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九王記  作者: 荒木小吾
一章 西の大陸で
27/68

26話 喧嘩

 草原の中。緩やかな丘陵の上。

「いいですか、陛下。兵ってのは、上に立ってる奴らの実力を測ります」

 記憶の中で、従者たちが私にそう諭す。

 乾いた風にさらされて、開いた口がかさついた。

「頭がいいか、腕が立つか、部下を見捨てないか、ということか?」

 私はそう返した。

 しかし、彼らは笑って首を横に振る。

「勝てるかどうか、ですよ」

「そんなこと、分かるわけがないだろう」

 ひどく抽象的な答えを聞かされて、思わず苦笑いをしたのだ。

「いや、何となくわかるんですよ」

「何となくねえ」

「そう。このままじゃまずいな、とか、ここでこう来れば勝ったな、とか。戦場にいる期間が長くなると、だんだん分かってくるんですよ」

「へえ。それじゃあ、どうすれば兵たちに勝てると思わせられる?」

 そこで、従者たちがにんまりと笑った。

 脳裏から、現実へ。

 目の前では、目つぶしを喰らった騎士が袋叩きになっている。その横で、籠手で顎を殴られた荒くれが昏倒した。

 奥の方。罵声が飛んできて、投げ飛ばされた騎士が、私の前に落ちた。

 泡を吹いているそいつに追撃をしようと、荒くれが、腰を別の騎士に掴まれたまま、のしのし近づいてくる。

 私はそいつの前に立った。

「どけよ、餓鬼」

 完全に頭に血が上っている。

「少し頭を冷やしたらどうだ? おっさん?」

「うるうぁ!」

 こぶしを固めて、殴り掛かってきた。

 地面を隆起させて防御、思い描いた魔術を使おうと、魂の器から、魔力を引き出す。

 がつん。

 私の顎に、荒くれの拳が突き立った。

 頭が白くなった。ちかちかする。

「あ、れ?」

 あおむけに倒れていくのを、他人ごとのように、もう一人の自分が見ているような気分だ。

 魔術を使ったはずなのに、どうして。魔術の対象に指定した地面が横目に見えた。変化が起きていない。魔術を失敗したのか。私が。

 後頭部に衝撃があった。視界が黒くなる。

 振動で、すぐに目が覚めた。

 さっきの荒くれが、騎士にどつかれて私の上に多い被さってきた。

「重い」

 体格のいい男をどかそうと、魔術で土の腕を生み出そうとした。

「ふっ、くはっ」

 魔力が流れ出ていく。

 微かに地面が動いたが、それっきり、私の魔力は、例の巨大な魔力の方へ流れていった。

「流れている、というか、吸われているような感覚だな」

 大男の下からはい出ると、喧嘩はまだまだ終わる気配もない。

 半分近くは、意識を失って転がっている。一方で、元気のいい奴らは実力者ぞろいのようだ。一対一で暴れるのではなく、周囲の味方と連携しつつ、襲い掛かる素振りを見せる。

 お互いが、お互いの連携を妨害しつつ、自分達の優位を作ろうとしている。

 どうしてただの喧嘩でここまでするのだろう。

 細面の騎士がいた。

 急所を狙ってくる相手の拳を腕で逸らし、流れた相手の身体に反撃を叩き込む。しかし相手も攻撃を受けつつ飛びのいて衝撃を殺し、そのまま組み付いて関節を外そうとした。

 にぶく、音がする。

 脇から、目を潰そうとした騎士の攻撃を、言葉の怪しかった荒くれが防ぐ。

 細面の騎士は、外れた関節の痛みに耐えつつ、柔らかくなった体を使って、組み付きから逃れた。後ろに飛び退き、距離を取る。

 外れたのは、左腕らしい。

 だらりと下がった左腕を、右手で掴む。額に脂汗が浮いているが、油断なく周囲を警戒している。

 また、にぶく音がした。

 調子を確かめるように、二度、三度と左腕を回している。

 こんな光景を、見ているだけなのか。

「しかし、魔術を使えない私があの中に入ったとしても」

 何もできないだろう。

 そこまで考えて、私は、自分で自分の頬を叩いた。

 そんな弱気でどうする。

 ここには、私しかいないんだぞ。

 大きく、深呼吸をした。

 体は動く。魔力も、少しは残っている。まだやれる。

 少ない魔力を、放出せずに使うには。

「肉体強化」

 魔力を、体中に張り巡らせた。

