灰かぶりに愛車をかっぱらわれたので、利息を付けて取り立てに行きます
昔々あるところに、継母と義姉達に酷く虐げられていた女の子がいました。その女の子はとても綺麗な桃色の髪をしており、内側から滲み出るような美貌の持ち主。長いまつ毛は自然と上向きにカールし、ぷっくりとした唇はいつも濡れているような子でした。台所で寝泊まりしていたので、ついたあだ名は「灰かぶり」。
朝から晩まで働かされ、楽しい事も自由になる時間もありませんでした。
心のよりどころは父から貰った枝から育った巨大な木。そこを訪れる二羽の白い鳥が、街中で拾った可愛らしいものを彼女にプレゼントしてくれます。時にはバレッタだったり、車のエンジンパーツだったり、果ては壊れた電動工具だったり。
そんな彼女の唯一の楽しみは、たまに家を訪れる獣医の女の子。同い年という事もあって二人はすぐに打ち解け合い、可愛らしい野花やゴミ捨て場にあった変わった電動工具などを一緒に集めてコレクションしていました。獣医の子の趣味は機械いじり。灰かぶりは歯車やエンジンパーツを、獣医の子は灰かぶりに改造アクセサリーを送り合っていました。
そして舞踏会の招待状が、国中の独身の女の子達の元へ届きます。その対象年齢は十八歳から五十歳までと物凄く幅広い事。なんでも噂によると、王子は先日の戦争で強烈な一撃を頭に受けてから女の子への興味がなくなり、王城の財政を圧迫する勢いで光り物を「うふふふふ」と微笑みながら買い漁るようになったのだとか。
ともあれ、一国の王子。もちろん選ばれれば玉の輿は間違いなしです。もっとも、次期王妃はまだ孕まぬのか、と王様が余計なお世話で口やかましく夫婦の事情に首を突っ込んできそうではありますが。
「灰かぶり、行く?」
「もちろん! ただ……継母達がなんて言うか分からないわ……。その日のお稽古もさぼらないといけないし。それにこんなお洋服じゃ、お城に行くのも恥ずかしいわ」
「大丈夫よ! 私が作ってあげる! 私とお揃いの服にしない? 私の家に置いておいて、舞踏会へ行く直前に着替えればいいわ。私が詐欺メイクをしてあげる! そうすればバレないし!」
「あ、それはいいわ! お願い! あ、じゃぁ、お礼にこのスパークプラグを上げるわ。実は近所の研究所のゴミ捨て場にあったんだけど、なんか綺麗で」
「わぁぁあ、本当に綺麗ね! ありがとう!」
ここにて、国をも巻き込んだ二人の女性の衝突物語が始まる。
◇
「獣医ちゃん! 見て、今日は鳥達がチェーンメールの一部装甲を発見してくれたみたい!」
私は灰かぶりちゃんの差し出したチェーンメールを、星を散らすような勢いで目を輝かせながら見つめた。
美しい! 鎖のように鉤編みされた兵士の防衛服だ。背中の部分だろうか。大きめなので、この均一な規則で編まれた強度のある着衣からは何千通りもの活用法が考えられる。
「綺麗……。ここなんて少し錆びている! 凄いわ! つまり、ここの鉄の配合割合だけが違うのかしら? 素晴らしいわ、灰かぶりちゃん! これでドレスに新しい防具部分を追加できるわ!」
「うふふふ、喜んでくれると思ったわ。獣医ちゃん、とても素晴らしい才能があるし。ドレスはどう、進んでいる?」
「舞踏会は明日の十八〇〇時からよね? うーん、絶対に格好よく仕上げてみるわ。あと、あなたの靴のサイズって何かしら?」
「十五センチよ」
「ちっさ! あなた、なんでそんなに足が小さいのよ。そりゃよくバランスを崩して転ぶ訳だわ。可哀想に」
少し考えてから、私は頷いた。
「よし、分かったわ! ドレスとセットの靴も作ってあげる」
「え、本当⁉ 物凄く嬉しいわ!」
「その代わり、私の髪の毛のセットをお願いできるかしら? こう、スプリングとナットを編み込むような感じで、一番下にはリボンをあしらって」
「もちろんよ! 一緒にあの舞踏会へ行って、機動部隊へのスカウトを勝ち取りましょう!」
「ええ!」
