01.平凡なる超えし者、その地に降り立つ前に……
「――とまあ、手短に説明すればこんな感じなんだけど」
淡々と語った私の言葉に、相槌さえ打たず、微動だにせず聞いていた不気味な仮面の女神が動いた。
ゆっくりと手を伸ばし、テーブルの上のカップを取る。
「話が見えないわね」
はは。そんなことはないだろう。
「私がテーブルに着くのを、二人して待っててくれたのに?」
どこまでも続く現実味のないこの白い空間には、一つのテーブルと三つの椅子がある。そして周囲には果てのない迷路が広がっている。
テーブルを囲む椅子は三つ。
一つは、身長が高くて目がたくさん描かれた不気味な仮面を付けた女神が座り。後ろに首のない従者がいるけど。
もう一つは、修道服を着た妙に色っぽい女性が座り。これまた後ろに従者がいるけど。
最後の一つに座っていた彼は、もう行ってしまったので、代わりに私が座った。「失礼しまーす」と言いながら。勝手に。
そして自己紹介をしてみた。
相手が普通の人たちだったらアレすぎる相席だけど、生憎「普通の人」はここにはいない。
強いて言うなら普通の人なのは私くらいなので、まあ問題はない。
この二人は、私が何者かなんて、自己紹介する前からわかっているだろうしね。
「フン。可愛くないわね。平凡な顔して」
はは。……地味に傷つくからやめようよ、そういうの。そりゃ確かに美少女とまでは言えんだろうけどさ。
「ユイさんと言いましたね?」
女神のいるテーブルに着くもう一人――かなりの力を持った修道服の死者が、穏やかに微笑む。
「貴女がここに来た理由は、彼を追ってきた……ということでいいのかしら?」
まあ、そういうことである。
「心配でね。こっそり見守ろうかと思って」
私や親と違って、今回が「はじめて」だったみたいだからね。
わかるわかる。
「はじめての世界」ってのは思い入れが尋常じゃない。「再びあの世界へ行きたい」って願う気持ちもよくわかる。やり残したこともあるんだろうな、と察しもつくし。私だって同じ経験を……まあ私のことはいいか。
「だったら早く行けば? わたくし、気に入らない生者と談笑する趣味ないのよね。おまけにわたくしの管轄にいないよその世界の者なんて、無関係にも程があるわ」
こっちの女神には嫌われたっぽいな。信者の少ない神様ってひがみっぽくて偏屈なのが多いからなぁ。そんなんじゃ信者増えないぞ。モテ神には遠いぞー。
「ちょっと頼みがあって」
というか、言わなくてもわかるだろうに。
「現地で動かす肉体がないの。なんか寄り代の体を貸してくれませんかね?」
ここにいる私は、肉体を抜けてきている。
意識体とか精神体とか魂とか、そういう存在だ。
現地調達でも一向に構わないけど、それだと問題があるからね。
人間社会に混じって活動するなら、いわゆる「肉体の乗っ取り」をしなければいけない。でもそういうのやったら怒り出す神や神官や聖者がきっといる。私だって物事がスマートに済むならそっちを選びたい。
「お断りだわ。あなたとは取引したくないわね」
「では代わりに私が取引しましょう」
お?
一度ごねるのは挨拶がわり、交渉はここから始まる……かと思えば、修道服の死者が交渉に応じてくれた。うん、私も意外だったけど、女神もちょっと驚いてるね。
「シャイア?」
「申し訳ありません、ハイロゥ様。彼の身内で彼を見守るという理由であれば、私は彼女を支持したい。彼への恩はまだ返しきれていないと思っていますから」
ふむ……何があったかまではわからないけど、どうやら実力者に恩を売ったらしい。
「ただ、私は人間の死者です。『新たな器』を生み出す力もなければ、己の肉体も含めて自由にできる『器』は持ち合わせていません」
彼女は右手を差し出し――何もなかったその上に、一つの卵を呼び出した。
深い緑色で、白いクリーム色で、枯れ葉の色で。
ゆらりゆらりと色を変える、不思議な卵だ。
「今私が自由にできるのは、この幻獣の卵だけです。これでどうでしょう?」
卵――かと思ったそれから、ぴょこっとシッポが伸びた。と思ったら、シッポじゃなかった。何せ飛び出した紐のようなそれの先に、かわいい花が咲いたから。
丸くなっていた体から小さな四肢が伸びる。今度こそちゃんとシッポも伸びた。
ようやく卵の正体がわかる。
それは、頭に花が生えたネズミ。全身に生えた短い毛足はゆっくりと色を変える。この世の生き物とは思えないような不思議な存在だ。
――なるほど、幻獣ね。
私もいろんな世界を見てきたから、幻獣と関わったことが何度かある。
あまり多くはないので共通項やら何やら、細かなところまではわからないが。それに世界を超えれば世界のあり方も違うし、幻獣という存在意義も違うから。
ただ言えるのは、幻獣とは、その世界の自然の何かを司る支配者……というか、体現者である。少なくとも私の知識ではそうだ。
「察するに、植物を司る幻獣?」
「ええ。――百花鼠と呼ばれています。まだ自我のない赤子だから、よかったら貴女が育てて」
百花鼠か。
「合うかな?」
魂と肉体には相性というものがある。誰でもいいわけでも、なんでもいいわけでもない。
試しに触れてみると……おっと。
予想外と言うべきか、それとも自然を司るほどの大いなる存在としては当然なのか。
まだ埋まっていない圧倒的な魔力の許容量と、足りないものを補おうとする学習機能とも言うべきものに、存在が吸い込まれそうになった。
どうやら向こうの受け入れ体制はバッチリらしい。てゆーかまだ入る気がない私を無理やり吸い込もうとするとは。強引なやつめ。
まあ、ちょっと気に入った。
そこまで私が欲しいなら、しばらく住んであげようじゃないか。
今度は入り込むつもりで触れると、本当にすんなり、擬音を付けるなら「シュポン」って感じで、難なく百花鼠の体に入ることができた。
視点か変わる。
身体の動かし方が変わる。
だが、まあ、いつぞやは馬の魔物になっていた頃もある私には、そこまで違和感はない。そうそう、四足歩行ってこんな感じだったよね。
「ありがとうございます。しばらく借りるね」
こうして私は、兄を追って世界を渡るのだった。