涙の花
大神殿の食堂の横にとても大きなホワイトボードがある。
初めて見た時はこんな物まであるんだと感心したものだ。
そのホワイトボードに今回のアンケートを記入してもらっている。
男性は青、女性は赤のペンを使ってもらって、「良い」「その他」「悪い」の三つから選択してもらう方式だ。
さらに下のフリースペースには、様々な意見が書かれている。
結果的にはかなりの好評だった。
今回ポプリは金木犀の香りだけだったが、他の香りの要望が多い。
ハーブティーの効果があったという報告もある。
これだけの人が喜んでくれると、頑張ってやって良かったと思う。
たくさんの参考になる意見があって、いくつか次に生かすつもりだ。
私はそこに書かれていることをきちんとメモし、報告書にまとめる。
まとめた報告書は、神殿長のおじいちゃんに提出する予定だ。
これが認められれば、今度は修道院や孤児院に話をもっていくことになる。
私の交渉次第でどう転ぶのか、ちょっと不安ではあるけど、これが成功すれば色々な人が助かるのだ。
責任は重大だが、やりがいはあると思う。
私はその夜、自分の部屋で夜遅くまで、プレゼンの資料を用意した。
ペンを走らせながら、私はふと前世を思い出してしまう。
この世界にコピー機があれば、今描いている図表も一瞬で複製できるのに……。
けれど、ここは花と豊穣の女神が治める世界。
女神が機械化を好まないと知っているから、職人たちは機械を避け、印刷も一枚一枚手作業だ。
だから私も、こうして黙々と同じ資料を書き写していくしかない。
不便だと思うときもあるけれど、この世界には魔法があって便利な面もある。
魔石というものがあって、これを使うと魔力がない人でも魔法が使えるので、案外機械化が進んでなくても困ることがない。
この世界では子供が10歳になると貴族、平民関係なく、近くにある神殿で女神の加護を調べられる。
一般的には健康で健やかに生きられるようにと『強靭』の加護を与えられるものだが、その中に魔法を使ったり、魔石に魔法を込めることが出来るギフトが『魔力』だ。
他にも、時々よくわからない加護もあって、私もその一人だったりする。
『緑の花』
たぶん植物を上手に育てる才能、とかの加護なんじゃないかって思っているんだけど、育てるのはもともと上手かったから加護が発揮されているかどうかがわからない。
でも私らしい感じの加護で気に入っている。
今日は花畑で冬に咲く花のサイネリアの世話をしていた。
冬が近づいているのか、花を揺らす風がほんのりと冷たい。
蕾も去年よりたくさんついていて、満開が待ち遠しくなる。
赤と青に加えて薄ピンクや紫、中心が白く外側に色のついたバイカラーが並んで、咲くために力をつけて膨らんでいる蕾の様子が健気でどれも愛らしい。
一部は咲き始めたみたいだから、もう少ししたら庭園の方に植え替えよう。
クリスマスローズと組み合わせたら、寒くても見る人の心を温めてくれるはずだ。
サイネリアの花言葉は「希望」「快活」「喜び」。
花の色でも花言葉は変わる花で、たくさんの花言葉を持つ。
クリスマスローズの花言葉は「追憶」「慰め」「いたわり」。
もうひとつ花を加えて、ミニブーケに添える言葉を考えないと……。
白いスノーポールはどうかな?
