最終話.平凡なる超えし者、物語の終焉を見守る……
ハイロゥさんたちとだらだら話して別れて、あの世界に戻ると――
「結か!? おまえどこ行っていたんだよ!」
すでに壊滅したフロントフロン領の復興が始まっていて。
一番被害が出ている――元は大きな建物があったのだろう瓦礫の山の前で、力仕事をしている兄アクロと合流した。
ちなみに兄は、学校指定の体操服だ。学校で何度か見たことある格好だな。
「いやあ、ごめんごめん。呼び出し食らっちゃって」
聞けば、どうもあの巨大亀襲来から丸三日が過ぎているそうだ。随分ゆっくりしちゃったなぁ。
「驚いたよ。おまえ急に七色の蝶になって、亀と一緒に消えちまうからよ……」
蝶?
あ、私のメルヘンか。
それたぶん蝶じゃなくて妖精だと思うけど。……そうか、そんな感じで消えたのか。
で、その瞬間に私はハイロゥさんに呼ばれたんだろうね。それと同時に、魔王やってきて亀をどうにかはずだ。
まあ、その辺のことは裏事情を知らない者にはわからないと思うけど。
だから話す必要もないだろう。
「いいじゃない私のことは。それより復興でしょ?」
「いや今こそおまえの事情を……いや、やっぱ復興を手伝え」
そうそう。
個人的事情より、今は民のための作業だ。それでこそ貴族だぞ。……お兄ちゃんはパンピーだけどな。あんまり染まらないように。
辺りを見る。
当然だが、全てが瓦礫と化している。
あの亀が這いずった後だから、本当に綺麗に、何一つとして、無事な物がない。
だが、それだけだ。
早くも復興に向けて動き出している住民たちは活気があり、絶望に落ち込む者は見えない。
男たちは瓦礫の処理をし、女たちは集まって洗濯したり料理を作ったりし、子供たちは走り回って遊んでは大人に怒られている。
元気だなぁ。
これくらいどうってことない、って気持ちが伝わってくるようだ。
立ち直りの早さは、モンスター被害自体が珍しくはないから、かもしれないね。それでもかつてない被害は出ていると思うんだけど。
「領主はどうなった?」
あの怖い顔のキレ者は。アクロディリアの父親はどうなった。
「応援に来ていた騎士たちの隊長が、王都に連れてったよ。それから音沙汰なしだ。あと隊長は戻ってきて、今この街の指揮を執ってる」
へえ。マイセン騎士隊長かな? まあ誰でもいいか。
「ついでに言うと、領主夫妻が離婚して、俺は今フロントフロンじゃなくてベルトゥラン侯爵の孫ってことになってる」
お、さすが。爵位剥奪の前に手を打ったわけか。
「あ」
お?
子供の声に振り返ると――あ、本アクロだ。小さい方の本物のアクロディリアがいた。
「あなた、なぜここにいるの?」
「いや、てゆーか、君は何をしてるの? 石なんて抱えて」
「復興作業の手伝いだけれど」
えっ。
本アクロが?
……いや、まあ、確かに、それほどおかしくはない、のかな……?
元は自分の領地だし……生粋のお嬢様が力仕事をしているのが、違和感がすごいってだけで……
「サボッてんじゃねえぞ」
あれっ?
聞き覚えのある野太い声に、兄アクロは反射的に答えた。
「取り込み中です」
「あ? ……あ、おまえ」
……うわーキルフェコルトもいたよ。なんで石運んでるの?
「何してるの? 次期王様でしょ?」
「それはまだ公表されてない。言葉に気をつけろ」
はいはいわかったよ。
……ってことは、まさか、もう一人の王子もいるのか?
