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黄昏の昼休み

 暑くも無く寒くも無く、とても過ごしやすい秋の朝だった。暴力女も現れず静かで平穏な朝だった。一時間目に行われた英語の小テストの手ごたえは完璧だった。


 全てが良い状態であるのに、朝からずっと気分が悪かった。胸糞が全身に広がってあらゆる毛穴から噴出してきそうな嘔吐感が俺をさらにメランコリックにさせる。

 不定愁訴の原因は分かっている。分かっているのだが認めたくない。いくつもの複雑な問題が絡み合って蜘蛛の糸に捕らえられた羽虫のようになっている。今の俺では巨大迷路の出口を見つけられない子供を笑う資格すらない。


 昼休み前の四時間目、溜息をつきながら黒板を見ると数学の教師が呪文をかけている。1/3が睡眠学習中で、1/3が読書中(漫画)、1/3が自習中という必要性を問いたくなる授業を俺は聞き流す。時折、教師の癖に教科書につまづきながら、あー。とか、うー。とか言っているのを見るとさらに気持ちは沈んでいく。


 誰かに相談したかった。

 しかし、何て相談すればよいのか、とてもじゃないが頭に浮かんでこない。

「いやー、よく分からないんだけど、高校生バトルってのに巻き込まれて大変なんだよ。バトルって言っても能力を使用するバトルで……」

 なーんて言ったら、穏健な友人なら、何それ、新しい漫画ネタ? とかフォローしてくれるだろうが、攻撃的な友人なら、馬鹿呼ばわりだ。クラス中に広められてシカトされかねない。

 残念なことに真剣に聞いてくれる親友も彼女もいない。というか、むしろ親友に近い人間の方が関係を壊しそうで話しづらい。とすると、俺が取るべき行動は一つしかない。


 眠たい授業の終了を告げる昼休みのチャイムと共に教室を出て三組に向かう。出入りの激しい教室の中に入り、目的の人を探す。すると、すぐに見つかった。探すほどの事も無かった。大泉智香はクラスの中心に存在していた。物理的にも人間関係的にも。

 智ちゃんを囲むように五人の女子が座っている。

 向かい合わせにした机の上に自分たちのお弁当を並べて、和やかな昼食を開始しようとしている。俺が行けば間違いなく場違いだ。食事を邪魔するのには勇気がだ。

 しかし、お昼休みは有限だ。時間の猶予がたっぷりとあるわけじゃない。一刻も早く話をしなければという気持ちが俺をつつく。拳をぎゅっと握り締め、教室の中心に向かって歩いていく。


 智ちゃんに近づくと、取り巻きたちが睨んできた。邪魔者はどっか行けと言わんばかりだ。でも、ここで引き下がるわけにはいかない。俺は一歩前にでる。


「あっ、一条君、どうしたのですか?」

 智ちゃんは明るい声で話しかけてきた。少しだけ気が楽になったように感じた。この様子ならばすぐにでも話を聞いてもらえると思っていた。


「食事中に悪いけど、時間とってもらえないかな」

「ごめんなさい。無理です」

 即答で拒否られた。

 一瞬、状況が理解できなくなり呆然とする。

「相談したいことがあるんだけど」

「今から、みんなと食事をするところなんです」

 取り巻きたちの冷たい視線に晒されて逃げ出したくなった。だが、逃げ出すのはまっぴらゴメンだ。

「お願いします」

 机に頭がくっつきそうなほど腰を折り曲げてお願いをする。


 席を立つ音が聞こえた。呆れられたか? 席を外されてしまうのだろうか? それとも、誰かを呼ばれて追っ払われてしまうのだろうか? 恐れで胸が苦しくなってくる。

 時間が長く感じられる。俺はずっと頭を下げたままだ。智ちゃんに話を聞いてもらえるまで、動くことなど出来るはずない。


「止めてください。私が悪者に見えてしまうじゃないですか」

 言葉と共に頭に軽くポンポンと手を置かれた。

 頭をあげると智ちゃんは笑顔のままだった。

 取り巻きたちは、智ちゃんがいいっていうから黙認してあげるのよ。とでも文句を言いたそうな視線を投げかけてくる。

 とても気まずい空気を感じて気が滅入る中、一人だけニコニコしている娘がいた。

 殺気だった他の方も困りますが、あの、あなた、何か勘違いを期待していませんか? どちらにせよ皆さんの想像しているようなことと全然関係ありませんから。心の中で叫んでから、俺はベランダに向かって歩き出す智ちゃんについていく。


