85区 あなた色に染まってあげる♪
ロビーを過ぎ、階段を上がって右に曲がり2つ目がえいりんの部屋だった。
部屋の入り口には『市島瑛理』と書かれたプレートがかかっている。
「えいりん、1人部屋なんだ。こう言う寮って相部屋なイメージがあったんだけど」
「あながち間違ってはないよ。現に1人部屋は23人いる部員のうち5人だけだし」
つまり、5人以外は相部屋と言うことだろうか。
部屋に入ると、随分と質素な感じがした。
備え付けの机に二段ベッド、それに教科書が入っている小さな棚。
後は奥にあるクローゼット。部屋にあるのはそれだけだった。
テレビやパソコンは一切無し。
そう言うところは、自分が思っている寮そのものだ。
「まぁ、私物はそんなにないけどね。その方が最悪部屋を移る時に楽で良いし」
「部屋を移る? そんなの年に1回でしょ?」
「それが違うの。さっき言ったでしょ。1人部屋は5人だけって。5人と言われて思いつくことは?」
私が考える間に、えいりんは肩に掛けていた荷物を降ろし、片付け始める。
「あ、女子の都大路は5人だ」
「さすがさわのん」
私の回答に、えいりんはご満悦そうだ。
「昔は県駅伝のメンバー5人だけが1人部屋だったらしいんだけど、いつのまにか上位5人になったんだって。三ヶ月に一回、3000mのタイムトライ一発勝負で決まるのよ。学年も過去の栄光も一切関係なし。そのタイムトライで上位5位に入った人だけが、三ヶ月間1人部屋を与えられるわけ。ちなみに私は昨年の7月から十一ヶ月間ずっと死守してるけどね」
二段ベッドの上を物置にしているらしく、えいりんは説明しながら背伸びをして、上の段へ物を片付けていた。
強い学校は生活する場所すら勝ち取らなければいけないらしい。
うちの駅伝部なんて、部室は元体育倉庫。しかもボロボロ。
自然とみんな着替える場所も決まっており、場所を取り合うなんてこともなかった。
でも、部員同士の変な競い合いが無い分、団結力は絶対他の学校よりもあるはずだ。
「ところでさわのん、緑と青、どっちがいい?」
まだごそごそしていたえいりんが突然聞いてくる。
「青!」
私は元気よく答える。
「よし、じゃぁ下着は青で決まりと。後は……ブラウスにしようかな」
ブラとパンツを持って、えいりんは奥のクローゼットへと移動する。
「いや、なんで私の意見で下着の色が決まるわけ」
「え? だって脱がす時に好きな色の方が良いでしょ」
なぜそんな当たり前のことを聞くの? と言った顔でえいりんが私を見る。
しかも、可愛く小首をかしげて。
いや、そもそも何がどうなったら私がえいりんの下着を脱がすことになるのか、一から十まで説明して欲しい。
えいりんが着替え終わり、2人で街に繰り出す。
中心の上通りまで徒歩5分。
寮が賃貸アパートだったら、さぞ家賃も高かったことだろう。
「まずはこの店から」
えいりんは、言うと同時に一軒の店に入る。
入ってすぐに、この店が何屋か分かる。
Tシャツにジャージ、時計にシューズ、サプリメントにサングラス。
走るための道具がところ狭しと並んでいる。
ランニング専門店だ。
もちろん桂水市にもスポーツ店の一角にランニングコーナーはあるが、お店すべてがランニング関係と言うのは初めて見た。
「こんにちは」
この店の常連なのだろう。
えいりんは元気よくあいさつをして奥へと進んでいく。
ガラス張りの壁と、天井からの照明で、外にいるのと変わらないくらい明るいお店だが、それに負けないくらい明るい声だった。
「お、市島さん。どうだった県選」
レジの男性がえいりんを見るなり、声を掛けて来る。
「県高校新記録で優勝しました」
右手を高々と上げて、えいりんが嬉しそうに報告する。