機動部隊。それはこの国の最強部隊である。ここにスカウトされれば、灰かぶりはあの意地悪な継母と義姉達から離れられるし、私は世界へ羽ばたくという夢を叶えられる。最高の機会であり、私達のような目立たない市民には最初で最後かもしれない就職活動のチャンスだ。リクルートスーツ代わりのドレスにも、力が入るのは当たり前。
座右の銘は「夢は叶えるもの」である。
「灰かぶり! 灰かぶり、どこにいるの⁉」
鼓膜を穢すレベルの声質と、あまりの音量に、私達は揃って耳を塞いだ。
私の家はシンデレラの家から徒歩二十分。「近い」とは言い難い近さなのに、継母の声は本当にメガホンバズーカ砲である。
「灰かぶり、先週、継母さんに美声になるマッサージ器をあげたんじゃないの?」
「あげたわよ! でも、自分はもう絶世の美声だからって雄鶏に使っているみたい。おかげで朝はやたら渋くて格好いいコケコッコーに起こされるのはいいけど……その、雌鶏達がその美声に嫉妬してしまって。雄鶏の頭部の羽根をむしって禿にしてしまったの」
「まぁ! それは私も雌鶏だったら嫉妬してしまうわ。でも問題は継母さんのダミ声をどうするかよねぇ」
「取り敢えず、今夜は寝る前のエスプレッソに少量のエンジンオイルを混ぜてみるわ。最近のは性能いいし、喉の通りも滑らかになるって噂なの!」
「へぇ、そうだったのね。知らなかったわ。灰かぶり、意外と博学なのよね」
灰かぶりは立ち上がり、下敷きにしていたノート型パソコン兼ビーチチェアを折り畳んだ。
「ドレス本当に楽しみにしているね! 明日は多分お姉様達の用意を手伝っているからギリギリまで来られないと思うの。もし至急で必要なものがあれば伝書モグラを放ってね」
「ラジャ! その前に何か掘り出し物があれば送ってね!」
「うふふふふ、おやすみなさい、獣医ちゃん」
「うふふふ、おやすみ。灰かぶりちゃん」
灰かぶりを見送った後、私は早速家に入り、作業台へ向かった。
昨日深夜まで練りに練った設計図を広げ、目の前の作りかけのドレスを見て目を細める。
次はちょうど肩部分に着手するところだ。
先程貰った二層構造のチェーンメールをペンチで分解していく。私は錆が大好きなので、これは何も変えずにそのまま自分のドレスに縫い込むつもりだ。私のドレスのテーマは侘び錆びである。
対して灰かぶりの方は逆にステンレスと鋼色を基調とし、ホルモン剤で巨大化した海ぶどうを散らすつもりだ。彼女のテーマは剛とプチプチである。あのぷるんとした唇に合わせたテーマなのだ。
問題は重さ。灰かぶりはキャベツダイエットで異様に体重を落としてしまい、細身なので引き摺れる重さには限度がある。軽量化は必須だ。あ、あと下腹部引き締め効果もあった方がいいかもしれない。キャベツを大量に食べていて下腹部がガスで少し腫れていたらしいし。あ、ガスの常備薬「バズーカー10」を持っていってあげようかしら。
ドレスに不要な可愛らしいひらひらとした部分は削る。しかし強度は残す。
見た目はカラーと電気で華やかに。だが何かあれば武器をすぐに引き抜けるように。
ドレスメーキングにおいて、武器の着脱速度がとても重要であり、それをどうドレスと無理と無駄なく一体化させるかが課題になる。
舞踏会は非常に甘い誘惑の多い、危険な就活戦場なのだ。
準備万全で挑まなければならないのだ。ドレスは自分のスキルのポートレートと同じだ。このドレスは私の美とセンスの集大成にしなければならない。
二人の背中から機動式の片翼の骨組みをつなぎ合わせる。飛べはしないものの、機動させて羽ばたかせれば、空中ではウィンドグライダーにもなるし、地上からは脚力に爆発的なスピードが乗るだろう。ここの骨組みはそこまで強度はなくてもよいので、アルミで造り、いざとなればトカゲのしっぽのように切り離せるようにしよう。
綺麗な布を何層にも重ね、優雅さも出す。「可愛い」はいらないが、「優雅」は必要でしょう。だって、王城よ?
