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九王記  作者: 荒木小吾
序章 始まりの九王
1/68

序話 太古の支配者の世界

太古の支配者。九王。強き肉と多き魔力を持つ彼らに敵はいない。故に傲慢。故に強靭。生と死すらも超える彼らこそ王にふさわしいのだろうか。彼らは一度玉座から降りた、長兄の意思によって。遙かなる時が流れてもなお、玉座を狙う理由は何か。世界を支配した矜持か、はたまた手にした力のはけ口か。彼らの思惑は彼らにしか分からない。

「人とは、なんだと思う?」

 ワタシは、目の前で光り輝く魔力を迸らせる者に訊ねた。

 彼あるいは彼女は、ぴくりとも動かずに甲冑の面覆いからよく光る瞳を向けてくる。そのあまりに純粋な光は、まるで困った人を助けずにはいられなかったワタシの父のようだ。

「愛を知れば、人か?」

 父と向かい合っているかのように錯覚して、つい、と口が動き出す。

 ワタシが誤作動を起こすとは、珍しい。

「理性を持てば、人か?」

 玉座に腰かけるワタシは、もはや歩くことも出来ぬほどにパーツが摩耗しているが、目の前の者は攻撃の気配どころか、殺気すら漂わせていない。

「姿が似れば、人か?」

 その問いを発すると、ワタシ奥深い所が軋みを上げた。

 もう思考回路と動力以外は作動していないというのに、おかしな話だ。

「君は、どう思うかな?」

 答えはない。ただ、まっすぐだった瞳の光は随分揺れ動いている。

「はっはっは。難しい話だからな。無理もない」

 体は大人に近いが、そこはかとなく華奢な印象を受ける。随分と若く、未熟で、初々しい暗殺者のようだ。

「それなら、ゆっくりと老いぼれの話を聞いてから、君の考えを聞かせてもらおうかな」

 動力部を部屋につなぎ、コマンドを入力する。

 床の一部が盛り上がり、変形し、凝った意匠の椅子へと変わった。

 流石に素直には座らなかった、一応暗殺者ではあるのだったな。

「ま、気が向いたら座ると良い」

 さあて、何を話そうか。しばらくぶりにゆっくりと語れる。偉くなると、親しいものが少なくなるのが困ったところだ。

「そうさな。まずはこの世界の成り立ちから話すとしようか」

 甲冑に身を固めた隙間から覗く目が、大きな丸を描く。

 どうやら、よい聞き役に恵まれたらしい。

 アーカイブに記録されたデータを引き出す。

 さあ、とっておきの講義を始めようか。


 全ての始まりは、泥沼みたいな混沌だった。

 生も死も、肉体も魂も、あらゆるものが混ざって、何がどこにあるのか全く分からなかった。

 色もなく、音もない世界には、遅遅としたうねりと、生まれては消える、小さく瞬く力の塊がある。

 そして、うねりが、力が、世界が一つになる時が訪れる。混沌が器になり、力が魂となり、混じりあって、命になった。

 これが、創造の母、万物の父、全能の創始者、混沌の王、数多の名を持つすべての誕生である。

 生まれてすぐに、それは自分が一人きりだと気づく。幾星霜も経ち、数えるのも飽きるほどの孤独にうんざりした混沌の王は、力を魂から呼び出し、身体の一部を削いで固めようとする。そうすると、自然に九つの塊ができた。

 九つの塊それぞれに「蒼穹」「日輪」「月影」「虚樹」「鎮門」「玉杖」「夢幻」「咆哮」「九泉」の名を授けるが、魂の無い彼らは自ら動くことも、意思を見せることもない。

 混沌の王は業を煮やし、自らの魂を九つに分け、与えてしまった。

 魂から発する力で、魂を分割したため、王の魂は散り散りになり、九つの大きな塊に入ったものと、無数の小さな粒に分かれ、そして、魂を失った肉体も混沌に戻った。

 慣れ親しんでいた魂を追いかけるように、肉体だった混沌は広がっていく。

 海や、空や、大地や、川、山、太陽、月、この世のあらゆるものになって、そこには魂だった力の塊が宿る。

 こうして世界は今の姿になり、混沌の王から生まれた九つの子が治めることになる。

 後世、九王と彼らは呼ばれ、畏怖を持ってその名を語り継がれる。

 壱の原初「蒼穹」は天を支配下に置く。唯一の裁定者であり、秩序の守り手である。山の如き巨体と空を駆る六つの翼を持ち、灼熱と厳寒を纏う。

 弐の原初「日輪」は昼の王であり、光を導く導師である。輝く光輪と、万物を照らす白き太陽を持つ、焔を纏う理性の徒なり。

 参の原初「月影」は夜の女王であり、闇に巣くう異形の主である。真球の体は肉を生む、黒の胎内に混沌の残滓を保ち、闇の内で本能を司る。

 肆の原初「虚樹」は魔術を繰る。魔道の先達者。樹の身体を持ち、根は冥界を支え、梢は天界に達し、一なる途を為す。

 伍の原初「鎮門」は門の守り人。技術と鍛錬に努めし、鍛冶の長にして衛兵、金と玉の保有者かつ体得者。小さき玉体の匠。

 陸の原初「玉杖」は不羈の戦士。勇者の長であり、闘争の灯を宿す、三面六臂有角の武人、戦場を呼ぶ旗印。

 漆の原初「夢幻」は境界の住人。欲望の囁き手であり、夢と野望の案内人であり、享楽の女王、虹翼持ちし旅人である。

 捌の原初「咆哮」は暴虐なる喰らい手。破壊と殺戮を生み、万物を塵芥へ変える、獣の父、爪牙の族長なり。

 玖の原初「九泉」は還元する者。最後の安らぎにして、慈悲無き終焉、灰尽くしの巨躯の狩人、死の輩。

 彼らは広大な世界を治めるため、おのが手足となる眷属を作る。

 眷属の歴史は、日輪が練り上げ、己の焔で焼き固めた土塊を、人と、名付けたことに始まった。

 父にして母なる混沌が、九王の命を生み、魂を作り、肉体を為した、この世で用いられた初めての理を超える、魂より発せられる力。

 その力は魔力と呼ばれ、魂持つ者は魔力を操ることを魔術と名付ける。そして、自らに残る名残から、最初の魔術を再現した日輪により、日輪のこねた土塊に過ぎなかった人種は、日輪の奴隷と成った。

 土塊が命を持ったことはたちまち伝わり、原初達は眷属を造りだす。

 蒼穹は子として竜を生み、月影は同胞として魔人を生み、虚樹は従者として樹人を生み、鎮門は技術の結晶として石人を生み、玉杖は強敵として鬼人を生み、夢幻は戯れに妖精を生み、咆哮は配下として獣人を生み、九泉は僕として巨人を生んだ。

 眷属達は、それぞれが魂と肉体を持ち、自分達だけで数を増やし、村を作り、畑を耕し、他の眷属を喰らって自らの勢力を広げ、殺し、奪い、戦った。

 激化していく眷属同士の争いがついに看過できなくなると、制御できなくなるのを案じた九王達は世界の中心に集まり、話し合いを行った。これが最初の九王会盟である。

 会盟での決定によって九王と眷属により世界の分割と住み分けが行われ、各自の領域の中で平和が訪れたかに見えた。


 父にして母なる混沌の死より千年が経つ。東の焔の大地は、弐の王たる日輪が治めていた。

 俺は、幾度も日を昇らせ、落としてきた。そして今日もまた、日を昇らせる。

 弐の原初である日輪は、日の出を眺めつつ、大きな欠伸を1つする。眷属に作らせた山の頂上、そこから太陽を昇らせるのが、日輪の一日の始まりだった。

「さて、今日も一仕事を終えたところで、この間の献上品でもつまむかな」

 そう呟き、頂上から飛び降りる。

 眷属共の技術は進歩の一途を辿り、武器にしろ食い物にしろ、新しいものがどんどん作られている。

 時折、小難しいことを言って歯向かうようになったのが面倒だが、それを差し引いても奴らの作る食い物はうまい。魔力さえあれば肉体を維持するのが簡単な俺が、わざわざ体に口と舌を作ったほどだ。

