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九王記  作者: 荒木小吾
一章 西の大陸で
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16話 選択

 魔力が禍々しく世界に満ちる。

 咄嗟に、準備していたありったけの魔力を、鎧に書き込んでおいた制御文字に流し込んだ。

 魔術の師、ギルダスが確かこう言っていたのを思い出したからだ。

「人。ここで言う人とは、種族に限らず、魔力を持つ全ての人のことです。人は魂を持ち、魂は魔力で作られています。そして、魔力の形で事象が発現することは以前お教えした通りです。私たちはそれらの魔力の形を模倣、あるいは補強することで魔術を使います」

 ここでギルダスは私を見て、話を理解しているかを見透かすように目を合わせたのだった。

「ここで、ある仮説を思いついた人物がいました。彼は、人が人たるのは、魂という術式によって、魔力が人の形になっているのではないかと考えました。故に、魔力を人の形に形作ることができれば、人を創り出すことができるかもしれないというわけです」

 ここで一度、ギルダスは言葉を切った。

「彼は、母親の胎内にいる子の魔力を観測しました。すると、胎児は母の胎内で父親から与えられた魔力を基に、母親の魔力の助けを借り、外界の魔力を取り込み、貯え、徐々に両親と似た魂を作って行くのが分かったのです」

 この観測は、全ての種族で行われたそうだ。

「さらに、彼は仮説をいま一歩進めました。生物が魔力、魂によって存在を作られるならば、優れた形に魔力を形成すれば、望む特徴を備えられるはずだと。醜い外見を美しく。貧弱な肉体を頑健に。大空を舞う翼を、金を産む能力を、敵を滅ぼす圧倒的な魔力を、手に入れられると考えましたが、失敗しました」

 理由は簡単だとギルダスは言う。

「なぜなら、人の肉体を構築する魔術は人智の及ばぬほどに複雑だったからです。欲に目がくらみ、実験台を希望した彼を含む被験者は、世にもおぞましい姿へと変貌し、町の人間を虐殺した後、討伐されました」

 そして、ギルダスはこう話をまとめた。

「この事例から学ぶべき教訓はいくつかありますが、初めに抑えておくべきなのは、魔力で肉体は変形するということです。特に注意すべきなのは、自然に存在する魔力です。一度生物に取り込まれた魔力は、その個体に合うように変化し、他の個体に入り込むことはできません。しかし、魔力が枯渇した時に自然と魔力を取り込むことから分かるように、自然の魔力はどんなものにも入り込みます。魂が魔力を取り込む速度を、自然に入り込む速度が上回った場合、入り込んだ魔力は行き場を失い、肉体へ作用を始めるのです」

