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現代もの

全裸女、走る。

作者: 西川 旭

アクセスありがとうございます。

多少なりとも楽しんでいただければ幸いです。

 健康のためにジョギングすることにした。全裸で。

 

 家を出て河川敷を抜け、市役所通りにつながる橋を降りる。

 髪を後ろでポニテに結い、さすがに靴と靴下は履いているいでたちだ。

 ナイキ女性用ランニングシューズ「ルナ・グライド(紫)」が私の相棒。

 とてもいい靴で、これを履くととにかく走りたくなる。名前だっていかにも夜だ。色合いも深い紫で、夜に似合うのだ。

 そこで警察登場。

「な、なんでそんな格好で走っているんだきみは。とりあえず交番に来なさい」

 若い色白の男性警官が、私の靴を見ながらそう言った。どうやら自転車で区域を巡回中のようだ。

 ちゃんと目を見て話せないのか。これがゆとりか。私の靴はなかなかいい品物なので見惚れているのかもしれない。

 健康的な肌に、なまめかしくも機能美あふれるパープルのスニーカー。これぞ対比の美というものだ。

「裸で走ると気持ちいいもので。なにより、走ると汗をかくでしょう。服が汗だくになるでしょう。汗が冷えると風邪を引くでしょう。だから全裸で」

「やかましい! 裸で外をほっつき歩いてたほうが風邪をひいてしまうだろう! と、とにかくこれを着て、交番まで来てもらうからね。身分を証明するものはなにか、持ってるわけないか……」

 そう怒られて、お巡りさんの上着をかけられた私は近所の交番に連れて行かれ、親を呼ばれた。親にもやっぱり怒られた。

 ちっ、寂れた住宅街の真夜中だから、誰もいないと踏んでいたのに。つぎはコースを変えよう。

 

 花も恥らう十八歳のニート乙女、五所川原初美、それが私だ。

 ついこの春に高校を卒業したものの、大学に落ちて専門学校などもピンと来るものがなく、バイトも特に見つからずに暇と体力をもてあましていた。

 私は自他共に認める快活で利発な美人なので、そんな環境で時間を浪費するのは世界に対する裏切りである。

 自分の知力、体力、精神力をこのニート期間といえど、常に磨く義務があるのだ。

 そのために全裸ジョギングという、精神的な緊張感、開放感と心身の健康を共存させるまったく新しいスポーツを発明したというのに。

 頭の固い国家権力の飼い犬にはそんな高邁な理想など理解できないのだろう。

 悲しいことだなと思った。日本の未来は暗いと思う。

「そういうわけでさ、パパ。私はなにか新しいことや大きなこと、世間があっということをしたいのよ。だからお小遣い上げて」

 そもそもお金があれば全裸でジョギングなんてしない。もっと有意義なアクションを思いつくはず。貧すれば鈍するとはこのことだ。

 夕食が終わり、家庭の団欒を楽しみながら私は父に提案する。ちなみにうちは父子家庭で、よく親子喧嘩もするし怒られもするけど、仲がいい親子を自負している。

 小さい頃から、初美は美人だなあ、初美は賢いなあ、とこの父に言われて育ったのだ。最近まったく言われないけど。

「あほなこと言ってるんじゃない。勉強もしないで遊び歩いてるならさっさと就職しろ。でなければ嫁に行け」

 今日の肩もみは失敗だった。父の気分が緩んでいない。交番のことでまだ怒っているのかも。

「こんなかあいい子に嫁に行けだなんて、パパそれでも父親? いつか現れる私の恋人が『娘さんをください』って申し出たときには、日本刀振りかざして反対するのが正しい父親の姿でしょうに」

「やっぱりお前は社会に出たら駄目だな。就職はしなくてもさっさと嫁に行ってくれ。できればお前を家庭に縛り付けて、一歩も外に出さないような頑固な男だと安心だ」

 なんてことをいう。ひどい我が子差別。家事とかほどんど一人でやってる、こんなできた娘に向かって。それでお小遣い五千円の現状は悲しすぎる。家計の中からお金を捻出して、服とか化粧品を買ってるけど。