レジの男性だけでなく、奥から出て来た店員さんからも、祝福の声が上がる。
「じゃぁ、約束通り写真を撮って飾ろうか。そっちの子は友達? 一緒に写る?」
「うーん……親友だけど、倒したい相手ですかね。彼女、私より走るの速いですよ。現に昨年都大路で1区7位だった選手に県駅伝で勝ってますからね」
えいりんが私のことを説明すると、店員がみんな驚く。
「えいりんが大げさに言っているだけです」と、必死で弁解するがライバル同士が一緒と言うのも面白いだろうと、結局2人で写真に写った。
昨日、今日とよく写真を撮られている気がする。
その店でTシャツを買って、アーケードに向かって歩き出す。
しばらく歩き、私は自分の眼を疑った。
そこは確かに本屋なのだが、入口前のスペースにカッパの銅像が置いてある。
それも大小合わせて3匹も。
真ん中のカッパが一番大きく座禅を組んでおり、そのカッパの周りには小さな池が彫ってあった。
よく見ると池の中にはお賽銭がいくつも投げ入れてある。
「ねぇ、これなんでお賽銭が入ってるの?」
不思議に思いえいりんに尋ねてみた。
「そりゃ、願いごとを叶えてもらうためじゃない。でも、カッパだから、泳ぎ関係のお願いしか叶わない気もするけど……。って、さわのん! ストップ! ストップ! なんで財布を投げ入れようとしてるのよ」
一瞬意識が飛んでいたが、えいりんの叫び声で我に返る。
危ない。全財産をつぎ込むところだった。
「もしかして、さわのん泳げないわけ?」
「……」
沈黙が答えとなってしまし、私が泳げないと知ると大笑いされてしまった。
失礼な。
そもそも生物は進化によって海から陸に生活の拠点を移したのだ。
だったら、陸のみで生活したって良いじゃない。
大笑いした後、見たい本があると言って、えいりんは店の奥に入って行く。
そこは資格コーナーだった。
えいりんは管理栄養士の本を手に取る。
「いやね。寮の食事を作ってくれる人が管理栄養士の人で。色々と話を聞いてたら、私もなりたいなって思ってね」
私に説明をしながらも、えいりんは熱心に本を見る。
「えいりんは管理栄養士になりたいんだ。私は高校教師になって理科と陸上部を教えるのが夢なんだよね。昨日、姉のいる信徳館大に行ったんだけど、すごく楽しそうだし、教員免許も取れるからそこに進学しようかと」
私が昨日のことを話すと、えいりんが驚きの声を上げ、目を丸くしてこっちをみる。
あまりに驚いたのだろう。
開いた口がそのままになっていた。
<改ページ>
「私も信徳館大を受験するつもりなんだけど。そこの栄養学部管理栄養科って言うのを卒業したら、管理栄養士の受験資格が貰えるし、熊本市内だからいいかなって思ってて……」
「つまり、私達って偶然にも志望校が同じってこと?」
私の一言にえいりんは嬉しそうに何度も頷く。
「よし、勉強に対するやる気が出て来た。さわのんも頑張って。せっかくだから一緒の大学に進学しようよ」
少し興奮気味になりながらえいりんが私に迫って来る。
えいりんがぐっと近づいたからだろう。
えいりんのお腹が鳴った音が良く聞こえた。
それと同時に顔を真っ赤にして、えいりんは私から離れる。
「えいりん昼飯食べてないの?」
私の一言にえいりんはちょっとムッとする。
「1500mの予選が10時40分からで、決勝が14時からだったんだよ。アップの時間とか消化時間を考えたら、その間に食べるのはきついでしょ!」
言われてみるともっともだ。
食後すぐに走るのは非常にきつい。
だから通常は食べてから2~3時間後に走り出すのが常識とされている。
私も中学生の時にそう教わった。
試合の時のアップがレース開始1時間前から。