 そんなことを考えていると、つい着地を失敗してしまう。体かふらついて、派手な尻餅をついた。くすくすと忍び笑う声が聞こえる。

 見られていたのか。恥の感覚が顔を熱くする。気が昂り、魔力の抑えが効かなくなる。辺りにあった眷属の家に火が付いた。

 情けない姿を見た上に、主人を馬鹿にしている僕には罰を与えねばならない。笑い声が聞こえたほうへ向く。

「お前はもういらん」

 下働きとして館に置いてやっている眷属のガキが笑っていた顔を強張らせたが、もう遅い。魂から魔力を引き出し、焔の理を引っ張り出して、魔術の焔を創り上げる。

丸焼きにした。

恐怖を顔に貼り付けた残りの眷属に、黒焦げになった小さな死体の後片付けを命じて不愉快な記憶を頭の隅に押しやった。

「くそっ、何か気晴らしになる面白い事でもねぇかなぁ」

 兄の主導で領域を決めてからというもの、毎日同じ様な日の繰り返しだった。

 朝に、月影が月を沈め、星をしまったのを確認して太陽を上げる。昼になると、太陽の元でごろごろして、時々気晴らしに眷属を焼き殺す。夕方に、太陽をしまって寝る。

 もう時間の流れさえ分からない。退屈極まりない日常が続いている。

 それに、悠久の時を生きてきて、娯楽が無くなってしまった。魔術の研究も、眷属同士の殺し合いも、兄弟姉妹の潰し合いも飽きてしまって、ここ百年ほど何をしても面白くない。

近頃は妹との関係が最悪で、喧嘩がなかなかいい気晴らしになっている。しかし、それもいつまで続くか分からないうえに、格上のはずの自分に、妹の月影が突っかかってきているのも腹立たしかった。

 つらつらと考えながら辺りを見渡すと、気になる物が目に入った。

「なんだあれは」

 微かに残る夜の闇のなかに出ていき、それを手に取る。思ったよりも柔らかく、強く握るとびくりと動く。握った手に仄かな熱が伝わってきた。

「何かの生き物の一部か? いったい何がこんな物を残したんだ」

 自分の眷属が夜中に殺し合いでもしたのかと思ったが、ばらばらにしても死にきらないほど奴らの身体は頑丈に作っていない。

 そこまで考えて、一人思いつく奴がいた。月影だ。

 今まで、我が子が傷つくのは見たくないと御託を並べていた月影が、何があったか知らないが眷属を俺の領域に潜入させて来た。

 おそらくは潜入してきたところを俺の眷属に見つかって返り討ちにあったのだろう。仕事の後の暇つぶしに、やることが出来た。

「そのうち、太陽を沈めて妹に世界を引き渡さなくてはならんが、先ずは俺の縄張りを荒らしやがったその妹の眷属どもの掃除からだな」

 かつての世界分割のおりに、領域侵犯は殺しても構わないことになっている。

 そう決めると、背中に意識を向けて、飛行の理を作り、焔翼を出す。魂から魔力を引き出し、焔で形作られた翼に集中させる、魔力は理に従って焔の性質と飛翔の特性を帯び、煌々と輝きだす。

 更に魔力を流し、空に舞い上がる。この瞬間の昂りだけは、何千何万と繰り返しても新鮮だ。

 風がほほを掠め、翼が唸る。

 光と熱の塊になって、どこまでも飛んで行きたくなる。

「よっしゃ! 一っ飛びといきますかぁ!」

 行き先は弟の一人、玉杖の所だ。


 しばらく薄明の中を飛ぶと、三面六臂の玉杖の姿が見えた。

「ありゃあ鍛練でもしているのか?」

 かなり遠くまで響き渡っている激しい気合に誘われ、俺は玉杖の前に降り立った。

 辺り一面の荒野で、さっき見た鬼の集落からはかなり離れている。命の気配はない。焔の大地から西におよそ四半日飛んだところにある、玉杖の治める土地だ。

 元々は豊かな森林と湖があったが、三百年ほど前から何も寄り付かない不毛の土地になっている。咆哮と玉杖が、眷属同士の小競り合いに首を突っ込み、全勢力を率いての喧嘩になったらしい。

 どちらが勝ったのか俺は知らなかったし、興味も無かった。

 ただ、弟の夢幻から聞いた話では玉杖も咆哮もしばらく動けないほど力を落としたらしい。

 それ以来、どちらも暴れることは無くなり、眷属を生むこともなくなったので、力を落としたのは事実だろう。

 玉杖には妹の月影の眷属潰しを手伝わせたい。玉杖に手伝わせることで、失ったという力の戻り具合を確かめておきたい。

 険悪になっている妹の月影と衝突すると考えると、玉杖と咆哮は戦力としてこちらに加えておきたいとろだ。

 その玉杖は、鈍く輝く得物を振り回している。六本の腕に、剣を持ち、腕を一振りする度に烈風が躍り、土煙を巻き上げる。

 左の上の手が空に振り上げられる。風で頭上の雲が二つになった。散らばっていた砂利が舞い上がり、顔に小石が打ち付けてくる。

 俺に向かってくる物を焼き尽くし、声を掛けた。

「少し話があるんだが」

 聞こえているのかいないのか、玉杖は6つの腕それぞれに獲物を持ったまま、一瞥だにしない。

 そんな態度は何時ものことで腹が立つのも慣れてきた。しかし、いつものように喧嘩をしては小うるさい蒼穹がどこからか飛んできて説教を垂れる。

 俺は素晴らしく寛容な対応力を発揮して、腹立ちを飲み込んで言葉を続けた。

「今朝、月影の眷属の痕跡を見つけた。恐らく、夜の間に俺の領地を探っていた奴が眷属と小競り合いをしたんだろう」

「そうか」

 玉杖の頭の1つがようやくこちらを向く。額の血の色をした角がこちらを指した。

 こいつの言葉はいつもぶっきらぼうだ。そして、器用なことに他の2つは掛け声を出し続け、得物を振り回す腕も止まらないでいる。

 しっかり聞いていた癖に挨拶もしない態度には腹が立ったがぐっと堪えた。こいつを戦力に加えればこんなことはしょっちゅうある、その時にいちいち喧嘩をしてはきりがない。

「心当たりは腐るほど有るが、こうまで露骨に探りを入れられたのは初めてだ」

「それで?」

「眷属を何匹か取っ捕まえて締め上げてみようと思う。手伝え」

 玉杖の手が止まり、気合も収まった。

「何故俺が手伝わねばならん」

 無表情で玉杖が聞いてきた。三つの口が同時に動き、三重奏の声が響く。

「どうせ暇だろう、ちょっと付き合えよ」

「自分の眷属を使え」

 もっともな指摘だが、それができれば俺はここに来ない。

「できの良い奴等は俺の縄張りの端の方で、他の眷属と小競り合いさ」

 実際、領域が決まったとはいえ細かい所では穴があり、小競り合いはしょっちゅうあった。

「新しく作れ」

 それももっともなご指摘だが、それもできない。

「俺の眷属は質より量でね。あいつの眷属と渡り合う頭数を揃えてたら日が暮れちまう」

 ようやく玉杖が口を閉じた。目をつぶって考えている様だったので、こちらも口を閉じて暫く待った。

 兄の頼みを快諾しない態度も腹立たしかった。しかし、その苛立ちは腹の底に仕舞いこんだ。

「良いだろう」

 よし、何を考えたのか知らないが、これで目的は果たせそうだ。

「流石わが弟だ、やはり頼りになる」

 契約成立、とばかりに握手をしようとしたが無視されてしまう。この野郎と思ったが、恥ずかしがっているのだろうと考え直して気分を切り替えた。

「但し、捕まえるだけだ」

 念を押すように玉杖が言う。

「それでいいさ」

 玉杖はどうやら戦うことを美しいものだと考えているらしい。時々、敵であってもいい戦いぶりだと認めれば殺さずに逃がしてしまうことがあった。そんな玉杖に任せれば妙な手心を加えなかねないし、殺すよりも生け捕りにするほうが難しい。

