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九王記  作者: 荒木小吾
一章 西の大陸で
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23話 一日

 ギルダスの父親から、葉でメッセージを受け取った。人種の文字と比べれば、ひっかき傷のような、もしくは木の枝のような線は、樹人種の文字だ。

 一晩を明かし、朝食を取った書斎の戸を開けて廊下に出る。そうすると、既に食堂にたどり着いていた。目を疑ったが、確かにここは食堂だ。

 ベーダの仲間と見える連中が、何人か洗い物をしている。

 昨日や、魔獣の長が来襲した際や、私がここで魔術の修業をしていた際にも、書斎に行くには長い、長い廊下を通らなくてはならなかったはずなのだが。

「まあ、それよりも、今はギルダスを見つけださないとな」

 独り言、朝食の盆を返した。

「このへんで、十五・六のいかにもな魔術師を見なかったか?」

 遅めの朝食を取っていた食堂にいた者達に訊ねてみるが、芳しくない。

 邪魔したな、と食堂を出る。

 人探しの場合、魔術に造詣のある者ならば魔力を探す。

 魔力は、一人一人異なるからだ。

「上手くいくとも思えないが、ひとまずやってみようか」

 記憶の中からギルダスの魔力を掘り起こし、自分の魔力をそれに似せて形作る。細かな文字がびっしりと書き込まれた螺旋のような魔力になった。

「複製」

 螺旋はそのままに、新たに魔力を箱の形に組み、中に手を加えていない魔力を詰める。これが型だ。

 それを可能な限り小さく、数多く作った。

 箱の一つに、螺旋を詰めて、中の魔力に螺旋の形を写し取る。

 たちまち、螺旋が無数に出来上がる。

「行け」

 上下左右まんべんなく、小さな魔力の螺旋を放った。

 しばらく待つ。

 しかし、一つも還ってこなかった。

「失敗か」

 理由は単純、魔獣の長の濃い魔力がそこら中に満ち満ちていて、私の魔力を飲み込んでしまうのだ。

 分かり切った結末だが、もしかしたら見つかるかもしれないという思いが、無駄足を踏ませた。

「歩いて探すしかないのか…」

 魔術だらけの広い館で、人探しをするのは本当に気が重くなる。

 魔獣の長が魔力をまき散らしているせいで、館に描かれた制御文字が勝手に発動する。怪我人の治療をベーダに手伝わされる。

 恐らく館を一回りしたと思う頃には、足が棒のようになった。

 腹が鳴った。

「私にも昼食を一つくれ」

 食堂で、少ない食料を何とかやりくりしている係りの者にそう言った。ベーダの連れてきた貧民街の者は、いつの間にかこの館のあちこちで働いている。

「どうぞ」

「ありがとう」

 昼食を受け取った。

 魔獣の長から貰った五日の猶予は決して長いものではない。そのうちの半日を費やして人ひとり見つけることができないとは、無駄骨も良い所だ。

 まあ、何はともあれ腹ごしらえだな。

 薄い野菜スープと、干してからからになったパンを、ゆっくり噛みしめる。食料が足りない時は、とにかくよく噛んで食べろ、と、先日の魔獣との戦いのなか、高濃度の魔力によって変死した従者が言っていた。

