12.魔獣の追跡
小道には木漏れ日が落ちているが、一歩外れると、生い茂った枝葉の影が濃い。
畑の明るさから森の暗さに目が慣れるまで、跳び縞が通ったらしき跡を小道から追う。
下草の踏み跡は、しばらく小道に沿って続いていたが、突然、直角に曲がり、薮を踏み潰して獣道すらない場所を進んでいた。
「じゃ、ここから行くか。奴の足跡だけじゃなくて、足下の蛇、頭上の蜂にも気を付けてくれよ」
トルストローグは剣を抜き、蜘蛛の巣を払いながら木立の間に分け入った。
「私は足下に気を付けるから、お兄ちゃん、上の方、気を付けてね」
「わかった」
〈私で蜘蛛の巣なんて払ったら……わかってるわね?〉
……はい。承知致しております。
ナイヴィスは、脳裡で畏まった。
トルストローグは、攻撃系の魔法を修得していない。
短剣の腕前はかなりのもので、彼の剣は騎士団の官給品ではなく、以前から愛用している私物だ。腕力も、隊の中では最も強い。
ナイヴィスは、まだ、攻撃も防禦も覚束ない。
ムグラーとワレンティナから、防禦の術を少しずつ習っている最中だ。
今は、ワレンティナが作った呪符を数枚、持たされている。
念の為に気休めとして、持たされているだけだ。
一応、それぞれの効果と用途、発動の呪文は教わった。だが、ナイヴィスには、緊急事態に直面した際、呪符を適切に使用できる自信が、全くなかった。
例えば、魔物に襲われた場合。
魔物の攻撃を躱しつつ、荷物の中から呪符を取り出し、適切なものを選んで、発動の呪文を間違えずに唱えて、対象に貼り付ける……などという一連の動作は、ナイヴィスには神業に思えるのだった。
予め、必要な呪符を手に持った状態からでも、恐怖で手や口が硬直し、発動の呪文を唱えられないような気がする。
それが攻撃用の呪符ならば、発動させてから、対象である魔物に貼り付けなければならない。
素手で魔物に接触するに等しい。どう考えても、ナイヴィスには無理な相談だった。
ワレンティナは【飛翔する鷹】学派。
少ない労力で、最大限の攻撃を行う術を修得している。呪符や防具を作り、攻撃や防禦の準備もできる。
幼い頃から町の自警団に所属し、呪符や防具作りで貢献してきた。十二歳からは、魔物と直接戦うようにもなった。
新年の挨拶や冠婚葬祭などで、親戚が王都の雪晶一族の本家に集まると、自警団での武勇伝を嬉々として語る。
大人たちの反応は、頼もしさ半分、危なっかしさへの心配半分。
ワレンティナの両親は、娘に「お淑やかさ」を求めることは、すっかり諦めていた。
ナイヴィスは数年前、「お兄ちゃん、私が守ってあげるね!」と元気いっぱいに言われた。
頼もしさ半分、自分の情けなさへの落ち込み半分。泣きそうな笑顔で礼を言った。
ナイヴィスは、前を歩く従妹の後ろ姿に、あの時の気持ちを思い出した。
遅れないよう、必死についてゆく。ここで二人とはぐれたら、最悪、任務を放りだし、【跳躍】で村へ逃げ帰るしかない。
薮蚊が顔の近くを飛び回り、鬱陶しいが、鎧の効果で蚊やノミ、ダニなどに刺されることはなかった。
魔法の鎧とは言え、蛇の牙や飢鬼蜂の針を完全に防げる訳ではない。毒も然り。被害は軽減されるが、警戒するに越したことはない。
飢鬼蜂は、雀とほぼ同じ大きさだ。
あの羽音は、わざわざ見張りをするまでもなく、遠くからでもよくわかる。
ナイヴィスは実質、「何もせず、ついて来るだけでいい」と言われたようなものだった。
二人は、トルストローグが漕いだ藪道を注意深く歩いた。
森に住む無数の蝉が鳴き交わしている。時折、蝉時雨に鳥の声が混じる。
不意に、トルストローグがその場にしゃがんだ。
「何? どうしたの?」
「糞だ。大きさから見て、跳び縞のだろうな」
ワレンティナとナイヴィスも、トルストローグの肩越しに覗く。
直径が成人男性の靴幅くらいで、球形。草食だからか、乾いているからなのか、臭くはない。
トルストローグは、それを小枝でほぐした。
中はまだ乾いていない。草を踏んだ跡は、更に奥へ続いている。
「昨日のだろうな」
小枝を投げ捨て、再び跡を追って進む。




