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九王記  作者: 荒木小吾
一章 西の大陸で
18/68

17話

 代王になる。そう決意をしてから三日経った。

 石人山脈の東の果て、ぽつりと山脈から離れた名前のない岩山の洞窟で、私と竜と騎士の三人は力を蓄えていた。

 その間、体力を戻すため、常に鎧を着て、兜をかぶりっぱなしの竜騎士フリティゲルンに、沢山肉を取ってきてもらった。野生の魔獣の肉としか思えないものだったが、案外美味かった。

相棒の竜の食事を調達するついでらしい。騎士の相棒の竜は、魔獣の骨すら噛み砕いて腹に収めている。

 たっぷり食べて、夏の強い日差しの中でしばらく剣と魔術の稽古をする。

 フリティゲルンに相手をしてもらおうと思ってのだが、殿下に刃は向けられない、と断られてしまった。仕方なく素振りをすることにする。

 落ちた体力が戻ってきて、剣を千回振っても息切れしなくなった。そろそろ頃合いだな。

「フリティゲルンよ、そろそろ私は代王都へ向かおうと思う」

「あそこは今、魔獣の巣窟になりかけていると聞きますが」

「だから行くのだ」

 フリティゲルンは少し考えてから頷いた。

 西大陸の人種にとって、曲がりなりにもロムルス家は代王として国をまとめてきた一族だ。私の父、三代目代王は、王子を軍の核として魔獣の大群との決戦に連れて行った。

 今にして思えば、頂点に立つ人間が先頭に立つことで士気を上げる狙いもあったように思う。しかし、その代償として、私以外の王子が死亡する事態を招いた。

 フリティゲルンから聞いた限りでは、父、代王の率いる五万の軍勢は壊滅したらしい。頭から信じたわけではないが、私の見た自然の魔力が猛る環境は、多くの命を奪ったことだろう。

 軍が壊滅し、百万以上を数えた魔獣の群れは代王都へ向かったと聞く。まともな守備隊もいないあそこがどんな惨状を呈しているかは考えたくない。

 軍が力を失い、首都が滅び、人はばらばらなのが現状だ。

 昨日、私は四代目の代王になることを決意した。頂点に立つには、下に認められねばならないことも知った。

 今、多くの者に認められるには、危機に瀕しているこの国の中で、魔獣との戦いに身を投じる必要があると考えた。

 しかし、本当にそれでいいのかは分からない。もっと良い方法がある気もしてくる。

 それでも、思いつくことをやるしかない、と覚悟を決めた。

「フリティゲルンよ。私に力を貸してくれないか?」

 命を救われ、食事の世話までしてくれた。加えて、なお私に力を貸せと言うとは、顔から火が出るほどに恥ずかしい。

 恥ずかしいが、使えるものは、使う。恥など一時のものだ。

「私の力を貸せと、おっしゃりましたか?」

「頼む」

 頭を下げた。自然とそうしていた。謹直な竜騎士はじっと考え込んでいる。

 断られるかもしれない。

「断る、と言えばどうされますか?」

 そう言われれば、道は一つしかない。

「私の力だけで、代王都を魔獣から取り戻してみよう」

「出来ますか?」

「出来ると思ってやらねば、何も始まるまい」

「失敗すれば、死にます」

「仕方がない。思ったことを、思ったようにやって死ねる。それだけで良しとするさ」

「覚悟はできているのですな」

「昨日、お前にさんざん説教されたからな」

 冗談めかして言うが、彼は恐縮してしまった。

「あの時は、大変ご無礼をいたしました。申し訳ありません」

 フリティゲルンに冗談はあまり言わない方がよさそうだ。

 かしこまっていた彼が頭をあげる。

「恐れながら、私は殿下にお供させていただきたいと思っております」

「そうか! それはありがたい!」

 竜騎士を味方につけることができて、代王都に群がる魔獣を蹴散らしたも同然の気持ちになる。

「そこで、一つお願いがございます」

 お願いと聞いて、気持ちが引き締まった。死にかけた私を助けたフリティゲルンとはいえ、なんの見返りもなしに危険に飛び込む真似はしない。

「言ってみてくれ。私にできることならばよいのだが」

 フリティゲルンは小さく頷くと、ゆっくり兜をとった。とうとう素顔を見せる気になったのだろうか。固唾を飲んで見つめる私の前で、いつも顔を覆う兜をかぶっていた彼の顔が露になる。

