王都とギルド
この作品を手に取っていただき、ありがとうございます。
この作品は、「もう一度やり直せたら」という想いから生まれました。
鬱で絶望していた主人公が、異世界で仲間と出会い、少しずつ生きる意味を取り戻していく――
そんな再生の物語を描いています。
拙い文章ですが、最後までお付き合いいただけると嬉しいです。
男の背中を見失わないよう、必死に足を動かす。
息が切れる。足が重い。
それでも、立ち止まることはできなかった。
この世界で一人になったら――そう考えただけで、背筋が凍る。
しばらく歩いた先で、視界が一気に開けた。
「……嘘だろ」
思わず声が出た。
白い城壁。その中央に据えられた、天を突くほど高い門。門の前には鎧を着た兵士が立ち、人や馬車が絶え間なく出入りしている。
荷車の軋む音、馬のいななき、人々のざわめき。
それらが混じり合い、目の前の光景を現実のものとして突きつけてきた。
(……ゲームの中みたいだ)
いや、ゲームなんかじゃない。空気は生々しく、匂いがあり、音があり、体温がある。
さっきまで死のうとしていた自分が、今は異世界に立っている。
頭の中が、妙に静かだった。あれほど支配していた「終わりたい」という衝動が、今は遠くに押しやられている。
「無事に着いたか」
ほっとしたように呟いたのは、先を歩いていた少年だった。
短く切り揃えられた髪に、軽装の鎧。背は高くないが、戦場で見たときと同じ、張り詰めた雰囲気を纏っている。
その隣には、長い黒髪の小柄な少女。ローブに身を包み、細身の杖を抱えている。
二人は顔を見合わせると、門番の兵士のほうへ向かい、何やら話し始めた。
俺は少し離れた場所で、その様子を見ていた。
(……この世界、どうなってるんだ)
状況が整理できない。
なぜ俺はここにいる? あの戦場は何だった? そもそも、ここはどこなんだ?
「とりあえず話はついた」
少年が振り返った。
「ギルドに行って、詳しい話を――」
そのとき、門の反対側から怒鳴り声が飛んだ。
「ルーダ! 先に軍部に来い! すぐにだ!」
少年――ルーダは、顔をしかめた。
「……まずいな」
「どうしたの?」
黒髪の少女が不安そうに尋ねる。
「多分何かしらのペナルティが科されるかも」
ルーダは眉を寄せると、俺を見た。
「悪いが、軍部に付き合ってもらう。一人で待たせるわけにはいかないからな」
選択肢なんてなかった。
この世界で何も分からないまま一人になる自信なんて、欠片もない。
俺は黙って頷いた。
---
王都の中は、外から見た以上に雑多だった。
石畳の道。並ぶ店。聞き慣れない言葉で交わされる会話。
どこか中世ヨーロッパを思わせる街並みに、理解できない装置や、淡く光る結晶が混じっている。
「あの、ルダ……」
黒髪の少女が心配そうに声をかける。
「ペナルティ、どうなると思う?」
「分からない。でも、今回の戦いで勝てていれば拠点を奪えてたからな。軽くはないだろう」
「わたしも一緒に謝るよ」
「キャン、お前は関係ない。俺が勝手に決めたことだ」
二人の会話を聞きながら、俺は不安を覚えた。
(……俺のせいで、拠点が奪えなかった?)
