episode8
いつからだったかなんて覚えてない。
気がついた時には、家族は私に冷たかった。
どうして? と聞きたくても聞く相手もいなくて、寂しいなんて言葉を受け取ってくれる人もいなかった。
でも、そのうちなんとなく分かってきた。
この家はどこか歪んでいて、誰もが行くあてのない様々な負の感情を抱えている。
その感情の捌け口がどこかに必要だったんだろう。
私はそれに選ばれた。
ただ、それだけのことだ。
理不尽だと思っていた。
思っていたけど、どこかで仕方がないことなのだと思っていた。
醜いから、仕方がない。
醜い者は虐げられて当然なんだ。
そう思って、生きてきた。
衣食住がある生活が出来ている。それだけでも私はとても幸せ。そう思っていた。
でも欲を言うなら、お姉様と一緒にお茶を飲んでみたかった。お兄様に本を読んでもらいたかった。お母様に頭を撫でてほしかった。お父様に抱きしめて欲しかった。
その願いがどんなに尊いものか、他の誰にも分かるはずがない。
その願いは奴隷が叶えて良いような安い願いじゃない。
安い願いじゃないのに……
「あら、ミーシャじゃない」
その声にハッとして顔を上げた。
視線の先には金髪に青の瞳、三番目のお姉様の姿がある。ここは廊下だけど、この階にお姉様の部屋はない。どうしてこの人がいるのだろうと思いながらも、軽く礼をした。
「おはようございます、お姉様」
「おはよう。……何だか随分と地味な格好ね。今日は貴方の奴隷の晴れ舞台だというのに」
「体調が、悪いので。行かないつもりです」
今日がスワンの言っていた町で行われる大会の日だった。
でも、行く気なんてさらさらしない。こんな気持ちのまま行けるはずがなかった。
普段通りの地味な服装の私と違い、本日のお姉様の格好は豪勢だ。
真っ赤なマーメイドドレス。大きく開いた胸元と、結い上げられた髪。真っ赤な唇が妖美な雰囲気を際立たせている。
ただ少しやりすぎではないかと思った。三番目のお姉様は派手好きだが実際は良くも悪くも普通な人だ……。
「ふーん、そうなんだ」
お姉様は手入れの行き届いたお嬢様らしい綺麗な手を唇に当てて、ますます笑みを深くする。
なんだろう、嫌な予感。
「なんだかスワンと貴方。最近一緒にいることが減ったわね」
赤い唇が何てことはないようにそう言った。
一体誰のせいで!
「……そう見えますか。そんなつもりはないんですけど」
「えぇ、見えるわ。だって最近スワンはずっと私達といるもの。朝起きたら一緒に勉強して、お茶をして、本を読んで、夜は剣の稽古……スワンは本当にいい子よね。あの子といると人は見た目じゃないって言葉を痛感するわ」
「そう、ですか」
何それ。
人は見た目じゃない?
お姉様が、貴方達がソレを言うの?
「素直だし純粋だし、でも人の心がちゃんと分かってるの。頭もいいわ。運動神経もいい。元々奴隷身分であるから本当に騎士になるのは難しいけど……でも私達もサポートするつもりよ。あの子ならきっと立派な騎士になれる」
次から次へと溢れてくるスワンへの褒め言葉。
吐き気がする。
可笑しくないですか、お姉様。
だって、私が醜いから、私はこの家で一番下だったはずなのに。
私が醜いから、優しくしてくれなかったはずなのに。
人は見た目じゃないだって?
見た目で全てを判断していたのはお前達じゃないか!
「ねぇ、貴方もそう思わない?」
笑うお姉様。でもその笑顔は所詮嘲笑でしかない。
でもスワンには違う笑みを見せている。
顔が醜くても、心が綺麗なら、許されるなんてそんなの認めない。
そんなの理不尽だ。だって私がこんな性格になったのは全部貴方達のせいなんだから!
「どうして……どうしてスワンばっかり……!」
口から出たのはそんな言葉だった。
瞬間、お姉様の顔が歪む。
「あら、嫌だ。嫉妬? 醜いわねぇ」
嫉妬?
