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九王記  作者: 荒木小吾
一章 西の大陸で
23/68

22話

 魔獣に占拠された故郷代王都。魔獣の頭、しゃべる黒い箱と話をつけ、五日の猶予をもぎ取った。

 これから、生き残りの面々と話をつけ、代王都を明け渡すのか、それとも徹底抗戦をするのか、結論を出さなくてはならない。

 さもなくば、人族勢力の長ではないと見なされ、私は用済みだ。

 行きつく先は、黒い箱の指示に従って代王都を囲んでいる魔獣の餌だろう。

「ギルダス。少し時間はあるか?」

 ひと時魔術を教わった、魔術の師。

 彼は、いまだ少年ながら、実力は他の魔術師よりも頭一つ抜けていて、次世代の魔道の先端と目されている。

「作業しながらでいいですよね?」

 黒い箱が魔獣を代王都の外壁の外へ連れ出した。ギルダスはその隙をついて拠点にしている館の補修をおこなっているらしい。

 角の生えた魔獣に頭突きをされたような穴を魔術で塞ぐギルダスは背中を向けたまま答えた。

「構わない」

 ふと、この光景を頭の固い貴族連中が見たらどう思うかを考えてしまった。

 従者も連れず、王族が魔術師と二人。魔術師などという怪しげな連中を信用するな、とでも言うだろうか。

 魔術師に対し、人々は不気味さと、幾分かの畏怖を持っている。接してみれば、興味を持った事柄に一直線な、ちょっと変わった奴らなだけなのだがな。

「いったい何の用です? 明後日の王宮での会議には、参加すると伝えたはずですが」

 丈の長いローブを羽織った十五の少年は、作業の手を止めずに意識だけを私に向ける。

「それとは別件でちょっと相談があってな」

「聞きましょう」

「使い魔を何匹か貸してくれ」

「使い魔を? 何に使うんですか?」

「ヘンギストとオイスクにあらましを伝えて、代王都中の勢力に王宮へ来るように伝えなくてはならない」

「それなら一匹でいいでしょう」

 至極もっともな指摘だが、あえて何も答えずにいた。

「ま、構いませんがね」

 察してくれたか。ありがたい。

「使い魔の小屋の位置は変わらずか?」

「はい。中庭の隅に置いてあります」

 使い魔を借りる件を片付け、もう一つ話をしておこうかと思ったが、何事もそう上手くはいかないようだ。

「王子。密談とは穏やかでないな」

 城内を跋扈する魔獣達を退去させていた黒い箱が降りてくる。几帳面そうに、ぴったりと私の眼の高さで宙に制止した。

「なに。連絡用に使い魔を借りる話をしていただけだ」

「使い魔、か。不愉快な響きだな」

 黒い箱の表面が古沼のように泡立った。抑えられていた魔力が放出され、ギルダスは咄嗟に魔力を防いでいたが、こちらは会話の途中でもあったので、まともに濃くてどろりとした魔力を浴びた。