 目の前から迫る魔力。間違いなく自然の魔力だ。

 ギルダスは、なんと言っていたかを懸命に思い出す。

 魔力を使うこと。そう、体内の魔力を一定に保たなくては。

 まともに魔力を浴びた。

 激流のように、魔力が流れ込んでくる。魂に入り込んでくる。使っても使っても、魔力がやってくる。

 ふと、これはいつまで続くのかと、恐怖が襲ってきた。抑え込む。先のことではなく、もっと魔力を使うことだけを考えようとした。

 それでも、恐怖は消え去ることは無い。どんなに小さくなっても、心の隅で息づいていて、ふとした時に私を支配しようとするのだ。

 いつまでも魔力の嵐は続いた。

 私はひたすら魔術を使い続けた。魔力が入る。魔力を出す。入る。出す。はいる。だす。はいる。だす。はいる。だす。

 いつしか、何も考えなくなっていた。視界が白くなる。世界が全て白くなり、何も感じなくなった。案外、心地よい。

 これが、死か。

 意識も掠れて行く、靄がかかる。靄の向こうに何か見えた気がした。あれは、父か。兄もいる。脇を若当主が駆けて行ってしまった。

 私も連れて行ってくれ。しかし、声は出ない。進め、騎獣に足で合図を出そうとしたが、乗っていたはずの騎獣はいつの間にかいなくなっていた。

 歩こうとしたが、足が動かない。皆が行ってしまう。私の脇を、兵たちが駆けて行く。傍にいたはずの供も駆けて行った。

 皆、どこへ行くんだ。私を置いて行くな。

 天を仰いだ。純白の日輪が見える。

 真っ白な世界で、白い日輪が見える。不思議だなと思った。

「まだ、生きよ。お前には、すべきことがある」

 声が聞こえて、今度は視界が暗くなった。

「クェエエ」

「はっ!!」

 目が覚めた。顔がぬめぬめする。騎獣が私の顔を舐めたらしい。

「起こしてくれたのか?」

「クケェ」

 騎獣は地面に這いつくばり、こちらに大きな嘴を向けていた。

 ずいぶん薄暗い。洞窟の中だろうか。

「何処だ、ここは?」

 私は確か、騎兵を率いて魔獣を討伐していたはずだ。そう、代王率いる本隊の後方援護をしていたのだ。それが、目覚めると、どこかの洞窟に寝かされている。

 甲冑も外されて、体の下には枯草で寝床が作られている。少し離れた所には、焚き火があった。揺らめく炎が洞窟の壁を柔らかく照らしている。

 あたりの様子を見ただけなのに、なんだかひどく疲れた。

 体を起こそうと思ったが、とてつもない眠気に襲われ、眠気に身を任せた。

 目が覚めた。

 今度は自分で起きることができたようだ。顔がねばねばする。そういえば、さっき涎をつけたまま眠ってしまったのだった。

 何か、顔を拭く者はなかっただろうか。傍らで眠る騎獣の羽毛を見たが、やめておいた。他の物を探そう。

 見渡してみると、焚き火に鍋がかかっている。そうだ、そういえばいったい誰が私をここへ連れてきたのか分からない。

「おおい、誰かいないか!」

 私の声が洞窟に響く。返事は無かった。

 それにしてもいい匂いがする。香りからして、肉と野草がたっぷり煮込まれている。その上香辛料がふんだんに入っているのか、胃袋に刺激的なにおいが直撃してくる。

 私は生唾を飲み込んだ。だが、伸ばしかけた手を止める。

 他人が用意したものを、断りもなく食べるのは不作法というものだろう。

 空腹で目が冴えた所で、ふと、洞窟を出てみる気になった。

「ぐっ、ふっ」

 ずいぶん長く眠っていたのだろうか、身体中が強張っていて、起き上がり、歩くだけでも一苦労だ。何でもないところで何度か転びそうになりながらも、明るくなっている洞窟の入口へと向かう。

 空が見える。雲も、木々も見える。

 外の景色に気を取られてふらつき、洞窟の入り口の岩につかまって体を支えた。

「どこだ、ここは?」

 そこは、岩山の天辺だった。だが、きれいに平らになっている。私のいる洞窟は平らな頂上の端に不自然に残った岩のドームで、誰かが岩を残して作ったとしか思えない。

 そして、平らに均された頂上は、数十人が屯できる空間になっている。

 ここを作った誰かは、岩山の頂上を平らに均し、それから洞窟を作り、大量の土砂をどこかへ捨てることができる人物なのだろうか。

 となると、どこかの領主の隠し砦か。いや、人里を嫌いひっそりと暮らす魔術師の拠点かもしれない。

 とてつもない魔力の嵐の中、魔術を無理に使い続けたせいか、私の魔力はすっかり枯渇し、いまだに十分の一も戻っていない。加えて、体力もすっかり落ちている。

「今できるのは、待つばかりか」

 謎はいくつもあるが、調査するには私はずいぶん消耗している。それでも、冷静に自分の状態を把握できるのは、友に、父に鍛えられたからだな。昔の私ならば、慌てることしかできなかっただろう。

 岩山の上を柔らかく風が吹く。

 ギルダス、ベーダ、ヘンギスト、オイスク、それに母上。代王都に住む皆はどうしているだろうか。何より、魔獣の大群はどうなったのだろうか。

 あの夢のことも気になる。白い世界のなか、父や、兄たち、兵たちが出てきたが、どこかへ行ってしまう夢だ。何となく予感はするが、認めるにはあまりにも辛く、今は心の奥底に閉じ込めておいた。