「ふう、ご馳走様」

 空になった器を返す。

 そして食堂を出ようとした時、あることに気が付いた。

「こんなところに魔術をかけた奴がいるのか?」

 食堂の面々を見るが、皆知らないと首を振った。

「なるほど。ここか」

 指に、魔力を纏わせる。

 揺らめく魔力のカーテンに、くるりと円を描いた。

「認識阻害を二重にしているな、念入りなことだ」

 規則正しく一定の形を取って並ぶ魔力は、織布のように滑らかだ。

「あの、殿下? 一体何を?」

「すこし静かにしていてくれ」

 糸を編み込み、模様を作る。同じように、魔力は細く伸ばして編むことで、様々な効果を発揮する魔術の膜となる。

「縦が三、横が三。奥は、縦が二、斜めに四」

 魔力を纏った指でなぞり、感覚から縦と横の魔力を読み取る。制御文字を使わず、直接魔力をコントロールして循環させている。干渉を察知する工夫だ。

 糸をつまむように、魔力をつまんでみた。

「随分太めに作ったな、よほど急いで作ったらしい」

 魔力の布は、きめが細かい方が悟られにくい。魔力の密度にむらができにくく、違和感を感じさせないのだ。

 私は、魔力を同じ太さに調節して、地面から頭の高さまで楕円の入り口を魔力のカーテンに描いた。

 切り裂いてもいいが、逃げられて時間を無駄にするのは避けたい。

 私の魔力と、カーテンの魔力が反発する。シャボン玉の中に、わっかをのせて、輪の中だけ膜を割る要領だ。魔力の循環は止まらず、通路ができた。

 くぐり抜ける。

 すると、

「案外時間がかかりましたね」

 皮肉を言うギルダスがいた。

 書斎から食堂までの長い廊下を、丸ごと魔術で隠している。

「認識阻害を同時にいくつも発動させる、陰険な魔術師のお陰だな」

 皮肉を言い返すと、どうやらカチンときたらしい。

「ふん。実力不足なんですよ。権力にとらわれた愚か者め」

「そうかもな」

 鼻息を荒くする少年魔術師の言葉を、さらりと流す。

 改めて、ギルダスをじっくり見ると、まだまだ子供なのだと思う。

「お喋りをしに来たなら、帰っていただきましょう」

 ギルダスが、人差し指を立てた。

「ところが、そうはいかない」

 魔術を発動しようとしたギルダスの指先、集まった魔力に、私は準備していた魔力を混ぜた。一方で、操るものを探して魔力の網を広げていく。

「ちっ」

 性質の異なる二人の魔力は、複雑な魔術の術式をめちゃめちゃにする。

 あえなく、ギルダスの魔術は失敗した。

「二度はやられんさ、師匠」

 ギルダスは指先に滞った魔力を散らした。

「確かに。あなたは物覚えのいい弟子でしたよ」

 そして今度は、氷の魔術を発動した。

 単純な氷の魔術は、魔力が魔術に組み上げられるまでの時間が短い。今度は魔力を干渉させて魔術の発動を阻止できず、前方に思いっきりジャンプした。

「鍛錬のたまものですよ」

 廊下の床には不釣り合いな氷の檻が吹きあがる。

 飛び上がり、床を転がり、いくつも躱していったが、五つ目で、つま先を捕まえられた。

「そのまま大人しくしろ!」

 ギルダスが、高ぶりをそのまま魔術にぶつけた。

 一気にギルダスの魔力が流れ込み、幾何学的な模様を作り、氷へと変わっていく。

「ここか」

 広げていた魔力にお目当ての感触があり、そこへ向かって魔力を流し込み、操る。

 中庭の井戸から水を引き、熱の魔術を使った。井戸水の中で私の魔力は激しく揺らめき、たちまち空中に沸騰する湯の管が現れる。

「ふん、そんなもの」

 しかし、一足早くギルダスの魔術が私を覆う。私は、頭まで氷に覆われてしまった。

「魔獣と戦いすぎたせいか? 集中が疎かになってるぞ」

 私は氷の檻の内で、魔力を流せる隙間を見つける。檻を作る魔力はずいぶん荒かった。

 湯の管が、蒸気に変わった。

「くっ」

 廊下に熱波と化す蒸気が吹き荒れる。

 氷の檻を溶かす。

「まだまだ、これからだ!」

 蒸気を操る魔力は私の支配下にある。私の胸の前の中心へ集める。

 水蒸気が水となり大きな球を形作る。

「面白いことをしてくれますね」

 廊下に使われていた漆喰を使い、泥の壁で蒸気を防いだギルダスが瞳を輝かせる。

「話を聞いてもらうぞ、師匠」

 私が話す間に、ギルダスが、いくつも異なった形に魔力を作る。魔術の同時行使をするつもりだ。

