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九王記  作者: 荒木小吾
一章 西の大陸で
28/68

27話 ベーダ

 代王都の外縁に巨大な魔力が現れたことは、しばらくするとギルダスの館にいた全員が知るところとなった。

 なので、真っ先に飛び出していった魔術師達が帰ってくると、あっという間に人だかりができた。

 皆、口々に様子を尋ねる。しかし、魔術師達はやけに口が重かった。

「すまないが、私にも話を聞かせてもらえるか」

「少し、通してもらえますか? すいませんね?」

 私と陛下が人込みをかき分けていく。魔術師達はすぐに、こちらに気が付いた。

「ちっ。お前か」

「ちょっとあんた―」

 舌打ちをしたギルダスに食って掛かる老婆を、私は押しとどめた。

「御婦人、彼にはいろいろと事情があるんです。だから、私の顔に免じて抑えてくれませんか?」

「ベーダ様がそうおっしゃるのなら…」

「ちっ」

 そのやり取りにも、ギルダスは舌打ちをする。

「やあ、ギルダス」

「―ふん」

 挨拶をするのにも鼻を鳴らされる。ここまで嫌われるのには、ちゃんと訳がある。

「喧嘩はするなよ、二人とも。一日に二度も喧嘩の仲裁はしたくない」

 ぴりりとする空気を感じ取り、陛下がすかさず割って入る。このあたりのやり取りは、陛下が王子だったころと変わらない。

 ギルダスを前面に立てて、その他の魔術師はひそひそ話をしている。

「ホイホイ、陛下」

 痩せて骸骨のような魔術師が、変わった口調で口を開いた。

「何か?」

「さっきナ、突然出てきたデカい魔力の方へ行ってみたんだがヨ、色々あってナ、そのへん、ギルダスに聞いちくれ」

 口を閉じた。

「そうか。ご苦労だった」

 一応の体裁は整えたとばかりに、魔術師達は次々に姿を消していく。煙のように跡形もなくなったり、窓を伝って館の中へ入ったり、宙を歩いて去っていったり。

「え、ちょっと待って!?」

 面倒な報告を押し付けられたギルダスの声がむなしく聞こえる。 

 最後の魔術師は、地面をすり抜けて陛下の前から消え去った。

「ギルダス、帰ってきたばかりですまないが、出かける準備をしてくれ」

「は? え?」

「用事があるんだ。ベーダも来る。泊りの用意をしておいてくれ」

「いやいやいや、ウォーディガーン。そんなに急がなければならないのか?」

「民の前だ、陛下と呼んで欲しい」

 これはへそを曲げるな。ギルダスの機嫌が悪くなると睨んで、私も会話に混ざる。

「ギルダス、陛下は王宮の宝物庫に用があるそうだ」

「あん?」

 距離を詰めて、耳元で囁く。

「大変に強固な魔術で鍵がかかっているそうだよ」

「むう」

 葛藤しているのが目に見えるようだ。

 いいように使われているようで面白くない、しかし、王宮の宝物庫には興味がある。

「むむむ」

 十五かそこらの少年魔術師らしい悩み顔だ。普段の生意気さを思い起こすのが難しい。

 もう一押し、今度は陛下だ。

「東大陸系統の魔術師が、約百年前に掛けた魔術の施錠だぞ。絶対に面白い」

「分かりました。行きましょう!」

 軽快な決断だ。

 にやけそうになるが、ややこしくなるので顔の筋肉を引き締めた。

 陛下がこちらを見ている。

「ベーダ、ギルダス。残りの連中に、一応の警戒態勢を取るように伝えてくれ」

「構わない」

「いいですよ」

 小声でこそっと打ち合わせをして、私は仲間の面々に呼びかける。ギルダスは魔術で土に描いた文章を浮き上がらせて飛ばした。

「魔獣たちは、一応次の満月まで大人しくしているようですが、警戒は怠らないでください。統率を離れたはぐれが襲ってくるかもしれない」

「はいっ! ベーダ様!」

 それから、一応の装備を整えて、ギルダスの館の前に集まった。

「この三人で行くんですか?」

 館の門の前に立つのは、私と陛下とギルダスのみ。

「別にぞろぞろ連れ立って歩くこともない」

「一応代王を継いでいるんですから、暗殺には気を付けた方がいいと思いますけど」

「気を付けているから、二人に同行を頼んだのさ」

「ふん、買いかぶられたものですね。私の実力など、たかが知れているというのに」

「おや、ギルダス。いつもの高い鼻っ柱はどうしたんですか?」

「別に」

 ギルダスの元気がない。

「師匠。外壁の向こうにある巨大な魔力についての報告は、歩きながら聞こう」