 それに、月影の眷属が何の目的で俺の領域に入り込んだかを確認しておかなければならない。

 玉杖は少し準備がいると言って、ねぐらにしているらしき洞窟に入っていった。

 少しして出てきた玉杖は、腕に一つずつぼろぼろの網と縄を持っていた。どうやら、それで捕まえるつもりらしい。

 とてもじゃないが、そんなもので捕まえられるとは思えない。少しでも引っ張ればちぎれてしまいそうな網と縄だ。

「おいおい、何の真似だそれは」

「これで捕まえる。なんの問題ない」

「本当か?」

 本当は協力するつもりが無く、こちらが言いがかりをつけるのを待って断る理由にしようとしているのかもしれない。

「無駄話をしている暇があるのか?」

 一瞬視線がぶつかった。その眼を見ていると本気だと思えてくる。しかしどう見てもぼろ網とぼろ縄だ。

「まあいい、行くか」

 気に食わない奴ではあるが、玉杖が誰かを騙したという話は聞いたことが無い。迷いを切り捨てるように言い放つと、玉杖が問う。

「あては有るのか」

「当然だろう」

 月影の眷属は俺たち九王と同じく魂、つまり魔力が主体だが、魔力の器の肉体を作った力は比べ物にならない。その程度の魔力保有力ということは、結局魔力が無ければ生きられないのだ。

 そんな奴らが一晩の内に移動できる場所、一晩で移動できる距離で、魔力の溢れる土地と考えれば、考えられるのは一つ。

「虚樹の所だろう」


 足を穿つ。次に腕をもぐ。

 血しぶきが火照った体に心地よい。戦場はやはり馴染む。

「ギェェェェツ!」

 最後の敵が甲高い雄たけびをあげて突っ込んでくる。

 頭が身体と同じ程に長く、口が無数にある奴だ、高い魔力を練っているのを感じるため、魔術の使い手だろう。

 そいつが見る間に数多の魔術式を展開する。かなりの展開速度だ。

 相当の実力者だが、実戦の経験が乏しいのか、動きが硬く狙いがすぐに見て取れる。

 一斉に魔術式が輝き、炎弾が殺到してくる。三百と十二、目で追える程度の速度だ。四方八方に飛び去る炎弾だが、六つの眼で追うのは難しくない。

 足場にしている根を焼き尽くそうとまき散らされる。

 呼吸を一つ吸う。全身に魔力を駆け巡らせ、肉体を強化。虚樹の根を足場にして跳躍する。呼吸を一つ吐いた。炎弾を全て握り潰し、逃げようとしていた敵の前に着地する。

 そいつは驚きに目を見開いた、四肢を殴りつけてへし折り、膝で顎を潰す。これで甲高い雄たけびのような魔術式の詠唱は封じられるはずだ。

 私は辺りに注意を向けた、もう月影の眷属の気配はない。

 ねぐらにしている古戦場の荒野から程近い虚樹の森の中。中心部に聳える虚樹は、長兄のいる浮遊大陸と、末弟のいる地下を繋いでいる。地下に続く虚樹の根は、絡まりあい闇の中を降りている、その中ほどに異形の眷属が二十いた。

 半数は黒焦げで、もう息は無い。残りは手足を使い物にならなくして動きを封じている。

 虚樹に領域へ入る許可をもらい、探索を進めるうちに虚樹の根までたどり着いた。そこで月影と似た魔力を感じ、虚樹の根で戦闘が始まったのだった。

 足元に気絶して転がっている日輪を、蹴って起こす。

「終わった、起きろ」

 目覚めた日輪はしばらくふらふらしていたが、こちらを見ると突然怒鳴り出した。

「ふざけるな! なぜ俺に攻撃した!」

 聞かれたので正直に答えた。

「足手まといだった」

 更に頭に血が上ったらしく、高熱を発しだした、そばにある虚樹の根が煙を出し始めている。虚樹はとんだとばっちりだ。

 仕方ないので手刀で首を飛ばし、静かになったところで頭をくっつけた。

 混沌が原初の子を作ったときの魔術はいまだ効力を発揮しており、身体をばらばらにした程度では元に戻ろうとするらしい。玉杖は魔術には詳しくないが、先ほど虚樹がそう言っていた。

 それにしても日輪にはうんざりした。捕らえると言っておきながら、いきなり焔を放って半数以上を黒焦げにし、辺りかまわず魔術を放って虚樹を燃やしかけた、何の役にも立たないばかりか、かえって邪魔をする始末だ。

 早く戻って武器の手入れでもしようと思いながら、日輪の意識が戻るのを待つ。今度は暴れないように縄で縛ってから網をかけた。

 相手の魔力を封じる鎮門謹製の縄と網で、昔、ちょっとした手伝いをしたときにもらったものだ。

 魔力の扱いに長けた月影の眷属にはおあつらえ向きの魔道具だと思って持ってきたが、おかしな使い方をする羽目になった。

 日輪が目を覚ます。直ぐに暴れようとしたが、頭を掴んで根に叩きつけ、めり込ませた。いけない、私も虚樹に迷惑をかけてしまった。

「おい、どういうつもりだ」

 日輪の声がもごもごとおかしな風に聞こえる。

 そういえば、以前の日輪の顔はのっぺりして口が無かった。不思議なことにそれでも声が聞こえた。

 関係ないことを考えつつ、必要最小限の言葉を発する。とにかくこの面倒な兄から早く解放されたかった。

「眷属は無力化した、手伝いはここまでだ、帰る」

「まて、縄と網を外せ」

 ちょっと考えて、いささか惜しいが縄と網は手切れにくれてやることにした。

「それはやる」

「おい、まて。このまま置いていくつもりか」

 何やら叫んでいる日輪の声を聞き流しながら、魔力を全身に巡らせ走り出した。流れるように過ぎていく景色を見つつ、虚樹の森を駆け抜けて行く。手になじんだ得物たちが懐かしい。

 眷属との手合わせに飽きて、一人で鍛錬をしていたところに日輪が話を持ってきた。実践不足に悩んでいたからつい話を受けてしまい、月影の眷属には何の恨みもなかったがつい興奮して暴れてしまった。

 これは月影に言い訳を考えておいたほうがよさそうだ。

 しかし、月影と日輪がここ百年ほど不仲なのは知っていたが、縄張りの偵察まで行っているとは中々切羽詰まった状況になっているようだ。

 この分では、そのうち蒼穹が介入することもありうるかもしれない。そうなったら、三百年前に勝負を止められた鬱憤を晴らさせてもらおう。

 咆哮に食われた眷属の姿が浮かび、ぎり、と歯ぎしりをする。

 この際、蒼穹に決めさせられた契約の破棄を視野に入れよう。

 長兄はねちねちと長ったらしい説教の後に、咆哮と直接戦うことと、眷属を率いての戦いが禁じられたが、咆哮以外に本気で戦ってくれる相手はいないし、共に戦場を駆ける眷属がいなくては戦いが味気ない。

 問題は契約の破棄に咆哮の存在が必要なことだ。咆哮との不仲を見越したのか、契約の解除はあの下品な毛玉と一緒でなければならないと蒼穹が言っていた。

 実際、今も腹部に張り付いている魔術を発動する符は、いくら力を込めても取れなかった。

 鎮門が作ったらしいが、魔術とやらは難しくてよくわからないので一向に解除の目途が立たない。そういえば、鎮門に道具を使ったら感想を教えてくれと頼まれたのを思い出した。

「はぁー。もう一つ何か言い訳を考えねばならないな」

 戦場の高揚が何処かすっかり何処かに消えていってしまって、思わずため息が出た。


「よう、お帰りか玉杖」

 ねぐらに帰ってきた玉杖の臭いを見つけると、俺は声をかけた。

「おいおい、よせよせ」

 無言で玉杖が拳を放つ。が、こちらに届くことは無い。

 蒼穹の契約が効果を発揮する。玉杖に張り付けられた魔符から幾条もの魔術の発動式が現れ、玉杖の動きを封じた。

「なかなか無様な姿だな」

 足までがんがら締めにされて地面に転がった玉杖を見下ろす。そんな状態の玉杖だが鋭い眼光をこちらへ向ける。

「何しに来た。咆哮」

「そう睨むな、ちょっと話があるだけさ」

「話すことなど無い、失せろ毛玉。帰って薄汚い眷属と交尾でもしてろ」

「俺にはあるんだよ。まあ、少し黙ってろ」

 徴発に乗らなかったのが妙だと思ったのか、玉杖は一応口を閉じてこちらの話を聞こうとする。

「まったく、血の気が多いな」

たかが眷属を何体か殺しただけで酷い嫌われようだ。

「早く話せ」

 黙れといったのにぼやきにまで反応してきやがった。

「ずいぶん急かすじゃないの、そんなに興味がおありかな?」

「手前の顔を早く消し去りたいだけだ」

「そうですかい」

 こうして顔を合わせるのも久々だし、雑談でもしようと思っていたが、こいつの血の気の多さは三百年前から何も変わらない。

雑談は抜きにしてとっとと話を終わらせることにしよう。

「簡潔にいうとだな」

 尻尾を一振り。本題を切り出した。

「日輪と月影がそろそろ限界らしい。喧嘩が始まるぜ」

「さっき日輪に言われて月影の眷属と一戦交えたところだ」

 戦いの話になって玉杖の口調も少し穏やかになった。

「お? そうか、なら話は早い」

 さあ、果たして玉杖はこの話を受けるかどうか。

「お前も知っての通り、蒼穹の魔符は俺たちが戦おうとすると、魔力の昂りを感じ取って魔術式が発動する。このおかげで俺たちは八つ裂きにするのを全く躊躇わない喧嘩相手を失ったわけだ」

