episode3
「はじめまして」
購入の契約を終えた私はさっそく、その醜い奴隷の子をを迎えに行った。
しかし、どうしたことだろう。男の子は俯いたまま、返事をしない。それどころか動きもしない。
もしかして死んでるのかな?
そう思ってその顔を下から覗き込んだ私は驚きでそのまま固まってしまった。
これは、酷い。
想像以上の醜さというか、悲惨さだ。
顔中が膨れ上がり目がどこにあるのかすら分からない常態。
痣は古いものから新しいものまで様々で、首にはうっすらと指の跡が残っている。
乾燥しきったその唇から小さく息をする音が聞こえてくることに安心した。
生きてはいるようだ。
「ミーシャお嬢様、どうかされましたか?」
「……なんでもありません」
上辺だけでも心配するなら近づいてくればいいのに。私はドルトンの言葉に振り向かず、声だけで素っ気なく返した。
どうせ、あの高そうな服が汚れるのが嫌なのだろう。似合ってもいないそんな服を着るぐらいなら裸の方がましなんじゃないかと思う。
あぁ、でも。そしたら余計豚に見えちゃうか。
一人クスクスと笑いながら、ドルトンから預かった鍵で男の子の鎖を解いてあげた。
しかし、鎖を解いてあげても男の子は全く反応を見せない。
ブランと両手を地面に投げ出し、座り込んだまま。
うーん。これでは連れて帰れない。私じゃさすがに持ち上げられないだろうし、お父様には頼めないし……ドルトンに頼む? うんん、絶対やらなそう。
「ねぇ、聞こえてる?」
もう一度声をかけてみるが、反応を示さない。
もしかして寝てるのだろうか?
今度はそう思って肩を揺すってみることにした。
しかし……。
「わっ!」
私の手が彼の肩に触れる直前、私の手が思い切りよく弾き飛ばされる。
「ミーシャお嬢様っ!?」
「ミーシャ!」
私の叫びに反応したお父様やドルトンの声が聞こえた。別に殴られるのなんて慣れているからこのぐらいなんてことはないのだけれども、これは不意打ちだ。
びっくりして男の子を見ると、私の手の方に顔を向けてブルブルと体が震えているのが分かる。
私は自分の手を見て、男の子を見て、少し考えた。
そしてあぁ、そういうことかと納得する。
「別に私は殴ったりなんかしないよ?」
ちょこんと首を傾げながら言ってみた。
見た感じ彼はけっこう酷い状況下にいたようだ。殴られた跡が多いことからきっと人に殴られることに恐怖心を抱いているのだろう。
六番目のお兄様が昔似たような感じだったのを思い出す。
彼はきっと私が触れようとした手を殴るための手と勘違いしたのだ。
そう思って言った言葉だったのだけれども、彼の態度は変わらない。
違ったかな?
でも、それ以外に理由なんて考えられないし。
「……もしかして、言葉、分からないの?」
尋ねてみても、彼は答えてくれない。
ただ震えている。
「ミーシャ! 大丈夫なのか?」
「あっ、はい。大丈夫です、お父様。すぐに行きます」
首だけ振り向いてそう言った後、私はそっと男の子に手を差し伸べてみた。
男の子は私の手を見た、ような気がする。
「平気だよ。大丈夫。殴らないよ。怖くない、怖くないから」
ドルトンはこの子はろくにしゃべれないと言っていた。
でも簡単な単語ぐらいは分かるだろう。
私のその考えは正しかったらしく、視線が手から私に戻る。
「なっ、殴る?」
乾いたその唇から発せられた声はとても小さく掠れていた。
女の子みたいに高い声だ。まぁ私と同じぐらいの歳のようだし、そんなものかな?
「私殴らないよ」
「……殴る、イヤ」
どうも話が噛み合わない。
殴らないの意味が分からないのかもしれない。それならもっと簡単に言わなくちゃ。
そう思って、少し頭を捻る。
「えーと……殴る、違うよ」
「違う?」
「そう、違う」
言い方を変えてみると、男の子が反応した。
違うの意味は分かるらしい。
「殴る違う。怖い違う。安心、分かる?」
「……分かる」
「じゃあ行こう。えっと。私、家、一緒、来る……分かる?」
今度は少し戸惑っているみたい。
私の顔を見て、手を見て、もじもじとしている。
震えは、止まったみたいだ。
「怖い違うよ。家、温かい。私、一緒」
しばらく待ってみた。
すると、その手がおずおずと私に伸びてくる。
汚い手。
私のお嬢様の手としては相応しくない乾燥した手が最上級に美しいお姫様の手に見えてくる。
乾燥した土と、痣と、切り傷。爪の色も紫だ。
そんな手が、私の手にそっと重なる。
「冷たいね」
ずっと外にいたからか、氷みたいに冷たいその手を握り締めてあげた。
ビクリと男の子が反応するけど、暫くすると落ち着いたようで軽く握り返してくる。
「私、ミーシャ」
「ミ、シャ?」
「ミーシャよ。ミーシャ」
「……ミーシャ」
「そう、ミーシャ。私の名前」
立ち上がり軽く男の子を引っ張りあげる。
その軽さに少なからず驚いた。私よりも軽いかもしれない。
骨と皮しかないんじゃないかと思うほど骨ばった体。
足なんて、今にも折れてしまいそう。立ち上がっても、バランスが上手く取れずフラフラしている。
可哀想な子だ。
「大丈夫だよ。これからは私が守ってあげるからね」
私は微笑んだ。
男の子はよく意味は分からなかったようだけど、私の手を強く握り締める。
「ほら、行こう」
優しく言って手を引いてあげれば、私の後ろをついてくる男の子。
なんだかペットみたいで可愛いな。
足取りは軽い。
お父様は男の子を見て顔を歪めたけど、まぁいいや。
哀れな子に優しくする自分がなんだかとっても心地よかった。