 肺が、締め付けられる。

 膝をついて喘ぐ私を、黒い箱が見下ろした。

「む、魔力が漏れてしまったか」

 わざとらしく黒い箱が呟く。

 ギルダスが止めに入った。

「はやく魔力を止めないと、代王都の核が居なくなってしまいますよ」

「相も変わらず、日輪の眷属は脆いな」

 魔力が収まった。

 荒い息を抑えつつ、ゆっくりと呼吸を止めないように立ち上がる。

「時間がないのは同じはずだ。会議の準備を始めろ」

「言われなくとも、そのつもりだ」

「ああ、使い魔の小屋の鍵を持っていってください」

 ギルダスが腰から鍵を一つ外す。

「そうだった」

 使い魔の小屋は中庭にある。庭いじりが趣味のギルダスがせっせと世話をしている奇妙な植物の陰に隠れ、じっと動かない小さな石像を入れた小屋がある。

 小さいながらも翼と嘴を備えたそれは、南大陸にいる鳥、という魔獣をモデルに作ったのだという。

 そのため使い魔を、人造の魔獣、と言うものもいる。

 館の中へ戻り、ギルダスの父から書斎を借りた。

 手紙を書いた。ヘンギストとオイスクへ一通。ボルテへ一通。フリティゲルンへ一通。

 使い魔に持たせて、窓を開け放つ。人が消え、真っ暗なった代王都。その中に、ぽつりぽつりと明かりが見える。

「あそこがヘンギストとオイスク。あれがボルテだ」

 場所を確認させて、代王家の紋章で封をした手紙を持たせる。使い魔達の足へ括り付けると、

「頼んだぞ」

 と夜の中へ放った。夜風がひやりとして、すぐに窓に手をかけて閉めた。

 手紙を出して一息つく暇はない。

 これから、ベーダの所へ行って、一対一で意思を確かめてこよう。

「殿下、話をしたいのですが、いいですか?」

「ギルダス?」

 急に声をかけられて、心臓がきゅっとした、止まるかと思った。

「何故ここにいると?」

 屋敷の外で作業を続けていると思っていたギルダスは、なぜか私の後ろ、入り口の扉に華奢な体を持たせかせている。

「何故も何も、そんな強烈な魔力を発しているのに分からないわけがないでしょう」

 顎で黒い箱を指され、ああそうかと思い返した。

 先ほどからなにも言葉を発しない、この黒い箱はそこらの魔獣とは一線を画す魔力を持っているのだった。

 もとはといえばこいつの魔力を調べようとこの館へ入り込んだのに、今ではすっかり意識の外になっていた。

「どうも、ずっと近くにいると感覚が鈍くなってしまうらしい」

「私の接近にも気が付かないくらいですからね」

 皮肉を交えて話す姿は、再開してから漂わせていた魔術師を束ねる者のそれではなく、私に魔術のいろはを教えてくれたかつての彼のものだった。

 咳払いで皮肉を区切る。

「何か話があるんだろう?」

「ええ、まあ」

 ギルダスは部屋の中ほどまで進み、書斎に山積みになっている本の山へ腰を下ろす。

 何も話しださない。

 いたたまれなくなり、私はギルダスの前に置いてある標本を入れた頑丈な木箱へ座った。

「話しにくい事か?」

「別に。ただ、ずいぶん雰囲気が変わった理由を知りたくなったのです」

「雰囲気が変わったのはお前の方だろう」

 目の前のギルダスを見る。いかにも昔話に出てくる魔導士という風情のローブは、あちこちがすすで汚れ、擦り切れている。

 顔が、十数日前、私が出陣した時よりも頬が鋭くなって大人びていた。

「あなたもですよ」

「私も変わったのか?」

「はい。だいぶ、というか、ほとんど何を考えているのか分からなくなりました」

 よく分からないことを言う。

「もっと外見的に変化したと思ったんだがな」

「大人が十数日でそう変わるものではありません」

 そうだ、そういえばこいつはまだ十五だったな。子供の変化は早い、ということか。

「何かあったのなら、師匠に報告するべきでは?」

 ローブのフードを被り、目を隠してそう言った魔術の師匠。すねた言い方だが、心配しているのが分からないほど鈍感ではない。

「何かあったというほどのことではないが」

 前置きをし、かいつまんで代王都から出陣した後の顛末を師に語る。

 異様な気配を放つ黒い箱と、館の術式で灯る明かりが書斎を満たす。

「その、一人だけ助かった後で玉座を狙おうと思ったのですか?」

 フリティゲルンのことは話さなかった。戦場で死体の中目覚め、自力で怪我を直してここまで帰ってきたと嘘をつく。