 玉杖が頷く。

「そして現在、俺たちは戦う相手もおらず、無聊をかこっている。お前も魔符さえなければ日輪などの頼みなど受けなかっただろう?」

 また玉杖が頷く。

「更に、その日輪と月影は衝突間近。この喧嘩は相当でかい。俺の聞いた話じゃ、夢幻と九泉と鎮門が月影に合力するらしい」

「ほう、そこまで」

 このことは玉杖も知らなかったようだ。

 玉杖も薄々こちらの言いたいことを感づいてきたらしい。目を細めて考え込む表情をしている。

「このままいくと四対一で日輪が負けて終わるが、それではつまらない」

「確かに。何とかして一口乗りたいところだな」

「そうだろう? そこで俺は考えたのさ、日輪に味方してやろうとな」

 更に言葉を続けた。

「鎮門と不仲の虚樹も日輪側に引き込める。そうすれば世界中で大戦が始まる」

 肌を掠める魔術、鼓膜を震わせる武器の唸り、肉を引き裂く感覚、浴びた血の冷たさ、脂、樹皮、鱗、玉石が弾け飛ぶ戦場、絶叫と怨嗟の木霊する光景を想像するだけで、全身がぞくりとしてくる。

「いや、まて咆哮」

「なんだよ」

 いま妄想の良い所だったのに。

「魔符をどうする、俺たちが戦えないことは何も解決していない」

「そうだな、俺たちは戦えない」

 蒼穹と鎮門の合作の魔符を恐らく解除できる者はいない。

「だから、俺たちは戦わない」

「日輪と月影の戦いで、俺たちは戦わないということか?」

「そうだ、手を組んで日輪側につく」

 玉杖が絶句する。

 可能ならば俺もこんな甘ちゃんと手を組むのは御免こうむりたい。しかし、こうでもしなければ世界大戦に参加しても魔符が発動してしまう。

 魔符の解除はできなくとも、術式の構成を解析しておぼろげにだが発動条件は分かっている。そのためにこの三百年を使ってきたようなものだった。

 その結果、発動には俺と玉杖の魔力が必要だと分かった。

 蒼穹は俺が玉杖とだけ戦っていたからこんな条件を付けたのだろうが、俺は戦えればそれでよく、相手は誰でもいいのだ。

 喧嘩を吹っかけても他の九王は適当にあしらって逃げるばかりだったので、唯一戦いを好み本気でやりあおうとしてくる玉杖と戦ってきたが、九王のほぼ全員が本気で戦うならば相手は選び放題だ。

 玉杖は絶句したまま固まっている。大方今まで死んでいった眷属のことでも考えているに違いない。玉杖は闘いを美しいものだと考えている節がある。

 死んでいった眷属の戦いぶりを称えたり、勇敢に死んだ眷属を丁重に弔ったりしているが、そんなものは無駄だ。

 強いものが生き残る。戦場はそのためのふるいの様なものだ。故に、俺は死んだ者に興味はない。弱いものは消え、強いものが残っていけば種族全体が強くなる。

 この間会った、天竜とかいう奴は、弱いものを守ると言っていた。種族を弱体化させる愚の骨頂だ。

「少し、考えさせてくれ」

 ようやく玉杖が声を出した。

「好きなだけ考えるといい、俺はもう行く」

 曖昧に頷く玉杖を置いて次の目的地に向かう。一定の距離を置けば魔符の効力は切れるはずだ。

「よし、次は虚樹のところだな」

 戦場は近い。昂りをそのまま吐き出すように雄たけびを挙げた。


 玉杖の去った後、虚樹は考察中の転移魔術の発動式と制御式から思考を逸らした。

 さて、どうしたものか。

 日輪は玉杖を罵るのに忙しくこちらの存在を思い出すのはもう少し先になりそうだ。なので、いくつか選択肢を考察することにする。

 選択肢その一。面倒の種の日輪を強制的に排除する。問題点、自由を奪われているものの、戦闘力は未知数のため、思わぬ被害が発生する可能性あり。却下。

 選択肢その二。関わってもろくなことにならない日輪は無視し、魔術の探求を続行。問題点、放置した結果、武力行使による離脱を図り、余波で被害が発生する可能性あり。却下。

 選択肢その三。

「おい、返事しろよ虚樹」

 縛られて転がっている日輪がいつの間にかこちらに意識を向けていた。予想よりもずいぶん早い。

「なにかな」

「聞こえてただろうが、とっととこの忌々しい縄をほどけ。玉杖の奴、俺を放ってどっかに行きやがったんだ。お前も見てただろ」

 当たり前のように命令をしてくる様子は、身動きの取れない状況でも全く変わらない、ある意味では評価されるべき気性だが、玉杖の直情的な性格では当然反発するだろう。

「あいにくだが専門外だ、鎮門を呼ぶといい」

「なら早く呼べ」

「自分でできるだろう、何でも人頼みにするのは良くない」

 鎮門の魔力封じの縄と網にくるまれていては、遠距離念話の魔術も使えない、だからこちらに命令してきたのは分かっていたが、もう少し自分の立場を把握するためには、このくらいの皮肉は許されるだろう。

 自分では冷静なつもりだったがどうやら苛ついているようだ。

 素直に頼めば助けてやるものを、日輪はそのおかしなほど高いプライドが邪魔をして、悔し気にぶつぶつ独り言を言うことしかできないでいる。その様子を見て少しばかり愉快な気分になった。

 あまりいじめすぎても後が面倒なので、眷属のまとめ役をやらせている眷属の一人、天樹に根を通じて鎮門を呼ぶように指示を出す。

 治めている領域に根を張り巡らせて連絡網を作っていたのが役に立った。魔力を使わずに意思疎通ができるので魔術に優れた日輪には気づかれないはずだ。

 それにしてもあの鎮門にしてはなかなか面白い魔術を開発している。五百年前に魔術だけの研究は古臭いと言って、魔術を道具に付与する術を研究しようと誘ってきた。

 話を聞くと、強力な魔力を持たない者が身を守るための物のようだったので断った。

 私が魔術の研究をしているのは純粋に好奇心からで、眷属達の争いに役立てるための物ではない。

 あまりにもしつこく鎮門が誘ってくるので、強引に追い払って以来、今日まで交流は無い。

 時には密偵を放って研究成果を盗んでいく始末。そうまでした甲斐はあったのだろう、順調に技術開発は進んでいると伝え聞いている。

 この日輪を捕縛している魔道具がいい例だ。

 魔力を継続的に封じているが、驚くほど縄と網に込められた魔力は少ない。外から魔力を補給していると考えても、そのための魔術式が見当たらない。

 鎮門の技術は確実に進歩している。自分と同等以上の技術を持っていると考えて間違いはない。眷属のため、などという世迷言を掲げている割には驚くべき進歩だ。

 ずっと独り言を言っていそうな日輪は放っておいて、転移魔術の考察に思考を戻した。鎮門が来るまですることは無い。

 もし、鎮門が魔道具の回収に来たら少し話をしてみてもいいかもしれない。

「虚樹様」

「む、なんだ?」

 天樹から根を通じて連絡が入り、意識を向ける。今日は何やら騒がしい。

「来訪者です。森の北側より境界線を越えて、虚樹様の位置へ向かい接近中」

 境界線には魔術で結界が張ってあり、誰が森に入ってきたのかが分かるようになっている。月影の眷属は小賢しくも魔術で気配を消しながら侵入してきた。無断侵入は処罰の対象だが、研究の邪魔にはならなそうだってので放置していた。そうしたら丁度良く日輪と玉杖が現れて片付けてくれた。

