18話
西大陸で最も人口の多い国。その首都、代王都、またの名を、四の都。代王を世襲するロムルス家が住まう王宮を中心に、正円を描いて城壁がそびえている。
普段は、人がごった返し活気が満ちる代王都だが、今は凶暴な魔力が溢れ、戦場の体を成している。
都の正門は開け放たれていた。
必死の抵抗を示すが如く、魔獣と人の死体が点々と転がっている。
大気が時折震える。誰かが魔術を使った。生き残りがまだいるようで、一安心だ。
「急ぐぞ」
跨った騎獣が、合点承知、と力の限りに走り出す。
空を飛ぶ魔獣の群れがこちらに気づいた。
「どけっ!」
過去最高の集中力で魔力を組む。顕現させたのは、吹雪。みるみる気温が下がり、四つの羽を持つ魔獣の身体に氷が付着した。氷の重さで落下してくる魔獣を、騎獣が蹴り上げ、踏みつぶす。私も、目の前に迫った一匹を、抜き打ちに切り落とした。
使った魔力に感づかれ、家の影から魔獣たちが顔を覗かせてくる。
「囲まれればどうにもならない。突破しろ!」
「グエッ!」
いつか兵に囲まれて進んだ大通りを、一騎で駆け抜けて行く。
大きく、動きも遅い魔獣は追いつくのを諦めた。
しかし、小さいのが何匹か迫ってきた。ぼろ布をすっぽりかぶった膝の丈ほどのやつが三匹。丸い炎の塊のような奴が二匹。速度を上げて追いすがってくる。
「くそ、前にも出てきた!」
前方の空間が歪んだかと思うと、巨大な岩石が大通りを塞いだ。違う、岩石ではなく、魔獣だ。黒い点にしか見えないが、目のようなものがある。
どうする。どうすればいいか。
大通りを避けて路地に入れば目の前の岩は追ってこれない。しかし、後ろの五匹につかまる。小さい体で、物陰に隠れられながら戦われれば、こっちが消耗するばかりだろう。
逡巡した一瞬、岩のような魔獣が口を開いて飛び掛かってくる。
「しまった」
速い。避けられない。ここで終わりなのか。
私は、驚きで身が竦むが、私の騎獣は違った。速度を上げて魔獣の口に突っ込んだのだ。
魔獣が口を閉じるタイミングをずらし、騎獣は、魔獣の舌に思いっきり嘴で噛みついた。突然舌に奔った痛みに魔獣が驚き、思わず怯む。
その間に私は、魔術を発動した。
「くらえっ!」
大通りの石畳を撥ね退け、土の大杭が二本、私と騎獣の脇をすり抜けて魔獣の口に突き立ち、串刺しにした。
宙吊りになった岩石の魔獣だが、土の杭はその重さに耐えられず、崩れ落ちる。魔獣の口から騎獣は飛び出し、着地すると一目散にその場を離れた。
後をついてきた魔獣と、私を挟むようにして岩石の魔獣が大通りに落ちてきた。石畳がへこみ、土埃が舞う。
また、大気が震えるのを感じた。先ほどよりも近い。はっきりと場所も分かった。貧民街の向こうだ。
「行ってみよう」
土埃に紛れ、路地へ進む。
以前、魔術の師のギルダスと、実験に使う材料を買いに来た。その時のことを思い出しながら、曲がりくねった薄暗い路地を進んでいく。
この辺りまで来ると、石畳は無く、地面がむき出しになっている。
魔術を使うと、魔獣を引き寄せてしまう。魔獣は高い魔力に反応して寄ってくるのだ。一説には、魔力を食べているとされる。
他の生物を捕食するのは、肉を欲しているのではなく、肉体と一体になっている魂を摂取するためなのだそうだ。
代王都は、あの時の戦場と同じ程に魔力が濃い。
歪な形に変形した人々の亡骸が、道のあちこちに落ちている。中には、魔獣の餌になったのか、大きく欠けているものまであった。
魔獣が魔力を食べるのならば、ここはさながらこの世の楽園に等しい場所に見えることだろう。
路地をしばし歩いていると、数人の魔力を感じた。上に一人、前に二人、後ろに回り込もうとしているのが一人。この感じは魔獣ではない。人種だ。
何気ない様子で騎獣を歩かせつつ、剣の柄には手をかけておく。
囲まれた。しかし、襲ってくる様子はない。一定の距離を保ちつつ、私の様子を窺っているようだ。様子がおかしい。
試しに騎獣の足を止め、魔力を感じる方向を見つめ、気づいているぞ、と伝えてみる。
