戯言論理【ザレゴトロジカル】
嫌な予感がして目が覚めた。
些細な何かが狂ってしまったような、大切な何かが抜け落ちてしまったような、そんな気がして。
「……っ」
いつの間にか、ソファでうたた寝をしてしまったらしい。起きると、不愉快な汗をびっしょりかいていた。
「なんなんだよ…」
そう毒づいて、俺はソファから起き上がることにした。どう判断しても、これ以上快適に寝ることは出来ないらしい。
と_____
「……?!」
何かを告げるように、携帯が鳴った。メールだった。
差出人は、俺のよく知ってる奴だった。
件名は__「学園正門の階段にて待つ」
内容は空白……白く塗りつぶされたように、奇妙に歪んで見えた。
窓の外を見ると、雪が舞っている。確か今日の気温は5度以下だっけ、と、どうでもいいことを考えて。
掛けてあったコートを着る。
ローファーを適当に引っ掛けて履き、ドアを開けた。
寒かった。寒くて、凍てついていた。
学生寮から学園まで五分とかからない。自転車が使えないから徒歩になるが。
「……遅いよ」
上から声が降ってきた。そんな感じがした。
激しい動悸が緩やかになる。ほっとしたからだろうか。
「時間なんて書いてなかっただろ」
そんな風に言い返す。
御神紗奈___かつては、名前の通り少女だと間違われるのがもはや日常茶飯事だと言っていた少女めいた美貌。
腰まで届いていた長い銀髪を肩までに切り揃えて後ろで括っているのだろうか、前とは印象が変わっている。今の髪型なら、かろうじて男子と判別出来るだろう。
同年代と比べれば小柄な体格。
片翼の鳥、 希代の天才。
俺の元クラスメイトで、現特選科。
無気力で全てを見下すような瞳。自分さえどうでもいいような、そんな諦めきったような冥い微笑。
階段からさらに上の、手すりに腰掛けていた。
「……っ馬鹿!危ねえだろ!」
ったく何してんだ。無鉄砲で、考え無しで、どれだけ心配かけるつもりなんだ、そう言おうとした。
そんな俺を見て、紗奈は軽やかに笑う。
「心配性だね、木戸くんは」
人の気持ちを知ってか知らずか、紗奈はそんなことを言った。
「大丈夫だよ、ぼくは自殺志願じゃないからね」
そのまま両手を手すりから離す。手すりから俺のいる場所まで高さ五メートルは軽く超えている。そこから俺の隣まで当たり前のように着地して、当然のように俺の隣に立つ。
「…で、俺を呼び出した理由はなんなんだ?」
「そんなの無いよ」
「……は?」
こんな寒い日に学校まで呼び出してくれやがって何もないだと?
「たださ、木戸くんに会えたら覚悟ができる気がして」
……覚悟。その言葉が何処か喉に魚の小骨が引っかかったように嫌な余韻を残した。
「お前、何がしたいんだ?」
「なんでもない。木戸くんが気にするようなことは、絶対」
そんなことをいくら言われても、不安は消せなくて。
「ねえ、木戸くん」
無邪気に紗奈が問いかける。
「死ぬのって怖い?」
「……」
あまりにも唐突すぎて、何を意味してるのかも知らなくて。でも、それでも俺は答えたくなかった。
「ぼくは怖くなかったな」
紗奈が嗤う。先ほどまでの無邪気さをかなぐり捨てたような、陰鬱な笑顔で。
「怖くなかった、んだけどな」
「お前は」
紗奈が嗤う。
「どうしてだろう?」
隣に並んでいるから、向き合うことも出来ず。十センチも離れていない至近距離だからこそ、隣にいるからこさそ……紗奈が遠かった。
「木戸くんに会ってから、生きてるのが楽しくなっちゃったのかな」
「……お前は、何を」
笑顔なんて見たくなかった。見れば、俺が信じていた全てが粉々に壊れそうな気がした。
「こんなはずじゃなかったのに」
「……何を言って」
「死にたくない」
「……っ」
「死にたくないのに……なあ……」
何を言ってるんだ、と、言おうとして。
____ぐらり、と世界が傾いた。
いや、違う。俺が。
傾いているのは俺だ_____。
痛い。苦しい。
焼けるように、熱かった。
紗奈は、そこにいた。
諦めきったような微笑で。
黒くなる景色。
黒。
ビジョンが歪んで。
ああ駄目だ……体が動かない。
「死にたくないよ」
意識が途切れる寸前、紗奈の声が聞こえた、ような、気がして_____
気がついたらソファの上にいた。
「……夢、だったのか……」
いつの間にか、ソファでうたた寝をしてしまったらしい。起きると、不愉快な汗をびっしょりかいていた。
「なんなんだよ…」
そう毒づいて、俺はソファから起き上がることにした。どう判断しても、これ以上快適に寝ることは出来ないらしい。
と_____
「……?!」
何かを告げるように、携帯が鳴った。「……っ」