そして最後の締め。微弱電流を発生させるビーズを散らす。布との摩擦で蓄電し、襟元のレースに仕込んだボタン一つで放電可能の新作である。これで私達は周りの男達をビビビとスパークさせる、刺激的な女になれるのだ。
靴は彼女の身長を少しでも高く見せるため、スーパー厚底にした。踵には美しいガラス製の拍車型ブーツスパーをボタンのように三つ縦にも付けてある。ガラス製の靴、我ながら素晴らしいアイディアだ。
「……できた!」
仕上がったドレスは気品があり、両方とも共通の優雅さを備えながら、それぞれ異なる美しさも持っている。
私が手掛けた最高の出来のドレスである。
その時、玄関のドアを叩く小さな音が聞こえてきた。現在時刻〇三一二。こんな時間に一人暮らしの女性の家を訪ねる不届き者は誰だ?
私は火炎放射器を構え、ゆっくりとドアを開けた。
すると、ゴールデンハムスターサイズの伝書モグラが恐怖に震えながらドアの隅で丸まっている。モグラの小さな足元には手紙が括り付けられていた。
「あら!」
私は驚いた。灰かぶりがこんな時間まで起きているのは珍しい。基本的にお肌の黄金タイムには爆睡している子なのに。
私は急いで手紙を開封する。やはり彼女からの文だった。
『獣医ちゃんへ。はぁい、こちら、灰かぶりでぇす! ねぇ聞いて、超大変なの! 義姉様達が逃走軌道確保部隊の隊長様を射止めるために、違法改造された高速ワンマンショベルマシンを用意したみたい。しかも機動部隊の採用担当者達への賄賂として、最高級エンジンフィルターを持ち込む計画らしいの。私、なんだか嫌な予感がするのよ。明日、気を付けてね。問題があれば全員ぶっ飛ばそうね。親友より』
私は相変わらず筆跡が強すぎる灰かぶりの興奮した口調の手紙を畳んだ。
そして静かに笑う。
「なるほど」
そういう事か。
今夜の舞踏会はただの舞踏会ではないらしい。
激しく欲望の入り混じった人材獲得競争だ。
◇◇
「凄いわ……! 獣医ちゃんがこれ全部作ったの!?」
灰かぶりは『剛とプチプチ』のドレスを前に歓喜の声を上げた。その美しい光沢もさる事ながら、蓄電ビーズの間を時折小さな稲光が走り、ビビッドな存在感を放っている。
「本当に外見の美しさといい、実用性といい、インパクトといい……これだったら絶対に機動部隊の目に留まるわ!」
「でも覚えていてね。スパークする時はドレスのここにある部分、エンジンオイルや灯油の流れのバルブね、これをちゃんと遮断してからよ。いくら難燃素材だと言っても、海ぶどうは生ものだから萎れて燃えてしまうの」
「プチプチが消えてしまったらドレスは台無しになるわね。分かったわ。ねぇ……気になるんだけど、家の前に停めていたモンスターバイクも、もしかして獣医ちゃんの発明品?」
「えぇ。昨日、灰かぶりちゃんから貰ったパーツで核融合発電二輪自動車を完成させたのよ。これで舞踏会に乗り込もうかと思っているわ」
「まあ! 皆様の視線を釘付けにする事、間違いなしですわ! いいなぁ、とても格好いい。あんなのに乗って、髪を暴風に抜けるほどなびかせながら、生え際を後退させてみたいわ」
ちょっと罪悪感がする。彼女がそこまでバイク好きだとは知らなかった。
「一人乗りなの、ごめんね。違法改造車でなければ灰かぶりちゃんも乗せるんだけど」
「ん~ん! このドレスだけでも嬉しいわ! とても強そうだし、きっと機動部隊の目に留まるわ。核融合発電の新技術がなくても、みんなの視線を釘付けにするつもりよ」
「いい心構えだわ!」
「……にしても、とても綺麗なバイクだったわ。見る角度によって生蟹カラーから茹で蟹カラーへと変化するのもセンスが凄くいいわ。あ……、ねぇ。獣医ちゃん、簡単にシャワーで埃を落としてきたらどう? これから王城に行くんだし」
ギリギリまでメカをいじっていたせいで、自分の身なりを整えるのを忘れていた。それを指摘してくれた灰かぶりには感謝である。
持つべきものは、自分の情熱を認めてくれる親友だと思っていた。
エンジンオイルと埃を洗い流し、チョコレートベースの香水をワンプッシュする。ギチギチに締め付けるコルセットを着用してから部屋に戻ると、灰かぶりはいなかった。ドレスもなくなっているので、どこかで髪を編んでいるのだろうか。
