09.退魔の武器
ナイヴィスが担当した棚には、長剣が収められていた。
帳簿なのか名簿なのか判然としない綴りを手に、言われた項目を点検する。
何か囁くような声が聞こえるような気がするが、気のせいで済ませられる程度の幽かなものばかり。勿論、何を言っているのか、内容は全くわからない。
ナイヴィスは黙々と作業に集中した。
〈あ、やっと来た。ね、そこのあなた、私、鞘が外れそうなの。ちゃんとしてくれない?〉
不意に声を掛けられた。
場違いな程、活き活きとした女性の声だ。
作業は残り三段。
上から二段目の剣が少しずれ、鞘と柄に隙間が生じていた。
柄頭の【魔道士の涙】は、菫色に輝いている。隙間以外の問題はなさそうだ。
〈ね、自分じゃ直せないから、助けてくれない?〉
随分、馴れ馴れし……いや、気さくな英雄だ。
余りにはっきりした声で、注意を受けていなければ、生身の女性に話しかけられたと思うところだ。
〈ずっと、直してくれるのを待ってたの。ね、あなたなら背も高いし、届くでしょ?〉
女性の声は、期待に弾んでいる。
ナイヴィスは左右を見た。
通路には誰も居ない。棚に遮られ、上司も同僚も見えない。
綴りを見た。「舞い降りる白鳥の魔剣ポリリーザ・リンデニー」と記されている。
……ふーん。戦闘じゃなくて、呪いの解除に使うんだ。
ナイヴィスは、上司の注意を忠実に守り、聞こえないフリをした。
〈酷い……国の為、民の為、身を粉にして戦ってきた私を、実戦用じゃないなんて……〉
先程の元気が消え、語尾が震える。菫色の光も、心なしか弱くなった気がした。
ナイヴィスは、気付かないフリでやり過ごし、次の段を見る。
剣が【魔道士の涙】を翳らせ、女性の声がすすり泣き始めた。
「あ、す、すみません、そんなつもりじゃ……」
〈ホントに申し訳ないと思うんなら、鞘にちゃんと収め直して〉
「は、はい」
棚に綴りを置いて手を伸ばし、右手を柄、左手を鞘に添える。
カチリ。
小気味良い音を立て、きちんと鞘に納まった。
〈ありがとうね、親切な坊や。気に入ったわ〉
声はすっかり機嫌を直し、【魔道士の涙】も元の明るさを取り戻した。
「あ、いえ、こちらこそ、失礼を……」
腹の底が、ひやりと冷える。
今になってやっと、さっきの思考を読まれていたことに気付いた。続いて、もうひとつ、もっと洒落にならない問題にも気付く。
……手が、離れない。
指を開こうとするが、自分の手ではないように、びくともしない。
冷や汗が流れた。
棚から手を降ろす。当然、剣もついてくるが、意外に軽い。
左手で、右手の指をこじ開けに掛かる。石化したかのように、微動だにしない。焦りと困惑で掌に汗が滲む。
「ナイヴィス、さっさとせんか。後はお前だけだぞ」
上司の声に、ナイヴィスは柄を握った姿勢のまま、硬直した。