胸の奥に、重いものが沈んでいく。
城の近くまで来ると、ひときわ大きな建物が見えてきた。
中へ入った瞬間、空気が張り詰める。
「ルーダ!」
怒号が飛んだ。
「お前、自分が何をしたか分かっているのか!」
声の主は、体格のいい男だった。筋骨隆々で、顔には深い皺。先ほどの戦闘で指揮を執っていた男だ。
「拠点を奪う重要な戦闘で、よくも勝手な判断をしてくれたな!」
「ホーク、すまない……」
ルーダが頭を下げる。
「だが、第2世界の空間に人がいた。放っておけば死んでいた」
「人がいるわけがないだろう!」
ホークと呼ばれた男は、吐き捨てるように言った。
「あそこは第2世界だ。第2世界の魔石がなければ普通の人間が入れる場所じゃない。お前の見間違いだ」
「しかし――」
「言い訳は後だ」
ホークは机を叩いた。
「お前の所属ギルドに階級降格のペナルティと、北方で問題となっている魔獣討伐の命令が下されたぞ」
「……了解した」
ルーダは、表情を変えずに答えた。
ホークはそれだけ言うと、俺の存在など眼中にないといった様子で、部屋の奥へ消えていった。
重苦しい沈黙が残る。
「ルダ……」
キャンシルが、今にも泣きそうな顔でルーダを見ていた。
「大丈夫。想定内だ」
ルーダは小さく笑った。
だが、その笑みは明らかに無理をしている。
(……俺のせいだ)
階級降格。
その意味がどれほど重いのか、俺には分からない。
でも、軽くないことだけは分かる。
「……すみません。俺のせいで……」
気づけば、俺は頭を下げていた。
「顔を上げてくれ」
ルーダは、静かに言った。
「俺が自分で決めたことだ。君が謝ることじゃない」
「でも――」
「それに」
ルーダは、真っ直ぐに俺を見た。
「お前を助けたことを、後悔はしていない」
その言葉に、胸が詰まった。
---
再び街を歩き、堀のような水路を越える。
中心部には、淡く光り輝く巨大な石が立っていた。
「なんだ、あれ……」
思わず呟くと、キャンシルが答えた。
「転移石だよ。この世界を支えている、大切なもの」
「世界を……支えている?」
「うん。知らないの? 常識なんだけど……」
やがて、レンガ造りの建物の前で立ち止まった。
「ここがうちのギルドだ」
扉を開けると、中はそれほど広くないが、机や棚、掲示板などが整然と並んでいる。
奥の机に、一人の女性が座っていた。
長い銀髪に、知的な雰囲気。だが、その瞳には好奇心が宿っている。
「ルーダ。なんかペナルティの連絡がきたんだけど?」
「……ああ」
「まったく。まぁ別に構わないけど」
女性は溜息をつくと、俺に視線を向けた。
「で、その子は?」
「第2世界での戦闘中に、急に現れたんだ」
「第2世界に急に?」
女性は、興味深そうに俺を見た。
「魔石で作られた武具なんて持っていないように見えるけど……」
「第2世界……? 魔石……?」
聞き慣れない言葉に、俺は首を傾げた。
「そう。ここ第1世界から第2世界で戦闘をするために必要な魔石よ」
女性は立ち上がり、俺の前に来た。
「とりあえず、自己紹介が遅れたわね。私はメンソール。このギルドのマスターよ」
「神坂良、です……」
「カミサカ……リョウ?」
メンソールは、俺の名前を反芻した。
「家名持ち? 珍しいわね」
そして、ルーダとキャンシルを見た。
「詳しい話を聞かせてもらえる?」
---
三人が話し始める。
戦場のこと、俺が突然現れたこと。
俺は黙って聞いていた。
「……なるほど。つまり、リョウは第2世界に迷い込んだ、ということね」
メンソールは腕を組んだ。
「でも、それはおかしいわ。第2世界に行くには魔石が必要。それか、大陸中央の空間の歪みから入るか」
彼女は首を傾げる。
「どっちにしても、戦闘中に人が入り込むなんてありえない」
「それは俺も思った」
ルーダが言う。
「だけど、実際に彼はそこにいた」
「う~ん……」
メンソールは、少し考え込んだ。
そして、あっさりと肩をすくめた。
「まぁいっか。考えても仕方ないし」
「メンソさん、適当すぎ……」
キャンシルがぶつぶつと呟く。
「それよりリョウ、あなたはどこから来たの?」
メンソールが俺を見た。
どう答えるべきか、一瞬迷った。
嘘をつくべきか。でも、嘘は苦手だ。それに、ルーダたちと話してみて分かった。この人たちには、正直に話した方がいい。
「……夜中に、山に入ろうとしたんです」
「山?」
「そしたら、急に眩しい光に包まれて……気づいたら、あの戦場にいました」
メンソールは、じっと俺を見つめた。
「ひょっとして第2世界の住人? でも、人がいるって報告はないし……それに、今は昼よね」
「さっき、転移石のことも知らないって言ってたよ」
キャンシルが補足する。
「転移石を知らない?」
メンソールの目が、わずかに鋭くなった。
「子供でも知ってる常識よ? 冗談でしょ?」
言葉に詰まる。
(……この世界のことを何も知らない、って言ったら、どうなる?)