「灰かぶりちゃん? どこ?」
歩き回って探してみるが、返事はない。嫌な予感がよぎり、私はコルセットと下着のカボチャパンツだけの裸同然の姿で、玄関のドアを解き放った。
愛車が、消えていた。
私の愛車。
初ドライブは舞踏会への乗り込みを予定していた愛車。
「灰かぶりちゃん……どうして?」
涙が頬を伝う。
「私の核融合発電二輪自動車……。私の……愛車の初ドライブ……」
顔を上げて月を睨み上げる。
「おのれ……灰かぶり……。許さないわ。恩を仇で返すなんて! 許さない! この裏切りは利息を付けて返してもらうわよ!」
王城まで歩くとしたら、到着するのは舞踏会が終わる頃になってしまう。機動部隊へのプレゼンテーションのための準備も、全てパアだ。
「おのれ、この恨み、まとめてぶっ放してくれるわ」
私はドレスに着替え、背中に火炎放射器を背負った。暗視ゴーグルを装着し、スイッチを入れる。
「せいぜい私が到着する前に機動部隊を味方につけるのね、灰かぶり」
暗闇の連なる山々の向こう、一番奥の山脈で誕生日ケーキの蝋燭のように灯りを灯す王城へと走り出した。
◇◇
灰かぶりは機動部隊ではなく、王子の目に留まったらしい。
王子は私のドレスと蓄電ビーズに魅せられ、機動部隊は私のバイクに魅せられた。
つまり、私が一生懸命暗い山道を走っている間に、彼女は嘘一つで王城中を味方にしてしまったのだ。
ここまで私をバカにした喧嘩を売られたのは初めてである。
いいわ、買ってやろうじゃないの。
まだ空は暗いが、もう少しで朝日が昇ってくるだろう。時刻は〇五時三十九分、反撃開始。私は熟練のゴキブリのように床に這いつくばり、手足を動かして近寄った。
王子はずっと灰かぶりのドレスに貼り付き、「いいなぁ、僕もこれが欲しい」と呟いている。
私はその様子を、食事を運ぶ台車のシーツの下から覗いていた。
愛車は機動部隊に完全に包囲されていて、丁寧にワックスがけされていた。今近づくのは賢明ではない。王族御用達の高級ワックスをかけてくれるのは凄く嬉しいのもある。
灰かぶりはパパ以外の異性と話すのは久し振りらしく、頬を染めて高速で瞬きを繰り返している。どこかで「女の子のぷっくりした唇は可愛い」と吹き込まれたのだろう。その間違った認識を律儀に実践し、唇をやたらと突き出している。上唇の上には小石の一つや二つ置けそうだ。せっかくの可愛らしい顔が微妙なタコ顔になっている。
「王子様……私とも踊ってください」
村娘の一人が勇気を出して灰かぶりに纏わりついている王子に声をかけている。彼は金髪を大げさにかき上げ、彼女のドレスを一瞥すると長い溜息を吐く。
「余が欲しいのは綺麗な物のみじゃ。その色と布しか散らしておらんドレスじゃマイ・ハートは動かぬ」
王子は甲高い声をしていた。こんな貧弱な奴、ちゃんと戦場で指揮を取れるのだろうか?
それにしても、灰かぶりは機動部隊を《《これ》》なんかのために諦めたのか? 王子って絶世の美男と聞いていたが、これはちょっと……、どう半目にして見てみても好みじゃないわ。大体なんで顔真っ白に塗りたくってマロ眉なの? それが絶世の美男の条件だったっけ? 自分よりも眉毛にこだわっている男と付き合うのは大変だと思うのだが、灰かぶりはそれでもいいのだろうか。誰が毛抜きを使うかで、毎朝鏡の前で喧嘩しそうだが。
ドレスを貶された村娘は涙を堪え、出口の方へと走っていく。彼女の開いた場所に、めげずに別の村娘が王子に声を掛けている。
広間の奥の方で強面な機動部隊が徐々に壁沿いにて一列に並び始めていく。これは王子警備部隊なのだろうか。きっとまだ最後まで粘っている女性の村娘方に「もう帰れ」とのお達しをする時間帯が近付いているから威圧オラオラプレッシャー前線を組んだのか。王子は明らかに一人の服にしか目が向いていないのだから。
台車のシーツの下に再び隠れ、私はカボチャパンツに仕込んでいた改造閃光手榴弾を三個取り出す。
——私を舐めるんじゃないわよ、灰かぶり。めちゃくちゃ楽しみにしていた愛車の初ドライブを奪った報い、受けるがいい!
