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九王記  作者: 荒木小吾
一章 西の大陸で
35/68

34話 闘い

 魔獣と戦っている。

 初代代王から、この大陸の先住民や魔獣と戦ってきた。

 だから、シンゲツがボルテを襲った時、やっぱりかと思った。

「ぐへっ。げは」

 なぜかは分からないが、人種、シンゲツが言うには、にちりんのけんぞく、という存在と、魔獣達、げつえいけんぞく、の間には、越えられない壁が存在している。

 考え方が違うということだけではない。

 何か、根源に関わる何か、が決定的に違う。

 魔獣と話は通じない。アルフォンソがにやりとするだろう。

「ぶっ」

 血の塊と一緒に、奥歯を吹いた。

「キョォォオオオ!!」

 巨体がのたうち、追跡してくる。

 ヘンギストは、オイスクは。

 シンゲツを抑えている。

 シンゲツに呼び出された魔獣が、宙を泳ぐ。私へ殺気をぶつけてくる。

 しかし、どういう訳か魔力が使える。

「オオオオオ!」

 直進してくる魔獣の通り道に、その体がすっぽりと通るように、魔術式の筒を創り上げる。

 速度をあげ、真正面から突っ込んでくる魔獣。その速度に、突風が吹き荒れた。

 魔術式が発動する。杭が筒の内側へと生えていく。

 魔獣が皮膚を硬化させた。

 魔力を込める。魔術式が崩壊する寸前まで出力をあげ、何とか貫くとはいかないまでも、押さえつけることができた。

「ギョアァァァ!?」

 身動きの取れなくなった魔獣の脳天に、腰の剣を突き立てる。

 魔獣が白目をむき、動かなくなった。剣を引き抜くと、ねっとりとした黒い液体があふれ出る。

「急がなければ―」

 鎧に刻まれた制御文字に魔力を流す。魔力を決まった形へと変換させる文字、制御文字が流した魔力を魔術へと高める。

 飛んでくる瓦礫除けの魔力の道を作り、その内を魔術で加速した私の身体が飛んでいく。

 気分は用水路を泳ぐ魚だ。

「シンゲツ!」

 さっき魔獣に吹き飛ばされてできた塔の壁の穴。そこから飛び出ると、出合頭にさっき仕留めた魔獣の頭を投げつけた。

「無残な…」

 シンゲツが纏う魔力が、漆黒の扉を形作り、魔獣の頭を優しく包み込む。

 その扉の内から、狂気にも似た魔力があふれ出ている。

 月明り。月光。人を狂わせる輝き。

 得体のしれない何かが、扉の向こうからやってくる。私は、それと対面してはいけない。直感が警報を挙げた。

「お前には、この者の相手が望ましいだろう」

 出てくる。

 それが。

「か、母さん…?」

「ウォーディガーン」

 ぼろぼろの衣服を身にまとっている。

「私に、話しかけないでくれ…」

 血色の悪い顔だが、目には確かに生気が宿っている。

「出陣の見送り以来ね」

 感じる魔力の流れも正常だ。元の物とは大きく変わっているが、根本的なところには母さんの名残がある。

「あなたは死んだんだ…」

 可笑しげに、シンゲツが宙で一回転した。

「ひと月は立ったのかしら? しばらく見ないうちに大きくなったわね」

 母さんも私に微笑みかける。

「嫌だ…。嫌だよ、母さん…」

 その手には、塔の石材の塊が握られていた。母の細腕では持ち上げられるはずの無い大きさで、それを片手で引きずることもなく、母さんは私に微笑みを向けている。

「死んで頂戴」

「く、くそったれ…」

 身動きはとれなかった。

 まともに喰らった。

 どうしろというんだ。

 殺せばよかったのか。

 殺せるはずもない。死んで操られているのならまだしも、確実に生きていた。恨んでいるのなら楽だろうが、母さんは私を愛してくれていた。