「――チッ」
本アクロが舌打ちした。視線を追うと……いた。女子にキャッキャ言われて囲まれているラインラック王子が。
「少し目を離すとこれなんだから」
と、本アクロは石を抱えたまま行ってしまった。
「殿下も行ってください。今はわたしが話す番です」
「ああ? ……早く済ませろよ」
おお、王子を顎で追い払ったよ。やるなお兄ちゃん。
兄アクロの人払いで、再び二人きりになる。
「なんで王子連中がいるの?」
「見ての通り、復興の手伝いだよ」
いやそれは見ればわかるよ。
「そんなに仲良くなったの?」
「うーん……自分ではよくわからんが、まあ、普通の友達くらい?」
ああ、そう。まあ王子連中は面倒見よさそうだしね。お人好しだから放っておけないって面もあるのかもね。
「それよりおまえも手伝えよ」
「そのつもりで来たからいいけど、まず何からすればいい?」
個人的には、魔力の補充が最優先なんだけど。
あの日に使い切ったから、ほぼ空っぽだ。
一度魔法学校に戻って巨大亀の大陸に送ってもらって、モンスターを狩りまくって魔素を吸収したいな。あそこの連中結構魔素持ってるし、すぐに溜まるだろう。
「今――」
と、兄アクロは彼方を指差した。
「あの辺に大きめの石を集めて、風呂を作ってるんだ」
……風呂か。うん。
「いいんじゃない?」
街は全壊である。復興作業には長い年月が掛かる。
ならばまず用意するのは、作業員が休んだりリフレッシュできる風呂。悪くないだろう。
朝昼夕方と力の限り働き、風呂で汗を流し、うまい飯と冷たいエールで疲れを癒す。
私はお酒は飲めないけど、そういう生活を好む人がいることは知っている。これぞ生き甲斐よ、と言い切る人も知っている。
長く作業を続けるには、やはり楽しみがないと。
あるのとないのではやる気に差が出て、長い目で見たら作業量に雲泥の差が出ると思う。
じゃ、私もがんばっちゃおっかな。
身体は常に綺麗も保てているけど、久しぶりに普通にお風呂にも入りたいし。
私が合流して二日で、すぐに風呂はできた。
王都から大工が来たからだ。
なんでも、これから王都にも一般人が入れる風呂をいくつか設置しようという政策があるらしく、「簡単に作れる風呂の試作」というテストケースのモデルをここでやろうという話になったらしい。
願ったり叶ったりなので、受け入れる運びとなった。
まあたぶんmキルフェコルトの口添えあってのことだと思うけどね。
それから更に三日後、フロントフロン領主が帰ってきた。
まあ正確には、爵位を失っているので、もう領主ではないのだが。
肩書きは、領主代行だ。
フロントフロン領地を守れなかったアクロ父は、やはり爵位剥奪という罰を受けたそうだ。
でも私財没収はなかったので、実質貴族じゃなくなっただけ、という罰となる。
アクロ父が椅子を追われ、席が空いたフロントフロン領主の座には、クレーク・ベルトゥランという人が座ったそうだ。
あの夜、フロントフロン領に来る時、チラッと擦れ違ったのを覚えている。
あのおばあちゃんだね。
アクロディリアの大叔母に当たる人だ。
で、椅子に座った後、アクロ父に「領地の一切を任せる」との委任状を書き、晴れてアクロ父は領主代行となったわけだ。
爵位は失い、貴族ではなくなった。
しかし住人のアクロ父へ向ける信頼は大きいらしく、大喜びでアクロ父の帰還を歓迎し、物資が充分じゃないこの状況ながらささやかな宴が開かれた。
そう、この街にとって本当の復興が始まる契機となるのは、アクロ父が帰ってきたこれからってことなのだろう。
これこそ、この街は間違いなく、アクロ父の一族とともに歩いてきたという証なんだと思う。
王子連中は、毎日のように魔法学校から通ってきた。
実家がなくなり母親籍に入ったアクロディリアが学校に戻らないのはわからなくもない。
本アクロも、一応アクロディリアに引っ付いているという形なので、同じく戻れないのもわかる。
でも王子連中は何なんだ。
卒業目前で時間がある、というのはわからんでもないが、毎日は多いだろう。
キルフェコルトは「王族として領地の復興に加勢して何が悪い」と堂々と言うし。
ラインラックは「まだ学びたいことがたくさんあるから」と、貪欲に料理のことを勉強しに来ている体である。
――そんな王子連中が、少なくとも、呼び水にはなったのだろうと思う。
最初は王子たちだけだったが、いつからか、魔法学校から続々と手伝いの生徒がやってくるようになった。
嫌われ者のアクロディリアの実家が大変なことになっている、と聞いて、何かできることはないかとやってくるのだ。
「――いや、わかんねえ。なんでだ」
どういうことかと兄に聞けば、真顔でわからないと言う。
好意的な目は、確かに、そんなに多くはないんだよね。
逆に「こいつ超キライなんですけどぉー」みたいな嫌悪感のある顔も、あまり見ない。
あ、時々、「サンライト仮面様が……」とかなんとかヒソヒソやってる怪しい目つきの女子はいるけど、これはもう例外とする。
手伝いに来られる理由がない。
アクロディリアが特別好かれているというわけでもなさそうだし、しかしそこまで嫌われているって感じもない。
一番の多数派を言うなら、アクロディリアの手伝いをしている王子連中の手伝いをしに来ている、という者が多いのかな。
…………
私も知らない色々を兄がやらかしたおかげで、みんなあんまり嫌いじゃなくなってた、ってことでいいのかね?
