閑散としたシャンダル村に慣れた俺の眼は、いきなりのせせこましさにちかちかしている。

「行くぞ、オド」

 アラリックの先導で俺はフスクの町に踏み込んだ。

 実際に入ってみると遠目からは分からないことも見えてくる。

「アラリック、やけによそ者っぽい奴らが多くないか?」

 町の入口付近にはたくさんの野営地があり、中に入ると路地の端に座り込んでいる奴らが目立つ。ぼろい服とやせこけた姿はシャンダル村の連中と重なる。

「そうだな、気にはなるが、まずはやることがある」

「飯か?」

 そろそろ干し肉以外の物を腹いっぱい食いたい。

「それは後だ、ついてこい」

「おい、俺は腹が減ったんだが。おーい」

 俺を無視して小汚い狭い路地を突き進むアラリック。腹が減ったと訴えても獣の耳はピクリとも動かない。

 そして、木の家が立ち並ぶ中、一つだけ石で作られた家が見えてきた。入り口に何か書いてあるようだが、あいにく俺は字が読めない。

 アラリックがそこに入ったので、俺も続いて扉をくぐる。

「すげぇ」

 中は武器がてんこ盛りだった。

 剣だけでもいくつあるか数えきれない。どんな風に使うのか分からない、面白い形の武器らしきものもある。思わず手にとって眺めてみようとしたが、背後から蹴りを入れられた。

「あでっ!」

「手前、こら! 商品に汚ねぇ手で触ってんじゃあねえぞ!」

 蹴りを入れてきたのは俺の腰ほどしかない、ちっこい髭もじゃの爺さんだった。

「手前こそなんだ! 喧嘩売ってんのか!」

 アラリックが口を挟もうとしている気配を感じ、俺は先に啖呵を切った。何となくアラリックが謝りそうな気がしたからだ。こんなちびの爺に謝ることは無い、俺がひねり倒してくれよう。

「俺ぁ、この武器屋の店主だ! 文句あんのか!」

 武器屋の店主にしては、いい度胸をしてやがる。

「俺は狩人のオドだ!」

 そのまましばらく睨みあう。

「おほん」

 アラリックのわざとらしい咳で、俺と爺さんは同時に視線を切った。

「すまないカダンさん、連れが商品に触ってしまって」

 名前を知っているということは知り合いなのだろうか。

「いえいえ、こちらもついカッとなってしまい、申し訳ありませんアラリックさん」

 おい、爺。さっきと口調がまるで違うぞ。

「オド、鍛冶職人のカダンさんだ。カダンさん、こいつはオド」

「けっ」

 この爺は気に食わねえ。

「ふん」

 向こうも同感らしい。

 というかこの爺、人族にしては小さすぎる。それによくよく見ると皮膚の質感がつるりとして石のようだ。

「なんだ小僧、じろじろ見やがって」

 こちらを睨むその眼球も、人族の物ではなく、まるで穴に丸い石をはめ込んだように見える。

「あんた、石人族だよな」

 九王の一角、鎮門の眷属。彼らの体そのものが鎮門の技術の結晶であり、同時に太古に伝えられた技術を今もなお受け継いでいるという。西大陸を南北に二分する山脈に穴を穿って暮らし、時折他の種族の依頼を受けるらしい。一般に、洞口暮らしに適応した小さな岩石の如き肉体を持つ。

「見りゃ分かんだろが、どあほ!」

 殴りつけてきた拳をそのまま受ける。硬い感触が伝わっただろう。爺が妙な顔をする。

「小僧、手前はどういう?」

「その話は中でしよう」

 アラリックの割り込みで爺が我に返る。

「なるほど、聞かれたくない話があるのですね」

 言葉遣い変わりすぎだろ、この爺。

「二階の応接間に御案内します」

 背の小さい奴が上りやすいようにという配慮なのか、階段はかなり細かい段差で、俺やアラリックは二段飛ばしで上った。

「こちらです」

 爺が部屋の扉を開き、俺たちを招き入れた。

 その部屋が応接間ということらしい。中はそれほど広くないが、座り心地のよさそうな椅子、良い皮を使っているらしい敷物、全体の落ち着いた色合いが寛ぎの空間を作り出している。

