炎の玉は男球
俺たちの前にヤキソバっぽい男が現れた。
本来ならば無抵抗主義者の俺が闘うことはない。
だが、こいつは許せない。それなりの天罰を喰らわせてやろうじゃないか。
俺は気合を入れて戦闘開始する。
公園から出てきたセーラー服の女子高生が俺たちに声をかける。
うちの高校の制服だ。
茶色がかったショートカットで黒縁眼鏡。優しげな瞳は和やかな雰囲気を醸し出している。それでいて俺や真里菜より頭一個分小さくて、いわゆる小動物系キャラに認定しよう。
とか考えながら見ていると、何処かで会ったことがあるような気がした。
「あれっ? 真里菜ちゃんじゃない」
「大泉……」
真里菜は口ごもる。
「知り合い?」
「大泉智香です。真里菜ちゃんとは同級生です。初めまして彼氏さん」
「あっ、そういう関係じゃないから。それに俺も一年だから敬語じゃなくていいよ」
「そうなんですか。でも、こう言う口調に慣れていますので気にしないでください」
学級委員タイプっぽい。真面目で無口で。家事とかやらせたら黙々とこなすタイプ。得意料理は和風料理。仕事から帰ってきたら、玄関に迎えに来て、「ご飯にします? お風呂にします? それとも……」って訊いてくれるタイプ。はふん。
「真里菜ちゃんって以前に、……」
「大泉! 今日は忙しいから。それじゃ」
「……」
「……」
「……」
真理奈は、「それじゃ」と言いながら動こうとはしない。智香も彫像のように停止している。真里菜が帰ったら、浮遊霊と地縛霊の違いについて語り合って、智香と仲良くなれるチャンスかと思っていたのに、残念ながらそのような機会はなさそうだ。いつまでもここで棒立ちしていても得るものは無い。
「お先に」
と言って帰ろうとしたら真里菜に腕を掴まれた。顔を耳元に近づけて、甘ったるいシャンプーか何かの匂いを撒き散らしながら小声で話しかけてくる。
「帰ろうとしてどうすんの。ここで対戦しないといけないから、待ってなさい」
「でも、大泉さんがいるぜ」
「ほっとけば帰るって。それに、バトル参加者、若しくはオブザーバー宣言している人以外はマルチバース空間だからお互いに干渉も認知もできないから問題ない」
無意味に時間を潰すしかないと知った俺はその場でクルクル回りながら口笛を吹く。真里菜はスティーヴン・セガールの手わざアクションの真似をしている。傍から見れば不気味、つか晒し者……。智香は呆れていると思い横目で見ると、俺たちのことを無視していた。児童公園の中心にある滑り台を見ている。
つられて、公園にある滑り台を見ると、その下にTシャツにジーパン姿の高校生らしき男が立っていた。俺と目が合うと端末と見比べてからニヤリと笑う。
「お前が俺の対戦相手か。こりゃまたパラメーターが低すぎだな」
公園のほうから角ばった顔の男が歩いてきた。ソースヤキソバが似合いそうな四角い男が、チンピラのように蟹股で歩いている。駅前とかでたむろしている不良グループに混じっていても違和感がなさそうな男だ。
「響、あいつが今日の相手よ」
「外国人じゃなかったのかよ」
「れっきとした外国人よ、多分」
「今、日本語を話さなかったか?」
「この魔空空間では相手の言葉を母国語で解釈できるのよ」
「うわっ、テストのときにその能力使いたい」
「無理だって。地道に勉強しなさい」
「明日、英語の小テストなんだよな……」
距離にして十メートル程度の位置で男は立ち止まる。近づこうとしないのは、警戒しているからだろうか? いや、違う。能力が接近戦タイプではないのだろう。ロケットパンチとかその類の。
「お前ら、何、ごちゃごちゃ抜かしている。さっさとバトル開始だ」
焼きそば男は偉そうに言うが、耐えられない。焼きそば男だけに。
