サクランボってどんな色?
作戦会議と称して真里菜の家に行ったのはいいが、俺もエレーネも血だらけだ。このまま真里菜の部屋で話しなど出来そうな状態ではない。
というわけで、エレーネがお風呂に入ることになったのだが。
真里菜の母親は若い。
実際の年齢が判らないから、若いと言うか若く見えるが正解か。
俺は甲斐甲斐しく家事をしている母親を見ながら、実年齢を想像していた。
「何、人の親に発情しているの」
「ふっ、どうやったらこんな素晴らしいお母さんから真里菜みたいに暴力的な人間が発生するかDNAの神秘について考えていたところだ」
喧嘩を売りなおしてから俺はリビングルームを観察する。
真里菜の家は、前回訪問時と同様に整理されている。俺の自宅だと大型テレビは自己主張が厳しいが、このリビングルームほどの空間があれば家具の一つとしてバランスが取れている。
フローリングの床には暖かそうな絨毯が敷かれ、その上には正方形の安っぽいコタツと比較するのが失礼なくらい高そうなガラステーブルが置かれている。
テレビが見やすそうな位置に置かれたベージュのソファーは軟らかそうでふわふわしている。
そのソファーに踏ん反り返っている真里菜と立たされている俺と横にいるエレーネ。
先生に怒られて立っているようにも見えるが命令されたわけではない。血糊で家具を汚すのを恐れて自主的に立っているだけだ。
元々、遊びに来たわけではない。エレーネが居候になることのお願いと今後の作戦のために真里菜の自宅に来ている。智ちゃんがいないのは寂しいが、都合があるらしいから仕方がない。
『お風呂が沸きました』
電子音が聞こえてきて真里菜の母親が俺たちにお風呂を勧めてくる。
「じゃあ行くよ」
「えっ? 二人で入るの?」
「違うって。エレーネはお風呂の使い方が判らないかもしれないから」
「じゃあ俺も一緒に……」
「響って頭悪いの? 日本人なのにお風呂の使い方も知らないって。それとも一緒に入ろうとでも? 変態」
「いや、お風呂の場所とか汚れ物の置き場とか訊いておきたいだけ」
「はあ? 何を想像しているの。そもそも汚れ物があったら持って帰れ」
「バスタオル、いやタオルくらいは貸してくれるだろ」
「エレーネはいいけど、響きは駄目。全く穢らわしい」
「じゃあ、どうすればいいんだよ」
「パンツで拭け、パンツで」
いや、ありえねーだろ、それ。
「駄目でしょ、お友達にそんな言い方をしたら、めっ!」
小学生をあやしているような言い方をしているおばさんが女神に見える。本当にこれで親子だろうか。いや、待て。意外と複雑な家庭事情があるかもしれない。余計なことは訊かない方がいい。
「とりあえず、響はここで待ってな」
「じゃあちょっと行ってくるね」
リビングから出て行く真里菜についていこうとしたエレーネは振り返って俺に手を振る。こちらはこちらでお風呂に行く如きでちょっと大げさすぎ。
二人が出て行くと部屋が閑散とする。
智ちゃんは家庭の用事があるからとの理由で先に帰っているので、今はおばさんと二人だけだ。会話がなく凄い気まずい気分になるかと思いきやおばさんは温かい緑茶を持ってきた。
「ところで一条君は真里菜の彼氏でしたっけ?」
予想外の発言に俺はお茶を噴出しかけた。鼻腔にまでお茶が回りこんだのか鼻がツンと痛い。湯のみをテーブルに置き両手で口を押さえながらゴホゴホと咽ているとおばさんが背中を擦ってくれる。
「あら大丈夫? 慌てて飲むなんてよほど喉が渇いていたのね」
違います。あなたの妙な発言に体が勝手に驚いてしまっただけ。
渡されたウェットティッシュで手を拭くと僅かだが赤色が付着する。さっき、手を洗ったはずなのにと考えながらゴミ箱を探す。
「あの子、不器用な娘だから皆さんには迷惑をかけていると思うけどよろしくね」
新しいお茶とおやつを出されて思わず真里菜を殴りたい衝動に駆られた。お前の母親はこんなに気を使ってくれているのに、お前はどうして他人に暴力を振るうことしか考えていないのだと。
どうやら、おばさんは学校での真里菜の話を聞きたいらしい。でも残念。隠すつもりはないけどクラス内のことはよく分からない。それに交友関係も知らない。よくよく考えてみると、真里菜のことなんて何も知らないということに気づく。
