60.警告を無視
「何なのそいつッ! 許せないッ!」
ワレンティナが怒りで肩を震わせた。
「落ち着きなよ。君、あの三界の魔物を散々、斬ってたじゃないか」
「ん? あ、そっか、その人、人間やめちゃってたんだ……」
ムグラーに言われ、ワレンティナは小さく咳払いして、お茶を飲んだ。
「うん、その時もね、王子様は『こういうの慣れてるから、今回はいいよ』って仰って、近衛騎士の方を止めて下さったんだよ」
慈悲深いお方だよ、とおかみさんは深い感慨を籠めて言った。
……許したのかな? 何か、もう面倒臭くて相手したくない、みたいな気配が……
〈そうでしょうねー。三界の眼で、何をご覧になってたのかしら?〉
……あッ!
おかみさんは、溜め息交じりに説明を続けた。
「あんなの、お許し下さらなくてよかったのに……」
黒山羊の王子殿下は、わざわざそんな奴にまでお声を掛けて下さったんだよ。
「あのね、君、そう言うことばっかりいってるんでしょ? 穢れに埋もれて、僕には君の顔もわからないよ」
そいつは、近衛騎士に取り押さえられたまま、王子殿下を睨むだけで、返事もしなかったけどね。
そんな無礼な態度をとられても、殿下は怒ったりなさらなかったんだよ。
それどころか、有難くも勿体ないことに、どうすればいいかも、教えて下さったんだよ。
「このままだと、四年後の二月十三日には、人としての寿命が終わっちゃうよ。今からもう一回、ヒルトゥラ山に登って、穢れを祓ってもらって、心を入れ替えた方がいいよ」
おかみさんの言葉に、トルストローグが愕然として呟く。
「それは、まさか、死の宣告……?」
三界の眼には、人の魂が三界のどの層に近付いているかを視ることで、残りの寿命を計ることができる。
おかみさんは、お茶を一口飲んで遠くを見つめると、話を続けた。
「今にして思えば、そうだったんだろうねぇ」
あいつは、その場では強がって謝りもしなくてさ。村長さんや親戚が平謝りだったよ。
ご一行がお城へ帰られた後も、村長さんや親戚が、入れ替わり立ち代わりあいつの家へ行って、黒山羊の王子殿下の仰る通りにしろって、何回も何回も言いに行ってたよ。
でもね、みんなであんなに言って聞かせても、折角、殿下から頂戴した有難いお言葉に従わなかったんだよ。
「なんで犯罪者ってワケでもないのに、大人の俺がそんな面倒臭いことしなきゃなんねーんだ。オンナ共にはホントのこと言っただけだし、子供はフツーにかわいがってるだけだろ。俺は畑仕事とお袋の世話で、忙しいんだよ」
なんて言ってね。
そして、とうとう去年、行方不明になったんだよ。
殿下がはっきり宣言なさった四年目だったからね。
村の誰もが、あいつを死んだものと見做して、ホッとしてたんだたよ。
でも、あいつの母親だけは、認めなくってね。
どの口が、探してくれなんて言うんだか。みんなに迷惑掛けまくって、他所様の家の若いコには、村から追い出すようなことばっかりしてたクセに、厚かましいったら。
トルストローグは、納得して何度も頷いた。
「林の周辺が休耕期で、誰も行かなかったから、今まで気付かなかったのか……」
「えぇ。あいつが居なくなったから、また村で婚礼をするようになって、わざわざ林まで行かなくなりましたし……」
「婚礼の場所で待ち伏せしてたなんて、気持ち悪ーいッ!」
ワレンティナが鳥肌を立て、自分の両肩をさすった。
ナイヴィスも、三界の魔物の醜悪な姿を思い出し、スープを飲む手が止まった。
「ま、まぁ、とにかく、三界の魔物は倒せた。この村の娘はもう安全だ」
「ありがとうございます。これでもっと娘や孫に会えます」
隊長の宣言に、おかみさんは深々と頭を下げた。