「いい加減、突っかかってくるのはやめやがれでございます!」

「その口調が気にくわないんですよ!」

 荒くれと、騎士が間合いを詰める。

 両者の間に滑り込んだ。

 振り上げた拳を受け止める。

「陛下!!」

 二人の拳が、私の腕にめり込んだ。

 鋭い痛みが走る。

 だが、これで止まるだろう。一応、私は代王なのだ。国のトップが喧嘩の真ん中に出てきて、なおも暴れようとする、常識知らずの者はいまい。

「邪魔だ、どけ!」

「排除させていただきます!」

「え?」

 騎士が素早く腕を引き、鎌のように私の腹部へ拳を放つ。

 荒くれも腕を引き、引いた腕の反動で蹴りを、私の後頭部へ見舞う。

「ぐふっ?」

 こいつら、何をやっているんだ。

 容赦というものを知らないのか。

 私は、無様に、地べたへ突っ伏した。

 後頭部を蹴られて、ぼんやりとする意識の中。

「どうしてうまくいかないんだろうな」

 独り言か、はたまた思念の木霊か。自分の声が響く。

 ぐるぐる回っていた地面が消えて、視界が黒に変わった。

「最近こういうのが多いな」

 家臣の喧嘩の喧騒は遠くなり、しん、と静まった影の中に一人で立つ。

「教えてやろうか、その理由を」

 影が流れて、凹凸が見えた。

「誰だ?」

「よくぞ聞いてくれた、といきたいが、生憎名前を持ってない」

 黒い視界の中で、黒いものが喋っている。黒の中で黒を見分けるなど、妙な話だが、とにかく、名無しの誰かがそこにいて、こっちに話しかけているのは理解できた。

「上手くいかない理由を教えてくれる。そう言ったな?」

 名を持たない者に、何者かを問い詰めても仕方がない。それに、敵意を感じない。

 なので、質問を変えた。

「うん? ああ、そうだったな。そうだった」

 黒い奴が、腕を振るようなしぐさをした。もちろん、そう感じただけで見えていない。相変わらず、黒い視界の中で、声だけが響いている。

 光る枠が、現れた。

「見覚えのある顔だな」

「そりゃそうだ。ちょっと前に、一緒に戦った、お前の従者たちだ」

 枠の中で、彼らと私が、鯛尾を囲んで談笑している。先鋒の騎馬隊を率いて魔獣の群れに突っ込んだ、威力偵察を終えた後のようすだ。

「この時に、お前は恐怖の威力を教わったよな」

「そうだ」

 覚えている。

 光る枠の中で、従者達が力説している。

「だからね、殿下。恐怖ってのは、他人を従わせるのにすごく便利なんですよ」

「そうそう。皆から慕われる王様なんて、万人に一人もいませんや」

「ええ。そうですとも」

 そこで私はこう言った。

「それでも、愛される君主の方が望ましいのではないか?」

 しかし、従者たちは笑う。

「自分の民から愛される君主ってのは、裏を返せば、舐められてる王って事でしょうな」

「そう。たとえ敵対しても許してくれる。そんなふうに思われる」

「それに、努力して、恐怖の権化になることはできます。でも、いくら時間を費やしても、愛されるようにはなりません。媚びを売る奴と思われるのがオチでしょうや」

「そうなのだろうか」

「そうそう。生まれながらの愛嬌ってのが、愛されるためには必要でしてね」

「いくら愛嬌を後付けしようとしても、それは小汚い偽物でしかねえんですよ」

「だから、目指すなら恐怖される王でしょうな。これなら、いくらでも努力の甲斐がありまさぁ」

 ここで、枠が消えた。

「これを思い出して、喧嘩してる奴らを叩きのめそうとしたんだろう?」

「何でもお見通しだな」

 目の前の黒い奴が、せせら笑う。

「お前の記憶は、俺の記憶だ」

「何のことだ」

「さてね」

「おい、それに、そもそもお前は誰なんだ? どうして私をこんなところへ連れてきた?」

「さてさて、この先どうなるかな?」

「答えろよ」

 近づき、問い詰めようとしたところで、ぐなりと世界が歪む。

「ま、がんばれよ。俺」

 黒の中の黒が、励ましの言葉と共に消えていく。

 めまいにも似た歪む視界の内。身動きも、うめき声も出せない私。

 黒い奴が近づいてきて、こう言って、かき消えた。

「これは、ほんの少しの、応援の証だ」

 生臭い風が、髪を揺らして、吹き抜けていった。

