96.平凡なる超えし者、赤き衣をまといし仮面の女神となる……
避難民と同じく、慣れないことの連続で疲れ切っているのだろう領主夫妻を、根気強く声を掛けて起こし、領主に顔を貸してもらった。
少し眠ったおかげか、領主は疲れているはずなのに、結構元気そうである。
顔色も悪くないし、さっき会った時みたいにフラつくこともない。
まあこの分なら、気を遣うことなく話くらいはできるかな。
馬車から少し離れたところで向かい合う。
「話とは何かね?」
領主、兄アクロ、レンの視線が私に集まる。あ、いや、レンはちょっと離れたわ。この話に参加する気はまったくないようだ。使用人の立場だからかな? ……いや、絶対に面倒な話をするとわかっているから、だろうね。
「最初に、私のことに軽く触れときますね」
私は改まって、頭を下げた。
「私は、今娘さんの中にいる男の妹です。兄がお世話になりまして」
「その話なら彼からすでに聞いている」
あれ? もう話しちゃってた?
「木を生やしたりするような奴が何者かわからないと、不安だろ? だから話した」
ふーん。
「隠し切れなかった?」
どうせ強面で迫られたから口割っちゃったんだろ。お兄ちゃんそういう奴だもんね。
「別に? 俺から話したけど?」
ふーーーん。
まあ、時間もないし、そういうことにしとくよ。
自己紹介の手間も省けたし、本題に入ろうか。
「まず、あいつ」
と、私は遠くで緩やかに動いている山――巨大亀を指差す。
「あいつをどうにかするって話をしたいんだけど、それはいい?」
「どうやって?」
それを今から話すんだよ、お兄ちゃん。
「まあ黙って聞きなさい。
とある情報通の話では、アレは今、寝ぼけて歩いている状態らしいのよ。だから、まずあいつを起こすことから始める」
寝ぼけている。
この辺りのフレーズで、二人はだいぶ嫌そうな顔をした。わかる。悪い冗談にも程があるよね。被害を考えればさ。
「起こすことができたら、知り合いがあいつを説得して、どこかにやってくれるって。これが今から試みる対処法だと思って」
ふむ、と領主が腕を組む。
「察するに、起こし方が問題なのだな?」
お兄ちゃんはアレだが、こっちは話が早いな。
「それも考えてるよ。で、それに関して二人に相談がしたいの」
問題点は、二つある。
「一つは、私が巨大化してあの亀を殴るって、すごくシンプルな方法を取ろうと思っているんだけど」
「待て」
「待たない。とにかくできるんだよ、そういうことが。詳しくは後で話すから、そのまま受け入れといて」
本当にお兄ちゃんは察しが悪い。
私が、切り株を伸ばしたり木を生やしたりしているのを、見ているくせに。
少しは正体を推測しなさいよ。
「巨大化して殴る。それに関する相談とは?」
あ、でも、察しが良すぎるのもなんかアレな気がするね……この領主、すんなり受け入れすぎっつーか。
もしかして、すでに私より先を考えてないか? 見透かすようなぎらついた鋭い視線が怖いんだけど。
「まず、あんまり超常的な存在がポンポン出てくると、この国の人や近隣国に刺激を与えるかもしれないって話だね」
「刺激?」
「たとえば、この国が秘密裏に開発している兵器だと、周辺国に認知されたりするかもしれない。
亀だけなら数百年に一度の巨大モンスター襲来、なんて滅多にない不幸な偶然、不幸な事故で片付けられるとは思う。実際街一つ潰されるって被害も出ているしね。
でも、その亀を攻撃した巨大な『何か』。
果たしてこっちは、偶然現れた超常的な何かが助けてくれた、と解釈されるかって話。
……結論だけ言うと、巨大化した私がこの国の兵器だと解釈されて、下手すると他国との戦争の火種になるかもしれないって話だよ」
微妙にピンと来てなさそうな兄アクロに、要点を伝えた。
「大変じゃねえか」
そうっすよ。だから問題として今相談してるんすよ。兄よ。
「考えすぎかな?」
「いや」
私の問いに、領主が即答した。
「周辺国もそうだが、それより宗教関係で面倒が起こりそうだ」
宗教? ……あ、そうか。そういうことか。
「天使だけでも少々騒がれているからな。この上、更に大いなる存在が降臨するとなれば、各方面の神を信じる者たちは黙っていないだろう。
我らの神が現れた、と、巨大な亀を追い払った『何か』の所有権を主張するだろう。それこそ争いの火種になりかねん」
私の巨大化に、己が神の姿を重ねる、か。ありそうと言えばありそうだな。
いるかどうかわからない神と、堂々と同じ大地に降臨した神と。
果たしてどっちの存在を信じられるかってことになる。
実際は神じゃないし、神力のわずかさえ動かない、突き詰めればただの野蛮なやりあいでしかないのに。
しかし、「神だと思いたい人」が、都合よくそういうことにしちゃうんだよね。
きっとこの世界にも信者が多い宗教もあるだろうし、そういうのが幅利かせてる面もあるだろうし。信心深い国や王族だってきっといるだろう。
権力争いの格好の道具になるから、宗教関係で面倒が起こりそうだと。領主はそう考えたわけだ。
「やっぱこの方法はまずい?」
私がやることは、ただ巨大化して殴るだけ、だが。しかしそれをやるにはどうしても目立つ。目立ってしまう。それが問題なのだ。
「まずいまずくないの話ではなかろう。やるしかない話ではないか。これ以上被害を広げるわけにはいかない」
あ、やっぱこの人、もう私の先を考えてるわ。こんなところにもすごい人がいたもんだわ。さすが街を捨てて人を取った責任者だ。この人かなりやべーな。
「要するに、アレか?」
お兄ちゃん、ここで何を言うつもりだ。
「どの神かわからないから揉めるんだろ? なら、どの神か明確ならいい、そういう話だな?」
あのさぁ、お兄ちゃんさぁ、もう少し考えて発言を……あれ? いや、いいな? それ悪くないんじゃない?
