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九王記  作者: 荒木小吾
一章 西の大陸で
19/68

18話

 西大陸で最も人口の多い国。その首都、代王都、またの名を、四の都。代王を世襲するロムルス家が住まう王宮を中心に、正円を描いて城壁がそびえている。

 普段は、人がごった返し活気が満ちる代王都だが、今は凶暴な魔力が溢れ、戦場の体を成している。

 都の正門は開け放たれていた。

 必死の抵抗を示すが如く、魔獣と人の死体が点々と転がっている。

 大気が時折震える。誰かが魔術を使った。生き残りがまだいるようで、一安心だ。

「急ぐぞ」

 跨った騎獣が、合点承知、と力の限りに走り出す。

 空を飛ぶ魔獣の群れがこちらに気づいた。

「どけっ!」

 過去最高の集中力で魔力を組む。顕現させたのは、吹雪。みるみる気温が下がり、四つの羽を持つ魔獣の身体に氷が付着した。氷の重さで落下してくる魔獣を、騎獣が蹴り上げ、踏みつぶす。私も、目の前に迫った一匹を、抜き打ちに切り落とした。

 使った魔力に感づかれ、家の影から魔獣たちが顔を覗かせてくる。

「囲まれればどうにもならない。突破しろ!」

「グエッ!」

 いつか兵に囲まれて進んだ大通りを、一騎で駆け抜けて行く。

 大きく、動きも遅い魔獣は追いつくのを諦めた。

 しかし、小さいのが何匹か迫ってきた。ぼろ布をすっぽりかぶった膝の丈ほどのやつが三匹。丸い炎の塊のような奴が二匹。速度を上げて追いすがってくる。

「くそ、前にも出てきた!」

 前方の空間が歪んだかと思うと、巨大な岩石が大通りを塞いだ。違う、岩石ではなく、魔獣だ。黒い点にしか見えないが、目のようなものがある。

 どうする。どうすればいいか。

 大通りを避けて路地に入れば目の前の岩は追ってこれない。しかし、後ろの五匹につかまる。小さい体で、物陰に隠れられながら戦われれば、こっちが消耗するばかりだろう。

 逡巡した一瞬、岩のような魔獣が口を開いて飛び掛かってくる。

「しまった」

 速い。避けられない。ここで終わりなのか。

 私は、驚きで身が竦むが、私の騎獣は違った。速度を上げて魔獣の口に突っ込んだのだ。

 魔獣が口を閉じるタイミングをずらし、騎獣は、魔獣の舌に思いっきり嘴で噛みついた。突然舌に奔った痛みに魔獣が驚き、思わず怯む。

 その間に私は、魔術を発動した。

「くらえっ!」

 大通りの石畳を撥ね退け、土の大杭が二本、私と騎獣の脇をすり抜けて魔獣の口に突き立ち、串刺しにした。

 宙吊りになった岩石の魔獣だが、土の杭はその重さに耐えられず、崩れ落ちる。魔獣の口から騎獣は飛び出し、着地すると一目散にその場を離れた。

 後をついてきた魔獣と、私を挟むようにして岩石の魔獣が大通りに落ちてきた。石畳がへこみ、土埃が舞う。

 また、大気が震えるのを感じた。先ほどよりも近い。はっきりと場所も分かった。貧民街の向こうだ。

「行ってみよう」

 土埃に紛れ、路地へ進む。

 以前、魔術の師のギルダスと、実験に使う材料を買いに来た。その時のことを思い出しながら、曲がりくねった薄暗い路地を進んでいく。

 この辺りまで来ると、石畳は無く、地面がむき出しになっている。

 魔術を使うと、魔獣を引き寄せてしまう。魔獣は高い魔力に反応して寄ってくるのだ。一説には、魔力を食べているとされる。