「ちょっと待ってください。誰とバトルするのですか?」
俺は智香が動いていることに純粋に驚いた。
「えっ? 何で智ちゃんが?」
「私もバトル参加者なのです」
「へええええ? そうなんだ。首輪に気づかなかったよ」
「首輪はこの空間以外では見えないのですよ」
「うわぁ。何てご都合主義的な首輪なんだ」
「ほんと、主催者の性格が分かりますね」
智香と話しているとほんわか和んでくる。どこぞの暴力女とは大違いだ。チラリと真理奈を見るとヤンキー座りで俺にガンつけている。うわっ。そのポーズ、ネットに晒されたら絶対に祭りだぞ。注意をしようとすると、焼きそば男が声を荒げる。
「てめえら、俺を無視していい加減にしろ。どうせ、雑魚とつるんでいるやつなんて雑魚に決まってる。まとめて相手してやるよ」
「ルール上は問題ありませんが、あなた弱そうですし、相当不利ですよ?」
「ぐちゃぐちゃ五月蝿いんだよ。お前みたいな偉そうな女をぼこるのが俺の趣味なんだ。簡単には気絶させねーぜ。手と足を痛めつけて動けなくしたところで、そのでかい胸で楽しませてもらうぜ」
もう、目つきが犯罪者。いやらしい顔つきで涎でも垂らしそう。狂犬病のような焼きそば男を見ているだけでむかついてくる。俺は鞄を置いてから背伸びをして体をほぐす。
「ふざけるな。俺の相手はお前だ」
「ぷっ。雑魚が何、格好つけちゃってるの? お前、自分のパラメーター見たことあるのか? 瞬殺レベルだぜ。ちょっと待て、それじゃ、面白くない。半殺しにして、お前の目の前で彼女を可愛がってやる方が十倍くらい楽しそうだ。俺を味わったらお前なんかじゃ満足できなくなるかもな」
「真里菜。こいつ、凄く殺したいんだけど」
「駄目よ。言ってなかったかもしれないけど、ルール上、殺したら失格だから」
「笑わせるぜ。勘違いしているんじゃねーよ。お前らは蟻だ。小さく踏みつぶされるだけの存在。そんなカスが俺様に勝てるわけ無いっつーの。折角だから、そっちの女も合わせて面倒見てやるぜ」
「ぶぶー。残念でした。私はオブザーバーだから、この空間ではお互いに触れ合うことは出来ません」
「命拾いしたな。ペチャパイ。どうせ、俺はそんな小さい胸に興味は無いからそっちの巨乳だけで十分だぜ。前回のバトルも巨乳の女で随分気持ち良かったぜ。どうせ、バトルが終わったら自分の街に空間移動するから後腐れも無いし。殺さなければやり放題のこのバトル。もう絶対に止められないぜ」
焼きそば男は顔を少し上向けて、自分のあごにある無精ひげを撫でる。口を歪めると蛇のような舌が出てきそうだ。間違いなく息は臭いに違いない。生卵の腐ったような硫黄臭。
真里菜は焼きそば男を睨みつけている。できれば、自分が戦いたいというように。
「響。前言撤回。こいつ、殺しちゃっていいや」
そんなにあっさり言われると怖い。けど、俺も真里菜と同意見だ。こんなふざけたやろう許せるわけが無い。
「で、こいつの能力は?」
「炎の球らしい。どうせ、この手のやからは口先だけだ。びびらないでやってしまいな」
おぃおぃ。君はどこぞの悪代官かい? すると、俺はさしずめ手下一号ってところか。へいへい、ちょっくら手下は働きましょうか。俺は戦闘体制に入る。本来ならば接近する必要の無い能力だが、一発殴ってやらないと気がすまない。
俺が近づこうとすると、焼きそば男は野球の投球モーションに入る。
ほえ?
と思った瞬間に炎の球が飛んできた。
プロ野球選手並みに速いぞ。
少なくともバッティングセンターの中速球、時速百三十キロメートルと同程度の速度だ。目は炎の球を認識している。しかし、体が動かない。
まずい。
直撃する!!