実は俺が知っているのはあくまで多面的な彼女の一面であって、暴力的に見せているのは俺に対するテレのせいで……。ってありえねー。想像しながら自分の心の中で一人突っ込みをする。
おばさんが飼い主の言葉を待つ子犬のように見つめている。期待を裏切るのも良くない。コホンとわざとらしく咳払いをしてから、適当なことを話し始める。バトルの話などとてもじゃあないができないので、通学路での話とか智ちゃんとの話とかを。
時々、詰まりながらも間を持たせることが出来たのはおやつのおかげ。いやー食べ物って重要だな。
話せそうな話は全部喋ってしまったのだが、おばさんは不満そう。真里菜はそこまで母親に心配させるようなことをしているのだろうか?
って、両手に血がべっとりとついた友達と頭と顔が血だらけの小学生に見える外国人を連れてきたら不安になるのも当然か。やはり、ある程度は説明するべきなのだろう。信じるかどうかは別として。
しかし、俺がベラベラと話してしまうのも疑問だ。
やはり自分の親に対しては真里菜が話すべきことだろうから。
話をはぐらかしていると真里菜とエレーネが戻ってきた。二人とも服装が室内着に変わっているし、さっぱりとした表情だ。戻ってくるのが遅いと思っていたら、二人でお風呂に入っていたのだろう。
「使い方を教えるだけじゃなかったのか?」
「いろいろと説明が大変だから一緒に入ったけど文句でもある?」
もしかして怒られていないか俺。
さっきより一段と機嫌が悪そうな真里菜から視線を逸らす。
「お風呂判った? エレーネ」
「うん。お姉ちゃんの胸はやっぱり私より小さかったよ」
--なっ! そんなこと訊いていないぞ?
「そんなことない。同じくらいだったはず」
「えー、だってお姉ちゃんのは私の掌に入ったじゃない。私はちょっとはみ出るよ」
「うううっ」
「でも誰にも触られたことがないピンクのサクランボは自慢していいよ。つん、と触れると……」
「ううううううっ」
真里菜がその場所に崩れ落ちた。
ぶっ! お前らお風呂場で何をしていたんだ。
噴出すのを我慢していると、崩れ落ちていた真里菜が立ち上がって殺気を飛ばしてくる。おい、待て、それって完全なる八つ当たりだろ。
「おい響、お前、また鼻の下伸ばしているだろ。このスケベ」
真里菜が近づいてくる。やばい。殴られる。
だが、黙って殴られてやる筋合いはない。
俺は、選択肢を検討する。
1. 黙ってノーガードで殴られる。 → ありえねー。勘弁してくれ。
2. 反撃する。 → 暴力女と雖も女性だし、さすがに母親の前で殴り返すのも。
3. 防御する。 → 一発殴られれば機嫌も直るだろう。
考えるまでもなかったが結局殴られるのか。
俺が身構えると横から鋭い言葉が飛んでくる。
「止めなさい。真里菜。そんなことだからお友達ができないのよ」
「ううー」
母親には逆らえないのか方向転換して真里菜はソファーへ向かう。ごろんとソファーの上に横たわり目を細くして俺を睨みつける。
だが、母親の前で殴れないことは判ったから、そんな目つきをされてもなんともないぜ。ここはチャンスだ。普段、散々やられている仕返しをしてやろう。
「発育ってのは個人差があるから気にしない方がいいんじゃない?」
「はぁ? マジ意味ワカンネ」
「胸が小さくても気にする必要なんか無いさ。胸の大きさで人間の価値が決まるわけじゃないだろ。それに、ほら、大きさより形が重要なんじゃないか。昨今は美乳ブームっていうし。確かに美乳以下のサイズかもしれないけど、もしかしたら牛乳を飲んでいれば大きくなるかもよ。だからエレーネより小さいくらいで落ち込む必要なんかないよ。そもそも、そんなこと悩む時間があるなら世界平和とかCO2削減とか考えたほうが建設的だよ」
コメカミがピクピクと動いている。やりすぎたか。
ちょっと待て。
ここで散々やりこめるのはいいとして、学校では何をされるか判らないじゃないか。
「ねえ響。お風呂入ってきな」
座りなおした真里菜が微笑んでいる。どうした? 唐突すぎないか?
