その胸の中にも夢は沢山詰まってます
俺を蹴り飛ばそうとした真里菜のハイキックを軽々しく受け止めた少女はエレーネと名乗った。どうやら日本の高校生になりたいらしい。首輪の力で日本語を話せるようになったもののこのままでは単なる不法入国者。こうなったならば首輪の力でなんとかしますか……。
真里菜は少女を睨みながら足を下ろした。
太陽が地平線に近づいていくがまだまだ地上を明るく照らしている。
真里菜の瞳もそれに負けじと赤く輝いている。何がそんなに彼女を苛立たせるのか分からない。けれども、怒っていることだけは分かる。はっきりと分かる。
「で、あんたの名前は?」
「エレーネだよ。よろしく」
どう見ても単なる少女。普通の小学生。って言っても外人の小学生を直接見たことがあるわけではないから自信満々に言うわけじゃないけど。
それにしても真里菜の蹴りを平然と受け止めたと言うことは、さすがと誉めるべきことなのだろうか。誉めたら誉めたで真里菜に殴られそうな気もするけど。
「ご主人様。今日中にもう一回バトルしたいけど」
「ご、ご主人様? 何それ」
「うーん。嫌だった? じゃあ、お兄ちゃんでいい?」
「じゃあそれで」
もう少しでメイド喫茶に足繁く通う親父になるところだった。危ない。危ない。尤も、知らない女の子にお兄ちゃんというのも随分と妖しい呼ばれ方ではある。ただ、妹の初音にいつも兄ちゃんと呼ばれているから違和感は無い。だから、お兄ちゃんなら十分許容範囲ではある。明らかに兄弟ではないことは一目瞭然ではあるが。
「もう、鼻の下を伸ばしてのほほんとしている場合じゃないの」
「別に鼻の下は伸びていないし何の問題もないけど」
「はあ? それだから駄目なのよ響は。この子を何処に泊めるかとかちっとも考えていない。このまま野宿させる気? それとも学校に住まわせるつもり?」
「しばらくはウチに来てもらっていいけど」
「何、何? 響はこの子を家につれて帰ってどういうことする気? そもそも両親にどう説明するの? 高校生バトルで子供拾っちゃいました。って説明するつもり? そんなこと話したら絶対に変な目で見られるって。最悪、ロリコン誘拐犯と勘違いされて逮捕されるけどいいの?」
「いやいや、逮捕とかありえないだろ。常識的に考えて。それにウチの両親は許容範囲がとっても広いから、留学生です。とか言っておけばオッケー。それに寝るときは妹の部屋で一緒に寝てもらうことにするよ。それで何か問題でもある?」
「そこまで言うならば好きにしたら?」
真里菜は不機嫌そうに顔を背ける。
何が気に入らないのか分からないがこんなときは放っておく方がいい。だから、エレーネを連れてさっさと帰ろうと考えて彼女を見た。しかし、エレーネはPDAサイズの端末を真剣に見ている。声をかけづらいなあ。と思いながら見ているとこちらの視線に気づいて振り返る。
「どうしたのお兄ちゃん」
うーん。いい気持ち。エレーネの笑顔は心を癒すなあ。
思わず和んでしまうよ。でも、気をつけないと怪しい誘拐犯と勘違いされかねない。普通の表情をしないとね。
「そろそろ遅いから帰ろうか」
「ごめん。もう一回バトルをしたいんだ」
「どうして?」
「国籍とか必要だもん。ちょっと帰るの遅くなるけどダブルバトルやろっ」
国籍って妙にリアルなことを言い出す小学生……。って中身は小学生じゃないか。
「ところでエレーネは何歳なの?」
「十八歳だよ。そっちの人と違っていつも若く見られるから結構得するタイプなんだ」
いろいろと突っ込みどころが満載で何を言えばいいのか思いつかない。とりあえず、俺より年上だということは敬語を使うべきなのだろうか。パワーは分からないけど格闘では真里菜より強そうだし。
「ふーん。おばさんなんだ」
真里菜がフフンと鼻を鳴らしながらエレーネを見下ろしている。腕組みをして偉そうに勝ち誇っている。
困ったやつだ。そんなこと自慢しても仕方ないだろ。
