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九王記  作者: 荒木小吾
一章 西の大陸で
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13話 出陣

 代王位継承権を剥奪され、南方、樹人族との矢面に立たされることが決まり、護身の術を学ぶ必要性と、私の希望も有り、父、代王の伝手で代王国の魔術師の元へ修業に来てからはや半年。

 代王都には今、未曾有の危機が迫っている。

「じゃあ、行ってくる。今日の分の修業は明日やろう」

 今日は、魔術の師匠ギルダス、彼の父の館から王宮へ赴く。昨晩遅く、緊急の会議を開くために出仕せよと命令が下ったのだ。

「気を付けて行ってこい。自棄になった馬鹿な連中が増えてきているから、道中襲われるかもしれん」

 いつもなら、修業の邪魔をするものを排除する、魔術が第一の少年だが、今日ばかりはこちらの身を案じてくれる。

「護衛もいる。そう心配するな」

 私がふらふらと一人で歩けた代王都も様変わりした。

 護衛についてくれる近衛騎士達に声をかけ、魔獣車に乗り込んだ。飼いならされた魔獣、雌雄一対の四つ足の魔獣に御者が指示を出すと、ゆっくりと進み出す。

 外の見えない中、石畳に魔獣の足音が鳴る。様子が分からなくとも、都中の殺伐とした空気が肌に刺さるような気がしてくる。

 遠い喧騒は風のようだ。

 代王家の紋は出さず、魔獣にひかせている車に、身分の高いものが乗っているとあたりをつけた連中が群がってくる。

 徐々に増えてくる彼らを追い返そうと、騎士は目くらましに閃光の魔術を使ったらしい。カーテンを閉めた向こうがしばらく眩く染まり、その間に御者は魔獣を急かした。

 その後も何度か群衆を引きはがし、王宮の門へたどり着く。

 流石に門の前は近衛軍が固めていて群衆は近づけないでいる。魔獣車は門の前に停まった。

「開門せよ!第十王子、ウオーディガーン様のお着きだ!」

 久しぶりにそう呼ばれるとなんだか恥ずかしくなってくる。

 誤魔化すため、表情を消して久々の王宮へ入る。戦時だからか、騎士や兵士、伝令たち、軍属の姿が目についた。

 部屋住みの十男。しかも側室の子の私は、貴族の当主や騎士団長達とは何の繋がりもない。

 故に知り合いもいない。案内の者に連れられて、一人で歩く間、私に声をかけてくる者はいなかった。

 謁見の間に通される。

「陛下、ウオーディガーン様が到着されました」

 群臣が並ぶ広間には、長机が置かれ、会議の場が設けられている。上座に座る父と、父を取り巻く側近や重鎮をよけ、私は机の中ほどにに座った。

「ご苦労だったな、下がってよい」

「はっ」

 私を案内したものが下がる。

「久しいな、ウオーディガーン。しばし兄たちが揃うまでくつろぐがよい」

 出迎えの言葉がそれきりで終わり、父はまた臣下と話を続ける。

「どうぞ」

「ああ、ありがとう」

 背後から茶が出された。一口含むと懐かしい風味が広がる。

「相変わらずお前の茶はうまいな」

「恐縮です」

 馴染みの召使が淹れる茶を飲んで時間を潰す。その間に、会議に参加する面々は続々と集まってきた。

 私が王宮を出た後の顛末を、茶を入れてもらいつつ聞いた。第一王子と第六王子の件だ。

 王子の大半が父に代王位継承権を剥奪され、地方に送られることが決まった後、お互いに王族の支持を受けられなくなった二人は貴族の取り込みを図った。

 代王都に住まう当主だけでなく、地方の小領主まで巻き込んだ権力闘争は留まることを知らなかった。だが、疑り深く執念深い第一王子に、外堀からじわじわと埋められて劣勢となった第六王子は、西大陸中央の砂漠で竜を崇める竜人族と、密約を交わした。