「もう破門したのですから、師匠と呼ばないでください!」

 火、水、風、土。ギルダスの多種多様な拘束魔術を水球を操って凌いでゆく。

 火の杭を消し、水の鞭を相殺し、筋を狙う風の刃の衝撃を殺し、土の檻を溶かす。

「ギルダス!」

「何です!?」

 魔術を打ち合う間に、とぎれとぎれの音を交わす。

「私の魔道を導いてくれ!」

「権力には与しません! それが魔術師の誇りです!!」

 稲光が舞った。水流で道を作り、痺れから逃れようとするが、威力が大きく逃しきれなかった。右ひじがうずく。

「先代の代王の命令で私を受け入れたのだろう! これは権力に与したことにはならんのか!?」

 私の足元から、旋風が舞い上がった。かと思えば、それはたちまち大きくなっていき、吹きすさぶ大竜巻へと姿を変える。

「どうした、図星か!?」

 声を張り上げるが、風の音が激しく、聞こえているかは分からない。

「もう、その減らず口を叩けなくしてやりましょう」

 掠れて聞こえたギルダスの声。

 その後に、ゴロゴロっという音がする。

 背筋を走る寒気を感じ、上を向いた。

 廊下の天井には雷雲がかかっている。

「室内で雷を落とす気か!?」

 上に雷雲、周りは竜巻。逃げ場は、下だな。

 そう、思った。

 しかし、足元にはいつの間にか、びっしりと荊が多い茂っている。魔術でちぎり飛ばし、廊下に穴をあけて逃れようと思っても、ちぎるたびに次々と再生して私の魔術を廊下の床へ届かせない。

「くそっ」

 魔術が組みあがる。魔力が、雷を模る。

「いい加減、私を放っておいてください!」

 雷が、落ちた。

「もう、殿下の顔も見たくありません」

 酸っぱい匂いがする。

「ごほっ」

 知らず知らずのうちに、呼吸を止めていた。ぴりぴりした空気を吸い込んで、むせ返る。

 足元には焼けた荊。

 私が操っていた水が蒸発したのか、蒸気が視界を囲っている。

「なんだ、何が起きた?」

 戸惑ったギルダスの声がする。

 私は傷一つない体で立っていた。そして、目の前に黒い立方体が浮かんでいる。

「魔獣の長!?」

 ギルダスと私は揃って素っ頓狂な叫びをあげる。だが、蒸気が晴れてくると妙な点に気が付いた。

「にしては、どうも…」

「なんだか、小さいな」

 元の魔獣の長は、人の頭ほどはある黒い箱だった。しかし、目の前のそれはせいぜい市場で売っている魔獣の卵ほどしかない。

「お?」

「ん?」

 小さな黒い箱は、散乱した雷の魔力を引き寄せ、霧散させる。そうして、辺りの魔力を吸い込み、私に近づいてくると、靄のようになり、私にねっとりとまとわりつくようにしながら、皮膚へ沁み込み、体へ入ってしまった。

「うわ、気持ち悪」

 生々しい動きの黒い霧に、ギルダスは先ほどまでの戦意を失った。

「ギルダス、これ何とかしてくれ!」

 私も、喧嘩のことなど頭から消え、ぞわぞわする感覚から体をかきむしる。

「こっちへ来るな!」

「全身がぞわぞわする! ギルダス!」

小さな魔獣の長が体から出てきたのは驚いた。なぜこんなものが体から出てくるのかは分からない。だが、待てよ、これは好機だ。

筋肉の働きを魔力で補助して、肉体を強化。身体能力向上の魔術を使い、ギルダスに詰め寄っていく。

ギルダスは距離を取ろうと、牽制に魔術を使う。

「ええい! 引っ付かないで下さい!」

 その魔術は、私の身体から漏れ出す黒い粉末に吸い取られる。

「ふははは! どうしたギルダス、全く私には効いていないぞ!」

 攻守が逆転して、長い廊下を書斎へ向かって駆けていく。

 そのうちにギルダスの走る速度が遅くなってきた。

「く、くしょう。もっと鍛えておけばよかっっちゃ」

 荒い息を吐き、汗まみれになった魔術師が膝をついて、廊下に倒れ込んだ。

「運動不足にもほどがあるだろう」

 思わず口をついた言葉にも、ギルダスは睨みつけるばかり、ぜいぜいと荒い息をするので精いっぱいだ。

「いいかギルダス。代王都が魔獣の手に落ちるのは時間の問題で、私はそれを阻止したい。しかし、私一人の力ではどうにもならん。今、ヘンギストとオイスクに手紙が届いて、それぞれ城壁内の残存勢力を集めている頃だろう。加えてお前にも力を貸してもらいたいんだ」