 ベランダに出ると涼しげな空気が体を包み込んだ。教室に残されていた熱気が薄らいで、少しずつ落ち着きを取り戻していく。


「どういうご用件でしょうか?」

 智ちゃんは手すりに両腕を持たれかけ、景色を見ながら訊いてきた。

「じ、自分はどうすればいいでしょうか?」

「それは、一条君が考えるべきことです」

 突き放されている。昨日のことが原因とは思わなかったが、距離を置かれていることだけは分かる。やはり、誰にも頼らずに自分自身で解決しなければいけない問題なのであろうか。

 俺は諦めるべきだという声に負けそうになるのを耐える。奥歯を必死に噛み締めて、胃がキリキリと痛み出すのを我慢する。


 その時、智ちゃんが俺のことを見ていることに気がついていなかった。

「でも、私に答えられることがあるならば答えますよ」

 俺は智ちゃんを見た。眼鏡の奥には優しい瞳があった。引き寄せられるように見つめていると、ちょっぴり涙が出てきそうになった。

「これからどうすればいいでしょうか?」

「敬語じゃなくて、いつもと同じ話し方でいいですよ。それと、どうするかは私には答えられません。意地悪とか突き放しているとかじゃありません。生き方はその個人個人が決めるものだと考えているだけなんです」

「ならば、高校生バトルって何か教えてくれる?」

「高校生バトル?」

「真里菜はそう呼んでたけど」

「首輪のことですね」

「そう。それ」

「私も良く分かりません。神様が創ったゲームか何かのような気がします」

「神様、ねぇ」

「そういう気持ちは分かります。真剣に考えるほど馬鹿馬鹿しいようにも思えます。ただ、首輪を生み出した存在は、首輪の大抵の願いを叶える能力、異次元空間を作り出したり、瀕死を治療する薬、言語翻訳などなど、少なくとも現代の地球人が創出できるレベルをはるかに超越しています。神様ではないとするほうが非合理的です。意外と主催者ははるかに高度な科学技術を持った宇宙人とかかもしれませんが、人間、現在の地球人の科学技術レベルを遥かに超越した存在でしたら神様とほぼ同義じゃありませんか? 神様と呼んでもあながち間違いとは言えません」

「だったら、何のためにこんなことが行われているのかな?」

「誰が勝利するかの賭けだったりするかもしれません」

「賭け?」

「そう。レクリエーションの一種です。きっと単なるゲームなのでしょう。我々人類が行っているところの闘牛や闘犬とかと同じレベルで」

「駒ってことか……」

「しかし、もし私たちが駒にされていたとしても恨む筋合いのことではありません。このゲームは現在のところかなり人道的です。何しろ相手を殺したら負けになってしまいますからね。生きている限りは、例の薬で完璧に治療されますし。それに、私たちは通常の現実世界ではありえないメリットを得られているのですから、バトルの謝礼としても十分です」


 それはそうだ。智ちゃんが言っていることは分かる。でも納得が行かない部分もある。

 今日の小テスト。

 勉強もしていないのにいい点数が取れるのはどういうことだろうか。そんなことが許されていいのだろうか。その気持ちを智ちゃんに尋ねてみる。


「嫌ならば辞退すればいいじゃないですか。真里菜ちゃんみたいに」

「真里菜はどうして俺に譲ったんだろう」

「それは私の口からは言えませんし言うべきことではありません。真里菜ちゃんに聞いてみればいいことだと思います。でも一つだけ覚えていてください。この戦いに参加したい人間は沢山いるだろうということに」

「どうして?」

「当然じゃないですか。この戦いが終了する頃には普通に考えたらありえないほどの能力が得られているはずですから。負けたらバトルに関する記憶は全て奪われますが、バトル能力以外の能力、身体能力や知能・知性は失われません。一条君の英語能力だって失われません。それだけの能力を得るためにはどれだけの勉強をする必要があるか。考えなくても理解できますよね」

「でも、なんかずるしたような気がするんだよね」

「そう思うのならば、そういう能力アップをしなければいい。それだけのことです」


 理路整然としている。智ちゃんの考えは一貫している。俺もここまで達観できればいいのだが。無理だろう。今までのメガゾンビ不幸な人生、流されてきてばかりだったし、迷ったり悩んだりフラフラしっぱなしだ。このバトルだって、気がついたら参加していただけで、さしたる目的も目標も何も無い。そう考えていると、ふと気になることが出てきた。