 私が冷酷な王なら、あるいは。

「あら、咄嗟に魔術で防御したのね?」

 巨大な石材を振り被り、母さんは何度も何度も叩きつける。衝撃が、だんだん私の心を壊していく。意識が遠のいていく。

 視界が白くなり、目の前にはシンゲツから分かたれて独立した魔力となった、私、の黒い影がある。

「よう。大変そうだな俺」

「―仮にも私なら、そんな他人ごとのように言うのはおかしいぞ」

 白い世界に、黒い人影が二つ。

 俺と、私。

 もしくは、シンゲツだった者と、ロムルス・ウォーディガーンという男。

「まあ、あの人に関する記憶は共有しているな」

「だったら、分かるだろう。あの人を、母さんを、私は殺せない」

「世話になったからなあ」

「そうだ。小さなころから遊んでもらった」

「いろんな本を買ってもらったよな」

「私だけが王宮に入ってからだって、機会を見つけては、会いに来てくれた」

「うっとおしい程心配してくれたよな」

「もらったものに対して、返せたものは本当に少ない」

「王宮の伝手で、旨いものでも送ってやればよかったかもな」

「きっと喜んで食べてくれただろう」

「あの王宮で過ごしていた時ときたら、どうやって存在感を消すかばかり考えていた」

「本の世界に逃げ込んでな」

「あの、王宮の隅の小さな部屋だけが、私の安らぎの場所だった」

「でも、そこから、友が増えた」

「師匠面するガキ、悪ぶってる怠け者、堅物に、嫌味な美形」

「ほんの数日だったが、私の隣で共に戦った従者たちも居た。戦友だ」

「テングートの若当主は良い奴だった」

「なかなか、いい人生だったんじゃないか?」

 私は、もう疲れてしまった。今はただ、あの小さな部屋に戻りたい。

 振動が遠くに聞こえる。

 ウォーディガーンは地に付している。

 金属が擦れ合う音。鋼と鋼が重なる臭気が立ち込める。

「成敗!」

「うるせーぞ、ゴラァ!」

 オドアケルが、タチマチの巨剣を受け止め、跳ね上げた。

「シッ」

「シャアッ!」

 一呼吸の内にアラリックとアスラウグがタチマチへ襲い掛かる。タチマチの身体の一部、鎧の部品が空を飛ぶ。

「ふん!」

 しかし、タチマチが魔力を練れば、吹き飛んだ鎧は新品同様、元の位置へと収まっていく。

「ふふふ。何度同じことを繰り返せば気が済むのですか?」

「うるせえ! バーカ!」

 得意げに仁王立ちしているタチマチに、身長ほどもある棘付きの棍棒片手にオドアケルが喚く。

「馬鹿…?」

 ピクリとしたタチマチの右腕には、巨剣。剣線の煌めきよりも早く、振るわれる。

「なめた口を聞いてくれますね…」

 オドアケルを両断するように、何度も、何度も。

「うるせー。喋ってないで本気でかかってこい」

 オドアケルは防御をすることなしに、全ての太刀をその身で受けた。鋼と鋼のぶつかり合い。火花が散り、鈍い音が激しく鳴る。

 傷一つない。

「いったいどんな体をしているのですか―」

「覇アッ!」

「く!」

 破骨棍が横薙ぎに振るわれる。タチマチの足を形どっていた部分が弾け飛んだ。

「だから無駄だと―」

「むん」

「オラァ!」

 弾けて飛んだ部分を、アラリックが毛皮の袋の口を大きく開けて受け止める。

 袋ごと、アスラウグが部品を放り投げた。

「な、何をする!?」

「戦ってる最中によそ見してんじゃねえぞ間抜けぇ!」

 足を失いながらも両手のみで体を支えていたタチマチに、オドアケルが躍りかかった。

 技もなにもあったものではない。ただの力任せの滅多打ち。

 鋼を打ち据えた反動で、破骨棍が跳ね上がる。勢いをつけて、打ち据える。跳ね上がる。打ち据える。アラリックとアスラウグが、千切れて飛んでいく部品を集めて放り投げていく。