 魔術師が、この大陸の先住民へどう接するのか分からない。元々魔術師は、強靭な先住民へ対抗するために魔術を鍛えてきた者達だからだ。

「そうだ。一人きりになると、思いもよらないことを思いつくものだな」

 冗談めかして言うが、笑う私とは対照的にギルダスの顔は強張っている。

 風もないのに、ゆらりと、窓を隠したカーテンが揺らめいた。

「魔術師になるのは、諦めたと?」

 様子がおかしいとは思ったが、思ったままを素直に伝えた。勢力の顔ではなく、友人、師弟として話していると安心していたのだ。

「代王と魔術師の両立は厳しいだろう」

 書斎の明かりが瞬いた。

 ギルダスの耳が赤くなっている。

「この、この、このこのこのこの」

 突然、この、としか言わなくなるギルダス。

 魔力が、歪に膨らんだ。

「このっ!!」

 視界が瞬く。

 何が起きたんだ。

 ぬるっとした感触が鼻に来て、殴られたのだと分かった。しかし、何故だ。

 問いと、ちかちかした光が目の前を舞った。星のようだ。

「仲間割れか?」

 黒い箱が問う。

「黙っていろ!! これはただの喧嘩だ!!」

 ギルダスが甲高い声で絶叫する。剣幕に気圧されたように、黒い箱は押し黙る。

 戦の最中に側近たちから聞いた鼻血への対処法は何だっただろう。うろ覚えながらに片方ずつ鼻から息と血を噴出し、凝固の魔術を鼻の奥で発動した。

「魔術よりも、権力を求めるのか!?」

 もう一発、今度は顎に来た。非力な魔術師とは思えない腕力、魔術で肉体を強化しているな。

「心の中では、魔術師を馬鹿にしていたんだろう!」

 支離滅裂だな。不思議と冷静な頭の片隅で、そんな感想が湧いた。

 ふらついた体の鳩尾に、重い拳がめり込んだ。

 呼吸が止まる。頭に空気が行かなくなり、視界が黒く反転する。

「目を覚ませ!! まだ答えを聞いていないぞ!!」

 気を失っていたのは一瞬だった。

 声が聞こえて、迫る拳が見える。

 腕が動いた。拳を止めた。風が頬を打つ。

「少し落ち着け! ギルダス!」

 叫ぶと、鼻にたまっていた血が噴き出た。

 荒い息をついてギルダスは私を睨みつける。肉体強化の魔術は作動したまま、いつでも殴り掛かる構えは崩さないものの、とにかく構えなおして、向かい合って立つ。

 激情した魔術師を油断なく見据えつつ、まだ鼻に残っていた血を、呼吸と共に吐き出した。ようやく息が吸える。

 私が魔術師になるのをやめた、そう聞いて怒りの引き金が引かれたのは間違いない。

「魔術を止めると思ったのか?」

 書斎は沈黙のままだ。

「私は、代王になっても魔術は続けるつもりだ」

 本心だ。魔術は私の力になる。

 返答があった。

「所詮、お遊びの魔術だ」

「そうならないように、お前が私を導いてくれ」

 埃の落ちる音が聞こえそうだ。

 唾を飲み込んだ。

「世の研究者は、孤独に魔術の探求をしているというのに。私ありきでの魔術修業を望む。気に入らないですね」

 少しづつ、ギルダスの顔の赤みが消えていく。反比例して、魔力が練成されていく。

 ギルダスの手元に杖が飛んできた。

「誰も到達したことのない、王と魔術の二足の草鞋だ。一人で叶えられると思うほど思いあがってはいない」

 思ってもいないことが口から飛び出す。

 フリティゲルンの話を聞いてからは、すっかり魔術への興味は失せていたのだが、こうやって玉座と魔術の深淵を追う道を示すと、それもいいかと思えてくる。

 ずいぶんと優柔不断だな、と頭の片隅で声がする。

「ふん」

 嘘か誠かも不明瞭な戯言は、ギルダスが魔術を完成させて打ち切られた。編み上げられた魔力は、整然とした列をなして発動の時を待っている。

 美しい、一瞬、殴られた痛みも忘れ、そう思った。

「御託はもう結構です」

「ならば」

 力を貸してくれるというのだろうか。甘い予測が先に立つ。

「破門です。もうあなたに魔術を教えることは無いでしょう」

「何?」

「失礼します」

 魔術が、放たれた。

 視界から光が消える。殴られてから鬱陶しく垂れてきていた鼻血の匂いもしなくなる。音もない。

 己の意識しかない暗闇。動転しかかった心を押さえつけた。

「ふぅ」

 大きく深呼吸。肺が膨らむ様子が感じられないのが気色悪いが、とにかく息は吸える。

 淡々と、呼吸だけに集中し、頭がようやく回転を始めた。

