10話 第十王子ウォーディガーン
王たらんと欲する者あり、他の道を選ぶ者もあり。
けれども別れた道はつながることもある。
行く魔道の先には玉座があるのか、真理があるのか。
その答えは誰も知らない。
西大陸随一の都市、ロムルス王国首都、代王都。
周辺を城壁が取り囲み、東西南北には幾度も魔獣の襲撃を撥ね退けてきた鉄壁の門がそびえる。
「へい、らっしゃい! 今日は草魚の良いのが入ってるよ!」
「果物詰め合わせ! 十個で銅貨十枚! 安いよぅ!」
「あ、おっちゃん、串焼き十本くれ!」
「こら、オド! また金欠になるぞ!」
正円を描く城壁の内へ入ると、石畳の大通りの両側にこじんまりとした大衆の家々が立ち並び、横道に軽食や食料品や雑貨を売る露店が所狭しと詰まって、芋の子を洗うような雑踏の賑わいを繰り広げている。
「あら、殿下、またお忍びの散歩ですか?」
「ごきげんよう殿下」
さらに進むと貴族たちの広壮な邸宅が視界を占める。先ほどとはがらりと雰囲気が変わり、閑静な街並みになる。店は一軒もなく、広い庭と大きな家屋ばかりの通りは、身なりのよい人々がゆっくりと歩を進めていて、こちらに気づくと歩みを止めて一礼する。
道路を最後まで進むと代王の一族、ロムルス家の住まう宮殿にたどり着く。
「殿下のお帰りだ! 門を開け!」
物言わぬ石像の間をくぐり抜ける。
開門、と叫ぶ門番に会釈を返して、城門とはうって変わって美麗に飾り立てられている宮殿の門をくぐり、磨き込まれた石材の床にコツコツと足音を立てて自室へ向かう。
すると、後ろからもう一つ足音が追いかけてきた。
「おい、ウォーディガーン、また供もつけずに出歩いてたな」
一番上の兄、第一王子が痛々しい包帯姿のまま杖を突いた姿で嫌味な笑顔を見せた。
この間、鬼人との惨敗で初陣を飾った兄は、元々の神経質さをこじらせてしまって、弟に後継者の地位を奪われる心配ばかりをするようになった。
元々は書類仕事に長けた、中々仕事のできる兄だったのだ。
父上も、決まりとは言え、文官の兄に戦場を踏ませるのは酷だと思わなかったのだろうか。
私が一人で出歩いていたと、父上に告げ口するつもりなのだろう。玉座に縁がないと諦めている私にとってはどうでもいい告げ口だ。
しかし、今の兄にとっては、王族全てが敵に見えているのだろう。
「兄上、怪我の具合はいかがですか」
弁明したところで聞く耳を持たないのは、今までのやり取りでいやというほど分かっている、軽く世間話でもして部屋に戻ろう。
あそこだけが、私の王宮での安らぎの場所だった。
「これしきの怪我など何でもないし、お前如きに心配される筋合いもない!」
「そうですか、では私はこれで」
「あ、おい! 待て!」
振り返ることなく自分の部屋に早足で向かう。怪我で早く歩けない兄は、何か喚いていた。が気にしないことにした。
私の部屋は宮殿の隅にあるので、途中いくつか部屋の前を通り過ぎる。
二番目の兄の厳重に封鎖された部屋の扉、三番目の兄の部屋からは女性の嬌声が聞こえてくる、四番目の兄の部屋からは大音量の音楽、五番目の兄の部屋はおどろおどろしい飾りが扉の外にまで溢れている。
男ばかりの十人兄弟の中で、上から五人は初陣として鬼人と戦い、惨敗して心に深い傷を負った。
まあ、私も、舞踏会にも狩猟祭にも最初に顔だけ出してそれっきりの、変わり者の十男として有名なので、あまり人のことを言えない。
因みに、六番目より下の兄たちは年が幼いと留守居を任された。猛反発した六番目の兄は二十歳になったばかり。武芸にも秀でていたのだが、あまり駆け引きが上手くなくて外された。
今は第一王子と第六王子の間で後継者争いの真っ最中、宮殿の中は蜂の巣をつついたような有様になってしまっている。