 醜い容貌をしていると言っていたので、私は驚かないように深呼吸をして気持ちを落ち着けた。

 息が止まりそうになった。

 毛髪の無い頭には、深い皺が無数に刻まれていた。およそ人差し指の長さほどだ。頭のてっぺんから、首筋まで、恐らくは全身に至るまで、皺はあるのだろう。

 それらが、ぴくぴくと震え、割れた。瞬きをしている。竜騎士フリティゲルンは全身に目を持つ異形の騎士だった。

「これが、私の素顔です」

 私は、何も言うことができなかった。

「先日、殿下がおっしゃっていた奇眼の竜騎士とは、まさしくこの私のこと」

「馬鹿な、あれは百年前のことだぞ!?」

 西大陸に代王国ができたばかりの頃、先住民から土地を奪い国を作った。それがきっかけで大きな戦争が起き、その中で何人も英雄が生まれた。奇眼の竜騎士とは、そのうちの一人だ。

「はい。今年で二百十歳となりました」

「馬鹿な」

「別に珍しい事ではありません。殿下もお聞きになられたことはありませんか? 遥かに長い時を生きる者たちの噂を」

「それは、あるが。伝説のようなものだろう?」

 ギルダスと魔術の文献を読み漁っていた時、そういった記述を見かけたことはある。ただ、どれも先住民の村を調査しに行った魔術師の、雑記のようなもので、文体も乱れ、ページが破れているものまであったため、信頼できるものとは思わなかったのだった。

「伝説には、何事も元があるものです。私のような者は、かつては各地におりました。しかし、百年前、ロムルス家に率いられた東大陸の人種との戦いの中で、一人、二人と倒れて逝ったのです」

 私は呼吸が苦しくなってきた。

「それなのに、なぜ私の味方をしようとする?」

 彼からしてみれば、私は同胞の敵ではないか。

「もう、済んだことでございます。それに、戦争は終わりました。あの時のことを覚えているものも、さほど多くはありません。皆、新たな生を生きております故」

 憎しみをぶつけるべき相手が目の前にいる。にも拘わらず、どうして静かに語れるのだろう。私には、目の前の竜騎士が何を考えているのか分からなくなった。

「なれど、ここ十年ばかり、新たに異なる外見の者が増えてきております」

「そうなのか?」

 素朴すぎる疑問が思わず口を出た私に、フリティゲルンは微笑みを向ける。

「はい。辺境の地にて、異形の赤子が捨てられているのを何度も見かけております。かつての友に世話を頼んだりしましたが、とても個人の力では解決することはできませぬ」

 フリティゲルンの眼が強い光を帯びる。全身の眼が私を同時に見つめてきた。視線が槍の切っ先のように喉元に突き付けられたような気がした。

「殿下。そこでお願いがございます。どのような形であっても構いません。代王国にて、種族の垣根を超えた政をしていただきたい」

 物言いこそ静かなものだが、気迫はこちらを圧倒してくる。その気迫に抑え込まれまいと、私は下腹に力を込めて答えた。

「よかろう」

 フリティゲルンの眼が一斉に見開かれる。鎧から覗く肌が、白目で真っ白になった。

「驚くことではあるまい。一つの契約のようなものだ」

「契約、ですか」

「お前は私に力を貸す。私はお前の望みを叶える。お互いが契約を守る限り、共に戦おう」

 一瞬、魔術で契約を破れないようにすべきかどうか考えた。

「ははっ!」

 だが、震えながら深々と頭を下げる奇眼の竜騎士を見て、その考えは捨てた。魔術に頼るのではなく、己の心をきちんと律することでこの契約は守られるべきだ。もともと、主君と臣下はそういうものだ。

「大きな見返りだな、フリティゲルンよ」

 国の将来を望むのは、一介の騎士としては分不相応と取る者もいるかもしれない。

「本来、見返りなど求めず、魔獣を狩るべきなのでしょう。しかし、吹雪の中で震える赤子を救ってやるため、懸命に考えた結果でございます。なにとぞ、ご容赦を」

 生真面目な彼のことだ。悩みは大きかったのだろうが、私には、きっぱりそう言い切った。

「分かっている」

 私は、彼の理解者として、主として、悩みも分かっている。そう伝えたかったが、言葉にはしなかった。言葉にしてしまえば、何かが伝わらないような気がしたのだ。

「はっ」

 短いフリティゲルンの返事では、私の思いが伝わったかは分からない。

「それでは、代王都へ向かう準備をするとしようか」

 荷造りを早めに終えれば、日のある内に近場の村に着けるかもしれない。

 食料、水、それと剣。少し話し合って、鎧や防具は全て置いていくことにする。長い距離を移動することになるので、荷物はなるべく軽い方がいい。盗まれないように魔術で念入りに隠しておいた。