 一応此方の利益になることをしてくれたので、もし月影が来たのなら、眷属を殺した件である程度のとりなしをしてもいい。

「何者だ?」

「咆哮様です」

 月影ではなかったが、また面倒な戦闘狂が来た。

「あいつが? 何の用だか言っていたか?」

「虚樹様に話があるとのみ仰せです。どういたしますか?」

 研究機関でもある森には、主に鎮門の密偵の撃退用に戦闘力を持った眷属を配置している。少々の侵入者は撃退できるが、九王の一角、しかも純粋な戦闘力ではとびぬけた咆哮相手では役不足だ。

 玉杖がまだいれば相手をさせることもできたが、いない戦力を惜しんでもどうしようもない。

「通せ」

 結局そうするしかない。日輪と咆哮がそれほど険悪な仲ではなく、ばれたとしても大した事態にならなそうのなのが救いか。

「かしこまりました」

「よお、虚樹。邪魔するぜ」

 天樹の返事からすぐに、多頭の巨獣が現れる。

「気の早いことだ」

 根に降りる洞窟のところへ座り込み、咆哮は荒い息を吐く。

「へへっ、悪いね。ちょいと良い事があったんで舞い上がってるのさ」

 残虐な咆哮が良い事があったというからには、どこかではぐれ眷属が犠牲になったのだろうか。

「まあいい、要件を聞こうか」

 挨拶を飛ばして用件を聞く、咆哮にも日輪にもさっさとお帰り願いたい。

 研究の予定が今日一日で大幅に遅れている、何でもいいから早く転移魔術を完成させたいものだ。本来ならば今日中に転移対象に関わる安定用術式が完成するはずだったのだ。

「うん? いやに急いでいるようだが、この後に用事でも有るのか?」

「いいから要件を言ってくれ」

 必死な様子が伝わったのか、咆哮は口を開いた。

「鎮門とアンタ、どっちが魔術師として優秀かね?」

「何を聞くかと思えば、なんだそれは?」

 ずいぶん妙な問いかけだった。しかし、つまらない冗談とは思えない。此方の腹の内を探るような響きが一気に思考を加速させる。

「いいから答えてくれ」

 急かす咆哮の態度もどこかおかしい。そもそも咆哮は、三百年前の玉杖との抗争以来目立った動きはしていなかった。それが白昼堂々とほかの九王の領域に侵入してきている。

「鎮門の技術には劣っていない自負はある」

 一応答えはしたが、咆哮に今まで感じたことのない不気味さがあるような気がする。

「向こうさんも同じことを言ってたぜ」

「ふむ、そうか」

 鎮門とも会っていたのか。それともこちらを挑発するための嘘か。ますます何を考えているのか分からない。判断にはもう少し情報がいる、なんにせよ咆哮から引き出せるだけ引き出してからだ。

 熱風と轟音が響いた。

「どうだ! 自力で抜け出してやったぜ、ざまあみやがれ!」

 地下の根で動きを封じられていた日輪が飛び出してきた。

「んお? 日輪もいたのか、こいつはますます丁度いいねえ」

 咆哮が日輪を見て上機嫌になる。

 今日中に研究に戻れるのか怪しくなってきた。


 西の月影、南の九泉、北の夢幻。三者の領地の接合点。その地中に作った臨時開発施設に鎮門は居た。そして、虚樹の眷属から連絡を受けるという、ここ数百年なかった事態に鎮門は慌てていた。

 まさか月影達とのことを嗅ぎつけたのではないだろうが、研究にしか興味のない虚樹がほかの九王に、それも、研究方針の違いから絶縁した自分に連絡をするなどあっていい事だろうか。

「いや、ない!」

 周りの眷属の石人が作業の手を止めてこちらを見ているのに気づく。気にせず続けるよう手で促すと鎮門は、虚樹の眷属から来た連絡について考えだした。

 以前作って玉杖に渡した魔封じの縄と網に、日輪が囚われて解除を求めていると言われた。あれは眷属を対象にしているから、どんなに弱体化していたとしても九王の一角たる日輪をとらえ続けることはできない。そのうち許容量を超える魔力を封じようとして自己崩壊をする。

 それほど重要なものではなく、試作品の一つに過ぎない。だから放っておいても特に問題はない。

「それよりも、なぜこのタイミングで連絡が来たかなんだよな」

 作りかけの長距離通信用の魔道具を見る。

 月影、夢幻、九泉と対日輪の連携をすると誓って、連絡手段を用意することになった。もう少しで出来上がるというところで虚樹から連絡が来たのだ。

 時期が時期だけに心配になってしまう。

 日輪は眷属を乱暴に扱っているので有名で、時折日輪の領地に入り込んだ、他の九王の眷属までも容赦なく抹殺する。

 そこで眷属に異様な執着を見せる月影が、自分の眷属が日輪に殺されてしまうかもしれないと考えて、比較的眷属を大事に扱っている九王達に声をかけた。

 自分に声がかかってきたとき、鎮門は考えた。眷属には自分の持つ技術を取得させている。

 それは一朝一夕にできることではない。もし、魔術を発動する道具の材料集めの途中で日輪の領地に入れば熟練の職人を失うことになってしまう。

 日輪に痛い目をみせて、他の九王の眷属を勝手に始末すればどうなるか分からせる。という月影に協力することを決め、せっせと戦闘用魔道具の量産を行っていた。

 そんな中に虚樹からの呼び出しである。

 ひょっとすると、もしかして、と不安が渦巻く。

「赤の八番、黄色の二十番、黒の五十一番を持ってこい!」

 急いで長距離通信用魔道具を完成させなくてはと、近くの眷属に怒鳴りつけた。

「は、はいっ!」

 慌ててそいつが走り去って行った。完成していない部品を、構造が似ている試作品から取り出して加工後、取り付ければ一応完成する。精度は落ちるが、今は急を要する。

 自分の領地の大山脈にこの間から常駐している月影、夢幻、九泉の使者を呼びに行かせる。

「早く来い、早く」

 待つ時間、長いのか、短いのか。よくわからなかった。

 いつも聞いているはずの、山脈中に響く作業の音が酷く耳障りで仕方ない。

「持ってきました!」

 眷属の手から試作品をひったくり、必要な部品を取り出す。

「鎮門様、使者が参りました」

「来たか!」

 作業の手は止めず。視線を入ってきた三人へむける。

 三人の使者が揃っていた。

 月影の眷属は褐色で棒状の体をらせん状にして転がっている。月影の眷属は一人として同じ姿の者はおらず、他の九王とは全く異なる眷属を生み出している。

 夢幻の眷属は小柄な自分よりもさらに小さく、日輪の眷属に羽を付けた姿だ。もう少し工夫すればいいと思うのだが、万事適当な夢幻は、これで良いの一点張りだ。

 九泉の眷属は見上げるほど大きく、灰色の外套で顔は見えない。作り主に似たのか、非常に無口だった。私は彼の声をよく覚えていない。

「さて、君たちにはこれをもって主のもとへ戻ってもらう」

 たった今、手の中で完成したばかりの長距離通信用の魔道具を三人に渡す。大きさは私の手のひらに少し余る程度。夢幻の眷属の身体とは同じくらいの大きさだ。

「緊急事態とのことでしたが、何があったのか教えていただけますか」

 以外にも最初に口を開いたのは夢幻の眷属だった。魔道具の重みに軽々と耐えている。見かけは華奢だが、なかなか頑丈な出来栄えだ。

「この間の盟約について虚樹が感づいたかもしれない」

「かもしれない?」

 可愛らしく小首をかしげるが、武骨な魔道具のせいでどこか滑稽な様に見えてしまう。

「あくまでも可能性の話だが、念を入れてお前たちの主と話し合っておきたい」

「なるほど、それでわたくし達を呼ばれたのですね」

 納得した様子の夢幻の眷属。その澄んだ声に思わず聞き入ってしまう。夢幻は彼らを妖精と呼んでいるが、確かにそう呼びたくなるような怪しい美しさを持っている。

「それでこれは?」

 月影の眷属が口、は無いがとにかく会話に加わる。なぜか常に全身を震わせている。彼は魔道具を魔術で浮かせて受け取った。

「長距離通信用の魔道具だ。地脈を通じて、登録した魔力の持ち主と音声のやり取りができる」

「ほう、これが連絡用の魔道具ですか」

 手足の無い月影の眷属は魔道具をしげしげと眺めている、ように見える。目もないのに見えているのかは分からない。

「そうだ。今使い方を説明する」

 一通り扱い方を説明し終わると、三人を見渡す。

「何か質問はないか?」

 無いようなので、供に眷属の石人をつけて出発させた。今日中にはそれぞれの主の下へ到着するだろう。

 今日は日が長い。日輪がまだあの魔道具に囚われていて、仕事に戻れないのだろう。


 魂が肉体から放たれて大地に還っていった。

 肉体の内に有るときには魂として、世界をめぐる際には魔力として、この世の始まりから存在する力は、どこからきて、どこへ行くのだろうか。

 灰色の視界には、もう彷徨う魂は見当たらない。

 今日は一段と還っていく魂が多かった。

 世界の分割で一度は収まったが、眷属同士の争いはまた激しさを増している。

 貧しさで子を無くした親は、残された子の死に顔を見たくない、と豊かになるため隣人から奪う。醜く伴侶を得られぬ者は、孤独から逃れようと子を成すために他の物を襲う。飢えに苦しむ者は腹を満たし生きるための糧を掠めとる。