「飲み物を用意しましょう」

 そこで俺の腹が鳴った。

「ちっ」

 この爺、舌打ちしやがった。

 しかしそこでアラリックの腹からも音がする。

「食事も用意します」

 どうか、いつかこいつを殴れる日が来ますように。

 外套と仮面を取り、近くの食堂から取り寄せた飯を食いながら、アラリックは今までの経緯を、カダンとかいういけ好かない爺に話した。

「と、いうわけで、まずはこのオドにまともな獲物を持たせてやりたいんです」

「そうかい」

 素っ気なく答えた爺は俺たちを一階に連れて行き、俺を頭の先から足の指先まで丹念に眺め、店の奥に引っ込んでいくつか武器を持ってきた。

「振ってみな」

 放り投げられたのはごく普通の剣だ。今俺が使っているものと変わりない。

 振ってみても特に感想は無い。

「次はこれだ」

 次に投げられたのは鎚だ。いくらか重いが、これも問題なく振ることができる。

「次」

 片刃の剣。

「次!」

 斧。

「次ぃ!」

 こん棒。

「糞っ!思ったよりめんどくせぇな手前! 全然合う奴が無いじゃねえか!」

「めんどくせえのは手前だ爺! さっきから武器を投げて寄越すんじゃねえ! 殺す気か!」

 取っ組み合いになりかけたところでアラリックが割って入り、カッとなった爺も俺も落ち着いた。

「店の裏に来な、小僧。こうなったらとっておきのを出してやる」

「上等だ、爺。どうせしょぼいもんだろうが、見るだけ見てやるよ」

 爺についていき、店の裏口に出ると倉庫らしい建物があった。

 鍵を開けて爺が中に入り、しばらく大きな音がしていたと思ったら、何かを引きずりながら出てきた。

「振ってみな」

 相当な重量があるようで、今度は投げつけてこなかった。

 真っ黒なそれは、いくつかの節に分かれたものを接いで棒状にしている。

 長さは俺の背丈ほどだろうか、刃が無いので、鈍器なのだろう。先に行くほど細くなり、先端は鋭く尖って槍の穂先にも見える。

 全体に返しになっている突起が付いており、突き刺した時に抜けにくくなっている。

 握る柄も相当太い。ぎりぎり指が回る。

 しかし、持ってみると分かった。

「なんか、しっくりくるな」

 試しに数回振ってみると僅かにしなるのが分かる。そして、その武器が自分の奥深くとつながった感覚がした。

「決まりだな」

「ちっ、手間かけさせやがって」

 アラリックの声も、爺のぼやきもどこか遠い。今何か、見えないものでこの武器と自分は一体になったような気がした。

「あれの代金はいくらですか?」

 俺が棘付きの棍棒、もしくは槍、に夢中になっている脇で、アラリックが爺と話し始める。

「金貨一枚になります」

 金貨一枚もするのか、これ。意気揚々と振り回していた俺の動きが止まる。

「それは高い、もう少し何とかなるでしょう」

「そうだそうだ!」

 爺はため息をつくとこの武器の由来を滔々と語りだす。要約するとこうだ。

 曰く、この武器はかつて西大陸へ侵略した開拓民たちが討伐した魔獣の一部を加工したものである。

 曰く、その魔獣はとても強大な魔力を持ち、魔術を使いこなして開拓民を苦しめた。

 曰く、魔獣の魔力はこの武器にも宿っていて、通常ではあり得ない強度を持っている。

「したがって、金貨一枚が妥当な値段であるというわけです」

「なるほどな、じゃあ仕方ねえか」

「こら待て、オド。金貨一枚払ったら、食料はどうやって手に入れるんだ!?」

「うっ」

 確かにそうだが、この武器はどうしても欲しい。

「頼むよ、アラ」

 この子はもううちの子なんだよ。心なしか武器も俺と別れたくなさそうにしているし。もうこれは買うしかないんだ。どうしても欲しいんだ。

「うっ、ここでその呼び方をするのか」

 そうだ、今まで頑なにアラという愛称は使わなかったが、もうそんなこだわりは捨ててやろう。俺はなんとしてもこの棘付き棍棒を手に入れてやる。

「お願いします! 買ってください!」

 俺は大地に膝をつき、額を擦り付けてアラに懇願した。

「しかし、金貨一枚かぁ」

 なおも悩むアラに爺がこんなことを言う。

「おまけに丈夫な仮面と、食料の情報をお渡ししますよ?」

「何!?」

 きれいに俺とアラの声が重なる。

「本当に食料の在処を知っているのか!?」

「何処にある!? 爺、さっさと言え!」

 俺とアラに詰め寄られた爺は小面憎いほど落ち着き払っている。

「では、お買い上げいただけますかな?」

「情報が本当ならな」

 おっ、アラがついにこの子を買う気になった。

「ごもっともですな」

 重々しく頷いた爺は、俺たちをまた二階の応接間に案内した。俺は泣く泣く棍棒を離し、爺はそれを倉庫へ戻した。

「さて、話をする前に破骨棍をお買い上げいただきましょう」

 名前は破骨棍というのか、かっこいいな。

「情報が嘘だった場合、返品は可能だろうな」

 破骨棍使いのオド。いや、オドだと少し迫力が無いな。

「もちろんですとも」

 何かかっこいい名前を考えよう。

「仮面は戦闘の邪魔にならず、つけたまま食事もできるようにしていただけますね?」

 何が良いだろうか。オドという音は残したいな。