別の世界から来た、なんて話して大丈夫なのか。
敵だと思われたら――
沈黙が、重くのしかかる。
「……これ以上聞いても仕方なさそうね」
メンソールは、ふっと笑った。
「いいわ。とりあえず、うちのギルドに入ればいい。人手も足りてないし」
「ちょ、ちょっとメンソさん!」
キャンシルが慌てて声を上げる。
「身元不明なんて……敵国のスパイかもしれないのに! そんな猫を拾ってくる感覚で……!」
「まぁまぁ、キャン。困ってそうだしいいじゃん」
ルーダが笑う。
「ルダは何も考えてないだけでしょ!」
二人のやり取りを聞きながら、俺は呆然としていた。
(……いいのか? こんなあっさりと)
拘束されるかもしれない。追い出されるかもしれない。
そう思っていたのに。
「ありがとう、ございます……」
声が、震えた。
胸の奥から、何かが込み上げてくる。
「さて」
メンソールが手を叩いた。
「ペナルティの魔獣討伐に行かなきゃだから、準備して! っと、その前に」
彼女は俺を見た。
「ギルドメンバーとして登録するから、年齢を教えて」
「……40歳です」
「冗談言ってないで、ちゃんと答えて」
メンソールが笑う。
「どう見ても18歳くらいでしょ」
「……え?」
18歳?
何を言ってるんだ、この人は。
俺はどう見ても中年のおっさんだ。鏡を見れば――
ふと、近くにある鏡が目に入った。
恐る恐る、覗き込む。
「……嘘だろ」
そこに映っていたのは、高校生の頃の自分だった。
若い。
肌に張りがあり、目に力がある。
これは――俺?
「どうしたの?」
キャンシルが不思議そうに尋ねる。
「い、いや……」
混乱する頭で、必死に考える。
(……姿が、変わってる)
こっちに来たとき、体が若返ったのか?
それだけじゃない。
そういえば、頭がやけにクリアだ。
あれほど支配していた「死にたい」という思考が、今はほとんど浮かんでこない。
10代の頃に感じていた、新しいことへのワクワク感。
困難に立ち向かうときの、あの高揚感。
それが、確かにある。
(……精神まで、リセットされたみたいだ)
「リョウ?」
ルーダの声に、我に返る。
「あ、すみません。ちょっと考え事を……」
「変なやつ」
メンソールが笑った。
「じゃ、18歳で登録ね。名前は……カミサカ・リョウ。よし、これでギルドメンバーだ」
彼女は、俺に手を差し出した。
「改めて、ようこそ。これから、よろしくね」
その手を、握り返す。
「……はい。よろしくお願いします」
---
「さて、準備するわよ」
メンソールが立ち上がる。
「魔獣討伐は明日の朝出発。それまでに装備を揃えないと」
「リョウも一緒に行くの?」
キャンシルが驚いたように尋ねる。
「当然でしょ。ギルドメンバーなんだから。それに人手も足りてないし」
メンソールはあっさりと言った。
「え、でも……」
俺は戸惑った。
「俺、何もできないんですけど……」
「大丈夫。最初はみんなそうだから」
ルーダが笑う。
「それに、お前を一人で置いていくわけにはいかないだろ」
「……そうだけど」
不安が、胸を占める。
魔獣討伐。
それがどれほど危険なのか、想像もつかない。
でも――
(……行くしかないか)
この世界で生きていくには、力が必要だ。
何もできないままじゃ、誰かの足を引っ張るだけだ。
「分かりました。俺も、行きます」
「よし、決まりね。まぁ北方だからそんな強い魔獣は出てこないから安心して」
メンソールが満足そうに頷いた。
「じゃ、ルーダはリョウを宿に泊まらせてあげて。明日の朝、ここに集合。いい?」
「了解」
ルーダとキャンシルが答える。
俺も、小さく頷いた。
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ギルドを出ると、夕陽が街を赤く染めていた。
「とりあえず、宿に行こう」
ルーダが歩き出す。
俺は、その背中を見ながら考えていた。
(……魔獣討伐、か)
この世界での、初めての仕事。
いや、仕事なんて言えるのか。
俺は何の役にも立たないかもしれない。
「リョウ」
キャンシルが、隣に並んだ。
「大丈夫?」
「……分からない」
正直に答えた。
「でも、やってみる」
キャンシルは、小さく笑った。
「うん。きっと大丈夫だよ」
その言葉に、少しだけ力が湧いた。
夕陽の中を、三人で歩く。
明日から、新しい人生が始まる。
死にたかった人生が、もう一度動き出す。
その意味を、俺はまだ知らない。
でも――
少しだけ、期待している自分がいた。
第二話を読んでいただきありがとうございます。
次話はいよいよ実戦。
引き続きお付き合いいただけると嬉しいです。
次回更新は2月16日(月) 20:00を予定しています。