魔力が一つ、離れていった。他に動きは無いので、それを追いかけてみる。
「動くな」
矢が一本飛んできて、目の前の地面に突き立った。
どう対応するべきだろう。
大人しく従うのもいいが、少し驚かせてやろうか。
「無礼であろう。私は代王陛下が一子、ロムルス・ウオーディガーンなるぞ!」
さて、どう反応するか。
「無礼はお前の方だ。殿下は軍を率いて魔獣と戦いに行かれた。ここにいるはずがない!」
ほう、以外に驚いていない。それなら、こうだ。
「この剣の紋章を見よ! さすれば私が真実を述べているとわかるだろう」
鞘ごと剣を背中から下ろし、掲げてみせた。剣の柄には、太陽をモチーフにしたレムス王家の紋章、をアレンジして作られたロムルス王家の紋章がある。
紋章がこんなにもややこしいのは、西大陸のロムルス家が、東大陸のレムス家の分家にあたるからだ。
初めて、声の主に動揺の気配を感じた。
「ま、待て! 今確認する!」
ここはさらに畳みかけるべきだな。
「姿も見せない怪しい者など待てん。進ませてもらおう」
騎獣をゆっくりと歩かせる。後ろと横にあった気配が、泡を食ったように前方へ移動してきた。
「お待ちください。殿下」
私の前に、四人。片膝をついて姿を現す。若いもので私と同じくらい、年かさの者で五十を少し過ぎたくらいだろうか。
「ほう、ようやく礼儀を思い出したらしいな」
あくまで高飛車な態度を崩さずに声をかけ、騎獣を四人の手前で止めた。
「思いもしなかったこととは言え、殿下には大変なご無礼をいたしました」
年かさの男が答える。私と先ほどまでやり取りをしていたのはこの声だ。
「何故、ここで待たねばならないのだ?」
「はっ、我が主の命により、我らはここで魔獣の見張りを行っていた次第でございます」
「それで?」
「生きた人種が通ることなど、この十日余り、絶えてなかったことでして」
喋っている年かさの男は、顔中を汗まみれにして弁明を続けている。残りの三人は、片膝のまま顔を伏せて、微動だにしない。
「もういい、分かった」
くどくどと言い訳を続ける男を制し、騎獣を降りた。
「向こうへ行った者が、お前の言う主とやらに、私のことを伝えて戻ってくるまで待っていればいいのだな?」
「ははっ」
転がっていた空き箱へ腰かけ、空を見上げた。また、魔術で大気が震えるのを感じる。ここからは、少し離れた場所のようだ。ギルダスの屋敷に近い。もしかしたら、ギルダスが生きていて、魔獣を蹴散らしているのかもしれない。
「殿下。戻ってまいりました」
小柄な女が走ってきて、私と、片膝をつく四人に戸惑ったようだったが、私は問いを発する暇を与えずに女に命じた。
「主とやらの所へ案内しろ」
「え? あの?」
「いいから案内するのだ。くれぐれも、失礼の無いようにな」
女の疑問を封じた年かさの男と、他の三人に周りを囲まれて路地を進む。右に曲がり、左に曲がり、いくつも曲がり角を曲がっていく。
「ここからは、お一人でお願いいたします」
「分かった」
地下水道の入口へ案内された。騎獣の手綱を預けると、松明を渡される。
外と比べると、日光が当たらない分ひんやりとしている。ただ、水の流れが随分と弱く、ちょろちょろと音を立てていた。
レンガ造りの水道を歩く。靴の音が反響する。
松明の明かりと、壁に一定の間隔で並んでいるランプのおかげで、薄暗くはあったが歩けないことは無い。
奥に、明かりが見えた。
「俺の城へようこそ。殿下」
ぽつんと、寝床が置かれていて、老人が一人、こちらを見ている。
「あなたが、主、という訳か」
「主? 堅苦しい呼び方だな」
神はすっかり白くなり、皺が全身を覆っているものの、物言いは若々しく声には張りがある。
「名は?」
名を聞いてみた。
「もうない。何日か前に捨てちまった」
不思議なことを言う老人だ。
「なぜ私をここへ呼んだのだ?」
「俺の息子が殿下と知り合いらしくてな、どんな面してるか気になったんだ」