俺が真里菜を窘めようとするとエレーネが一歩前に出た。
「可哀想。年下なのにおばさん顔だなんて。その癖にテーブルのように綺麗に片付いている胸もたまらなく幸少なそう」
涙がこぼれだしたかのように人差し指で右目を拭う。明らかに同情していると言わんばかり。見ているだけでこちらが憐憫さを感じてしまいそう。頭を軽くナデナデして元気を出してもらいたい。俺がエレーネに近づこうとすると、フーフーと荒々しい鼻息が聞こえてくる。
触らぬ神にたたりなし。飢えている猛獣の目の前に手を差し出すのは愚かなことだ。
俺はいつでも逃げ出せるように後ずさりする。
だが、猛獣に獲物を逃すまいすると鋭い双眸で射すくめられて動けなくなる。
「響、あんたどう思う? 私、おばさんに見える?」
「見えるわけ無いだろ普通の女子高生だよ。安心していい」
「なら、この子と私のどちらが胸が大きい?」
「いや、それは……」
そんなこと知るわけない。別に比べたことがあるわけでもないし。そもそも大きかったら嬉しいのか? 確かに俺としては小さいよりは大きい方が嬉しいけど、単純にそれだけのこと。人間性を否定されるわけでもないし、どうでもいいことじゃないか。
とは言えこの場を穏便に済ませたいという理由のためだけに適当に真里菜の方が大きいと答えるのも躊躇われる。嘘をつくこと自体が気分が良くないし、それ以前に二人にとっても失礼なことだ。
答えなければ丸く収まる。日本人らしく灰色に決着させて家に帰りたい。ちっとも悪いことをしたわけでもないのに修羅場に追い込まれるのはもう勘弁していただきたい。そんなことを考えて沈黙しているとエレーネが口を出した。
「ねえ。お兄ちゃんに触ってもらえばどっちが大きいか分かるよ」
「はあ?」
真里菜は俺のことを痴漢扱いした目で見ながら両腕で胸を隠しつつ一歩下がる。
「自信が無いの? おばさん」
真里菜は犬が威嚇するときのような唸り声を出していたが、意を決したかのように両腕をどける。
「そこまで言うのならば勝負するよ。すればいいんだろ」
半分、やけだ。意地の張り合いと言ってもいい。
呆れて軽く首を振る。
大きく息を吐いたところで二人が俺のことを見ていることに気づいた。
「さっさとやっちゃって」
無い胸を必死に突き出している真里菜が怒声を浴びせかける。
怖いんだけど。
それにしても変な揉め事に巻き込まれるのは勘弁して欲しい。これを答えれば必ず一人には恨まれること間違いない。隙を見て逃げ出したかったのだが、二人の視線にどうすることも出来ずに操られて手を伸ばす。その様はまるでキョンシーだ。
「もしかして役得とか考えてないよね。触れるだけだからね」
「あれ? 自信が無いの? エレーネはお兄ちゃんになら揉まれてもいいよ。揉むだけの大きさが無い人とは違うから」
「うっさい。じゃあ揉んでも何でも好きにしなよ」
ほへっ? 予想外の方向に話が進んでいく。
これは喜ぶべきか悲しむべきか。よく分からないけどここは真剣に揉んで判断しないと駄目だ。いい加減な気持ちではなく、掌で感触を確かめながら評価しないと。
俺は両手で真里菜の胸に触れてみた。
そんなにコンプレックスに感じるほど小さいとは思わない。大抵、こういうのって本人の考えすぎなんだよな。
そう思いながら軽く揉んでみる。
胸というより服の感触が強いな。というのが第一印象。これ以上、触れてもあまり意味は無さそう。と考えていると真里菜と目が合った。瞳の中で夕暮れの太陽の光が反射したような気がした。俺がじっと見つめると真里菜は夕陽で茜色に染まっている顔を背ける。
ふと、罪悪感に襲われて両手を離した。
「次はエレーネの番」
真里菜に言われて、こっ、これは本当に変な気持ちは無いんだからねっ。と自分自身でツンデレしながら手を伸ばす。
しかし、エレーネはくるっと半回転して俺に背を向けた。と、同時に時間が停止したような感覚が俺たちを包み込む。
