けやぐ。
仲間。
「トマト君の記憶は、どこからが鮮明ですか」
あのダラダラとした砂利の坂を下りながら、ストガさんはこちらを振り向かずに言った。
その言葉で、やっと、隠さなくても良いんだと気付いた。
「10歳の、誕生日から」
「その日何があったか、憶えてますか」
「何も……」
「あなたは、かくれんぼをしていたんじゃないですか」
「え」
「彼女が花を手向けた、あの木のそばに隠れたんじゃないですか」
ストガさんは振り向かない。
ただ、鴉の濡れた羽の様な髪が、彼女の動きに合わせてサラサラと動いている。
一束一束がまるで意志を持つかの様に、動いている。
「ストガさん」
「はい」
「俺は、思い出さないとなんない? 」
ストガさんは答えなかった。
ひとこともしゃべらず、振り向かず、坂を下り終えた。
ほんとうは、ほとんど思い出しかけていた。
あと一枚、絵の中央部の大事なピースが揃えば、俺はあの嘘の世界に戻れなくなるだろう。
だって、絵の中が俺の本当だから。
でも、それを見つけてしまうのは、戻れなくなるのは、怖かった。
この絵の中では、めしあさんが俺を待っている。それは確かだ。この目で見た。
じゃあ、他は?
唯一無二の友達は、良川五月は、この世界に居る?
「ストガさん」
「はい」
そこで、ようやく彼女は俺をその無機質な瞳の中に入れてくれた。そこには、名状し難い感情が融けていた。
俺はほとんど発作的に、彼女の手を取った。白く、しなやかで、滑らかな手。俺はこの手の完璧すぎる造形美に、彼女が人間で無いという事実を叩きつけられた。
すると、俺が彼女の正体に気付いたのを知ったかのように、ストガさんの長い睫毛が痙攣するように震えだし、鏡よりも透明な涙の張った目を見開いた。驚愕の表情の中に、くっきりとした絶望が映えている。
なんだ。
こっちの方が、よっぽど胸が圧される。
「ごめん、ほんとうは、ストガさんのこと、覚えてる」
嘘だ。
彼女にデジャヴは感じたけれど、本当は何も思い出してない。
なんでこんな嘘をついたのか?
貴方も男なら分かるでしょ。
ストガさんが欲しい言葉は、これなんですよ。
「やっぱり……」
案の定、ストガさんはそう言って、彼女は怒った様に眉を寄せて微かに肩を震わせた。
ただ、この表情は俺の嘘を見抜いてしまって怒り心頭……という風にも解釈できて、俺はそれが怖かった。
「でも、俺は、どうしたらいいの? 俺は、ここに戻らないといけない? 」
意図して話を変えたつもりでは無かったものの、ストガさんはそう思わなかったかもしれない。
ほんの一瞬、彼女の顔に翳りができたのを俺は見逃さなかった。
「ーーー……… 」
ストガさんの唇が動いた。
だが、そこから紡がれたはずの言葉は春の突風に掻き消されてしまって、俺の耳に届くことはなかった。
ストガさんの瞳に、柔らかい光が差して、俺はやっと正気に戻った。
慌てて手を離して、深く息を吸った。頭の中でメリーゴーランドの様に回る言葉を振るいにかけ、ストガさんの顔を正面から見た。
「俺は、世界で何が起こっているか知りてぇ」
「……いいんですか?」
「なにが」
「聞いたら、あなたは戻れなくなりますよ」
「いい。良川だって、もう全部知ってんだ。なら、俺も知らなきゃなんねぇ」
「一蓮托生、ですか」
ストガさんの口から飛び出た、あまりに時代錯誤な言葉に、俺は思わず吹き出した。
「そうだな、一蓮托生。うん、ちげーねぇ」
キョトンとした表情のままのストガさんの肩を軽く叩いて、俺は歩を進めた。
「あっ、ちょっと待ってください」
「何よ。せっかくいい感じに終わらせよーとしてんのに」
「この世界に来た目的が、もう一個あります」
ざわり。
背中に、良くないものの来訪を告げる寒気が走った。
そして、だいたい……
「この世界の良川五月に会ってください」
こういう予感は、中る。