ようやく自分の部屋の前までたどり着いた。
「ふー、やっと着いた」
扉を開けて中に入るとようやく一息つける。
自分の内側にある魂に意識を集中して魔力を引き出す、魔力は右手の人差し指を通して茶器に移す、そうして茶器を動かせるようになると、紅茶を一杯入れて窓辺に置いた椅子へ腰を下ろした。
一口含むと、甘酸っぱい香りが鼻へ抜けて思わず目を細めた。
また魔力を魂から引き出して今度は本を手元に持って来る。
東大陸から取り寄せた魔導人形の構造資料集を開く。本を読んでいる時はいろんなごたごたを忘れていられる。
「へえ、面白いな、核には高い魔力を持った鉱石を使うのか」
ページをめくれば新たな発見がある。
「この関節の構造、四足歩行の魔獣に近いな」
紅茶をゆっくり啜りながら、静かな室内で好きな本を読む、私の一番好きな時間だ。
だが、もう間もなく針の筵に座ることになる。
憂鬱な時間を紛らわせられるように、本の内容を頭に詰め込みいつでも思い出せるようにしておく。
「殿下、御夕食の準備が整いました」
ノックと召使の声がして読書の時間は終わる。
「分かった、今行く」
呼んでいた本の内容を初めから思い返して、家族が全員揃う食事の席のことは考えないようにする。
長い廊下を進み、開け放たれている重厚な木材で作られた扉をくぐる、すると食事を取る大広間にたどり着く。
白い石材の長机に決められた席順で座る、私は末っ子なので席順では最後、しかも一番先に座っておかなくてはならず、兄や父や継母が入室するたびに一々立って出迎えなくてはならない。
頭の中は本の内容でいっぱいでも、物心ついたときからやっている宮殿の中の儀礼は体で覚えている。
何度も立ったり座ったりを繰り返し、最後に父、代王が着席して食事が始まった。妾も子どもも、数えきれないほどいる男だ。
精力絶倫という言葉が、これほどふさわしい人はそういないだろう。
その父も、この間の鬼人族との紛争で負けて以来、すっかり老け込んでしまっている。
なんでも、一騎打ちをしてひどい負け方をしたのだという。
食事の最中でもごちゃごちゃした儀礼を行いつつ、父と第一王子と第六王子と王妃だけは世間話に花を咲かせ、その他の王子は顔に笑顔を張り付け、一番上の兄か、六番目の兄のどちらかの話に相槌を打っている。
私は、銅像のように規則正しい動きで食事を取っていた。下手なことを言うと、途端にどちらかの派閥に入ったと見なされて、引き抜きや嫌がらせに見舞われてしまう。一歩引いた態度が静かな日常を守るのだ。
先ほど覚えた魔導人形の起動させる魔術を思い返しつつ、最後の一品を食べ終わる。
これで食事は終わりだ。
こまごまとした儀礼に従い、私は最後に退出する。
部屋に戻る途中、供を引き連れ、酒瓶を持って歩く六番目の兄、第六王子の後ろ姿を見つけた。歩く方向から言えば城の端に行ってこっそり酒を楽しむのか、あるいは私の部屋に押し掛けるつもりなのか。
後者ではないことを願いつつ、一定の間隔を保って廊下を進む。
いくつか兄たちの部屋を通り過ぎ、次第に自分の部屋に近づくにつれ、不安は暗い確信へ変わり、私の部屋の前で第六王子が立ち止まると、私の静かな夜がかき消えてしまったことがよくわかった。
兄の酒に付き合う覚悟を決めようとしたところで、兄の供がこちらに気づいて、兄に伝えてしまう。
「ウォーディガーン、早かったな、今夜は俺と一緒に一杯どうだ」
「そうですね、せっかくですから、空いている客間で飲みましょうか」
体調がすぐれないので遠慮しておきます、と言ってしまうところを堪えて、何とか乗り気な様子を見せることができた。
「なんでだ、お前の部屋で良いだろ」