「ギルダスは、この隙に逃げたな」

 言葉を発しているつもりだが、自分の声も聞こえない。顎が動いているかも分からない。

「五感を奪う魔術か、逃げるためだけにこんなに高度な魔術を使うとは、本気で私を破門する気らしいな」

 大口を開ける暗黒に飲み込まれそうになりながらも、頭を回転させ続ける。

「お前は私の側近候補筆頭だぞ、ギルダス師匠。なんとしてでも私の元に戻ってきてもらう」

 そのためには。

「そのためには、魔術を解かなくてはならないが」

 魂に意識を向けた。

 世界とつながり、今も魔力を取り込んでいる。道をいくつか辿っていくと、ふさがった個所に気が付いた。

「ここか」

 魔力の通り道に、ギルダスの魔術で変形した魔力が絡みついていた。通り道に、魔力を流し、道を押し広げる。

 勢いを増した私の魔力に反発し、ギルダスの魔力が剝がれる。

 視界が戻った。

「場所は、動いていないな」

 足で床を踏みしめると、靴の裏に固い感覚が伝わる。触覚も戻った。

「今の隙に館をつまみ出されているかと思ったがな」

 声も聞こえる。垂れた鼻血を拭う。

 無事に魔術の制約から逃れられたようだ。

「少し、休むか」

 ため息をついて座り込んだ。

 真夜中を回り、月も中天を過ぎた。

 気が緩むのに差もなく、疲労に肉体が乗っ取られていく。

 書斎の隅にスペースを見つけた。見渡すが、体に掛けるものは何もなさそうだ。

「こんな時、騎獣が居れば暖かいのだがな」

 それでも、疲労の侵食は砂の城を波が蝕むようで、私の意識はあっという間に崩壊していった。

 最後に脳裏に浮かぶのは、明日の朝食の献立だったような気がする。

「はっ!」

「目が覚めたようだな、殿下。いや、もう陛下と呼ぶべきかな?」

 昨日眠ったままの姿勢で目が開き、しわがれた声が寝耳に入ってくる。

「即位の儀式は済んでいないから、どちらでも構わない」

 気を抜くとまた閉じてしまいそうな瞼をこすって、全身の筋を伸ばしていく。

 書斎の机に腰かけているのは、ギルダスの父親だった。朝食を食べたあとらしく、豊かな髭にパンくずがついている。

「朝食を用意させよう。ここで食べていくと良い」

「せっかくのお誘いだが、私はギルダスに用事があってな、あまりゆっくりとはしていられないのだ」

「ふむ」

 ギルダスの父が指を鳴らした。

 書斎のあちこちに散らばっていた資料が片付き、ギルダスの父が座っている椅子に似たものがもう一つ出てきた。

「ならば、なおさらここで朝食を取るとよい」

 髭に覆われた彼の面立ちは読み取りにくく、微かに口の動きが髭によって伝わるのみだ。

「あ奴と喧嘩をしたようだな」

「うん? まあ、一方的に殴られただけだがな」

 乾いてこびり付いている口元の血を指先でこそげ落とした。

「ふふっ。あ奴があれほど感情を露にするのは初めてのことだ」

「見ていたのか?」

「この館の中なら、だいたいのことが儂の手の内なのだよ」

 館の中、所狭しと張り巡らせた術式の中に知覚に関する魔術の術式を混ぜているのだろう。

「隙が無いな。隠し事はできないか」

「ああ、だから息子とのいざこざの原因も分かっている」

「ほう」

「知らないうちに、あ奴の傷に触れたらしいな」

「傷?」

「あ奴の生い立ちだ」

「ギルダスの生い立ちか」

 本人からはそれらしい話を聞いたことは無い。それに、今ここで話さなくてはならないのだろうか。疑問は残るが、興味はあった。

 朝食を取ると言うと、ギルダスの父は部屋の隅に置いていた葉を一枚とり、ふっ、と一息吹きかけた。魔力を流し込んで、葉の内に魔術式を構成したのだ。

 風もないのにひとりでに飛んでいく葉を見ながら、今は天井近くを漂ってる黒い箱を視界の脇に収める。

「人に聞かれてもいい話なのか?」

「一つ考えがあってな」

 ギルダスの父はにやりと口の端に意地の悪い笑みを見せ、急に軋る音が混じらせて言葉を発しだす。今まで使っていた東大陸語ではない言葉だ。

「なるほどな、いい考えだ」

 頭を、東大陸語から樹人後に切り替える。南方へ行く準備として、樹人の言葉を学んでいたのがここで役に立ったか。

 黒い箱の様子を見た、反応は見えない。

「文字は書けるか?」

 股の上に葉が舞い降り、そこにはそう書いてある。木の枝のように尖った樹人文字だ。

