秋の夜は闇に沈む
異国から来て俺と同じクラスになることになったエレーネは見た目は小学生の不思議な美少女。
真里菜と同じ家に住むことになった彼女も含めて俺たちは三人で下校する。
多少、真里菜にいじられてムカつくもののこれはこれで悪くは無い。
いわゆる不幸属性とやらは何処かへ消え去ってしまったようだ。
このとき俺はそう考えていた。
秋の夕暮れはつるべ落とし。
気がついたら暗闇となっていた通学路を街灯に見守れながら俺とエレーネは並んで歩く。真里菜は一人だけ自転車で倒れないほどゆっくりな速度で乗っている。
「いいのか?」
「何が?」
「エレーネと一緒に住むっていう話。だってエレーネのことあまり良く思っていなかったようだったし」
「そんなことない。ねー」
真里菜とエレーネは仲良く首を傾ける。
なんだそれ。時々は俺にも同じくらい優しく接して欲しいものだ。
それにしても真里菜とエレーネの変わりようは理解できない。でも女なんてそんな感じなのかもな。表面上だけで心の中ではお互いに毛嫌いしてたりしてな。
「エレーネはどうして真里菜の家がいいの?」
「だって電車代がかからないから」
エレーネは恥ずかしげだ。結構、金銭には敏感らしい。
でも定期運賃なんて微々たるもので実際にはその他にかかる生活費の方がよっぽどかかると思うのだけど。
もしかして遠慮しているのだろうか。そうだとしたら何て健気な小学生なのだろう。って、中身は高校生だったっけ?
「真里菜のとこは家族が一人増えることに問題はないの?」
「エレーネ可愛いしお母さんはあんな感じだし全然オッケー」
「いや、そのことよりエレーネが本当の子供にされて真里菜は家から放り出されないか心配で心配で。でも、もしそんなことになったとしたら大笑いだから是非ともそんなことになってもらいたいと考えたりして」
「自転車を投げ捨ててエレーネと二人でボコボコに殴ってあげようか?」
「いやいや、それは止めて。さっきのようなダブルパンチは勘弁してよマジで。なんと言っても俺はバイキンマンじゃないからね。どちらかと言えば真里菜の方がバイキンマンタイプだし」
「どういう根拠で人の事をバイキンマンっていうかな」
「何となく、はっひ、ふっ、へ、ほーとか言いながら自転車を運転してそうじゃないか」
「ありえないから、それ」
真里菜が手ではたく代わりに足を出してきた。勿論、本気ではない。俺は軽く避ける。
どうやら真里菜が自転車に乗っているときはチャンスタイムだ。正面に立ちさえしなければひかれる心配も無い。だから暴言を吐き放題だ。いつも散々ぼろくそに言われている分のお礼でもしてあげようか。
エレーネの影に隠れながら真里菜に向かって軽口を叩いていると真里菜は呆れたような声を出す。
「響、マジウザイ。エレーネその馬鹿と口聞いたら駄目。馬鹿が移るから」
「でもお兄ちゃん可哀想。きっとドップリ溜まっているからはけ口が分からなくて暴れているだけだよ」
「そんなことない。きっと山ほどエロ本をベッドの下あたりに隠していて、母親が見て見ぬ振りをしているのをいいことに一生懸命膿を排出しているの。このムッツリ五分刈り男は」
酷い言われようだ。このままでは変態エロ男にされてしまう。話題を変えるべきだ。そうだ。話題ならたんまりてんこ盛りある。何にしろエレーネには質問したいことがいっぱいあるからな。
俺は二人が俺を肴に盛り上がっているところに割り込む。
「そう言えばエレーネは家族っているの?」
「いないよ」
えっ? エレーネ即答? しかも微笑みを浮かべながら? それ、そこの部分、凄く聞きたい。てゆーか興味津々、勇気凛々、是非とも訊きたい。
「馬鹿男黙っていろ」
真里菜が吼えた。ちょっと顔を歪めている。
はいはい。分かっているって。エレーネが現れたときに一緒にいた男の事を考えれば、どのような境遇で生きてきたかなど容易に想像できる。さっき真里菜が泣いていたというのはエレーネの過去の話だったのだろう。普段強気な態度を取っている癖に涙もろいところがあるからな。気になら無いといえば嘘になるが、いつか訊くべきタイミングに質問することにするよ。そのことは。空気を読めない男って言われるのも癪だし。
ということで再び話を変える。
「どうして日本に来たいと思ったの」
エレーナはさっきより明らかに純粋な微笑を浮かべた。よく訊いてくださいました。と言わんばかりの表情をしている。