「ぐ、この、やめ―」

「ダアァァァァ!!」

 破骨棍の勢いは最高潮に達しつつある。

「くふ…」

 ひしゃげた兜だけが、ひび割れて粉々になった鎧の破片の山に落ちている。

「ひー。しんどい」

 鎧の部品が動き出さなくなったのを確認して、オドアケルがぐったりと棍棒を打つ手を止めた。杖代わりに床に突き、体を預けてぐだぐだとしている。

「うん。少し休憩」

「だなー」

 三人の戦士が、息もつかせぬ連携の切れ間を作った。

 塔の内側、外側の戦場に意識を配りながら、つかの間の休息を取る。

 息を整え、次の相手を見定めていると。

「もう、勝った気でいるのですか?」

「あん―」

 獣人の腹部に金色の手甲がめり込んで、アスラウグが塔の内壁を突き壊して飛んでいった。

「アスラウグさん!」

「アラリック! どけ!」

 金色の月光を宿した巨剣が、破骨棍と噛み合う。

「ほう。相当な業物のようですね。この私の月虹を受け止めるとは」

 鎧が一回り小さくなって、色が変わっている。見る物を不安にさせる金色の鎧を新たな体として、タチマチはオドアケルに殺気を向ける。

「手前の得物がなまくらなだけじゃねえの?」

「ふっ。ではその身で確かめて見なさい!」

 黄金の鎧となったタチマチの背中に、魔力の奔流が生まれ、激流の如き勢いがついた。

「う、うおおおおおおお。おされ、押される」

「オド!」

 タチマチの月虹が、オドアケルの破骨棍が、重なり合い、火花を立てる。

「まだまだ、まだまだ、まだまだっ! まだだ!!」

「ぐ―」

 塔の床が崩れ落ちた。足場を失って空中を落ちて行くオドアケルを、タチマチが魔力で宙を進み、その巨体をぶつける。

「ああああああぁぁぁぁぁぁぁ―」

「オド、待って!」

 地下へと落ちていくタチマチとオドアケルを追って、アラリックが、落下する床の瓦礫を伝って降りていく。

 瓦礫を足場に、アラリックが地下室の柱へ飛びつき、伝って床へと降り立った。

 地下室は、オドアケルが墜落した所に窪みができている。

 黒々とした棍棒が、回転して、床に突き刺さった。

「どれだけ頑丈なのですか、あなたは」

 土埃が舞っている。

 真っ黒な黒鉄の腕が伸びて、破骨棍を掴んだ。

「鎧に頑丈さを褒められるとは光栄だな。仲間に自慢しとくか」

 よっこいせ。

 口調は軽い。が、立ち上がった足元はふらついている。

「こっちは一人減って、あんたはお色直しが済んだ。こっから二回戦と行こうか」

「いいでしょう。あなたの武威、底の底まで引き出してごらんに入れます」

 オドアケルが魔力を込める。破骨棍は、脈を打ち、生き物のようなしなりを帯びた。

 タチマチが魔力を込める。月虹は、どこまでも冷たい月明りのように、ぎらついた光を放つ。

 一方その頃。

「おーいちち。あのアマ。新しい体まで持ってやがったか」

 内臓に傷を負ったのか、アスラウグは口をもごもごさせて、ペッと血の塊を噴き出した。

 天井がある。砦の兵舎にぶつかって止まったらしい。

「あー、酒は駄目になっちまったか」

 真面目な場所だというので、隠し持っていた酒瓶があったのだが、尻に敷いてしまったらしい。