冗談じゃない、酔っ払って暴れられたら集めた本が台無しになるだろうが。
この六番目の兄は、酒癖が悪い。
豪快で、酒豪で、酔って口説いた女は星の数。なので、圧倒的に若い男連中に人気がある。
「厨房の近くの客間なら、出来立ての肴が用意できますよ? 兄上のお好きな燻製肉も炙りたてがあるでしょうし」
「そうか、それなら、そっちの方がいいな」
よし、厨房の者には悪いが、今晩第六王子と第十王子はただ酒を飲んだだけで、怪しい話はしていないという証人になってもらおう。
二人きりで何か話をしていたと触れ回られたら、あの神経質な第一王子は何をしでかすか、知れたことではない。
「では、こちらです」
途中で召使を一人捕まえ、厨房へ第六王子が好む肴を作るように伝えさせる。どことなくそわそわとしている兄と共に客間に着くころには、ささやかだが十分な宴会の席が作られていた。壁際にはそれとなく給仕が控え、いつでも過不足に対応できる体制をとっている。
城外の酒場の、安くて油っぽい、けれども不思議と美味い料理と、注文したものを皿ごと放り投げてくるような接客が懐かしくなってくる。
ああ、肉と野菜の油炒めが食べたい。
本当に王宮は息がつまりそうになる。
兄の供が壁際に立ち、彫像のように直立不動の姿勢になった。
「ようし、早速飲むとするか!」
席に着くや否や、兄は酒瓶の栓を抜いて杯を満たし、こちらにも注いでくれた。
「ありがとうございます、兄上」
「まあ、飲んでくれ」
「頂きます」
軽く乾杯を済ませ、一杯目を干す間も兄はどこか落ち着かない様子だった。本当にこの兄は腹芸ができない。私には兄が何を言いだそうとしているのかが、何となくわかった。
「ところでウォーディガーン、また第一王子と揉めたそうだが、大丈夫か?」
そら来た。
大方私が第一王子に反感を持ったと思って取り込みに来たのだろうが、そうはいかない。私の静かな生活を守るには、権力争いに巻き込まれるのはご法度だ。
「ええ、なにも問題ありません」
きっぱりと、笑顔で答える。けれどもこの程度で権力の亡者は引き下がるわけはなく。
「しかしな、第一王子は先の戦から少し変になっているし、何をされるか分からないぞ?」
だから俺の味方になれ、とは言わないところが見栄っ張りなこの兄らしい。元々からりとして元気のいい兄だったのだが、いつからか玉座に取りつかれ、粘着質な一面が出てきた。
「まだ何もされていませんし、されるとも思いません」
「しかしな」
いくら否定しても、くどくど、くどくど、しかしな、と言葉を繋いでこちらににじり寄ってくる。
その合間に私は酒を兄の杯に注ぎ続け、兄はそれを飲み続けた。厨房に作らせた燻製肉の炙りの効果もあっただろうが、兄の酒は進み、何を言っているかもわからないほど酩酊してしまった。
そこからさらに一瓶酒を食らわせて、すっかり夜も更けた頃、ようやく兄を酔い潰せた。
「供の方々、兄上を寝室へお連れしてください」
供に担がれて寝室へ向かう兄を見送り、片付けを始めるよう言ってから部屋に戻り、ようやく長い夜が終わった。
兄の話を躱し続けて疲れ切っていたので、読みかけの本を開く体力もなく、着替えを済ませてそのまま眠りについた。
朝、目覚めて身支度を整え、いつも通りに堅苦しい朝食を終える。
だがしかし、初めに立ち上がるはずの父が座ったままだ。自然、誰も立ち上がることなく父を見る。
痩せたな。顔色も悪い。ふと、もしかして病気なのかもしれないと思った。
父、いや三代目の代王はその場の全員の視線を集めていることを確かめて、おもむろに口を開く。
「皆に申し伝えることがある」
心に傷を負った兄たちも、父の言葉に耳を傾ける。
「代王の継承権のことだ」