そうだこれは嫉妬だ。私はスワンに嫉妬している。
そして憎い。何が悪いの? スワンは私がほしいものを簡単に手に入れてしまったんだ。
嫉妬したらいけないとでも? 憎んだらいけないとでも?
それこそ、道理に合わない。
「私は!」
「ねぇ、ミーシャ」
私の言葉をお姉様の落ち着いた声が止めた。
昔からの習性か、つい黙り込んでしまう。
「私、最近思うのよ」
「……何を、ですか」
「スワンは貴方の元にいるよりも、私の元にいるほうがいいんじゃないかって」
「……え?」
どういうことだろう。
スワンが、私じゃなくて、お姉様の元に行く。それはつまり……。
「私にスワンをくれない?」
お姉様の声がやけに遠く聞こえた。
「スワンを……ですか」
「えぇ。スワンが騎士を目指すなら、私の……バストラス家の第三子にして長女であるこの私の後ろ盾は大きいわ。十二番目の貴方じゃ、あまりにも無力すぎる。それに貴方だって最近はスワンを邪険にしているようだし……いい提案だと思うのだけど」
スワンがいなくなる。
突然の言葉に私の頭は混乱した。
私を初めて褒めてくれたスワンが、私に初めて好意を寄せてくれたスワンが、いなくなる。
「ミーシャ様、すごい」と言われて、嬉しかったのも事実だ。一緒にいて、幸せを感じていたのも事実だ。でも、スワンが憎いのも、また事実なんだ。
この心は、スワンへの好きとスワンへの憎いでごちゃまぜになっている。
「お兄様や、他の弟や妹達もそれに賛成しているのよ。皆スワンをとても気に入っていてね。あの子が騎士になる夢を応援しているの。そのためには私の元にいた方が良いって、皆思っているわ。お父様達には私から言っておくし、後は貴方が頷くだけ。それで全てが上手くいくわ」
私が頷けば、スワンはいなくなる。
スワンなんて、もういらないじゃない。
心のどこかでそんな声が聞こえた。
だってスワンは元々私が虐げるために買った奴隷だ。
でも今のスワンは、私が虐げるどころか、愛され、大事にされ、私よりも上の立場にいる。
私達の立場はいつの間にか逆転していたんだ。
だったらスワンに必要意義はもうない。お姉様にあげてしまっても、何の問題もない。
来年の誕生日にまたお父様にお願いすればいい。奴隷が欲しいです、と。
今度はもっとちゃんと考えて、本当に見下さるような存在を見つければいい。
ほら、スワンを捨てる理由はたくさんある。
でも、スワンを捨てない理由なんて、どこにもない。
しいて言えば、この心に未だに残るスワンを可愛いと思ってしまう気持ちぐらい。
でもそんな感情はいつか時が消してしまうようなものだ。
それにスワンだって、私といるよりもお姉様といるほうが、幸せになれる。
あぁ、なんだ。答えなんて最初から決まってるじゃないか。
「分かりました」
そう言った声は自分で思ったよりも、淡々としていた。
「スワンを、お姉様に差し上げます」
瞬間、何か大きなものが落ちる、鈍い音が後ろから響いた。
驚いて振り返ると、そこにはスワンとお兄様、お姉様の姿がある。スワンの足元には、その体には不釣合いなほど大きな剣が落ちていた。
こちらを見ているお兄様とお姉様は何を考えているのか分からない。でもスワンの目は大きく見開かれて信じられないとでもいっているようだった。
「スワン! 準備は出来たの?」
ぼんやり見詰め合っていると、後ろからそんな声がしてお姉様がスワンへと駆け寄った。
お姉様が優しくスワンを抱きしめるが、スワンはただただこちらを見ている。
何か言おうとして、でも言葉は出てこない。そんな感じだ。
嫌だな。
何だか私が悪者みたい。
別にいいじゃないか。
貴方の周りはそんなにも人で溢れている。
よかったね、スワン。
これで立派な騎士になれるよ。素敵なお姫様が見つかるといいね。
私は微笑んだ。
自分に出来る最高の笑顔で。
「さよなら、スワン」