 そこで、魔術師の館を覆いつくして余りある黒い箱の魔力が、僅かに揺らぐ。

 ギルダスの父が表情を消し、私は急いで羽ペンを呼び寄せ、葉の裏に数行、乱雑に書きなぐった。

「樹人文字は奴に内容を知られず話せるようだ。ギルダスの生い立ちについて、私に教えてくれ」

「まて、お前たち。なんのやり取りをしている?」

 葉を浮かせてギルダスの父へ送るが、途中で黒い箱に遮られた。葉は、急に現れた重い魔力に跳ね返されて私の手元に戻ってくる。

「昼食の献立を相談しているだけだ」

「何を企んでいる?」

「何も。ただの語学の勉強だ」

 右肩に、鈍痛が走った。

「答えろ。王子」

 術を組み立てる素振りは見えなかった。魔力を直接流し込まれたか。

「言っただろ、勉強だよ」

 無理に聞き出そうとしてくる魔獣の大将に、私は意地を張った。友人の秘密をぺらぺらと話す気はないし、こいつの言いなりになる気もなかった。

「嘘はよくないな」

 魔力をさらに流し込まれる。右肩から、首にまで入ってきた。肉体の三分の一は侵食されたな。

 魔力と魔力は反発し合う。

 故に、人は自我を持ち、他人とは異なる個を持っている。魂に取り込まれ、個々の性質を持った魔力がお互いに反発して、我々は生きている。

 しかし、無理矢理に他人の魔力と自分の魔力を融合させる方法があった。

「さっさと白状してしまえ、日輪の土塊」

 どちらかの魂、つまり魔力が、全て、力の強く強大な濃厚な魂の方へと引っ張られ自我が消えてなくなるのだ。

「殿下」

 話してしまえと、ギルダスの父が見る。

「王子」

 魔力が、入ってきた。肉体の半分にまで奴の魔力が染み入ってくる。

「何度も同じことを言わせるな、魔獣」

 一気に、全身に魔力が回った。意識が飛ぶ。目の前が真っ白になり、やがて、色が戻ってきた。

「殿下!」

 自力で体が動く。まだ、自我も残っていた。

「強情な奴だ」

 黒い箱は、天井へと浮かんでいった。

「意識はあるか!?」

「まあ、なんとか」

 無理矢理魔力を入れられると、自分を包む膜が一回り膨れた様な感じがして、私を包む空間が、勝手に私の身体を動かしてくる、空間はどんどん膨れ上がり、私を押しつぶそうとしてくるのだ。

 手のひらを、何度か握ったり開いたりしてみた。

 空間の圧迫感がなくなったせいか、自分の境界がぼやけた気がする。

「書いてくれ」

 葉を渡す。ギルダスの父がそれを読み、何枚も葉を取ってギルダスの生い立ちを書き記す。

 その間に、扉が開いて朝食を載せた盆が飛んできた。膝の上に置き、食べ始めるものの、舌の先までぼんやりとしている。

 真向かいに座る魔導士は葉に文字を連ねるので忙しい。

 私を締め上げて吐かせるのを諦めた黒い箱は、暇なのか、双六のように天井を一面づつ転がっている。

 ギルダス、今どうしている。

 ぼんやりと天井を眺めていると、師匠が激高して殴り掛かってきた姿が思い起こされた。

 どうしてあれほど怒ったのだろう。私が王になり、魔術を共に研究するのはそれほど気にくわなかったのか。

 靄の中を歩くように、先の見えない思考の中をくるくると回る。

「殿下、これを読めばあ奴がなぜ怒りを抑えられなかったのか分かるだろう」

「そうか。手間を取らせたな」

 葉を受け取る。これで、あいつのことが少しでも分かる。

 魔導士の視線がちらりと天井へ向いた。

「魔獣の長」

「なんだ?」

 とっつきにくい淡白な返事だが、魔術師は意に帰さない。

「少しいいでしょうか?」

「何の用だ」

「うむ、実は」

 声を潜める魔術師につられて、黒い箱がふわりと降りてくる。

「少し、見せたいものがありましてな」

「そんな暇はないだろう。早くこの町の土塊どもを追い出せ」

「まあ、そう言わずに。あなたの母親に関するものだから」

「月影様の?」

「まあまあ、こちらへ」

 書斎の本棚を一つ傾けると、後ろに人ひとりが入ることができる隠し廊下が現れる。

「ついて来てもらいましょう。さ、こちらです」

 私を置いて二人は廊下の向こうへ。魔術師がちらりと私を見た、微かに顎を下げて頷く。

 本棚が一人でに元に戻った。

 さて、時間稼ぎをしてもらっている間に、仲直りをしてくるとしようか。

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