「だって日本って世界で一番平和って聞いたんだもん。それに勤勉で科学技術力も高いしエレーネのような美少女は女神になれるって話だし」
「その情報どっかで間違っているから」
「うん。でもお姉さま程度でもお兄ちゃんの女神になっているよね」
おぃ。こら、今、さくっと聞き捨てにならないことを吐き捨てなかったか? すわっ! 一触即発と思いきや真里菜は顔をしかめているだけだ。
「どうしたの?」
「エレーネの完全なる勘違い。こいつは今のところ役立たずのペット並みの存在だから。寝る前に女神とか呼ばれて写真とか枕の下に入れられたらマジキモイ。てゆーか何てことしているの響は」
絶対にとばっちり。というよりそれ以前の問題だ。完全に冤罪ですよ妄想主義者の諸君。
それにしても俺が安全な方向に話を進めようとしているのにどうして話が逸れていくんだろう。
とりあえず俺は軌道修正を行うために話を遡らせる。
「確かに日本は世界でもかなり安全だと思う。というより思っていたけど……」
「けど、何?」
「ほとんどの日本人は善良だけど一部の人間はそうでもないから気をつけてね」
危なかった。一瞬だが蜘蛛の巣モヒカン男を思い出していた。しかし、その話は禁句だ。真里菜の前回の反応を考えれば触れてはいけない話題だ。きっといつかは相見えるかもしれないが今する話題でもないだろう。
俺が精一杯空気を読んでいると言うのに、二人はいつの間にかむっつり欲求不満男には気をつけないといけないとか笑いながら話している。
再び話題の修正を試みようとしたら踏み切りの遮断機の音が聞こえてきた。しまった。乗り遅れたか。と思うのと同時に横の線路を通過していく特急列車の騒音で会話はかき消されていく。列車が過ぎ去った後は会話が途切れている。というのもエレーネは電車に見とれていて走り去った方に目を凝らしている。珍しいのだろうか……。
俺は息を吐いた。
多少、俺が笑いものになったとしても二人が仲良くなれればいいんじゃないか。なんだか意味不明な高校生バトルとやらだが、そのおかげで真里菜だけでなくエレーネとも知り合うことができた。それってとっても不思議で奇妙な運命じゃないの? だから、それだけで十分幸せなことだと考えていいんじゃないかな。
横目で見られながらも道端に生えている雑草を蹴りながら俺も笑っていた。こういうのもいいんじゃないのかなって。
再び遮断機の音が聞こえてきた。今度は間違いなく普通列車だろう。ならば乗り遅れたということだから三十分は待つことになる。
普通列車の通過音は特急列車よりは静かだった。
しかし、雑音は掻き消えていない。列車の雑音ではない騒音と呼ぶべきもの。いや騒音と言うより爆音が徐々に近づいてくる。
俺は不安を感じながらも祈っていた。この爆音が自分たちと関係ないであろうことを。しかし、間違いなく爆音は雷でも発生しているかのように大きくなっていく。
俺たちに用があるかは分からない。しかし、こうなったら少しでも自分たちにとって有利な状況を作り出すのみ。
「公園の中に入ろう」
奇しくも先日、奴と出会った公園の中に駆け込む。ここならば道路と違って砂場や遊具があるからバイクに乗ったまま暴れることは出来ないだろう。少しだけホッとしながらも気が緩まないように拳に力を入れる。
俺たちと関係ない、若しくは見つからなければ。と俺は必死に願っていた。
しかし、そんなことも関係なく爆音は公園の入り口で停止する。ゆっくりと公園の中に入ってくると乗っていた人物はバイクを停止させて降りる。
「智ちゃんはここにはいないぜ」
前回と同じ失敗はしない。俺は奴の手の届かない距離で話しかける。防衛ラインを作りこれ以上近寄らせないと暗に表現する。
「今日はお前に用がある」
「俺に?」
「そうだ。俺の部下になれ。悪い話ではない。金も女も好き放題だ。働き次第ではな」
「働き次第だと?」
「俺たちは商売をしている。バトルのサスペンド機能を使えば密輸し放題だからな。他にも裏の仕事をいろいろと便利に楽しくやらせてもらっている」
「何で俺に白羽の矢を?」
「直属の駒が欲しい。お前のここ最近の活躍は確認している。それだけパラメーターが低いのに勝っているってことは要領がいいってことだろう」
けっ、誉められているのか馬鹿にされているのか判らないや。けど、一つだけ言えることがある。
「あんたらの仲間になどなるわけないだろ」
真里菜は怒鳴りつける。
巨神兵みたいなこの男に向かって平然とそんな言葉を投げつけるなんてどういう感覚をしている?