 フリティゲルンは鎧の代わりに長い外套を羽織り、布で頭をすっぽりと覆うと目が二つだけ外から見える。怪しい事この上ないが、今は他に外見を誤魔化す方法はない。

 私は剣を背中に背負った。鞘を固定する剣帯も置いていくことにしたので、剣が騎獣に当たって痛そうだったのだ。

「よし、準備できたな。頼むぞ」

 フリティゲルンの相棒、巻竜という緑の深い竜に大きな荷物を背負ってもらい、私と騎獣を岩山の下まで運んでもらった。騎獣は筋骨たくましい竜の後ろ脚に掴まれて運ばれる間、食われるのではないかと終始怯えていたが、無事に地面へ降り立った。

「お前も頼んだぞ」

 元気いっぱいの騎獣へ跨り、軽く首筋を叩く。

「では、私達は上空から偵察を行います」

「頼んだ」

 竜巻に乗って騎士と竜が飛び立つ。暑い空気が私たちに打ち付けられた。

「私たちも行こうか」

 北を目指して街道を走り出す。

 季節は夏。南の太陽は代王都よりも元気がいい。目に入りかけた汗を拭い、空を見ると、雲一つない青の中、黒い点が一つある。あれはフリティゲルン達の影だろう。

 戦場跡から岩山まで、騎獣ごと私を運ぶのに巻竜は昼夜兼行で三日かかったらしい。

 代王都では確実に戦闘になるので、なるべく体力は温存しておくべきだというフリティゲルンの意見に従い、今回は巻竜に運んでもらわず、騎獣に乗っていく。

 それでも、五日で代王都へ行ける。

 体力が有り余っていた私の騎獣は、太陽が中天の頃、食事をしてから出発し、休憩もとらずに夕暮れまで駆け続けた。

「あれは、煙か?」

 街道の脇に小川が流れている場所を見つけ、魔術で安全かを確かめる。もうじき日が暮れる頃合いで、そろそろ野宿の準備をしようと思っていた。

 そこで、前方に煙らしきものが見える。

「殿下。どうやら村が魔獣に襲われているようです」

 頭上を影がよきったかと思うと、フリティゲルンが巻竜の背から降り立っていた。

「よく見えるものだな」

「いささか、他の方よりは目が良いのです」

「ほほう」

 私の眼には、空へ立ち上る糸のように細い筋が見えるばかりで、村も魔獣も見つけられない。

「それでは、今夜の宿はあそこの村で求めることにしようか」

「魔獣がおりますが、よろしいのですか?」

「いずれ倒さねばならぬ敵だ。少しでも数を減らしておく方がいいだろう」

「御意」

 すっかり主君と臣下が板についたように見える。ただ、それは上っ面だけのことだ。

 村を助けることは、この竜騎士が私の騎士となってくれているのかを確かめるのに、いい機会になるかもしれない。

「先行しろ。一人で片付けられるようなら片付けてしまえ」

「はっ」

 小川の水を飲んでいた巻竜に飛び乗ると、フリティゲルンは村の方向へ飛び立っていった。

「私たちも行くぞ。魔獣が出るかもしれないから、気を付けてな」

 探索の魔術を使う。魔力の触手を四方八方へ伸ばす。触手が魔力を持つ何かにあたれば、私は接触した速度や魔力量、敵意の有無まで知ることができる。

 騎獣に乗り、煙の見える方へ駆けた。途中、代王都にいた時、治療師の友人、ベーダ教わった治癒の魔術を思い返す。

 騎獣を急かしたくなる気持ちを押さえつつ街道を行き、私も村へ着いた。

「これは、圧倒的だったようだな」

 阿鼻叫喚の様を想像していたが、実際は静かな様子だった。村の入り口に、小さな村には不釣り合いな堅牢な門があり、そこには魔獣の死骸が山になっていた。

 門の外で魔獣が同士討ちの時に火を噴いたのだろう。丸焦げになっている黒い死骸から煙が上がっている。見えた煙はこれだったのか。

 村に目立った被害が無いようで良かった。

「殿下」

