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九王記  作者: 荒木小吾
一章 西の大陸で
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38話 暗雲

 一晩明けた。

 応急処置をして崩壊を防いだ王宮。近頃私は書類仕事に追われている。税金、食料配分、土地権利、財産分与、裁判、各地への使者の派遣。

 等々。

 激務だった。

 文官で生き残った者が少ないため、そういった事務仕事がひっきりなしに舞い込んでくる。

 そんな中でもなんとか時間を作って、現状把握のために、情報共有を行うことにした。私は全く外に出ていないので、軍の仕事の様子や、魔人との融和、市場の様子もまるで分からない。

 オイスクとフリティゲルンが来ていた。

 書類を抱えている。仕事部屋としてあてがわれている雨漏りのしない部屋の、山盛りに書類が積まれた机に、新たな書類が積まれた。

「陛下、少しお痩せになりましたね」

「食事は?」

 開口一番心配されてしまった。

「食べている物は、皆と変わらない。魔獣の肉と、野草と、僅かな穀物くらいかな」

 自然と食料問題の話になった。

「住民の数が分かってきたそうですね」

「そうだな。若干の出入りがあるが、おおよそ二万二千で確定できそうだ」

「それは…、ずいぶんと減りましたね」

「オイスク殿、そうなのですか?」

「はい。元は十万人が暮らす、大陸一の都市でしたから、五分の一に人口が減ったことになります」

「そうなる。しかし―」

「二万人ちょっとの食料ですか…」

「本当に頭が痛い」

 保存のきく乾燥させた穀物はある。無くはないと言った方が的確か。

 最も古き魔獣達の一人、コモチの魔術によって呪いの雨が降ったために、かなりの量が駄目になってしまっている。呪いの雨は建物を溶かし、身体を溶かす。武器も食料も、被害を受けていない物を探す方が難しい状態だ。

 魔獣の肉を食って凌いでいる状況だが、魔獣の肉が全て食べられるわけではない。当然、量は限られている。

 窓の外を見る。城壁の向こうに、茶色の地面の上でちまちまと動く人影があった。

「食料の増産は始めている」

 軍をはじめとして、生き残りの民も畑に入って食料増産を図っている。呪いの雨が土壌を汚染しきる前にコモチを撃退できたことは、本当に僥倖だった。

 アルフォンソがぶつぶつ言いながら瓦礫をどかし、無事な畑を割り振り、穀物の配分に頭を悩ませていることだろう。

 都合のいいことに、代王都の生き残り達は濃い濃度の魔力を耐え抜いた影響で、強靭な肉体を手に入れていた。一応ギルダス達魔術師と、ベーダを筆頭にした治療師達で継続的な研究、もとい検査はしているが、今のところ目立った異変は見つかっていない。

 未知の現象に、魔術師達は大喜びだった。検査に熱を挙げ、それ以外はひたすら研究をしている。

 急ピッチで代王都の復興は進んでいる。

「ボルテが動いて、物流の確保も目途が立ちそうだ」

 知り合いの商人に使い魔を飛ばし、情報を共有している。

 驚くべきことに、早くも行商人が代王都へ入り込んできている。薬、古着、ちょっとした魔道具なんかは、やや高めではあるが手に入るようになってきている。

「若の方でも、物資の確保は順調です。運んでくるのにやや時間はかかりますが」

 ヘンギストが彼の父親から受け継いだ道がある。各地の商人や、食料の生産地を繋ぐ、物流の道だ。

 ボルテのルートが表なら、ヘンギストの道は裏の道と言える。

 麻薬や密造酒、禁止されている武器なんかも取り扱っていたようだが、今は止めさせている。それどころではないのは、私もヘンギストも共有している認識だ。

 食い物が足りていないのに、武器を売っても仕方がない。

(まあ、五・六年もしないうちにまた始めるだろうが…)

 その時の備えとして、契約書を書いてもらった。

(私をなめて、密売を始めた時が運の尽きだぞヘンギスト。あの契約書がただの契約書だとは思わないことだ)

 くくく、と悪い笑いをかみ殺す。

 自分でもずいぶん逞しくなったと思う。性格が変わったとは思わないが、シンゲツとの戦いの中で、自分の行いを背負う覚悟は定まったということだ。

 行動を起こせば、良い事が起こる。そして、必ず悪い事が起きる。万人に対して利益しか生み出さない行動など存在しない。

 魔獣との戦いの中で学んだことだ。

「そういえば、生物の活性化について分かったことは無いのか?」

 フリティゲルンは首を振った。

「申し訳ありません。あの魔力災害をくぐり抜けたあらゆる生命が、魔力・体力共に強化されたことしか。強化された肉体のおかげで復興は順調なのですが、元気が有り余っている者もおります」