 世界は無限ではない。そのため、より良く生きるためには戦わねばならない。

 だが、勝ち取ったものは大地に還った後には持っていけない。世は無常なものだ。

 九泉は魂を体に引き戻した。

 座った状態で目を開けると空の青が眩しく、目を細める。

 人が三百と四人、鬼が百五十一人、石人が十人、獣人が三十九人、妖精が八人、樹人が一人、魔人が十一人、そして巨人が三人。

 今日、還った魂の数だ。

 このところ、肉体に入る魂よりも出ていく魂のほうが多い日が続いている。いたるところで眷属が、時には九王までもが戦っているためだ。

 蒼穹でもこの争いは止められていない。

 それぞれ九王は領地を接しているが、境界近くではしばしば何人か死んでいる。

 どこもかしこもそんな状態で、全く手が足りないとこの間蒼穹が言っていた。

 蒼穹の眷属は各地で争いを仲裁しているが、時々逆上した双方に襲われることがある。返り討ちにすることがほとんどだが、時には致命傷を負う時がある。そうすると自分が呼ばれて最後を看取り、きちんと肉体と魂を還す。

 わざわざ自分を呼び、安らかに最後を迎えさせるのがいかにも蒼穹らしい心遣いだと思う。

 もっとも、そんな気遣いばかりしているからか、少し鱗が薄くなっているように見えた。触れずにおいたが、少しばかり同情した。

 月影を始めとする眷属保護派に先日加わり、それぞれの領地に連絡を取るために眷属を置いた。

 眷属がどうなろうとあまり関心はないが、あまりにも死んだあとに彷徨う魂が多すぎる。

 蒼穹と同じく、僕も全く手が足りていない。仕事をきちんとできないせいで、死んだ者が各地に亡霊と動く死体になって出現し、命あるものを襲ってさらに死人を増やす悪循環ができている。

 そんな状態で眷属の数が減れば世界のバランスが崩れてしまう。そうすればまた蒼穹の鱗も薄くなってしまうのだろう。

 だから月影に助力することにした。

 日輪とはいずれ敵対することになっていただろう。奴の眷属の繁殖力はあまりに強すぎる。このままでは、世界を形作っている分まで奴らの魔力と肉体になってしまう。

 まずい事に、日輪はそれほどの繫殖力を与えておきながら基本的に眷属を放置している。

 世界に生命が溢れれば、完全な停滞に陥ると母は言っていた。新しく命が生まれることもなく、命が消えることもない世界。長い時の中で徐々に自我が消えていき、やがて原初の世界に戻っていく。

 その静寂に耐えられず九王を生んで死んだ母の思いは消してはならない。いずれ起きる戦では、ついでに他の眷属も刈り取って魔力と肉体を世界に返しておこう。

 眷属が一人、こちらに向かってくる。

 確か鎮門のところにやっていた奴だ。

 そいつが何か手に持っていた物をいじってから差し出してきた。促されるままにそれに魔力を込める。

「ようやく繋がった。九泉、聞こえてるか?」

 魔道具らしい、複雑な模様のある立方体から鎮門の声が聞こえた。

「ああ」

「そうか、なら良かった。何分急いで作ったからな、どこか欠陥があったかもしれんと心配していたんだ」

「やっほー、九泉ー。聞こえてるぅ?」

「ようやく全員そろったみたいね?」

 甘ったるい夢幻の声と、低く静かな月影の声もする。

「ああ」

「よし、なら皆のところにこの魔道具を送った訳を話そう」

 鎮門が事の次第を話す。

「へー、そんなことがあったんだねぇ」

 虚樹が感づいたのか。あの兄は魔術の研究ばかりしているようで、案外視野が広い。世界を巡る魔力を管理する仕事のおかげかもしれない。

「うむ」

 鎮門は最後にこの後の対応を提案してきた。

「初めの作戦は中止にしたほうがいいと思う。どこかから漏れた以上、不意打ちも、日輪単体を襲撃するのも難しい」

「むう」

 確かに、この状況だと予定通りに一対多数の状況を作るのは厳しい。

「そぉ?」

 夢幻は分かっているのかいないのか、気のない返事だ。一方、発案者が口を開く。

「そう。虚樹は日輪側なのね?」

 低い声の底に、どろりと憎悪が湧き上がってきている。

「いや、まだそうと決まったわけでは」

 鎮門の声が震え始める。無理もない。

「でも、虚樹から日輪についての呼び出しがあったんでしょう?」

 この状態の月影とは、会話するだけで精神を侵食されるような気がする。

「まあ、そうなんだけど」

「もし、虚樹が日輪側ではないとして、あなたはうっかり口を滑らさない保証はあるの?」

 泥沼に少しづつ引きずり込まれる、毒蛇にじわじわと全身を締め上げられる、そんな宝石の小人の姿が浮かぶ。

「たぶん? 大丈夫だと」

「おだまり」

 小人の精一杯の反論が食い散らされた。

「はい」

 そして、月影はこう言った。

「それなら、日輪に加えて虚樹もお仕置きしてあげましょう」


 思ったよりも遥かに早く、広く、激しく、燃え上がりそうな動乱の予感に夢幻はぞくぞくした。

 世界の命運を動かしたのはこの私だと、己の成したことを叫びたい。

 ああ、掌の上で転がる者達のなんと哀れで愛おしいことでしょう。

「うふっ」

 だめだ、こらえきれない。

「うふっ、うふふふふっ、あははははっ、あはっ、ひっ、はっ、はひゅっ、けふぉっ」

 いけない、呼吸ができない。笑いすぎておなかが痛い。

 その後もしばらく笑いの発作で苦しんで、やっと少し落ち着いた。

 世界に点在する妖精の園、その中で最も大きく、壮麗な、女王の庭と呼ばれる領域の中心で、夢幻は一人、優越感に浸っていた。

 今、この世界は、日輪と月影という考えうる限り最高に強力な対戦カードが切られようとしている。

 そして、そのカードを設定したのはこの私だ。

 咆哮のお粗末な頭にちょっと入れ知恵して、月影の眷属の何人かにいいことを教えてあげた。それだけであの二人は暴発寸前。

 これだけでも愉快なのだが、今回は九王が真っ二つに割れるというおまけつき。その過程で私まで巻き込まれたのが誤算と言えば誤算だけど、そんなことは些細なことと思えるほどの高揚感。