殿下、と呼ぶところだけが丁寧で、後は酒場の飲んだくれと変わらない言葉遣いだ。それでも、なぜか失礼だとは思わなかった。
「息子の名は?」
「ヘンギストだ」
「ヘンギスト? 無事なのか?」
いきなり名前が出てきて、少し驚いた。得体のしれない奴ではあったが、さらに謎が深まるな。地下水道の老人が父親とは、どんな家族に囲まれて育ったのだろうか。
「そろそろ奴もここへ来る。それまで、一杯どうだ?」
老人が枕の下から瓶を取り出し、慣れた手つきで、老人は瓶の栓を抜いた。新しい酒を開けたらしく、瓶の口から漂う香りは、こちらの舌に酒の味を思い浮かべさせた。
「ああ。あいつ以外にも、殿下の魔術の師匠に、貧民街の変わり者治療師も無事だ」
「そうか。生きていたのか」
すっと肩が軽くなった感触があった。考えないようにしていたものの、心のどこかで駄目かもしれないと思い続けてきていた。それがなくなり、気が緩むと別のことが気になってきた。
「ご老体、王宮に残っていた王族について何か知らないか?」
「さあ、生憎だが、俺の眼と耳は町の中にしか届かないんでね」
「そうか」
グラスに酒をなみなみと注いで、老人が私に手渡しす。
「まあ、考えても仕方のない事さ。実際に見に行ってみればいい」
「そうしよう」
「それでは、息子の友人との出会いを祝して」
二人同時にグラスを掲げる。
「乾杯」
私は、一応老人が酒を飲み込むのを待ってから一口含んだ。豊かな香りが鼻に抜ける。まろやかな舌触りだった。
「いい酒だろ?」
「はい」
確かにうまい酒だ。
そこで、一口しか飲んでいないのを見咎められる。
「なんだ、うまいならもっと飲め。良い酒を飲んで、人は良し悪しが分かるようになるんだ」
「いや、ゆっくり酒を飲んでいる時間がないので」
これから、生き残りの住民と、友人と、母親。ついでに親族を助けに行かなければならない。
「やめとけ、やめとけ。もう魔獣どもが城門を突破してから十日以上経ってる。今更誰か助けようなんて、考えるだけ無駄なこった。生き残る奴は自然と生き残るさ」
「しかし!」
老人は、グラスを空にする。
「それによ、殿下」
細く、皺に隠れてしまいそうな目が、私の眼をとらえた。
「あんた、ここへ何をしに来た?」
「何?」
「自力で逃げられる奴はとっくに逃げて、残ったのは老人や病人ばかり。ほとんどは魔獣の腹に収まっちまってる。もう一度聞くぞ、こんなひどい有様の代王都に、何しに来た?」
そんなこと、聞かれるまでもない。
「戦うために来た」
「なぜだ? 勝ち目なんてねえぞ?」
私は、老人の眼を見返した。細い目は、何を考えているか分からない。
「王になると決めたからさ。戦わないものを王と認めるほど、甘い環境ではないと思っている」
「へぇ。あんたみたいな若造が、王?」
「そうだ」
老人の眼が、さらに細くなる。糸ほどに細められた目の隙間には、もう瞳すら見えない。
「それは、苦しんでいる民のためかい?」
「違う。私のためだ」
本心だ。私は、苦しみは、己で克服するべきだと思っている。
「私欲で玉座を狙うと?」
「私欲、かもしれないな」
私が、そうありたいと思ったのを、私欲と言えるかもしれない。
「それで、他の人間は納得するかね?」
「民が認めれば、私の欲など何ほどのこともなかろう」
竜騎士との語り合いで掴んだ答えを言うと、老人の皺が深くなった。笑ったようだ。
「いい覚悟だ」
酒瓶を片手で持ち、私に差し出してくる。私は、グラスを差し出した。老人に酒を注がれたが、私は飲まない。
「それは、俺からの選別だ、陛下」
「まだ、陛下と呼ぶには早いぞ」
「あんたの心の中には、既に玉座がある。現実で玉座についているかなんて、それに比べりゃ些細なことさ」
「それと、さっきも言ったが、私はあまりゆっくりしていられないんだが」
「なあに、もう引き留めねえよ」
老人は地下水道の暗がりに目をやった。気づけば、無数の足音が響き渡っている。今まで、二人の話声が足音をかき消していたようだ。
「魔獣か!?」
「ちげえよ。よく見な」