俺はよけることができずに、炎の球にやられた……。
わけではなかった。
炎の球は熱線を浴びせながら俺の横を通過していく。
「ハズレ!」
俺は自分がびびっていることを隠すために大声を出す。多少は相手の動揺を誘うことが出来るかもしれないとせこいことを考えて。しかし、焼きそば男はにやけている。こちらの考えなどお見通しと言わんばかりに。
「へたれ男は最悪だな。今のはわざと外したんだよ。分からないかな? 絶対的な実力差で蹴散らした方が楽しいんだよ。お前が勝てないのを分かって泣きながら謝るのを見ながら指先からつま先までいたぶっていくのが、最高の快感なんだよ」
何ですか? このサディスティック高校生は。あまりの切れっぷりに既に泣きたくなってきたんですが。スティーヴン・セガールだってそこまでサドじゃないぞ。凹って最後に首を折るくらいだ……。駄目、イメージしちゃ駄目。
俺は頭を回転させる。ビビることは無い。こっちの能力を発動できればチャンスはあるはず。俺は自分の中にある恥ずかしいリストを検索する。
俺は強力な恥ずかしい話を繰り出そうとした。
が、ちょっと待った。ココには智香がいる。暴力女、真里菜とは違って気品がある女性だ。そんな彼女の前で自らの恥を叫ぶなどできるものか。
躊躇したのが良くなかった。焼きそば男は今度は投球モーションに入らない。キャッチボールでもするかのように投げてくる。スピードはさっきより遅いが隙が無い。的当てゲームでも楽しんでいるかのように投げてくる。まずい。これでは、こちらの能力を発動させる余裕が無い。
俺は焦りながらもいくつかの炎の球を避ける。大丈夫。冷静に見ればよけれない速度ではない。俺は呼吸を乱さないように集中する。これだけ当たらなければ、焼きそば男の方が先に疲弊するはず。その後に攻撃すれば十分。よく集中して、よく観察しろ。焼きそば男は遊んでいるかのように腕を捻って炎の球を投げてくる。問題ない。さっきより遅い。
焼きそば男が口を厭らしく開く。ムカつく奴と思いながら、俺は小さいモーションで躱す。 間違いなく避けたはずだった。そのはずなのに、炎の球は右肩にヒットする。ダイナマイトが炸裂したかのような大きな音と閃光、そして痛みを感じて俺はその場に崩れ落ちる。片膝を着いて意識だけは保ち続ける。
「ビンゴ!」
「避けたはず……」
俺は痛みを堪えながら呟く。
「ナイスカーブだろ。ストレートをいくつか投げるとすぐに引っかかるんだよ。これが」
十メートル先にいる焼きそば男が俺の呟きなど聞こえるはずが無いのに、大きな声で話しかけてくる。くそっ。こちらが避けるってのも想定範囲内ってことか。
「それっ。その目だよ。絶望を感じた時の目。敗北を感じた時の目。大好きなんだ。虐め甲斐があって最高だよっ」
焼きそば男の瞳が狂ったように大きく開かれ、恍惚の表情を浮かべる。獲物を捕らえた肉食獣が牙をつきたてようとしている。ふと、俺はそんなイメージを持った。のんびりしゃがんでいたらやられるのは間違いない。俺は気合を入れて痛みを我慢しながら立ち上がる。
「いいねぇ。そうやって必死に立ち上がってくる希望を打ち砕くのも堪えられないんだぜ」
焼きそば男め、まじで叩きのめしてやる。
俺が息を思いっきり吸い込んだとき、体の前に手が伸ばされた。
「弱い男ほど良く吼えるっていいますが本当ですね。最高に格好悪ちゃんです」
「はぁ? お前、頭おかしいんじゃね? この状況、分かっているの? それとも先にやられたいの?」
「貴方はミジンコ。それくらいの知性。可哀想」
智香は大きな溜息をついて、軽く首を振ってから堂々と歩き出す。俺も焼きそば男も呆然と見つめていた。
当然の如く、智香と焼きそば男の空間は徐々に失われていく。
智香が俺と焼きそば男の丁度中間くらいに達したとき、焼きそば男は我を取り戻し、横に向かってダッシュする。
十メートル。それが奴にとっての安全な距離なんだろう。
俺と智香から安全距離を確保したところで、一番初めに投げたときのように投球モーションに入る。そして、智香に向かって渾身の力で炎の球を投げた。
遠めに見て、避けれる速度じゃなかった。
さっきまでとは段違い本気の速さだった。
まずい!!
炎の球を直撃すれば智香も俺と同じように大怪我をする。肩が千切れそうな痛みを堪え走り出す。助けなければ!
