37話 始動
崩れかけの塔の中。
魔術と剣戟、肉体と肉体がぶつかり合う戦場。
マンゲツは焦っていた。
私が体毛を編んで作りだした腕を、巻竜に認められた戦士が槍一本で軌道を逸らす。代わった身体の戦士の呼び出した竜巻の牢獄を、コモチが魔道具を多重展開して散らした。虚樹の眷属の魔術が塔中に張り巡らされ、タチマチが術式を叩き切る。
兄、シンゲツからの知らせが全く来ない。
「奴だ、生きている。マンゲツ、ここは任せたぞ」
それだけ言って塔から出て、日輪の眷属が作った大きな集落に向かって行ったのだった。
体毛を増やす。四つに増やした巨大な腕で乱打を浴びせる。槍でいなされ、裁かれて、手元に入ってくる。稲妻の如き突き。体毛を重ねて防御したが、殴られたような衝撃がくる。
コモチの魔道具が宙を飛び交う。数えきれない種類の魔術が発動し、それが吸収されて、放出される。返された魔術を魔道具が受けると、それが鍵になり、増幅された魔術が発動した。
塔の内を覆いつくす木の枝と根をいくつにも分身したタチマチが切り開く。木片が散ったと思うが、木尾紛れになった破片から、新たな芽が芽吹いて、塔の内はいつしか樹の牢獄と化していた。
護衛としてえりすぐった連中が、虚樹の眷属を邪魔しようとしているが、二人組の戦士に阻まれている。
其の最中、知らせが届いた。
「兄さんが、負けた…?」
「ああ、そうだ。一応生きているが、母の復活の術を組めるような状態ではない。というか、早く手当てをしなければ、魂が崩壊してしまう。魔力を取られすぎている」
各地を荒らす役割を担っていた次兄のフツカに抱えられ、長兄のシンゲツが、息も絶え絶えで塔の内へ戻ってきた。
「指揮権は姉さんに移る。が、この状況だ、撤退するしかない」
液体の躰でシンゲツ兄さんを優しく包んで、フツカはそういう。
「そうするしかないか…」
塔の護衛にあたらせていた魔獣達は、目の前に佇む三人の戦士に敗れて、地に伏した。
連携して向かってくる敵と、タチマチ、コモチ、それと私、マンゲツの三人で戦っていた。一進一退の攻防だったが、やがて次兄フツカや八女サンヤが到着し、押しつぶせる算段が立っていた。
「くそ」
塔の内には、戦いが中断された奇妙な緊張感があった。
一瞬、逡巡した。
(向こうの三人の戦士は、フツカの参加でうかつに手が出せない。かといって、こちらもシンゲツ兄さんがやられて最大の目標が失われている。さっきフツカは、魔力を取られたと言った。あの小僧あたりの仕業だろうが、魔力をものにしたのなら、次に打つ手は群れを散らせることだ)
「撤退だな」
コモチが何か言いかける。
「―了解です。姉上」
しかし、タチマチが遮った。武闘派の彼女なら、ここでごねると考えていたのだろう、当てにしていた味方を失って、コモチは口を噤む。
「フツカ、兄さんをタチマチに渡せ。お前に殿を頼む」
「分かった。どれだけ持たせればいい?」
「数秒でいい。全開で行け」
「分かった」
シンゲツ兄さんを受け取ったタチマチが、兄さんを鎧の内側にいれた。
液体の身体を持つフツカが、魔力を高めていく。三人の戦士たちが防御の構えをとった。
「ふん!!」
フツカの身体が、ねばねばした大海と化す。激流を産む。包み、取り囲み、まとわりつく。樹の牢獄が、フツカの身体に飲み込まれて、煙を上げて溶けていく。
「コモチ、フツカが時間を稼いでいるうちに、母さん達を逃がせ」
「―うん」
慎重すぎると笑ったが、緊急用の転移術式を仕込んでおいたシンゲツ兄さんが正しかったということか。
「させんぞ、魔獣」
しわがれ声が響く。
魔術師の爺か。
(よりにもよって、このタイミングに!)