 咆哮はうまく日輪側に虚樹を取り込んだ。賢いといっても所詮は狭い知識の中の話、あの引きこもりは暗い感情に対して無知すぎる。

 玉杖はかなり渋っていたけれど、結局日輪側についた。咆哮と共闘する以外に魔符の発動条件をくぐり抜ける方法が見つからなかったみたい。

 ま、咆哮には私が教えてあげたようなものだけど。

「主がお馬鹿だと、眷属までお馬鹿になるのかしら?」

 あのもふもふは自分の眷属に魔符の解除方法を探させていた。でも、所詮は獣の眷属。高度な魔術を操るすべなど思いもつかない。

 そこに私が教えてあげたの、術式に穴があるのよってね。

 月影側には、最初に、日輪の眷属が道具作りの材料のために、集落からはぐれた月影の眷属を狩ったと教えただけで、とんとん拍子に反日輪陣営化していった。

 妖精の園の立地と、小さく可愛らしい私の眷属は情報操作にうってつけだ。

 今度ばかりは蒼穹にも止めようがない。

 あの石頭は、毎度毎度、面白くなるところで現れて仕掛けを全部ぐちゃぐちゃにする。

 何度娯楽を奪われたか分からない。

 どうしてあいつばかりが好き放題できて、私はできないのかしら。

 同じ九王なのに不公平だわ。

「ほんっと、頭に来ちゃう」

 でも、もういいの。

「これで退屈な世界はおしまい」

 これからはあらゆる感情の爆発する、とっても賑やかな世界になる。

「蒼穹が偉そうにする世界も、おしまい」

 そうつぶやき、最後の一押しに一つの言葉を送った。

 送られてきた鎮門の魔道具には、名も知らない日輪の眷属達の魔力が込められている。

 鎮門の眷属を誑かしていくつか試作品をもらって、それを持った眷属が今、魔力の持ち主の背後にぴたりと張り付いている。

 年齢も、性別も、住んでいる地域さえばらばらな彼らは、最近子供が行方不明になっている。実は、私の眷属に誘惑されて妖精の園で眠りこけているだけなんだけどね。

「あなたのお子さん、月影への生贄に捕まったらしいわよ?」

 これで、わが子への思いが止まらない、哀れで可愛いおもちゃの出来上がり。

 判断力を低下させる魔術に加えて、彼らは幼いころから困ったときに私のアドバイスで助けられてきているから効き目は抜群。

 後は彼らが月影の領地に潜入するなり、強襲するなりすれば、ぎりぎりまで高まった緊張が彼らを発火点にしていく。

 世界がどうなってしまうのか、とても楽しみだ。

「ふぅ」

 ちょっと疲れちゃった。遊びすぎてしまったかしら。

「お母さま。見てる?」

 母についての記憶は一つしかない。

 意識もおぼろげで、曖昧な思い出だけど、それでもこういったのは覚えている。

「夢幻、世界は面白い事でいっぱいだよ」

 お母さま、私もそう思います。世界ってとっても面白い。

 それに、なんてお馬鹿さんが多いんでしょう。


 真っ黒な世界と、光に満ちた世界。

 月影の見る景色は、ある時を境に大きく変わった。

 子が生まれたのだ。

 その子を見たものは皆、醜い、と言った。その子を見たものは皆、捨ててしまえ、と言った。それがなんだというのだろう。

 子は私の手を握ったのだ。子は私に笑いかけてくるのだ。

 世界にこの子が愛されないというならば、私は世界よりも大きな愛で我が子を包む。

 我が子らよ、母はお前たち眷属を守る。何が起きても、誰が相手でも。どんな手を使ってでも。

「母よ、御目覚めですか?」

 我が子の声で目が覚めた。ずいぶんと昔のことが夢に出てきた気がする。

 ここは私の家。我が子のいる所。焔の大地の西、夜の大地。その中心。

「ええ、お前が生まれた時のことを思い出していたわ」

「またその話ですか」

 私を起こしに来た初めの眷属。私の長男はいやそうに体を波打たせる。

 私の眷属達のまとめ役として、他の九王の領地にまでその名を轟かせているが、私から見ればいつまでたっても可愛い我が子だ。

 その子はぱたぱたと転がって黒く四角い体を寄せてきた。

「重要なお話があるのですが」

 何やら険しい口調でそんなことを言う。それには答えず私は体から腕を二本生やして、抱き上げた。

「そんなに怖い顔をしては、下の者は動揺しますよ」

 そっともう一本腕を生やして、こちらを向いている面を撫でた。そうすると四角い体が一度震え、落ち着いた声になる。

「申し訳ありません、つい力が入ってしまいました」

「はい、もう力は抜けましたね?」

「ありがとうございます」

「それでは重要な話とやらを聞きましょうか」

 そして聞いたところによれば、数百名の日輪の眷属が私の領地に侵入してきているらしい。

「ついに、といったところですね」

 ついにあの傍若無人の兄と戦うのだ。今まで肉親を屠られても蒼穹に阻まれて復讐はできなかった。

「はい、彼らは十数人単位で同胞を襲い、住処を荒らしています」

 兄の眷属と戦うのはあくまで前哨戦。

「領地の中にいる我が子に、日輪の領地との境界に集結するように伝えなさい」

「はい、すぐに使いを出します」

 我が子達はそれぞれ強力な魔力を持ち、日輪の眷属などものともしないが、人数はせいぜい一万足らずしかいない。

 一方、日輪の眷属は一体一体は脆弱だが、数百万の数を揃えていると聞く。

「こちら側の九王には私が連絡をします」

 鎮門は良いものを作ったものだ。この間受け取った魔道具を使えば連絡はこれほど容易い。

 ただ、鎮門、夢幻、九泉の勢力を加えてもこの差は埋まらない。そうすると、数で劣るこちらには取れる手はあまり多くない。

 その数少ない中で最も勝つ可能性があるのは、日輪を討つことだ。

「どうしたのー?」

「何か、ありました?」

「ん」

 魔道具がつながり、夢幻、鎮門、九泉の声が聞こえる。

 さあ、いよいよ日輪を討ちとるのです。

 空には、この間からずっと沈んでいない太陽がある。私はそこに月と星を放った。

「太陽と月、沈むのはどちらか決めましょう。日輪」


 地上は既に、動いているものより死体のほうが多い。そして抜けていく鱗の数も日々増えていく。

 この世界の天空には竜の住む大陸が浮かんでいる。そして九王の一角である虚樹の枝が掛かり、翼をもたぬ者の唯一の道となっていた。

 そこには百八の竜を従えた竜の王、蒼穹が君臨している。

 天候すらその意思の元に置く、強大なる九王の長男は、今、鱗の悩みを抱えていた。

 父が願ったこの世界の平穏を守ろうとこの数千年、あらゆる争いを仲裁してきた。初めは縄張り争いばかりだった弟妹たちも、きちんと話し合いをして住み分けをしたら大人しくなった。

 だから、長年の苦労を癒そうと、本拠地の浮遊大陸に引きこもり、久しく無かった、緩慢な時をしばらく過ごしていたら、なんと世界が破滅しかかっていた。

 どうしてこんなことになったのだろう。

 遥かに眼下では、玉杖と咆哮が組んで、鎮門の率いる眷属と戦っている。そこに虚樹か割り込み、鎮門の眷属達が大勢消え失せたかと思えば、九泉とその眷属の軍勢が玉杖と咆哮を飲み込んだ。夢幻は日輪、玉杖、咆哮、虚樹の地を覆う大軍となった眷属達を翻弄し、日輪と月影は激越な一騎討ちの真っ最中だ。

 おかげで現在浮遊大陸は空を飛べない者は到達できない領域になり、ごくわずかに存在する竜以外の九王の眷属は自力で地上に降りることができない。

 到底眼下の戦争を抑え込むのは不可能だ。

 けれども、諦めるわけにはいかない。

 父の亡骸で創られたこの世界、守らねば子として父に顔向けできまい。

 とは言え、どうしたものだろうか。さっぱり考えつかず、頭をかく。鱗がぽろぽろと剝がれていった。

「よう、父さん。しけた面してるなあ」

 息子が飛んできた。三対の翼で風に乗り、ふわりと浮くその姿は颯竜だ。

 そして颯竜の起こした風で鱗の何枚かが地上に落ちて行ってしまう。

「あっ」

 とっさに前腕を伸ばすも、小さな鱗は、虹色のきらめきを残して地上に落ちて行った。

「ん?」

 颯竜は自分が何をしたのかわかっていないらしく、ぽかんとしている。

「鱗が、落ちた」

 ぼそりと呟くと、颯竜の顔色が変わった。おそらく自分も険しい顔をしていることだろう。

 竜は生物中で最も死ににくい肉体を持っている。

 それは、個体の戦闘力や生命力が優れていることもそうだが、強靭な鱗があらゆる物質の中で最も強靭なことが一つの大きな要因だ。竜の鱗は自然に存在する魔力を竜の魂によって圧縮、結晶化したもので、爪や牙と同質のものだ。竜以外の、あらゆる生物の外皮を貫き、あらゆるものの攻撃を弾く。