慌てた私を老人が抑えた。
「殿下。お久しぶりです」
「ヘンギスト」
「お久しぶりです」
「オイスク。何故二人がここに?」
二人は、私の前に片膝をついた。
「ここに控えるのは、我が一子、ヘンギストと、その右腕、オイスクでございます」
老人が、寝台の上に座り、かしこまると、口上を述べ始めた。
「それがし、この代王都にて生を永らえておりましたが、王家の皆様にご恩を賜りつつも、返す当てもなく身の縮こまる思いでございました」
覇気のある声が地下水道に木霊し、私たちに届き、鼓膜を揺さぶった。
「さりながら。この度の危難。おそれながら、陛下には困難に立ち向かう御身を、お支えする臣下すら不足しているご様子」
声を張り上げる老人の口端から、赤い筋が垂れた。
「いまこそ、我が一族の受けたご恩をお返しする時」
血を吐きながらも、老人は覇気を失わず、声はますます私を圧倒してくる。
「息子を含め、それがしの全てを、いかようにもお使いくだされ」
口を拭い、老人は深々と頭を下げた。ヘンギスト、オイスクを含め、いつの間にか私を取り囲む人垣が、揃って深く首を垂れた。
老人の声がしなくなると、地下水道はちょろちょろと水の流れる音のみが響く。
私は、迷った。
老人の受けた恩義がどのような物であるにせよ、それだけで何もかもを他人に譲渡せるものなのだろうか。
明らかにただものではないこの老人に、騙されているのではないか。ピクリとも動かない彼らは、本当に私の配下になるのだろうか。
どうすればいいか分からない時、何をするのか。ふと、竜騎士を思い出した。
そうか。
私は、その時にどうすればいいのか知っているではないか。
持ったままだったグラスの中身を、一気に流し込んだ。きつい酒が、喉を焼き、腹にたまり、私の身体に火をつける。
「分かった。受け取ろう」
この老人の全てを受け取った。全てというからには、良いものも、悪いものすらも、受け取るということだ。
異形と人種の融和と、名も知らない者からの忠義。これから、受け取り、託される願いは、さらに増えるだろう。
その重さに耐えてこその王だろう。
そうですよね、父上。
「有りがたき幸せ」
ヘンギストの父が頭を上げる。大きな荷物をやっと下ろしたような表情を、今の私はよく理解することができた。
彼もまた、多くの願いを背負っていた一人なのだろう。
その、三日後。ヘンギストの父は、魔獣蠢く代王都の地下で、ひっそりと息を引き取った。
未だに、代王都は魔獣が跋扈している。
「ヘンギスト、結局お前は何の仕事をしているんだ?」
代王都城内のとある倉庫の中で、私はヘンギストへ聞いた。
老人から譲り受けた物は、人員にとどまらず、物資や資金まで大量にあった。息子のヘンギストですら、数や場所を把握するので精一杯で、魔獣の討伐にはまだ本腰を入れられていない。
「俺と親父は、まあ、言ってみれば、暗黒街の取り仕切りをしてた」
「どういうことだ?」
ヘンギストは出納帳をめくりながら、いつもの調子で答える。急に接し方を変えるのは、少し寂しいと私が頼んだからだ。
「具体的には、表に出せない物品の販売とか、高利の金貸しとか、ばくち場の管理とか、そんなことだ」
「おい。それは」
「もちろん全部違法だ。だから、殿下、いや陛下が丸ごと貰ってくれて助かったよ」
「げっ」
裏があると疑いつつも、ここまでとは思ってもみなかった。
とんとん拍子に色々手に入ったのは、このどさくさに闇の組織を代王直轄にするため。しおらしく忠義の臣を演じていたあの爺が、夜の町のボスってわけか。完全に騙された。
「あの爺」
「おいおい陛下、そんな言葉遣いをするのはまずいんじゃないのか?」
「うるさい!」
ケタケタと笑うヘンギストの顔が、あの老人に重なって見える。畜生。とそこで、私はいい事を思いついた。
「まあ、俺たちはあんたが魔獣に勝つ方に賭けたんだ。味方だよ、味方」
「こんな不利な方によく賭ける気になったもんだな」
普通なら、百万対一の勝負で、一に賭ける奴はいないだろう。