 ようやくギルダスの呼吸が落ち着いてきた。

「断る」

 ぶっきらぼうに、何度聞いたか分からない返答を繰り返す。

「…分かった」

 ここで、あえて一旦引いた。

 少し不思議そうに、ギルダスが廊下の床に座る。

 魔力を紐にして、葉を引き寄せる。ギルダスの父から貰った葉だ。

「これに、お前の母親のことが書いてある」

「それで?」

 そっけないような返事だが、ローブのフードを目深にかぶり、目を隠した。

「ベーダとそりが合わないのは、母親ができなかったことを目の前でやられているからか?」

 無言。

 私は、言葉を続けた。

「母親は、お前の母は、治療の魔術を研究していたんだったな?」

 ギルダスは、膝を抱えてうずくまった。迷子の子供のように。

「で、医者と薬師の反発を喰らった」

 魔法で、怪我や病気を治すのは一瞬。医療や薬と比べれば、一日の患者数はケタが違う。つまり、礼金もケタが違う。

「患者が来なくなって、仕事にあぶれた連中が、王室に泣きついた」

 魔術師が治療の魔術を開発して、研究もかねて患者を治療し続け、代王都の半分以上の医者と薬師が廃業寸前に追い詰められた。

「十年前のことだったな。私は十歳で、師匠は五歳だ」

「ええ、そうです。もう、おぼろげですが、困っている人を放っておけない優しい母さんでした、多分」

「そうか。それだと、多くの病人や怪我人を助けたんだろうな」

「そして、多くの医者たちに恨みをかった」

「…」

 私の父、先代の代王の治世、今から十年前のことだ。上は王家の御用医師から、下はスラムの闇薬師まで、代王都の意思と薬師、約半数が魔術師つぶしを始めた。

 怪我の治療を片手間にやっているような、様々な術式を知る魔術師は、雇われた暗殺者を吹き飛ばした。

 病の治療を専門にやっていた、身を守る魔術すら使えない魔術師は、空しく屍を晒した。

 代王都に混乱が満ちたが、時の代王は、これを私闘とみなし、軍による鎮圧を避け、乱暴狼藉の禁止を発布するにとどめた。

 これに、人々は噂をする。

「王家の御用医師と薬師が、裏から手を回しているのだ」

「魔術師の勢力が日に日に増す中、その力が削がれるのは、都合がいいんだわ」

「手練れの暗殺者と、万象を操る魔術師の戦いだ。巻き込まれて兵力を失うのが馬鹿馬鹿しいのさ」

「いいや、本国の東王国から、関わるなって命令が届いてるのさ」

 おそらく、どれも少しづつ正しく、少しづつ間違っているのだろう。

 私は、当時十歳。第十番目の子として、いずれ臣籍に降下することが決まっているようなものだった。そのため、代王と、父とは接点もなく、その時の記憶はあまり残っていない。

 ギルダスは、ギルダスの母親は、絵にかいたようなお人好しで、治療の魔術を研究していた。

「路地裏に倒れていた、暗殺者と、魔術師を、屋敷に運び入れて、治療したそうだな」

「……」

「暗殺者が先に目を覚まし、その後、」

「母は、僕の、目の前で、殺されました」

 私の手の中で、ギルダスの父から貰った葉っぱの手紙が、かさかさ鳴った。

 書かれた樹人の文字が舞って、木の葉の中に、もう一枚木の葉が見える。

 最終的に、私闘は一年続いて、表沙汰になることはなかった。

「治療師として名高かった母の死は、当時代王都にいた治療の魔術師に衝撃を与えたと聞きます。母の死後、治安の悪くなる一方だった代王都を、三々五々と魔術師が去り、騒動は自然消滅しました」