 陛下がふらりと歩いていく。心なしか、足取りが軽いように見えた。

「まずは、そうだな、魔力の質から聞かせてくれるか」

「いいでしょう―」

 ギルダスの話が始まるが、それほど長くは掛からない。館から、王宮まで。その半分の道のりで、陛下の師匠の話は終わった。

「―というわけです」

「ほう、あの黒い箱と同格の魔獣か…」

「正直、勝てる気はしません」

 本当に鼻っ柱を叩きおられたらしい。意気消沈といった様子だ。

 しばし、ギルダスは大人しくしていた。落ち込んでいるのか、考え込んでいるのか、俯きがちに、私の前を歩き、陛下の前まで進んでいく。

 しかし、どうにも堪えかねるという面持ちになる。

 振り返った。

「ウォーディガーン、今からでも方針を変える気はありませんか?」

 切り込む師匠。

「方針? 何のことだ?」

 とぼける弟子。

 弟子を師匠がきつい目つきで睨み据える。

「魔獣と戦うつもりなんですよね」

「…」

 あらぬ方角を見る。

「陛下」

 私は、口を挟んでみる気になった。

「陛下。陛下は確か、この戦争を終わらせると私に言いました」

「…」

「戦って、終わるのですか」

 それとも。

「それとも、逃げて、終わるのですか」

 陛下は何も答えず。歩く速度を増した。

 代王都の中心、王宮が見えてくる。

 私たちは、王宮の門の前に立った。

「開門」

 門番は不在だが、門の両脇にそびえ立つ厳めしい石像が、台座からゆっくりと降り、重い赤茶色の木の扉を押していく。

 ウォーディガーンは答えないだろう。話を変えるか。

「随分とぼろぼろですね」

「恐らく、魔獣と一戦交えたんだろうな」

 門には、歯形、切り傷、向こう側が見えるほど凹んで穴の開いた箇所がある。

 ギルダスが、マントの内側から、小さな細長いガラスの筒を取り出した。

「何をしているんです?」

 私が聞いても、振り返りはしない。

 石畳を溶かして穴を作っている、ねばねばした黄緑色の液体を、ギルダスは魔術で掬い上げてガラスの筒に入れた。いくつか魔術をかけると、筒は淡く輝いた。

 満足そうにうなずくと、魔術師はそれをマントの中へ仕舞いこむ。

 魔術師は変人ぞろいだ。

 なんの説明もせずに変なことをして周囲をざわめかせる。

「二人とも、行くぞ」

 陛下は、開き切った扉の向こうへ歩き始めている。

「はい」

「ああ」

 王宮に入るのは初めてだ。こんな時でも、少しだけ興奮してくる。代王都に来てそれなりに経つが、貧民街や市場にいるのが多く、貴族たちの邸宅を見たことも少なかった。

 目に入るものどれもが物珍しい。

 ギルダスも同じらしい。術式がどうのこうのと、ぶつぶつ呟きながら忙しく宮殿の内部に目を走らせている。

「宝物庫は地下にある。少し歩くぞ」

 陛下が、見慣れない内装にきょろきょろしているギルダスの襟首をつかんで、引きずっていく。

「その間にあの魔力について聞かせてくれ」

 廊下の窓から城外を睨む。ここら一帯の魔力を吸い上げているやつのいる方角。

 胎動のような震えがしばしば身を打つ。

「私も、近くまで行けたわけではありません」

 魔術師が口を開く。私は、耳を澄ませた。

「タチマチと名乗る魔獣に、途中で足止めを喰らいました」

 宮殿の一角についた。陛下が封印された棚から鍵を取り出す。

「思い出しただけで、ぞっとします」

 陛下が歩いていく。二人で追った。

「あの魔獣の頭の黒い箱に勝るとも劣らない魔力です。こちらと会話は成立しますが、交渉はできませんでした」

 玉座の間を過ぎて、厨房を過ぎて、食堂を過ぎた。

「その魔獣に追い返されて、結局何も分からず仕舞いで帰ってきました」

 ふてくされている。自信過剰のきらいがあるこの秀才を、追い詰めてこんな顔をさせる奴がいる。

 タチマチというその魔獣、ギルダスの父の館であった黒い箱とはどんな関係なのか。

「そうか。命があっただけでも良かった」

 陛下の足が止まった。

 自分の足で歩いていたギルダスが陛下の背中にぶつかり、考え事をしていた私はギルダスの華奢な背中にぶつかった。

「痛い!」

 挟まれた魔術師が悲鳴を上げた。

「急に止まらないでください!」

 妙なにおいに気が付いた。

「血の匂い?」

 それに、腐臭のような臭い。

 先頭の陛下の様子が変だ。

「この、王族たちの自室の先に宝物庫がある」

 声が震えている。