 日光浴をしていると、騎獣が洞窟から出てきた。私を抱くように体を寄せてくる。そのまま、ぼんやりと風を浴びていた。

「クエェ」

「なんだ?」

 騎獣が首を伸ばし、空の一点を見つめた。私もそちらを見るが、何も見えない。

 それでも、騎獣はじっと明後日の方向を向いている。

「ん?」

 私にも何か見えてきた。黒い点にしか見えないが、どうやらこちらへ近づいているようだ。もしかして、私をここへ連れてきた人物だろうか。

 あっという間に、近づいてくる。考えられない速度で空を飛んでいる。超一級の魔術師に違いない。

 そう思った次の瞬間。私は自分の目を疑った。

 竜。

 竜だ。

 竜がこちらへ飛んでくる。本当だろうか。

 だんだんはっきりと姿が分かるにつれ、竜の様子が見て取れるようになってきた。そこでようやく、私は竜を見ているのを理解した。

 竜の魔力は今まで見てきたどんな生物よりも多い。離れた所からでもはっきりと分かる。この生き物に勝てるものは、この世にいない。

 鱗は鈍く緑色に光っている。

 翼は二対あった。交互に空気を掴み、あの速度を出しているようだ。

 腕は無く、足は強靭ながら飛行の妨げにならぬよう、尾にぴたりと張り付いて体の後ろへと流れている。

 見とれている内に、竜は目の前に降り立った。このための平らな頂上だったのか。降り立つ時、竜は魔術で竜巻を呼び起こし、勢いを殺しつつ、ふわりと大地に足を下ろした。

「目が覚めましたか」

 竜が言葉を発した。違う。誰かが、竜の背から降りてきた。甲冑に身を固めて、兜をかぶっており、風貌はよく分からない。しかし、敵意はなさそうだ。

「はい」

「無事でよかった。見つけた時は息も絶えそうで、助からないかと思ったのですが」

 まるで父のような深い声だ。それに、ずいぶん折り目正しい話し方をする人だった。

「それは、助けていただき、ありがとうございます」

「いえ、たまたま通りがかった通りがかった所で倒れていたものですから」

 年齢はいくつ位だろう。声は落ち着きがあり、動きも洗練されていて、長年鍛錬を積んだ老騎士のような風情があるが、動きは若々しい。

「色々とお尋ねしたいことがあるのですが」

 しかし、彼は私の言葉を遮った。

「その前に、食事にいたしましょう。この十日余り、あなたは眠ったまま水しか飲んでいないのですから」

 十日と言われて驚いた。しかし、納得もした。通りで腹が空いているわけだ。

「それはありがたい。そうだ、礼と言っては何だが、これを受け取ってほしい」

 ふと思い立って、私は剣帯についている金鎖を取り外し、彼に渡そうとした。純金の飾りなので、いい値がつくだろう。

「お礼など、無用のことです。私は倒れている方を放っておけなかっただけのこと。善意の行動にどうして対価を求めましょうか」

 穏やかな口調だったが、固い意志を感じる。どうあっても彼は礼を受け取らないと分かり、私は金鎖を元に戻した。

 促されて、洞窟へ戻る。

「さあ、まずはゆっくり汁を飲んでください。空っぽの胃に急に物を入れるのはよくありませんから」

 竜の背には大きな袋も積んであった。彼はそれを下ろし、中から器を取り出すと私に煮ていた鍋の中身をよそってくれた。目の前でうまそうに煮えている肉と野草を見ながら、空腹を堪えて渡された器の中身をゆっくり流し込んだ。

「はー」

 あっという間に一椀飲み干す。えも言えぬこの味わいに、私はただため息をつくばかりだった。

「お代わりは沢山あります。好きなだけ召し上がってください」

「ありがとう。だが、あなたは食べなくてもいいのか?」

 彼は、私に汁をよそってくれる時も甲冑を着たままだった。

「私は、面体が醜いのです。食事の邪魔になりますので、どうかお気になさらず」

 知れば知るほどに謎は深まる人物だ。

「そうなのか。無神経なことを聞いてしまったようだな。すまない」

「いえ。生まれてよりずっとこの風貌なので、つらいと思ったことなどありません。ただ、初めて私の素顔を見る方が必ず驚いてしまうのは、少々面倒に感じることもあります」

 お代わりを渡され、私はまたそれを飲みほした。

 三度、椀を空にすると、そろそろ聞きたい気持ちが空腹に勝ってくる。

 直ぐに聞こうとして、私は自分の素性を明かすかどうか考えた。王族に連なるものだと知れば、彼も親切な態度を崩すかもしれない。そうすれば、消耗した今の私では逃げるのもおぼつかないだろう。