「ダブルバトルを宣言します」
エレーネは大きな声を出した。
よく見るといつの間にか白人の大男が二人俺たちから少し離れた場所に立っている。
「エレーネ、あんたハンマー兄弟とダブルバトルを申し込んだの?」
「大丈夫だよ。私一人でやるから心配しないでいいよ。真里菜も響も」
エレーネはハンマー兄弟とやらに向かってゆっくりと近づいていく。
「ハンマー兄弟って?」
俺は真里菜に尋ねる。先程の様子だと何らかの事情を知っていそうだから。
「とりあえずペアバトルで勝ち続けて決勝進出条件をクリアしているのに能力アップのために目茶弱そうな相手を見つけてバトルしているハイエナ野郎。能力は銃に似た飛び道具らしくてかなりの威力があるみたい。ランキングも五十位以内だから、かなりの強敵。気をつけて」
「それにしても俺たちを見つけて弱そうな相手とは勘違いも甚だしいな。はっはっは」
「何を笑っているの。アンタが弱いと思われているんだって。少なくともエレーネのランキングは百番台なんだから」
思わず口を閉じる。
そうだった。忘れていた。自分のランキングがやたらと低いことに。
「ボーっとしていないでエレーネの手伝いでもしてきな」
尻を蹴飛ばされそうな真里菜の勢いに俺は走り出した。
が、その行為自体に意味はなくなっていた。
何か俺でも出来ると思っていたのに。エレーネの役に立つことくらい出来ると思っていたのに。
全く何もできなかった。
自分自身の存在自体が悲しくなるほどにハイエナブラザーズと闘うことができなかった。
と言うのもその時、既に二人は気絶していたから。
きっと気絶した二人も何が起こったのか理解できなかっただろう。それほど鮮やかな手口。恐るべき速攻。
体が震えて鳥肌が立った。
俺は改めてエレーネの能力に圧倒される。
いや、首輪の能力の高さだけではない。可愛らしい容姿を含め自分の能力を完全に理解して使いこなしている。彼女が本気になったならば既に能力を知られていることを含めて勝ち目は無い。智ちゃんの戦闘力も尋常ではないと感じていたが、エレーネの実戦能力は桁違いだ。
そもそもあのアミダくじの制限条件を見破っておかない限り互角にはなれない。
きっと顔を引きつらせているだろう俺に向かって軽々しくエレーネは下手投げで首輪を放り投げてきた。落っことさないように両手でキャッチしてから彼女を見る。
「お兄ちゃん。使って」
エレーネは当然のことのように言う。
「でも俺、何もしていないぜ」
「いいの。約束だし」
「なら、腕力をアップさせよう。戦闘にも役立つし」
横から入ってきた真里菜の台詞にエレーネは表情を曇らせる。
「文句でもある?」
「だって今更お兄ちゃんの腕力をアップさせても雑魚状態は変わらないよ。なら能力自体をアップさせたほうが戦闘には有利だよ」
「能力自体のアップなんてできるの?」
「だよだよ」
真里菜もこのバトルのことを良く知っていると思っていたがエレーネはもっと詳しい。ある意味どうしてそんなことまで知っているのかと質問したくなるほど。何処かに取扱説明書でもあるのならば読んでみたい。
「響!」
「あっ、はい」
「さっさと能力をアップさせな」
命令口調ですか。へいへい。分かりましたよ。
俺は首輪を掴みながら自分の能力アップを依頼する。掴んでいた首輪が消え去ると体に変化が……無い。当然の如く何も感じられないか。
「で、能力はどう変化した?」
「うーん。ってエレーネは見るな」
「綺麗なお姉さま、ちょっとだけならいいよね」
エレーネは懇願するような表情を真里菜に見せる。
先程のやり取りから考えて真里菜がそんな簡単にエレーネに気を許すはずが無い。俺はそう考えていたが、エレーネは真里菜に近づいて何やらヒソヒソ話を繰り返している。
二人は水と油の体質だし性格とか合うはずが無い。
無いはずなのに……。
真里菜が涙を流している。一体全体何が起こった?