 粉みじんのばらばらだった。

「どっかに酒はねえかなー?」

 冷たくなっている尻を掻き掻き、兵舎の寝床の下を物色する。

「お?」

 どこかの誰かの酒瓶の代わりに、妙なものを見つけた。

 そして、背後に魔力の、いやこれは魔術の気配。

「そこのお前、動くな!」

 でかい魔力。さっきまで戦っていたタチマチという魔獣に近い程かもしれない。魔術で移動してきたか。

「その、持っている物を元の場所に戻すんだ」

 上の方、雲の近くに嫌な感じがある。

「早くしろ、獣!」

 後ろの奴は焦っていた。声で分かる。

 でかいのは魔力だけの若造のようだ。一人でやれるか。誰かと合流するか。

「へええー。そうかい。こいつが大事かい」

 にやにや。

 思いっきり口元をゆがめて笑ってやる。

「お、おい…?」

「お前、名前はなんていうんだ?」

「そ、そんなことお前に―」

 魔道具を握りこむ。めきりと音を立てた。

「コモチだ」

「そーか、コモチ。良い事教えてやるよ」

「はあ!? そんなこと言ってないで、さっさとそれを置けよ!」

「ははは。敵に弱みを見せたらこうなるのさ」

 よく見えるように、魔道具を放り上げて爪で砕く。

「あーーーーーーー!!」

 縦に長い黒い筒、魔獣のコモチが体をくの字に折り曲げる。

「せっかく頑張って設置したのに」

 落ち込んでいる。

 敵なんだよな、こいつ。

 やや気が進まないものの、戦場で情けをかければ命取りになる。

 戦場の掟に従う。それしかない。

「悪いな、これも仕事の内だ」

 コモチは、急所が分かりにくい体をしている。

 とりあえず、折れ曲がった身体をさらに曲げて、曲げて、曲げた。腕力で折り畳み、歪な板状になった。

「―今一つ殺した感じがしねえな」

 魔力の気配は既に感じられなくなった。大きな魔力の気配が消えたので、アタシがいる建物の外の様子が分かるようになってきた。

 上の方に、大きな魔術の気配。

 たくさんの人の気配。それと魔獣の気配。

 後は、嫌な感じがする魔力の気配が、この砦の中央付近にある。

「どうしたもんかな」

 オドアケルとアラリックの方も気にかかる。しかし、魔獣は百万いるという。

 頭を潰す作戦らしいが、思った以上に戦力には開きがある。加えて、こっちにもでかいのが一匹いるようだった。

「よし決めた」

 こっちのでかい奴の相手をしよう。オドとアラは、まあ、何とかするだろう。

 建物の外に飛び出した。

 雨が降っているが、なんだかピリピリする妙な雨だ。

 魔術が掛かっているのは間違いない。

「魔術の使えるものは、まず防御に専念しろ。呪いを受けた者は、いったん下がって雨をよけろ。雨具は支給してある。装着次第、戦線に戻らせろ」

「了解しました」

 呪いの雨、雨粒にあたると、当たったところから石化していく。

「指揮官が出てきたな。殿下の仰っていた上位の魔獣か」

 押し寄せる魔獣は散発的になり、すぐに下がるようになった。が、しばらくすると一撃二撃と攻撃をして、新手と交代するようになった。今までの、押し寄せる波の動きとは明らかに異なる。