「そうだ。まだ名乗っていなかったな」

 ただ、私には彼以外に頼る人物はいない。話すか否か、私は勘で決めた。

「代王国代王が一子、第十王子のロムルス・ウオーディガーンという」

 彼は、驚いた素振りも見せなかった。その様子にむしろ私の方が驚いてしまう。

「高貴なお方とは推察しておりましたが、殿下とは思いませなんだ。甲冑を身にまとったままの御無礼、どうかお許しくだされませ」

 騎士は片膝をついて頭を下げた。

「頭を上げてくれ。私は、恩人に対して無礼を咎める言葉は持たない」

「ははっ」

 深く一礼をしてから、彼は口を開く。

「私は、旅の騎士、名をフリティゲルン・ロゥトゥと申します」

「フリティゲルンか、どこかで聞いた名だが」

「各地を竜の背に乗りさすらっておりますので、噂をされることも少なくありません」

「竜に乗る騎士か、まるで伝説の竜騎士のようだな」

 代王国の創建時、先住民と激越な戦争が起きた。その時に、先住民側の英雄として名を残した一人が、奇眼の竜騎士だ。数々の武勇伝は百年たった今もなお酒場での語り草になっている。

「滅相もございません」

 彼もまた、そのような伝説に惹かれた一人なのだろう。

「しかし、驚いたな。まさか竜をこの目で見ることがあろうとは」

「竜は人目を避け、辺境に暮らす種族ですからな」

 この世に何人、生あるうちに竜を見る人物がいるだろうか。

「よくあそこまで信頼を築き上げたものだな」

「はい。お互い、長い年月をかけて分かり合ってきました。今では無二の相棒です」

「羨ましいことだ」

 心の底からそう思った。

「殿下も、得難い友をお持ちです」

 フリティゲルンが差す先には、鍋の中身をつついている私の騎獣がいる。

「あいつがか?」

「ええ。私が倒れている殿下を見つけた時、彼は私と竜に立ち向かってきました。どうも殿下を害する者と思われたようです」

「そうか」

 何度か世話をして、共に戦場を駆けるうちに、また友ができたのか。

 見られているのに気づいた騎獣が、傍へ寄ってきた。喉を撫でてやる。

「ところで、私以外に生きていたものはいなかったか?」

 何気ない風を装って訊ねようとしたが、いささか早口になった。

 五万人の兵が魔獣と戦っていた。何人かでも生きていてくれ。

「いいえ。殿下おひとりでございました」

 しかし、無情にも首は横に振られる。

「それでは、魔獣どもは」

「代王都を囲んでいると噂が流れています」

「なんと」

 兵の顔、供の声、若当主とのやり取り、父の言葉、兄の嫌味が巡り、言葉が詰まる。

 完膚なきまでに負けたのだ。そして、守りたかったものも守れなかった。百万を数える魔獣に、代王都に残した僅かな兵では太刀打ちできまい。

「殿下、どこか痛みますか?」

 涙が溢れた。ギルダスの魔術修業にも、ヘンギストの剣の稽古にも、何度も痛い目にあわされてきたが、負けとは、これほど辛いものだっただろうか。

「いや、大丈夫だ。心配ない」

 涙を堪えようとする。しかし、堪えられるものではなかった。

 しばらく呆然として涙を流した。

 フリティゲルンは、私が落ち着くまでただ黙って見ていてくれた。

「みっともないところを見せたな」

「恐れながら、全てを失う気持ちは私にもお察しできます。みっともないなど、欠片も思いません。これから先、どのように生きるかが、肝要かと愚考します」

「これから、か」

「はい」

 私は、どうするべきだろうか。これからのことなど、分かるわけもない。

 たった一人でみじめに生き延びた私が、何を為せるというのだろう。

「どうすればいいと思う?」

「それは、殿下がどうしたいのかでございましょう」

「それでは答えになっていない!」

「殿下、殿下の進む道を決めるのは、時に他の人間であったかもしれません」

 急にフリティゲルンの口調が厳しいものになり、まずいことでも言ったのかと思い返した。

「すまん。わがままのような事を」

「殿下、お聞きください」

 謝る言葉は、途中で遮られた。

「進む道を決められてきた者も、いつか、自ら選ばねばならぬ時が来るのです」

「しかし、私は」

「どのような者であろうと、どのような際であろうと、どのような状況であろうと、人は己の道を、自ら選択することができます」

 それは、負けた者であってもだろうか。王族として傅かれ、何一つ己で決めてはこなかった者でもだろうか。何も出来ぬ、半端ものであってもだろうか。

「お決めなされ、進む道を。決めてしまえば、どうとでもなります。最も辛いのは、どの道を行くかを、己でで決めることなのですから」