そう思いついて、スノーポールの蕾の確認をしようと立ち上がった時だった。
突然世界の音が消えた……。
音が消えたことに戸惑い辺りを見回すと、なぜか景色が斜めに回っていく。
どうしたのかと思っていると、背中に衝撃を感じて痛みがじーんと響いた。
目の前にサイネリアの花びらが落ちて来て、花がすぐ近くに見える。
いったいどうしちゃったのかと思っていると、すぐ右に地面が見え、自分が倒れていることに気づいた。
音は消えたままだし、体もまったく動かない。
意識ははっきりしているので、試しに助けを求めてみた。
けれど、声はかすれて小さい。
あ、これはまずいな……とわかったけれど、どうすることもできなかった。
何とか動けないかと頑張ってはみたが、少しも動けない。
助けを待つしかないかと思っていると、冷たいモノが頬に当たった。
何だろうと思っていると、ポツポツと次から次へと頬に、体に当たる。
……雨だ。
動けないまま花畑に倒れて、雨に当たっているのはもっとまずい。
このまま動けないまま、雨に当たり続けることになったらどうしよう……。
そう思っているうちに雨の勢いは増す。
倒れたままどれくらい時間が経っただろうか?
濡れて体温が奪われ、体が冷たくなっていくのを感じる。
それになんか気持ち悪くなってきた。
雨の雫が花びらに当たり、雨を弾ませ小さな雫に変える。
その小さな雫さえも私を濡らしていく。
今日は庭師の仲間の休みが多く、私がここにいることに、誰も気づいていないかもしれない。
ふと、前世の記憶が思い出される。
前世でも私は雨に濡れて肺炎をこじらせて命を落とした。
今世でも私は雨で命を落とすの?
……こんな終わり方なんてしたくない。
私の瞳から涙が雨に交じって落ちていく。
ふと、大神官様の姿が浮かんだ。
たった一人中庭で悲しい瞳をする大神官様……。
私は唇を一度強く噛む。
あの瞳を変えたいと、望んだ。
あの人の笑顔をもっと見たいと思ったからここまで頑張って来た……。
女神タリア様!
私をお助け下さい。
ちょっとでもいいんです。
せめて体を動かせる力をお与えください!
そう必死に願うが、女神からそんな都合のいい力をもらえるはずもなく。
何とか小さな声を出す。
誰か!
お願い、誰か気づいて!
私はここです!
……誰か……お願い……。
誰も……私に気づいてくれない、……の?
このまま死んじゃったら……、大神官様に会えなくなっちゃうの?
そんなのいやだ……。
とても悲しくなって、さらに涙がこぼれていく。
大神官……様……。
聞こえるはずはないとわかっていても、大神官様を呼んでしまう。
するとタイミングよく、誰かがこちらに走ってくる足音に気づいた。
ああ、誰かが気づいて探しに来てくれたんだ!
女神様ありがとうございます!
涙と雨でぐしょぐしょの顔で、その足音を聞く。
その人は私の後ろまで来てしゃがむと、両手を私の体の下に差し入れ、ぐいっと抱き上げてくれたのだ。
良かった。
これで助かった……。
私のせいでここに来るまでに雨に濡れてしまったはず。
でも、いったい誰が私を助けてくれたの?
申し訳ない気持ちでいっぱいになって、助けてくれた人の顔を見れば、信じられないことにその人はディオレサンス大神官様だった……。
嘘でしょ?
信じられない奇跡が起こって、私の記憶はそこでぷっつりと切れてしまった。
後で神官さんに話を聞いた所、祈りを捧げていた大神官様に女神様が花畑で助けを求めている者がいるから助けるようにと告げたらしい……。
女神様に助けを求めたら本当に助けてもらえたけれど、大神官様に迷惑をかけてしまった!
私、重くなかったかな?
しかも雨で濡らしちゃったし。
風邪とか引いてないよね?
でも、大神官様を呼んだら本当に大神官様が助けに来てくれるなんて、ちょっときゅんとしちゃったのは私の心の中にとどめておきます……。
大神官様、迷惑かけてごめんなさい。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
無理をして倒れれば人に迷惑をかけるとわかっていても、真面目な性格ゆえに無理を続けてしまい倒れる庭師ちゃんがずっと書きたくてやっと書けました。
今後の布石もいくつか置けたし、これからも頑張ります。
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※いただいた誤字脱字報告は色々と確認しながらゆっくりと修正させていただいております。