それぞれ事情が違うだろうから、もうそれでいいや。
一人一人に「なんで手伝いに?」なんて聞いて回るほど暇でもないし。
ただ、一つだけ言えることは。
なんか知らない間に、お兄ちゃんは悪役令嬢の汚名を返上していたのだろう。
特別「何をしたから」とかじゃなくて、「常日頃の生活態度」からだと思う。誰しもがんばってる人はちょっと応援したくなるからね。
でもまあ、実際のところはわからないけどね。
何がどう作用しているか、なんてわからないもんだ。
だってあの夜のドロップキックが理由で、騎士連中に異様な人気が出ているとか小耳に挟んだし。
確かに、見蕩れるほど美しい打点の高いドロップキックだったとは思うけどさぁ。……え? そういうことじゃない?
「――はあ、ちょっと休憩。あーきっつー……」
民家を建てる手伝いをしている兄アクロは、できたばかりの壁に寄りかかり、日陰に座りこんだ。
…………
実家は没落し、余計な肉を削ぎ落とした身体はほっそりとしていて、荒い息を俯いて整えている。
この絵、この光景、どっかで見たことある気がするなぁ。
……シナリオ通りと言えばシナリオ通り、でも、あるのかなぁ。
卒業までの三ヶ月は、あっと言う間だった。
「――ただいま」
お、帰ったか。
「おかえりー」
胸にピンクのコサージュを差した兄アクロが、レンと本アクロを連れて帰ってきた。
ネズミの姿で寝ていた自分以外誰もいない静かな空間だったここが、すぐに騒がしくなった。ちなみに話ができないのは不便なので声帯は作ってある。
そう、ここは魔法学校の寮で、アクロディリアが使っていた部屋である。
そして、使うのは今日で最後となる、部屋だ。細々した荷物はもう運び出してある。
「卒業式、どうだった?」
どうせ校長の話が長いだけで面倒そうだったので、私は部屋で寝ていた。別に魔法学校自体に思い入れはないしね。
「キルフェコルト殿下の話が長かったわ」
すっかり私に慣れた本アクロは――いや、今や私の身体の虜となった罪深き二匹目の羊は、テーブルで寝ていた私を抱いて椅子に座る。
本アクロの子供の身体に合わせて、それなりの大きさになっておく。ええ、私はサービス精神旺盛なネズミですから。
「それよりヨウ、何度も呼び止められていたけれど、あれってなんだったの?」
「ああ、あれ」
やや不機嫌そうな兄アクロは、自分のベッドでもあるソファに身を投げる。
「愛の告白だよ。野郎が19人だぞ? しかも女子を入れたら33人だぞ? なんでおまえの身体でモテ期過ごさなきゃいけないんだよ」
まったくだわ。まったく同感だわ。なんなのそれ。
「なんでだよ」
聞いちゃったわ。思わず。
「俺が知るか。……美貌じゃねえの?」
美貌かぁ……そうね。美しいとは思うよね。
「あと胸じゃねえの?」
おっぱいかぁ……そうね。男はだいたいそこ見るからね。
「仕方ないわね」
勝ち誇ったように本アクロは言った。
「でも、もうわたくしは一人の男の物だから。諦めてもらうしかないわね」
ああ、そういえばそうらしいね。
「おまえ本当に駆け落ちするの?」
「するわよ? ラインラックと約束しているもの」
ほっほーう。
ちょいちょい怪しい雰囲気は感じてたけど、ついにアクロディリアが王子様を落としたのか。なんか何気に呼び捨てになってるし。フゥー。
羨ましい……よりは、祝福したいかな。
だって本アクロ、ずっとラインラックのこと好きだって言ってたし。長年の募る想いが通じたわけだし。
色々と庶民の勉強もしてたし、復興作業中はお嬢様であることをかなぐり捨てて、できることはなんでもやっていた。
力仕事も、洗濯も、料理もだ。
今の本アクロなら、庶民としてやっていけると思う。
「そうか……じゃあこれ、渡しとくな」
ん?