それだけじゃなくて、エレーネに向かって自分の家で一緒に暮らそうとか言っているし。
「というわけで、響。あなたの能力は自分の恥ずかしい経験や状態で人を笑わせることが出来る。という能力にグレードアップしたから。制約条件は今までと同じみたい」
あら、この人、エレーネに向かって制約条件を含めて暴露してしまっているけど……。ここまで知られたら完全にエレーネに勝つことは出来ないだろう。だからエレーネが敵にならないように人間関係を頑張ろうとすることにしよう俺。それにしても徐々に危険な高校生活になっていくのはどうすることもできないのかねマジで。
「それじゃあ今度は」
エレーネが考えている。
でも、一回の願いで効率よく日本人の女子高生になる方法なんてあるのだろうか?
「ヒルベルト高校、一年一組の生徒としての法的根拠」
うおっ。何かかなり複雑なことを言ったような気がする。先程の俺のときと違って首輪は淡く点滅しながら消滅しようとしない。まるで相談でもしているかのようだ。
「お願い!」
エレーネが飛びきりのスマイルをすると点滅していた首輪が突如消えた。
ちょっと。それインチキというか贔屓じゃないか?
俺が心の中で突っ込んでいると空から書類が沢山バサバサと落ちてくる。どうやら戸籍やら住民票やら高校への転入届やら各種の必要そうなものが山ほどだ。
この書類を整理するだけでウンザリとしそうだ。
でもエレーネは頬が零れ落ちそうなくらい嬉しそうに緩ませている。必死に集めて胸に抱え込む。
「鞄に入れる?」
「お願いお姉さま」
はあ? さっきまで一触即発状態だったじゃないか。この変わりようにはついていけない。これだから女の世界って怖いんだ。
「ごめんね。お兄ちゃん。今日からお姉さまの家に住むことになったんだ」
「別に気にしてないって」
俺の内心を気遣ったのかエレーネが謝るが、両親に説明するのも大変だし厄介ごとの重荷が減ったくらいで残念だとかは考えていない。ただ妹に紹介したら喜ぶかもしれないとは思ったけど本当にそれくらいだ。
「じゃあそろそろ帰ろうか。バトルだけじゃなくって胸の大きさ勝負とかもやらされて精神的にもスゲー疲れたから」
「ひーびーきー、あんた今、何て言った?」
「あっ、そうか勝負は決着がついていなかったっけ?」
エレーネに向かって両手を突き出した。さっきの感触と比較できるようにグーパーと指を動かす。
当然、エレーネも望んでいるものと考えていた。真里菜より胸が大きいことを自ら証明しようとするものだと思っていた。それなのに、冷ややかな目つきで俺のことを見つめている。
あれ、おかしいな。おかしいよね。そう思いながら右足を踏み出した瞬間にエレーネの顔色が赤くなる。
これって夕陽のせいだろうか。
そう考えながら俺はにっこりと微笑んだ。優しさを感じさせるように。
なのにエレーネは右手で握りこぶしを作っている。
あれ? と思い横を見ると真里菜は右拳をコークスクリューパンチを撃つ練習のようにグリグリと捻っている。
まさか、まさか、おかしいよね、それ。と思いながら左足を上げた瞬間に、二人の声が屋上に響きわたる。
「いい加減にしろ!」
「お兄ちゃんの変態!」
俺は顔と腹に放たれたパンチだけでなく、胸にも大きな痛みを感じながら背後に倒れこんだ。