82.存在の本質
雄牛が、【紫電の網】に締めあげられたまま、力任せに立ち上がった。隆起した筋肉に【網】が食い込む。血で地面を青黒く染めながら、鼻息荒く足を踏ん張る。
雄牛はワレンティナに狙いを定め、角を赤熱させた。
従妹もムグラーに倣って【不可視の盾】を展開する。
〈従妹ちゃんが引きつけてくれてる間に、一気に叩くのよ!〉
「はいッ!」
脳裡に次の動作を示され、ナイヴィスは力強く応えた。
魔剣となった女騎士の手と、魔剣使いナイヴィスの手が、ひとつに重なる。
ナイヴィスの腕が、流麗な軌跡を描き、雄牛の横腹を紙のように切り裂いた。魔剣が、異界から迷い出て実体を得た魔物の「存在の本質」を断つ。
肉を断つ手応えはなかった。
緑色の厚い皮膚、隆々と盛り上がり固い筈の筋肉の塊、臓物、骨すらも、何の抵抗もなく両断された。
存在の核を破壊され、魔獣のこの世での肉体が崩壊する。
一滴の血も流れず、次の瞬間には灰となり、さらさらと風に散った。
あまりのあっけなさに、ナイヴィスは呆然と立ち尽くす。
〈存在の核を壊したから、この世の肉体も、元居た世界の体も、消滅したのよ〉
……えっ、じゃあ、あの牛はどうなったんです?
〈あれは三界の魔物じゃなくて、ちゃんと魂があるから、ふたつの世界で同時に死んだだけよ〉
女騎士が、ナイヴィスの脳裡に「世界」と「存在」の模式図を示す。
物質界は所謂「この世」、冥界は俗に言う「あの世」。その間を繋ぐ幽界。
存在は、その核によってひとまとめにされている。魂と幽体、肉体が「存在の核」で串刺しにされて繋がっている。
肉体から串が抜ければ、物質界での死。
真っ当な生物は、幽界を経て冥界へ赴く。
魔物は、元居た幽界へ戻る。
魔法や魔剣など魔法の武器で倒すと、魔物も死に、冥界へ送られる。
三界の魔物は、その串を自らの意思で自在に抜き差しし、三つの世界を自由に行き来する。
核の移動で存在の位相をずらし、別の世界に身を隠す。監視の目を逃れ、秘かに獲物を捕食するのだ。
魂がない為、肉体や幽体を破壊しても、すぐに再生する。
退魔の魂で「存在の核」を破壊しない限り、消滅せず、一時凌ぎにしかならない。
〈普通の魔物や魔獣なら、この世の肉体を壊すだけでも無害化できるから、安心して〉
知っているつもりで、知らなかったことを一気に教えられ、頭が痛くなった。
騎士となった今、退魔の魂の使い手となった今、それらと戦わなければならないのだ。
トルストローグが、濃紺の魔獣の腹の下に潜り、剣で突き上げた。そのまま、尾に向けて振りぬき、腹を裂く。流れ出る血と苦痛にうねる胴を避け、横腹を斬る。
濃紺の魔獣は、その身の長大さ故に動きが鈍い。
頭部に近い部分だけは素早く動くが、樹木に巻き付く胴は攻撃の手段も持たず、隙だらけだった。
隊長が頭部を引き付け、【光の槍】で貫く。
ワレンティナも森へ入り、【鋼の刃】で魔獣の胴を絡め取って刻んだ。
倒れたままのムグラーが低く呻く。ナイヴィスは我に返り、駆け寄った。