それが父の逆鱗に触れることとなったのだ。

 内容云々よりも、国外の勢力を引き入れる考えは国を亡ぼす。

 父の一言で第六王子は鬼人との国境に飛ばされた。

「ところが、この度の異変で陣頭指揮を執り、その功績を認められて代王都へ招集されたともっぱらの話でございます」

「そうか、では第一王子殿は面白くなかろうな」

「はい。その話が決まった時の殿下のお顔は恐ろしいものでございました」

 空になったカップにお代わりを頼んだ。

「また何か聞くこともあるだろう、その時はよろしく頼む」

「わたくしにできることであれば、何なりと」

 人目に付かぬよう、そっとそいつのポケットに銀貨を数枚滑り込ませた。

 館に籠りきりで、修業に使う素材を買いに行く以外は外に出なかった半年の間、随分環境が様変わりしたようだな。

 素知らぬ振りでそいつが去っていくのを見届け、一口茶を含む。

 話している間に、今日の会議に出席する貴族たちと、何人か兄が入ってきたが、軽い礼で済ませた。臣籍に降下したので身分が同格になったからだ。臣籍に降下して手に入った、あまり儀礼に囚われなくなった生活は、至る所で私を楽にしてくれる。

 私よりも上座に王子達が座っていく。ほとんど半年前と変わりはない兄達の姿に懐かしさを感じて、私は驚いた。王宮にいた時は、ここほど退屈で、形に囚われた所は他にないと思い、そこにしがみついてのみ生きてゆける王族に嫌悪を抱いていたのに。