 決めると言っても、私の意志は、どこにあるのだろう。

 肉体も、魔力も、万全とはほど遠い。兵も、家族も失ったらしいが、実感が湧かず、悲しみも浅かった。

 ただ、負けた感覚だけが、私の身体を支配している。

 始めて会った目の前の騎士に、世話になったのは確かだが、名前以外は何も知らない。そんな彼に何をすべきか聞いた私は愚かだったし、真面目に答えたこの騎士も愚かだ。

「何もかも、どうでもよくなってくる。どこか、人里離れた所で魔術師として生きては行けないだろうか」

 竜騎士は何も言わない。

「フリティゲルンと共に、竜に乗って旅をするのもいいかもしれない」

 未知の世界、わくわくしたような気がした。

 しかし、負けた感覚に覆いつくされる。どこかで覚えのある感覚だと思って、記憶を過去に向けてみた。

 この感覚は、たしか、そう、王宮にいた頃、十番目の子として過ごしていた時の感覚が近い。

 子だくさんの父、継承権争いの火種が起こる、派閥争いの日々。

 そして、そうだ、魔術師になろうと思ったことがあった。

 あの時は、王宮の権力争いから目を背け、魔術に逃げた。

 たまたま、私は魔術に向いていた。

 それで、面白くなって続けるうちに、周りから褒められていい気になって、しまいには、父に魔術師の館へ放り込まれた。

 王宮の争いを止めたいのならば、私は兄のどちらかに味方するべきだったのかもしれない。

 しかし、思うだけで言葉にはならなかった。

 フリティゲルンは片膝をついたまま、私の言葉を待つかのように動かない。何も言わなければ、彼はこのまま動かないに違いない。私にそう思わせる凄味が、洞窟の中に漂っている。

 彼は、私に何かを期待している。

 思えば、父も、私に何かを期待していたのかもしれない。あの時は、私は魔術に逃げた。目の前の面白い事に、気を紛らわせた。

 今度は、逃げられないのだ。

 私の目の前にいる騎士と、洞窟の入り口にいてこちらを窺う竜は、私の選択そのもののように思えてくる。

 選択、という得体のしれない怪物が、たまたま、私の前に陣取っている。

 意思が決まらなくとも、何かを為さねばならぬ時があるのかもしれない。その時、どんな道を行くか決めるのは、案外つまらないことなのかもしれない。

 私は王族の家に生まれた。つまらないことだ。どうでもいい、とも言えるだろう。それでも、つまらぬことから始まって、今の私がある。

 何もかも分からなくなったら、始まりに戻るのもいいかもしれない。

 ただの王家出身の人間に戻ってみようか。

「決めたぞ」

 声が震えた。長い間黙っていたせいなのか。

 それとも、これから発する言葉の重みに耐えているからなのか。

「私は、代王都へ戻り、代王となる」

 半ば、弾みだった。

 言ってしまうと、代王位を継ぐロムルス家の生き残りは私だけだ、とか、死んだ兵達の敵を討つ、とか、様々な理屈が思いついた。もちろんどれも本当の気持ちだ。

 ただ、突き詰めて考えれば、何となく代王になろうと思いついた、というのが一番合っている気がする。何となく王となる。立派な理由など無用だろう。

 したいようにすればいいのだ。

 流れに身を任せていいのだ。

 なぜなら、私は逃げていない。

 これから、私は私の選択と戦い続けていく。

「代王になられますか」

 フリティゲルンは静かな声で私の意志を確かめてくる。

「ああ。ふと、なってみようと思ったのだ」

「なるほど。それは良いことですね」

「そうか? 私は皆に怒られると思うがな」

「それで怒るのは、難しい事ばかり考えている人間でしょう。それほど立派な考えを持っているのなら、自ら王になってみようとすればよい。そうして民がついてくれば、その考えが正しかったということ」

「民がついてこなければ?」

「間違っていただけでしょう」

「なるほどな。何となく王になった者でも、民が認めればそれでよいのだな」

「私見でございますが」

「いや、参考になった」

 上に立つ者は、下に認められればいい。王になろうと思った動機など、どうでもいいのだ。

「そのためにはまず、体をしっかりと回復させなくてはならんな」

 私は椀を取った。

「お代わりを頼めるか?」

「はっ!」

 いつしか、フリティゲルンは私の臣下のような振る舞いを始めていた。

 まずは彼に認められた。

 これから、より多くの者に認められるための、長い、長い旅が始まる。

 しかし、私の心は、その長い道のりへの期待に、打ち震えてくるのだった。

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