 お小遣いの値上げ交渉もヤブヘビでしかなかったので、私は自室に閉じこもって紙飛行機を百機ほど折った。

 そのすべてに「話のわかる旦那候補募集中。美少女より」と書いて。

 父が言うような亭主関白な男はゴメンである。

 住所も名前も、私の写真もなにもない、誰に届くかもわからない百通のラブレター。

 私の住んでいる高層マンションの屋上から、追い風に乗せてあらゆるところへ飛ばした。全裸で。

 これを持って私の前に現れた男と、強制的にロマンスのフラグを立ててみよう。

 そう誓いながら、私は春の風を一身に浴び、世界と自分が一体になっている喜びを感じていた。

 空には星、あたりには微風、人は全裸。

 これ以上のことが世の中に存在するだろうか。いや、ない。そう自信を持って言える。

 そんな開放感の中、ふと思った。

 百人全員が真剣に私を好きになってしまったらどうしよう。

 完璧で瀟洒な私なら百人程度の男を扱うのも、なんとかこなせるだろうけど。

 これもこれで一つの挑戦である。私は自分の可能性に限界を設定しない女。

 すべての紙飛行機を投げ飛ばし終わってから、旦那候補に「お金持ち」と言う条件を付け忘れたことを後悔した。


 そんな私のアピールは、地域の情報をやりとりするインターネット掲示板を多少騒がせたくらいで、他は特に大きなリアクションはなかった。

 その中の意見の一つ。

「美人ならこんな必死の紙なんて飛ばさないよな」

 こんな美人がいるよ、という宣伝広告は至極当たり前だろう。コイツは市場原理というものを理解してない。

「どうせ中の人は暇なニートのオッサンだろ」

 暇なニートのオッサンがこんなことをして、自分になんのメリットがあるんだ。因果と言う言葉の意味を少し考えろ馬鹿者。

「美人だとしても頭が可哀想」

 お前の凝り固まった意識が私から見たら可哀想だよ。偏見につける薬はないと言うぞ。

「アホの子萌えとか、もう古いよね」

 オタクは黙ってろ。別の掲示板か動画サイトにでも張り付いているがいい。


 それらの書き込みが私を著しく憤慨させたくらいである。

 腐れネット民め。せいぜい真実から逃げ回って生きるがいい。

 もちろん私は正義感からその掲示板を海外プロキシ経由でしっかり荒らしておいた。

 嘘に満ちた情報が世に出回ることを許すわけにはいかないのだ。決して私怨乙ではない。

 私が荒らしたのはきっかけに過ぎず、騒ぎが肥大したその掲示板はいつとも知れず閉鎖された。

 