右肩の後ろに取り付けていたガスマスクを引きはがし、装着した。周囲のゴムをきつく締め直し、隙間を完全に潰す。小気味いい音がして二本のピンを引き抜き、起爆レバーを押し込んだ。
これで準備は整った。あとはタイミングである。
王子は灰かぶりの手を取り、広間の中央へとエスコートしている。
「さぁ、余と社交フィーバータイムじゃ。後でその海ぶどうを味わわせておくれ」
「は、はい……!」
灰かぶりの夢見るような顔を見て、私はニヤリと笑った。
「今よ」
シーツの下から改造閃光手榴弾を天井へ向かって放り投げ、すぐに目をきつく閉じる。
「あれは……⁉」
機動部隊の一人が叫んだ瞬間。
——子供の頃、甲子園を見ながらキャッチボールして鍛えた肩を思い知るがいい。
きっかり五秒後。完璧な放物線を描いた二個の手榴弾は、シャンデリアの近くで炸裂した。
目を閉じていても、眩い閃光が瞼の裏を白く染める。爆音がシャンデリアのガラスに反響し、室内に何度も跳ね返った。細長い棒状のガラスを幾重にも重ねたシャンデリアは、その光と音を増幅し、数秒の残響すら引き延ばす。
「目がぁぁぁ!」
「敵襲か⁉」
「伏せろ! 王子を護れ!」
「なんだって!? くそ、聞こえねぇ!」
悲鳴と怒声が交錯する。
だが、光と音だけでは終わらなかった。それは甘すぎる。
破裂した外殻の中から、数百匹の刺激に驚いたカメムシが雨のように広間へ降り注いだのである。
「くっさぁぁぁああ⁉」
「うぇ……うぷっ!」
「な……何だこれ……ぐぇっ」
閃光手榴弾は本来、人間の視覚と聴覚を一時的に奪う兵器だ。
だが私の改造版は違う。そこに嗅覚が加わる。
視覚、聴覚、嗅覚。三つを同時に過剰刺激すればどうなるか。
答えは単純だ。
脳で激しい混乱が、起こるのだ。
「なんだ⁉ ペンギンが空を飛んでいるぞ⁉」
「んなわけあるか! そちらはひこうき雲をお尻様からぶっ放していらっしゃる王子様だ!」
「余はそんなはしたないことなどせん! 風呂場とベランダでぶっ放しておる!」
そんな情報は欲しくなかった。
「これは……! 王子様! 私をお守りください!」
「なぜ余が——」
「このドレスが盗まれますよ⁉」
「全力でこちらの淑女のドレスを守れ、野郎ども!」
うぉぉぉぉぉ、と闘志が湧き上がる中、私は身を屈めて一気に二階へ駆け上がる。目指すは一階広間を見下ろすテラスだ。
逃走軌道確保部隊が何人か広間へと駆け込んでくる。
「王子様! 移動しま……くっせぇぇぇぇ!?」
「王子のお鼻様の逃走軌道を確保しろぉ!」
王子警備部隊と逃走軌道確保部隊が合わさって王子逃走部隊となった。その人数は十数人。
「灰かぶりぃぃぃ!」
テラスにたどり着いた私は火炎放射器を肩に担ぎ上げて狙いを定める。
「よくも私の愛車の経歴に傷をつけてくれやがったなぁ! 可愛さマイナス一倍、憎さ三万倍! この恨み、利息どころか複利付きで返してやるわ! 発射ぁ!」
火炎放射器内部で圧縮されたガスを解放する。無色の硫化水素が一気に噴き出した。腐った卵の臭いで有名な、吸いすぎると普通に死ぬ超危険有毒ガスである。もちろん危険領域に差しかかるぎりぎりの濃度まで薄めてある。分量は、多分、あっていると思う。
一瞬にして、広間を腐った卵のような臭いが覆い尽くす。
一気に増加したパニックに紛れ、手にしていた三つ目の改造閃光手榴弾を一階に落とす。誰も気付かなかった手榴弾の効果は、絶妙な時差でその力を発揮した。
激しい音と閃光が走り、カメムシの群れが繰り返し刺激される。新たなカメムシも加わり、パニック状態で飛び回っていたカメムシも、再び、一斉に防御反応を放った。
刺激臭同士が混ざり合い、髪やドレスにまとわりつく。吐き気を催すほどの強烈な悪臭が広間に充満する。
「うぉえっぷ! ……なんだこの臭い⁉」
「ぎゃははははは! これは温泉か!? 温泉卵なのか!? カメムシが大量に浸かってやがる!」
「ぐぁああああ! 鼻がバグってやがる、集中できねぇ!」
叫びが重なり、命令が衝突し、王子逃走部隊の統率は一瞬で崩壊する。