ひゅっ、と第一王子が妙な音を立てて息を吸い込む。代王はちらりと目をやったが、特に構いはしなかった。
「儂が戻ってから、一部におかしな動きがあるようだ」
第六王子が二日酔いで色の悪い顔を伏せた。
「鬼人だけではなく、樹人や巨人、竜人とも緊張の絶えない現状で、王家が揺らぐのは由々しき事態である」
代王が、一同を見渡す。
「故に、王子達の代王位継承権を剥奪することに決めた」
代王の言葉が室内を埋めた。
唐突な発表に他の皆は驚き、言葉もない。
しんと静まり、埃の落ちる音が聞こえそうな空気を代王が破る。
「まず、第二から、第五まで」
一人じゃないのか。それに、初めにまずと言い、五で切ったのは、六をとばすためか。
第一王子は安堵のため息をついている。
「加えて、第七から第十まで」
私も継承権を剥奪される一人だった。
しかし分からない、王室の揺らぎを押さえるならば、代王位継承権を持つ王子を一人に絞ればよいのに、二人に残せば争いは続いてしまう。
「以上、いま呼んだ八名は順に私の部屋まで来るように」
そう言って、不安げに爪を噛む第二王子を連れ、代王は退出していった。
しばしそのまま待つように代王の側近に言われたので、食後のお茶を頼み、香りを楽しみつつ考えを巡らせる。
その間にも第三王子が呼ばれ、第四、第五、第七、第八、第九と順番は巡り私の番が来た。
「こちらへ」
「ああ」
長い廊下を歩く。しばらくすると階段を上り、また歩く。
代王の部屋は王子たちとは別の階にあり、王妃の部屋と隣り合わせになっている。
「どうぞ」
口数の少ない初老の召使は脇へよけ、私は扉の前に立った。ノックをする。
「ウォーディガーンです」
「入れ」
扉を開け、一礼してから中に入る。
代王は椅子に腰かけ、俯きがちにこちらを見た。近くで見ると、記憶の中の姿よりもずいぶん白髪が増えて頬が削げている。
やはり病だ。確信を持った。
「座れ」
「はい」
座ると無言で書類を一枚手渡された。頭に命令とあり、印が押されている。
命令書だ。
魔術師の家で修業をした後、南方の領主として赴くように書かれている。日付は明日だ。明日にはここを出なくてはならない。
「その通りにしろ」
「はい」
意外とすんなり言葉は出た。もっと戸惑うかと思ったのだが、そんなこともなく、平静そのものだった。
代王は口元だけで笑う。私に、初めて笑顔を見せた。
「物分かりがいいな。今まで育った家を捨てろと言っているのに」
「魔術には興味がありますので」
「くくっ、くははは」
今度ははっきりと満面の笑みを見せる。
「誰か、茶を持って来い、私には酒入りでな」
父が給仕に茶を命じる。父と二人きりで茶を飲むなど初めてのことだ。
「お前が私の後を接げばいいと思ったことが何度かあった」
そう言われたが、本気にはしなかった。
「私は父上の後を継ごうなどとは考えませんでした」
「そうだろうな」
茶が運ばれてくる。父と私は香りを嗅いで、一口飲んだ。飲み方が同じだった。
「素質はある、十二分にな」
「はい」
「しかし、王を担う気概がない、皆無だ」
「はい」
「その点一つで、お前は誰よりも王には相応しくなくなっている」
私は答えなかった。茶を一口飲む。
父も、一口飲んだ。
「兄上たちにもこのようなお話をされたのですか?」
「お前の知るべきことではない」
「出過ぎたことを申し上げました」
また茶を飲む。二人同時だった。
「王宮は、狭い」
「―」
「特にお前にとってはそうだっただろうな」
「―はい」
意外だった。十番目の王位継承権保持者など、気にも留めていないと思っていた。
父が茶を飲み干した。私もそうした。
「話は終わりだ」
「失礼します」
「母には、会うな。彼女は未だ、王家の一員だ」