「陛下! ご無事ですか! 陛下!」

 誰かが、しゃがれた声を張り上げている。

 私を呼んでいるようだ。

 ここにいるぞ。応じようとするが、喉が動かない。それどころか、指一本動かない。

「ええい、馬鹿どもが。頭に血が上りすぎて。陛下に拳を振り上げるとは。何たること!」

 この声は、暴走を抑えず見て見ぬふりをした、あの爺だ。

「陛下、目を開けてくだされ、陛下。あなたが倒れれば、代王国はどうなります!」

 組織の内で、こんな内輪もめをして、その結果代王国が滅亡するとは考えなかったのだろうか。

「うう、ぐすっ。へ、陛下。騎士として、御身の傷を代わりに受けられないとは、一生の不覚」

 騎士道を持ち出して泣き言を言う前に、この騒ぎをどうにかしようとしてくれ。

「う、あ」

 少しずづ、体が動くようになってきた。あと少し。もう少し。

「陛下、おお、陛下ぁあ!!」

 ぐずぐず、くどくど、泣いていた老騎士が、多い被さってくる。鎧の角が、喉仏に直撃した。

「が、がげっぷ!」

 その衝撃と痛みと共に、私の中に、何かの感覚があることに気が付いた。

「俺は、応援してるぜ」

 生臭い風が吹く。

 黒い、魔力の風だ。

 どろりとした粘度を感じる魔力の濃さに、辺り一面にいる荒くれと騎士たちが、動きを止める。

「邪魔」

「へ、陛下?」

 老騎士が、真っ黒な靄に閉じ込められた。

「―」

 ぷつり。声が途切れ、皆が私を見ている。

 私から生まれる、黒い魔力を、黒い靄を見ている。

「我の意に従え、臣下ども」

 自分でも恐れで震えるような、おどろおどろしい声が出た。

「いったい、どうされたのだ?」

「さあ?」

 一声で冷静になった者達は、後ずさりつつも、私の様子がおかしい事に気が付いている。

「おい、おいおいおい。へーか、今良い所なんだからよお、邪魔しねえでもらえっかなー?」

「何か、変な物でも拾い食いしたか?」

 未だに興奮状態にある者達は、こちらへ向かって歩いてくる。

 靄から老騎士を解き放ち、宙に吊り下げる。

 向かってくる彼らの足元に、老騎士を放り投げた。転がって、顔が上を向く。

「なん、何の真似だ」

 白いものの混じった髭に、口から出た泡がこびり付き、瞳は充血し、あらぬ一点を凝視している。呼吸をしているので、死んではいないが、掠れて判別できないうわごとを繰り返していた。

 こちらへ向かってきたのは、二人。

 その二人を、じっくりと眺め、目を合わせる。

 両人が、喉を鳴らした。

「寝ている連中を起こせ」

 誰も動かない。

「へ、陛下。いったいどうされたのですか?」

 痣を作って顔を晴らした細面の騎士。

「やれ」

 命令した。

 しかし彼は、使命感に満ちた眼差しをする。

「反社会的組織を排除するのでなければ、承服できません」

 私の正面に立っている荒くれ二人を指さした。

「頑固な奴だ、なぜそこまで彼らを嫌う?」

「国に、陛下にお仕えする以上、人の道に外れるべきではないからです。行儀作法がなっていないのはどうとでもなるでしょうが、犯罪行為に手を染めた人間が、国のために働くべきではないと思います」

「真っすぐな目だな」

「先祖以来、人として恥ずべき行為と戦うのが騎士だ、そう、教えられております」

 本当に、まっすぐで、強直な光を持った目をしている。

「そこのお前、何か言いたそうだな」

 私に向かってきた一人が、唇を噛み締めている。一滴、血が零れ落ちた。

「陛下、私の言葉をお聞き届けいただきたい!」

「黙っていろ」

 喚き始めた騎士を、黒い霧の手で掴み、崩れた瓦礫に押し付け、口をふさいだ。

 暴力的に膨れ上がった魔力。再び、場が静まり返った。

「言え。あいつのような頭の固い奴は、腹を割って語らないと収まりをつけられないぞ」

 促して、さっきの荒くれは、ぶつぶつと呟くように語りだす。風の音もない場から、小型の魔獣が、そそくさと逃げ出していった。

「俺と、隣のこいつは、兄弟です。親は、分かりません。二人で生きていけなくて、先代の、ヘンギストの親父さんに拾われました。んで、いろいろ教えてもらって、働けるようになってきました。お頭も、褒めてくれるようになってきて、二人で頑張ってきたんでさ」

