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九王記  作者: 荒木小吾
一章 西の大陸で
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24話 幕間 ギルダス

 殿下、いいや、今は陛下か。

 ともかく、私の初めての弟子のウォーディガーンに取引を持ち掛けられた。魔術師を登用する代わりに、私がウォーディガーンに助力することを求められた。

 要は、後ろ盾になってやるから、協力しろってことだろう。

(さて、どうしたものですかね?)

 頭の中で、考えをまとめていく。

 先ほどは随分と感情的になってしまい、ウォーディガーンの話を聞く際、魔術を派手に使った喧嘩騒ぎを起こしてしまった。

(あれはいけなかった。魔術師たるもの、冷静、かつ知的でなければなりません)

 結論は待ってもらうことになっている。

 魔術で補強を重ね、増築に増築を重ねた館。その迷路のように入り組んだ廊下を一人で歩く。目指すのは自室だ。

 廊下に散らばった魔獣の痕跡、誰のものとも知れない血痕。廊下の床に散らばるものを踏まないように、お気に入りの長靴を汚さないように、ゆっくりと歩いていく。

 長い通路の、行き止まりが見えてきた。突き当りの壁に扉が一枚、素っ気なく張り付いている。

 私は、扉の正面まで行くと、直角に右を向き、壁を撫でた。

(なになに、今日の鍵の形は、草原に生息する二足歩行で羽毛を持ち群れを作って生活する魔獣の学名か)

「エクイテス・ビスティアム、と」

 指先に魔力を込めて、壁に魔獣の名前を書く。この魔獣は、いわゆる騎獣と呼ばれる魔獣だ。西大陸代王国では、ポピュラーな家畜化された魔獣の一種である。

 魔力、壁へ東大陸文字の単語を残す。そして、瞬き一つの間。魔力は壁に消える。何もないと思ったところの壁が音もなく後ろに開き、私の部屋への入り口があいた。

「おやァ、ギルダス殿。お帰りなさーイ」

 部屋の中は、窓からの日光が差し、魔術師たちが思い思いに過ごしている。

 口々に挨拶をしてくれるのが五人。彼らは父と同年代の魔術師で、代王国の建国当初から生きている者までいる。

 私をちらりと見て、細かな作業に戻る者が五人。彼らは、私よりもいくつか年が上の魔術師だ。研究、実践の両面で代王国の魔術の中心を担っている。

 ペコリと頭を下げたのが二人。彼らはまだ見習いで、雑用や助手なんかをやっている。本当はもう三人いるのだが、今、食堂に昼食を取りに行っているらしい。

「派手に魔術を使っていたネェ。死体漁りの魔獣でも出たかあ?」

 ケケケ、とひきつった笑いをするのは、私の十個上の痩せて頬骨の出た魔術師だ。名前は知らない。

「ちょっと代王と話をしてきただけです」

「ヒヒッ、お前の弟子の、だろ? でも、破門したって聞いたぜ?」

 彼は、不気味な風貌と妙な話し方のせいで、少ない知り合いと友人以外には怖がられている。

「ええ、はい。破門したにもかかわらず、師弟関係を君臣関係にしようとのたまってきました」

 だが、優秀な魔術師だ。

「ソーカイソーカイ。それなら、ちび共が戻って来たら全員で話をセにゃなぁ」

 それに、魔術師には珍しくよく周りを気遣うし、社交性が高い。

 彼以外の私の部屋にいる面々は、うんともすんとも言わない。そこで、うんうんと一人で頷く彼が、周りに聞かせるために大きな声で話の内容を繰り返す。

「黙れ! うるさい!」

「あなたの奇妙な話し方のせいで私が魔術具の整備に支障をきたしその結果仮に魔獣の攻撃が再開した際にこちらの戦力が僅かばかりも削がれた場合味方の戦力も減少し最悪の結果死に至るようなことがあればさらに彼我の戦力差は拡大しいよいよ我々は不利になりますそうすれば自明の理ながら逃走にも先頭にも我々の取る選択肢が狭まるのは必定にして不可避なわけでありますがこの意見に関してあなたの意見は如何に?」