頷いた。分かっていたことだ。
椅子から立ち上がり、一礼して父の部屋から出る。
「お世話になりました」
私はこれから魔術師になるのだ。もう意識は先のことへ向けた。
南方の領主ということは、樹人たちを相手にすることになる。魔術は必須だ。これから仕事として魔術を学ぶのだ。
宮殿中が騒がしくなった。
他の兄たちもそれぞれ王宮から出ていくように言われたのだろう。準備に忙しく働く召使たちを尻目に、私は魔術で荷物を整え終えた。
代王都の壁の中に、私の師匠となる魔術師の館がある。
だから荷物も少ないし、期限も明日という短い期間なのだろう。
途中、昼食を取り、本を読んで時間を潰し、夕食を食べた。このがんじがらめにされる食事とも今日でお別れだ。そう思えば、この重苦しい空気もどこか懐かしいように思えて来るから不思議なものだ。
夕食後、誰にも捕まることなく自室へ戻る。
荷物をまとめ、持って行かないものは処分した部屋はがらんとしている。月明りが窓から差して夜が更けていく。
「お茶をお持ちしました」
見慣れた給仕が入ってくる。彼女は私の乳母だった女性で、口数は少ないながらも、時々お茶を入れてくれる人だ。
頼んだお茶が来た。
「ああ、ありがとう」
夜の冷えた空気に、湯気が立った。
「そういえば、お前の入れてくれるお茶を飲むのも、これが最後かもしれないな」
「はい、とっておきの茶葉をお出ししました」
「そうか」
ゆっくりと飲み干し、茶器を返す。
「ご健勝をお祈りしています」
珍しく、最後に一言発して給仕が下がっていった。
しばらく月を眺めている内に眠りに落ちた。
翌朝未明、厨房に立ち寄り朝食を調達し、こっそりと門を出る。夜の内に冷え切った空気に身を震わせ、荷物の中から外套を引っ張り出す。
荷物を積み込んだ荷車を引いていく。
まだ薄暗い代王都は朝靄の中に浮かんでいるかのようで、すぐそばもよく見えなかった。
魔術師の住まいは王宮の近くなので供は用意していない。念のため、兵士の駐屯所近くを通って行くことにした。
道端に腰を下ろして朝食を喰う、こんな姿を誰かが見ても王子とは思わないだろう。
持ってきた朝食を食べ終わると日が差してきた。朝靄も晴れてはっきり街並みが見えてくる。
「本当に、あの王宮から出ることができたのだな…」
幼いころに行儀作法を仕込まれた。母親と引き離された。親しくなった乳母も従者としてしか私に話しかけてくれなくなった。
幼いころの夢は、いつか王宮を出ることだけだった。
それが、今、叶っている。
朝日に照らされて見える景色は、王宮の物とはまるで違う。調べておいた魔術師の館の近くについた。
「あの館だな」
館の位置は誰に聞かずとも分かる。立ち並ぶ館の中で一棟だけ、はっきりと感じられるほどの魔力を感じさせるのだ。
近づくと侵入者を阻む魔術の壁が立ちはだかっているのも分かった。
「ふむ、探知に認識に警報と、固定、閃光、沈下まであるのか」
いくつもの魔術が館の敷地を囲うように張り巡らされている。いかにも魔術師の館らしくて、なんだかわくわくしてきた。
いったいどうやって離れた場所に魔術をとどめておけるのだろう。自分の魔力を目の前の魔術に流してみても何も反応しない。
色々な技術を学べそうな予感に、否が応でも期待に胸が膨らんでゆく。
門の前に立つと、どこからか魔術が飛んできて目の前で止まった。
「さっきからうろうろしてるお前、何しに来た」
「遠隔通話の魔術はこんなに音声がはっきり聞こえるのか、すごいな」
「感心してないで質問に答えろ」
どうにも神経質な声だ。
「ああ、そうだったな」
代王の命令書を出して名乗りを上げた。
