38区 永野綾子についての物語 その4
「やっぱり、上には上がいる」
ゴールシーンでDVDを一時停止して、久美子先輩がため息交じりに言う。
「いや、久美子。それはせめて一度でも日本一になってから言うセリフじゃないかしら」
そんな久美子先輩に葵先輩は冷静にツッコミを入れる。
「いやぁ、でもすごく感動したかもぉ。わたしもあんな風に走れるようになりたいんだよぉ」
「だね。あたしも思った。明日からの練習に俄然やる気が出た」
紗耶と麻子は、高校3年時の永野先生の走りを見てやる気を出していた。
その2人の発言に葵先輩と久美子先輩も頷く。
でも、私はちょっと別の感情を抱いていた。
確かに永野先生の走りはすごかった。
目標にしたいと言うのは、他の部員と何ら変わりはない。
ただ、みんなは当時の永野先生に対しての憧れを口にしていた。
私が思ったのは、当時あんな走りをして、実業団に入り、その後教員となって、今私達に指導してくれている永野綾子と言う人物に対しての憧れだった。
私もあんな走りがしたい。
それだけではなく、その経験を生かして私も永野先生のように指導者になってみたいと感じていた。
それこそ、同じ高校教師として、都大路を目指して。
定期テストの時、晴美に言われた。
将来の目標があれば、勉強も頑張れるのではと……。
あの言葉が今は正しいと理解できる。
永野先生のようになるためには勉強も必要だ。
よし、少しずつで良いから頑張ろう。
心の中でそう決心したその時だった。
「いた。お前らいったいこんな所でなにしてんだよ。部室に行っても誰もいないし、校内放送で呼んでも職員室に来ない。さらには大和や恵那の携帯に電話しても出ないし。学校にいる生徒に聞きまくって、やっと見つけたぞ」
美術準備室のドアを勢いよく開けて永野先生が入って来た。
今、永野先生のようになりたいと思った矢先に本人の登場である。
私は恥ずかしくて顔が真っ赤になってしまい、ばれないようにそっと顔を下に向けてしまった。
「ごめんね。お父さんに頼まれてたんだ。綾子お姉ちゃんが高校3年生の時の駅伝のDVDを渡すようにって。みんなが見たいっていうから見てた。綾子お姉ちゃんかっこよかった」
その一言に永野先生が「えっ!」と驚きの声を上げる。
「うちら、ほんとうに感動したんですよ。もう、明日からの部活もやる気十分です」
「はい。都大路目指して、明日から死ぬ気で頑張ります」
葵先輩と麻子が目を輝かせながら永野先生に訴える。
でも、当の本人はすごく気まずそうだった。
「いや、あれは……。ほら、ああ言う場面になったら誰だってそうなるだろ。しかも、あのタイミングじゃ仕方ないと言うか」
「何言ってるんですか、永野先生。やろうと思っても出来ませんよぉ。あんなこと」
紗耶が椅子から立ち上がり、両手で拳を作りながら永野先生にグッと迫る。
「いや、ほんと。それ以上は辞めてくれ。正直忘れたい過去なんだ」
永野先生が困った顔をする。
「微妙に話がかみ合ってない」
久美子先輩が、不思議そうに首を傾げる。
「いや、だからあのインタビューは無かったことにしたいんだよ。私は」
お願いだから、分かってくれよ。
と言いたそうに永野先生は大声で言う。
「インタビュー?」
みんなが一斉に不思議そうな顔をする。
その行動に永野先生も何か気付いたらしい。
「ちょっと待て。お前らなんの話をしてるんだ」
「いえ、ですから……トップと55秒差から大逆転した綾子先生の走りに感動してやる気が出たって話ですよ。てか、インタビューって?」
「え……いや、なんでもないぞ」
あきらかに永野先生は動揺していた。
世間ではこう言う場面を何と言うのだろうか。墓穴を掘る?
と、突然DVDが再生を始める。
どうやら晴美が操作したようだ。
手にはしっかりとリモコンが握られていた。
「それでは、5区で見事な区間新。優勝のゴールテープを切った永野綾子さんにインタビューです。おめでとうございます。タスキを貰った時に、何を思ってスタートされましたか?」
「はい。タスキを……受け取った……時は……」
喋り出すと同時に泣き出す、当時高校3年生の永野先生。
まぁ、ここまでは誰にだってあるだろう。
私だって同じ場面に立たされたら泣く自信がある。
が、ここからがすごかった。
なんと、永野先生はその場で本気で泣き出してしまった。
泣きながら喋るのではなく、ただひたすらに泣いていた。
それも、小さな子供が泣いているような感じでわんわんと……。
これにはさすがのアナウンサーも、困り気味になっている。
見るに見かねた監督が合図をすると、永野先生の隣にいた部員が永野先生を壇上からそっと降ろす。
「まさに言葉に出来ない思いと言ったところなのでしょうね。それでは、阿部監督、改めて優勝の思いをお聞かせください」
アナウンサーの見事なフォローでどうにか、上手くまとまった感じだ。
「意外に綾子先生って涙もろいんですね」
「いや、さすがにこれはどうかと……」
葵先輩がフォローするも麻子が手厳しい一言を言う。
言われた永野先生は、顔を真っ赤にしていた。