「我々我々、は、清々寂々、を、求々求々、するるるるるるるる」

「そうねぇ~、聞こえているからぁぁぁ~、あまり大きな声をぅおぅ、だぁ~さぁ~、ないでぇぇぇ~♪」

「グルルルルッ。コルルルル」

「ふえっくしょうぃ!!」

「はっ! なんだ、夢か?」

「ねえ、朝ご飯はまだかしら?」

 静かな一室から、いきなり猥雑な空間へ。変わり者の多い魔術師が集まれば、自然と会話は不規則になる。

 魔獣との戦いが続いていた時は、小休止のたびに驚かされた。それでも、強力な見たこともない魔獣を蹴散らし、目の前で知り合いの魔術師を喪い、共に食事を取る間に、自然と慣れてしまっていた。

 なので構わず、帽子とマントを脱ぎ、壁掛けに引っかける。

 ぽしゅうぅぅぅー、と音を出して、部屋に置いてあった私の植物が花粉を吐いた。

「おうっ、うぷえっ」

 花粉がまともに当たった助手の一人が、吐き気を催し、慌てたもう一人の少年と窓に駆け寄る。

 刺激臭の漂う室内に、三人の子供が戻ってきた。

「食堂から、昼食を取ってきました!」

「ガウウ、ガウッ!」

「おいしい~、ご飯の~、時間よ~♪」

「あん? 飯かい? 全く、あんまり婆を空腹にさせとくもんじゃないよ。朝飯の支度にどれだけ時間をかけてんだい」

「ババア、寝ぼけてんのか? もう昼だぞ?」

「寝々、て、い、る、の、は、別のやつ、だ、ろ、ううううううう」

「食事の時間か余計な体力を余計な議論で使っているのでありがたいがこの非常事態にどれほどの食料があれば十分なのかを誰も分からない以上一度に大量の栄養を摂取するのが悪手であるのは今後の展望が予測でいないことを考えれば明らかであり皆の者は一度の食事を十二分に咀嚼し胃の負担を減らすことに注力すべきだな」

「ぐぅ…」

「飯か! 飯だな!」

 硬いパンと薄い野菜スープ、粗末な昼食を食事を取る間も、変物ぞろいの魔術師たちは強烈な個性を隠さない。

 五人の助手は、隅に固まって、よく噛んで食べている。彼らはそれぞれ別の魔術師に付いていた。この館に魔獣と戦いながら集まった際に出会い、それ以来師匠の愚痴などを言い合って仲良くなったようだ。

 年齢的には私も彼らと同じくらいだが、どういう訳か避けられている。

(まあ、別に不自由はないですけどね)