「そうか」

 ギルダスが喜び勇んで研究していることの一つ。生命の活性化だ。魂の強化とも言える。

 魔力災害をくぐり抜けた生きものは、動物植物を問わず以前よりも強靭な肉体と魂を手に入れた。人の体力と魔力が強化されたのもそうだが、飼いならして家畜としていた魔獣や、畑で育てていた穀物や野菜までもが強力な種へと変化していた。

 かくいう私も、一度戦場で魔力の嵐に巻き込まれなければ、シンゲツの力をこの身に宿すことができたかどうか。

 そして、確実に私の身体は変質した。とはいえ、あまり腹が空かなくなったことと、魔力と体力が強化されたこと以外では、生活に関わる問題は見つかっていない。

 オイスクが口を開く。

「新たに畑の麦が魔獣化し、たまたま畑に出ていた住民に討伐されたようです」

「ふむ、またか。死骸の処理は?」

「仮説の魔術師の研究所へその住民が死骸を持ち込んだところ、食べられると判明しましたので、食料の足しにしたそうです」

「そうか、逞しいな」

 初めに似たような報告を受けた時は驚き呆れたものだが、すっかり慣れた。

 入植者の二世や三世は非常に逞しい。

「報告を受けただけで、百件を超えていますが、今のところ大きな問題はおきていません」

「勝手に食べて、体調が悪くなった者はまだいないんだったな?」

「はい。事情を聴く機会があったので聞いてみたところ、祖父母や両親に、得体のしれない肉や草を食べてはいけないと、厳しく諭されていたそうです」

「さもありなん、という感じだな」

「ええ、まあ。かくいう私も、幼少期には散々先代に教えられました」

「そうなのか」

 オイスクが先代と言う人物は、私が代王都の用水路で出会ったヘンギストの父親だろう。

 しかし、先代の代王。父よ。あなたはちっともそんなことを教えてくれなかったな。十人いる息子の十番目だからか。それとも、王族には不要と判断したのか。

 今になって、聞いてみたいことが山のように出てくる。

 いなくなって初めて、父の大きさが分かってくる。

 泣き言は言っていられないが、こんな時に父親がいればと思ったことは一再ではない。

「それらを踏まえて、ギルダスをはじめとする魔術師からの報告があります」

「どれだ」

「これです」

 オイスクから、魔獣の皮の塊を渡された。

「臭いな」

「仕方ありません。紙は不足していますから」

(それにしてもギルダス、紙が不足しているからと言って、臭いの残った魔獣の皮を使わなくても…)

 見慣れた字が、雑多に踊っている。

「師匠、張り切りすぎて字が読みにくいぞ。どれどれ」

「ウォーディガーンへ。我々が話力災害と呼称している現象についてだが、君が手に入れた魔獣の記憶と魔術的な解析結果を分析した所、今回代王国を襲った事件のおおよその概要が見えてきた」

 ざっと目を通す。

 細かい所は、あとで師匠に聞いておくとして。

「九王という存在がいるらしい。全ての種族の生みの親で、伝説の大戦によって力を失い、世界に散らばっているのだそうだ」

「はあ…」

 オイスクはぴんと来ていない。安心しろ、私もだ。

 シンゲツの記憶をも奪ったために、知識としては持っている。しかし、それと理解していることとは別の話だ。

「その存在を復活させるために、魔獣たちが動いたんだそうだ」

「復活のために大量の魔力が必要だったと?」

 フリティゲルンは呑み込みが早い。

「そうだ。まだ推測ではあるが、この世界に存在する魔力は元々九王の物だったかもしれないそうだ」

「すいません。まだよく分からないのですが…」

 ちんぷんかんぷんなオイスクとは違い、フリティゲルンは魔力についての理解が早い。驚くべき知識量だ。私ももう少し勉強しておけばよかっただろうか。

「例えば、ある九王の自我が目覚めたことがカギとなり、もともとその九王の物だった魔力が集まったのかもしれない」

「しかし、肉体が完全でなかったために、魔力は溢れ、復活はできなかった」

「肉体が魔力の器だから…?」

「そうだ。そして肉体と魔力は関わり合っている。魔力、つまり魂を完全なものにすれば肉体も引っ張られて元に戻る。まあ、逆もまた然りだが」

「あの時現れた魔力を吸い上げる何かは、魔獣を生み出した九王という存在だったと?」

「まあ、あくまでギルダスの仮説だが、だいたいそういう事だ」

 そこで報告書を読み終えたと思ったら、もう一枚魔獣の皮が出てきた。二枚まとめて巻いてあったのに気が付かなかった。

「ウォーディガーン、高濃度の魔力に耐えきった者とそうではなかった者がいた件についてだが、調査中ではあるもののの面白い事が分かったので報告しておく。あと、研究に必要な薬剤が全く足りていない、早く何とかするように」

