悪夢
この作品を手に取っていただき、ありがとうございます。
この作品は、「もう一度やり直せたら」という想いから生まれました。
鬱で絶望していた主人公が、異世界で仲間と出会い、少しずつ生きる意味を取り戻していく――
そんな再生の物語を描いています。
拙い文章ですが、最後までお付き合いいただけると嬉しいです。
「クソっ……強制転移された!」
珍しく、パンテラが毒を吐いた。
周囲を見渡すと、所々が氷に覆われた巨大な洞窟だった。
天井は高く、奥行きも広い。
まるで何かの儀式場のような、不気味なまでに整った空間。
どうやら、戦闘用に用意されたかのような場所へと転移させられたらしい。
そして――その中心に、鎮座している存在。
先ほど相手にしたワイバーンよりも、一回り以上……いや、比較すること自体が馬鹿げているほど巨大だ。圧倒的な体躯。重厚な鱗。呼吸するだけで、周囲の空気が震えているように感じる。
「……ドラゴンなんて、歴史上でも一例しか確認されていないはずよ」
メンソールの声は明らかに硬い。
氷の洞窟にいるというのに、彼女の額からは汗が噴き出していた。
普段の彼女からは考えられない、動揺の色。
「とりあえず、相手のスキルを見極めながら進めるわ。今までと同じ配置で、慎重に行きましょ」
メンソールの言葉に、全員が無言でうなずく。
それぞれがマナヴェールを展開し、俺とルーダが並走する形でゆっくりと前へ進んだ。
――怖い。
今までは、仲間に守られているという実感があった。
助けられてきたからこそ、ここまで戦えていた。
だが今は違う。
目の前の存在感が、恐怖として直接、心の奥底から沸き起こってくる。
まるで本能が「逃げろ」と叫んでいるようだ。
「リョウ。安心しろよ」
ルーダが、俺の不安を見抜いたように声をかけてくる。
「俺が、最後まで守ってやるから」
……その言葉とは裏腹に、彼の顔は緊張で引きつっていた。
普段なら笑顔で話しかけてくるのに、今は顔に余裕が感じられない。
それでも、俺を安心させようと声をかけてくれる。
「リョウは少し距離を取って様子見。ルーダ、正面で足止めして」
メンソールの指示に従い、俺はドラゴンの横へと移動して距離を開ける。
ルーダは、深呼吸を一つしてから、ドラゴンの真正面に立った。
「――マドハンド!」
メンソールが言葉を発すると、地面が蠢き、無数の手が這い出してくる。
ドラゴンの巨体を絡め取るように、四肢へと巻き付いた。三十秒間、対象をその場に拘束するエレメンタラーの魔法だ。
「シールドディフェンス!」
続いて、ルーダが盾を構えると、魔力が盾に満ちていき、淡い光が盾全体を包み込む。
次の瞬間だった。
ドラゴンは小刻みに爪を振るって攻撃していたが、突然――
「グォォォォォォォォォ――!」
低く、地を這うような唸り声をあげると、身を縮め――突進。
凄まじい衝撃音。
マナヴェールに走る、嫌な音。
マナヴェールにヒビが入り、ルーダは盾ごと弾き飛ばされた。
だが、後方にキャンシルが展開していたマナヴェールがあったため、ルーダの身体だけが中央付近まで吹き飛ばされる。
「……一つ目は、吹き飛ばし効果付きの体当たりね」
メンソールが冷静に分析する。
「ブレスは確実に持ってる。魔獣のスキルは最大で五つ……残りは、せいぜいあと三つってところかしら」
基本的には二つか三つしかスキルを持たない魔獣が多いらしいが、ドラゴンともなれば話は別だ。その一つ一つが致命傷になり得る。
強烈なスキル攻撃に怯みながらも、高火力の攻撃を畳みかけるため、心を落ち着かせて待機する。
その間にキャンシルがルーダの壁をヒールで治していく。
――怖い。
拘束されているとはいえ、通常攻撃ですら恐怖を感じる。
それでも、正面に立ち続けるルーダの精神力の強さには、本当に感心するしかなかった。