「ね、姉さん!」
「慌てるな、奴が取り付いているのは復活用の魔力収集術式だ」
「その通り。その術式を、お前に照準を合わせてつかうぞ、コモチ。それくらいの意識は残っておる」
「死にぞこないの爺が―」
毛を伸ばし、魔力収集術式をばらばらにした。
「はっはっはっ、無駄じゃ。もう、術は、発動、し―」
フツカの身体に飲み込まれていた三戦士は木の根の球体に囲まれている。
「マンゲツ姉さん。そろそろ奴らが来る」
「タチマチ、フツカの援護だ」
「了解! 月虹、最大出力!」
コモチの全身に、制御文字がびっしりとまとわりつく。一部の隙間もないその量は、コモチの魂の形すら残さず吸いつくされてしまうだろう。
コモチはちょっと困ったように体を見て、優しく笑った。
「姉さん。ごめん。ここまでみたいだ。でも、転移術式は大丈夫、もう起動したよ。兄さんと姉さんが稼いでくれた時間の内には間に合う」
「うるさい! お前も兄さんも、弟も妹も、誰一人死なせない! 黙って見ていろ!」
(あと、数秒しかない。なにか、何か考えないと―)
駄目だ。
駄目だった。駄目なのだ。もう、フツカとタチマチの魔術はギリギリだ。コモチに掛けられた術は複雑で、シンゲツ兄さんでもないと解除できない。そのシンゲツ兄さんも、命の瀬戸際だ。
(私が、わたしが、しっかりしないと、皆の、お姉さんなんだから。もしもの時はって、シンゲツ兄さんに皆を任されたんだから―)
しかし、何も思いつかなかった。
三人の戦士の眼光がこちらを射抜いた。
「―兄さん。母さん。皆。私が残って食い止めるから、逃げて」
残っている魔力を二つに分ける。
シンゲツ兄さん、フツカ、タチマチ。半分の魔力を全て込めて毛を伸ばし、投げ飛ばした。音よりも早く、ここから飛んでいく。
樹の牢獄など、初冬の薄氷のように打ち破った。
「ねえさ―」
「嫌―」
もう半分を、コモチに掛けられた制御術式へ込める。
「それだけあれば、何とか助かると思う」
コモチも投げた。
「嘘だろ―」
遠くで、母さんと兄さんの力を感じる。
同胞たちの殺気が削がれていく。
視界の端で転送術式が発動した。
(じゃあね、母さん。ミカヅキ、ナノカ、ヨウカ、ココノカ、トオカ、イザヨイ、イマチ、ネマチ、フケマチ、ハツカ、サンヤ)
「敵ながら、見事」
槍を持った奴。
「何度目かしら。こんな光景。本当に、戦場ってどうしようもないわ」
樹の奴。
「逃がしたくなるほど良い仲間を持ったんだな。アンタ」
光る奴。
「まあ、そう褒めないでよ。照れちゃうでしょ」
魔力が完全に空っぽだ。毛の一本すら動かせない。
(そうでもしないと、あの竜から逃げられないだろうしな。しょうがない)
槍の穂先が突き付けられる。
「言い残すことは?」
(言い残すこと、か。一つ挙げろと言うのなら―)
「中々、楽しかった」
槍の穂先が入ってくる。腕が良い。あまり痛くなかった。
息を吐くように、魂が抜けていった。
「さらば。月影の長姉」
フリティゲルンがそう呟くと、マンゲツだったものが淡く光を放つ。
柔らかい月光の色だ。
光は、ほろほろと崩れて、マンゲツの身体が、光の粒として消えていく。
塔の内側に残るのは、マンゲツだった物の残りだけになっている。
「相棒。終わったぞ」
相棒の巻竜が戻ってきた。
巻き起こる風で、光の粒が上りたての月の方へ飛んでいく。
その瞬間。三人同時に感づいた。
感覚ではとらえきれない、大きすぎる者がここに来る。
「あああ、マンゲツ…」
世界を流れる魔力の脈から、声が響く。
「我の後ろに来い!!」
「相棒!? 分かった!」
全員、巻竜の後ろに引き込んだ。竜巻の結界が張られる。
そして、慟哭が吹き荒れた。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
魔力と呼んでもいいのだろうか。もっと純粋で、もっと力強い力。時々相棒の巻竜の魂の奥底から感じる力を高めたような力。
それが、爆発する。
悲しみの感情。怒りの感情。
収束していく感情と力の奔流が、マンゲツのいた場所にある姿を形どった。
私は、その姿を表現する言葉を持たない。
ただ、圧倒的な存在感に対する恐れと共に、そこはかとない懐かしさを抱いていた。不思議な感覚だった。
目を背けたいほど荒々しいのに、ずっと見ていたくなるほど懐かしい。
それは、マンゲツの身体だった月色の光の粒を大事そうに抱え込んだ。その仕草にはっとするほどの優しさを感じて、私の頬に熱いものが溢れた。
(涙…? 両親の葬儀以来か…。しかし、なぜあれを見て…?)