「あいつ…」

 紙すらないのに、薬剤なんてもっと手に入りにくい。

 また、出費がかさむ。あとでボルテに泣きつくか。

「陛下?」

「いや、何でもない。それより、もう一つ分かったことがあるようだ」

「うわ、汚い。ギルダスは少し無頓着が過ぎますね」

 二枚目の魔獣の皮の報告書は、一枚目より更に臭いがきついし、所々血糊が付いていた。きっちりしたオイスクでなくとも眉をひそめたくなる。

「なにが分かったのですか?」

「うーん。代王都で魔力にやられた者達は東からの流入者だったということらしい」

「ほう?」

「そう言われてみると、確かに入植者の一世の死亡率は高いですが…」

「まあ、魔獣に襲われたり少ない水と食料を争ったりで、死んでしまった者達も多いからな。一概にそうとは言えない」

 入植者の一世なんて、とうに百歳を超えている人ばかりだ。魔力がどうのこうのではなく、いつぽっくり行ってもおかしくない。

「ふむ、ばらつきがあるのは当たり前と思われますが、なぜ入植者の一世が?」

「それはどうも、世代を重ねるごとに高い魔力に順応していくことが理由らしい」

「魔獣を飼いならして家畜にするときの逆ですか」

「ああ。徐々に環境に適応していくということのようだ」

「そうすると、東大陸からの移民はしばらく控えた方がいいのでしょうか」

「そうなる。いつまた九王が現れるか分からないからな」

 嫌な想像だが、備えておくに越したことは無い。少なくともあと八人はいるからな。

「とすると人が増えません。代王都の力を伸ばすにしても限度がありませんか?」

「そのことは心配するな。ボルテとフリティゲルンが対策済みだ」

「はあ」

 不安げなオイスクをよそに、代王都の復興は今日も続く。

 西大陸、代王国ロムルス、代王都から遥か辺境の、とある領主の屋敷にて。

「なに、それではあの十番目が王座を継いだと?」

「はい。そして、私共をないがしろにし、怪しげな魔術師共を傍に置いているのでございます」

「あなた方は、代王都では名の知られた名医と薬師ではないか」

「はい。何でも、治療師と名乗る小僧が不可解な方法で傷を癒すと言い、代王へ取り入りまして…」

「ふうむ…」

「お願いでございます。どうかお力添えを―」

「しかしな、我が領地は魔獣の群れの襲撃を受けて、手ひどくやられてしまった」

「そんな―」

「水のような体を持った、特に強力な魔獣が率いる群れでな、すぐに代王都へ向かうことはできんのだ」

「分かりました…。ではしばし、ご領地の復興にこの身を御使いください」

「うむ。怪我人も多い。頼りにしているぞ」

 また、他の領主の陣では。

「近頃鬼どもが騒がしくてかないません。あなた達のような高名な方が来てくださるとは、心強い限り。兵たちも安心します」

「はい、ゆくゆくはあなた様が代王都へ入ることを願っております」

「ええ、いつまでもあの小僧に大きな顔はさせませんよ」

 巨人種の前線基地近くにて。

「―! ―、――!?」

 轟音。轟と共に乾いた土埃が舞い踊り、人影が数十は空に舞い上がる。

「魔術師! 勢いを削げ!」

 号令が戦場に響くと、戦士の鎧に刻まれている、幾重にも重なった魔術式の一つが輝いた。

「ぐえ!」

「ギャッ!!」

 悲鳴を上げつつも、地面に落下した戦士たちは素早く起き上がる。

「第二波来るぞ、頭下げろ!」

「―!」

 巨人語の叫びが戦場に木霊する。

 最前線で巨人の猛攻をしのいでいる頃、後方の治療所では魔術師と医師が戦士の治療にあたっている。

「痛み止め、それと血止めを早く!」

「また一人倒れた! こっちはもう手いっぱいだ! 何日寝ていないと思っている!!」

「早く重傷者を後方に運べ! 負傷者を床に転がすことになるぞ!」

 お世辞にも連携がとれているとは言い難かったが、魔術師と医者の連携方法などを心得ている者はいなかったし、修羅場の中で悠長に考え事をしている暇などは無かった。