メールだった。
差出人は、俺のよく知ってる奴だった。
件名は__「学園正門の階段にて待つ」
内容は空白……白く塗りつぶされたように、奇妙に歪んで見えた。ありえないくらいの既視感。
窓の外を見ると、雪が舞っている。確か今日の気温は5度以下だっけ、と、どうでもいいことを考えて。
掛けてあったコートを着る。
ローファーを適当に引っ掛けて履き、ドアを開けた。
寒かった。寒くて、凍てついていた。
学生寮から学園まで五分とかからない。自転車が使えないから徒歩になるが。
「遅かったな」
知らない声がした。
そこには紗奈と、紅い女の人がいた。
確かに 紗奈が、そこにいた……そこにいるのに。
でも、赤くて紅くて___目は虚ろに開いていて。
「……御神?」
声をかける。
返事はなかった。
「……おい!」
無理やり紗奈の瞳を覗き込んで、俺は恐怖に囚われた。
生きているモノの目じゃなかった。傷だらけで、頬を流れる紅い滴が鮮明で、痛々しかった。
「紗奈っ!」
白銀の髪も、鮮やかな赤で染められている。
「嘘だ……っ」
息が止まる。呼吸が出来なくなる。
あの夢の続きを見てるみたいで。
「紗奈に何したんだ!」
俺はその女に詰め寄った。
「……あたしじゃねえよ」
女は呆れたように肩を竦める。
「だったら何で……」
なんで、紗奈はこんなに死にそうなんだ。こんなの、生きてるほうが不思議なのに。
苦しい。心が折れそうだ。
「俺は……」
なんで。
「紗奈のやつ、お前に会いたかったんだってさ」
女が緩やかに微笑んだ。
「じゃあ、あの夢は」
本当に俺はあいつに会ってたんだろうか。
「あの夢は、本当のことだったのかよ……」
信じたくなかった。
こんな、非日常的な日常があるなんて。
「嘘だろ……」
紗奈は何も言わない。
「御神は……紗奈は、助かるのか……」
「助けるさ、必ず」
女の瞳は真剣だった。
こんな理不尽な世界で。
血塗れで、血濡れな、紅くて赤い世界で。
______生きてるのが辛いんだよね。
いつか、紗奈が言った言葉が蘇る。
でも、あのとき、たとえ夢の中であっても。
あいつは確かに、生きたいと思っていたはずだ。
嘘つきで、気まぐれなやつでも、あの言葉は本当のものだったはずだ。
「なあ、紗奈」
俺は呼びかける。
俺はあいつについて恐ろしいほど何も知らなかったけれど、あいつの何も理解なんざ出来なかったけれど。
それでも。
唐突に意識が浮上した。
いつの間にか、ソファでうたた寝をしてしまったらしい。起きると、不愉快な汗をびっしょりかいていた。
「なんなんだよ…」
そう毒づいて、俺はソファから起き上がることにした。どう判断しても、これ以上快適に寝ることは出来ないらしい。
「……あ、起きた」
その声に振り返ると、紗奈が驚いたような顔をして立っていた。
「……起こした?」
首を傾げる角度が絶妙だった。
質素なエプロンをつけ、肩ほどの長さの髪を上で無造作に括っている。
「なんでもねえよ。少し……昔の夢を見ただけだ」
「……ん」
軽く頷いて、紗奈はそのまま俺から離れる。
「何してんだ?」
ふと、聞いてみた。
「料理だよ___木戸くんは料理音痴だからね」
「料理音痴言うな」
そう切り返して。
「つーか、お前俺の家にいていいの?」
聞いてみた。
「彼女いるんだろ」
「ん___問題ない」
問題ないのか。
「彼女って言うよりは幼馴染って感じだからね……それに」
少し歯切れ悪く言う。
「それに?」
面白そうだったから追い打ちをかけてみた。
「……」
ふぃ、と紗奈が目を逸らす。
「うん?」
さらに追い込んでみた。
「……だってさ、今日は木戸くんの誕生日だから」
渋々白状した、という風だった。
よしよし、と相変わらず自分より頭一つ以上小柄な紗奈の髪をくしゃくしゃにする。
「何するんだよ」
下から見上げてきた。
「……なんでもねえよ」
そう答える。
うー……と、不可解そうな顔をした。
「なあ、紗奈」
俺は呼びかける。
「うん?」
「来年も……来てくれるか?」
「当たり前だろ」
紗奈は薄く笑った。
「ぼくがいなかったら、誰が木戸くんの誕生日を祝うんだ?」
「だよなー」
軽口を叩き合う。
合理的な非合法の世界で、俺は紗奈のことを少しだけ知ることができたけれど、今も、知らないことが沢山ある。
それでも。
「幸せ……つーのかね」
「どうしたの?」
首を傾げる紗奈に、俺は笑いかけた。
失くしたくないものがあって。
守りたいものが増えていって。
それでいいんじゃないか、と思った。
それでいいんだと、思った。
たとえあのとき、何があったとしても。
今、俺の隣には、紗奈がいる。