 他の生物を捕食するのは、肉を欲しているのではなく、肉体と一体になっている魂を摂取するためなのだそうだ。

 代王都は、あの時の戦場と同じ程に魔力が濃い。

 歪な形に変形した人々の亡骸が、道のあちこちに落ちている。中には、魔獣の餌になったのか、大きく欠けているものまであった。

 魔獣が魔力を食べるのならば、ここはさながらこの世の楽園に等しい場所に見えることだろう。

 路地をしばし歩いていると、数人の魔力を感じた。上に一人、前に二人、後ろに回り込もうとしているのが一人。この感じは魔獣ではない。人種だ。

 何気ない様子で騎獣を歩かせつつ、剣の柄には手をかけておく。

 囲まれた。しかし、襲ってくる様子はない。一定の距離を保ちつつ、私の様子を窺っているようだ。様子がおかしい。

 試しに騎獣の足を止め、魔力を感じる方向を見つめ、気づいているぞ、と伝えてみる。

 魔力が一つ、離れていった。他に動きは無いので、それを追いかけてみる。

「動くな」

 矢が一本飛んできて、目の前の地面に突き立った。

 どう対応するべきだろう。

 大人しく従うのもいいが、少し驚かせてやろうか。

「無礼であろう。私は代王陛下が一子、ロムルス・ウオーディガーンなるぞ!」

 さて、どう反応するか。

「無礼はお前の方だ。殿下は軍を率いて魔獣と戦いに行かれた。ここにいるはずがない!」

 ほう、以外に驚いていない。それなら、こうだ。

「この剣の紋章を見よ! さすれば私が真実を述べているとわかるだろう」

 鞘ごと剣を背中から下ろし、掲げてみせた。剣の柄には、太陽をモチーフにしたレムス王家の紋章、をアレンジして作られたロムルス王家の紋章がある。

 紋章がこんなにもややこしいのは、西大陸のロムルス家が、東大陸のレムス家の分家にあたるからだ。

 初めて、声の主に動揺の気配を感じた。

「ま、待て! 今確認する!」

 ここはさらに畳みかけるべきだな。

「姿も見せない怪しい者など待てん。進ませてもらおう」

 騎獣をゆっくりと歩かせる。後ろと横にあった気配が、泡を食ったように前方へ移動してきた。

「お待ちください。殿下」

 私の前に、四人。片膝をついて姿を現す。若いもので私と同じくらい、年かさの者で五十を少し過ぎたくらいだろうか。

「ほう、ようやく礼儀を思い出したらしいな」

 あくまで高飛車な態度を崩さずに声をかけ、騎獣を四人の手前で止めた。

「思いもしなかったこととは言え、殿下には大変なご無礼をいたしました」

 年かさの男が答える。私と先ほどまでやり取りをしていたのはこの声だ。

「何故、ここで待たねばならないのだ?」

「はっ、我が主の命により、我らはここで魔獣の見張りを行っていた次第でございます」

「それで?」

「生きた人種が通ることなど、この十日余り、絶えてなかったことでして」

 喋っている年かさの男は、顔中を汗まみれにして弁明を続けている。残りの三人は、片膝のまま顔を伏せて、微動だにしない。

「もういい、分かった」

 くどくどと言い訳を続ける男を制し、騎獣を降りた。

「向こうへ行った者が、お前の言う主とやらに、私のことを伝えて戻ってくるまで待っていればいいのだな?」

「ははっ」

 転がっていた空き箱へ腰かけ、空を見上げた。また、魔術で大気が震えるのを感じる。ここからは、少し離れた場所のようだ。ギルダスの屋敷に近い。もしかしたら、ギルダスが生きていて、魔獣を蹴散らしているのかもしれない。