「中々商売上手なことですね、良いでしょう」

「では、商談成立」

「ええ」

 アラと爺が握手を交わす。

「では。食料についてですが、こちらをご覧ください」

 爺が一枚の地図を取り出す。

「現在、代王率いる十万の軍勢が天山の西の麓に陣を張っています」

 爺の太い指が大きな山の左側を指す。

「対するのは鬼人族の惣領率いる軍、約一万」

 一万対十万と言われてもぴんとこない。

 それにしても、戦争なんてやっていたのか、全く気づかなかった。

「それほど兵力に差があるなら、決着は早々につくでしょう」

 アラの言う通りだ、何しろ十倍だからな。

 しかし爺は首を振る。

「いえ、鬼人族の全兵力は五万。そのうち四万を代王国内部に進出させ、後方攪乱をしているのです」

 こうほうかくらん、とは何なのだろう。

「なあアラ、こうほうかくらんってなんだ」

「この場合は、軍隊の武器や食料を横取りするということだな」

「なるほどな」

 つまりは盗賊ってわけだ。

「そしてその入り込んだ鬼人軍は小部隊に分かれ、代王国の西半分を荒らしまわっています」

 爺の指がぐるりとさっきの天山とかいう山の周りに円を描く。

「そのため、ここフスクの町も含め、大量の避難者が代王国の東側に逃げてきています」

「なるほど、それで町の入り口や道の端にあれほどよそ者が入り込んでいたのですね」

 あいつらは鬼人から逃げてきたのか。

「はい、鬼人軍は略奪を繰り返し、徐々に東へ移動しています。この町の近くにもそろそろ現れるでしょう」

「おい、爺。その代王とかいう奴は戦わねえのかよ。自分の縄張りをを荒らされてるんだろ?」

「十万の中には西の町々の守備隊も含まれていて、町にも村にももう戦えるものがいません。代王軍も引き返そうとすれば鬼人軍の追撃を受け、鬼人軍を追い払おうとすれば鬼人の領土深くに引き込まれる状況です」

 しっかりしろよ代王様。もう負けそうじゃねえか。

 というか爺の口調が丁寧だな。

「状況は分かりました。それで食料はどこに?」

 アラはやはり大事なところをきちんと覚えているな。俺はすっかり忘れてたのに。

「ここです」

 爺が一点を指す。

「ここフスクの町の近くに、鬼人軍約二百人の野営地があります。そこには軍の輸送隊や村や町から略奪してきた食料が貯えられているのです」

 ということはつまり。

「お二人がここを襲えば食料が手に入ります」

「いや無理だろ」

 俺はすぐに否定したが、アラは何やら考え込んでいる。

「おい、アラ?」

「うむ」

「おーい、アラリックさーん」

「うむ」

 だめだ、うむとしか言わない。

「ところで爺、なんでそんなことまで詳しいんだよ。鍛冶屋のくせに」

 そう、この爺、やけにいろんな情報をもってやがる。

「小僧、知りたいか?」

 そういった爺の目が強い光を放つ。

 強烈な意思をまともに向けられた俺は、言葉を発することも、頷くことも出来ず、ただその目を見返すことしかできない。まるで魔獣と向かい合っているようだ。

「けっ、餓鬼にゃあまだ早え」

 カダンが視線を外すと俺は一気に力が抜けた、椅子に座っていなかったら腰が抜けていたところだった。

 今日はここに泊まれとカダンに言われ、逆らう気力の湧かなかった俺は大人しく従った。

 その後、うむとしか言わないアラを部屋に引っ張り込み、顔を手で挟み込んだ。

「おい、アラ。なんなんだあの爺は。どう見てもただものじゃねえ」

「うむ」

「何とか言えよ!」

 業を煮やして思い切り頬を両側に引っ張った。

「にゃんほふぁ」

「そうじゃねえよ!」

 アラの意識がようやく戻ってきた。

「カダンさんは、西大陸で十本の指に入る大商人の一人だ」

 何を言っているのか分からない。

「あー、つまり?」

「この大陸の大金持ち」

 とんでもない爺だった。いや、爺呼ばわりは失礼だな。

「なんでそんな奴がこんなところにいるんだよ!」

「趣味が小さい店の経営なんだそうだ」

「知るか!」

「まあ、私もボルテの手伝いをしていて知った時は驚いた」

 聞いたことのない名前が出てきた。

「ボルテ?」

「ああ、私と一緒にいた樹人の商人だ」

 あいつはそんな名前だったのか。

「なんかどっと疲れた」

 今日はもう飯食って寝よう。

 窓の外は夕焼けで赤くなり、そろそろ飯の時間だと俺の腹時計が言っている。

 アラとカダンさんのところへ飯の相談をしに行くと、体を洗ってこいとたたき出された。

 倉庫の脇に井戸があり、そこで旅の埃を落とす。

 アラは裸の付き合いはまだ心の準備が、とかごにょごにょ言って逃げてしまったので、一人で先に使った。

 また近くの食堂から飯を運んでもらい、外に出ないようにして食べた。どうにも人の多い所は窮屈だ。

「明日、仮面を作ってやる」

 カダンさんがそう言ってくれたので、少しはこの町を見物できるだろうか。

 村や野宿ではお目にかかれない柔らかい寝床に倒れこむと、すぐに意識が薄れていった。

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