 イライラした夜を過ごす私に、さらに追い討ちがかかった。

 マンションの駐車場や中庭で、おそらく住民とその関係者らしき集団が夜中にたむろするようになったのだ。週末などは深夜でもうるさい。

「ねえパパ。あの連中なんなの。ちょっと文句言ってきていい?」

「やめとけやめとけ。バカを相手にするな。なにかあったら後悔しても遅いぞ」

 オトナはいつも事なかれ主義だ。その精神が日本を閉塞に追いやっている自覚がないんだろうか。

 まあ、食べさせてもらっている以上、あまり父に辛くは当たれないのが悔やまれるところではあるが。

 騒いでいる集団を観察すると、彼らは私と似たような世代の若い子が多い。

 特に危ないことをするでもなく、ただおしゃべりをしているだけ。

 というものの、改造された車やバイクを中心にゲラゲラと笑いあっている。そんな連中を恐がって誰も注意しようとはしない。

 敵を知り己を知れば百戦危うからず、と昔の人は言った。まずは情報を得るとしよう。

「あれねえ。マンションの大家さんの息子、ここに一人暮らししてるみたいなんだけど。そのお友だちみたいよ。ちょっと恐いけど、なかなか、ねえ」

 隣の奥さんはそんなことを言っていた。

「あの人、高校の先輩なんだよね。だからうちからはちょっと、文句言い難くてさ」

 マンションの自治会長の息子さんもそう言っている。

 義を見てせざるは勇なきなり、という言葉を大学ノート一冊まるまる書き取りさせてやりたい。今の高校はなにを教えてるんだ。私もつい先日まで高校生だったけど。

 私は考えた。いくら安眠を妨げられると言っても、相手はバカだ。こっちの注意と正論を受け入れる頭脳はないだろう。

 ならば、バカでもわかるように、自分たちがバカなことをしている、そう自覚できるように促して導いてやるのが、知的で美しい上に暇をもてあましている私の役目ではないだろうか。


 五月末の週末。相も変わらず頭の悪そうな若者たちが、車のエンジンをつけっぱなしにしてその脇にたむろしている。時刻は深夜一時。

 私は意を決して彼らに立ち向かった。全裸で。

 もちろん靴は履いている。相棒のナイキ・ルナ。今宵も私たちの色合いが奏でるコントラストがすばらしい。

「こんばんは。天気が良くていい夜だね」

 今日は三人の男が集まっていた。大家の息子だけはなんとなく顔を知っていたので、こちらから挨拶をして歩み寄る。

「ちょっ、え、なんで全裸?」

「この女アブねーんじゃねーの。誰の知り合いだよ。俺しらねーよ」

 混乱した彼らは口々になにかを言っている。私は冷静で穏やかな笑顔を崩さずに続けた。

「暇だったらさ、みんなで走ろうよ、裸で。こっから河川敷とおって、ぐるっと市役所あたりまで」

「いやいや、意味がわからんし。普通に捕まるし。そんなことする理由もねーし」

 バカのクセに行動に理由を求めるなんて、一億と二千年早い。お前らはなんの正当な理由があって私の安眠を妨げるのか教えてみろ。

 しかしそんなことを言ってはバカを余計に刺激するだけだ。私は菩薩の心境を崩さない。

「気持ちいいよ、裸で走ったら。その座り心地悪そうなシートの車で、信号だらけの道路を走るよりずっと」

 そんな私のナイスな提案を、男たちは気持ち悪そうな表情で黙殺した。目はしっかり胸とか腰を見てるくせに。

「いやまあ、暇だったら遊んでもいいけどさ。とりあえず服着ろよ。クラブでも行く?」

「そうそう、コイツのおごりで行けばいーし。いくらでも飲めるし」

「たまにはお前らも払えよー。金持ってるくせによ」

 どうやら車や服装を見る限り、大家の息子を含めて全員がそこそこの経済環境にいるようだった。

 身だしなみはいわゆるB系ちょいワル二人と、ギャル男っぽい暗色基調のサマージャケット男。

 めいめいが夜でも不自然に光る金属系、宝石系のアクセサリーをいたるところに備えている。

 お小遣い五千円、全裸こそ至上の私とは話し合いが成立しない。金満は人の英知を奪うのかとも思った。

 私のまばゆいばかりの肢体はとりあえず注目されているけど、言語を超えたコミュニケーションになり得ないのだろうか。私は自分の思想の敗北を感じていた。

「そう言えばオカシイいって言ったら、あの紙ヒコーキ、めっちゃ受けたし」

 男の中の一人が思い出したように言った。どうでもいいけど、なんにでも「し」って語尾につけるのはやめろ!