そして混乱は次の段階、認識の崩壊へと移行した。
「出口だ! 王子様を緊急脱出口から突き落とせ!」
「嫌じゃ! 余は出口の匂いが怖いのじゃ!」
「出口に匂いの概念などございませんぞ! 潔く地中掘削突撃機に移動してください!」
「嫌じゃ! あれはキラキラしとらん! くっさい方が、まだマジじゃぁぁぁ!」
王子逃走部隊の一人が窓を開けようと走ると、別の誰かが叫ぶ。
「開けるな! 外にこれが漏れたら終わるぞ!」
「なんでだよ!?」
忠告は無視され、窓が勢いよく開け放たれた。
刺激臭は目に見えない濁流となって外へ流れ出し、新鮮な空気が一気になだれ込む。
灰かぶりと王子は窓から上半身を乗り出し、必死に外気を吸い込んでいた。別の窓では機動部隊の隊員達までもが半身を突き出し、我先にと深呼吸を繰り返している。
私はテラスの手すりに足を掛けたまま、その惨状を見下ろし、溜飲を下げるように魔女じみた高笑いを響かせた。広間では人間達が蟻のように右往左往している。
ガスマスクの広いアイピースの内側には汗が滲み、視界が少し曇っていた。さすがに面体防毒マスクは暑い。背中の軌道式片翼を展開し、羽を大きく広げた。
「ドレスを返してもらうわよ、灰かぶり! それと、そんな詐欺師の戯言にまんまと乗せられる単純馬鹿な機動部隊なんて、まとめて絶滅危惧種になってしまいな!」
アルミ製の骨組みが、ぎしりと軋む。
そして、私は飛んだ。
「敵襲だぁ! 王子様とドレスを護れ!」
「私の体もちゃんと護ってください!」
「王子様とドレス、そしてお嬢ちゃんの胴体を護れ!」
「頭部や手足もちゃんと護ってください!」
私はモモンガのように風を捉え、縦長のシャンデリアの周囲をくるくると旋回しながらゆっくり降下する。
その間も、カメムシの群れは緑色の雲となってアイピースへ殺到し、石礫のような勢いでバチバチと体当たりを繰り返していた。
よほど強烈な臭気が漂っているのだろう。
濁った黄緑色の霧が広間一帯を覆い、まるで毒沼の上空を飛んでいるかのようだ。
「見えん! 何も見えんぞ!」
王子の悲鳴が響く。
「ご安心ください王子様! 我々もまったく見えておりません!」
「ならば敵も見えておらぬのじゃな!?」
なぜそういう結論になるのだろうか。
下では王子逃走部隊が必死になって隊列を立て直そうとしていたが、視界不良と悪臭と脳内混乱が合わさった結果、もはや冷静な判断など存在しないも同然だった。
「敵は窓ではなく室内にいる! 回れ右!」
「右とはどちらでしょうか⁉」
「お椀を持つ方だ!」
怒号が飛び交い、逃げ回る者同士がぶつかり、誰かが誰かの上に転び、その上へ更に別の誰かが頭から突っ込んで乗り上げる。
私はその光景を笑いながら見下ろし、さり気なくガスマスクをもう少し顔に押し付ける。混乱した人間は醜い。
目標はもちろん灰かぶりではなく、彼女の着ている私のドレスである。回収不可ならば即破壊する。ドレスとバイクのない灰かぶりはきっとすぐに見放される。自ら何も発明出来ないのならば勝手に自滅するだろう。
灰かぶりもそれが分かっているのか、王子と王子逃走部隊に囲まれていても必死に両腕でドレスを抱き締めてしがみ付いている。
やはり大人しく返却する気はないらしい。
私は自分のドレスに取り付けていた大小の歯車を次々と外し、手裏剣のように飛ばし始める。綺麗にスパイラルしながら歯車達は王子逃走部隊の足元を払う。視界が悪いせいで飛んでくるピースが見えずに彼らはドミノ倒しになっていく。
片翼を着陸態勢へと合わせ、ベルトの一つを強く握る。風が耳元で唸りを上げ、片翼の骨組みが負荷に耐えながら細かく震える。
私は両足を前に突き出し、そのまま灰かぶりに衝突した。
「ドロップキィィィィィック・ウィングバージョン・王城破り!」
「ふぇぶっ⁉」
重心を前へ倒して一気に急降下した分、スピードの乗ったキックが見事に炸裂した。
ベルトを引っ張り、片翼の骨組み部分を取り外す。アルミ製だが少しサイズもあるので一気に背中が軽くなった。