「それで?」

「恩返し、それと、今日の飯のために、やれることを何でもやって来やした」

 力強く、私を見返してくる。その額から、恐怖のせいか、冷や汗が滴る。それでも、ぶれない眼の光が私を突き刺す。

「そうやって生きてきた俺らからしたら、行儀作法とか犯罪とかで騒ぐのは、金持ちのお遊びにしか思えねえっす」

「何だと貴様!」

 元気な騎士の一人が、言葉尻を捉えて、食って掛かる。

「うるさいぞ」

 私の、溢れる魔力が、人の形を成し、その騎士の背後に現れる。

「ひっ」

 騎士が、黒い人型に足を掴まれて、逆さに中へ吊り上げられた。魔力の人形が、真っ黒な吐息を吹きかける。すると、騎士の身体が硬直し、地面に下ろされた後もピクリともしない。

「―」

 見知った人物の、得体のしれない行動に、場の人間は思考を止めた。張り詰めた沈黙の幕が下りる。

「双方、言い分があるのは理解したな?」

 ひとひと、黒い魔力が足元を覆っていく。

 臣下の顔を、じろり、じろり、ねめまわす。

「何も、それぞれの頭の中まで覗く気はない」

 黒い魔力の漣は、立っているものにまとわりつく。気を失っている者は、魔力に触れると、驚いたように跳ね起きた。その彼らにも、私の魔力がまとわりついていく。

「が、お前たちの一挙手一投足が、この崩壊寸前の、代王国の未来を創り上げていく」

 指先、足、腕、胴、そして首筋。太い血管と魔力の管を私の魔力が締め上げる。一同の顔色が、青に、続いて紫へと変わっていく。

 十分に間をとって、私の言葉を沁み込ませる。

「ゆめゆめ、自分達の責務を忘れるなよ」

 さらに、魔力が密度を増す。締め上げている奴らの魂が変質しかけるぎりぎりのところで、黒い魔力を全てひっこめた。

 恐れ。畏怖。

 自分でも分かっている。これは単なる脅しだ。恐怖で人を屈服させているに過ぎない。このやり方では、いずれ誰もついてこなくなる。

 頭の中、声がした。

「お前がどんな道を行こうとも、俺は付いていくぜ」

「そうか」

 黒い魔力は、私の魂へと収まった。元々の私の魔力と混じり合うことはなかった。

 二つの魔力をその身に閉じ込めるなど、聞いたことは無い。だから、自分の魂と肉体に、どんな影響が出るかは分からない。

 それでも、これでようやく。

「陛下、御前での非礼、大変申し訳ありませんでした」

「お許しください」

「申し訳ありませんでした」

「すいやせん、あ、いえ。すいませんでした」

「お詫びいたします」

 これでようやく、統率ができる。王へと、一段近づいた。その実感があった。

「以後気をつけろ」

 眼前に、片膝をついて首を垂れる臣下。

「ははっ!」

 声が揃って、空に吸い込まれていった。

 その空に、突如、魔力が満ちる。

 満ちて、満ちて、それでも足りないと、さらに強く、濃く、魔力が湧きだす。

「代王ウォーディガーン。幸福の準備は順調そうだな」

「魔獣の長」

 黒よりもさらに黒い立方体が、空中に現れる。

「お前たちは拠点に戻り、各勢力に集合をかけろ」

 黒い箱のような魔獣の長。その凶悪な濃度の魔力に侵されかけた臣下に、魔術で防壁を張る。

「期限の次の満月に魔獣との交渉がある。そこに、私と共に立ち会ってもらう。勢力の大小、身分の上下には一切触れるな」

 頷き、逃げるように駆けだすの者の中に、細面の騎士と、老騎士が残った。

「今が国の存亡時であることを忘れず、行動しろ」

 何か言いたそうな目をしたが、結局、敬礼をして、何も言わずに駆け去っていく。

「随分と貫禄が付いたな。見違えた」

「何の用でしょうか。期日までには、問題なく各勢力をまとめて見せます」

「それについては、心配していない。少々予想外の変化もあったようだしな」

 黒い箱が、私の身体の周りを一回りした。魂の内、黒い魔力が一瞬ぞわりと動いた。

「ああ、そうだ。あの魔術師だが、なかなか使えそうだから貰っていくぞ」

「魔術師? ギルダスの父上のことか?」

「うん? 貴様たちの親子関係なぞは知らんが、私を陛下から引き離した魔術師を指しているなら、その通りだ」

「おい、黒いの。私の民を、物扱いして勝手に連れ出すと?」

 魔力を、魂の入り口を全開にして展開。