 殿下は、魔術の師の館で黒い箱のような外見の魔獣と遭遇し、交渉をしたらしい。

 西大陸を開拓してきて、百年間遭遇してこなかった未知の強力な魔獣。

 未曾有の大群をまとめている以上、指揮能力がある個体がいる可能性は考えていたが、戦術まで使うとは驚きだ。

「全く、枯れかけた爺をわくわくさせてくれるわ…」

「やや戦線が後退気味です。押し上げますか?」

「下げろ」

「はっ」

 戦線を下げる。

 乗っている屋根から、遠眼鏡を使わずに前線が見えるようになった。

「この分では、半数を下げても問題あるまい。小隊の半分を休ませておけ」

「伝えます」

 こまめに伝令のやり取りは続けている。

 現在、呪いの雨が降り始めたタイミングでいったん崩れたが、態勢を整え直したところだ。崩れた時に二三の小隊が魔獣の群れに持っていかれた。

 それを鑑みても、驚くべき損害の少なさである。

「この間の魔力の奔流が、何かを変えたのかのぅ」

 戦闘開始からしばらく経つ。戦士たちの動きに陰りが無い。

 戦いの序盤で予想以上の魔獣を屠った時から、妙な感じは受けていた。

 始めは、今まで戦ってきた魔獣よりも、個体の戦闘能力が低いのかと考えた。しかし、ここまで来ると別の原因を考えざるを得ない。

「殿下を見習って、魔術の勉強でもしておけばよかったかもしれんな…」

 呪いの雨はしとしと降っている。

「殿下の師匠の連れの魔術師共はどうしている?」

「第一小隊、第二小隊として戦線へ投入しています。呼びますか?」

「そうだな、休憩の交代時にこちらへ来るように伝えてくれ」

 雨具を頭からかぶった伝令が駆けて行く。雨にあたらなければ、石になることは無い。

 かと言って、雨具で動きは制限される。間段なく降る雨に濡れまいとすれば、剣を振るう腕も鈍ってしまう。

(殿下、残されている時間はそう多くありませんぞ)

 士気に関わるから、声には出さなかった。

 アルフォンソの思いが届いたか、どうか。

「この樹人、心の深淵で何かと戦っていますね」

「ベーダ! 詩人のような言葉遣いは止めろ! 聞いていて痒くなるだろ!」

 ボルテは、心を侵食する者と戦っている。

 気にいらない、全く持って気に入らない。しかし、この金髪金目の優男のほうが、人の心、精神についての造詣が深いと認めてやらねばならない。

 人の優れた所から学ぶのもまた、学者たる者の務めであるからな。

「はいはい。でもギルダス、現状が分かったところで、解決方法はまだ―」

「ふん。私を誰だと思っている。代王都一の魔術師の息子だぞ。お前の見立てを聞いて、目算は立った」

 弟子のウォーディガーンに宝物庫を案内されて、数日籠ったのは、単に知的好奇心を満たすためだけではない。

「こんなこともあろうかと、運べるだけ運んで手元に置いてある」

「手荷物はないようだけど?」

「ここにある」

 魔術師の象徴ともいえる杖と、外套と、帽子。帽子の内側に魔力の籠った宝石を縫い付けて、外套の下には秘伝の魔術式が掛かれている巻物を体に巻き付けて、杖は宝物庫に会った中で一番相性のいい物をくすねて、いや、もらい受けてきた。

