偏差値って何それ美味しいの?
炎の玉を使用する能力者を倒した俺は英語のスキルを上昇させた。なんて言ったって、明日、小テストだし。そこまでは良かったんだ。けど、勝手に能力アップさせたことに対して暴力女が激怒したんだ。で、殴られた、と。しかも背後から。もしかしたら犯罪的な武器を使用されたのかもしれない。頭が割れたかと思うくらいの激痛が脳を襲うと俺は意識を失った……。
弾力のある枕は睡眠を促進する。
偉い学者がそんなことを言っていた。ような気がした。
だからなのだろうか。俺がいつまでも眠っていたかったのは。
いや、それだけではない。雲に乗ってふわふわしている夢も気持ち良かったのだ。しかし、突如、地平線の彼方から津波が押し寄せてくる。特急列車が目の前を通過するような轟音をたてながら。
この気持ち良い睡眠を邪魔するなとばかりに俺は寝返りを打つ。
すると津波は遠ざかっていく。
やれやれ、これで心地よい夢の続きを見ることができると思ったのもつかの間、百重波は知らないうちに俺の体に到達していたようで、俺は震度四の地震のような勢いで揺さぶられる。
「ううっ」
唸りながら俺は目を開けようとする。しかし全身が鉛になったように体が重い。瞼ですら簡単に動かない。
いわゆる夏の怪奇特集に稲川淳二が語る金縛り状態。それでも、必死になって瞼に神経を接続すると、ようやく少しだけ目を開くことが出来た。
どうやら暗い場所のようだ。ただ、その暗闇の中でポカリと水玉模様が浮かんでいるようだけだ。他には何も感じられない。
一体ここは何処なのだろうかと考えようとした瞬間に、不意に引っ張られた。
「ああっ、水玉よ何処へ行く?」
「何、寝ぼけているんだ。死ねっ、もういっぺん死ね」
地面に転がされていた。
空と膝上長さの紺色スカートをはいている真里菜が見える。
「ああっ、こっちは真っ黒だ。神様っ。どうか、彼女の悪に染めた心をお許しください」
「誰が悪だ!」
俺の顔を踏み潰そうと足が振り下ろされる。
「止めてください」
俺と真里菜は声の方を向いた。
智ちゃんがいた。
揃えた足を僅かに斜めに傾けながらベンチに座っている智ちゃんはスカートの上に両手を置いている。
どうやら、ここは俺が意識を失ったときにいた児童公園のようだ。しかし、子供たちは帰ってしまったようで、僕たち以外は誰もいない。
寂しげな公園で俺たちは一体何をやっているのだろう?
人生について悩もうとしているのに頭上から怒声が飛んでいる。
「大泉は邪魔をするな」
「邪魔も何も響ちゃんが可哀想じゃないですか」
「五月蝿い。スケベな響が悪いんだろ」
「違います! 自分から見せびらかすように足を広げている癖に怒る方がよっぽど悪いです」
「でも、こいつはお前のパンツも覗き見したんだぞ」
「故意じゃないなら怒りません。それに、元々、響ちゃんの許可も取らずに腿に寝かせたのは私ですし」
智ちゃんの瞳は慈愛に溢れている。
俺は立ち上がれずに上半身だけ動かして、蜜の匂いに惹かれる蝶のようにふらふらと智ちゃんの膝に近づく。
それにしても、智ちゃんは誰かさんと違ってなんて心が広いんだ。俺が顔を上げると微笑んでいる。
やばい。ちょっと智ちゃん近づきすぎたせいで心音が激しくなってきた。筋肉質だがすべすべしていて軟らかい感触が思い出されてくる。あれは現だったのだろうか? あの水玉模様は幻だったのだろうか?
もう一度、確認したいなぁ。あの水玉模様を。
俺はスカートの中がとてつもなく気になってきた。
ちらっと。ちらっとでいいんだけど……。
それくらいならば、許されるよね。
智ちゃんは多分怒らないんじゃないかと思ったが、念のために聞いてみることにする。
「ねぇ、もし智ちゃんのパンツを故意に見るような人間がいたらどうする?」
「それって、痴漢みたいなものですか?」
「うーん。ある意味、そういう仮定の話だけど」
「当然、顔面に正拳付きを一発です。常識的に考えて」
にこやかに笑って言う。
ううっ、その目つき、ある意味、おとろしよー。たすけてよー。
「でも、響ちゃんはそんなことしませんよね」
頭をよしよしと撫でられた。恥ずかしいけど妙に嬉しい。
一瞬だけど、智ちゃんのことを怖いと思った自分、ごめんなさい。マジ、ごめんなさい。
「あのさ、大泉。響は私のだから盗ろうとするなよ」
「あら、響ちゃんは誰のものでもありません。だって、人間だもの」
「大泉が何て言おうとも、こいつは私のものなんだ。昔っからな」
「おかしくありませんか。殴ったりぞんざいに扱いながら所有権を主張するのは。大事に思っているわけでもないのに」
「どんなにいらないゴミのようなものだとしても、自分のものが人に奪われるのは許せないんだ。私としては」
相変わらず、最悪だな。こいつ。
俺は智ちゃんの隣に座って真里菜を見上げる。
両手を腰に当てながら文句を言っているこの女は、おばさんになったら間違いなく、モンスターペアレントでモンスターカスタマーでオバタリアンって呼ばれるクレーマーになるんだろう。
「響、行くわよ」
もういい。付き合う必要はないし付き合いきれない。
だから、俺はベンチから動こうとしなかった。智ちゃんとお話していたほうが楽しそうだしね。
「どうしたの? 来なさいよ」
俺を掴もうと手を伸ばしてくるが軽く払いのける。
「真里菜ちゃん。あなたのやり方は響ちゃんには合っていませんよ」
「何が分かると言うんだ。何も知らないくせに」