スティリコも泣いていた。私とスティリコの涙を、巻竜とボルテが得体のしれない物を見るようにしている。
それは、来た時とは対照的に、月が沈むように去っていった。
「なんだったのかしら、今の」
「分からん。そういうのはもっと頭の良い奴に聞いてくれ」
「そうですね。あれについては、情報を共有して、学者の方に相談してみましょう」
何者かは分からないが、超越している者を見た後にしては、不自然なほど穏やかな気分だった。
気づくと、もう黄昏時だった。
「そういえば、その竜喋れるのね」
ふと気が付いたようにボルテが言う。
「案外賢いんだな」
「フン!」
無礼な発言に相棒が怒った。スティリコが巻竜の鼻息で吹き飛ばされていった。
「のあああぁぁ―!」
塔の外へ出る。
槍の穂先を地面についた。一息つく。
(この後は…。一旦陛下のところへ顔を出そうか)
「ボルテ。あなたの連れている若者二人を預けてくれませんか?」
「ずいぶん急ね」
ボルテは、魔術で樹を生やして椅子を作っている。呑気にお茶で一服していた。
「今後、彼らをずっと雇うつもりですか?」
ボルテは一呼吸おいてこう言う。
「そんな予定はないわ。好きにすれば?」
「よし。ではついてきてくれますか? アラリック、オドアケル、それとスティリコ」
と言うわけで崩れかけの塔を後にした。
「改めましてお目にかかります。陛下。フリティゲルン参上しました」
魔獣をシンゲツの力で退けた後、ウォーディガーンはアルフォンソの指揮していた軍をまとめていた。
そこに、フリティゲルン、スティリコ、アラリック、オドアケルが私の前にやって来る。
魔獣が去って、代王都を取り戻した私だが、休む間もなく肉体労働に励んでいた。戦いの後だったが、魔獣の魔力を食った後のためか、それほど疲労は無かった。
不思議なことだが、アルフォンソ軍の者達もずいぶん損害が少なく、体力が残っているようだった。
「ああ。ご苦労だったな。色々と」
「ははっ」
慣れた仕草で膝をつくフリティゲルン。アラリック、オドアケルが慌ててそれに倣う。スティリコはそっぽを向いていた。
「そのうち、私の友も集まる」
「はっ」
フリティゲルンがかしこまる後ろで、二人が窮屈そうにしている。
「悪いんだが、話は今晩にしよう。今はとにかく、一晩過ごせる寝床と、飢えを満たせる食料を一食分、日が落ちる前に二万人分用意しないといけない」
非戦闘員は未だ拠点にとどめて居る。崩壊寸前な建物が多いし、魔獣が完全に居なくなった確証もないのだ。シンゲツの力を奪ったはいいが、使いこなすには程遠い事を、私自身がよく分かっていた。加えて、そこら中に魔獣や戦士の死骸が転がっている。魔獣の死体は解体して当面の食料の足しにする。戦士の亡骸は、殺された代王都の民と共に葬ってやらなくてはならない。
そういうわけで、負傷者を除く戦士たちは瓦礫の撤去と、魔獣の解体に大忙しなのであった。
「今は民達を抑えているが、彼らも早く自分の家に戻りたいだろうし。家族を葬ってやりたいはずだ」
「では、お手伝いいたしましょう」
「俺はやらん」
「スティリコ―」
「戦いはやってやる。が、いいように使われるのは御免だ。じゃあな」
「スティリコ!」
「いい。フリティゲルン。魔獣を倒す手伝いしてくれるだけでも十分だ」
「しかし―」
「事情が事情だ、時がかかる」
そう言うと、フリティゲルンはそれ以上言い募りはしなかった。
ふらりと去っていったスティリコの水晶のような体が見えなくなり、フリティゲルンとオドアケルとアラリック私の四人で瓦礫を片付けていく。
遠くで、瓦礫を片付ける戦士たちの声が聞こえている。
「こっちに魔獣の死骸があったぞー」
「瓦礫どかす丸太持って来い!」
「アルフォンソ様ー! 何処ですかー?」
肉体的にはともかく、精神的には疲労困憊だったろうに、嫌な顔もせず、むしろ和気あいあいと片づけをこなしていく。あれだけいた魔獣の姿が見えないことが、心の救いになっていた。
夕日が完全に沈み、しばらく経つ頃。
「そろそろ今日の作業は終わりにしようぜ」
「ヘンギスト!?」