 加えて、数十冊の魔術書を徹夜で読みこんできた。

「不純物を取り除く魔術を応用して、こいつの中にあるものを引っぺがしてやる」

「そんな、人の心と薬草の実験を同じように扱うのは危険だ、ギルダス。よした方が―」

「うるさい! 私の邪魔をするな! 拘束!」

 純白の肌に、魔力で作り上げた縄が絡みつく。拘束の魔術で動きを封じられたベーダが床に転がる。

「ちょ、ちょっと―」

 素早く、制御文字で魔術式を描く。

 ボルテの魂と肉体の情報を取り出す。情報をもとに、それ以外の物を体外へ排出させる。

 範囲の設定。出力の調整。制御文字を書いていく。

「グルルルルゥー。ガァァアアアッ!」

「うるさい! 私の邪魔をするな! ベーダ!」

「ちょ、ちょっとまてぇぇぇ―」

 魔術の気配を察知した魔獣が寄ってくる。ベーダを投げつけておく。死にはしないだろう。

「できた…? 初めて用いる知識でこの完成度…。我ながら自分の能力が恐ろしい…。んふふっひ」

 初めて使う魔術はわくわくするな。思わず変な笑い方をしてしまう。

 魔力の注入と書き込んで、制御文字で書かれた魔術式に、起動のための魔力を流し込む。

 淡く輝き、魔術式が動き出す。

「おお!」

 輝きが収まった。

「おお?」

 ボルテは目を覚まさない。魔術が失敗した、違う、途中でキャンセルされている。何か制御文字で足りないところがあったのか。

 魔術が、情報不足で動作不良を起こしている。

「おい、ギルダス! 私を魔獣の餌にするつもりですか!?」

「うるさい! 私の邪魔をするな! 魔獣の邪魔が入らないようにしておけ!」

「さ、さっきからの君は―」

「沈黙」

 口をパクパクさせているベーダは置いておき、魔術式とにらめっこする。

 目につく間違いはない。何が原因でボルテに掛けた魔術が作動しないのだろうか。こういう時は、初めから手順を確認した方が早い。

 魔道具の機能を確認し、術式を確認し、制御文字の文法と綴りを追っていく。術式同士の接合も確認して、干渉具合を調節して、魔力の巡りも目を通した。

「分からない…。何が足りないんだろう……」

 脳裏に、焦げ付くような感じがある。何か、何かが引っかかっている時の感覚。

「ギルダス。邪魔をしたくはないが、戦う準備をした方がいい」

「ん?」

 ベーダ、いつの間に傍に来ていた。というか、私の術を解除したのか。

「邪魔をしないと言いつつ、私の思考を遮って―」

「いいから、準備をして。来るよ」

 そう聞くなり、こちらに、奴の意識が向いた。目の前に、あの時の光景が蘇る。

 魔力を吸い上げるもの。鎧。圧倒的な魔力。殺気。

 あの時よりもどす黒く、殺意に満ちた魔力が全身を包む。あいつは、ウォーディガーン達が抑えているのではなかったのか。

「お、おいベーダ。私とお前ではどうすることも―」

 出来ない。逃げたい。そう言う前に、遮られる。

「だったら何だい? ここに倒れている彼女を担いで逃げる?」

「それでは、逃げ切れない」

 恐怖で喉が鳴った。

 見捨てて逃げる。逃げて、再起を窺う。それも手だろう。

「見捨てはしないよ。私は、今の彼女のような―。いいや。今、代王都で、明日をも知れぬ身となっている人たちを助けるために、故郷からここに来たんだから」

 格好をつけるベーダの顎から、冷や汗が落ちる。全身、雨に打たれたようにずぶ濡れだった。

「き、きれいごとを。死んだら元も子もないんだぞっ!」

「覚悟を決めろよ、ギルダス」

 かくご。

「覚悟? 死ぬ覚悟か!? いいや、嫌だね! 私は死にたくないっ!!」

 近づいてくる。

 シンゲツが来る。

 奴の作り出す、空間を捻じ曲げる門が開く。

 魔窟から、魑魅魍魎の眼光が覗く。

「同感です。私も死にたくはありません」

 樹がこすれるような声がする。

「変わりゆく、この大陸を見ていたい。この大陸で生きていたい」

「は?」

「ボルテさん?」

 ピクリともしなかったボルテが起き上がった。

 樹木の香りが鼻を突く。同時に、黒い魔力が魂を震わせた。

「樹人、目が覚めたのか。中々腕の良い魔術師が居たようだ」

 間近でシンゲツの圧を浴びて、軽く漏らしそうになった。隣で、ベーダがしゃっくりのような悲鳴を漏らしかけて、口を押えている。