意見を求めるように領主を見ると、厳しい顔でかすかに頷いた。
「少々乱暴だが、悪くない。現段階で取れる最良だろう」
おおー……お兄ちゃん、採用だよ。案が採用されたよ。よかったねっ。私も妹として、この領主に認められるなら鼻が高いよっ。
「となると、どの神に仕立てるか、だな。有名どころは避けるべき、しかしマイナーどころを責めて変に信者を炊きつけるのも後の禍根となりうる」
どの神に仕立て上げるか、か。
「一人心当たりがいる」
え? またお兄ちゃん?
「不吉な外見で敬遠されがちで、それが高じて歴史に埋もれた知る人ぞ知る不人気女神だ。本当に信者は少ないだろうし、ちょっとくらい信者が増えても多方面に与える影響は大したことはないだろ」
不吉な外見……あ、彼女か。私も知ってる女神だわ。たぶん。
「ふむ……いまいちわからないが、君がそれを推すならそれでいい」
「いいの?」
「結局、どの神を選んでも多少の波風は立つだろう。有名な神じゃなければ何でも構わん」
おお、リスクを丸呑みした英断だね。まあでもそうね、誰を選んでも大小の問題は起こりそうだしね。
今優先すべきは、亀の対処だから。
多少のリスクは無視してでも、被害を止めることが先決だろう。
これで一つ目の問題は片いた。
もう一つの問題は――
「……? なんだ?」
お兄ちゃん次第、なんだよなぁ。
「今の話を踏まえて、お兄ちゃんに質問があるんだけど」
「なんだよ」
「闘技大会でやってた『髪を黒くする方法』を教えて欲しい」
もしあの現象が、私が推測するネタを使っているのだとすれば、二つ目の問題は余裕でクリアできると思う。
「ちょ……ちょ待てよ、その話は」
「知っているよ」
兄アクロが慌てて私の口を封じようとして、しかしその手は、動作は、領主の冷たい一言でピタリと凍てついた。
「全部、知っている。君が学園祭で何をしたのか。全部聞いている」
…………超怖い。超怖いんですけど。領主の目が、眼光が、威圧感が、ヤバすぎるんですけど。やっぱやべーわこの人。
「あ、ああ、あの、おとうさん、違うんですよ。あれはですね」
「君にお父さんと呼ばれる筋合いはないと、何度言わせる気かね?」
取り付く島もないとはこのことである。やっべえ矛先向いてないのに私も超こええ。
「後日、時間を作る。君がどういうつもりでああいうことをしたのか、たっぷり時間を掛けてじっくり聞かせてくれたまえ」
「……はい」
ご愁傷様。骨は拾ってやるぞ。
「すまん、話の腰を折ったな。戻そう」
あ、はい。もちろんです。
気を取り直して、話を続けよう。
「で、髪の色のトリックを教えてほしいんだけど。もしかして――」
私が自分の推測を話すと、兄アクロは少し驚いた顔をし、「その通りだ」と答えた。
ならば、これで全ての条件が揃った。
当初の私の考えでは、兄アクロの「照明」を利用した「光の巨人」や、もはや光で障壁を作って遠くからの視界を遮り、亀や私を覆い隠す方法を考えたのだが。
兄が私の推測通りできるのであれば、いろんな話が噛み合っていく。
細々した打ち合わせをし、作戦が決まった後。
私と兄アクロ、レン、そして風魔法が使えるというおじいちゃん……私や兄アクロがここに来た時に会ったクリフという人が加わった四人が、戦場を走ることになった。
ちなみにクリフじいさんは、元冒険者ギルドのマスターらしい。道理で色々と理解が早く、肝が据わっているはずである。
目標は、行進する亀の正面。
少々距離があるが、クリフじいさんの移動速度を上げる魔法のおかげで、かなりのスピードで駆け抜けることができた。
だが、それでも時間は進んでいる。
もはや夜のかけらは微塵も残っておらず、東の空には太陽が昇っていた。
長い夜が明けた。
そして、作戦が決行される。
12月も半ばを過ぎた頃。
隣の国からでも見ることができるほどの、圧倒的な巨躯を誇る亀型モンスターがタットファウス王国を蹂躙するという大事件が起こったその日。
赤いドレスをまとった仮面の女神が、この大陸に降臨した。