「殿下。戻ってまいりました」

 小柄な女が走ってきて、私と、片膝をつく四人に戸惑ったようだったが、私は問いを発する暇を与えずに女に命じた。

「主とやらの所へ案内しろ」

「え? あの?」

「いいから案内するのだ。くれぐれも、失礼の無いようにな」

 女の疑問を封じた年かさの男と、他の三人に周りを囲まれて路地を進む。右に曲がり、左に曲がり、いくつも曲がり角を曲がっていく。

「ここからは、お一人でお願いいたします」

「分かった」

 地下水道の入口へ案内された。騎獣の手綱を預けると、松明を渡される。

 外と比べると、日光が当たらない分ひんやりとしている。ただ、水の流れが随分と弱く、ちょろちょろと音を立てていた。

 レンガ造りの水道を歩く。靴の音が反響する。

 松明の明かりと、壁に一定の間隔で並んでいるランプのおかげで、薄暗くはあったが歩けないことは無い。

 奥に、明かりが見えた。

「俺の城へようこそ。殿下」

 ぽつんと、寝床が置かれていて、老人が一人、こちらを見ている。

「あなたが、主、という訳か」

「主? 堅苦しい呼び方だな」

 神はすっかり白くなり、皺が全身を覆っているものの、物言いは若々しく声には張りがある。

「名は?」

 名を聞いてみた。

「もうない。何日か前に捨てちまった」

 不思議なことを言う老人だ。

「なぜ私をここへ呼んだのだ?」

「俺の息子が殿下と知り合いらしくてな、どんな面してるか気になったんだ」

 殿下、と呼ぶところだけが丁寧で、後は酒場の飲んだくれと変わらない言葉遣いだ。それでも、なぜか失礼だとは思わなかった。

「息子の名は?」

「ヘンギストだ」

「ヘンギスト? 無事なのか?」

 いきなり名前が出てきて、少し驚いた。得体のしれない奴ではあったが、さらに謎が深まるな。地下水道の老人が父親とは、どんな家族に囲まれて育ったのだろうか。

「そろそろ奴もここへ来る。それまで、一杯どうだ?」

 老人が枕の下から瓶を取り出し、慣れた手つきで、老人は瓶の栓を抜いた。新しい酒を開けたらしく、瓶の口から漂う香りは、こちらの舌に酒の味を思い浮かべさせた。

「ああ。あいつ以外にも、殿下の魔術の師匠に、貧民街の変わり者治療師も無事だ」

「そうか。生きていたのか」

 すっと肩が軽くなった感触があった。考えないようにしていたものの、心のどこかで駄目かもしれないと思い続けてきていた。それがなくなり、気が緩むと別のことが気になってきた。

「ご老体、王宮に残っていた王族について何か知らないか?」

「さあ、生憎だが、俺の眼と耳は町の中にしか届かないんでね」

「そうか」

 グラスに酒をなみなみと注いで、老人が私に手渡しす。

「まあ、考えても仕方のない事さ。実際に見に行ってみればいい」

「そうしよう」

「それでは、息子の友人との出会いを祝して」

 二人同時にグラスを掲げる。

「乾杯」

 私は、一応老人が酒を飲み込むのを待ってから一口含んだ。豊かな香りが鼻に抜ける。まろやかな舌触りだった。

「いい酒だろ?」

「はい」

 確かにうまい酒だ。

 そこで、一口しか飲んでいないのを見咎められる。

「なんだ、うまいならもっと飲め。良い酒を飲んで、人は良し悪しが分かるようになるんだ」

「いや、ゆっくり酒を飲んでいる時間がないので」

 これから、生き残りの住民と、友人と、母親。ついでに親族を助けに行かなければならない。

「やめとけ、やめとけ。もう魔獣どもが城門を突破してから十日以上経ってる。今更誰か助けようなんて、考えるだけ無駄なこった。生き残る奴は自然と生き残るさ」

「しかし!」

 老人は、グラスを空にする。

「それによ、殿下」

 細く、皺に隠れてしまいそうな目が、私の眼をとらえた。

「あんた、ここへ何をしに来た?」

「何?」

「自力で逃げられる奴はとっくに逃げて、残ったのは老人や病人ばかり。ほとんどは魔獣の腹に収まっちまってる。もう一度聞くぞ、こんなひどい有様の代王都に、何しに来た?」