 震えている二人を横目にして、樹人が一人、最も古き魔獣を見つめた。

「シンゲツ。やってくれましたね」

「虚樹の眷属も、日輪の眷属も、我が母上の敵だ」

「はなから交渉をする気はなかったのですね」

「母上が和解せよと仰らぬ限り、貴様らと共に頂く天などない」

 魔窟の門から、ずるる、ずるりと異形がはい出てくる。

 あれは魔獣ではなく、魔力と魔術によって作られた使い魔のようなものだな。と、私の思考は現象を観察して死の恐怖を和らげようとし始めていた。

 その思考を外から眺めている、もう一人の私がいるような錯覚までしている。

 なんというか、間もなく死ぬと思えば、案外冷静になれるのかもしれないな。

「戦いは避けられないのですか。全く、あの者達が喜びますね」

 ボルテが、嘆くように首を振り、体を慣らすように軽く魔術を使っている。

 ぴょこん。床から木の芽が生えた。

「そういえば、魔力が吸われなくなっているな…」

「確かに…」

 ベーダと二人で、今更ながら驚く。妙な感じがあるなとは思っていたが、こんな大事なことに気が回らなかったとは。

「さて、場を整えましょうか」

 ボルテの手のひらから木の根が伸びる。

 シンゲツと使い魔が警戒して身構えた。

「育て!」

 樹人語で育てといった。木を育てるのか、この状況で。

 あっけにとられた私の頭が混乱している内に、ボルテの手のひらから生まれた木の根は伸びていく。

 塔の床に根を張った。

 枝を伸ばし、壁を突き抜けた。

 幹は太くなり、天井を突き抜ける。

「あだっ」

「いてっ」

 落ちてきた天井の破片が口に入ったベーダ。木片が頭にあたった私。

 葉が多い茂り、貪欲に魔力を吸収していく。

「まずい、母上の魔力がッ! あの樹を攻撃しろ!」

 シンゲツの使い魔が、瞬きする間にボルテの樹に襲い掛かっていく。

「お二方、ご気分は?」

「さっきよりはましになったが…」

「あの樹はいいのですか?」

「ええ、特に」

 何かの役割を持っている樹なのだから、守る素振りくらい見せるものかと思ったのだが。攻撃されるに任せている。いずれ枯れるかと見ていると。

 攻撃を受けて傷ついた部分が、制御文字の輝きを見せる。

「傷つけば、その分魔力を吸収して傷を癒すのか…」

「さすがはギルダス殿。ご慧眼です」

 ボルテは平然と会話をしている。

「結局、何が理由で目覚めたんだ?」

 ボルテに聞いても仕方がないが、非常にモヤモヤしたので口に出た。

「私見ですが、この術式にはサンプルの情報が不足していたのでは?」

「あー、それかー」

 それがさっきのシンゲツの魔力に反応して、術式が正常に作動したという訳か。

「くそ、なんでさっき気が付かなかったんだ」

「ギルダス。落ち込まないで」

「うるさい」

 肩を叩くな、慰めているつもりか。

「はいはい、ごめんね」

 呑気に話をしているが、ボルテの大樹は今も攻撃を受けている。

 使い魔がのたり狂う。

 噛みつき。

 火を噴き。

 削り取り。

 腐らせる。

「あの魔術、相当準備しただろう」

 攻撃を受けて、枝がもげ、葉が枯れて、幹が腐る。しかし、そのたびに生命力が増し、巨大になってゆく。

 今では、塔の内部の魔獣がほぼあの大樹にかかりきりとなっている。

「ふふ。さて、どうでしょう」

「おやおや」

 意味深な微笑みを浮かべるボルテに、ベーダが合わせる。

「もったいぶる意味が分からん。隠していることがあるなら、さっさと言え」

 とうとう大樹は、塔の天井を突き破った。

 瓦礫が、枝に引っかかって止まり、下には埃しか落ちてこない。本当に、どれだけ準備をしたのだ。これほどの魔術、一日二日では足りまい。

「ウォーディガーンめ、はなから戦うつもりだったのではないか」

 曖昧な態度をしやがって。

「と、そういえばあいつはどうしている」

「あいつ?」

「陛下のことですね。そういえば姿が見当たりませんが―」

 何かに気が付いて、ベーダが険しい顔をした。

 視線の先に、襤褸切れのような塊がある。

「おいおいおいおい。嘘だろ!?」

 ベーダが走る。私が飛んだ。魔獣の妨害が無いように、ボルテが援護してくれる。二三の魔獣が大樹から伸びる蔦に絡まり動きを止めていた。