九十秒。
長く、重く感じる時間が過ぎた。
パンテラの攻撃に合わせ、高火力スキルを叩き込むため、俺は距離を詰める。
「――バカ! スキル発動まで待って!」
メンソールの叫び。
同時に、ドラゴンの翼が大きくはためいた。薙ぎ払い。
衝撃が全身を襲い、俺は地面へと叩きつけられる。
マナヴェールに深い亀裂が走ったが、マナヴェールのおかげで身体に致命的なダメージはないものの、激痛に悶える。視界が歪む。
「――皆、今よ! いくわよ!」
パンテラが描いていた魔法陣が輝き、ドラゴンの背後ですさまじい爆発が巻き起こる。
その瞬間に合わせて、メンソールが空から小さな隕石を落下させ、巨体に叩きつけた。
「風刃脚!」
俺も蹴りを放つと、脚の魔石が光る。不可視の刃が、ドラゴンの鱗を切り裂いた。
――効いている。
少なからずドラゴンにダメージを与えている手応えを、全員が感じ取った。
先ほどまでの張り詰めた空気が、わずかに緩んでいくように感じる。
キャンシルのサポートも的確だった。
ダメージを受ければヒールで治してくれるし、防御魔法や後方に吹き飛ばされないような立ち回りなど、すべてが噛み合っている。戦闘がスムーズに進んでいる手応えを感じた。
ドラゴンは戦意を失ったかのように身を縮め、防御姿勢を取り始めた。
ここぞとばかりに、メンバーが攻撃を叩き込み始める。
しばらく時間が経ち、それぞれがほっとし始めたところ――
急に、ドラゴンが立ち上がった。
「――来るわ! ブレスよ! キャン、防御を最大に!」
メンソールの声が洞窟に響く。
キャンシルが防御魔法を展開し始めた、その刹那。
咆哮。
洞窟全体が揺れるほどの、圧倒的な轟音。
とんでもない轟音と共に放たれた咆哮は、音というより、意思そのものを叩きつけられた感覚だった。
まるで全ての世界を真っ黒に塗りつぶすかのように――
恐怖。
不安。
絶望。
それらが、一気に心を塗り潰していく。
膝が、がっくりと崩れ落ちる。
立ち上がるどころか、呼吸すらまともにできているのか分からない。いや、呼吸すらしているのか不安になるほど、打ちのめされている。
何とか周囲を見渡すと――
――誰も、動けていない。
自分だけではない。
声も出せない。
顔も上げられない。
誰一人として、声を発することも、顔を上げることもできないでいる。
咆哮をし終えたドラゴンを見上げると、まるで笑っているかのように、俺たちを見下ろしていた。
あれだけ的確に指示を出していたメンソールも。
勇敢にドラゴンの目の前で戦っていたルーダも。
ずっと冷静だったパンテラも。
後方から常に正確な判断でサポートし続けていたキャンシルも。
誰も何もできず、ドラゴンがゆっくりと動き出すのを、誰も止めることができずにいた。
俺自身も、絶望に塗り潰されていた。
走馬灯のように、様々な出来事が頭の中に流れ込んでくる。
その中でも特に強烈に思い出すのは――鬱状態だった、あの頃のことだった。
あのときの絶望も、半端なかった。
今回と比べると、どうだろうか。
絶望感の種類が、そもそも違う。
あのときは、現在から未来への絶望感でいっぱいだった。何も見えなかった。だけど今は――どうにか希望を見つけようともがきながら感じている絶望だ。
そう、この状況をどうにかして打開したい。
そんな気持ちでいっぱいで、頭の中はぐるぐる回り、血液が沸騰しそうなほど、鼓動が早まっている。
――そして、その想いが限界に達した瞬間だった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
戦闘は時間制限付き協力プレイSRPGをイメージしています。
引き続き、お付き合いいただけると嬉しいです。
次回は2月20日(金) 20:00掲載予定です。