 そんなこと、聞かれるまでもない。

「戦うために来た」

「なぜだ? 勝ち目なんてねえぞ?」

 私は、老人の眼を見返した。細い目は、何を考えているか分からない。

「王になると決めたからさ。戦わないものを王と認めるほど、甘い環境ではないと思っている」

「へぇ。あんたみたいな若造が、王?」

「そうだ」

 老人の眼が、さらに細くなる。糸ほどに細められた目の隙間には、もう瞳すら見えない。

「それは、苦しんでいる民のためかい?」

「違う。私のためだ」

 本心だ。私は、苦しみは、己で克服するべきだと思っている。

「私欲で玉座を狙うと?」

「私欲、かもしれないな」

 私が、そうありたいと思ったのを、私欲と言えるかもしれない。

「それで、他の人間は納得するかね?」

「民が認めれば、私の欲など何ほどのこともなかろう」

 竜騎士との語り合いで掴んだ答えを言うと、老人の皺が深くなった。笑ったようだ。

「いい覚悟だ」

 酒瓶を片手で持ち、私に差し出してくる。私は、グラスを差し出した。老人に酒を注がれたが、私は飲まない。

「それは、俺からの選別だ、陛下」

「まだ、陛下と呼ぶには早いぞ」

「あんたの心の中には、既に玉座がある。現実で玉座についているかなんて、それに比べりゃ些細なことさ」

「それと、さっきも言ったが、私はあまりゆっくりしていられないんだが」

「なあに、もう引き留めねえよ」

 老人は地下水道の暗がりに目をやった。気づけば、無数の足音が響き渡っている。今まで、二人の話声が足音をかき消していたようだ。

「魔獣か!?」

「ちげえよ。よく見な」

 慌てた私を老人が抑えた。

「殿下。お久しぶりです」

「ヘンギスト」

「お久しぶりです」

「オイスク。何故二人がここに?」

 二人は、私の前に片膝をついた。

「ここに控えるのは、我が一子、ヘンギストと、その右腕、オイスクでございます」

 老人が、寝台の上に座り、かしこまると、口上を述べ始めた。

「それがし、この代王都にて生を永らえておりましたが、王家の皆様にご恩を賜りつつも、返す当てもなく身の縮こまる思いでございました」

 覇気のある声が地下水道に木霊し、私たちに届き、鼓膜を揺さぶった。

「さりながら。この度の危難。おそれながら、陛下には困難に立ち向かう御身を、お支えする臣下すら不足しているご様子」

 声を張り上げる老人の口端から、赤い筋が垂れた。

「いまこそ、我が一族の受けたご恩をお返しする時」

 血を吐きながらも、老人は覇気を失わず、声はますます私を圧倒してくる。

「息子を含め、それがしの全てを、いかようにもお使いくだされ」

 口を拭い、老人は深々と頭を下げた。ヘンギスト、オイスクを含め、いつの間にか私を取り囲む人垣が、揃って深く首を垂れた。

 老人の声がしなくなると、地下水道はちょろちょろと水の流れる音のみが響く。

 私は、迷った。

 老人の受けた恩義がどのような物であるにせよ、それだけで何もかもを他人に譲渡せるものなのだろうか。

 明らかにただものではないこの老人に、騙されているのではないか。ピクリとも動かない彼らは、本当に私の配下になるのだろうか。

 どうすればいいか分からない時、何をするのか。ふと、竜騎士を思い出した。

 そうか。

 私は、その時にどうすればいいのか知っているではないか。

 持ったままだったグラスの中身を、一気に流し込んだ。きつい酒が、喉を焼き、腹にたまり、私の身体に火をつける。

「分かった。受け取ろう」

 この老人の全てを受け取った。全てというからには、良いものも、悪いものすらも、受け取るということだ。

 異形と人種の融和と、名も知らない者からの忠義。これから、受け取り、託される願いは、さらに増えるだろう。

 その重さに耐えてこその王だろう。

 そうですよね、父上。

「有りがたき幸せ」

 ヘンギストの父が頭を上げる。大きな荷物をやっと下ろしたような表情を、今の私はよく理解することができた。

 彼もまた、多くの願いを背負っていた一人なのだろう。

 その、三日後。ヘンギストの父は、魔獣蠢く代王都の地下で、ひっそりと息を引き取った。

 未だに、代王都は魔獣が跋扈している。

「ヘンギスト、結局お前は何の仕事をしているんだ?」

 代王都城内のとある倉庫の中で、私はヘンギストへ聞いた。

 老人から譲り受けた物は、人員にとどまらず、物資や資金まで大量にあった。息子のヘンギストですら、数や場所を把握するので精一杯で、魔獣の討伐にはまだ本腰を入れられていない。