「お前の父親は、残ったのか?」

「はい。当時から、父は暗殺者を追い返すたびに、後遺症を残すまで痛めつけていましたから、暗殺者の中でも、恐れられていたのでしょう」

 魔術師が与える後遺症か。身の毛もよだつ、おぞましい姿になるような術をかけたのだろう。

「ふー」

 どちらのものとも言えぬため息が、重なった。

「騒動の時、何もしなかった王家の人間を、よく弟子として受け入れたな」

 ぽつっと、疑問が口から浮き出た。

 ギルダスは、微苦笑を浮かべた。

「当時の代王国はこの大陸一の国でした。そこの一族に繋がりができると思えば、恨みの一つや二つ、頭の片隅に追いやることなど容易いですよ」

 なるほど、権力目当てか。

 汚らしい、と思うのがいつものことだった。実際、いままで、あらゆる姿の、あらゆる身分の者が、王家に取り入ろうとしてきた。私の母親の一族は、その成功例だ。

 だが、ギルダス。まだ十五のお前が、母を見殺しにした一族への恨みを、それほど冷徹にとらえられるのか。

「私を通じて、魔術師の地位向上を目指し、医者と薬師を追い落とそうとでも?」

「そうですね」

「いやにあっさり認めるじゃないか」

 ギルダスの微苦笑が、深くなった。が、それだけで何も言わない。

 焦れて、私から口を開けた。

「なあ、交換をしよう」

「交換、ですか」

「そうだ」

 廊下の壁に背中を預け、王子と魔術師で、反対側に空いた穴を見る。魔獣の血糊がついていて、穴の縁はぎざぎざだ。

「私は、お前に権力を貸す」

 穴の向こう、雲に近い所を、目玉に羽の生えた魔獣が飛んでいった。

「それで、お前は、私に魔術の力と、知識を貸せ」

 少しの間、雲が流れるのを見た。

 生臭い風が、鼻の穴から入り、口から出ていく。

「考える時間をもらっても?」

「かまわない」

 それで、ギルダスはどこかへ歩いていった。

 小さな背中が、廊下の角を曲がった。姿が見えなくなってから、

「つ、疲れた」

 くたくたになった体を、廊下の瓦礫に預ける。

 食堂で、ギルダスが魔術を解除したのだろう。認識阻害の魔術がほぐれていく。

 ギルダスは、味方となるだろうか。

 私の目算では、五分五分、いや、六分四分でこちらにつくと見る。彼と、彼ら魔術師の取る道は二つ。逃げるか、戦うかだ。

 戦うとなれば、こちらにつく。というか、つかざるを得ない。戦力をばらばらにして戦って、勝てる相手ではない。

 逃げるとすれば、命は助かるだろう。ここまで、魔獣の攻勢を退け続けた実力があるのだ。城壁の外に広がる、魔獣の包囲網を突破できる可能性は、低くない。

 ただ、生き延びた先、立場がどうなるかは、分からない。今より良くなることは無いのが、確実なくらいか。

 揺らめくギルダスの魔術の名残の内で、足音がこっちに来た。

「やあ、殿下」

「ベーダ」

 爽やかな笑みで、治療師が座り込む私を覗く。

「大丈夫ですか? 立てますか?」

 白い歯が、ずいぶん伸びた金髪の隙間から、ちらりと見える。

「すまない。立てない。魔術で魔力と集中力を使って、ギルダスを走って追いかけるのに体力を使ったんだ。正直、この場で眠ってしまいそうだ」

 気が緩んだせいで、余計に疲労感が激しい。誇張でなく、このまま瞼が落ちそうだ。

「眠っている時間はありませんよ」

 ちょっと笑いつつ、ベーダは白く細い人差し指で、私の額をつつく。

 そのまま、指を放さずに、ベーダが魔力を練った。

「軽く、体力を回復させましょう」

 ベーダの魂から、細い糸状の魔力は、複雑に、筋肉の繊維の様にまとまる。

 私の額から入り爪先まで、全身に行き渡り、私の魔力と反発することなく、溶けて消えた。

「ん。体が、軽くなった?」

 気だるさが、ベーダの魔力と共に消えてしまう。すると、軽々と立ち上がることが出来た。

「どういう理屈だ?」

「疲労の原因物質を、魔力で体外へ排出しました」

「ほう」

 ぐるぐると肩を回す。膝を曲げ伸ばしする。

 血の巡りが良くなって、頭もしゃっきりしてきた。

「助かった。まだまだやることは山積みだからな」

「お役に立てたのなら、光栄です」

 そこでベーダの微笑みが、少し陰る。

「殿下、少しお時間を頂けますか?」

「うん?」

 時刻は、正午を大分過ぎたようだ。余裕があるわけではないが、ギルダスの一件が片付いた達成感があり、ベーダの言った、少し、という単語もあった。

「いいぞ。何だ?」

「お話ししたい要件があります。こちらへ」

 促され、色男の背中についていく。ちょっとした違和感もあるが、私は大人しくついていく。

 迷路のような廊下を歩いて。

 奇天烈植物園の中庭を過ぎて。

 館の裏門についた。まだ、魔獣との戦いの最中、私がこっそり忍び込んだところだ。

 その時には、死体安置所になっていたはずだが。

「ここが、私たち治療師が治療をおこなう場所として用意された場所です」

 苦痛の呻きが、鼓膜に沁みつきそうな場所になっていた。

「殿下、もう戦いはお止めになりませんか?」

 硬い口調、そう、違和感を感じていた固い口調でだ。ベーダは、その場にいる治療師の代表として、私、代王に意見を具申している。

 その金の瞳には、かつての友として私の姿は映らない。望まぬ戦を続ける代王として、黒い影が張り付いている。

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