「智ちゃんはどうしてこのバトルに参加することにしたの?」

「世界の中で私がどこまで通用するのか。どのレベルまで到達することができるのか。自分の限界を知りたくなった。と言うのが本音ですね」


 はぁ。心の中で溜息をついた。考え方がそもそも俺とレベルが違っている。それなのにしかも、本音を語ってくれている。目先のことに囚われている自分が恥ずかしくなってくる。どうすればいいのだろうか。考えがまとまらない。しかし、一つだけ分かっていることがある。


「智ちゃん。俺を鍛えてもらっていいですか?」

「出来ません」


 即答されて落ち込む。

 そりゃそうだ。虫が良すぎる。

 だが、他に方法が無い。

 再び頭を下げる。


「頭を下げても出来ない物は出来ません」

 同じように否定されるがここで引くわけにもいかない。それに俺が出来ることなんて頭を下げ続けることくらい。

「なーんて。いいですよ」

「へっ?」

「へっ、じゃありませんよ。私の修行は厳しいですよ」

「ありがとう。智ちゃん」

 俺は嬉しさのあまり智ちゃんに抱きつこうとした。スケベとかエロとかそういう気持ちは無い。友人をハグするようなその程度の意味合い。一応は。


「愚か者!」


 へそ下あたりに正拳突きを食らった。胃液が喉を逆流してくる。ちょっとちょっと本気で撃たないでくれ。しゃれにならない。吐きそうになるのをひたすら耐える。良かった。昼飯食べてからじゃなくて。


「教室のみんなが見ています。気をつけてください。勘違いされちゃうじゃないですか。それに、この程度の軽いパンチを痛がるフリは止めてください。演技が入りすぎてます」

「……」

「それじゃ、戻りますか」

「師匠、これからどんな練習をしますか?」

 眼鏡がキラリと輝いたように感じた。気のせいか、いきなり威厳が出てきたような。俺の見方が変わったからなのか、智ちゃんというキャラクターが変わったようにも感じられる。

「時間が無いから速攻で効果が出るメニューを考えておきます」

「時間が無い?」

「体を鍛えると言うのは、月・年単位で考えるものです。一条君の体を鍛えるには圧倒的に時間が足りません。そっちは首輪を獲得したときに補強することにしましょう。それに、首輪の戦いは能力の戦いが中心です。能力を有効に使用できる練習・作戦を考えるのが実戦的です」

「よろしくお願いします。師匠」


 再び頭を下げてから智ちゃんを見ると、やっぱり目が輝いている。これってもしかして……。

「師匠! そろそろ教室に戻りますか」

「そうですね一条君。昼食をとるのも修行の一つです。早く自分の教室に戻って食事をした方がいいですよ」

「分かりました。師匠」


 師匠と呼ぶのが何となく愉しくなってきた。傍から見れば、揉み手をしているように見えるだろう自分が怖い。でも止めるわけにもいかない。師匠って呼ぶたびに智ちゃんの表情が恍惚としているし。


「師匠。では、放課後、よろしくお願いいたします」

「分かりました。使いの人を送ります。しっかりと鍛えてください」


 使いのものって何ぞや? と考えつつベランダから教室に入ると複数の視線が感じられる。教室を見回すと、食事をしていながらもこちらに注意を払っている人間がチラホラと。女子生徒じゃなく、男子生徒も幾人か。大丈夫だ。安心しろ。そういうのじゃないから。って、さっきにやにやしていた女の子。今度は両手を組んで目を輝かせている。もう。本当にそういうのじゃないやい。

 もう一度、クラスを観察してみて、ふとあることに気づく。


「ところで、師匠、真里菜は学食にでも?」

「今日は休んでいます。分かりました。昨日のこともありますし、心配になっているんですね。仕方がありませんね、お見舞いにいきましょう」

「えっ? いや、昨日のこととか全然、気にしていませんから」

「遠慮してはいけません」


 だから、世間話程度で聞いただけだって。マジ、本当に深い理由なんてこれっぽっちすらないって。絶対に。自縛霊のような存在の真里菜なんぞ、浄化されてしまっていてもちっとも気にしないのだから。色々と真里菜に対する悪口を考えている俺の横で、智ちゃんはおっさんが女子高生を見るときのようないやらしい表情をしている。

 ちょっと待った。何か誤解をしていませんか?

 俺はそう叫びたい気持ちを抑えながら、逃げるように教室を出た。


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