ただ、言いたいことは同じ。同感だ。どうして俺が犯罪者の下っ端にならなくてはいけない。いや、それ以前に犯罪者になる気は無い。
「お前になんか聞いていない。一条響に聞いている」
どうして俺の名前を? はん。胡散臭い野郎だ。素性は既に調査済みっていうことか。つまりこれは断ればただでは済ませないという脅しに等しい。もし弱みを見せれば汚い仕事を押し付けられて食い物にされ続けるだけ。とは言え逃げ場は無い。出入り口をふさがれた野兎のようだ。
けど俺は兎じゃねえ。
「帰れよ。俺はお前の仲間になる気は無い」
公園の街灯に照らされた男の顔に血管が浮かび上がったような感覚があった。なんでもいい。激怒していることだけは間違いないようだから。
「殺すぞ」
男の低い声に体が反応して全身が鳥肌に包み込まれる。それでもビビッているわけにはいかない。ブラフでも構わない。こいつの気がそがれるようなことを言って考えを変えさせる。
「俺を殺せば刑務所だか少年院に送られることになるぜ。それでも構わないっていうのか?」
「馬鹿が。バトル中に相手を殺すのは厳禁だが、バトル外で殺した人間の罪を無かったことにできる。首輪の力でな」
ちょっと待て。無茶苦茶だ。
そんなことが本当に出来るのか?
こいつが言っているのは首輪の力を使えば犯罪をやり放題ってことではないか。
「考え直すなら今のうちだぜ」
男は短ランにぶら下げていた刃渡り20cmはあろうかというサバイバルナイフを右手に持って偉そうに突き出している。
逃げ出せるのならばベストだが真里菜もエレーネもいる。自分だけ逃げるわけにもいかない。とするとここは妥協するしかないのだろうか。
俺は男の要求を受け入れる振りをしようとした。他に方法が無いと思ったから。
俺が男の軍門に下る言葉を告げようとしたその時にエレーネが一歩前に出た。
「日本も想像していたより安全じゃないんだね」
可愛い声でそれでいてはっきりと聞こえるように喋りながら男に歩み寄る。
その動きは自然に見えたがさすがに違和感があったのだろう。男は目をギョロっと動かして威嚇する。
しかしエレーネにとってそんなことは関係ない。男が不用意に持っていたサバイバルナイフを素手で掴むと自分の方に引っ張った。
油断していたことを差し引いても俺にとって理解できない状況だった。突きつけたはずのナイフはエレーネの手にある。
当然の如く返せとばかりに伸ばしてきた男の指をエレーネはナイフを軽く振ることで斬りとばし、男が呻くところを左肺付近にナイフを突きたてながら大外狩りの要領で簡単に倒す。
ナイフを抜きながら倒れた男の胸に乗ると最後の抵抗とばかりに両腕がエレーナに迫る。危ない。と声をかけようとした。したが、両腕の腱を一瞬で切り落としたのだろう。それより先に両腕が地面に落ちて土埃を立てるほうが早い。
まずい。間違いなくエレーナは男を殺そうとしている。それも自分たちのために。俺は慌てて鞄の中から哺乳瓶を取り出す。この男が死なないようにするために。
「やりすぎだ。エレーネ」
俺は叫んだ。
いくら男が最低で最悪な男だとしてもエレーネを人殺しにしたくない。だから、俺は願った。 エレーネが止まってくれることを。
その願いが通じたわけではない。通じたからでは無いと信じたい。
突如、風船が割れるような乾いた音が公園に反響する。
と同時に目の前にいたエレーネはトンカチで頭を横から殴られたかのように奇妙に頭をスライドさせてから、血飛沫を頭から噴出しながら倒れこんだ。