「あの、竜騎士が家臣になったんだろ? 万が一って方に賭けてみたくなるのが博打打の性ってやつさ」
「おい待て、私はフリティゲルンのことは一言も言っていないぞ」
知られるはずのないことまで知っている。
「とっておきの情報網があるんだよ。落ち着いたら教えてやるから」
「言ったな?」
「いったとも」
そこで、私達の前に、紙が飛んできた。私が可能な限り魔力を節約して魔術を使ったのだ。
「なんだそりゃ」
ヘンギストの目の前に、紙を突き付ける。そこ書いてある文を、ヘンギストが読み上げる。私は、魔力に感づいてふよふよと寄ってきた小型の魔獣を、剣で切り落とした。
「私、ヘンギスト・コルレオンは、代王都に大量の魔獣が侵入している現状を乗り越えた際に、我が主、ウオーディガーンへ、全ての秘密を詳らかに話すことを誓います。ってなんだよ、これ?」
「誓約書だ。名前を書いてもらおう」
ペンを渡し、一番下の所に名を書くように促した。
「そこまで信じられないか」
「一度、騙されているからな」
皮肉交じりにこちらへ言うヘンギストに、私も皮肉たっぷりに言い返す。
「分かったよ」
さらりと名前が書かれた。無学者に見えるが、案外達筆だ。
「ふふっ」
「なに笑ってんだ」
「いや、何でもないさ」
大事に誓約書を荷物の中へ仕舞う。後で、騎獣の鞍の裏にでも隠しておこう。
「殿下、ヘンギスト様。この倉庫へ、魔獣が近づいてきていると報告が」
「オイスク。魔獣は何匹いる?」
ふざけた空気を押しのけて、戦場の気配がやってきた。
「二匹です」
「二匹だけ? 他には?」
「確認できていません」
「間違いないのか?」
「見張りから、魔力を確認したと報告されました」
ヘンギストが考え込む。やり過ごすか、撃退するか、悩んでいるのだろう。
「まずは実際に見てから決めよう、ヘンギスト」
「確かに、そうかもな」
倉庫の出入り口は、地下にある。闇商売の拠点の一つだったところで、見つからないようにいくつか仕掛けもあると聞く。
階段を降りて、地下道に入る。複雑に折れ曲がる道は、案内が無ければ迷ってしまいそうだった。
歩くうちに、外の明かりが見えてきた。
「あそこから、外の様子が分かります」
なぜか困惑したような見張りが、丁度姿が見えると言って、細い隙間を示す。ここから外が見えるらしい。
覗いてみる。薄暗い地下道を歩いてきたので、しばらく目が慣れるのに時間がかかった。
崩れた家の下のようだ。
がれきの山の隙間から外がのぞけるようになっていて、目の高さに地面がある。
「んん?」
「魔獣、なのか?」
大柄な男と、小柄な女に見える。外見の輪郭は人種そのものだが、妙な点もある。なぜか二人とも仮面をつけているのだ。
加えて、男の方は棘まみれの棍棒を持っているが、女に見える方は獲物らしきものを何も持っていない。
オイスクに場所を代わり、見せてみた。
「確かに、人種に見えないこともないですが、魔力は魔獣のものではありませんか?」
「いや、まるっきり魔獣の魔力では無いような気がする」
「俺には細かい魔力の違いなど分からん」
三者三様の意見が出る。対応に困る中で、外を歩く二人組が私たちの前を通り、小柄な方が立ち止まった。
気づかれたか。
全員、気配を殺し、呼吸を抑えた。
「おい。アラ。どうした?」
太い男の声だ。北の訛りが強いが、東大陸語を話せるということは、やはり人種だったのか。
「いや、何か人間の匂いがしたような気がしたんだが」
こちらは女の声だ。こちらも北の訛りが強い。しかし、匂いとはとはどういうことだ。嗅覚強化の魔術を使っているのかと考えたが、そんなことをすれば、たちまち魔獣が寄ってきて襲われるだろう。
「どうせまた死体の匂いだろ。一々気にすんなよ」
「むう」
男の方に促され、二人は私たちの前から遠ざかっていった。
謎の二人の足音が遠ざかって行って、何も聞こえなくなった。だが、私たちはその場を動くことも、今見た現実を受け止めることもできないでいた。




