第2話
「他の人は?」
既に作業を始めている彼女の後ろ姿に尋ねた。最上 花はその長い髪を後ろで一つに束ねていた。
美化委員であるため彼らは運動着に着替え、校舎の正面に位置する花壇にいた。
「ここの草むしりだけだからあたしたちだけなんだって。」
そうなんだと呟き彼女の隣に座り草をむしる。座る瞬間ビクッと驚いたみたいだが気にせず草をむしり、ポツリポツリと尋ねてきた。
「何で、あいつなの?」
花の言ってることが分からず、え?としか答えられず、彼女は「百草」とだけつけ足した。
「あいつ、約束なんて守る気無いよ。」
先程の答えも聞かず淡々と話し淡々とむしるものの百草の話になると明らかに手に力はこめられはじめた。その証拠に雑草の根まで抜けず葉ばかりがむしられていた。
「ビデオ撮られたでしょ?」
ビデオと彼女の口から出た瞬間、心臓が止まりそうになり、それでも「何で?」と聞こうとしたが言葉は出てこない。代わりに空気が漏れてくるだけ。
まだジリジリと暑い太陽光とは別の、ひやりとした汗が背中を滴り、口元が渇いていくのが分かる。
「見せつけられたよ。あいつが『見て』って『羨ましいでしょ』って。自慢してた。」
ただただ何でと疑問しか浮かばなかった。誰にも見せないって約束したのに。誰にも言わないって約束したのに。
「記念に撮っておかないと。」
そう言って性行為も撮られた。その時も、「一回だけさせてくれたら諦めるから」なんて言って、行為が終われば、「別れるんだから、みんなに見せて自慢して良いよね」なんて脅迫してくる。
キスの時も同じだったんだから、注意すれば分かることだし策だって練れた。だのに彼女の言葉を鵜呑みにしてしまって、結局は深みに陥り永遠に抜け出せなくなる。
キスだって性行為だって恥じることではない。でも、彼は、彼の環境はそうでは無かった。簡単に言えば昔ながらのお堅い人間といった具合で、好きでもないのに付き合いましてや肉体関係を持つなんて不純だと思っていたが、彼の人間性と反発して不協和音を響かせる。彼女のあの甘い響きが思考を黙らせ人間性を煽り判断を鈍らせた。
「一度だけ。」そう、一回すれば彼女は満足して別れてくれるんだと。思っていたのに……。
「ナオ君。私も手伝うよ。」
メールで遅くなる由を伝えたがそれでも、手伝いに行くねと返信してきた。
「遅くなってゴメンね。クラスメイトに数学教えててさ。ちゃっちゃと終わらせてさ、早く帰ろうよ。ね?」
そういうと、彼の耳元で「今日もね」と囁く。何がとは聞かなかった。百草の赤みがかった顔を見れば言わんとしてることが判ってしまった。
「あっちの草抜こうよ。」
こっちは花ちゃんに任せてさ、そう言いながら手を引っ張り向こう側に行こうとすると反対側の手が掴まれた。
「二人で足りてるから。」
百草は振り返らず尚も引っ張る力を緩めない。「手伝った方が早く終わるよ」彼女の声はいつにも増して低く、そしてどこまでも冷酷だった。
「他の委員が手伝うと後々面倒なの。」
「じゃあ、ナオ君以外の人使ってよ。ナオ君忙しいだからさ。」
「忙しい?どうせ、百草の家にでも行ってするんでしょ。あのビデオみたいに。」
ふと、二人の力は緩み、覗き込むように彼女を見るとばつの悪い顔をしていて、少し震えてもいるようで「言わないって約束したじゃん。」と力弱く言った。 顎から汗が滴り落ちる。
「やっぱり見せたんだ。」
直人は聞こえるか聞こえないか分からない声量で呟いた。
「違うの!花ちゃんなら大丈夫だと思って。」
彼に釈明する百草は余りに滑稽で暗くなる直人の顔とは対称に興奮して赤くなり、涙目になる彼女の顔。そうして理解して貰えないと思うや否やあの言葉が出始める。
「ごめんなさい。もう誰にも見せないから。もう一回だけ付き合い直そう。もう一度だけ。許して下さい。……もう一度だけ、一度だけ。」
彼女の奇行とも呼べる行動は日増しに酷くなり私生活にも影響をきたすようになった。友達は誰も近寄らなくなり話し掛けられることも極端に少なくなる。休まる時間も無いに等しい。それもこれも全て百草が関わっていた。
頼んでもいないのに弁当を作ってみたり、一緒に登下校してみたり、話し掛けてみたりとどれもこれも直人に好かれたくて、やり直したく必死に良い女を演じていた。功を奏したのか責任は直人にあると皆がそう思い、彼を軽蔑視する者や彼女は健気で優しい彼氏想いだと信じて疑わない。
誰もあの約束を知らないとなると彼女は花以外には話していないのだろう。今更約束を守ったところで直人が戻ってくるはずもないのに…。
家に戻ると必ず彼女は居て、家事をこなしている。合鍵を返すように要求したのだが頑として受け入れず癇癪を起こす次第で結局は返してもらえなかった。
どんなに拒否しようが次の日になればころっと忘れ、また繰り返されるアプローチにいい加減疲れてくるといっそのことまた付き合ったほうが良いのではないかと思うようになる。
「何したって変わらないよ。」
勝手に料理を始めた百草の後ろ姿に向かって、ようやく出た言葉は説得するようでも諭すようでもない。只の確認の為の言葉。
手を止め、百草は好きでやってることだからとはにかみをこちらに向けて言い、もう習慣みたいなもんだしと呟き再び手を動かした。
彼女は何も分かってないし学習すらしていない。彼女の理想の僕を延々と引きずり嫌な部分は照れ隠しと称して排除していくことで現実と理想との齟齬を解消していった。
しかしながら性交渉だけはしなかった。
それが別れる原因であるからかそこまで余裕が無かったのか、それを口にすら出すことなくひたすらに好かれる女に成りきっていた。