私はニーハイに手を突っ込み、両手いっぱいに羽根を引っ張り出して一気に宙へ投げ放った。悪かった視界がさらに悪化する。
「ぎゃぁぁぁぁぁあ! 羽根が口に入ったぁ!」
「うぎゃぁぁぁ! カメムシくっせぇ羽根ぇぇぇ!」
しゃくり上げるようにえずく音に、今度は羽根を吸い込んでしまってくしゃみが色んな方角から聞こえてくる。
「痛ったぁぁぁぁぁああ⁉ 獣医ぃぃぃ! よくも私の可愛い顔を!」
「蛸口がちょっとは凹んでよかったじゃないの!」
私は重心を落とした姿勢のまま、声を頼りに詰め寄ってくる王子逃走部隊の腕をかい潜り、掴んでいた数匹のカメムシを顔面へ叩き込む。悲鳴が上がる。
それでも王子逃走部隊に選ばれる先鋭らしく、両目から涙をだばだばと垂れ流しながらも私に掴みかかってくる。
一人の手が私の近くを掠める。
自分のベルトに仕込んだ起動リモコンのボタンを押した。
数秒後。
激しい衝突音と共に壁が吹き飛んだ。大きな石片や粉末が広間の中に吹き飛んでくる。吹き飛ばされた数人が私の目の前で飛んでいく。大きく破壊した壁を突き通って現れたのは私の核融合発電二輪自動車《愛車》だ。
狙いを定めて私は灰かぶりの襟元のボタンを押した。蓄電ビーズが一気にスパークする。そしてその蓄電ビーズが過充電し、真っ白に発光してくる。王子は目を大きく見開く、そのビーズに見入っている。
「うつく……しい! 美しいぃぃぃぞぉぉぉぉぉ!」
「ちょ……誰か、その王子さん止めて! 直視すると失明するわ!」
私の声に王子逃走部隊が慌てて王子を引き摺り離すが、王子は暴れながら「余はあの美しい光を見るのじゃぁぁぁ!」とドレスに両手を伸ばしている。灰かぶりは助かりたいから、目を閉じたまま自分から王子の方へと歩いていく。
「バルブ全開の力!」
わざと蓄電ビーズの間に張り巡らせたガソリンチューブにビーズのスパークが飛び、ドレスが真っ白な放電に包まれる。
「うぉぉぉおお⁉ 眩しい天使じゃぁ!」
「天使じゃなくって私のドレスよ!」
特殊な難燃素材でできたドレスは放電しながら次々と優雅なレースを黒焦げにして縮ませていく。巨大化した野球ボールサイズの海ぶどうが次々と弾けていく。真夏日の炎天下で放置された海藻のような生臭い匂いが灰かぶりをさらに香ばしくしていく。これで暫くは相当臭いのがついてまわるだろう。
ボフッと音がしてドレスの火がラストブレスを放った。
ドレスのキラキラが全て壊れ、骨組みは残っているが灰かぶりは、それはそれは、とてもみじめな恰好になりました。
——あー、すっきりしたわ。これで灰かぶりも機動部隊から見放されるわね。
私はガスマスクを清々しい気分ではぎ取った。
失敗した。マスクは取るんじゃなかった。
猛烈なカメムシと硫黄臭に吐きそうになる。
「す、すごいぞ⁉ この核融合発電二輪自動車やドレスは破壊兵器じゃないか! 君が作ったのか?」
機動部隊員達が鼻を押さえながら私の方へにじり寄る。
「ぅえ……。ええ、そうよ! 灰かぶりは私のドレスを着ているだけ! 私の愛車を盗んで、ね。……うっぷ」
「ちょ、ちょっと借りただけよ!」
「なに!? 余の顔の前にそのキラキラをぶら下げて嘘をついたのか⁉」
——一体、灰かぶりは王子に何を言ったのだろうか。
その時、遠くから聞こえていた羽音が、一気に巨大化した。ブゥゥゥゥゥゥン、とまるで嵐が迫ってくるような重低音に広間の全員が顔を上げる。
「王子様! 今すぐ地中掘削突撃機へ! 得体の知れない黒い雲が近付いております!」
「バカ野郎! ありゃ死肉を好むハエだ! カメムシの匂いが呼んだんだ! だから窓を開けるなと言っただろうが!」
怒鳴ったのは年配の機動部隊員だ。筋骨隆々の体躯に鋭い目付き、そして胸元には大きな虹色の心臓型のバッジが輝いている。
周囲の隊員達が慌てて背筋を伸ばした。
「申し訳ございません、隊長!」
どうやら本当に隊長らしい。
隊長は鼻を押さえながら私と灰かぶりを交互に見た。
そして私の五メートルを超す大きさの愛車を見た。
次に半壊した広間を見た。
