84.疾く巡る薬
もう一度、水を起ち上げ、傷を洗う。角で抉られた肉が露わになる。
〈そう、いい感じよ。はい、傷薬塗って〉
掌に納まる素焼きの壺を手に取り、油紙の封を切る。そこで気付いて手袋を脱ぐ。素手で膏薬を取り、傷口に塗った。
薬指にたっぷり取った魔法薬を盛るように置き、慎重に伸ばす。
ムグラーは幽かに呻くだけで、完全に意識を失っているようだ。
〈あなた、【薬即】も習ってるわね。じゃ、それも唱えて〉
「は、はいッ」
魔法薬に魔力を上乗せすることで、即座に傷を塞ぐ。
この術も実際に使うのは初めてだ。記憶を手繰り、魔力を籠めずに小声で呟き、確認する。最後まで覚えていた。
声に魔力を乗せ、改めて唱える。
「星々巡り時刻む天 時流る空 音なく翔ける智の翼
羽ばたきに立つ風受けて 時早め 薬の力 身の内巡り 疾く顕れん」
薄緑の膏薬が緩やかに波打ち、溶けるように染み込んだ。傷の底から肉が盛り上がり、傷付いた組織が見る間に再構築される。
傷は、拭い去ったかのように消えた。ムグラーの呻きが止み、呼吸が穏やかになる。
ナイヴィスはホッとして力が抜け、へたりこんだ。
〈はい。大変よくできました。これで一安心。出血が酷いから、ちゃんと動けるようになるのに二、三日掛かるけど、若いから大丈夫よ〉
女騎士がナイヴィスの頭の中へ、色とりどりの花が咲き乱れる映像を送る。
現実の視界には、血に染まった地面に横たわるムグラーの姿がある。まだ意識は戻らないが、顔から苦痛の色が消えていた。顔色は良くないが、呼吸は安定している。
確かに、これなら命に別条なさそうだ。
心の中で祝福の花を一本受け取り、女騎士に礼を述べる。
……ありがとうございます。リーザ様のお陰で、助かりました。
〈何言ってんの。バカね。私は普通に行動を指示しただけよ。実際に動いたのはあなたなの。あなた自身の実力なの。もっと胸を張りなさい〉
……え、あの、いえ、でも、私一人じゃ何もできませんでした……リーザ様がいらっしゃらなければ、今頃は……
〈でも、これでわかったでしょ? ちょっとくらい怪我しても、あなたがしっかり癒せば、死にはしないのよ〉
その「しっかりする」が出来ないから、途方に暮れているのだ。
〈そんなの、場数を踏んで、慣れるしかないじゃない〉
……あぁ、やっぱりそうなんですね。
予想通りの答えに、ナイヴィスは落胆した。
「やったぁッ!」
ワレンティナの弾んだ声に顔を上げる。
木々の間に、灰の塊が落ちる。風に散る灰が【灯】の範囲内で、霧のように流れるのが見えた。




