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episode9

 時が過ぎるのは、人が思う以上に早い。

 

 「これは、これは。ミーシャお嬢様ではございませんか! 貴方がパーティーにいるなんて珍しいこともあるものですね」


 その声にゆっくりと顔を上げた。

 壁の花となる私に話しかけてくるなんてどこの気狂いかと思ったら、いつぞやの奴隷商人だ。

 グラス片手にあの気持ち悪い笑みを貼り付けながら近寄ってくるそいつに思わず顔を顰める。

 

 「……ドルトン様」

 「いやいや、薄汚い奴隷商人に敬称など必要ありませんよ。ミーシャ・バストラス様」


 そう言うドルトンの目に、私に対する敬意などあったものじゃない。

 所詮は、服を着た豚だ。頭には金と女のことしかないに違いない。

 そんな内心を隠して、私は微笑む。


 「ご謙遜を。最近は随分と事業が上手くいっているとの噂ですよ。ドルトン様の商才には感服いたします」

 「いやはや、それも全てはバストラス家の力添えあってのことです。バストラス様ご一家には頭が上がりませんよ。……それにしても本当に珍しいですね。貴方がパーティーに出席しているなんて」


 心底不思議そうな顔で言われるとこちらも困ってしまう。

 一体私を何だと思っているのだろう。


 「私とて、父主催のパーティには顔ぐらい出します」

 「何を言いますか。昔は父君主催のパーティでも嫌がって出ておられなかったでしょうに……お嬢様も大人になったということですね。私と貴方が出会ってもう五年ほど、時の進みとは早いことです」

 「……えぇ、本当に」

 

 時の進みとは早いものだ。 


 五年。

 そうだ。あの日、私がスワンを捨ててから……もう五年もの月日が流れた。

 

 「あの時ご購入された奴隷、スワンといいましたかな? 何でも今じゃ騎士となり軍に所属しているそうですね。いや驚きました。人を見た目で判断するのは良くないといいますが、学の一つもなかった彼が騎士になるとは奇想天外でございます」

 「…………そう、ですね」


 確かに、その通りだろうな。


 スワンは騎士になった。

 それはもう一年も前のこと。三番目のお姉様の力添えもあり、四番目のお兄様と同じ軍に今は所属している。奴隷身分出身の騎士なんてかなり珍しいので、当時は随分と噂になったものだ。


 やはりそれなりに差別も受けたらしいが、全て実力で黙らせたと聞く。

 見目は美しくはないがその心の温かさに惹かれる女性も多く、奴隷身分なのに縁談話が持ち上がったりすることもあるそうだ。もちろん、バストラス家が後ろにいるという点も大きいだろうが、それでも類を見ない例である。


 まぁ、全ては聞いた話。

 真実は分からない。


 私はあの後、バストラスの家を出た。

 すぐにというわけではないが、次の誕生日に私は全寮制の学校に入れてもらえるようお父様にお願いしたのである。

 スワンと兄姉達をもう見たくないというのが大きな理由だったが、学校に興味があったのも事実だ。

 他の兄姉に悪いという足枷は、スワンとの一件で外れてしまった。 

 一つ気がかりだったのは家を出るまでスワンを避けることが出来るかどうかだったが、それも兄姉たちのおかげでそれほど難しいことではなかった。


 新しい奴隷を買ってもらうことも考えたが……何故かもういいやと思ってしまった。

  

 外の世界に出てみて、私は自分がどれほど狭い世界で暮らしていたのか知ることが出来た。

 今ならよく分かる、あの家がどれほど歪んでいたのか……


 もちろん、どこにでも優劣を付けたがる人はいるし、自分が下に見られることは変わらなかったが、それでもあの家よりは歪んでなかっただろう。


 三年間学校に通い、卒業した後も私はバストラス家には帰らないでいる。

 学校でお世話になった教授の元で勉強を続けつつ、今は細々と働いている。


 だから、スワンにもお兄様にもお姉様にも……あの家を出て以来会っていない。

 お父様とお母様には時々会うが、あの人たちは放任主義だから別にどうこう言ったりしない。ただ、父主催のパーティーだけは家の名のためにも出ろというぐらいだ。

 最初は兄姉に会うのが嫌で断っていたが、一度出てみれば実際は避けるのが簡単であることが分かり、それ以降父主催のパーティーだけは出ている。

 一番会いたくないスワンは奴隷なので、元々パーティーに出ることが出来ないから会う心配はない。


 そんな感じで、私は今まで生きてきた中で一番穏やかな時間を過ごしていた。

 あの色々な感情がごちゃ混ぜになって、愛も憎いも分からないような日々がもう何十年も前のことのように思える。

 

 「まぁ、世間話もこの辺にして……。見たところ先ほどからずっとそこにいる様子。宜しければ一曲いかかですか」


 ドルトンはニヤリと気持ち悪い笑みを浮かべながら、手を差し出した。

 その手に視線を向けて、そういうことかと毒づく。


 どうせ、その顔で誰もダンスの相手をしてくれなかったから私のところに来たのだろう。

 私なら、引き受けてくれるとでも思ったのか、馬鹿らしい。


 「大変有難いお誘いですが、私はダンスが下手ですのでそのお高そうな靴を踏んづけてしまったらと思うと怖くてお受けできません。ドルトン様でしたら私のような女でなくても良いお相手が見つかりましょう。……少し人に酔いました。夜風にあたってきます。ごきげんようドルトン様」


 反論が出る前に言い切ると私はその場を翻した。

 そのまま人の波をすり抜けて、外に出る。


 熱気に包まれた会場と違い、外は風が冷たくて気持ちよかった。

 珍しく他に人はいないようだ。


 会場から、微かに音楽が聞こえてくる。

 ワルツかな……なんて思いながら、軽くステップを踏んだ。


 舞踏会でダンスに誘われた経験なんて一度もなかったけれど、貴族のたしなみとして踊ることは出来る。

 少しだけ飲んだお酒の効果もあってか、そのうち大胆になってきて、架空の相手と共にワルツを踊り始めた。


 別に、今もいつか王子様が現れるなんて考えてない。

 ただ今のまま何事もなく、穏やかな心でいることが出来ればそれでいい。


 私は平凡な幸せを手に入れたのだ。


 もうあんな日々には戻りたくない。

 ただそう願っていただけなのに……


 「覚えてますか?」


 突如聞こえてきた声に私は驚いて振り返る。

 先ほどまで誰もいなかったはずのそこに、一つの影があった。

 いつの間に……と思いながらその顔を見て私は目を見開く。

 

 「あっ……」


 何を言っていいか分からない。

 少しくすんだ金髪に、お父様に良く似た青の瞳。

 どうして? という言葉が脳裏を掠めた。


 「お姫様と騎士様の絵本。人目を盗んで踊る二人……俺が一番好きだったシーンです」


 青い軍服に身を包んだその人物は、あの時から随分と変わってしまったけれど、それでもどこか面影を残していて……。


 「スワン……」

 

 私は五年ぶりにその名を呼んだ。

  

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