 心の内では、ここが我が家だと思っていたということか。私も自分では何もできない王族の一人だということなのか。

 最後の二人、第一王子と第六王子が肩を並べて入ってきた。

 謁見の間がざわつく。

 第六王子が序列を無視しているのだ。

 しかし、事実として、第六王子と第一王子は生まれた順がどうあれ、この場では対等なのだった。

「おい、六番目。もう少し立場をわきまえてほしいものだな。下の者に示しがつかん」

 ざわつきに反応したのか、長兄が弟に諭すように言った。

「兄上。お言葉ですが、現状では兄上は役立たずなのですよ。兄上こそ立場をわきまえるべきかと思いますが」

 弟も負けじとやり返す。

「ふん。西の辺境で鬼どもとやり合っている内に、王族としての振る舞いを忘れたようだな。もともと頭に入っていたかは怪しい所だが」

「ちっ。兄上は王宮に籠りきりで、無能の戯言を身に着けなさったようですね」

 上等な文官の服に身を包んだ第一王子と、飾り立てた甲冑姿の第六王子が睨みあう。

 容赦のないやり取りに身を固くしているばかりの貴族連中とその他の兄達。

「お前たち、席に就け」

 流石に放置できなくなった父が間に入り、ようやく二人はそれぞれの席に着いた。父の所で話し込んでいた何人かも、下座の自分の席へ戻る。

「皆、揃ったな」

 代王は謁見の間に置かれた長机に座る王子と貴族、合わせて二十数名を見渡した。

「では、魔獣への対抗策を練るとしよう」

 代王都へ迫りくる脅威へ立ち向かわねばならない。皆の表情は、対策など何もないと言わんばかり一様に重苦しい。

 どこまで本気なのかは分からない。始末を押し付けられるのはかなわないと考えているのかもしれない。

「代王都に最低限の兵力を残し、全力で叩き潰すべきだ!」

 開口一番、第六王子が景気よく口火を開いた。下座から賛同の声がちらほらと挙がる。こいつは多分何も考えていないな。

「いや、この際外で戦っている兵を呼び戻し、代王都に拠って戦うべきだ」

 第一王子が真っ向から反論する。上座から何人かが賛成した。こいつは弟に手柄を取られると思って反対しただけだろうな。

「兄上は、これ以上領土を荒らされるのを黙ってみていろとおっしゃるのか。既に防衛線が壊滅的な被害を受けて、一族郎党魔獣に食い殺された臣下すらいるのですよ」

 下座の声が大きくなった。地方に領地を持つ貴族たちは、他人ごとではない。

 対抗するように第一王子が金切り声を張る。

「今の状況で野戦を挑んでみろ、地を覆う魔獣にむざむざと肉を与えに行くようなものだぞ。城壁を使って防ぐのが現実的な手段だ!」

「馬鹿なことを言うな、城壁の中の民はどうなるんだ。籠城するとしたら、食料を考えれば十日も持たん」

「魔獣の群れがここにたどり着くまで、まだ時間は有るんだ。その間に運び込めばいいだけの話だ!」

「各地で戦っている兵士たちはどうなる。救援要請は毎日届いているんだ、見殺しにする気か!?」

「代王都の防衛が第一だ!全ては目の前の脅威を排除してからだろう!」

「その間にも各地の民が次々に魔獣の腹に収まっているんだぞ、手を打たない訳にはいくまい」

「手を打つ?要は援軍を出すということだろう。手薄になった代王都はどうする!?ここを落とされるということは、我が国ロムルスの滅びと同義だぞ!分かっているのか!」

「レムス王国へ、救援の使者を出そう!」

「間に合う訳があるまい!そもそも、先代の頃より関係は切れているも同然だ!」

 議論は尽きない。しかし、前に進まない。

 喋るのは第一王子と第六王子、たまにその取り巻き連中。第六王子は外に出て戦いたがり、第一王子は籠城を勧める。

 どちらも譲らず、時間ばかりが過ぎてゆく。

 二人が対立するのは容易に想像できたはずなのに、父はなぜ会議など開こうとしたのだろう。命令を出せばそれで済むと思うのだが、何か思惑があるのだろうか。

 朝から始まった会議は続き、とうとう昼になってしまった。

「一度、休憩にしよう。昼食を用意している」

 代王が昼食を宣言し、議論は一旦打ち切られた。

 会議の席順はそのままに、給仕が謁見の間の戸を開けて入ってくる。手早く並べていく皿の枚数はいつもよりも少なく、手掴みで食べられるものもある。

「腹ごしらえをした後、会議を続ける」

 そう言って代王が食事を始めた。がつがつと音が聞こえてくるような食事ぶりにつられ、謁見の間に置かれた長机に座る面々も昼食を取る。礼儀作法など忘れてしまったようだ。

 無言で食事を終えた。

 食後の茶が出た。冷まされて生温くなっていた液体を流し込む。

 食事の間、何度か部屋の外から人がやってきて代王の耳元で囁いていた。物を噛む合間に代王が何かを言うと、囁いた者は急いで退出していく。

 お代わりを頼んだ者も茶を飲み終わると、代王が口を開いた。

「皆、食事は終わったようだな」

 会議が始まると思い、王子が二人逸りだす。しかし、二人を遮るかの如く代王は言葉を続けた。

「今しがた報告がいくつか入った。それを先に伝えておこう」

 今にも立ち上がりそうだった第一王子と第六王子が腰をそろそろと下ろす。きちんと席に着いたのを見て代王は報告の内容を口にし始めた。

「代王都北西の魔獣たちが動き出したようだ。早ければ三日で到着する模様だ」

「三日か」

 第一王子がぽつりと呟く。三日では都の民と兵士、合わせて約十五万人分食料を用意することはできない。第六王子が勝ち誇った顔をする。

「加えて、あくまで目算に過ぎんが、魔獣は百万を超えるだろうとのことだ」

 謁見の間にいる全員が凍りつく。

 誰かが掠れた声で、百万、と呟く。第六王子が青い顔になって震え始めた。

「ば、馬鹿な!そんな数の魔獣がいったいどこから湧いてきた!」

「見間違いだ、そうに違いない」

「とにかくとんでもない大群なんだろう、もう勝ち目なんてない!」

「本当にここへ向かっているというのか?何かの間違いじゃないのか?」

「もう終わりだ」

 これはもう逃げるしかないな。私も彼らと同感だ、とても受け入れられる現実ではない。母上や召使達、後はギルダスにヘンギストにオイスクにベーダ、知り合いを皆連れてどこかへ逃げられないか。

 北は魔獣がうようよいるし、南へ行くべきか。

 それとも。いや。しかし。

 頭の中を言葉が巡る。巡りはすれど口から出ることは無い。

「陛下?」

 誰かが父を見た。

「父上?」

 私もその声で思考が切れ、父を見る。

 ざわめきが、一人の男に吸い込まれていくようだった。

 騒ぎの中、黙して語らず。男は、父は、目を閉じていた。

 輝く武具を持ち、従者が何人も入って来ると、父の、代王の全身に甲冑を着せていく。

 突然飛び込んできた戦場の気配と父の昂る魔力と闘気が伝わり、一人、また一人と代王へ視線を向ける。

 代王は目を開けない。

 従者が甲冑を着せ終わった。東大陸レムス国、その王家に代々伝わる宝具だ。西大陸へ行く命を受けた私の祖父、初代の代王が下賜され、身にまとい、代王国を切り取った代王国の至宝。年に数度の儀式のときしか着ない甲冑を、代王が身に着けている。