「代王陛下の第十子、ロムルス・ウォーディガーンだ、今日から世話になる」
しばしの沈黙の後、紙を漁るような音がして、もう一つ魔術が飛んできた。目の高さの空中に、やつれた髭もじゃの線の細い老人の顔が現れる。
「あー、確かに書類に間違いはないようだな、まずは入れ」
勝手に門が開き、先導するように二つの魔術は館の奥に漂って行った。慌ててついていく。どうにも調子が狂う。
いくつもの魔術を容易く操っているようだった。彼が修業をつけてくれる魔術師ということなのだろう。
荷車が重い、早く荷解きをしたい。ごろごろと荷車を転がして玄関の前に置き、漂っていく二つの魔術を追いかける。
館のあちこちから魔力を感じる。部屋の数も多く何に使うかもわからない道具や、見たこともない文字で書かれている本や、怪しく蠢く植物など見たことのないものがてんこ盛りで、時々追いかけるのを忘れそうになった。
「この部屋だ」
ある扉の前で魔術が消えた。古い扉だ。
ノックをしてから部屋に入り、名を名乗る。
「ウォーディガーンと申します」
「さっき聞いた」
こちらも向かずに何か書き物をしている。その態度に少し苛立つ。
「本日より魔術修業に参りました、よろしくお願いします」
「うん? ああ、そうだったかな」
「はい、よろしくお願いします」
あの王宮で生活していたのだ、感情を表に出さないようにするのは慣れている。しかし、ここでもそうしなくてはならないとは思わなかった。
「それ、鍵だから、後のことは息子に聞いてくれ」
「え?」
部屋の隅から金属の鍵が浮かんでくると私の手に収まり、私の身体も浮かんで部屋の外に出される。浮かんだまま私は勝手に進み、とある部屋の前でやっと脚がついた。
突然手の中の鍵が震え、驚いて手を離すと扉の鍵穴に自動ではまり、そのまま一回転して扉が開いた。
「なんだ!? 誰だ!?」
部屋の中にいた十五、六の少年が驚いた声を上げる。
「驚かせてすまない、私はここの魔術師殿に修業をつけてもらうウォーディガーンというものだが」
努めて冷静を装ってそこまで説明すると、少年は事情を察したようで、はっとした表情をしてから立ち上がる。
「申し訳ありません殿下、無礼な態度をお許しください」
どうにも落ち着いた態度が小面憎い少年だ。
「私はこの館の主の息子、ギルダスと申します」
深々と一礼したギルダスは父親とよく似て線の細い優男で、どことなく気障な感じがする。如何にも物語に出てくる魔術師らしいマントが鼻についた。
「後のことは君に聞くように言われているんだが」
「ええ、お任せください」
それからは部屋を割り当てられ、魔術で荷物を運び、見たこともない食べ物で昼食を取り、あっという間に時間が過ぎていった。
館の庭を散策した後、私の部屋に戻って一服する。
「父の館の居心地はいかがですか」
「中々、刺激的だな」
「殿下のような貴人をお迎えすることはまずありませんので、何分至らない点もあるかと思いますが」
「問題ない、暮らす環境としては申し分ないし、魔術の修業にはもってこいだ」
「魔術の、修業、ですか」
「含みのある言い方だな」
「とんでもありません、殿下」
魔術を学ぶことについて何か言いたげな態度をとる。
王族が魔術を学ぶなど、所詮お遊びだとでも思っているのだろうか。
「まあいい、早速今日から始めよう」
「今日からですか? 移動でお疲れなのでは?」
「命令だ」
議論をしても始まらない。学ぶことだけ学んでこの子供の口を封じてやろう。私も伊達に魔術の本を読み漁っていたわけではないことを見せてやる。
「かしこまりました、少々お待ちください」
喉に言葉を引っかけたような顔で、一礼してギルダスが部屋を出ていく、さあ、待ちに待った魔術の時間だ。