すっかり忘れていたが、生きていたのか。
「陛下。僅かですが、食料の配給です」
「あ、ありがとう。オイスク。無事だったんだな」
「なんとか」
二人が生きていたのが、素直に嬉しかった。シンゲツの相手をしていた二人が姿を消した時、二人の生死については考えるのをやめていた。
どこかで死体が見つかるかもしれないと思っていたが、無事なようで安心した。
「色々話は後だな。じゃ、俺らは配給に行ってくる。飯は一緒に食おう。焚き火起こしといてくれ」
「失礼します。陛下」
荷車を引いて、暗黒街の顔役二人が配給を配る。行く先々で、歓声が挙がった。
廃材を使って焚き火を起こす。
「ウォーディガーン。来たぞ」
「陛下、本当に、ご無事で…」
ふらりとギルダスが現れて、ベーダが続いてやって来る。
「陛下。ボルテ、参りました」
「―。ふん」
ボルテに無理に連れてこられたようだ。スティリコはかなり不快そうだ。
「陛下。この爺をこんな人外魔境に連れてきてどうなさるおつもりかな?」
「爺、うだうだ言ってねえでさっさと来い」
「若、無礼です」
配給が終わって、ヘンギストとオイスクがやって来る。アルフォンソの爺さんも連れてきてくれた。
「大体揃ったかな?」
「ゴルルルル…」
旋風に目をつむった。瞼を開けると、フリティゲルンの背後に巻竜が舞い降りている。
しかし、この場に逃げ出すようなものはいなかった。流石に皆腹が座っている。
「失礼した。巻竜」
さて、揃ったところで。
「飯にするか」
「ん?」
きれいに声が揃った。
大きめの焚き火の上に、これまた大きな鍋。私、ギルダス、ベーダ、ヘンギスト、オイスク、フリティゲルン、ボルテ、スティリコ、アルフォンソ、巻竜は除いて九人分の肉を煮込んで、ギルダスが見つけてきた器によそる。
空には、星が光っている。ちらほらと見える焚き火の明かりのほかは、ただ夜の闇が広がっている。だからだろう、星の光が目に染みた。
侘しい食事だが、一日何も食べずに過ごしてきた身にとってはごちそうだ。疑問の声を挙げた皆だが、今は黙々と食べている。
「ふう―」
誰かのため息が聞こえて、何となく食事の時間が終わっていく。
「ここに集まってもらった面々が、これからの代王国、いや西王国ロムルスの柱になる」
何となく私が話し始めると、皆黙って聞いてくれる。
なんてやりやすいんだ。魔獣への対応を考える会議とは大違いだ。スティリコでさえ、文句を言う気配がない。
「フリティゲルン、スティリコ、アルフォンソ、ヘンギスト、オイスクは代王軍の立て直しだ。当面の食料調達と、土木工事も任せる」
現状、軍は一番やることが多い。
「ギルダスは魔術師をまとめる」
これは決まっていたこと。
「ベーダは治療師をまとめる」
これは、もう認めるしかない。
「ボルテは流通」
命じなくとも勝手にこの国の物流を握るだろう。
「アラリック、オドアケルは各地を回り、魔人を傭兵として集める」
ここも、勝手にやるだろう。
「巻竜、あなたは、私が指示する立場にない。あなたの心に従ってくれ」
これも当たり前。竜に指図できる者の方が少ない。
「そして、契約を交わす」
そこで、大人しかった雰囲気が、ちりつく。
「これが契約書だ。それぞれに配る」
何のことは無い、そこいらに落ちている端切れに、いくつか文言を描いただけの契約書だ。
それが配られる。人によって、大きさも中身も異なる。
例えば、ヘンギストの物。以前に交わした契約書の文言と変わらない。人、物、金の繋がりを私に公開する事なんかが書いてあり、その代わりに、私はそれらの繋がりを黙認するという内容だ。オイスクも似たような内容だったか。
それぞれ、契約書をじっくりと読んでいる。
最後に書いてある文言の意味をよく考えて、血判を押せば契約成立だ。
「今すぐに契約を求めはしない。私の臣下に下れば、当然それに伴う義務と権利が発生する」
そう。お互いに義務と権利を負う。
ギルダスならば魔術の知識と魔術師を提供し、私は魔術に必要な金銭と材料を提供するし、ベーダならば治療術の技術を差し出して、代わりに代王国では医師や薬師と同等の地位を得る。