兄アクロは上着の内ポケットから手紙を出すと、本アクロに渡した。
「お父さんからだ。おまえの駆け落ちのこと、お見通しだったぞ」
「えっ」
「俺が言うことでもないけど、落ち着いたら連絡してやれよ。あの人やお母さんは、おまえのことをいつでも心配してるんだからな」
「……そう、お父様が……」
本アクロは大切そうに手紙を受け取ると、しばしそれを見る。
そこに込められた想いを見詰めるかのように。
そして、ここで開けることはせず、ポケットに納めた。
アクロ父か。
いつも厳しい顔で復興作業の指示を出していたけど……よくいる家族を省みず仕事に生きているお父さんかと思ったけど、それなりに家族も見ていたんだね。
あ、そうだ。
「ついでに聞いていいかな?」
私は復興作業の手伝いはしたけど、あんまり内情には詳しくないんだよね。
これは、あくまでもお兄ちゃんの物語だから。
私なんてメインディッシュの添え物レベルの関わりで充分だ。
「アクロディリアの弟くんの婚約は、どうなったの?」
確か、この国のお姫様と婚約してたよね?
でもフロントフロン家はなくなっちゃったし。
弟くんも、復興作業はよく参加してたし、第一印象より良い面をたくさん見た気がするし。
何より両思いだったんでしょ? 幸せになってほしいけどね。
「なしになったわ。でも親交がなくなったわけではないみたい」
答えたのは本アクロだった。あ、やっぱ白紙になったのか。まあそりゃそうか。
「街の復興が一段落したら改めて話し合おう、ということになっているそうよ」
あ、すごいねそれ。
普通そういう流れなら完全白紙で、王女にはすでに違う婚約者があてがわれてもいいはずなのに。
なんつーか、周囲も納得の両思いなのかもしれないね。応援したくなるような。ケッ。うまくいくといいねっ。チィッ。
「どうあれ、まだ結婚するには早いもの。わたくしの弟よ? なんとかするでしょう」
お、無根拠な自信ではなく、手に入れた姉は言うことが違いますな。
…………
そう言えば、アルカも駆け落ちするって言ってたなぁ。
何があったのか詳しくは知らないけど、どっちかから告白したのが成功して、魔王と一緒にどこかへ行くとか言っていた。
アルカもよく復興の手伝いには来ていたんだけど、普通に聞いても恥ずかしがるだけだし、もうそういうのが面倒臭くなって聞かなくなったんだよね。
まあ、彼女はこれからとてつもなく苦労すると思うけど。
それでもやっぱり幸せになってほしいなぁ。
レンに紅茶を煎れてもらい、のんびり最後のおしゃべりに混ざる。
私は聞くだけだ。
この物語は、私のものじゃないから。
和やかな時間が、紅茶の香りとともに過ぎていく。
「――さて」
陽は傾き、ついに空は暗くなった。
話すことも尽きてきた頃、この時間を断ち切るように、兄アクロは言った。
「――それじゃアクロディリア、そろそろ身体を返すぜ」
立ち上がる兄アクロと、それに対峙する本アクロ。
大人と子供が向かい合い――兄アクロが、本アクロの肩に触れ。
それだけだ。
「……戻った」
特に何かが起こるでもなく、呪文を唱えるでもなく、傍目にはなんの変化もなく。
さらりと二人の人格が入れ替わっていた。
まあ戻ったのはアクロディリアで、兄は今、さっきまでアクロディリアが借りていた子供の身体に入っている。
「…………」
アクロディリアは自分の身体を確かめるように、手を動かし、自身に触れる。
「……念願の瞬間だったはずなのに、あんまり嬉しいとも思わないわね」
との感想を漏らした。子供の身体に慣れたからじゃないすかね。
兄は、ポケットにあるさっきのアクロ父の手紙を荷物袋に押し込み、それをアクロディリアに差し出す。
「そろそろ出るんだろ? 早く行けよ」
日没後に、どこかで。
アクロディリアは、これからラインラックと約束している場所に向かうのだ。まあ今日合流するわけじゃないらしいけどね。
ちなみにラインラックと合流するまでは、レンが護衛に着くことになる。
心身ともに、本来の関係になったと言えるのかもしれない。
「湿っぽくなるのは嫌だから、もうさっさと――おいちょっ」
アクロディリアは跪き、兄を抱きしめた。
「だからそういうのいいって」
「ありがとう、ヨウ。わたくしはあなたと出会えた奇跡に感謝しかない」
「……泣くからやめろって言ってんのに……」
アクロディリアの言葉は続く。
でも、私は聞かない。
それは、私が聞くべき言葉ではないから。
想いの丈を告げたアクロディリアが兄から離れ、目頭を抑えながら荷物を持って出て行った。
「……ヨウさん」
「レン……」
…………
私は何も見てないし、何も聞いていない。
だから、二人を何をして、どんなやり取りがあったのか、わからない。
それは、窓辺から見ている優しい光を放つ純白の月しか、知らないことである。
そして私も、兄の私に関する記憶を消すと、この部屋を去るのだった。