走り終わったらダウンもしなければならない。
個人差もあるがこれが30分くらい。
つまり、10時40分から1500mを走り、ダウンを行うと、もう11時30分近くになる。
そこから食事をとると、アップに間に合わなくなってしまう。
「まあ、カロリーゼリーぐらいは食べたけど。よし、さわのん。ご飯食べに行こう。せっかくだから熊本名物を食べさせてあげる」
よく考えると、昨年も今年も、姉とファミレスで御飯を食べたので、名物を何も食べていないことに気付く。
時計を見ると17時になったところだった。
少し早いが晩御飯と言うことでよいだろう。
カッパのいた本屋から、歩くこと10分。
それだけ歩いてもまだアーケードの中にいた。
なんとも長いアーケードだ。
途中、路面電車の通る道路を渡る。
どこかで見たことがあると思ったら、昨年初めて熊本に来た時に降りた路面電車の駅がある場所だった。
「さぁ、ここだよ」
えいりんに案内された場所は、どう見てもただのお土産屋さんだった。
一瞬戸惑う私を置いてえいりんは奥に入って行く。
仕方なくそれに続くと、奥には小さなテーブルが5つ程並んだ場所があった。
その一つに私達は座る。
お店の人が水を持って来ると同時にえいりんは、美味しいから食べてみてよと、2人分の料理を注文する。
料理名を聞いて一瞬ビックリしたが、そう言えば熊本の名物だったことを思い出す。
待ち時間もさほど無く、私達の前に料理が並ぶ。
「私、馬刺しは初めて」
そう。熊本名物と言えば馬肉だ。
ただ、山口県にいるとなかなか食べる機会もなく、まさにこれが初体験だった。
馬肉は予想以上に柔らかく、思ってたほど臭みも無く食べやすかった。
なにより美味しい。
えいりんはせっかくだからと、高菜チャーハン、からしれんこん、だご汁、太平燕を追加で1人前たのむ。それらを2人で分け合って食べる。
「まさか、ここまで熊本名物を堪能出来るなんて思わなかった。えいりんのおかげだよ。うちの姉なんて、今年もファミレスだったし。それに馬刺しなんて見る機会もそんなにないもんね」
しっかりと食べ、お腹いっぱいなり私は大満足だった。
だご汁と太平燕は見るのも初めてだったが、食べてみるとまた食べたいと思えるくらい美味しかった。
「まぁ、熊本ではスーパーに馬肉コーナーがあるくらいメジャーな食べ物なんだけどね」
甘い物は別腹だからと、さらに追加注文したいきなり団子を頬張り、えいりんが驚きの発言をする。
「それは嘘でしょ」
私もいきなり団子を頬張りながら疑いの返事をする。
あ、この団子、イモとあんこが入ってる。
「いやいや、ほんとだって。そうだ、お姉さんに聞いてみなよ。私も熊本に来た時にビックリしたもん」
えいりんに言われ、姉にメールを打つとすぐに返事が返っていた。
どうも偶然スーパーにいたらしく、証拠の写真まで添付してあった。
同じ日本でも、ここまで違うものかと私は素直に驚いてしまった。
差出人:澤野聖香
題名:昨日は
本文:色々とありがとう。すごく楽しかった。えいりんの走りをみたら今まで以上にやる気がでたよ。いつか直接対決をした時に負けないよう、私もしっかり練習しとくね。ちなみに今、帰りの新幹線の中。いきなり団子が美味しかったから、お土産に買ってみた。
差出人:市島瑛理
題名:私だって
本文:負けないように頑張るよ。後、お互い勉強も頑張ろうね。同じ大学に通えたらきっと楽しいよ。ちなみに私は熊本から実家に帰る時はいきなり団子を。実家から熊本へは外郎を買って帰るよ。
差出人:澤野聖香
題名:ういろう良いよね
本文:私もういろう大好きだよ。そう言えば私、ういろうを漢字で「外郎」って書くって、小5まで知らなかったっけ