 なら早く、と言いかけたギルダスの口をふさいだ。こいつ、魔術以外のことになると、時々、妙に察しが悪くなる。

「陛下。ここで待っていてください。私とギルダスで様子を見てきます」

 荷物の中から水の入った皮袋を渡し、震えている陛下を廊下の脇に座らせた。

 私が何をしているのか分からないといった顔のギルダスを引きずっていく。

「おい、触るな」

「なら自分で歩いてください」

「理由も分からないのに、お前と行動できるか!」

 本当に察しが悪い。

「魔獣の群れがこの代王都を襲った時、兵はほとんどいませんでしたよね」

「豪傑気取りの先代が根こそぎ連れていったからな」

「そう。街の住民のほとんどが犠牲になりました」

「知ってることばかり言うな」

「陛下の家族のことを考えてください。馬鹿」

「ばっ、バカ!? 私のことを馬鹿だというのか!?」

「失礼しました」

 逆上した魔術師にすぐ謝る。怒りの矛先を失い、ギルダスはすぐに冷静になる。

「いや。まあいい」

 先を見ると、どの部屋にも荒らされた跡がある。そして、魔力の気配はない。

「これじゃ、生存者はいないだろう」

「異常な魔力の流れがあります。感じ取れない可能性もありますから、念のため探してみましょう」

 反対されるかと思ったが、大人しくギルダスはついてきた。

「―あいつから、親の話など聞いたこともない。興味を持っていないのかと思っていたが、違うらしいな」

「―外側はらしくなってきていますが、この間まで王宮暮らしの引きこもりですからね」

 毒舌に驚いたギルダスの視線、素知らぬ振りで躱した。

 一番近い部屋を覗き込む。

「暗いな」

 ギルダスが魔術で明かりをつける。

「うっ」

「くっ」

 ひどい有様だ。

 光景もすさまじいが、匂いが酷い。

 鼻をつまんで中へ入り。ひとまず窓を開けようとした。しかし、壊れた家具が邪魔をする。

「消臭」

 ギルダスが杖で床を二度叩く。空気の渦が、一転に集まり、悪臭が一つの塊になった。それを石積みの壁の隙間から外へ捨てる。

 改めて見渡す。

「ここは、女性の部屋か?」

「めちゃめちゃにされすぎていてわかりませんが、恐らくは」

 魔獣が入ってきて暴れたのだろう。家具も雑貨も、何もかも破片になっている。床に張り付いた化粧品を指で掬い取る。血と混ざったそれは、絵の具のように赤い筋を残す。

 視線を彷徨わせていたギルダスが部屋の角を見て顔を伏せた。

「あれは―」

 入り口から一番遠くの部屋の隅。白い破片が一か所に集められている。

 歯があった。人間の歯だ。それに、砕かれた頭蓋骨らしきもの。あとは、どこの骨かも分からない骨の欠片。

「魔獣が生物を捕食すると、種類にもよるが、固い部分は吐き出して捨てる」

「ギルダスさん。黙っていてください」

「―すまない。自制心が足りなかった」

 魔力を練った。遠くにある謎の存在に引っ張られるものの、そう魔力を多く必要としない魔術なので、何とか発動できた。

「―聖霊よ、喪われし命に、優しき抱擁を―」

 小さな光が灯る。

 一瞬、暖かくなって、元の荒らされた部屋に戻った。

「他の部屋に行こうか、ギルダス」

 ギルダスは食い入るように私の眼を覗き込んできた。

「今のは? 今のは何だ?」

「何って、ただの弔いの儀式ですよ?」

「違う。魔術を使っただろう、その説明を聞いている」

 陛下を待たせている。他の部屋も調べなければいけないだろう。

「それは、今でなければいけませんか?」

「当たり前だ! 明日おも知れぬ命だぞ、今すぐ教えろ!」

 ギラギラした欲望に負けて、手短に、隣の部屋に移動しながら話す。

 隣の部屋も、似たような状態だった。同じ魔獣に襲われたのだろう。

「―聖霊よ―」

 弔いの術。私が所属している、というか、私の父から受け継いだ精霊教、その儀式の一つ。

 生物の魂を大いなる魔力の流れに還す魔術。

 寿命を迎え、徐々に衰えていくと、魂も少しずつ大いなる魔力へと還っていく。しかし、致死性の疫病や突発的な事故死、殺された場合には魂が死体に宿ってしまう。

 それを防ぐのがこの魔術。もとい儀式。

「ふう。流石にこの人数に使うと疲れますね」

 額の汗を拭う。

 大人しいと思って振り返る。

「左右非対称な術式の構築? 東大陸の魔術の系統とは違うものか? しかしこの大陸の魔術の系統に属しているとは言い難い、人種の魔術以外の可能性も考えるべきだな。そうすると―」