 代王国ロムルス、南方、石人山脈への街道にて。

 石人の一軍に、人種が二人足止めを食っていた。

「―、―。―。―――。―」

「通訳、なんだって?」

「北の方から魔獣がたくさん流れてくるから、この街道の先は通行止めになっているらしいです」

「おいおい、じゃあ他の道は?」

 通訳がすぐさま石人語に直す。

「―――――。―」

「海岸まで行けと言っています。山脈の東端に、関所があると」

「馬鹿を言うな! 何日かかると思ってるんだ!」

「し、しかし…」

 怒鳴った人種は、重たそうな荷物を背負ったまましゃがみこんだ。

「魔獣の大群が来るというからさっさと逃げてきたのに、どこにも行く当てがなくなってしまった…」

 通せんぼをした石人が、どこか気の毒そうに話しかける。

「――――――?」

「え? なんだって?」

「仕事は何かと聞いてきました」

「医者だよ、薬師も出来る」

「―――?」

「石人の治療はできるか、と」

「ああ、できる。代王都ではこの大陸中の種族の治療をしていた。代王都はどんな種族でも暮らせる数少ない都市だったから」

「―! ―――?」

「魔獣に対抗するために、近くに砦を築いたのだが、医者も薬師も魔術師も足りない。よければそこで仕事をしないか、ですって!?」

 通訳の声が上ずった。荷物を背負った人種が、へたり込んだ所から目にもとまらぬ速さで立ち上がる。

「やる」

「―?」

「本気かと聞いています」

「やると言ったらやる! この際、夜露を凌げるならどこでもいい!」

「―――、―――」

 石人が懐から取り出した皮紙に何かを書きつけて、血判を押す。きらきらと灰褐色に光る印が付いた皮紙を渡すと、道を開けた。

 配下だろうか、後ろに整然と並んでいた一軍が道を開ける。

「おお、ありがとう! 恩に着る!」

「―!」

 通訳が礼の言葉を叫び、二人の人種が足取りも軽く歩き去っていく。

 石人の隊長が、切った指先に薬草を塗りこんだ。

 魔獣の来襲があり、石人山脈の麓にあった村がいくつか襲われた。何かの理由で縄張りを追われた魔獣が、こっちの方へ流れてきたらしい。

 一族の長老たちが集まって対応を協議した結果、いくつか砦を築いて備えることになる。そこまでの対応をしなければならなくなったのは、そんな魔獣が十や二十ではなかったからだ。

(よほど大きな縄張り争いがあったのだろうか…)

「隊長。そろそろ交代の時間です」

「お、もうそんな時間か。今日は平和だったな」

「ええ、めっきり魔獣が減りました」

 土の中から頭が一つ飛び出る。

「伝令です。交代の人数が到着しました」

「了解」

 頭が地面に引っ込んだ。

 隊長はその場に半数を残し、近くの駐屯地へ向かう。

(さっきの人種は無事についたかな)

 代王都方面から来たようだし、色々話を聞いてみよう、などと考えつつ、石人の斥候部隊隊長は帰路についた。

 その姿を草陰から覗く、小さな者がいた。

「うふふふふっ! そろそろ情報が行き渡る頃かしらぁ! 楽しみねえ!」

 虹の輝きを持つ小さな羽の、小さな人影は、心底楽しそうな声を残し、その場でくるくると舞い踊って、姿を消した。

 その羽の色と全く同じの花が一輪咲いているほかは、何の痕跡もない。

 西大陸、霧に覆われた妖精の里。

 感覚を共有する分身が花に姿を変えたことを確認して、妖精種の長、花小人の王、妖花王ベシュトは閉じていた目を開いた。

 つぶらな瞳は、草につく夜露のように小さく、美しい。

 瞳が小さいのと同じく、その体は花弁ですっぽりと覆ってしまえるほど小さかった。

 玉座の代わりとなっている、妖花王の一族の花である明草の花にちょこんと腰かけている。明草の花弁が発する淡い虹色の光と同じ光が、妖花王の背から生える羽からも発せられている。