「陛下。交渉の余地は無い」

 黒い箱も、魔力を繰る。

 ゆっくりと息を吸い、ゆっくりと吐き出す。

 一泊、心臓が脈を打つ。

「喰らえ!」

「行け」

 魔力を練り上げ、魔術を放つ。範囲は狭く、威力は高く、一点集中の雷の点。

 魔力を流し込み、肉体を変質。羽毛は針に、つぶらな瞳を煮えたぎる溶岩の如く。

 私の雷の魔術を、黒い箱に操られて凶暴化した小型の魔獣が防いだ。魔術に閉じ込められた炸裂の術式が発動し、眩い閃光が迸る。

 光から目を守った腕を下ろすと、既に奴はいなかった。

「もうあんなところに…」

 味方の魔獣の群れの上、悠々と浮いていく黒い箱と、ギルダスの父親らしき人影。

 悠々と宙を移動する後ろ姿を、見送ることしかできなかった。

 あれだけ家臣に大見えを切って、格好つけた後に、これだ。

「くそ」

 焦燥。後悔。忌々しさ。綯い交ぜになった心が、行き場を求めてざわめいた。

「師匠になんと言おうか…」

「お前が遊びに行っている間に、父親が連れ去られた。ざまあないな。とかかな?」

 背後に影が立つ。

「ベーダ」

 知らない文句が、知っている声で聞こえた。

「急に口が悪くなったな」

「あれ? 私、今何か言いましたっけ?」

 ギルダスへの悪意を隠さなくなったのは良い事なのか悪い事なのか、少し考えたが、後回しにすることにした。

「べつに」

「ですよね」

 こいつ、なんだか印象が変わったな。あれだけ喚いて暴れて、心境の変化でもおきたのだろうか。

「なにか顔についていますか?」

 ぼんやりした頭でベーダの顔を見ていたら、金の瞳と目が合った。

「いや、別に」

 瓦礫に腰を下ろす。

「それよりお前、何か用事があったからここに来たんじゃないのか?」

「はい? ああ、いえ。ゆっくり話をする機会が欲しかったんですよ」

 ベーダも、細い腰を私の隣に落ち着けた。

「あまりゆっくり話をする暇はないぞ。これから、人に会う用事がある」

「誰に会うんですか?」

 話をするか、少し迷った。それでも、ベーダには話しておくことにした。

「ボルテとう、樹人の商人だ。協力的ではないのでな、少し話をしなければならない」

「物資の援助も?」

「ああ。そうだったな。それも何とかしないといけない」

 一昨日会った時、ある程度は物資があると仄めかしていた。ただ、こちらに渡すかどうか。

「だが、この間会った時に断られてな」

「あれで買うと言ったらどうですか?」

 治療師は明後日の方へ視線を彷徨わせる。

「あれ、とはなんだ?」

「あれですよ」

 指さした方向には、代王都の内城、王宮がある。

「あそこにはもう行きましたか?」

「いいや」

 あえて避けていた場所だ。

「私は、魔獣から逃げている時に、一時的にあそこに立てこもりましたが、宝物庫の鍵は開いたままでしたよ」

 思わず、ベーダの口元を凝視した。ベーダは私の視線が険しくなったのを、違う意味にとったようだ。

「勿論、何も取っていませんよ」

「それはそうだろう。あそこの施錠は魔術師でないと開けられない。わざわざ東王国から腕利きの魔術師を呼び寄せて掛けた鍵だ」

 そうか、商人相手に対価を支払わないのがいけなかったのか。

 後にしてみれば、当たり前の話と言われるだろう。私だって常の状態なら当たり前にそうする。しかし、一昨日は非常事態という意識が強かった。

 非常事態なのは西大陸の人種だけだ。樹人にとっては、避けられる危機でしかない。

「私には、まだまだ王位は重いな」

 呟きは、風に紛れて消えていく。

「陛下、鍵は持っているのですか?」

「ああ」

 宝物庫に入ることはできる。それを代償に、協力を得るのも無理な話ではないだろう。

 そこに転がっている大きな問題は、一昨日の件で、私の評価が落ち、協力に値しない人物だと考えられている可能性があることだ。

「まあ、ともあれ。行動あるのみだな」

 肉体労働の次は、頭脳労働か。王というのは本当に大変な商売だ。

 血糊の飛び散った道路と、炭になった魔獣の死骸の間で、私は大きく息を吐いた。

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