 うわ、目が合った。

「お前、どこの出身だ?」

「巨人種との境目辺りの小さな村ですけど…」

「―なるほど。両親もそこで?」

「ええ、はい」

「なるほどなるほど」

 年下の魔術師は喜色満面だ。

「あの辺りには、精霊教とかいう土着の宗教があったな」

「おや、ご存知でしたか」

「うん。私は違うが、魔術師には旅好きな連中も多いからな」

「はー。物知りなんですね」

 じろりと睨まれた。嫌われているのは分かるが、私からの褒め言葉すら嫌なのか。

 それとも、なにを当たり前のことを言っているのか、という視線なのか。

 こいつの考えていることは分かりにくい。

「信者か?」

「はい?」

「だから、精霊教の信者か?」

 圧が強い。

「信者というか、一応トップです」

「は?」

 もう少し穏やかに聞いてくれないだろうか。眼光が鋭い。

 気迫を逸らしたくて、部屋を出た。

 廊下の先に陛下が見える。こちらに手を振っている。元気になったようだ。

 私は歩き、ギルダスは浮きながらメモを取り、陛下は少しふらつきながら宝物庫へ向かう。

「巨人の侵攻で村がなくなりまして、父も母も死に、父が受け継いでいた精霊教の教主の地位を、私が継承しました」

 いい機会だ。陛下にも、少し私の生い立ちを聞いてもらうことにしよう。

「儀式に使う術はあらかた教わりましたし、父からは教主の名前を継いだだけでしたね」

「ほう、優秀だったんだな」

 陛下は褒めてくれた。

「まあ、私の方が優秀だがな!」

 ギルダスは張り合ってきた。

「村がなくなったので、都会で布教しようと思い立ち代王都へやって来たのですが、貧民街の劣悪さには驚きました」

 その時のことは、一生忘れることは無い。

 生気のない目をした人々、汚水を啜るような食生活、病も怪我も放っておかれ生きたまま腐っていく者、地獄とはここのことだと思った。

「多分、精霊の導きがあったのでしょう。あそこで私は、仲間や、協力者や、信者と出会うことができました」

「ふん。どうせ無料で治療をして、ご機嫌取りをして集まった連中を騙して入信させたんだろ、新興宗教が良く使う手だ」

「師匠、よせ」

「いいや、ウォーディガーン、やめないさ。こいつらみたいなのが、魔術をそんなことに使うから、魔術師に怪しげな印象を持たれるんだ」

「ギルダス!」

「学者である魔術師が、教祖やペテン師や詐欺師や魔獣扱いされているのは、こいつらのせいだ!」

 陛下がギルダスを殴ろうとして、魔術の壁に阻まれた。

 少年が怒りをぶちまける。

 私にも、魔術師を差別する者達にも、この世界にも。

「こいつらが魔術の治療を軽はずみに行ったから、母さんは殺されたんだ!!」

 感情を爆発させるギルダスを見たのは、彼の父の館で陛下の治療をした時以来だ。ただ、あの時は、治療を目の前でするなと強くたしなめられた程度だった。

 極端な主張をする暴力的な新興宗教に親族が入信したり、医者や薬師と結びつきがある人間に、同じようなことを言われたことがある。

 だから、その時は彼もそういう内の一人だと思った。

「どういうことです?」

 陛下が、弾かれた拳をさする。

「ギルダスの母がな、代王都で起きた暗闘で殺されたんだ」

 詳しく話を聞いた。

 宝物庫の扉につくまで、誰も口を開かなかった。ギルダスはいつもの様子だ。しかし、内心には怒りの炎が猛り狂っているのを知った。

「扉を開けるぞ」

 陛下は、重い空気を撥ね退けようとするでもなく、淡々と作業を進める。

「困っている人を助けたいと思って、私は自分にできることをやってきました」

 何か言えば、逆効果かもしれないと思いつつ、それでも、私は口を開かずにはいれなかった。私の思いを分かってもらいたかった。

 少ない時間だったが、共に過ごした人間だ。理解し合えないとは思わない。

 魔術師は扉を開けようとしている陛下をじっと見ている。私は、彼の後頭部に話しかける。