「分かり切ったことだろ」
ヘンギストが躊躇いなく血判を押す。オイスクも続いた。この二人は最もこの考えに馴染みやすい。
「もとより、覚悟はできています」
フリティゲルンが押した。紫色の血判が、契約書に押される。そもそも契約と言うのは、元はこの人の考え方だしな。
「私は、一旦保留とします」
軋る声のボルテが、契約書を懐にしまう。アラリック、オドアケル、スティリコも続く。
「おい、スティリコ」
「協力はする。お前に約束した通りだ、フリティゲルン。だが、そこの奴の家臣になるとは言っていない。違うか?」
「―陛下」
「契約の決定は、それぞれの意志によってのみ行われる」
「―御意」
さて、残るのは三人。
「私は構わない。文言の、師弟の関係は継続、という所が気に入った」
血判を押したのは、そこはかとなく偉そうなギルダス。しかし、シンゲツから私を助けようとした時の様子を見れば、そんな様子もほほえましい。
「私も、陛下のお力添えをお願いします」
白魚のような細い指先に、血の雫を溜めたベーダがそんなことを言う。金髪金目の美青年にそう言われたら、世の女性の恨みを一心に受けることになるだろう。
そして、アルフォンソだ。
正直、この爺さんが一番信用ならない。
もともとあのいけ好かない第六王子、もとい六番目の兄に肩入れして外戚の地位を狙っていた腹黒い奴だ。急場は凌いだのだから、儂はもういらんじゃろう、とか言って、他の領主のところへ行き、反乱軍を組織する。くらいのことをやってもおかしくない。
「一つ、よろしいかな殿下」
正式に即位していないと言って、殿下呼びを続けている。そのせいで、アルフォンソの部下にも私のことを陛下と呼ばない連中がいくらか居た。
「…なんだ」
「殿下は、この国をどんな国にしたいとお思いか?」
十日ほど経った。
夜更け。
私は一人で墓の前に立っている。
急ごしらえの墓だ。焼いた死体を埋めて墓標代わりの棒をさしただけの墓。
母の墓だ。
王宮の中庭に作った母の墓の周りには、父や兄弟、姉妹の墓もある。
魔獣の大群を発見してから、一月ほどしか経っていない。
(どれだけの墓を作ればいいのだろうか)
花を一輪手向けに持ってきていた。
墓の上にそれを置く、それだけ。
(死人が生き返るわけでもあるまいし、どうして墓など作らねばならないのだろうな)
母、いや、母だったものは、シンゲツの魔術で使い魔にされていた。シンゲツが力を失った時に、母の死体に戻ったらしい。
私の記憶の中そのままの姿で、王宮の中で倒れていた。
シンゲツは、王宮にいた者達をあらかた使い魔にしていたらしい。
ギルダス、ベーダと共に宝物庫に来た時、死体の数が足りなかったのは魔獣に捕食されたからではなかったようだ。
夜更けにも拘らず、代王都中で炎が揺らめいている。どこから聞きつけたのかは分からないが、軍による片付けが終わったと知るやいなや、住民のほとんどが代王都に戻ってきた。
戦勝の宴、という雰囲気は欠片もなかった。
高濃度の魔力に耐えられず、肉体と魂が崩壊して死んだ者。
魔獣に殺されたもの。
(あと、些細なトラブルが発展して人同士で殺し合いをした者達もいたな)
極限状態だった。
そこから解放されて、皆しばらく呆けたようになっていた。
西大陸一だった代王都が、瓦礫の塊になっていたからかもしれない。
家族が、行方も知れず、ただの骨になっていたからかもしれない。
これからの生活が、想像できなかったからかも知れない。
「いったい、どうしろと言うんだ」
そんな声がどこからか聞こえてきた。
それでも、いつまでも途方に暮れてはいられない。皆、気持ちを切り替えていく。
自分達には、開拓民としてこの大陸にやってきた人々の血が流れている。
絶望の淵まで追い込まれた時、
「何もしなければ死ぬだけだ」
と、誰かが言うのだ。
祖先の声なのかもしれないし、遠くで誰かが呟いたのかもしれない。
声に突き動かされて、転がっている骨を拾い集めた。
代王都の復興が、墓作りから始まった瞬間だった。