さらに広間の床一面を覆うほどのカメムシを見た。
最後に天井へ張り付いている大量のカメムシを見た。
深く息を吐いた。
「……で?」
彼の鋭い視線に、私はドレスの歯車を外して構える。
「……何よ、まだやるの?」
「もう何もしないでくれ。結局、このバイクとドレスを作ったのはどっちなんだ?」
「私よ!」
「獣医ちゃんです!」
二人の声が綺麗に重なった。ソプラノ声の灰かぶりと、重低音の私。
隊長は即座に頷いた。
「よし。獣医、採用する。だから責任を持ってあのハエをどうにかしろ」
「え?」
私は目を見開く。
「え?」
灰かぶりが目を丸くした。
「え?」
なぜか王子まで全身で驚いている。
隊長は指を折り、数え始める。
「王城壁破壊」
「はい」
「毒ガス散布」
「ええ」
「閃光兵器運用」
「はい」
「飛行装備実戦試験」
「はい」
「核融合発電二輪自動車開発」
「はい」
「採用。だからこれ以上、頼むから、城を壊すな」
「そんな簡単に採用なの!?」
思わず叫ぶ。
——夢が、夢が! 夢が叶うのね!?
隊長は眉をひそめた。
「簡単?」
彼は広間をぐるりと見渡した。
半壊した壁の下敷きになっている失神した王子逃走部隊。臭気で泣いている王様や独身の娘と中年女性達。
床を這うカメムシ。
そして王族御用達のワックスで輝き、一切傷が付かなかった私の愛車。
「十分な能力デモンストレーションだったと思うぞ」
思わずその言葉に満開の笑みが浮かんだ。ただ警戒してまだ歯車は下げていない。
「じゃ、じゃあ私は!? 私はどうなります⁉」
灰かぶりが慌てて手を挙げた。
隊長は首を傾げる。
「お前は何が出来る」
「え? ええと……」
灰かぶりは困った顔で周囲を見回した。
そして私を見てから、自分のボロボロになったドレスを見る。
最後に少しだけ胸を張った。
「私は王子様を上手に扱えるように頑張ります!」
広間が静かになった。
「先程も好みではなかったのですが、王子様を自分だけ見てくれるよう誘導しました!」
隊長は数秒黙り、そして腕を組んだ。
「なるほど。確かに王子様の買い物を上手に制限してお小遣い制にしたり、彼の美貌に惑わされ過ぎない人材は必要だ」
王子は相当お荷物なのだろう、言葉の端々に妙に棘が刺さっている気がする。
「お前も採用しよう」
「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」
灰かぶりの絶叫が王城中に響き渡った。
「おい、待つのじゃ!」
今度は王子が叫ぶ。
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔で私達を指差した。
「余のキラキラはどうなる!? あのドレスを返せ!」
「……王子様」
「なんじゃ!」
私は自分のドレスにある未使用の蓄電ビーズと灰かぶりのドレスにあった焼け焦げた蓄電ビーズを差し出した。
王子の目が輝く。
「う、美しい……! これは、生と死を内包した星の輝きそのものだのう!」
「差し上げます」
「本当か!?」
「本当です」
「美しいぃぃぃぃぃ!」
王子は即座に床へ座り込み、宝石のようにそれを抱き締めた。
もうこちらを見ていない。
「よっしゃ! そういう事ならばあのハエどもを城から遠ざけるわ!」
私は愛車へ飛び乗った。ボタンをいくつか操作すると、すぐに核融合炉が起動する機械音が微かに聞こえてくる。
「できそうか?」
アクセルを捻る。核融合発電二輪自動車が甲高い咆哮を上げた。
「やってみせる!」
エンジンが唸り、私は黒い雲に向かって愛車を飛ばし始めた。
爆風が髪を巻き上げ、数本の前髪が引き抜かれる感覚に目を細める。
「世界が、私を待っている!」
私の笑い声がずっと遠くになった王城まで聞こえていたと、後日聞いた。
こうして灰かぶりは王子と結ばれ、獣医は念願だった機動部隊へと入隊した。
後に、数々の伝説的発明と破壊的問題行動で国中を震撼させる事になるのだが、それはまた別のお話である。
めでたし、めでたし。