 先ほど花粉を吐いた植物に、肥料を与える。花粉を吐いたり魔術を使ったりした後はしっかりと栄養を与えておかないと、手ごろな生き物を捕食してしまうのだ。

 魔術で空中に水塊を出す。魔術で沸騰しない程度に温めた。

 空になったスープの椀に、白湯を注ぎ入れる。

「こうしてゆっくりするのは、ずいぶん久しぶりな気がしますね」

 魔獣を殺し続けたここ十数日、気の抜ける時などありはしなかった。

「ホントホントォ、気の休まる暇なぞありゃせんかったの」

 心の内を読んだことを言う。

 なんだかいい香りがするな。

 痩せた魔術師を横目で見ると、彼は懐から茶葉を取り出し、魔術でお湯を沸かしてお茶を飲んでいる。

「おいあんた! 茶葉を隠し持っていたなんて、ずいぶんとまあせこい真似をするんだね! アタシに貸しな!」

 透明な歪んだ手が現れる。そして、スリのような素早さで痩せた魔術師の懐をまさぐった。老婆の魔術師は魔術で茶葉をひったくった。

 魔術で空気を圧縮して作られた透明な手は、戦利品を掲げて老婆の手に戻る。

 かに見えた。

「ブルゥアアアァァァ!!」

 人語を発しない、獣の魔術師が空中で茶葉をかっさらう。物を動かす魔術の応用で、力を空中に漂わせ、足で蹴る。反作用を使って、二歩、宙を歩く。

 そうして、自分のお湯に茶葉を放り込む。

「~♪」

 放り込まれた湯を、歌声の魔術師が自分のお湯と入れ替えた。

 と、そこで、

「だあう! あっちい!」

 声の大きい魔術師が、自分のお湯を沸かしすぎたらしい。大きな声で叫ぶ。

 衝撃波が、壁と、窓と、私たちに吹き付けた。

「ぐぅ…」

 その衝撃波が一点に収束し、眠り続ける魔術師の鼻提灯に吸い込まれた。鼻提灯がわれた。しかしすぐに、新たな鼻提灯が膨れてくる。

「あっちゃアー、最後の茶葉が」

 痩せた魔術師が、床に広がったシミを見て呟く。残念そうだ。

「台無しになるよな。これだけ大騒ぎすれば」

 私の冷たい目線に、お茶を飲みたくて騒いでいた連中が気まずそうな顔をする。

 しばし、皆が湯を啜る音だけがしていた。

 うん。平和な午後の始まりだ。

 穏やかな日差し。緩やかに吹く風。誰かが魔術を使ったのか、窓がひとりでに開いた。小型の魔獣の声がかすかに聞こえる。

 雲が、ゆるゆると空を歩いていく。雲の上には、黒い箱に率いられている魔獣が数匹が、輪を描いて飛んでいる。

 何か起きることもなさそうな昼下がり。

 少し、うとうとしかける。

 言葉数の多い魔術師の呟きが、子守歌のように眠気を誘う。

「魔力循環の周期が極めて不安定になっている今の状況からして私を襲撃した魔獣の仕業とる推察するのが妥当ではなかろうかもちろん今までに観測されていない現象が起きている可能性も無視できないがあれほどの魔力の持ち主が世界を巡る魔力に影響を及ぼさない方が不自然であろうそれでも概算では例の黒い箱が存在するのみでの魔力の歪みは現状の周期の乱れを引き起こすことはできないが、ん!?」

 魂の、魔力の器が震える。

 規則的に揺らいでいた水面に、石を投げ入れられたような、突発的な波が立った。

 獣の魔術師が、全身の毛を逆立てる。

 歌声の魔術師が、しゃっくりのような音を発した。

「オホホ、こりゃ何だ?」

「分からない、何か、大きな魔力の流れが変わりかけている?」

「フンヌァ!!」

「しゅしゅしゅ、修復はぅ、最後のやつだね、ねねねねねねね」

 声の大きい魔術師が壁をぶち抜いて外に飛び出していった。私の部屋にいる魔術師達が後に続く。

 しょうがなく私は、粉々になった瓦礫を受け止めるべく魔力を広げる。

 細かい瓦礫も逃さぬように、のっぺりした膜のようにした魔力で壁の残骸を受け止めた。粒子分解、変形融合、制御文字にエネルギーとして魔力を流し込む。

 制御文字が力を発揮する。怪しい光が灯った。

 万物には魔力が宿っている。壁とて例外ではない。

 壁の素材に含まれている魔力に、制御文字による魔術が作用する。魔術によって変化した魔力に応じるように、外殻である素材がその形を変えていく。

 一度、粉末にまで材料を分解したのち、新たに壁として融合したものが、人型に空いた穴をふさいだ。

「私の部屋なんだから、あんまり壊さないでほしいな」

 ぼそりと呟くが、それに答える声はない。皆、未知の現象に心惹かれて、あっという間に飛び出してしまったようだ。

「私も行ってみようか」

 ウォーディガーンの顔がちらりと脳裏をよぎった。しかし、もう窓の桟に足をかけて、次の瞬間には、宙を滑空していた。

 やっぱり、政治的な立場を考えるよりも、知らないことに向かって行く方が面白い。

 すまないな、元弟子。

 愛用のフード付きの外套。それに仕込んでおいた制御文字の術式が稼働する。姿勢を安定させ、風をよけ、障害物を検知して、速度を調節する。

 その他にも判断することは多くある。その半分近くを、制御文字任せにしている。

 空を飛ぶというのは大変な魔術だ。制御文字を用い、半ば自動で魔術を使えるようになって初めて、空を飛ぶ魔術師増えてきた。実践派の魔術師でも半数程度。十分に研究を重ね、かつ、命知らずな部類に入る魔術師だけが空を飛ぶ。