俺は身構えながら回答を考える。
「大丈夫だよ。もう一回くらい手を洗えば」
「はぁ? 臭うから入ってきな。シャワー以外使用禁止な」
なにそれ。そんなこと言うくらいなら使わせようとするなよ。
「ママ、雑巾ある?」
待て。その雑巾ってどういう意味だ?
突っ込もうとしたら、おばさんがタオルとバスタオルを持ってきてくれた。真里菜は文句を言いたそうだが黙ったままだ。
俺はおばさんに案内されるままお風呂場横の洗面所に入る。
ガラガラと引き戸を閉めて服を脱ぎ始める。
学ランをチェックして汚れがないことを確認してたたむ。
良かった。穴が開いたり血の付着したりということは無さそうだ。
「響ー。そこに籠があるの判る?」
「ああ、この黒のプラスチックの洗濯籠な」
「脱ぎ終わったら、ちゃんとそこに入れてくれるか?」
「構わないけど何で?」
「そんなことまで言わせるなよ」
まっ、籠に入れろってのは、変な髪の毛のようなものとか落とされたら嫌だ。とか、そう言う理由なんだろう。全部が全部って訳にもいかないけどそこら中に散らかる危険性もあるからな。
とは言え、俺はこう見えてもマメな男だからちゃんと気になる物が落ちていないかチェックするぞ。とりあえず、洗面所は真里菜が掃除済みなのか綺麗になっているところまでは確認しているし。
「で、全部、脱ぎ終わったのか?」
真里菜の声が聞こえてきた。何だ、まだそこにいたのか。意外と心配性な奴だ。
「脱ぎ終わったぜ。ちゃんと全部籠の中にたたんで置いたから安心しろって」
俺が言葉を言い終わる前に、洗面所の引き戸が雷鳴を轟かせるような爆音を立てながら勢いよく開く。
--げっ!
何事が起こったか分からずに俺の動きは止まる。
そして、慌ててお風呂場の扉を開けて飛び込む。
しかし……。
「ねえ、響って女だったっけ?」
「はあ? 何言ってんの真里菜。視力が悪すぎたろ」
「そうだよ。ちっちゃかったけど、確かに存在していたよ」
「そうか、そうか。小さすぎて小指と勘違いした」
「ふざけるな。俺のマンモスさんに失礼だろ。謝れ」
「ぶっ、誰のがマンモス? マンモスよりもっと祖先のそれこそモエリテリウムと同類だ」
「モエリテ……? 何だそりゃ」
「鼻の短い象の祖先。カバみたいな生き物。って比較されるモエリテリウムのほうが迷惑かも」
「駄目だよ。お姉ちゃん。小さくても頑張って生きているよ」
「そうだ。別に大きくても小さくても人間性には関係ないから安心しなよ響。牛乳飲んでいればそのうち大きくなることもあるかもしれないし」
ざけんな、ざけんな。お前ら。
とりあえず次の首輪への要求事項は絶対に……。
俺は湯船に浸かりながら固く強く決心していた。