 また一人、代王の従者が謁見の間に入ってきた。剣を持っている。

 恭しく代王へ捧げ、代王は剣の柄を取った。

 目を開け、引き抜く。

「さらに状況は差し迫った。議論をする時間は無くなった」

 代王が立ち上がった。

 風の音さえ聞こえない。謁見の間にいる全員が、代王の一挙手一投足を注視している。

 抜き身の剣を片手に、代王が言った。

「儂は、死ぬ」

 緊張感が高まる。呼吸が苦しい。

「皆も、死ね」

 誰も言葉を発しない。いや、代王の殺気で、言葉を発することができないのだ。

「我らの死んだ先に、民、家族、愛する人が生きる」

 強い光を放つ瞳が私たち一人一人を射抜く。奥の奥にある心まで見透かされた気がした。そして、母の笑顔を、友人たちとのひと時を思い出した。

「死を肯んじ、儂の後に続け」

 誰も、何も言わなかった。

 しかし、私の意志は決まった。根拠はないが、謁見の間にいた全員が、代王の下で魔獣の大軍と戦うと思った。

「準備が整い次第、出陣する」

「御意のままに!」

 第六王子だ。

 深々と一礼し、出陣を叫んで飛び出していく。下座に座る貴族達は全員従った。出陣を望んでいたにしても反応が早すぎやしないか。

「では、私は王宮の人間と代王都の住民を」

「避難は必要ない。そなたも出陣するのだ」

 避難を口実に自分も逃げようとした第一王子が捕まった。臣下に前後左右を挟まれてどこかへ連れられて行く。あれは先ほど代王と何か話していた側近たちだ。

 次々に王子達は謁見の間から出て行き、私が最後に残った。

「しかし、父上。避難をさせないというのは、万が一のことを考えるとまずいのでは?」

 私は一応思ったことを言ってみた。

「逃げる場所など、とうにない。どこもかしこも魔獣だらけだ」

 返事が返ってくる。会議は終わった、と突っぱねられると思っていたのに。

「四方を囲まれていると?」

 代王が何を考えているのか知りたくて、また言っていた。

「ああ、それに近い。国中、魔獣の現れぬ場所など無い。神出鬼没に現れては、防備の薄い所を狙って襲い掛かり、民を喰らって去ってゆく」

 二つ目の返事でそれが分かった。

 今まで散り散りだった魔獣が、どういうわけか大半が集まってここに向かっている。代王は、この機に魔獣を掃討するつもりなのだ。

 賭けをしようとしている。

 成功すれば、原因不明の魔獣大発生に対処する時間が稼げる。失敗すれば、西大陸の人種は終わりだろう。せいぜい僅かな生き残りが他種族の下で奴隷として生活する程度だ。

 私の身体は震えた。恐怖とも、畏怖とも違う、訳の分からない昂りが湧いてくる。

「分かりました。私も準備をいたします」

 代王が頷き、私は臣下に囲まれて部屋を出て、王族用の武器庫へ案内された。

「こちらが殿下の武具でございます」

 武器庫にはいくつも小部屋があり、その端に扉が閉まったままの部屋が一つだけあった。前を歩く者が鍵を開け、錠前を外す。中には、代王の甲冑に似た意匠の武具が一揃い置いてある。

「ああ、着付けを頼む」

「かしこまりました」

 小部屋に一つだけ置いてあった椅子に腰かけ、服を自分で脱ぎだすとやんわりと制止された。

「そのまま、お待ちください」

「分かった」

 されるがままに、服を脱がされ、分厚い皮で作られた服をかぶせられ、厚い金属の板を全身に固定されていった。

「終わりました」

「ご苦労さま」

 兜は甲冑を着せてくれた者が供として持つという。

 最後に、剣の鞘を腰に固定した。

「お見事な若武者振りでございます」

「うん、そうか」

 見た目は強そうに見えるだろうが、ひたすらに暑くて重くて動きにくい。特に手と足、籠手とつま先と脛当ての先がごつごつしている。

 それとなく文句を言ってみる。

「手足が気になるのだが、大きさを間違えていないか?」

「いいえ、寸分の狂いなく、殿下のお体に合うよう測っております」

「そうか」

 いつ体の大きさをはかられたのだろう。まったく身に覚えがない。久々に先回りして世話をされたせいか、少し不気味だ。

 供の者たちは手早く防具を身に着けていく。あっちの方が動きやすくてよさそうだ。

「ささ、こちらでございます。初陣の王子は、代王のいる本陣へ集まるようにと、陛下がおっしゃっていました」

「分かった、行こう」

 この甲冑だと一歩進むのにも体力がいる。ヘンギストに稽古をつけてもらわなければ、歩くだけで息切れしていただろう。

 出陣の支度で騒がしくなっている城内を進んで外へ向かう。廊下も、部屋の中も、急な出陣の命令に忙しなく動き回る者達でごった返している。王宮の城門へ到着すると、貴族の館までが出撃の支度で大わらわなのが見えた。