「この魔獣達は、お前がやったのか」

「はい。手こずる程の相手はおりませんでした」

「そうか」

 巻竜が、門の前から魔獣の死骸をどけている。小ぶりな魔獣を見つけ、一飲みにした。

「何体かは相棒の食事に頂きますが、全ては食べきれませんので、この村へ与えては如何でしょう」

「そうしよう。宿代くらいにはなるかもしれん」

 魔獣の素材は時に高く売れることがある。倒した魔獣の中にいくらかましな素材が採れる奴がいればいいが。

 門は固く閉ざされていて人の気配はない。

 私は門の左隅にある、人が出入りする用の小さな扉を叩いた。

「旅の者だ。一晩宿をお貸し願いたい」

 なかなか人が出てこない。物音すらしなかった。

 嫌な感じがした。

「フリティゲルン。内側に魔獣はいないんだよな?」

「はい。騒ぎが起きている様子はありませんでした」

 探索の魔術に魔力の反応はない。

「おかしい」

「殿下?」

「誰かいるなら、探索の魔術に反応があるはずだ」

 フリティゲルンの顔色が変わる。そして、巻竜に聞いたことのない言語で何か言った。

「殿下の騎獣を頼んでおきました。我々は中へ向かいましょう」

「そうだな」

 私は浮遊の魔術で、フリティゲルンは脚力で門を飛び越える。

 門の内側に広がっていたのは、歪な遺体の散乱する地面だった。

 腕や足の数が多かったり少なかったりしているものに、鱗が生えたものや、翼と尾が半々に混ざった何かが生えていたものもある。

 村を一回りする間、息をしている者に出会うことは無かった。老若男女問わず、苦悶の表情を浮かべて村人が事切れていた。

 名前も知らない村を離れ、しばらく街道を進む。宿の当てがなくなったので、距離を稼ぐことにしたのだ。

 違う。本当はむごい光景から逃れたいだけだ。

 日が落ちた所で野宿を始めた時、ようやく私は言葉を発することができた。

「あの村も、私と同じような魔力に襲われたんだ」

 頭の中の光景を消し去りたかった。

「どういう事ですか?」

 私は知る限りのことをフリティゲルンへ話す。何かを語っていないと、夜の中から先ほどの者達が呼びに来るような気がする。

「では、殿下を襲った魔力が、そのまま代王国南端までたどり着いたということですか」

 あれほどの災害が同時多発的に発生するとは考えにくい、と考えるのが普通だろう。

「その可能性が高いのだが、それだと説明のつかないことがある」

「いったい何が?」

「どうにも、この辺りの魔力が低いのが気になる」

 低いと言っても、魔獣の大群と戦った時に感じた魔力と比較しての話だ。以前の私ならば、豊富な魔力にちょっと驚いたかもしれない。

「この辺りは魔力がそれほど高くない。あの時の戦場で、私が感じていた魔力の濃さは遥かに濃密だった」

「なるほど。私があの戦場へ赴いた時も、異常な魔力の高さを感じました」

 フリティゲルンはちょっと遠くを見る目をする。戦場の光景を思い返しているらしい。

「しかし、あの死体の様子は戦場で見た人種の死体と全く同じものでしたが」

「そうなんだ。同じ現象が起きているのに、全く環境が違う。私にはどうにも分からない」

 二人、星空の下で考え込む。南の夜は焚き火があれば十分に暖かく、毛布にくるまると汗ばむほどだ。

「考えても分からないものは仕方がない。代王都へ行けば、私の魔術の師がいる。彼に聞いてみることにしよう」

「ええ。考え事をしているうちに、すっかり夜も更けてしまいました」

 見張りは巻竜がすると言われたが、一応魔術で防御を施して眠りについた。軍にいた時からしばらく経つが、私はどこでも眠れるようだ。環境の変化に対して鈍感なのかもしれない。