「やっぱり、人種の情報伝達速度はまだまだね。ようやく、代王国中にあなた達のことが広まり始めているわ」

 こっちはもう、一歩も二歩も先をいっている。ぐい、と伸びをして羽をはためかせて宙を舞う。

「妖花王、侮れば痛い目を見るぞ」

 きらきらした鎧のタチマチが厳めしい声で水を差す。

 妖花王の全身をすっぽりと覆ってしまえる掌の持ち主だが、妖花王は怯まない。

「分かってるわよ。私だって、まさかあんな戦力差をひっくり返すとは思っていなかったし」

「皮肉か? 妖花王」

 ねばねばしたフツカがイラついた声を出す。それでも妖花王は、その身に宿る美しさと魔力に絶対の自信があったし、月影の眷属達は互いの力関係をよく分かっていた。

「かりかりしないの。何事も心の余裕を失ったら上手くいかないわよ。月影の眷属さん」

「兄さんの容体は?」

「ここの里で一番の魔術師が治療しているわ。でも、まだ意識は戻らないみたい」

「そう…」

 憔悴した様子のコモチが落ち込む。それを見ると、ベシュトは可笑しくなった。

「コモチ、急ぐことはない。タチマチ姉さんも、フツカ兄さんも、今やるべきことをしませんか?」

「サンヤ…。そうだな…」

 連絡役として長い事各地を飛び回り、今はこの妖精種一の里にいるサンヤが、月影の眷属達を引き連れて、シンゲツと、目覚めていない兄弟姉妹のいる治療所から離れていく。

「一番しっかりしてるのが末の妹なのねえ」

 まあ、戦っていなかったから傷を負っていないということだろうけども。

「ま、べつにいいけど」

 これから連中は各地に散り、時を待つ。

 奴らの母親、九王の一柱である月影の復活はまだまだ諦めていないようだ。

(封印を解いた私が言うのもなんだけど、やるだけ無駄なのよね。あなた達以外の皆が邪魔をするから)

 世界を循環する魔力となった月影の魔力。それは膨大な量になる。

(そんな大量の魔力を一つの器に納めれば、必ずどこかで魔力は足りなくなるでしょうし)

 魔力の流れも滞るだろう。

 そうなれば。

(そうなれば、高い魔力に適応している私たち妖精、花小人種の命に係わるわ。それと他の種族も)

 魔力は、濃い所から薄い所へ移動する。

 世界に満ちる魔力よりも自分の持つ魔力の濃度が高くなれば、体の中から魔力が流れ出てしまう。つまり、魂がその形を保てなくなってしまう。

(世界の事より、母親と兄弟姉妹の復活、か。悪いけど、あなた達には消えてもらわないとね)

 伝説の存在をこの目で見てみたいとは思うけど、身内に危険があるのなら、私が楽しめなくなってしまう。

(太古の九王が暴れる所を見物しようと思っていたけど、それはちょっとリスクが大きいからやめにしましょ)

 その代わり、せいぜい彼らには大きな戦乱を起こしてもらおう。

(うーん。やっぱり本命の対抗勢力は若い代王よねー)

 ひ弱な引きこもりだった彼は、どこか一皮むけたような気がする。

(よし。決めた。やっぱりあの代王が死に物狂いで連中と戦うところが見たいわ! 他の勢力には、ちょっと引っ込んでもらいましょ)

 そうと決まれば話は早い。

「道化! モーシェ!」

「御身の前に参上しております」

 最も信頼する側近を呼んだ。

 赤と白の入り混じる、不気味な羽を靡かせてモーシェがやって来ている。

「相変わらず早いわね」

「面白い事を思いついた陛下の前に参上するときは、素早く動かなければいけませんからな」

「老体に鞭打たせてごめんなさいね」

「なんの。陛下が楽しそうに笑う姿を見るためです」

「素敵な口説き文句だこと」

「我が創造主、夢幻様譲りの軽口でございますよ」

 妖精種、またの名を花小人種は、年を取らない。

 このモーシェは、私の意識がはっきりした時からずっと変わらない姿のままだ。なのに本人は夢幻という妖精の創造主のことを覚えているらしい。

 見た目は私と同じくらい可愛いのに、とても不思議だ。

「はい。軽口は御終い。お仕事を頼めるかしら?」

「もちろんでございます」

「そう? この間シャーマンのポロンとの魔術比べに負けてから、ふさぎ込んでいたじゃない」

「ですから、気晴らしをして来いと言うのでしょう?」

「あらら、お見通しってわけね」

「ほほほ」

「うふふ」

 しばらく二人でくすくすと笑っていた。甘い香りの漂う妖精の里の中を、どこからか流れてくる花びらが漂っている。

「じゃあ、お願いね―」

「―なるほど、久々の大仕事ですなあ」

 ゆるりと風が吹いて、モーシェの姿が消えた。

「ほんと、楽しみねえ」

 西大陸は今のところ平和だった。

「でも、平和っていうのは、戦乱が起こらないとその価値に気が付かないわよね」

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