「ウォーディガーン!!」

「陛下!!」

 動かない。

「息はあるか!?」

「ええ。この状態で、驚くべきことです」

 ベーダが治療師の顔になる。ウォーディガーンの四肢はひしゃげ、顔面の形すら怪しい。折れていない骨を探すのが難しい程だった。

「これはむごい…」

 肉塊になった弟子の前で、深呼吸をした。

「ボルテ、ヘンギストとオイスクもこの辺りにいたはずなんだ。魔術で二人の魔力を探しても、どういう訳か見つからない…」

「後にしましょう」

「そうか。そう、だな」

 頭の片隅に仕舞いこんだ。

 重い、黒い空気が漂う。ボルテの大樹が枯れかけていた。

「手こずらせてくれたな。おかげで、母上のための魔力をずいぶん王脈に流されてしまった」

 塔を超える背丈にもなっていた大樹が、漆黒の柱になる。

「あの術式に介入し、乗っ取りをかけたのか」

 震えが走る。私の技量を超える、魔術での戦いが起きている。

「復活の儀式の妨害くらいにはなったでしょうか?」

「全くだ。貴様のせいで計画が狂う」

 魔力が膨れ上がる。周囲の魔力を魂に注ぎ込み、シンゲツの魔力が高まっていく。

 高まって、昂って、猛る。

 魂が吸い込まれる。無駄だと思いつつも魔術の防壁を作ったが、シンゲツが起こす渦にあたりの魔力が吸いこまれていて、場の魔力が不安定になっている。

 影響を受けて、防壁が消えた。

「出よ」

 特大の、魔窟の門。

 二頭の龍がいる。

「竜種まで、手の内に納めましたか」

 地響き。

 かぎ爪が、食い込み、床が沈む。

「月の子よ。約定により、汝の敵を討つ」

 思念が、こちらにまで届く。どんな言葉でもない言葉が、場にいる者の思考に届く。

「月の子よ。約定により、汝の家族を守護しよう」

 黄金の龍と、白銀の龍。二頭の龍が、裂帛の咆哮を挙げる。

「伝説上で既に死んだはずの金竜と銀竜ですね。よく手懐けたものです」

 魔力に酔いそうだ。

 シンゲツ、金竜、銀竜。嵐のように全てを巻き込む魔力の奔流が、魂を吹き飛ばし、死を誘う。

「な、なぜそれほど落ち着いてんの?」

「ギィルダゥス。言葉遣いが変ですよ」

 大樹が風通しを良くした塔の中に、私とベーダとボルテ。瀕死のウォーディガーン。行方知れずのヘンギストとオイスク。

 砦の敷地の中ではアルフォンソの軍が魔獣を食い止めている。

「もうじき、竜巻が来るでしょう」

「はい?」

「―嵐に紛れて逃げるつもりか?」

 金竜と目が合った。金色の唾液が垂れて、落ちた所が黄金の水たまりになった。

 逃げられない。

「日輪の眷属の末裔と、虚樹の加護を受けし者」

「恨みはないが、恩を返すためだ。その命と魂をもらい受ける」

 大仰な台詞を紡いだ口が、太古の黄金と白銀が、牙をむく。一つ瞬きをする間に、血だまりに沈む自分の身体の幻を見る。

「た、ただでやられると思うなよ!」

「ギルダス、何を…」

 せめて一矢でも。過去最高の精度で、灼熱の魔術を発動させた。

 代王国の宝物庫から持ってきた魔道具で補助がかかる。えづきそうな濃さの魔力で威力を底上げする。

「太古の竜がどうした! 脳みそ溶かしてやる!!」

 口から泡を飛ばし、半ばやけくそで、半狂乱になりながら煉獄の炎を解き放つ。

 それでも、

「ふっ―」

 竜の一息で、私の魔力が散り散りになっていく。

 雨の前の生温い風が吹く。ボルテの言う通り、竜巻を起こしそうな嵐が来そうだ。

 こんな時に天気を当てても何にもならないがな。

「もう来ましたか。たまには、格好をつけるのですね」

「え?」

「誰が来たっ―。え?」

 嵐は、気が付かないうちに目の前に来る。

 竜巻と共に、二頭の竜の首が落ちた。

「ボルテ。外連味は、身を亡ぼすことになりますが、たまにはいいでしょう?」

「急いで急降下すると思ったら、小僧二人を助けるためか、フリティゲルン」

「ぶつくさ言わないでいただきたい。スティリコ。さんざん説明したでしょう」

 輝く水晶の身体の戦士。

 甲冑に身を包んだ騎士。

 ふらついて崩れ落ちる二頭の竜の身体を足蹴にして降り立った、竜巻の如き竜。

 私はその日、伝説を見た。

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