 この鱗に守られて、竜は一人たりとも死んだ者はいなかった。そうすると、どの種族も竜を恐れて、竜に対抗するべく竜殺しの武具を作り始めた。

 しかし、成功例はないまま時は過ぎ、誰もが諦めかけ、ついに、一人の変人がこういった。

「こうなったら、竜の素材で武具を作ろう」

 誰もがその矛盾を笑ったが、その変人は諦めず、毎日竜の住処の周りを這いまわり、とうとうちょっとした喧嘩の最中に剥がれ落ちた鱗を手に入れた。

 その一枚の鱗から竜の地獄が始まった。

 初めは鱗を先端に取り付けただけの長い棒に過ぎなかったものだが、あらゆる危険をなめきっていた竜は突然飛んできたそれに脳天を貫かれ、とある仲裁の途中で息絶えた。

 そこからは早かった、竜を一人殺すごとに竜殺しの武具は増えていき、数千いた竜たちは六人の子と百八人の孫を除いて全て狩りつくされてしまった。

 奪われた鱗では、蒼穹に準ずるその百八人の鱗は貫けなかったのだ。

 そして竜たちは宙に浮いていた大陸に移住し、そこから出るときは全身を魔術で覆うようになった。

 だが、今、蒼穹の鱗が落ちた。このままでは残りの同胞の危機だ。

 状況は悪化の一途を辿っている。

「こうなれば仕方ない」

 蒼穹は腹をくくった。

「何をする気だ、親父」

 虚ろな眼で颯竜が問う。

「濤竜の策を使う」

 私は、他の九王の眷属より、同胞の命を選ぶ。

「おや、父上。何か御用ですか?」

 濤竜は浮遊大陸の東にある湖にいた。その長い首をこちらに向けると、冷たさを感じさせる瞳がこちらを向く。

 蒼穹は事情を説明した。

「ほう、それほどまでに状況は悪化していますか」

 そういう濤竜の顔つきは変わらない。というよりこの娘が感情を表に出したところを見たことが無い。

「そこでだ」

「例の策を用いられるのですね」

 全て言う前に、濤竜は察した。

「ああ、そうだ」

 濤竜は、こちらの胸の内を推し量るように何も言わない。冷たい風貌だがしっかりと優しさは持っている子だ。

 しばらく、漣の音だけがしていた。

「では、準備をしてきます」

 そう言って濤竜は湖の中にあるねぐらに戻っていった。湖の水面に輪ができる。

 息子の焔竜と、娘の壌竜には颯竜に事情を説明しに行かせた。

 長男の天竜と六女の冥竜にも連絡をつけたいところだが、絶縁状態でどうすることもできない。今頃あいつらはどうしているのだろう。

 天竜は最も強く、誇り高い私の息子だ。

 ただ、強い力を持つ者は、弱きものを救わねばならない、といつの頃からか思いつめるようになり、しばしば他の子と対立するようになった。

 竜にしろ、他の生き物にしろ、その本質は自分というものが根本にある。

 自己犠牲の精神も、自分という存在があっての物だと、天竜は分からないまま地上へ降りてしまった。

 今となっては、とぎれとぎれの噂を拾うしか消息を知るすべはない。

 冥竜は大人しい子で、ほとんど口を開くことは無かったが、同胞を思いやる暖かい心を持った子だった。よく無茶をする天竜に話しかけていたのを見かけた。純白の天竜と漆黒の冥竜が寄り添っている様子は格別絵になったものだ。

 そして、天竜が浮遊大陸を出て行った翌日、冥竜も後を追うように姿を消した。

 まだ日輪が太陽を空に上げる前、月影が月を下すころ、冥竜が寝床に忍び込んできて、珍しく言葉を発した。

「そのうち、戻る」

 それだけを言われた時はおかしな夢を見るものだと思っていたが、朝になって冥竜がいなくなっていることに気が付くと、何となくあの子の言いたかったことが分かった気がした。

 湖に漣が立つ。

 地響きを立てて壌竜と焔竜、そして颯竜がやってきた。

「お父様っ!」

「親父」

 壌竜には翼が無い、しかし体が最も大きく、百年前に私の体長を抜かした。落ち着いた物腰だが怠け者には容赦がない、竜たちのまとめ役だ。

 焔竜は生まれつき手足が無かった。翼で空を飛び、地面を這う。喧嘩っ早いが、理由もなく人を襲うような事はせず、暴れているときにはいつも理由があった。

 颯竜はいつもの軽さが身を潜めて、ずいぶんしおらしい様子で浮いている。先ほど、鱗を取ってこようと九王のほとんどが揃っている戦場に突入しようとした。慌てて止めたが、ずいぶんと自分を責めていた。

 そこに濤竜が戻ってきた。

「父上、丁度良く全員そろったようですね」

 特に重要な出来事は私と子供たちの七人、今は五人で話し合ってきた。

「濤竜、例の策を皆に話してくれ」

「はい」

 濤竜が非常に整理された話し方で、竜殺しの武具をこの世から消滅させる段取りを語った。

 みな自分たちの行う役割に呆然としたのか、一言も発しない。

「それほど難しい話ではない」

 私はゆっくりと話し始めた。

「それに、地上の惨状と同胞の危機を回避する方法はこれしかない」

 四人の子たちとて、そんなことは分かっている。

「元はと言えば、私が務めを怠ったせいでもある」

 颯竜が涙を流し始めた。

「どうか、この父に、最後にもう一度力を貸してほしい」

 壌竜、濤竜、焔竜、颯竜。

 皆頷いてくれた。


 太陽の落ちなかった日。

 九王戦争が起きた日。

 その日、浮遊大陸は落下した。戦場を巻き込み、眷属は大半が死に絶え、九王は蒼穹によって封じられ、世界は静謐を取り戻す。

 各地に竜たちは散らばり、竜殺しの武器を全て処分した後、僅かに戦火を逃れた他の九王の眷属を守りつつ、共に暮らし始めた。

 九王という万能の主を失い、眷属達は途方に暮れたが、世代が代わるにつれて徐々に記憶は薄れ、やがて九王は伝説の中の存在となった。眷属達は自らの手で自らを決する世界に生きることになった。

 大陸が落ちた際に、大きく世界の地形は変わり、一つの大陸は三つに分かれ、各地で人口が増え、国が興り、滅び、一つになり、分裂していく。

 そして、九人の眷属が王となる時、世界は大きく変わるのだった。


「ここまでがこの世界の成り立ちだ。分かったかい?」

 ワタシは口をぽかんと開けた目の前の暗殺者へ訊ねた。ここまで夢中になって聞いてくれるとは、やはり良い観客だったな。

「つまり、日輪という存在が作ったのが、人だと?」

 その彼が、あらぬ方向を見ながら、半ば夢見心地で言葉を発した。

「さあて、どうだろうな」

 沈黙。

「人、という言葉を、そのまま人族に当てはめても良いと思うかい?」

 また、沈黙。

 彼は、すっかり思考の中へ入っている様子。頭を悩ませている彼を見て、不謹慎ながらほほえましい気分になった。

 若者が懸命に考えている姿は良いものだな。見る者に、若々しい可能性と未知の未来を呼び起こす。

 おっと、すっかり父の思考回路をトレースしていたか。ワタシには年齢が存在しないというのに、若者を温かく見守る老人の心持を持ってしまっていた。

 誰かの欠片を誰かが自分の一部にする。

 そうやって、生きとし生けるものはつながっている。普通の生命とは異なるワタシとて例外ではない。

 父がワタシに残してくれた記憶を、ワタシは名も、顔も、目的すら明瞭でない彼に伝えた。

 さて、彼はワタシの欠片をどう取り込むのだろう。

「無駄な話はもういい」

 静かな時間を、強烈な光が引き裂く。

「こ、これは」

「もう、俺が復活するのを邪魔させない」

 目の前に、太陽が落ちてきたと錯覚するほどだった。暗殺者らしき者より、煌々と熱波が噴き出す。彼の肉体さえ灰に変えながら、それは白く煌めく火球を生み出す。

 頭の中に緊急警報が鳴り響く。しかし、あっという間に回路が焼き切れてしまう。

「消えろ、がらくた」

 放たれた。

 ワタシの身体が蒸発していく。一瞬のはずの時間が拡大され、ワタシの記録が過去へと巻き戻り始める。

 最後の瞬間、ワタシの意識はとある時間へ飛び立っていった。

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