「そうそう、なんだっけ。ダンナ募集中? とか。どこのバカだっての。この近くにめっちゃ落ちてただろ」

「よっぽどブスで男縁ないんだろなー。誰かブス処女専とかいねーのかよ。救ってやれよ」

「たいがい暇なデブオタのイタズラだし、まず美女とかありえねーし」

 こ、こいつら。

 そのありがたい書面の主がこんなDカップスレンダーグラマー、やや小麦色健康体美女、保育園時代のお嫁さんにしたいランキング一位の私と知らずに勝手なことを。

「きみたち、よほど命がいらないと見えるね。とうとう全裸神拳最終奥義の封印を解くときが……」

 普段は冷静な私もこのときばかりは心を乱し、怒りの炎に身を焼いた。

 掲示板にあることないこと書いてたの、こいつらではないのか。違うとしても同類だ。許すことは出来ぬ。社会的に抹殺してやろう。

 そんな私の怒りをよそに、事態は思わぬ局面から収束の糸口をつかんでしまった。

「お、おい、やべーよ。警察来ちまったよ!」

 大家の息子が、駐車場に入ってくる赤いランプを指差し、そう言った。ミニパトが駐車場に現れたのだ。

 マンションの誰かが通報したんだろうか。余計なことを。

 あと三分あれば、世の中からバカで迷惑な男が三人も浄化されたと言うのに。ちにゃ、とか断末魔を上げながら。

 あわただしく車から降りてきたのは、先日に会った色白の若い警官だった。

「だ、大丈夫かい! お前たちなにやってるんだ!」

「いや、なにもしてねーし。裸で勝手に来たのはこの女だし……」

 男たちの会話も、噛みあっていなかった。


 結局、若い男たちは交番に連れて行かれ、厳重注意を受けたのちに保護者を呼ばれて解散した。

 これで付近の皆さんに平穏な夜が訪れるだろう。その後の噂では、大家の息子は別の賃貸住宅に引っ越したらしい。

 私もいったん部屋に帰され、そして翌日お巡りさんに交番まで連れて行かれた。

 そして、思いっきり怒鳴られた。夕べも散々、父に怒られたんだが。

「なにかあったらどうするんだ! それに、裸で出歩くのは罪になるってわかるだろう! 前は初回だし、今回はあの連中を注意するためだってマンションの人が証言してくれてるから、なんとかおおごとにはしないで済みそうだけど。これできみの経歴に傷がついたら、親御さんだって悲しむんだぞ! それ以上に女の子だろう! 間違いがあったらどうするんだ!」

 普段は色白な顔が真っ赤になっていた。怒りすぎると目が潤むタイプだ。少し可愛い。

「私も全裸の限界を感じていたところなので、これからは家とか温泉だけで脱ごうと思います。ご迷惑をおかけしました」

 しかし私は、人のいない岸壁などでたまに水着を脱いで泳ぐクセがある。これはノーカウントということにしよう。お風呂と間違えた、という言い訳で。

「……あ、うん。怒鳴ってすまない。わかってくれればそれでいいんだ。本当に、これからはもうやめるように約束してくれ。まだまだ若いんだし、もっと自分を大切にしなきゃ」

 お説教が終わり、息を整えて必要な書類を準備するお巡りさん。

 私は補導されたわけだから、また親を呼んで引き取ってもらわなければいけない。面倒くさい書類にも名前とかあれこれ書かなければならないのだ。

 こうした手続きには明らかに無駄な手間がたくさんあるように思うけど、こんな末端公務員の無駄な作業と言うのは事業仕分けの対象にならないのだろうか。

 その中から、一枚の紙切れが落ちた。

 白いコピー用紙で、汚れと折り目の中に「話のわかる旦那候補募集中。美少女より」と書かれている。

「お巡りさん、その紙どこで拾いましたか」

「え? ああ、巡回中に拾ってね。特に事件性はないみたいだけど、いくつも同時期に似たような場所で出回ったみたいで。念のために回収しておいたんだ。交番に小学生が届けに来たのもあるよ」

 その小学生は惜しいことをした。こんな美女とお近づきになれるフラグをみすみすぶち折ったのだ。自分の手で。

「そうですか。ところでお巡りさんも若いですよね。彼女います?」

「い、いきなりなにを言い出すんだ。関係ないだろう」

「大いに関係あります。大事なことです。あと年収ってどれくらいですか。それと、結婚した女は家を守るべきでしょうか?」

 人間は動物と同じく裸で生まれるけど、そこから服を着て言葉を交わして社会を作る。

 聡明で美人な私はその可能性を、これからも熱心に開拓しなければいけないのだ。

 もっとも、健康な男女が行き着く最終的なコミュニケーションは。

 やはり全裸だと思うけど。

 


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