 魔術の制御を誤り、見るも無残な変死体となった連中はごまんといる。

 そのため、研究派の連中と、実践派の長老たち(私の父もその一人)はたいてい魔獣車や使い魔を使う。

「そうまでして、どうして空を飛びたがるんですか?」

 同い年くらいの魔術師見習いの少年少女に聞かれることの一つがこの質問だ。

「飛んでみればわかる」

 私はいつもそう答える。

 自分の身体の周りに、魔力でおどろに光る制御文字が浮かび、ローブがはためく。風を切って進み、浮遊感に包まれる感覚。

 それは、この世で最も得難い体験であろう。

 未知の、魔力の巨魁が感じられ、自室を留守にして、元弟子の頼みを棚上げにして、空を飛んで急行している。

 逸る気持ちに応じるかの如く、速度は早まる一方だ。

 風が目に入るのを防ぐために、懐からゴーグルを出し、頭の後ろで紐を縛る。透き通って硬い魔獣の羽を加工したものだ。

 代王都の崩れた城壁が見えてきた。

「おおーい!! こっちだあ!!」

 声の大きい魔術師が、手を振っている。

 私は、魔獣の襲撃で崩れ落ちた、城壁の残骸の上に降り立った。

「あれを見な、小僧」

 老婆の魔術師が、節くれだった白い手で、一点を指し示す。

 瓦礫のすぐ目の前、およそ百歩の所に魔獣の群れがうろついている。その向こう、どれくらい距離があるのだろうか。

 比喩や、誇張ではなく、文字通りに山のような、漆黒の塊がそこにはあった。

「スゲえのぉ、巨大すぎて、距離感がつかめねえや…」

「それに、この、禍々しい魔力の濃度は…」

 師匠と共についてきた魔術師見習いの連中は、あまりに濃い魔力に、吐しゃ物をまき散らしてその中に倒れ臥している。

「この子たちは~♪ 連れて帰る方が~♪ よさそう、ねぇ~♪」

 歌声の魔術師が、魔力を膨らませる。

 音の波動に魔力が染み渡る。五本の線にいくつもの球体が張り付いて、歌声の高低を表現する。

 彼女は、歌声に魔力を練り込み、魔術を発動する。

 歌うのは、疾走する草原の調べ。

 五線の魔力が、魔獣の姿を形作る。

 代王国で飼われている魔獣の姿になった。今日はこいつに縁があるようだ。

 学名はエクイテス・ビスティアム。通称、騎獣。五匹の魔獣となった歌声の魔術師の魔力は、それぞれ魔術師見習い達を嘴で放り上げ、器用に背中で受け止めた。

「それじゃあ、よろしくね」

「普通にしゃべった…」

 突然の小さな驚き。

 まともにしゃべれるなら、早くそうすればいいのに、と、魔術師達の心が一つになっている間に、魔術で弟子たちが運ばれていく。

「さァテ、さァテ。これからどうやってアレにチカヅクカネェ?」

 痩せた魔術師が言う。

 中天を過ぎた太陽光線がまぶしそうだ。手で額に影を作っている。

 明るい午後の光の中で、我々の視線の先にあるのは、光を捉えて離さない、異形を近づける黒き卵。卵に近づけば近づくほどに、魔獣の吐息は濃くなり、足跡に侵されていない大地は少なくなっている。

「守ってるな! あれを!!」

 うるさい。

 だが、大きな声の魔術師の言う通り。魔獣は、卵を守る母親のように見えた。

「形状とまとわりつく周囲の魔獣から確かに卵と推察できますがそれ以上に問題なのはあれが何の卵でどうしていきなり現れたのかということでしょうあれほどの高く濃い魔力ですから存在を感知できないなどあり得ないことですしかしながら我々はのんきに白湯を啜っていたこの矛盾をどのように解決すればよいのかどなたかご意見はありませぬかな?」

「すぴー」

「もどかしいですね。あんな現象、一生に一度出会えるかどうかなのに、近づくことすらできないなんて」

 知らず知らずのうちに、私は拳を握りしめていた。気づいて、手のひらに残った爪の後をさする。

 十や百の魔獣ならばいざ知らず、数えるのもおっくうになる大群が相手では、いくら探求心旺盛な魔術師といえども突破しようという気など起きない。

 魔獣の壁に阻まれて、なすすべもなく黒い卵を眺めている。

 いくらか時間がたっただろうか。

 手持無沙汰になって、それぞれ時間を潰していた。私は、卵の表面の模様をスケッチしていた。

 魔獣の大群の中から魔獣が一匹こちらへやってくる。

 目ざとく気付いた老婆の魔術師が、鋭い眼光で振り返って言う。

「こら、坊主ども。気を抜くんじゃあないよ。いくら話の通じる奴に率いられているとはいえ、あっちは魔獣で、こっちは人間なんだ。一端の魔術師を気取ってんなら、あたしたちがやって来た魔獣との戦いを知ってるだろう? 連中とは血みどろの絆で縛られてるんだからね」