「魔術を使った儀式で、私は傷ついた体を癒しました」

 ギルダスはこちらを向かない。

 手を伸ばす。ギルダスの魔術の壁に触れた。

 魔力を練った。体に流す。

 肉体を強化した。

「そして、精霊教の教えによって、傷ついた心を癒しました」

 壁を掴んだ。

 ギルダスをこちらへ向かせる。抵抗はなかった。澄んだ目をした少年と、まっすぐに向き合った。

「私は、私に恥じることは何一つしていません。私の父から継いできた、いえ、代々受け継いできた教義と向き合い、傷ついた人々が平穏に暮らせるように生きてきました」

 言葉は、届いたのだろうか。

 魔術師の姿勢に揺らぎはない。

「そうですか」

 そっけない一言で、ギルダスはまた私に背を向けた。

「開いたぞ、行こう」

 陛下に促されて、三人は宝物庫の内へ行く。

 扉は開いているが、部屋の中は何も分からない。魔術がかかっているに違いない。微かな煙の幕のような、うっすらとした靄が、アーチを描いている扉の形に張り付いている。

 陛下は靄の内へ消えた。

 ギルダスは、しげしげと魔術を眺め、出たり入ったりを繰り返し、体半分だけ靄に突っ込んでみたりして、ようやく気が済んだらしく、するりと中へ入った。

 少々緊張する。田舎者が、国家の重要機密の場へ足を踏み入れる時が来たのだ。

「ふー」

 深呼吸をしてみたが、緊張はほぐれなかった。

「どうした、ベーダ?」

「わっ!」

 にゅっ。陛下の顔が出てきた。

 生首が浮いているようだ。

「ギルダスが宝の山を前に暴走しそうなんだ。早く来て、止めるのを手伝ってくれ」

 にゅっ。腕が出てきて、私を掴む。

「ちょっと、待ってください。心の準備がまだ」

「いいから」

 引っ張られて、靄が近づいて、顔に靄がかかった。

 と、思ったら、眩い光の洪水に、目がくらむ。

「眩し!」

 薄暗い日の光のみだった廊下から、光の玉が浮かぶ宝物庫へ。

「ふ、ふおぉぉぉぉ!」

 喜色満面でギルダスが飛び回っている。

 あれほど奇行に奔ってはいないものの、私はギルダスの気持ちがよく分かった。

 金塊、銀塊の壁はどこまでも続き、貨幣の入った袋は所狭しと詰め置かれ、玉石に飾られた秘宝は魔術の光を受けて怪しく輝いて、古書珍本が棚に揃って列をなし、古の魔獣の亡骸が揃って虚空を凝視する。

 荒野に近い山村生まれの私には、目の前の光景がこの世のものとは思えなかった。

「良かった。魔獣に荒らされてはいないらしい」

 入り口に立てかけてある、人の背丈ほどの巻物を陛下が広げた。

「これは?」

「記録だ。この宝物庫へ出入りした者と、出し入れした物を全て自動的に記録する魔術が込められている」

 簡素な茶色の巻物に、確かに怪しげな文様が青白く浮かびあがっている。これが話に聞く制御文字とやらか。

「あっはははは!!」

「師匠、うるさいぞ!」

 陛下が咳ばらいを一つ。

「まずはあの魔術師を取り押さえないとな」

 私に、茶色の巻物を渡し、陛下は近くの本棚の古書を物色する。

 手入れをするものもいないだろうに、不思議と埃の積もっていない書物を漁る陛下が、ある一冊を取り出した。

 わざとらしい大声で叫ぶ。

「おお! こんなところに、百年前の手書き東大陸入植記録があったぞ!」

「何ですって!」

「わ、こっちに来る」

 いともたやすくものに釣られたギルダスに、陛下は手の本を投げて寄越す。

「あ、危ない!」

 床に落下しそうな放物線を描く本。ギルダスは全速力で自らの手を滑り込ませる。

「傷ついたらどうするんですか!」

 喚く魔術師。

「お前こそ、ばたばた飛び回って宝物庫を荒らすんじゃない」

 諭す代王。

 両者痛み分けとなったところで、治療師が口を開く。

「それで、次のご予定は?」

 魔獣の長から与えられた刻限、次の満月まで、今日を含めてあと四日。

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