「確かに響ちゃんのことを知っているわけではありません。それでも、パラメータを見れば大体のことは分かります。何故、バトルに参加させたのです。少なくともこのままでは遅かれ速かれ負けるのは必死。一体、これからどうするつもりなんですか?」
「私の言うとおりにしていれば、もっと上がっていたはず。それをこいつが勝手なことばかりやるから」
「それが間違いです。人間はロボットじゃないのですから」
「けど、響は約束したんだ。絶対に……」
真里菜は口ごもった。そして智ちゃんから視線をそらして顔を空に向ける。
「俺が約束を、した……?」
真里菜はくるりと背を向けると自転車のスタンドを外す。
ゆっくりと優雅な動作で自転車に跨る。
理由があったわけではない。だが、俺は立ち上がった。
いなくなってせいせいするという気持ちと引き止めるべきだという感情が交差して混乱している。ただ、このまま動かなければ全て失われるような気がして一歩前に踏み出した。
「真里菜ちゃん」
「なんだよ」
「私に響ちゃんを預けてくれませんか?」
「いいのか? お前はライバルになるんだぞ」
「いいですよ。二次予選からはグループバトルですから」
「そうか。なら頼むよ」
「待てよ。何、話し進めているの。勝手に本人抜きで」
「響、大泉のパラメータを教えてあげる」
背中を向けたままの真里菜はスマートフォンの形状の端末を後ろ手に渡してきた。
俺は黙ったまま素直に受け取り驚愕する。
体力:77
腕力:79
敏捷:78
知識:68
知恵:70
魅力:78
運 :67
能力:インパクト、浮遊、ダブルハンド
ランク:S(3位)
「能力の条件とか内容が分からないけど」
「そう言うのは、当然本人しか知ることが出来ないに決まっている」
「ところで。これ、点数だったっけ?」
「記憶力無いのか? 偏差値だって言っただろ?」
真里菜は背中を向けたまま答える。怒っているのだろうか。
何だっていいや。
俺は優等生の通知表を見せられたような気分で憂鬱になっていたから、あまり他の事を考える気にはなれない。
もう、これ以上は見たくない。と端末を後ろに伸ばしている真里菜の右手に渡すと彼女はそのままスカートのポケットに突っ込む。
「普通のテストじゃ満点とってもこの偏差値でないと思うんだけど」
「これでも値は段々と下がっています」
智ちゃんが俺に並んで発言する。
にこやかな表情ではなく目に険がある。
「これで?」
「下位層が脱落していますし、勝利した人は能力を上昇させれますから、高いレベルで平均化されているのです」
「そう。だから、当然の如く響のパラメータは下がっている。前回見せたときより。だから、大泉に鍛えてもらったほうがいい」
「ちょっと待て、俺の……」
言いよどんだわけではない。
単純に爆音をばら撒いているバイクのエンジン音が近づいてきたから黙っただけだ。俺は五月蝿いバイクが通り過ぎてから話をしようと思っていた。
それなのに……。
なんだ?
児童公園にバイクが入ってきたぞ。場違いな。
いやいや、それ以前にこいつやばいやつじゃないのか?
てゆーか、間違いなく暴走族とかだろ。
メットは被っていないし、マフラーを改造しているのかエンジン音は明らかに五月蝿いし。
そもそも、ソフトモヒカンの金髪(サイドに蜘蛛の巣模様が入っている)で耳に複数ピアスをつけている時点で既に真っ当な高校生じゃないだろ。
学ランを着ているのが不思議なくらいだ。
真里菜の前で男はバイクを停止させる。
こんな騒音の出るものに乗っていて耳がおかしくならないのだろうか。
そう言いたくなるほど何回も空ぶかしをさせてから男はエンジンを止めた。
ふと横目で智ちゃんを見ると、今までの穏やかな気配が吹き飛ぶほどの眼光で男を凝視している。
これってかなりまずい?
男はバイクを降りた。
でかい。
190cm? 少なくとも180cmは余裕で越えていそうだ。
と言ってもでかいのは身長だけではない。
肩幅が標準的な高校生である俺の二倍はある。
体型だけから判断すれば、現状でも格闘技世界選手権にエントリー可能だ。
「どけ」
軽く押しただけのようだったが、真里菜は自転車ごと倒れてくる。
俺は駆け寄って真里菜を受け止めた。
しかし、体を受け止めることは出来たものの真里菜の足が自転車に引っかかって、結局一緒に倒れてしまう。
俺は痛みを堪えながらも立ち上がり、そのまま片足が自転車の下敷きになっている真里菜の背中から両腕をわきの下からを引きずり出す。
そのまま真里菜を立ち上がらせると、人形のように表情に生命観が無い。
一体どうしたことか。
「邪魔だ」
わざわざ倒れている自転車を踏みつけて男が近寄ってくる。
「何してんだお前」
ムカついていた俺は文句を言った。
ビビッていなかったと言えば嘘になる。
けど、何もしていない真里菜が倒されたことで体中のアドレナリンが放出されてから、反射的に言葉が出ていたんだ。
多少は、先にビビッタやつが負けとか、いきなりは殴らないだろうって打算もあったかもしれない。だが、深層心理で考えていたとしても、表層的には単純に怒っていただけだ。
勿論、ごめんなさい。などと言うわけが無いとは思っていたが、何も言わずに殴ってくるのは想定外だった。
しかも、俺は殴られたことすら分からなかった。何が起きたか理解できないまま体が自動的にフラフラと千鳥足で後ろに下がってから尻餅をつく。
そんな俺の姿を男は横目で見る。
そして、目をギョロリとひん剥いて口を半開きにしてから俺に向かって言う。
「殺すぞ」
と。