「くどいぜババア!! 俺らがどんだけあんたの話を聞かされたと思ってんだ!!」

「同意、同意、どう、ど、どどどどどどどど」

 頭の二つある魔術師が、いつものように言葉を混線させた。どどどどどどどど、と両の口で泡を飛ばす。

「失礼。そちらの日輪の眷属の方々」

「どど?」

 ど、の流れが止まった。

 全員揃って、魔獣を見上げた。

 魔獣は、私たちを見下ろしている。

 日光に輝くその体は、甲冑だ。ただ、大きさが巨人種ほどもある。大きさ以外は、代王国で用いられている、一般的な騎士の甲冑に近い。

 違う。一番大きな違いを見落としていた。

 こちらを見下ろす兜の、目の部分。そこから、兜の内側が見える。

 つまり、この巨大な鎧の内側には、なにも入っていないということだ。

 その鎧の喉首に、制御文字が魔力で輝くのが見えた。

「ぐぅ。ほんやく…。すぴぃ」

 眠る魔術師が、寝言で何か言った。

「お初にお目にかかります。ワタクシ、九王が一柱、月影の十一女、タチマチと申します」

 巨大な甲冑が、意外にも優雅な所作で一礼する。澄んだ声が鎧の空洞に響き、鐘の音のような音があたりに満ちた。

 魔術師一同で、ちらりちらりと視線を交わす。

 結果、なぜか私が挨拶をすることになってしまった。

「我が名は、ギルダス・フレンシス。この地に住まう魔術師イルトゥードが一子にして、我もまた魔術師である」

 威厳のある目の前の魔獣につられて、こちらも古風な名乗りをする。

 甲冑、タチマチは一つ頷くと、私に視線を合わせるかのように片膝をついた。

 しかし、元が大きすぎるため、片膝をついてもまだ、頭の位置までは私の背丈の二倍はある。

「高い所からものを言う形になり申し訳ありません。ただ、一刻も早く、ここから離れていただきたいのです」

「なぜです? 我々は、あなた方に危害を加えるつもりはありませんよ」

 今のところは。

「それでもです。ワタクシたちは、今から非常に大切な儀式をしなくてはなりません。それは我が一族にとって大変に重要なもので、他種族を交えることが固く禁じられているのです」

 大切な儀式、と聞いて、魔術師連中が途端に色めきだった。私も、その儀式とやらに俄然興味が湧いてくる。

 他種族を交えてはならない、なんて好奇心をくすぐる響きなんだ。

「そこを何とかお願いできませんか? 決して影響を及ぼしません。遠距離からちらりと見るだけでもいいのですが…」

 このタチマチ相手なら、何とか譲歩を引き出せそうだ。そう感じて、遠慮がちに申し出てみる。

 すると、甲冑はその巨体を起こした。

「何か、勘違いをされておられますね。ワタクシが今言ったことは、お願いではなく、命令です」

 魔獣は、ゆっくりと、左腰に付けた鞘から、剣を、引き抜いた。東大陸にいる蜂という生き物の羽音のように、空気が、震える。

 切っ先を私に向けた。

「立ち去るならば、命はとりません。が、後ろに下がらないならば、殺します」

 刀身の見えない剣は、魔力の塊だ。タチマチの殺気を吸うかのように、剣が、一回り膨れ上がった。

 私の喉は、凍りついた。

 さんざん屠ってきた魔獣とは、一線を画す目の前の敵。

 息苦しささえ覚え、視界が白く瞬きだした。

「分かった。アタシたちゃ帰るよ。それでいいんだろ」

 老婆の魔術師がそう言って、私は夢中になって頷いた。

 おそらく、他の魔術師達もそうしたのだろう。タチマチは剣と共に殺気を収め、仁王立ちで私たちを見下ろした。

 立ち去るまで、見張るつもりか。

 顎に伝う汗を拭う。後ろに振り返り、館へと歩き出した。

 皆、無言だった。

 私は、どうしても気になって、帰り道で一度振り返った。そうすると、いまだにこちらを見ている巨体の甲冑と目が合った。

「くそっ!」

 交わった視線を無理矢理引きはがす。それでも、館へ帰る間中、あの魔獣の眼が、私の背中を射抜いているような気がしていた。

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