 しかし、一か所、静寂な空間がある。

 近衛兵団が代王を囲み、陣を敷いている。

「おい、ここは行軍の際に先頭になる場所だろう。なぜ近衛兵がここにいるんだ?」

 前を歩く供が歩哨に立っている兵を掴まえた。彼は、答えるのを一瞬躊躇たが、私に気づくと直立してはきはきとこう言った。

「私の所には、陛下自ら先陣を切る、と命令が来ております」

「陛下自らが?本当だろうな?」

「はい、間違いありません」

「そうか、もういい。任務に戻れ」

 歩哨を離した後、訊ねた者は困惑を隠そうとしていなかった。

「殿下、陛下自ら先鋒とはどういうことでしょう」

 私に聞くな。分かるわけがあるまい。

「まずは父上のところまでいかねばな」

「はっ」

 前後左右を固めた供を引き連れ、近衛兵の中を代王の元へ向かう。

「そういえば、なぜ四方を固めて歩くんだ?戦場が怖くて逃げたりはしないぞ?」

「殿下方のお命を狙う者がいるやも知れぬと、陛下より命じられております」

 冗談を言ったことを後悔した。それほど硬い口調だった。

 ぴりぴりした空気が代王に近づくほど強くなる。余計な物音を立てれば、周囲から切りかかられるような気がした。

「私です。準備できました」

 折りたたみできる椅子に腰を下ろしていた代王の前で膝をつき、一礼する。

「うむ。まだ少し準備に時間がかかるようだ。座って待っていろ」

 父の傍に控えていた従者が素早く椅子を出した。第七、第八、第九の王子の隣に座る。この兄たちとはほぼ接点がない。同じ年に生まれたから年も変わらない。母親が違うだけだ。

「よく似合っている。父上を思い出すな」

 代王が話しかけてきた。

「先代の陛下を?」

「ああ」

 だが、それきりで会話は終わった。形式的な褒め言葉だったようだ。

 代王は、あちこちからやってくる伝令や使者の相手で忙しく、兄たちとはどう接すればいいかも分からない。こんな時は茶でも飲むのだが、今は一応陣中だ。いつもの給仕もどこにいるのか。

 ひょっとしたらどこかにいるかもしれないと思い、暇に任せてあたりを見渡してみる。

 そうすると、喧騒の中で私の名前を呼ぶ声がした。

「陛下。お耳を」

 近衛兵が一人、鎧を鳴らして駆けてくると、代王に耳打ちした。

「また、勝手なことを」

 長く嘆息して代王がこちらを見た。

「お前の母親が来ている。会いたいそうだ。行ってこい」

「母上が来ているのですか!?」

 立つと、さりげなく先ほどの四人がついてくる。暗殺がどうこうといって護衛がつくのは良くある話なので仕方がないが、今回は特に気合が入っているように感じた。

 母親に会うと聞いていたのか、顔が見えるよう、斜めに挟まれるように歩いていくと、王族の一員にしては粗末な身なりの母の顔が見えた。

「母上。自分の部屋で大人しくしているように命が下っているはずでは?」

「ごめんなさい。でも、初陣と聞いて、どうしても、いてもたってもいれなくなって」

 そこから母の話は延々と続いた。

 食事の心配をされ、背が伸びたと感心され、友達に紹介しろとせっつかれた。鬱陶しくはあったが話を打ち切る気にならなかったのは、母が私を心配しているだけだからだ。

 母は、下級貴族の次女から、末端の側室とは言え王族の一員になった。

 大人しい性格の上、人の心配ばかりしている母は、権謀渦巻く王宮に有って神経をすり減らし、自殺を図るまで追い詰められたこともあった。

 私は生まれてすぐに守り役と乳母に預けられ、母との思い出は僅かしかない。それでも、会うたびに心配ばかりしてくるこの女性は自分を生んでくれた人だと思うことができている。

 集合を呼びかけるラッパの音がした。

「母上。もう行かなければ」

「必ず、必ず戻ってくるのですよ」

 そこは武運を祈る、と言うのが慣例ですよ、母上。

「行ってきます」

 最後に一度、屈むように言われ、額に接吻を受けた。探しに来たお付きの侍女に母を預け、代王の元へ向かう。

 三人の兄は冷ややかな目で私を見ていたが、気にしなかった。

 代王がこちらを見る。

 周りの近衛兵団を見る。

 背後に続く王子達が率いる軍を見る。

 前方に待機する、貴族の軍を見る。

「出陣する!」

 代王都を震わす、鯨波が挙がった。

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