「俺と親父は、まあ、言ってみれば、暗黒街の取り仕切りをしてた」

「どういうことだ?」

 ヘンギストは出納帳をめくりながら、いつもの調子で答える。急に接し方を変えるのは、少し寂しいと私が頼んだからだ。

「具体的には、表に出せない物品の販売とか、高利の金貸しとか、ばくち場の管理とか、そんなことだ」

「おい。それは」

「もちろん全部違法だ。だから、殿下、いや陛下が丸ごと貰ってくれて助かったよ」

「げっ」

 裏があると疑いつつも、ここまでとは思ってもみなかった。

 とんとん拍子に色々手に入ったのは、このどさくさに闇の組織を代王直轄にするため。しおらしく忠義の臣を演じていたあの爺が、夜の町のボスってわけか。完全に騙された。

「あの爺」

「おいおい陛下、そんな言葉遣いをするのはまずいんじゃないのか?」

「うるさい!」

 ケタケタと笑うヘンギストの顔が、あの老人に重なって見える。畜生。とそこで、私はいい事を思いついた。

「まあ、俺たちはあんたが魔獣に勝つ方に賭けたんだ。味方だよ、味方」

「こんな不利な方によく賭ける気になったもんだな」

 普通なら、百万対一の勝負で、一に賭ける奴はいないだろう。

「あの、竜騎士が家臣になったんだろ? 万が一って方に賭けてみたくなるのが博打打の性ってやつさ」

「おい待て、私はフリティゲルンのことは一言も言っていないぞ」

 知られるはずのないことまで知っている。

「とっておきの情報網があるんだよ。落ち着いたら教えてやるから」

「言ったな?」

「いったとも」

 そこで、私達の前に、紙が飛んできた。私が可能な限り魔力を節約して魔術を使ったのだ。

「なんだそりゃ」

 ヘンギストの目の前に、紙を突き付ける。そこ書いてある文を、ヘンギストが読み上げる。私は、魔力に感づいてふよふよと寄ってきた小型の魔獣を、剣で切り落とした。

「私、ヘンギスト・コルレオンは、代王都に大量の魔獣が侵入している現状を乗り越えた際に、我が主、ウオーディガーンへ、全ての秘密を詳らかに話すことを誓います。ってなんだよ、これ?」

「誓約書だ。名前を書いてもらおう」

 ペンを渡し、一番下の所に名を書くように促した。

「そこまで信じられないか」

「一度、騙されているからな」

 皮肉交じりにこちらへ言うヘンギストに、私も皮肉たっぷりに言い返す。

「分かったよ」

 さらりと名前が書かれた。無学者に見えるが、案外達筆だ。

「ふふっ」

「なに笑ってんだ」

「いや、何でもないさ」

 大事に誓約書を荷物の中へ仕舞う。後で、騎獣の鞍の裏にでも隠しておこう。

「殿下、ヘンギスト様。この倉庫へ、魔獣が近づいてきていると報告が」

「オイスク。魔獣は何匹いる?」

 ふざけた空気を押しのけて、戦場の気配がやってきた。

「二匹です」

「二匹だけ? 他には?」

「確認できていません」

「間違いないのか?」

「見張りから、魔力を確認したと報告されました」

 ヘンギストが考え込む。やり過ごすか、撃退するか、悩んでいるのだろう。

「まずは実際に見てから決めよう、ヘンギスト」

「確かに、そうかもな」

 倉庫の出入り口は、地下にある。闇商売の拠点の一つだったところで、見つからないようにいくつか仕掛けもあると聞く。

 階段を降りて、地下道に入る。複雑に折れ曲がる道は、案内が無ければ迷ってしまいそうだった。

 歩くうちに、外の明かりが見えてきた。

「あそこから、外の様子が分かります」

 なぜか困惑したような見張りが、丁度姿が見えると言って、細い隙間を示す。ここから外が見えるらしい。

 覗いてみる。薄暗い地下道を歩いてきたので、しばらく目が慣れるのに時間がかかった。

 崩れた家の下のようだ。

 がれきの山の隙間から外がのぞけるようになっていて、目の高さに地面がある。

「んん?」

「魔獣、なのか?」

 大柄な男と、小柄な女に見える。外見の輪郭は人種そのものだが、妙な点もある。なぜか二人とも仮面をつけているのだ。

 加えて、男の方は棘まみれの棍棒を持っているが、女に見える方は獲物らしきものを何も持っていない。

 オイスクに場所を代わり、見せてみた。

「確かに、人種に見えないこともないですが、魔力は魔獣のものではありませんか?」

「いや、まるっきり魔獣の魔力では無いような気がする」

「俺には細かい魔力の違いなど分からん」

 三者三様の意見が出る。対応に困る中で、外を歩く二人組が私たちの前を通り、小柄な方が立ち止まった。

 気づかれたか。

 全員、気配を殺し、呼吸を抑えた。

「おい。アラ。どうした?」

 太い男の声だ。北の訛りが強いが、東大陸語を話せるということは、やはり人種だったのか。

「いや、何か人間の匂いがしたような気がしたんだが」

 こちらは女の声だ。こちらも北の訛りが強い。しかし、匂いとはとはどういうことだ。嗅覚強化の魔術を使っているのかと考えたが、そんなことをすれば、たちまち魔獣が寄ってきて襲われるだろう。

「どうせまた死体の匂いだろ。一々気にすんなよ」

「むう」

 男の方に促され、二人は私たちの前から遠ざかっていった。

 謎の二人の足音が遠ざかって行って、何も聞こえなくなった。だが、私たちはその場を動くことも、今見た現実を受け止めることもできないでいた。

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