101区 今年も……私、泳げませんが何か?
今年の合宿は昨年と違い、質より量をメインとしていた。
そもそも期間が昨年の2倍もある。
質を求めた昨年は相当きつかった。
今年は質に関してはそこまできつくないので、昨年よりは元気だろうと思っていたが甘かった。
これはこれでとんでも無くきつい。
さすが永野先生だ。
しっかりとポイントを押さえてる。
「はいはい。みんな、なに寝てるのかな。御飯が出来たよ。毎日、毎日寝てちゃダメかな。今日はまだ合宿4日目だよ」
晩御飯が出来たのだろう。
今日も晴美が元気よく部屋にやって来る。
もちろん、晴美にはすごく感謝している。
私達のタイムを毎日取り、給水の準備をして、洗濯や掃除もやってくれたうえに御飯まで作ってくれる。
それでも、晴美に言いたいことがあった。
ひとつは、もう少しこのままにさせて欲しいと言うこと。
もうひとつは、もはやこれは寝ているんじゃない。倒れてるのだ。
晩御飯を食べた後は昨年同様、勉強タイムが設けられれいた。
不思議なのは永野先生も同じ部屋でノートパソコンを片手に、なにやら悩んでいるいることだ。
「あのぉ、永野先生は何をしてるんですかぁ? 大人なんだから勉強することもないですよねぇ」
「甘いな藤木。そうやって、決められたことをやるだけの勉強がいかに楽か、身に染みて分かるくらい、大人になっても勉強しないといけないことはあるぞ」
「えぇっ? だったらわたしはずっと今のままでも良いんだよぉ」
未来への希望を失ったのか、紗耶が大人になることに拒否反応を示す。
「紗耶? つまりあなたは一生駅伝部の合宿で良いってことかしら?」
葵先輩が、不思議そうに尋ねると、紗耶が全力で首を振る。
それを見て、みんな大笑いをする。
そのせいで、私はそれでも良いと言いかけた口を閉じるのだった。
合宿5日目。私にとって最大の地獄がやって来た。
昨年、味をしめたのか、今年もきっちりプールの時間があるのだ。
昨年は1人でプールサイドに座っていた。
途中から水の中には入ったものの、ほとんどアイシング代わり。
でも、今年は違う。
プールサイドには2人いる。私と紘子だ。
「陸上の合宿でプールとか意味が分かりませんし」
紘子は今までに見たことがないくらい不機嫌そうだった。
一応、私も紘子も水着に着替えてはいるが、プールサイドに座り、膝から下のみを水に浸けているだけなので、あまり水着は関係なかったりもする。
「まさか、紘子まで泳げないとは……」
「仕方ないですし。自分の体は走る専用ですし」
紘子は随分と拗ねた声を出す。
「まぁ、でも紘子がいてくれて良かった。昨年なんて私1人で暇だったもの」
「べ…べつに聖香さんのためじゃないですし」
急に慌てふためき、顔を真っ赤にする紘子に私は手で水を掛ける。
「何するんですか。冷たいですし」
「いや、なぜか紘子の顔が真っ赤だったから冷ましてあげようと思って」
「赤くなってませんし。照れてなんかいませんから」
ムキになって今度は紘子が私に水を掛けて来る。
なぜだか思いのほか楽しくて、2人でしばらく水の掛け合いをしていた。
「そこのバカップル2人は中に入って来ないのかな」
ふと気づくと、晴美と朋恵が私達のすぐ目の前に来ていた。
私達がプールサイドに座り、晴美達はプールの中なので、ちょうど見上げられる感じになっていた。
そのせいなのだろうか、晴美の顔はものすごく不機嫌そうに見える。
「なんだか……お似合いのカップルみたいだよ。ひろこちゃん」
朋恵が満面の笑みで私達を見て来る。
「いやいや、別にそんなんじゃないから。ねぇ、紘子?」
賛同を求め横を向くと、さっき以上に顔を真っ赤にし、今にも沸騰しそうな勢いの紘子がいた。
「紘子……」
私が呼ぶと、ハッとこっちを見て、滑り落ちるように紘子はプールに入ってしまう。
一体どうしたのだろうか? 晴美はそんな紘子と私を見て、ニヤニヤしていた。
その後も必死でメニューを消化して行き、早いもので気が付けば、合宿も7日目が過ぎようとしていた。
7日目の夕方、私達と別メニューをこなしている朋恵が1人で部屋に戻って来る。
「本気で暑いです。海に行きたいし、スイカも食べた〜い!」
独り言を大声で叫びながら、朋恵が勢いよくTシャツを脱ぎ床に叩きつける。
その姿に、誰もがあっけにとられた。
普段、大人しいを通り越して、少し消極的な朋恵が、こんなにも大声で叫んだうえに、シャツを叩きつけるとは。
「ともちゃんが壊れたんだよぉ!」
「ちょっと、朋恵? あなたどうしたのよ?」
「あら、朋恵。ずいぶんと可愛いブラをつけてるのね」
いつもとは全く違う態度の朋恵を見てうろたえる紗耶と麻子。
逆にまったく動じることことなくブラを褒める葵先輩。
葵先輩はなんとも余裕だ。
正直私も朋恵の変わりように戸惑いを隠せないのだが。
「まぁ、朋恵の気持ちも分かりますし。毎日毎日1人でひたすら走り込んでいたら、自分だって絶対に嫌になりますし」
紘子が床に叩き付けられた朋恵のTシャツを拾いながら少しだけ苦笑いをする。
「違うよ、ひろこちゃん! 1人で走るのは別にかまわないんだよ! 問題は、お日様が私の魅力に負けて顔を真っ赤にしてるから、いつも以上に暑いってことなんだよ! いや、もちろん私が悪いのは分かってるよ。私って可愛いから! ここまで可愛いと罪かなって思ったりもするんだよ。それでもね、暑いのは嫌だからお日様には私の可愛さに負けずに頑張って欲しいんだよ」
朋恵はまるでアイドルのように決めポーズを取りながら、普段は絶対に出さないような可愛らしい声を出す。
朋恵のあまりの変貌ぶりに、駅伝部の誰もがあっけに取られる。
「朋恵ちゃん、具合でも悪いのかな」
「こう言う時は、右斜め45度の角度から叩くと直るって相場が決まってるんだよぉ」
「いや、もうここまで来たら朋恵も買い替えでしょ?」
多分、朋恵の豹変ぶりに気を取られ過ぎで、紗耶も麻子も自分が何を言っているのか分かってないのだろう。
「まったく。あなた達は何を言ってるの。家電製品じゃあるまいし。ただ単に、走り過ぎでテンションがおかしくなっただけでしょ……。こう言う時にはね、良い方法があるのよ。うちに任せて。朋恵、おいで」
葵先輩は朋恵の返答を待つことなく、上半身ブラ一枚の朋恵を連れて、私達全員がいる部屋を出て行く。
それから10分後。
「あの……。私、もうお嫁に行けません……。あんな……あんなことされるなんて……。大和さん怖すぎます」
朋恵は元に戻ったらしく、いつもの喋り方に戻っていた。
ただ、いつもの大人しいと言うか消極的な感じではなく、何かに怯えているような感じになっているのは気のせいだろうか。
さらに言うなら、朋恵の後から部屋に入って来た葵先輩が、妙にニコニコしてるのも気になるのだが。
何があったのか聞こうとすると、私の肩を誰かが叩く。
振り返ると久美子先輩だった。
「聞かない方が身のため。それに那須川さんのためでもある。まったく葵は……」
久美子先輩の言葉には妙に説得力があり、私も素直に「はい」と頷いてしまった。