しかし、その必要はない。
智香は正拳突きで炎の球を打ち砕いた。残像だけが瞳に伝える。砕いたことだけは理解できる。それ程の圧倒的な突き。
――次の瞬間、智香は消えた。視線を移動させるより疾い動き。気がつけば、焼きそば男の右腕が壊されたプラモデルのように飛んでいく。
焼きそば男は一瞬、何が起こったか理解できなかったのだろう。
数秒、固まった後に大声で獣のように叫び続ける。
「今のは、響ちゃんの分」
智香の声は死の宣告に聞こえる。
正常な判断能力が失われているのか、目前に立つ智香に向かって、焼きそば男は声にもならない唸り声を叫びながら突進する。
「これは、あなたに辱めを受けた人の分」
智香はゴム毬のように焼きそば男の股間を蹴る。セーラー服の小柄な女子高生。その智香が放った蹴りに威力があるとも思えないが、やきそば男は軽々と宙に浮く。放物線を描きながらゴールを逸れたサッカーボールのように転がっていく。
俺は、あまりの恐怖と伝染してきた痛みを感じて思わず左手で男のシンボルを押さえる。
「何しているの」
真里菜の声。と同時に瓶が俺の口に突き刺された。さすがどん薬、塩っぽい飲料物を口に含むだけで、右肩の焼けるような痛みがすぐに消えて体が楽になる。
戦闘のサポートは助かるけど、もうちょっと優しくやってくれないものだろうか? 俺が真里菜を見ると、真里菜は苦虫を噛み潰したような表情で智香を観察している。
そうだ。いくら憎い焼きそば男といえども殺すのは駄目だ。俺は走って智香に近づく。
「まだ、生きている?」
今一な表現と感じながらも、他に言葉が思い浮かばない。智香の横に並んでから横目で表情を伺う。汚物を見るような目だった。可能であればこの世から消し去って、その場所を清潔にしたい。侮蔑以上の嫌悪感がひしひしと伝わってくる。
「首輪を取ってください」
「えっ? でも、勝ったのは智ちゃんだから、俺が貰うわけには……」
「これに触りたくありません。それに私は十個の首輪を集め終えて予選突破していますし」
「そうは言っても……」
「急いでください。首輪を取られれば、これは自分の空間接続点へ戻されます。その時に生きていれば体は回復されるはず。しかし、この空間で死ぬと存在が消滅します。だからお願いします」
「ありがとう。智ちゃん」
俺が首輪を引っ張るとすぐに取れた。その行為が起点となり、焼きそば男の姿は徐々に透明になる。弾き飛ばされた腕が回復していく過程を見せながら消えていく。
「何はともあれ二個目の首輪ゲットだね」
ウンザリしたのだろう。後ろから聞こえてきた真里菜の声は疲弊している。でも、対戦相手とやらを選んだのは真里菜だ。誰に文句を言えるべきものでもない。
「全く、響のせいでとんでもなく疲れたよ」
って、やっぱり俺のせいにするのですか。あなたは。
どうしてこう我侭な性格に育ってしまったのですかね。この人は。俺は真里菜の性格に呆れていたが、首輪をゲットして気分は上々だった。邪魔されないうちにさっさと能力アップをしてしまいたい。既に願うことは決まっている。
「英語の語学能力をアップしてください」
俺が首輪に依頼すると、首輪は確認したことを証明するように光ってから消えた。
「ふぅ。これで明日のテストもばっちりだな」
気がついたら世界は動き出している。俺たちは通常空間に戻ったようだ。めでたしめでたし。きっと今日の夜飯も美味しいぞ。駅に向かって歩き出した。余計なことを追及される前に帰って、お風呂にゆっくりと入りたい。命令されたロボットのように歩いていると、
「ひーびーきー。あんた、どうしていつも勝手に能力アップお願いしてるんだ!」
怒りで震える声が聞こえる。
ああ、二人にさよなら言ってなかったな。そう思った瞬間に体当たりをされた。本気ではなかったかもしれない。話をしようと止めようと思っただけかもしれない。だが、疲れていた俺は足がもつれて倒れ込む。その倒れた先に縁石があった。それは多分偶然。
やっぱり俺はメガゾンビ不幸だった。
そう思いながら意識を失った。
続く。