 騎獣の腹を枕に、体温と柔らかな羽の感触を感じつつ眠りについた。

 翌朝。

 火を起こす手間も惜しみ、干し肉をそのまま噛んで出発する。急ぐのには、訳があった。

「フリティゲルン、頼む」

「はっ」

 短い返事をして、竜騎士は飛び立ってゆく。

 私のいた戦場と同じように、昨日の村も高い魔力による被害が出ていた。代王国の民は、魔力に対する方法を知っている者がそれほど多くない。

 王になると決意したはいいが、そもそも国がなくなるかもしれない状況だった。

 そこで、機動力のあるフリティゲルンに出来るだけ被害の状況を調べてもらう。私は一人と一匹で代王都へ向かう旅をする。

 二手に分かれることにフリティゲルンは反対したが、私は意見を押し通した。

「殿下。代王都へ柄づくほどに魔獣も道中に溢れてくることでしょう。お一人で向かうなど、無謀に過ぎます!」

「私の身の安全よりも、国の心配をしろ。お前は旅の騎士ではなく、代王国の臣だぞ」

 不承不承の体でフリティゲルンは折れ、彼の知りうる限りの村と町へ飛び立ったのだった。

 私は騎獣に乗って街道をひた走る。騎獣を休ませつつ、この速度を維持できれば予定通り後四日で代王都の城壁が見えてくるはずだ。

 しかし、そう上手くはいかないようだ。

「ここまで魔獣がうろついているのか」

 索敵の魔術に反応がある。魔力の大きさ、禍々しさ、魔獣に間違いはない。騎獣の手綱を絞って、足を止めさせた。

 魔獣はまだこちらに気づいていないようだ。魔術で伝わってきた魔獣の魔力の感覚は穏やかだ。眠っているのかもしれない。

 幸い、辺りは穏やかな丘陵地だ。魔獣を迂回するように丘の陰に回り込めば、見つかることなく進むことができるだろう。

「あっちだ」

 街道を外れ、緩やかな谷間へ騎獣の足を向ける。探索の魔術に意識を集中し、魔獣の動きを見逃さないようにしつつ、気配を殺した。

 丘一つ向こうに魔獣がいる。

 慎重に騎獣を降りると、私は手綱を持ち、ゆっくりと歩を進めていく。

 汗が顎から滴り落ちた。

「ふぅ」

 騎獣に乗る。すでに魔獣の存在は、探索の魔術の範囲外だ。

「随分時間を使ってしまった。急いでくれよ」

 騎獣は、分かっていますよ、とばかりに鼻を鳴らし、乾いた街道に土埃を立てだした。

 元気よく走る背に揺られているうちは、風があるので随分ましだが、ひとたび止まると太陽の熱が襲い来る。そのため、羽毛に覆われた騎獣は大分暑そうにしていた。

 あまり長くは駆けさせられない。

 一刻も早く代王都へたどり着きたい気持ちが大きくなるが、こまめに水を飲ませ、時には私が鞍を降りて一緒に走った。

 さらに、あまりに辛そうな時は魔術で熱気を遮断してやる。

 魔力はなるべく使わない。特に、有事の際にはそれを徹底するよう魔術の師であるギルダスから言われている。

 家事すら魔術任せにしているくせに、よく偉そうに言える、と言ってみたが、

「家事程度で、私の魔力が減るとでも?」

 だそうだ。

 しかし、偉そうにするだけの理由はあった。

 修業の合間に観察していると、普段は魔術を使ってするのに、わざわざ手で作業をしていることがあった。よくよく気を付けて観察を続けると、ギルダスは何でも魔術を使っているわけではなく、魔力を回復する時間をきちんと考えていたのだった。

 魔術を使い食事を作ると、食事中には魔術を一切使わずに魔力を回復させる。洗濯を魔術ですれば、乾燥は天日干しだった。

 使う時と、使わない時。二つを意識しないとあっという間に魔力切れになってしまう。

 騎獣の喉が渇き切り、水を飲ませて休憩させるときには魔術で涼を取らせ、私が乗るときはつらい思いをさせる。

 すると騎獣は、休憩のために懸命に走ってくれる。

 時には魔獣をやり過ごし、時には体力の配分に頭を悩ませる。

 魔獣の気配に怯えながら、まんじりともせず夜を明かした。

 食事は小型の魔獣をとらえて捌き、騎獣と分け合って腹を満たす。

 竜騎士に命を救われてから九日目。代王都から、軍を率いて出発してより十三日。

 私は、たった一騎で代王都へ戻ってきた。

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